アシュトラの平和な話。を、書こうとしたし実際それで進んでいたのにどうしてこうなったのだろう。結果的にヨアの公式設定画公開記念のような形になってしまった。そして同時にそこに引っ張られた。
遠い空のどこかで、鴉の鳴き声がした。それで目が覚めた。
「うるっせェんだよ……」
不機嫌の概念を煮詰めて固めて吐き出したような声は今日も朝から見苦しい黒さで飛び回っているであろう当事者には聞こえなかったろうが、代わりに自分が寝転がっているすぐ横で何か小さいものがバタバタと慌てて走り去る音がした。おそらくは鼠の類だろう、こんな家とも呼べないボロ屋で家探しとはご苦労なことだ。
目を開く。寝転がっていてもどんよりと曇った空が視界に飛び込んできたのは先々月あたりに今の居城であるこの廃墟と呼んで差し支えない元物置小屋の、腐った茅葺き屋根の約三割ほどが年月の重みに耐えきれず崩壊したからだ。この物置小屋がある廃村からは人の手が離れて久しく、新しい家を探そうにもどうせ似たり寄ったりの風化し自然に還りつつある壁のような何かと屋根のような何かの寄せ集めしかないのはわかっている。
つまり、やるだけ無駄だ。板の間に寝転がって穴だらけの壁と屋根、そしてよく見える空を見上げたまま手探りに手を伸ばし、以前山を回ってかき集めた林檎の山へと手を伸ばす。夏の暑さも体のあちこち、金で継がれて無理やり人型を保った欠損箇所には辛いものだったが、直射日光をあまり長く浴びなければまだどうとでもなったあの時期とは違いこれからしばらく続く寒の季節はこの体に厳しい。吹き曝しよりはごくわずか、比べる価値もないほどにマシな朝の寒さが金継ぎと肉体の境目に不協和音を起こしているのに顔をしかめながら、鼠ですら手を出さなかった目当ての林檎をひとつ手に取り一口齧る。
しかめっ面が、もう一段増した。
「……不味ィ」
秋の実り、などという言葉は、少なくともこの付近には存在しない。本当はやりたくないけれど時期が来たからお義理で仕方なく実を付けてみました、と言わんばかりの見るからに萎びたそれは果肉も果汁もあったものではなく、この廃墟の壁でも引きちぎった方が土に還りつつあるぶんまだ幾分かは柔らかいであろう。下手をすれば、そちらの方がまだましな味さえするかもしれない。吐き捨てるかどうか一瞬迷った末、我慢してそのまま吞み込んだ。
本来この身体となった時点で、食事の必要はない。現に今も、空腹は感じない。それでもなお形だけでも毎日口に物を入れ続けているのは、習慣よりもむしろ意地のようなものだった。この動作すらやめるようになった時、変わり果てた今とかつての自分とを繋ぐか細い連続性に何か決定的な断絶が起こってしまうような。いや、むしろその方がいいのだろうか?
