扉間「聖杯戦争はワシが解体した」 作:ナハ
夕方、遠坂邸。
穂群原学園から帰宅した凛は、居間のソファに腰を下ろした。
今日の昼休み、衛宮士郎との同盟が成立した。もっとも、話し合いは予想以上に面倒だった。
『遠坂をこれ以上危ない目に遭わせられない』
士郎はそう言って、サーヴァントを失った凛を戦いに巻き込むことに反対したのである。
凛にしてみれば、聖杯戦争の知識もない素人が一人で戦おうとする方がよほど危なっかしい。結局、セイバーも交えて説得することで、ようやく協力を取りつけたのだった。
もちろん、アーチャーが健在であることは伏せている。
「……まったく、衛宮君も頑固なんだから」
紅茶を一口飲み、凛は時計を見た。
同盟について報告したいところだが、肝心のサーヴァントが見当たらない。
「アーチャー? いるんでしょ?」
辺りは静かで返事はなかった。
召喚してからというもの、扉間は影分身を使って冬木市を調べ回っていた。凛が寝ている間にも勝手に偵察を進め、翌朝には知らない情報がいくつも増えている。
成果を持ち帰るのは結構だが、せめて一言くらい断ってほしい。
「……本当に、誰がマスターなんだか」
凛は胸元へ視線を落とした。
服の下には、昨晩扉間に刻まれた飛雷神の術式がある。凛に危険が迫った際、すぐに駆けつけるためのものだという。
『貴様は戦闘においては足手まといになる可能性が高い。何かあればすぐに飛べるようにしておく』
そこまではよかった。
問題は、術式を刻む場所である。
『……で、何で胸元なのよ!? 腕とかでいいじゃない!』
『馬鹿を言うな。腕や足では切断された際に意味をなさんだろう』
『切断!? ちょっと待って! 何でそんな物騒な話になるのよ!』
『戦場では四肢を失うことなど珍しくもない。胸部ならばその危険性も低かろう』
『だからって、女の子の胸元に勝手に印をつける!? 少しはデリカシーってものを考えなさいよ!』
『安心しろ。ワシは小娘の身体になど興味はない』
『…………は?』
『何だ?』
『いや、そこは別に聞いてないんだけど!?』
『ならば何を騒いでおる』
『ムキーーーーッ!! 興味が無いってなによ!! 私女の子よ!?』
『……全く、騒がしい娘よ。命を守るための処置だと言っておろうに』
『それとこれとは別問題でしょうが!!』
思い出しただけで腹が立つ。
とはいえ、危険な状況でも駆けつけられるようにという配慮そのものは、ありがたいと思っていた。
「……まあ、あいつらしいといえばらしいけど」
凛は術式を指先でなぞり、苦笑した。
「でも腹立つわね……令呪で土下座させようかしら」
冗談半分に呟いたものの、あの男なら令呪の使い方について説教を始めそうだった。
凛は考えるのをやめ、読みかけの魔術書へ手を伸ばした。
同時刻、言峰教会。
夕暮れの聖堂に、一人の少女が立っていた。
長い黒髪を左右で結び、赤い上着に黒いスカート。遠坂家の後継者、遠坂凛である。
「ほう。凛じゃないか。なんの用かな」
奥から姿を現した言峰綺礼は、珍しい客人を迎えたことに少し驚いているようだった。
「お前が自分から教会を訪ねてくるとはな。何か問題でも起きたか?」
少女は一拍置いてから答えた。
「……サーヴァントを失ったのでな……ゴホン。失ったわ」
「……ほう?」
綺礼は足を止めた。
「アーチャーをか?」
「そうよ。ランサーに敗れたわ」
「それは災難だったな。怪我はないのか?」
「ええ、私は無事よ」
綺礼は少女の姿を眺めた。外傷はなく普段と大きく変わらないように見える。
「しかし、君らしくないな。サーヴァントを失ったからといって、素直に敗北を認めるとは思えんが」
「私だって死にたくないのよ。遠坂の当主として生き延びる責任もあるし」
「なるほど。では、令呪はどうした?」
「……小僧。衛宮君に譲ったわ。別に問題は無いわよね?」
言い直すと同時に、少女は右手を差し出した。
そこには令呪がなかった。
「衛宮士郎に?」
「ええ。彼にはセイバーがいるし、私が持っているより有効に使えるでしょう」
