扉間「聖杯戦争はワシが解体した」 作:ナハ
「……ん、くそ……」
間桐慎二が意識を取り戻したのは、翌朝のことだった。
最初に感じたのは、後頭部の鈍い痛みだった。続いて、腕を動かそうとしても思うように動かせないことに気づく。
「……あ?」
慎二は目を開いた。
見覚えのない天井。壁には本棚が並び、机の上には大量の書類や魔術書が積まれている。
そして、自分の両手両足は縄で拘束されていた。
「……は?」
何が起きたのか理解するまで、数秒を要した。
間桐邸の地下室で、突然水に包まれたことを思い出す。
息ができなくなり、目の前が暗くなった。それから先の記憶がない。
「お、おい! 何だよこれ!」
慎二は慌てて身体を起こそうとした。
しかし、拘束された状態では満足に動けない。
「離せよ! おい、聞いてんのか!?」
怒鳴り声に反応して、机に向かっていた男が顔を上げた。
青い鎧に白銀の髪。間桐邸で自分を襲撃した男だった。
「……目が覚めたか」
「お、お前!」
慎二は男を睨みつけた。
「何なんだよ、ここは! 僕を誰だと思ってるんだ!」
「間桐慎二だろう。何度も名乗らずとも分かっておる」
「そういう意味じゃない!」
慎二が声を荒らげると、別の机から声が返ってきた。
「朝から騒がしい小僧よ」
「……え?」
慎二はそちらを見た。
同じ男が座っていた。しかも、その隣にも一人いる。
「…………は?」
全く同じ顔をした男が、地下室でそれぞれ別の作業をしていた。
一人は魔術書を読み、もう一人は奇妙な紋様の描かれた紙を調べている。最後の一人は、慎二の傍で監視を担当していたらしい。
「な、何なんだよ、お前ら! 双子か!? いや、三つ子!?」
「影分身だ。気にするな」
「気にするなって言われても無理だろ!?」
「そのうち分かる。今は大人しくしておけ」
監視役の男はそう言うと、立ち上がった。
「本体へ知らせてくる」
「本体……?」
慎二はますます訳が分からなくなった。
同じ頃、遠坂邸の一階。
扉間は机に向かい、昨晩の調査で得られた情報を整理していた。
間桐邸の地下に存在した蟲の群れ。臓硯と思われる分散した気配。
そして、慎二が桜へ向けて口にした言葉。
いずれも、今後の対応を考えるうえで無視できないものだった。
その時、頭の中へ新たな記憶が流れ込んできた。
衛宮邸を監視していた影分身が、術を解除したのである。
「……ほう」
記憶を整理する。
昨夜、凛は衛宮士郎の屋敷へ向かっていた。
学校で起きた結界事件の後、今後の対策について士郎やセイバーと話し合っていたようだが、そのまま帰宅せず、衛宮邸へ泊まったらしい。
少なくとも、今朝まで屋敷を出た様子はなかった。
(……凛はまだ衛宮邸か)
扉間にとっては好都合だった。
慎二を連れ帰った事情について、凛にはいずれ説明しなければならない。しかし、尋問の途中で彼女が戻ってくれば、面倒なことになるのは目に見えている。
自分の同級生が地下室に拘束されていると知れば、黙ってはいないだろう。
その時、地下室から影分身が上がってきた。
「本体。慎二が目を覚ましたぞ」
「うむ。ちょうどよい」
「早速始めるか?」
「ああ。凛は昨晩から衛宮邸に泊まっておる。まだ帰宅しておらん」
「……なるほど。好都合だな」
「余計な邪魔が入らぬうちに、一気に聞き出すぞ」
扉間は資料を閉じ、椅子から立ち上がった。
「偽臣の書も用意しておけ。あの小僧がどこまで術式を理解しておるのか確かめたい」
「了解した」
二人は地下室へ向かった。
「いい加減にしろよ! 僕をこんな所に閉じ込めて、ただで済むと思うなよ!」
階段を下りる途中から、慎二の怒鳴り声が聞こえてきた。