馬鹿馬鹿しい考えは頭から追い出して、せめてもう少し日が高く昇る時間まで二度寝しようかと目を閉じる。
直後に目を開けた。この廃村に、誰かが侵入してきている。迷いなく向かってくる足取りは、その存在が何かの偶然でこんなところに迷い込んだのではなく明確な目的がある事を示していて。一瞬寝転がったままの全身から剣呑な瘴気がつむじ風に乗るかのように渦を巻いて立ち上り……すぐに嘘のように霧散する。近付いてくる気配から、侵入者の正体が分かったのだ。入れ替わりに心底面倒そうに息を吐き、そちらの方へじろりと視線を送る。大小さまざまに何カ所も空いた壁の穴の向こう側には案の定、物置小屋の扉へ回り込もうとする黒髪が見えた。
「ヨア。起きていますね?」
ノックの音とともに、凛とした声が響く。起きていますか、ではなく起きていますね、だ。この招かれざる侵入者も、先ほど一瞬反応してしまった瘴気から家主が目を覚ましていることには気が付いているらしい。つまり、寝たふりをしてやり過ごすことも不可能。
「……何の用だ、
「露出きょ……その呼び名は止めてくださいと、何度も頼んでいるでしょう!」
怒り声と共にバン、と大きな音を立てて扉が開く。そして、何か柔らかいものが地面に落ちる音。腐りかけた蝶番のうち片方が今の衝撃で周りの木片ごとちぎれて落ちた破片へと視線を移し、顔を出した女はいかにも後ろめたそうな顔でぎこちなく視線を逸らした。腹芸が一切できない真面目の上に糞が付くこの来客の罪悪感を思わぬ形で刺激しいきなりその勢いを削げたことに内心ぐっと拳を握りながら、さも扉のことを気にしているかのようにじっとりと非難の目線を送る。実際問題、扉だろうと壁だろうとあろうがなかろうがこの穴だらけの廃屋にとって大した違いはないのだが。
「事実だろうが」
「……いや、あれは私にとって神気を肌で浴びる為の正装であり、そのように破廉恥な意図は……」
反論の言葉も、普段よりはるかにぎこちなく弱々しい。完全に議論の主導権を握られた女の格好を、上体を起こしてじろじろと上から下まで意味ありげに眺めてやる。
世間一般的な感覚で言えば、間違いなく美女である。長い黒髪を団子に纏めて青いリボンで結んで背筋をまっすぐ伸ばし、いかにも真面目で意志の強そうな水色の瞳にキュッと引き結んだ唇、黒と水色を基調とした和装。しかし彼女が並みの村娘などではない証拠にその下半身には防具である鎧……草摺を装着しており、なによりも腰には大刀を下げている。無防備なようで隙のない立ち姿ひとつとってみても、見る者が見れば彼女が相当の使い手であることは一目で看破できるだろう。
のは、いいのだが。その和装になぜか豪快に入ったスリットによって、その長くしなやかな左脚は太腿のほぼ付け根までもが大胆に露出している。いくら見て喜ぶような男衆などいないとはいえ、おおよそ若い娘のするような格好ではない。
「これは……ですから何度も説明している通り私は左の踏み込みから入るのが基本形ですので、戦闘時に服が邪魔で動けないようでは……」
言い訳じみた言葉にも力がこもっていないのは扉を破壊した罪悪感の他に、彼女自身も趣味と実用性の狭間で揺れ動いた末に落ち着いたこの格好の露出度が高いこと自体は理解しているからだろう。そして、それで長く通し過ぎたせいで太腿を外へ晒すことへの羞恥の心もここ近年は正直、徐々に感じなくなってきていることも。
もう少しそのあたりを突っついてこのままお帰り願おうとした矢先、会話に割り込むようにしてミクマリの眼前につい、と黄金製の煙管が伸びる。その先端からゆったりと流れ出た煙を不意なことでそのまま吸ってしまい咳き込む彼女の顔の横に、ひょいと新たな女の顔が現れた。彼女の耳元にほとんどくっつくほどに口を寄せ、甘く囁く。
