扉間「聖杯戦争はワシが解体した」 作:ナハ
屋敷の地下室には、湿気を帯びた空気が淀んでいた。
壁や床の隙間から蟲の這い回る音が聞こえ、古びた照明の下では、時折黒い影が動いている。
間桐慎二は、そんな地下室で一人苛立っていた。
「……くそっ!」
腹立ち紛れに壁を蹴りつける。
穂群原学園では衛宮士郎のセイバーに敗れ、遠坂凛には妙な札で爆発を起こされた。挙げ句、帰り道では正体不明の女子生徒に襲われ、偽臣の書まで奪われてしまった。
「何なんだよ……! 何なんだよ、あいつは!」
慎二は拳を握りしめた。
あの女が現れなければ、まだやり直す機会はあったはずだ。ライダーを使って別のマスターを倒すなり、学校に仕掛けた結界を利用するなり、方法はいくらでも考えられた。
だが、偽臣の書を失ったことで、その全てが不可能になった。
『申し訳ありません慎二。貴方の命令には従えません、私のマスターは桜ですので』
ライダーの言葉が思い出される。
「……桜、桜、桜! どいつもこいつも桜ばっかり!」
慎二は近くの椅子を蹴り倒した。
もともと、ライダーを召喚したのが桜であることは知っていた。
偽臣の書も、聖杯戦争が始まるにあたり、祖父の間桐臓硯から与えられたものだった。
あの本があれば、魔術回路を持たない慎二でもライダーへ命令できる。
ようやく自分も間桐家の魔術師として認められる。
そう思っていた。だからこそ、ライダーが自分ではなく桜をマスターと呼んだことが許せなかった。
ましてや、帰宅して臓硯へ事情を説明した際の反応は、慎二の怒りに拍車をかけていた。
『やはり、お前では役に立たんかったか。ふん、間桐の面汚しが……やはり父親と変わらず能無しよな』
あの老人は、慎二の言い分を最後まで聞こうともしなかった。
偽臣の書を奪われたことを告げると、呆れたように笑い、それきり地下室の奥へ引っ込んでしまったのである。
「……ふざけやがって」
慎二は歯を食いしばった。
自分は間桐家の長男だ。
本来ならば、自分こそが後継者として扱われるべきなのだ。それなのに、後から養子として入ってきた桜ばかりが魔術師として期待されている。
どれだけ魔術書を読み、知識を身につけても、祖父はまともに取り合おうとしない。
それどころか、魔術回路のない自分を、最初から役立たずと決めつけていた。
「……何が能無しだよ」
慎二は床に落ちていた椅子を起こしかけ、途中で手を離した。
どうせ、ここを片づけるのは自分ではない。
桜にやらせればいい。
そう考えたところで、また苛立ちが込み上げてきた。
「……衛宮の奴も、桜も……」
桜は今、衛宮士郎の家にいるはずだった。
あいつは昔から衛宮の家に入り浸っている。料理を作り、掃除をして、まるであの家の人間であるかのように振る舞っていた。
衛宮も自分の誘いを断っておきながら、遠坂凛とは仲良く行動している。
どいつもこいつも、自分を馬鹿にしているとしか思えなかった。
慎二はしばらく地下室を歩き回っていたが、やがて足を止めた。
「……そうだよ。全部、桜が悪いんじゃないか」
そもそも、桜がいなければこんなことにはならなかった。
祖父が桜を引き取ったせいで、自分の立場はなくなった。ライダーだって、最初から自分のサーヴァントとして召喚されていれば、あんな女に奪われることもなかったはずだ。
自分が悪いわけではない。全部、桜が悪いのだ。
「……帰って来たら殴ってやる」
慎二は小さく笑った。
「いや、犯してやってもいい。そうだ、桜が悪いんだから」
そう考えると、少しだけ気分が晴れた。
「ははは!! あんなドジでも役に立つじゃないか! 体だけは立派だもんなあ!」
高笑いする慎二。
「そうだ! お前は汚れてるって事を衛宮の奴にバラすぞって脅せばいい! そうすりゃあ逆らえねえよ! こっちは全部奪われたんだ……なら桜の体も魔術も僕のもんだよなあ!」
今は衛宮の家にいるとしても、桜はいずれ帰ってくる。
その時に思い知らせてやればいい。
誰が間桐家の長男なのか。誰に従うべきなのか。
「……ははっ。そうだよ、最初からそうすればよかったんだ」
慎二は笑いながら地下室を後にした。
その背中が通路の奥へ消える。
しばらくして、物陰から一人の男が姿を現した。
扉間は慎二が椅子を蹴り倒した頃、飛雷神の術で屋敷へ侵入していた。
移動先は、以前慎二の衣服に刻んだマーキングである。
術式の位置によっては慎二の目の前に現れる可能性もあったが、幸い、少年は地下室の一角で家具に当たり散らしていた。
扉間は出現と同時に背後の物陰へ移動し、そのまま気配を殺していたのである。
本来の目的は、間桐邸の内部調査だった。
屋敷の地下には、以前から不審な気配が確認されている。影分身の報告では、蟲を利用した魔術が使われているらしい。
その詳細を調べるための潜入だったが、思いがけず慎二の独り言を聞くことになった。
「……あの小僧」
扉間は慎二が去った通路を見た。