「まったく、元気な小僧だな」
扉間が地下室へ入ると、慎二が勢いよく振り返った。
「お前! お前が僕をここに連れてきたんだろ!」
「そうだ」
「あっさり認めるなよ! 何なんだよ、お前ら!」
「質問するのはこちらだ。貴様には聞きたいことがある」
扉間は慎二の前に椅子を置き、腰を下ろした。
慎二は目の前の男と、周囲にいる三人を交互に見た。
「……おい」
「何だ?」
「お前まで同じ顔じゃないか!」
「だから影分身だと言っておろう」
「四つ子なのかよ!?」
「……説明しても分からんだろう。今は忘れろ」
扉間は机の上から偽臣の書を取り上げた。
慎二の表情が変わる。
「……それ!」
「貴様から回収したものだ」
「僕の本だ! 返せよ!」
「所有権については後で考える。まずは質問に答えろ」
「ふざけんな! 僕を誰だと思ってるんだ!」
「間桐家の後継者、だったな」
扉間は本を開いた。
「ならば、当然これについても詳しいのだろう?」
「……っ」
「偽臣の書。誰が作った?」
「……知らないよ」
「知らん?」
「本当だって! お爺様から渡されただけなんだから!」
「……間桐臓硯か」
扉間は頷いた。
「では、貴様はこの本の仕組みをどこまで理解しておる?」
「はあ? 何でそんなことまで話さなきゃいけないんだよ」
「質問に答えろ」
「……ライダーに命令するための本だよ。それくらい見れば分かるだろ!」
「それだけか?」
「令呪と似たようなものだよ! 本来のマスターじゃなくても、ライダーを使えるようにするための魔術礼装だ!」
「……なるほど」
扉間は本の表紙へ視線を落とした。
「術式の構造については?」
「そんなの、お爺様に聞けよ!」
「貴様自身は知らんのか?」
「……全部は知らないよ」
慎二は顔を背けた。
「でも、契約を仲介するための術式だってことくらいは分かる。魔力の供給経路と、命令権を渡すための仕組みがあるんだよ」
「……ほう」
扉間は顔を上げた。
思った以上に具体的な答えだった。
「ならば、次だ」
偽臣の書を閉じる。
「ライダーの本来のマスターが間桐桜であることは知っておったな?」
「……っ!」
慎二の顔が歪んだ。
「……だったら何だよ」
「何故、あの娘が召喚した英霊を貴様が使っておる?」
「僕が間桐の後継者だからだよ!」
「……それは理由になっておらんな」
「何だと!?」
「後継者を名乗っていることと、桜の使役権を得た事情は別の話だ」
扉間は慎二を見据えた。
「貴様自身には魔術回路がない。にもかかわらず、ライダーを召喚した桜ではなく、貴様が聖杯戦争へ参加しておる。何故だ?」
「……うるさい」
「臓硯の命令か?」
「……知らないって言ってるだろ!」
慎二は顔を背けた。
「僕は間桐の人間なんだ! お爺様から本を渡されたんだから、僕が戦うのは当然だろ!」
扉間はそれ以上、言葉を重ねなかった。
慎二の反応を見れば、単に知らないのではなく、答えたくないことがあるのは明らかだった。
「……仕方あるまい」
扉間は立ち上がった。
「何だよ。もう終わりか?」
「いや。少々方法を変える」
「……は?」
扉間が印を結ぶ。
次の瞬間、慎二の足元に水が現れた。
「なっ!?」
水は床から盛り上がり、慎二の身体を包み込むように形を変えていく。
「ひっ! な、何だよこれ!」
水球は慎二の胸元まで達し、両腕を拘束した。
顔は水面より上に出ているため呼吸はできるが、身体はほとんど動かせない。
「水牢の術。先ほど間桐邸で使ったものと同じだ」
「や、やめろよ!」
「ならば答えろ。何故、桜ではなく貴様がライダーを使役しておった?」
「だから、僕が後継者だから……!」
水球が慎二の身体を持ち上げた。