「あらぁ、いいじゃないのミクマリちゃん。綺麗なあんよも、可愛いおてても、せっかく大きく育ったお胸も……ぜぇんぶ脱いじゃえばもう服なんて邪魔にならないし、きっと開放感が気持ちいいわよぉ?」
「な、なななななっ!そのように破廉恥な真似、断じて私は……っ!」
「えぇっ!断じて脱がないなんてミクマリちゃん、服を着たままお風呂に入る子だったのぉ?」
「お風呂…………~~~っ!!」
数秒のフリーズを経てからかわれたのだとようやく察したミクマリが顔を真っ赤にし、羞恥で涙目になりながら腰の剣を今にも抜かんばかりの勢いできっと乱入者を睨みつけ距離を取りつつ向き直る。クスクスと楽しそうに笑う女に、ヨアは今日だけで早くも何度目かのしかめっ面を送った。
「テメェまで何の用だよ、
「あぁらあら、ヨアちゃんったら今日も連れないわねぇ。わっちは今日の予定、あなたの味見でも全然かまわないのだけどぉ?」
「生憎、虫も若作りのババァも相手にする趣味はねェよ。両方揃ってりゃ猶更だ」
にべもない答えにあら残念と剥き出しの肩をすくめたのは、蠱惑的な黒髪の美女である。蜘蛛の巣模様がいくつも描かれた黒と金の和装は大胆な改造の果てにその両肩はあらわとなり、胸元も片手に余るほどある双丘の膨らみをむしろ見せつけるように大きく開いている。人形のように白くなまめかしい太腿は当然の権利のように剥き出しにして、袖の中に隠れ何をしているのか分かったものではない片手を口元にやってまた笑う。
どうやらこのままでは、いつまで経っても収拾はつかないらしい。糞真面目さが幸いして少なくとも会話は通じる
「……テメェらもう一回聞くぞ。一体何の用だ、あぁ?」
まだ答えないならここから叩き出すぞ、俺はそれでも全然構わないしむしろそうさせろ面倒臭ェ、と言外に圧を掛けながら聞くと、またミクマリに何事か吹きこんで顔を赤くさせ遊んでいたクズハもさすがに手を止めた。面白がっているような目つきはそのままに、ひょいと一歩横にずれて物置小屋の正面を空ける。
どうやら、歓迎する気のない唐突な客人にはまだ続きがあったらしい。これまでクズハの後ろに隠れて見えなかった小さな人影が、ヨアに小さな手を振った。サイズが大きいのかダボついた上着から覗く煤を塗り付けたように黒い肌とそれとは対照的な色合いの背中まで伸ばしたぼさぼさの銀髪、そしてなにより背中に生えた一対の大きな翼が特徴的な少女だ。
「わっちが説明してもいいけれど、わっちの所にこの話を持ってきたこの子に喋ってもらおうかしらねぇ」
「おはよう、ヨア!」
「
ますます深まる面倒事の匂いを察しながらしぶしぶ立ち上がり、寝る前にその辺の農具入れに刺しておいた得物である禍々しい硬質の刀……いや、刀と呼ぶにはあまりに痛ましい二振りだろう。折っても折ってもまた伸びてくる彼の異形の角を強引にへし折って、先端を呪いの札で巻き無理やりに持ち手とした代物を無造作にぼろぼろとなった服の腰を結ぶ縄へと突っ込んで外に出る。ようやく小屋から出てきたヨアにほっとした様子のタマヨリが、それでも陰った表情で口を開いた。
「実は……」
「はァ!?
「うん……」
申し訳なさそうに落ち込むタマヨリの前で、ヨアは二の句が継げなかった。
アカスナ。各々の(クソッタレな)思惑を持った(クソ)神によって(有難迷惑にも)選ばれ、何度死しても(頼みもしねェのに)蘇り(ダセェ)金でもってその体を継ぎ直すことで闘い続ける(呪いの)宿命を背負った彼ら、アシュトラ……実際の所カッコの中身はヨアの主観であり、彼は他の
「あっそ。じゃあ俺ァ寝る」
