TS高円寺に異物が混入した結果 作:ろろろってぃ
毎月十万ポイントが支給される。
――その甘美な提示を疑うこともなく真に受け、ただ無邪気に浮かれる一年Dクラスの生徒たち。
「毎月十万って、普通に考えてヤバすぎでしょ!?」
「三年間で合計三百六十万!? マジかよ、最高に楽しい高校生活確定じゃん!」
「えー、何買おうかな! 欲しかったブランドのバッグも余裕で買えちゃう!」
教室のあちこちから、浮ついた歓声と能天気な雑談が立ち上る。
そんな群集の様子を、六花は優雅に頬杖をつきながら、氷のように冷ややかな眼差しで見下ろしていた。
(……実に単純にして、救いがたい凡夫どもよな)
既に学校側が張り巡らせた見えざる網に気づいている六花にとって、彼らの脳天気な反応は滑稽を通り越して哀れでさえあった。
もっとも――。
そのだらしなく緩みきった空気を、ただ黙って見過ごすほど愚鈍な者ばかりではなかったようだ。
「みんな、ちょっといいかな?」
教室の中央付近から、穏やかな声が響く。
「これから三年間、同じ時間を過ごす仲間だし……せっかくだから、一人ずつ自己紹介をしないかな?」
押しつけがましさも、不快な主張もない。
その場にいる誰もが自然と意識を向けてしまうような、柔らかく澄んだ声音。
声を上げた少年の名は――
絵に描いたように整った端正な顔立ちに、清潔感を極めた佇まい。
誰からも好感を抱かれるであろう、非の打ち所がない『理想の好青年』。
だが――。
(……ほう)
六花の深紅の瞳が、僅かに細められた。
他の愚者たちには見えていないのだろう。
いや――表面上の美しい輝きに目を奪われ、見ようとすらしていないのだ。
平田の瞳の奥底、その暗がりにひっそりと潜むもの。
そこに深く刻まれた微かな恐怖の色彩と、それを必死に覆い隠そうとする痛々しいまでの強い意思。
(争いの存在しない、無垢で平和な領域を望む……か)
六花は、平田の発する言葉の裏に隠された精神構造を瞬時に読み解く。
(己の眼前で巻き起こった争いを止められず、救うべき誰かを救えなかった……その傷を今なお苛ましく悔いておる。そういうことか)
完璧な穏やかさを誇る笑顔。
過剰なまでの他者への気遣い。
争いを極端に忌避する態度。
それらは決して、生まれ持った純粋な善性のみから芽生えたものではない。
過去に負った癒えぬ傷と、「二度と同じ惨劇を繰り返してはならない」という、病的なまでに強固な脅迫観念が生み出した歪みなのだ。
(なるほど……)
六花は、薄い唇を愉悦に歪めた。
(この雑種もまた、過ぎ去りし過去の亡霊に縛り付けられた、痛々しい道化というわけだ)
平田の好意的な提案に、何人かの生徒たちが賛同の声を上げる。
しかし――。
「なにが自己紹介だ。俺たちはガキじゃねえんだよ。やりたい奴らだけで勝手にやってろ」
全員がその調和に従うわけではない。
威圧的な態度で席を立ち、平田を一瞥することすらなく教室を辞していく不良風の男子生徒。
平田は困ったような苦笑を浮かべつつも、立ち去る背中を強引に引き止めようとはしなかった。
(……フン、なるほどな)
六花は、教室を離れていく背中を冷ややかに見送る。
この学校が生徒の資質や実力に応じてクラスを振り分けているのだとすれば――。
なぜこの『Dクラス』という場所に、これほど歪な人間ばかりが集められたのか。
その本質が、六花の頭脳の中で明快な像を結んでいく。
著しく欠如した素行。
不揃いな学力。
自己中心的な協調性の無さ。
そして――本人たちすら無自覚な、致命的な精神の欠陥。
(ふむ。実に分かりやすい粗大ゴミの集積場というわけか)
だが、そんな選別の理由など六花にとってはどうでもいい話だった。
凡夫どもがどのような理由で落ちこぼれ、この教室に吹き溜まったのかなど、知ったところで何の意味も持たない。
そんな中で、六花の知的好奇心を強く揺さぶったのは――。
全く別の場所にいた、一人の少年だった。
「……」
六花の鋭い視線が、教室の最果て、窓際の席へと向けられる。
冴えない茶髪。
整ってはいるが、取り立てて目を引くこともない、地味極まりない容姿。
その他大勢の中に紛れ込むには、これ以上ないほど計算された佇まい。
だが――。
(……なんだ、あの歪に崩壊した姿は?)
六花の口元が、ゾクゾクとするような狂おしい愉悦に吊り上がる。
(あの若さにして……これほどまで美しく、完膚なきまでに壊れ果てることが出来るとはな)
少年の記号的な外見など、六花にはどうでもよかった。
彼女の眼が捉えていたのは、その皮膚の奥底で渦巻く異様な内面だ。
「己が絶対の勝利を収めたい」という、苛烈なまでの強欲。
そして同時に刻まれた、「己が誰かに破れ、敗北したい」という、狂気にも似た渇望。
相反するはずの二つの極端な感情が、同一の器の中に平然と同居している。
しかもそれは、単純な矛盾として破綻しているのではない。
互いの存在を激しく食らい合い、苛み合いながらも、なお一つの確固たる人格として成立しているのだ。
(勝者として己が君臨したいという強欲と、敗北によって解放されたいという歪んだ渇望が……同じ肉体の中に同居しておるだと?)