予想以上に愚かな男だった。
先ほどの言葉が単なる悪態で済むならまだよい。だが、あの様子では桜が帰宅した途端、本当に危害を加えかねない。
しかも、間桐家には臓硯という老人がいる。
慎二の言動を聞く限り、あの家で桜を守ってくれる人物がいるとは考えにくかった。
(……凛の妹であることを抜きにしても、放置はできんな)
扉間は通路へ足を向けた。
桜の身柄を確保するという選択肢もあるが、今は衛宮邸にいる。少なくとも、慎二がこの屋敷で待ち構えているよりは安全なはずだった。
ならば、先に危険を取り除く方が早い。
もっとも、慎二にはまだ聞きたいことがある。
偽臣の書を臓硯から渡された経緯。桜がライダーを召喚した理由。
そして、間桐家の魔術について。
「……少々付き合ってもらうぞ」
扉間は通路の先へ向かった。
その頃、慎二は地下室から続く階段を上がろうとしていた。
「……ったく、腹減ったな」
桜がいないため、夕食の用意もされていない。
せめて帰ってきたら飯くらい作らせなければ気が済まない。
「帰って来たら飯も作らせないとな……」
その時、足元に冷たい感触があった。
「……あ?」
靴の周囲に水が溜まっている。
慎二は顔をしかめた。
「何だよ、これ。水漏れか?」
一歩下がった瞬間、水が跳ね上がった。
「うわっ!?」
水は慎二の身体を取り囲み、瞬く間に巨大な球体を形成した。
「がぼっ!?」
突然の出来事に、慎二は激しくもがいた。
腕を動かそうとしても、水圧に押さえ込まれて思うように動かせない。
「水遁・水牢の術」
水球の向こうに、白銀の髪をした男が立っていた。
慎二は目を見開いた。見覚えのない男だった。青い鎧に、額当て。
そして、自分を捕らえている不可解な水の術。
「……騒ぐな。無駄に体力を消耗するだけだぞ」
男は水球へ片手を添えていた。
慎二は何とか逃れようとしたが、水の中ではまともに身体を動かせない。
「貴様には聞きたいことがある。悪いが、しばらく大人しくしてもらうぞ」
慎二が返事をする余裕などなかった。
やがて抵抗が弱まり、身体から力が抜ける。
扉間はすぐに術を解除し、倒れ込む慎二を受け止めた。
呼吸と脈を確認する。意識は失っているが、命に別状はなさそうだった。
「……ふむ」
扉間は慎二を床に寝かせ、手足を拘束した。
偽臣の書を失ったとはいえ、他に魔術礼装を隠し持っていないとは限らない。衣服も調べ、武器や不審な道具がないことを確認する。
「……さて、どうしたものか」
このまま屋敷の中へ放置するわけにもいかなかった。
扉間は印を結んだ。
「影分身の術」
一体の分身が現れる。
「この小僧を見張っておけ。目を覚ましたら知らせろ」
「了解した」
「ワシは地下を調べてくる。異変があれば無理に戦うな。すぐに連れて撤退しろ」
「うむ」
分身が慎二を物陰へ移動させるのを確認すると、扉間は地下室の奥へ向かった。
通路を下りるにつれ、蟲の気配が濃くなっていった。
途中には古い木製の扉があり、その隙間から湿った土の臭いが漏れている。
何かが床を這い回る音、数は相当なものだった。
「……ほう」
その先には、広い地下空間があった。
床や壁を無数の蟲が埋め尽くし、暗がりの中では黒い塊が絶えず動いている。
普通の虫に比べて異様に大きなものもいれば、細長い身体を持つものもいた。
扉間は入口付近で足を止めた。
(……やはり蟲使いか)
忍界にも、特殊な蟲を操る一族が存在した。
木ノ葉隠れの里に属する油女一族である。
彼らは寄壊蟲を体内で飼育し、戦闘や索敵に利用していた。
しかし、目の前の蟲はそれとは異なる。
一匹一匹から魔術的な反応があり、その気配は地下室全体に張り巡らされていた。
「……寄壊蟲とは違うな」
扉間は床に這う一匹を観察した。
身体の構造も、蟲同士の繋がりも、忍界で見てきたものとは違う。
何より気になるのは、地下室の奥へ続く魔力の流れだった。
この蟲の群れそのものが、何らかの魔術に利用されているらしい。
(……臓硯の術か)
記録によれば、人間の寿命を大きく超えて生き続けている魔術師だった。
以前、影分身による調査では、本人と思われる気配が複数の場所に分散しているという報告もあった。
目の前の蟲を見る限り、その理由にも何らかの見当がつきそうだった。
ただし、今の段階で断定はできない。
(……あの老人、身体そのものに何か仕掛けておるのかもしれんな)
扉間は蟲の密集した床へ足を踏み入れず、壁際から部屋の構造を調べた。
不用意に触れれば、蟲を通じて侵入を察知される可能性がある。
それに、あの老人がどの程度の能力を持つのかも分かっていない。
「……厄介な術よ」
扉間は奥の暗がりへ目を向けた。
ここまで大掛かりな設備を用意している以上、単なる使い魔の飼育場ではないだろう。
何を目的としているのかは不明だが、魔術師の家にある施設としても異様だった。
(……桜も、この場所を知っておるのか?)