知ったことかとばかりに背を向けて物置小屋に戻ろうとするヨアの腰に、どしんと何かがぶつかって離れない。離すものかとばかりにしがみつくタマヨリを引き剥がそうとしながら、心底どうでもよさそうに口を開く。
「知るかァそんなもん!金で継げ金で!」
「ヨア。アカスナの膂力で振り回せば、金継ぎでは強度が足りずすぐにまた分解されてしまいます。ましてアカスナが扱うのは炎、熱で溶けてしまいますよ」
「大体、何であんなもんがぶッ壊れんだ!雲のてっぺんから落としても傷一つ付かねェ代物だろうが!」
「わっちも笑っちゃったんだけどねぇ、あのふっとくて固ぁい棒、神の力を降ろすための梵字が刻んであったじゃなぁい?あれが振り回してるうちに薄くなってきたから自分で刻み直そうとして、ただでさえ神器の力が落ちてたところで力加減間違えて握り潰しちゃったんだってぇ……ぷっ!」
「ゴリラの自業自得じゃねェか!」
「お願いだよヨア、ボクに免じると思ってさ!ちょっと力貸してくれるだけでいいから、ねっ!?」
適当に口にした策は理詰めで生真面目に封じられ、論点のすり替えは笑いながらあっさりと止められ、往生際の悪い抵抗と呪詛の叫びも子供の真っすぐなお願いの前ではやや分が悪く。心の底から聞く気になっただけ損をした心底くだらない理由と話に苦虫を噛み潰したような顔になりながらもとうとう抵抗をやめたヨアの服の裾をなお掴みながら、タマヨリはにっこりと笑った。
「それに大丈夫だよ、ヨア。実はもう、新しい金棒はほとんどできあがってるんだ」
「はァ?」
胡散臭そうに目を細めるヨアだが、タマヨリは視線を逸らさずニコニコと笑みを浮かべ続ける。その肩をポン、とねっとりした手つきで叩いたのはクズハだった。
「実はこの子、最初にわっちのところに来てねぇ。ほらぁ、わっちが前まで巣にしてた、むかぁしの遊郭が麓の町跡にあるじゃない?」
「夜な夜な男誘ってる色情魔の化け物がいるってェんで、妖怪退治とゲテモノ好みの人間が一時わんさか押しかけてた所か?」
もう、百年は昔になるだろうか。わざわざ人の目につきやすい変なところに巣を構えたこの
最終的にその騒動は男漁りに一旦の満足を覚えた色情魔がその時たまたま彼女の噂を聞きつけてきていた適当な僧侶のうちひとり、彼女曰くなかなかにイイ男だったから選んだ相手に退治されたフリをすることで収束し、後日その坊さんの業績を讃えた寺と「退治された女妖怪」の魂を鎮める慰霊の祠が建立されるのを爆笑する彼女の横で冷めた目で眺めていたものだ。
そしてその寺も今となってはもう知る者もなく荒れ果てて、風雨に晒され続けた祠もだいぶ痛んできている。
「あそこのお寺、もう誰も覚えていないみたいだからねぇ。せぇっかくあの……なんていったかしらぁ、あのお坊さん?ともかくあの御人の妖怪退治を讃えて、とってもでっかくて固ぁい鐘まで作ったのにねぇ」
「その鐘をちょっと貰ってきたんだよ。なかなかいい鉄と重さだったし、どうせもう祀る相手も叩く人もいないからさ。だったらボクが有効活用してあげる方が、きっと鐘の方も幸せだよね?」
「……勝手にしろィ」
少なくとも当人は命懸けで挑み自分は妖怪退治を成したと信じた坊さんも、それを見て寺を建てた人間も。当事者たちは絶対に納得しないであろう論理を無邪気に語る
そんな目線をどういう意味で捉えたのか、今度はミクマリが自慢げな顔で胸を張る。
「そしてその鐘を、私が金棒の形に鍛え直しました!」
「……あっそ」
「軽いですね、なかなか骨が折れる仕事だったんですよ!?やりがいはありましたけど!」
