TS転生したモブ令嬢ですが、断罪ダービーの予想が全部外れました 作:ごろうまるし
それから、学院の空気は少しずつ変わっていった。
ヘレナとエマは、一緒に昼食をとるようになった。公爵令嬢が平民の特待生と並んで笑っているのを見て、嫌がらせをしていた令嬢たちは青ざめ、やがて静かになった。
王子とヘレナは、ぎこちないながらも二人で中庭を散歩するようになった。
学院の馬場状態は、重から良へ。
それはいいことだった。いいことなのだが。
俺の出走表は、ぐちゃぐちゃになった。
一枠クラウス。断罪どころか、婚約者に毎朝花を贈っている。完全に別のレースに出走中。
二枠ブルーノ。相変わらず俺と肉を食っている。秋の剣術大会の再戦では、あの三年生に圧勝した。俺は観客席で叫んだ。単勝的中である。出走表とは関係ない。
三枠シモン。嫌がらせをしていた令嬢たちの証拠を集めて、学院長に提出した。断罪っぽいことはしたが、相手が違う。
四枠ニコ。エマと魔法薬学の課題で組むようになり、なんだかいい雰囲気になっている。大穴の追込が、別のレースで届きそうになっている。
断罪ダービーが成立しない。
俺は寮の机で頭を抱えた。
前世でもあった。大本命が直前で回避し、有力馬が次々と出走を取り消して、レースそのものが成り立たなくなるような気分。馬券を握りしめたまま、行き場がない。
だが、まだ終わっていない。
卒業の夜会がある。ゲームでは、あそこで全部がひっくり返るのだ。最後の直線まで、何が起きるか分からない。それが競馬だ。
俺は出走表に、最後の印を打ち直した。
◎ クラウス(ただし、断罪の気配なし。原作の修正力的な何かを信じる)
〇 シモン(断罪歴あり。しかし、相手が違うので断罪ポイントが足りない)
▲ ニコ(別のレースから戻ってくればワンチャン?)
- ブルーノ(消し。こいつは人を断罪する顔をしていない)
予想としては、過去最悪の出来だった。
◇
夜会の数日前、シモンに図書館で呼び止められた。
いつものチェス盤は出ていなかった。
「ミナ。君は、何を予想しているんだ」
「え?」
「君がいつも持っている帳面だ。表紙に『断罪ダービー』と書いてある。ニコが言いふらしていた」
あいつ。
俺は観念して、帳面を見せた。シモンは出走表を一ページずつめくり、眼鏡を押し上げた。
「……僕が三枠で、逃げ」
「ごめん」
「いや。的確だ。僕は確かに、序盤で決めにいく」
シモンは最後のページで手を止めた。取り消しが付いたブルーノの名前を、しばらく見ていた。
「この予想は、外れるだろうな」
「分かってる。断罪なんて、もう起きないよ」
「そういう意味じゃない」
シモンは帳面を閉じて、俺に返した。
「君は、自分を出走表に入れていない」
「……は?」
「予想屋は、自分が走るとは思わないものだ。君は、夜会でも観客席にいるつもりなんだろう」
「当たり前だろ。俺はモブなんだから」
「もぶ」
シモンは、王子と同じところで引っかかった。それから、少しだけ寂しそうに笑った。
「ミナ。チェスと同じだ。盤の外にいると思っているプレイヤーほど、いちばん大事な役割を持っている」
何を言っているのか、そのときの俺には分からなかった。
◇
卒業記念の夜会。
大広間にはシャンデリアがきらめき、楽団が優雅な曲を奏でていた。
俺は壁際の、ゲームなら断罪シーンが一番よく見える位置を確保していた。手には焼き菓子を盛った皿。前世の姉にならって、観戦の準備は万端である。
本番の馬場は、良。
天候、晴れ。
出走頭数、四。
さあ、運命の一戦だ。
広間の中央に、王子が進み出た。
ゲートが開いた。
「皆、聞いてほしい」
広間が静まる。ゲームと同じ台詞だ。この次に「ヘレナ・グランフェルト、貴様との婚約を――」と続くはずだった。
「ヘレナ・グランフェルト」
ここだ。
さあ、第四コーナーを回って最後の直線。先頭は一枠クラウス――
「私は、君に感謝している」
……ん?