「令呪の移譲は、そう簡単にできるものではないのだがな」
「必要なことは済ませたわ。何か問題でも?」
綺礼は少し考えたものの、それ以上は追及しなかった。
「いや。本人の意思であるならば、私がとやかく言うことではない」
「そう。ならよかったわ」
「それで、今後はどうするつもりだ?」
「衛宮君の協力者として行動するわ。彼は聖杯戦争の知識がほとんどないし、私にもできることはあるもの」
「ふむ。随分と合理的な判断だな」
「でしょう?」
綺礼は少女の返答に、かすかな違和感を覚えた。
遠坂凛は自信家であり、負けず嫌いでもある。聖杯戦争への参加を何より重視していた彼女が、ここまで簡単に身を引くとは考えにくかった。
しかも、いつもなら自分の皮肉に反発するところを、今日は妙に落ち着いている。
「……凛。一つ聞こう」
「何かしら?」
「衛宮士郎と協力するのは構わん。だが、聖杯戦争である以上、いずれ他のマスターを倒さねばならない。その時はどうする?」
「相手によるわね。こちらを殺そうとするなら応戦する。でも、戦う意思のない人間まで殺す理由はないでしょう」
「相手を生かしておけば、後々障害となる可能性もあるぞ」
「その時に考えればいいわ。今すぐ殺す理由にはならないもの」
「……無意味な殺人は避ける、ということか」
「そういうことね」
綺礼は祭壇へ歩み寄った。
「だが、人を殺すことに意味があるかどうかは、誰が決めるのだろうな」
「……どういう意味?」
「ある者には無意味な行為でも、別の者には価値があるかもしれん。人間の価値観は一様ではないからな」
「価値?」
「ああ。例えば、他者の苦痛を見て喜びを得る人間もいる」
少女は綺礼の横顔を見た。
「……随分と物騒な話ね」
「そうかね? 善行に満足を覚える者もいれば、他者の不幸を喜ぶ者もいる。どちらも当人にとっては偽りのない感情だろう」
「だからといって、人を傷つけていい理由にはならないわ」
「もちろん、正当化するつもりはない。ただ、そういう人間も存在するという話だ」
「……なるほど」
少女は少し考えた後、尋ねた。
「それで、言峰。貴方はどうなの?」
「……私が?」
「ええ。貴方は何に価値を見出すのかしら?」
綺礼は少女へ顔を向けた。
「今日は随分と哲学的な質問をするのだな」
「聖職者なんでしょう? こういう話には詳しいと思って」
「ふむ……私は神に仕える者だ。人間の行いを見守り、その意味を考えることも務めの一つだろう」
「見守るだけ?」
「それでは不満か?」
「いえ。ただ、聖杯戦争の監督役なら、犠牲者を減らす努力も必要なんじゃないかと思って」
「犠牲のない戦争など存在しない。お前も魔術師なら理解しているはずだ」
「それと無意味に犠牲を増やすことは別でしょう」
綺礼は笑った。
「遠坂家の後継者が、聖杯戦争そのものに疑問を抱くとはな」
「遠坂家が儀式の創設に関わったからといって、全てが正しいとは限らないでしょう?」
「時臣ならば、そうは考えなかっただろうな」
父親の名が出ても、少女は特に反発しなかった。
「……父のことを随分と知っているのね」
「当然だ。私は彼の弟子だったのだからな」
「そうだったわね」
少女はそこで話題を変えた。
「ところで、言峰。貴方は聖杯についてどこまで知っているの?」
「……聖杯?」
「英霊召喚の仕組みや、儀式の成立についてよ。監督役なら詳しいでしょう?」
「遠坂家にも資料が残されているはずだが」
「もちろん読んでいるわ。でも、当事者以外の意見も聞いてみたくて」
「ほう。具体的には?」
「例えば、七騎の英霊を召喚して殺し合わせる必要があるのは何故か。聖杯が本当に万能の願望機なら、もっと効率のよい方法もあるんじゃないかしら?」
綺礼は少女を見つめた。
「……お前は何を調べている?」
「単なる好奇心よ」
「サーヴァントを失ったばかりだというのに、随分と余裕があるのだな」
「負けたからって、勉強までやめる必要はないでしょう?」