ミクマリ。アシュトラの中でも剣鬼の名で知られる彼女は生真面目で真っすぐで、金で継がれた不死の身となってもなお人という存在に敬意を払う大の人間びいきだが、強すぎる力が入り混じることによる均衡の崩壊を嫌ってかその身を見染めた神の意向か、積極的に人やその集団と交わるわけではない。あまりにも永い時を生きるうちに当人も知ってか知らずか、考え方が神々の側に寄ってきているようだ。
だからといって、その生き様にもまた口を出すつもりはない。興味がないからだ。己にしても、他人のことを言える身ではないというのもある。それを自覚しているだけまだ自分の方が人に近しいのだろうが、そこを比べたところでさしたる意味もない。
……太くて固くて逞しい棒を作ることにヤリ甲斐、だなんてかわいいお顔していやらしいわぁ、などと今日一番の生き生きとした顔で彼女の耳元に顔を寄せ、聞こえよがしに呟きまたその顔を真っ赤にさせる
「で?そっから俺に何しろってェんだ。用意は全部終わってんだろ?」
「うん、後はボクが新しく梵字を刻んで、彼の神として正式にこれがアカスナの神器だよ、って認める儀式をするだけだね。ただ……」
そこで少し困ったような顔をするタマヨリ。彼女の言によると、元来が寺の鐘として鋳られ清浄なる水の気を持つミクマリの封神のもとで鍛え直された金棒はあまりにも神聖かつ清らかすぎて、このままではアカスナの武器とするには少しばかり気質が合わないのだという。
「なるほどなァ、それで俺か」
「うん。疫と呪に関しての取り扱いは、やっぱりヨアが一番だからね」
目の前にいるのが神々の一柱だと理解はしていても、目の前の
そしてそんな様子を横目に彼が懐から取り出したのは、いずれも何も書かれていないぼろぼろになった数枚の札。
「
呟きながらその表面をすらすらと指でなぞると、目には見えない気配が漂い始める。まるで一対の巨大な目玉、瞬きひとつしない獣の目玉がそれを傍から爛々と見つめているような。しかしそちらには一切構わず指を滑らせ続けると、塗料など何も付いてはいないその軌跡に沿ってくっきりと禍々しい梵字が刻まれていった。そして文字が確定する度に見るからに瘴気を発しだしたそれを金棒へと一定間隔で張り付けていくと、札の数が増すごとに金棒が発する清らかな気配は揺らぎ、くすみ、濁り、やがて反転し。
とうとう金棒は、その全体が瘴気に包まれた。
「ほらよ、終わッたぜ」
最後の札を貼り終えて振り向くと、獣と目玉の気配はそれを合図としたかのようにあっさりと消えていた。嘘のように軽くなった空気の中で終わったなら帰れと招かれざる客人たちを睨むと、タマヨリが何も変わらない純真な笑みを浮かべる。
「ありがとう、ヨア。じゃあ最後に、これをアカスナの所に持って行こう!」
「……あァ!?」
どうやら彼女の中では、まだ終わってはいなかったらしい。
「
アカスナがその領土とする、鬼が棲むと言い伝えられる活火山。彼女が得意とする得物の毒々しい色合いな大鎌だけを背負い、見たくもないがどう見ても必要以上に尻を振るような身のこなしでひょいひょいと山道を歩く
「わっちの可愛い子ちゃんたちは、こういう場所はちょーっとばかり苦手だからねぇ。逞しい男手を頼りにさせてもらうわぁ」
「……チッ!」
舌打ちと渋面には理由がある。先ほどまで巨大な金棒を数体がかりで抱えていたクズハの眷属たちは、この山登りには参加していない。そのため自分の背丈ほどにも大きく半端ではない重さを誇るそれを、ヨアはこの山登りを開始してからというもの単身ずるずると引っ張っていた。大切に扱う気は毛ほどもないため、持ち手の側だけをひっ掴んでもう片方の先端は地面に落としたままだ。そのため、彼の後ろには金棒が地面を抉った跡がくっきりと刻まれている。
なぜ彼がこんな苦役を強いられているのかといえば理由は単純、この