間桐桜は幼い頃にこの家へ引き取られている。
もし彼女がこの地下室へ出入りしていたならば、少なくとも蟲を利用した魔術について何か知っているはずだった。
慎二が事情を知っている可能性もあるが、あの少年が素直に話すとは思えなかった。
扉間は地下室を一通り確認すると、壁の目立たない場所へ手を当てた。
飛雷神のマーキングを刻む。これで必要な際には再び侵入できる。
ただし、術式の存在を察知される可能性もあるため、今後の調査では慎重に扱う必要があった。
「……ひとまず、ここまでだな」
扉間はそれ以上奥へ進まず、来た道を戻った。
地下室の構造と蟲の性質については、後ほど研究を進めればよい。
今は、捕らえた慎二の処遇を決める方が先だった。
通路へ戻ると、分身は慎二の傍で待機していた。
「戻ったか」
「うむ。変わりはないか?」
「まだ目を覚ましておらん。近くを通った者もおらぬ」
扉間は慎二の状態を確認した。
拘束は緩んでいない。呼吸にも異常はなかった。
「……よし」
「地下はどうだった?」
「蟲の巣窟よ。想像以上に大掛かりな術を使っておる」
「……ほう」
「臓硯は以前の想定より厄介な相手かもしれんな。あの蟲がどこまで奴の身体と関係しているのか、調べる必要がある」
分身は頷いた。
「では、屋敷の監視を増やすか?」
「今はやめておけ。侵入に気づかれる危険がある。既に印は残した。必要なら後から調べられる」
「了解した」
扉間は慎二を肩に担ぎ上げた。
「それで、この小僧はどうする?」
「連れて帰る。桜に危害を加えるつもりでおったからな」
「……そうか」
「それに、偽臣の書についても聞くことがある。あれを慎二へ渡したのは臓硯らしい」
「ならば、事情を知っておる可能性は高いな」
「うむ。ただし、あの小僧自身がどこまで理解しておるかは別だ」
分身は周囲を確認した。
「凛には?」
「後で話す。今は慎二を確保し、桜の安全を確認するのが先だ」
扉間は印を結んだ。
「飛雷神の術」
二人の姿が消えた。
残された分身も、しばらくして術を解除した。
遠坂邸、地下室。
机に向かっていた三体の影分身が、突然現れた本体へ顔を上げた。
「戻ったぞ」
「おお、本体か。間桐の調査はどうだった?」
「収穫はあった」
扉間は担いでいた慎二を床へ下ろした。
分身の一体が手を止める。
「……その小僧は?」
「間桐慎二だ」
「それは分かっておる。何故連れてきた?」
「事情が変わったのでな」
扉間は慎二の拘束を確認し、分身へ指示した。
「一体はこやつを見張れ。目を覚ましても勝手に縄を解くな」
「了解した」
「残りは研究を続けろ。間桐の地下で確認した蟲については、後ほど情報を共有する」
「……蟲か」
「うむ。臓硯の術に関係しておるらしい。以前から報告されていた妙な気配の正体も、恐らくあれだろう」
「なるほど。では、調査の優先順位を変更する必要があるな」
「そうなるだろう」
扉間は机の上に置かれた偽臣の書へ目を向けた。
「それと、あの本だ」
「偽臣の書か?」
「ああ。慎二に与えたのは臓硯らしい。桜が自ら譲ったわけではないようだな」
「……ふむ」
影分身は慎二を見た。
「ならば、間桐家の当主がライダーの使役権を管理しておった可能性があるわけか」
「そういうことだ。詳しくは本人に聞く」
扉間は慎二の脈をもう一度確かめた。
呼吸は安定している。そろそろ目を覚ましてもおかしくなかった。
「……ところで、凛は?」
「まだ戻っておらん。衛宮士郎と行動しているようだ」
「そうか」
扉間は椅子を引き寄せ、慎二の傍へ腰を下ろした。
「目を覚ましたら知らせろ。こやつには色々と聞かねばならん」
「了解した」
影分身は慎二の監視を引き受け、残る二体は研究へ戻った。
やがて慎二が身じろぎし、拘束された腕を動かした。
扉間は椅子に座ったまま、その様子を見ていた。
「……さて、間桐慎二」
まだ意識の戻らない少年に向けて、扉間は口を開いた。
「まずは、貴様の家について話してもらおうか」