六花の深紅の瞳が、濃厚な愉悦の色彩に染まっていく。
(なんだ……その支離滅裂にして美しき矛盾は……!)
理解の範疇を超えている。
だからこそ――これ以上なく面白い。
(実に……実に愉快!)
六花は、喉から溢れ出そうになる歓喜の笑いを危うく抑え込んだ。
(これほどまでに己の存在そのものを内側から喰い潰しておる怪物を目にするのは、生まれて初めてだ)
凡夫という生き物は、誰もが大なり小なり矛盾を抱えて生きている。
向上心を抱きながら怠惰に流され、愛する者を求めながら傷つけ、自由を渇望しながら誰かの支配を仰ぐ。
それが人間という種の弱さだ。
だが――。
(あれは、そんな生易しい葛藤の類ではない)
あの少年の内側に宿る矛盾は、もはや一つの絶対的な異物として肥大化しきっている。
常人離れした能力を隠し持っているから惹かれたのではない。
その能力という衣を脱ぎ捨てた先にある――あまりにも異常で、歪みきった精神の深淵。
やがて、平田の仕切りによって自己紹介の順番が円滑に進んでいく。
そして――。
「それじゃあ次は……そこの君、お願いできるかな?」
平田が穏やかに指を向けた先。
そこにいたのは、六花が先ほどからその内面を観察していた少年だった。
少年はほんの一瞬の滞留の後、重い腰を上げるように静かに立ち上がった。
「……
感情の起伏を一切感じさせない、平坦な声。
「よろしくお願いします」
定型文をなぞるだけの、味気ない挨拶。
「得意なことは特にありませんが……」
そこで、ほんの僅かだけ、彼の言葉に句読点が打たれた。
「……仲良くなれるように頑張ります」
それは、あまりにも不自然で、歪な言葉だった。
まるで――。
『他者と仲良くなる』という当たり前の概念そのものを、今この場で初めて学習したかのような。
知識として得た新しい概念を実行し、その感触を密かに確かめているかのような違和感。
(……ほう?)
六花は、極上の獲物を見るような眼差しで綾小路を見つめる。
その瞬間――。
彼女の明晰な脳裏に、かつて父親の口から語られた記憶の断片が鮮明に蘇った。
(そういえば……我が父から、綾小路とかいう矮小な政治家が裏社会で蠢いておると聞いたことがあったな)
政界の暗部に根を張り、秘密裏にその名を知られる男。
綾小路。
(あらゆる領域における『万能の天才』を人工的に創出する――などという、失笑ものの絵空事を温めておるとか)
人間を教育という金型に押し込め、人工的に最高傑作を作り上げる。
常人の感覚からすれば、正気を疑う愚かな妄想に過ぎない。
だが――。
六花は目の前に立つ少年を、改めてその瞳に映す。
(……フン)
深紅の瞳が、底知れぬ暗がりを湛えて細められる。
(あの歪みきった雑種が、その下劣極まりない企みの末に産み落とされた『失敗作』にして『完成形』であるならば――)
すべての辻褄が、完璧に噛み合った。
削ぎ落とされた感情。
底の知れない静寂。
そして、その奥底で蠢く――人間としての決定的な破損。
(なるほどな)
六花は、胸中で静かに喉を鳴らす。
(綾小路清隆……)
その名を、己の記憶の最上位に刻み込む。
単なる凡愚ではない。
少なくとも、この箱庭に集められた道化たちの中で、唯一『観賞に耐えうる歪み』を持った存在。
「それじゃあ、次は……」
平田が教室を見回し、最後に残された一角へ視線を向ける。
「そこの君、お願いできるかな?」
指名されたのは――高円寺六花であった。
六花は優雅な動作で、ゆっくりと椅子から立ち上がる。
たったそれだけの動きで、教室内の空気が一瞬にして凛と張り詰めた。
眩い金髪が陽光を浴びて揺れる。
鋭く研ぎ澄まされた深紅の瞳が、室内にいるすべての人間を等しく見下ろす。
そして――。
「至高の王たる我が自己紹介だ」
六花は、獰猛かつ圧巻の愉悦を宿した笑みを唇に刻んだ。
「よく耳の穴をほじくって聞くがいい、雑種ども」
一瞬で、教室内の雑音が残らず掻き消えた。
「我は――高円寺六花」
絶対的な威厳を帯びた声が、廊下にまで朗々と響き渡る。
「高円寺コンツェルンの正統なる跡継ぎにして――」
一拍。
彼女は息を飲む生徒たちを前に、世界で最も自明な真理を口にするかのように解き放った。
「唯一にして絶対の王である」
静寂の後、爆発的なざわめきと動揺が広がっていく。
だが、六花はそんな雑音など意識の端にすら留めない。
ただ――。
「せいぜい――」
細められた深紅の瞳に、極上の嘲笑を浮かべながら。
「我が退屈を紛らわせるほどには、愉しませてみせよ?」
そう言い捨てると、六花は洗練された動作で再び椅子へと腰を下ろした。
その美しい顔に浮かんでいたのは――。
これから始まる高校生活への期待などではない。
この退屈極まりない箱庭に、自分を退屈させないだけの『歪んだ道化たち』が存在することに対する、圧倒的な歓喜と愉悦そのものであった。