足が床から離れる。それだけで慎二の顔色は変わった。
「……っ! 分かった! 分かったから!」
扉間は水の動きを止めた。
「話せ」
「桜は……桜は、聖杯戦争なんかに参加したくなかったんだよ!」
「……ほう」
「ライダーを召喚したくせに、戦う気もない。だから、お爺様が僕に偽臣の書を渡したんだ!」
「桜自身の意思ではないのだな?」
「知らないよ! あいつは何を言われても逆らわないんだから!」
「……なるほど」
扉間は術を解除した。
水が床へ流れ落ち、慎二は拘束されたまま椅子にもたれかかった。
「……はぁ、はぁ……!」
慎二は肩で息をしていた。
扉間はしばらく様子を見てから、再び質問した。
「臓硯は何故、桜を戦わせなかった?」
「……知らないって」
「では、何故貴様に偽臣の書を与えた?」
「……僕だって、マスターになりたかったんだよ!」
慎二は顔を上げた。
「ようやく認めてもらえると思ったんだ! 僕だって間桐の人間なんだから!」
「……それで?」
「それでって……!」
慎二は歯を食いしばった。
「ライダーさえいれば勝てると思ったんだよ! 衛宮にも遠坂にも負けない。お爺様だって、僕を認めるしかなくなるって!」
慎二の声には怒りが混じっていた。
「なのに、何なんだよ! ライダーはセイバーに負けるし、訳の分かんない女には本を奪われるし……!」
「……あの女子生徒か」
「そうだよ! あいつ、絶対普通の人間じゃないだろ!」
慎二は顔を歪めた。
「お爺様にも言われたよ。やっぱりお前は役に立たない、父親と同じ能無しだって!」
扉間は黙って聞いていた。
慎二は俯き、しばらく何かを呟いていたが、やがて顔を上げた。
「……だから何だよ。笑いたきゃ笑えよ」
「別に笑う理由はない」
「……は?」
「それより、貴様には別の問題がある」
扉間は慎二の正面へ椅子を戻した。
「間桐桜のことだ」
慎二の表情が強張った。
「……何だよ」
「貴様、昨晩あの娘について随分と物騒なことを言っておったな」
「……っ!」
「殴るだの、犯すだの。自分の失敗を妹に押しつけるつもりだったようだが」
慎二の顔から血の気が引いた。
「……な、何でそれを」
「間桐邸で聞いておった」
「……ち、違う! あれは……!」
「何が違う?」
扉間は言葉を遮った。
「貴様が魔術師として認められず、苛立っておることは分かった。だが、それと桜に危害を加えることに何の関係がある?」
「……あいつが悪いんだよ!」
慎二は叫んだ。
「桜が来なければ、僕が間桐の後継者だったんだ! あいつのせいで、僕は……!」
「桜が貴様から何かを奪ったのか?」
「……っ!」
「魔術回路を持たずに生まれたことも、臓硯が貴様を評価せぬことも、桜の責任ではあるまい」
慎二は言い返そうとしたが、言葉が出なかった。
扉間は続けた。
「自分より弱い立場の者を傷つけて鬱憤を晴らす。そのような真似をして、何が間桐の後継者だ」
「……うるさい」
「聞こえんな」
「うるさいって言ってるんだよ!」
慎二は縄を引っ張った。
「お前に何が分かるんだよ! 間桐のことも、僕のことも何も知らないくせに!」
「知らんから聞いておるのだ」
扉間は慎二を見据えた。
「だが、貴様の行いが許されぬことくらいは分かる」
慎二は黙り込んだ。
「……これ以上、桜に危害を加えることは許さん。覚えておけ」
その言葉には、先ほどまでの尋問とは異なる重みがあった。
慎二は視線を逸らしたまま、何も答えなかった。
尋問はその後も続いた。扉間が次に尋ねたのは、間桐邸の地下に存在する蟲についてだった。
「……蟲のことなら、お爺様に聞けよ。僕だって全部知ってるわけじゃないんだから」