「それに、かよわぁい乙女の柔肌に、こんなごつごつで棘だらけの怖ぁいモノを持たせるなんていけずなこと言わないで……あっ!そういうことね、んもぅ照れ屋さんなんだからぁ。そんなにがっつかなくたって大丈夫よ。後でお・れ・い、たぁっぷりしてあげるからねぇ?」
「おう
「あ、あはは……」
この色情魔にわざわざ声を掛けた自分がうかつだったと数秒前の自分を呪いながら、苦笑しつつペースを合わせて隣を歩く
まだ山の頂上、火口までは距離がある。このペースで歩き続ければ登頂までにどれほどかかるかをざっと目算し、もう一度舌打ちして一行の先頭を意気揚々と歩いていた最後の同行者に向かって声を張る。
「
よく考えれば、なんでこんな馬鹿みたいな鉄の塊担いでわざわざこんなしけた山をえっちらおっちら登らねばならないのか。
「えぇーっ!?もう、しょうがないなあヨアは。わかったよ、じゃあボクは行ってくるから。あ、でもそっちからも登ってきてね!」
神の身であり余計な荷物も持たない彼女には、やはりまだまだ余裕があったらしい。むくれながらも地面を蹴って翼を広げると、一気に火口の方角へと飛び立っていった。どんどん小さくなるその背中を小さな点になるまで見送ってから、持ち上げていた金棒を地面に放る。重い音とともに山肌にめり込んだそれを尻目に、これ以上歩く気はないとその場に胡坐をかいて座り込んだ。女性陣はどうするのかと目で問いかければ最初から全く自分の手を汚すつもりのないクズハが金棒の棘のない箇所へと腰を下ろし、それを見て自分だけでも運び役を変わっていくべきか悩んでいるようだったミクマリも諦めたように息を吐く。
小休止の時間は、一体どれほどだったろうか。休むのも早ければ退屈するのも早かったクズハが刀を素振りして鍛錬するミクマリにまたいらぬちょっかいをかけては顔を赤くした彼女に追われ笑いながら逃げ回り、わずかながらの静かな時間を速攻で失ったヨアが苛立ちもあらわに呪詛を吐き。そんな時間の終わりを告げたのは、上から響いてきた空気を震わせる野太い大音声だった。
「おーーーい、よう来たなあお前達!」
「遅せェぞ
「あら、ようやく主役のご登場ねぇ」
「ご無沙汰しております、アカスナ」
三者三様の挨拶に迎えられて豪快に笑うのは、身の丈からして巨大な鬼……そう、上半身裸の筋骨隆々な鬼である。その肩の上には、まるで小鳥か何かのようにタマヨリが腰を下ろしている。彼を見出した神の姿同様に煤を塗り付けたかのように黒い肌のあちこちには致命の一撃を幾度も受けてなお金で継がれた跡が残り、燃えるような赤い髪が背中に垂れて。しかしその巨体で最も目を引くのは、その額から伸びた鋭い大角だろう。それは体の一部なのか、そうだとしたら生まれつきのものか、はたまたあれこそが自分と同様にタマヨリに見いだされた証なのか、あるいは武器として意図的に頭蓋を割り体内に仕込んだ代物なのか。例によって彼はその答えを知らないし、知る気もなければ踏み込むつもりもない。興味がないからだ。
彼にとって重要なのはこのアカスナは凄まじい膂力を誇る炎のアシュトラであり、この地に棲むと噂される鬼の正体であり、まともにやり合えば自分とてただでは済まない相手であり……そして、阿呆の焼きゴリラだ。
「お前なァ……金棒握り潰したってなんだよ、というか梵字はお前向いてないしいつもは
「いやあすまんすまん、この前儂を退治に来たとかいう輩を殺す前に聞いたんじゃが、どうも儂は人の間だと力任せな猪野郎、頭を使えば倒せる相手だと思われちょったみたいでのう」
「あら、合ってるじゃなぁい。それ聞いてムキになっちゃったんでしょう?それで失敗してるんだから世話ないわねぇ」