「君は誰にも知られないところで、困っている者を守ってきた。私はそれに気づかず、君を誤解した。だから今日、皆の前で言わせてほしい」
王子はヘレナの前に跪き、その手を取った。
「卒業したら、すぐに結婚してほしい」
広間が、爆発したような拍手に包まれた。
ヘレナは真っ赤になって固まり、それから小さく、でもはっきりと頷いた。一番大きな拍手をしていたのはエマだった。その隣でニコが口笛を吹き、シモンが眼鏡を外して目元を拭っている。ブルーノは、黙ってずっと手を叩いていた。
俺は、焼き菓子を一つ食べた。
甘かった。口の中がパッサパサになった。
頭の中の実況が、静かに告げた。
――一枠クラウス、断罪せずにゴール。これは、別のレースです。
断罪は、起きなかった。俺の予想は、全部外れた。一頭も、悪役令嬢を指差さなかった。
前世なら、外れ馬券を空に放り投げているところだ。
なのに、不思議と悔しくなかった。
姉が見たら「ざまぁがないじゃん」と怒るかもしれない。でも、目の前でヘレナが泣きながら笑っているのを見ていると、こっちのほうがいい気がした。
前世で好きだったあの馬が、もし一度でも勝っていたら、俺はきっとこんな顔をしていたと思う。
全部外れたけど、まあ、いいか。気分は悪くない。
◇
夜風に当たろうと、バルコニーに出た。
手すりにもたれて残りの焼き菓子をかじりながら、俺は出走表を開いた。
最後のページに、赤ペンで書く。
結果 全頭着外
払い戻し なし(そもそも掛け金もなし)
前世からの癖だ。外れたレースの結果は、必ず書いて残す。次に生かすために。
背後で、扉が開いた。
「ミナ」
ブルーノだった。
夜会用の正装を着て姿勢よく立っていると、いつもの倍くらいでかく見える。肉を食っているときとは別人のようだ。
「おう。お前も休憩?」
「……ああ」
ブルーノは隣に並んだが、何も言わなかった。いつもの無口とは少し違う。妙にそわそわしている。
パドックで言えば、明らかにイレ込んでいる。
「どうした。腹でも痛いのか」
「違う」
「肉、食いすぎたか」
「違う」
ブルーノは大きく息を吸った。剣術大会の、準決勝の前みたいな顔をしていた。
「ミナ。俺は、女性と話すのが苦手だ」
「知ってる」
「何を話せばいいか分からないし、向こうも俺を怖がる。でも、お前とは話せる。お前といると、楽なんだ」
「そりゃどうも」
「それに、お前は俺の試合を見てくれた。騎士団長の息子じゃなくて、俺を」
剣術大会の日の、訓練場の裏を思い出した。
あんなの、肉の串を二本買っただけだ。
「お前は、俺の単勝を買ってたと言った」
「……言ったな」
「意味は、あとでシモンに聞いた」
あいつ。
「一頭だけを信じて、そいつが勝つほうに賭けることだと」
「まあ、だいたい合ってる」
「だから」
ブルーノは、まっすぐ俺を見た。
「今度は、俺がお前に賭けたい。卒業しても、ずっと一緒にいてほしい。俺と、婚約してくれ」
出走表が、手から落ちた。
……はい?
待て。
待て待て待て。
俺の中身は元大学生の男だぞ。日曜は競馬場、平日は競馬新聞、好きな食べ物は牛丼の、鈴木湊だぞ。お前とは肉を分け合った仲であって、そういう仲ではない。断じてない。
そう言おうとして、俺は気づいてしまった。
ブルーノの耳が、真っ赤になっている。
剣術大会の再戦で、どんな打ち込みにもひるまなかったこいつが、手を震わせている。
……本気だ、これ。
足元に落ちた出走表が、夜風でめくれた。
一枠、着外。二枠、着外。三枠、着外。四枠、別のレースで一着。
断罪ダービーは、全頭着外で終わった。
そして、出走表にすら載せていなかった俺が、いつの間にか別のレースの優勝賞品になっていた。
シモンの言葉の意味が、ようやく分かった。
盤の外にいると思っていた駒。観客席にいるつもりの予想屋。
聞いてない。そんなレースがあるなんて、聞いてない。
「ミナ?」
ブルーノが一歩近づく。
月明かりの下、でかい男が、真剣な顔で俺の返事を待っている。
嫌、というわけではなかった。
こいつと肉を食う昼飯は楽しかったし、試合のあとに笑った顔は、正直ちょっとよかった。再戦で勝ったとき、観客席で一番大きな声を出したのは俺だった。
問題は、それを「よかった」と思っている自分がいることだ。
俺は元大学生の男だ。中身は。たぶん、まだ。
顔が熱いのは、夜会で出た果実水のせいだ。ノンアルだけど、たぶん。
俺は空を見上げた。
前世の姉よ。乙女ゲームって、こういうことだったのか。
「……か」
「か?」
「勘弁してくれぇぇーーっ!」
俺の叫びが、夜の学院に響き渡った。
ブルーノはきょとんとしてから、困ったように頭をかいた。
「……じゃあ、返事は待つ」
「待つのかよ!」
「待つ。肉は食いに来い」
「行くけど!」
行くのかよ、と自分でも思った。
どこか遠くで、レースの確定を告げるアナウンスが鳴った気がした。
それから、昔のアニメみたいに、ぷわぷわーと画面が丸く閉じていく音がした。
「とほほ~悪役令嬢はこりごりだよ~」
最終話 目黒記念 了
TS転生したモブ令嬢ですが、断罪ダービーの予想が全部外れました 完
目黒記念は日本ダービーの後にやるレースです
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