「知っている範囲でよい」
「間桐の魔術は、元々使い魔を使うものなんだよ。特に蟲を使った術が多い。お爺様はそれをずっと研究してる」
「……具体的には?」
「魔力を吸収させたり、魔術回路に干渉させたり……そういうことができるんだ」
扉間は手元の紙へ書き込んだ。
「魔術回路への干渉か。ならば、体内へ寄生させることも可能なのか?」
「……できるんじゃないの」
「実際に見たことは?」
慎二は答えなかった。
その沈黙を見て、扉間は質問を変えた。
「臓硯自身は、どのような術を使う?」
「……蟲を操るんだよ。それ以外にも色々あるけど、僕に全部教えるわけないだろ」
「術式について書かれた資料は?」
「書庫にあるよ。古いものなら地下にも保管されてる」
「貴様は読んだのか?」
「……読んだよ」
「内容は覚えておるか?」
「全部じゃないけどね」
慎二は投げやりに答えた。
「そもそも間桐の術式は複雑なんだよ。魔力の流れを制御するだけじゃなく、使い魔そのものを術式の一部として扱うんだから」
「……ほう」
扉間は筆を止めた。
「続けろ」
「は?」
「今の話だ。使い魔を術式の一部として扱う、というのは?」
「だから……蟲を単なる使い魔として動かすんじゃなくて、魔力を通す経路として利用するんだよ。蟲の数や配置によって、術式の働きも変わる」
「なるほど。ならば、蟲そのものが術式の媒体にもなっておるわけか」
「……そういうこと」
慎二は不審そうに扉間を見た。
「何だよ。そんなことも知らないのか?」
「知らんな。ワシの知る術とは体系が違う」
「……は?」
扉間は机へ向き直り、先ほどの説明を書き留めた。
「しかし、貴様は随分と詳しいな」
「……何が?」
「間桐の魔術についてだ」
「そりゃ、間桐の人間なんだから当然だろ」
「当然ではあるまい。使い魔の運用だけでなく、術式の構造についてもある程度理解しておるようだ」
「……だから何だよ」
扉間は慎二へ顔を向けた。
「貴様、魔術師としての才能は本当にないな……ワシの感知でもまるで引っかからん」
「……っ!」
慎二の表情が歪んだ。
「……うるさい!」
「魔術回路を持たぬ以上、自力で術を行使することは難しいのだろう」
「分かってるよ! そんなこと!」
慎二は声を荒らげた。
「お爺様にも散々言われてきたんだ! 僕には才能がない、何をやっても無駄だって!」
「……最後まで聞け」
「聞きたくない!」
「貴様には魔術師としての才能がない。だが、その割には随分と博識だ」
「…………は?」
慎二は口を閉じた。
扉間は手元の記録を指差した。
「先ほどの蟲についての説明もそうだ。実際に術を使えぬ人間が、書物から得た知識だけでそこまで理解しておる。簡単なことではあるまい」
「……何だよ、それ」
「相応に学んだのだろう。間桐に残された書物を読み、術式を調べ、自分なりに理解しようとした。違うか?」
慎二は答えなかった。
図星だった。自分には魔術回路がない。
それでも、間桐家の後継者として認められたかった。
だからこそ、書庫にある魔術書を読み漁った。理解できない部分は何度も読み直し、魔術師でなければ使えない術についても知識だけは蓄えてきた。
そうすれば、いつか祖父が自分を認めてくれるかもしれないと思っていたのである。
だが、臓硯は慎二の知識など評価しなかった。
魔術を使えない者が、いくら術式について学んだところで無意味だとそう言われ続けてきた。
「……何のつもりだよ」
慎二はようやく口を開いた。
「今更、僕を褒めてどうするんだよ……」
「別に褒めておるわけではない。事実を述べているだけだ」
「…………」
「才能の有無と、努力してきたかどうかは別の話よ」