アカスナが片手にぶら下げていたのは、みっつの瓢箪。非難するついでにそのうちひとつをひょいと掠め取ったヨアに続き、クズハもちゃっかり自分の分を確保する。残るひとつを礼儀正しく待機するミクマリに渡しながら、アカスナはまた大声で笑った。
「ガハハ、返す言葉もないわい!とりあえずこいつは礼じゃ、儂が奉納しとる神酒じゃから旨いのはお墨付きじゃい」
「ありがとうございます、大切に頂きます」
「あァ、
「相変わらず一言多いのう、ヨア!それで、儂の新しい金棒は……おう、こりゃあ相当の業物じゃな!前の神器も良かったがこりゃあそれ以上じゃ、見りゃあ分かる!わざわざすまんかったなあお前達、それに……タマヨリ殿」
タマヨリの名を呼ぶときにだけ、アカスナの声が神妙で厳めしいものになる。引き締まった顔で真横、自分の肩の上に顔を向ける彼に、タマヨリは屈託のない笑顔で返した。
「うん!」
「それじゃあのう、お前たち!今度はゆっくり呑みにでも来いや!」
「ミクマリー、クズハー、ヨアー、まったねーっ!」
新しい金棒を軽々と背に担いで手を振るアカスナとタマヨリに別れを告げ、来た道を戻るアシュトラ達。山の麓まで降りてきたところで、まずはクズハが口火を切った。待機させていた眷属たちを再び動かしながら、流し目と共に手を振る。
「それじゃあ、私もここでお別れねぇ。またね、おふたりさぁん」
ただ振るだけでなく途中からその手で輪を作り、まるで見えない棒状のものを握るようにねっとりと動かしてみせたのは完全に無視されて。少しばかりのむくれっ面をして去っていく百鬼夜行の親玉のような背中に、あれは間違いなく色情魔だともう幾度も思ってきた感想を改めて心中で固め直し。
「それではヨア、私もこれでお暇します……あの。ヨアはまだ、あの村に留まるのですか?」
同じく別れの言葉を告げたミクマリが、彼女にしては珍しく口ごもる。これ以上は踏み込んでよい部分なのかどうか、彼女自身決めかねているのだろう。そして実際、この話題に他者を踏み込ませるつもりはさらさらない。
「放っとけ」
「……そう、ですね……失礼しました、忘れてください。それでは」
なお躊躇いながらも短い返答に明確な拒絶の意思を察知して一礼し、それ以上は振り返らずに背筋を伸ばして去っていくミクマリ。その背中に、最後に一声投げかける。らしくない行いなのは自覚していたが、戦場でも日常でも間合いの読み合いには強い彼女らしからぬ不用意な踏み込みに感化されて調子が狂ってしまったのだろう。そう思うことにする。
「……不用意なお節介はな、身ィを滅ぼすだけだぜ」
その声は、確かに届いたのだろう。一瞬その足が止まり、そしてまた歩き出す。それを最後まで見送ることはせずヨアもまた自分のいるべき場所、あの廃村へと足を向けた。山の麓を過ぎれば、いかに活火山近くとはいえぽつぽつと草木も生えてくる。さらに離れれば草は草原、木は大木となり、それが集まって鬱蒼とした森となる。森の道なき道を抜け、また別の山を登り。やがてかつての村がある地の便宜上の入り口、昔に神社があった場所の名残であるぼろぼろの鳥居まで来た時、ふと足を止めた。本殿はない。もうずいぶんと昔の嵐の時、落雷を浴びて焼け落ちたからだ。
「何の用だ、犬っころォ」
鳥居の前に、一匹の犬が座っている。見る影もないかつての神域をあざ笑い、そして踏みにじるように。犬と言っても無論、ただの獣ではない。人より大きな禍々しく黒ずんだ翡翠色の体は表面が不可視の力で常に揺らめき、その存在が超常のものであることを示している。爛々と輝く深紅の瞳は世界全てを呪うように睥睨し、邪悪な笑みを浮かべる大口からは鋭い牙がいくつも覗いている。強い呪詛の念により指向性を持った呪いそのものが、魔獣としての形を得た姿。