扉間は机の上に置かれた偽臣の書へ目を向けた。
「魔術回路を持たぬ人間が、魔術師と同じように術を使えぬのは当然だ。だが、術式の知識まで無価値になるわけではあるまい」
慎二は困惑した。
「……何が言いたいんだよ」
「貴様は術を使うことには向いておらん。だが、術式を理解し、分析することには多少の適性があるかもしれん」
「……僕が?」
「少なくとも、先ほどの説明は筋が通っておった」
慎二は扉間の顔を見た。
目の前の男は、別に慰めようとしているわけではなさそうだった。
むしろ、魔術回路がないことを当然の事実として扱っている。
そのうえで、自分の知識を評価しているのだ。
「……お前、何なんだよ」
「何がだ?」
「僕を縛って、変な術で脅して……それで今度は、才能があるとかないとか……!」
「魔術師としての才能はないと言ったはずだが」
「だから、そこじゃない!」
慎二は苛立ったように叫んだ。
扉間は首を傾げた。
「では何が不満だ?」
「……っ!」
慎二は言葉に詰まった。
自分でも何に腹を立てているのか、分からなくなっていた。
これまで、自分に魔術回路がないと知った人間は、皆その時点で評価を終えていた。
だが、この男は違う。使えないものは使えないと断言したうえで、それとは別の能力を見ようとしている。
慎二には、その考え方が理解できなかった。
「……千手扉間だ」
不意に、男が名乗った。
「……は?」
「ワシの名だ。先ほどからお前呼ばわりされておるのでな」
「……千手?」
「うむ」
「聞いたことない名字だな」
「そうだろうな。貴様らの世界には存在せぬ一族よ」
「……意味分かんないんだけど」
「今は分からずともよい」
扉間は資料をまとめた。
「それより、勘違いするなよ。間桐慎二」
「……何だよ」
「ワシが評価したのは、貴様の知識だ。貴様がこれまで行ってきたことではない」
慎二は黙った。
「学校へ結界を仕掛け、無関係な人間から生命力を奪おうとした。そのうえ、自分の失敗を桜へ押しつけようとしておる」
「…………」
「どれほど知識があろうと、そのような行いが許されるわけではない。そこを履き違えるな」
扉間は慎二の前へ歩み寄った。
「貴様が何を学んできたかは分かった。だが、それを何に使うかは別の問題だ」
慎二は顔を背けた。
反論しようと思えば、いくらでも言葉は浮かんだ。
自分は間桐家の人間だ。魔術師ならば犠牲くらい当然だ。
桜が悪い。衛宮が悪い。遠坂が悪い。
だが、どれを口にしたところで、目の前の男には通用しない気がした。
「……分かったよ」
慎二は不機嫌そうに答えた。
扉間はその返事を聞いても、拘束を解こうとはしなかった。
「……さて、今日はここまでだな」
「おい、ちょっと待てよ!」
「何だ?」
「僕をどうするつもりなんだよ!」
扉間は机の上の資料を揃えながら答えた。
「まずは間桐家の事情を調べる。それまではここにいてもらう」
「ふざけんな! 監禁じゃないか!」
「貴様が桜に危害を加えると口にせねば、ここまでせずに済んだかもしれんな」
「……っ!」
「それに、学校での結界についても責任を取ってもらう必要がある。何事もなかったように帰すわけにはいかん」
扉間は近くの影分身へ声を掛けた。
「この小僧を見張っておけ。食事と水も用意してやれ」
「了解した」
「拘束はそのままでよい。必要があればワシを呼べ」
慎二は悔しそうに顔を歪めた。
「……僕は間桐の後継者なんだぞ」
「先ほどから何度も聞いておる」
「お爺様が黙ってると思うのかよ!」
「ならば、いずれ本人にも話を聞かねばならんな」
扉間は平然と答えた。
慎二はそれ以上、何も言えなかった。