この獣は、ヨアを見出した神そのものではない。自分を忌々しい死なずの体とこの世に縛り付けやがったクソ神は
つまり魔獣がここまではっきりと姿を現しているということは、何かろくでもないことが起きていると考えていい。それも、もはやどうやって手を尽くしても避けられないほど近くに。舌打ちしたくなるのを堪え周囲を見回すと、異物はすぐに見つかった。鳥居へ続く階段の下に、見知らぬ人影がひとつ。恰好からして陰陽師だろう。迷い人ではない、あの目は……怒り。敵意。そして殺意だ。どれも、見飽きるほどに投げつけられてきた。この村で。
「……貴様がこの地に巣食う悪鬼、疫病と災厄の鬼か!」
階段の上下でのわずかな睨み合いの末、口火を切ったのは侵入者だった。なるほど、これはこの馬鹿犬が出てくるわけだ。
「だったらどうしたィ、ああ?」
「知れたことを。人の世の平穏のため、貴様にはここで滅んでもらう!」
鼻で笑いながらも、ヨアの表情は厳しい。階下にいる陰陽師が、かなりの手練れだと察したからだ。このままサシで殺り合えば確実に金継ぎの跡が増えるどころか下手をすると敗北、もう幾度目かの死すらもありうる。それほどの相手だ。
「……なァ、ひとつだけ聞かせてくれや。俺を滅ぼした後、テメェこの村をどうする気だ?」
「何?」
唐突な質問に不意を突かれた様子の陰陽師だが、まるで警戒と臨戦態勢を解かないのはさすがの手合いというべきだろう。こちらの意図を探るような眼で睨みながらも、口を開く。
「この村とも呼べぬ、地へ還りつつある廃屋の寄せ集めをか?貴様が棲みついた結果もはやこの土地は、その大地ごと穢れているだろう。全て焼き払ってくれるわ!」
「……そうか。そうだよなァ、そりゃそうだ」
得心したように頷くごとに、ぞわぞわと空気が軋んだ。骨格ごと体が変化していく、不愉快な感覚。髪が伸び、胴からはべきべきと音を立てつつもう一対の裸の腕が生え、口は耳まで大きく裂けて。頭が重い、痛い。見なくともわかる、また角が伸びていく。自分でへし折りもはや体とは繋がっていないはずの二振りの得物もまたわななくように蠢き、枝分かれして伸びていき。ずっと身に着けていたヒビだらけの翡翠の宝石にビシリ、と、また一つ大きな亀裂が走った。
「化物め……!」
「そうだってんなら、守らなきゃなァ!」
何を?その問いに対する答えは、もはや自分自身にもわからない。いつまでもこの廃村に拘り続ける理由は何なのか、自分でも答えられない。いい思い出なんて、はじめからここにはひとつもないというのに。それでも彼は人の跡がひとつまたひとつと地に還りゆくのを見守りながら、この村の跡に居続ける。
かつてこの村がまだ村だったころ、ここにはひとりの少年がいた。どこへ行っても石もて追われ、身を削ぎ焼かれ、侮蔑と嫌悪の眼差しをただ一身に受け。やがて呪いを一身に押し付けられて命の灯が消えようとしていた少年。
その少年が最初に夜に魅入られ、不用意に手を伸ばしたことでその闇に潜むなにかに見出されたのか。闇が最初に世界に呪い呪われる少年を見出し、夜が少年に魅入られ彼を明けない闇の中へと閉じ込めたのか。今となってはわからないし、どちらにしても違いはない。
かつて少年に名はなかった。今は違う。
かつての少年は、その真名を
なかなか普段は書かないタイプのキャラが多くて楽しかったけど、ヨアの設定画のドシリアスで重い空気に最後引っ張られたぞ。
ちなみにこれは私事で読者の皆様にはほんっとうに何も関係ないのですが、私今日誕生日なんですよね。そんな日に何書いてんだコイツ。