地下室を出ようとした扉間は、階段の手前で足を止めた。
机に向かっていた影分身が、声を掛けてきたのである。
「少々よいか」
「何だ?」
「先ほど慎二が話しておった蟲の術式だが、興味深いな」
「ああ。ワシもそう思っておる」
「資料を調べるだけでは分からなかった部分が、あの小僧の説明で幾つか繋がった」
扉間は地下室の奥を見た。
慎二はまだ縄で拘束されたまま、不機嫌そうに床を睨んでいる。
「……そうだな」
「知識だけなら、思っていたより使えるかもしれんぞ」
「うむ。だが、まだ判断するには早い」
扉間は机の上に置かれた偽臣の書へ目を向けた。
慎二は魔術を使えない。しかし、魔術に関する知識は相応に持っている。
しかも、それを独学で身につけているらしい。
術式を扱う才能がなくとも、理論を理解する能力まで欠けているわけではない。
「……もう少し確かめてみるか」
扉間はそう言って、地下室を後にした。
残された慎二は、影分身が運んできた水を受け取りながら、先ほどの会話を思い返していた。
『才能の有無と、努力してきたかどうかは別の話よ』
「……何なんだよ、あいつ」
慎二は水を一口飲んだ。
魔術回路がないことを指摘された時は、いつもと同じだと思った。
どうせ、最後には自分を無能だと決めつけるのだろうと。
しかし、扉間は違った。魔術を使えないことを認めたうえで、知識を身につけてきた努力まで否定しなかった。
だからといって、感謝する気にはなれない。自分を拘束し、脅してきた相手なのだ。
それでも、慎二はどうしても気になっていた。
「……千手扉間、か」
聞いたこともない名字だった。
しかも、あの奇妙な術。一体、何者なのだろうか。
慎二はしばらく考えていたが、答えが出るはずもなかった。
「……くそっ」
悪態をつき、渡された水をもう一口飲んだ。
その横では、三体の影分身が再び研究を進めていた。
一方、衛宮邸。
朝食の席で、遠坂凛は茶碗を持ったまま硬直していた。
先ほどまで普通に食事をしていたはずなのに、突然箸が止まったのである。
そんな凛の様子を見て、向かいに座っていた桜と士郎が顔を見合わせた。
「姉さん……口に合いませんでした?」
「遠坂の嫌いな物でもあったかなぁ……?」
二人から心配そうに尋ねられ、凛は慌てて笑みを作った。
「え? あ、ううん! 違うわよ! とっても美味しいわ!」
「そうですか? よかった……」
桜が安心したように微笑む。
凛も笑顔を返したが、その内心は穏やかではなかった。
(……なんだか凄く嫌な予感がするわ)
理由は分からない。
ただ、妙に落ち着かないのである。
(……アーチャーがとんでもない事してそうな……)
先日、自分に何の相談もなく、自分の姿で言峰教会へ乗り込んだ男のことを。
しかも翌日には、今度は言峰本人に変装して教会へ潜入したという。
あの男に常識というものを期待してはいけない。
それだけは、召喚してからの数日間で嫌というほど学んでいた。
(……ううん! 大丈夫よね! うん! きっと大丈夫!)
凛は白米を口へ運んだ。
(アーチャーだって大人なんだから! まさか毎日のように問題を起こしたりしないでしょうし!)
「……遠坂?」
「んぐっ!?」
「いや、何かすごい勢いでご飯食べてるから……」
「べ、別に何でもないわよ!」
凛は慌ててお茶を飲んだ。
桜が不思議そうに首を傾げる。
「姉さん、何か心配事でもあるんですか?」
「え? ないない! 全然ないわ!」
「そうですか……?」
「ええ! むしろ今朝はとっても平和だと思っていたところよ!」
凛は満面の笑みを浮かべた。
しかし自分の屋敷では大変有意義な尋問が開始されているとは全く知らない。