なるほど、と綺礼は思った。
今日の凛は、報告に来たというより、自分から何かを聞き出そうとしている。
「……それで、貴方は聖杯戦争をどう思っているの?」
「私は監督役だ。参加者たちがどのような結末を迎えるのか、見届けるだけさ」
「その結末が悲惨なものになっても?」
「それもまた、彼らの選択だろう」
少女は返事をせず、綺礼の顔を見ていた。
「……貴方、随分と人間の不幸に詳しいのね」
「聖職者という仕事柄、そうした人間を見る機会が多いのでな」
「じゃあ、貴方自身は幸福なの?」
綺礼は答えなかった。
「神に仕え、人を導く。それが貴方の役目なのでしょう? その生活に満足しているのかしら」
「……妙なことを聞く」
「気になっただけよ」
「幸福かどうかなど、考えたこともないな」
「ならば、何のために生きているの?」
綺礼は少女の顔を見つめた。
その質問は、好奇心というには踏み込みすぎていた。
「……今日は随分と饒舌だな、凛」
「そうかしら?」
「ああ。まるで私を尋問しているようだ」
「気のせいよ」
少女は微笑んだ。
その時だった。
「――随分と退屈な話をしているな、綺礼」
聖堂の奥から声が響いた。
姿を現したのは、金髪に赤い瞳を持つ青年だった。黒を基調とした私服を身に纏い、我が物顔で聖堂へ入ってくる。
少女は青年へ目を向けた。
(……む?)
扉間の知る魔術師とは、明らかに異なる気配だった。
青年は綺礼の隣へ立つと、呆れたように鼻を鳴らした。
「何を話しているかと思えば、人間の幸福だの不幸だの。相変わらず回りくどい男よ」
「客人がいるのでな。少し席を外してもらえると助かるのだが」
「ふん。貴様の客人など知ったことか」
青年は少女を見た。
「ほう。遠坂の娘か」
「……私を知っているの?」
「名前程度はな」
「そう。それで、貴方は?」
「貴様が知る必要はない」
「……随分と偉そうね」
「当然だ。我が誰に対して頭を垂れる必要がある?」
「……そういう性格なのね」
青年の赤い瞳が細められた。
「ほう。面白い目をしているな、娘」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
「ふん。好きにするがいい」
青年は興味を失ったように綺礼へ顔を向けた。
「それで、聖杯戦争はどうなっておる? 我を楽しませるような者は現れたのか?」
「まだ始まったばかりだ。そう急くな」
「まったく、雑種どもの争いは退屈でかなわん」
少女は二人のやり取りを聞いていた。
(……聖杯戦争について知っておる。しかも、この神父と随分親しいようだな)
青年は先ほどから人間を見下す発言を繰り返しているが、綺礼は咎めようともしない。
「……貴方も聖杯戦争に興味があるの?」
少女が尋ねると、青年は薄く笑った。
「無論だ。雑種どもが己の欲望のために争う姿は、見世物として悪くないのでな」
「人間を見世物扱いするの?」
「当然だ」
「……なるほど。貴方も随分と歪んだ考え方をしているのね」
青年の笑みが消えた。
「……何?」
一瞬、空気が張り詰めた。
扉間は青年の視線を受けながら、内心で警戒を強めた。
(……迂闊だったか)
あえて挑発する必要はなかった。今は相手の力量も分からず、戦闘に持ち込む利益もない。
綺礼が間に入った。
「その辺にしておけ。彼女は私の知人だ」
「ふん。身の程を知らぬ娘よ」
青年はそれ以上追及しなかったが、少女を見る目には興味が残っていた。
綺礼は二人を見比べ、再び凛へ問いかけた。
「……ところで凛。お前は本当に聖杯戦争から降りるつもりなのか?」
「そう言ったでしょう」
「ならば、何故そこまで儀式の仕組みに興味を示す?」
「……利益がなければ調べてはいけないの?」
「いや。ただ、今のお前には少々不釣り合いな関心に思えてな」
少女は肩をすくめた。
「負けたからこそ、気になることもあるのよ」
綺礼はそれ以上尋ねなかった。
「……そうか。ならば、今日はもう帰るといい」
「ええ。報告も済んだし、衛宮君との約束もあるから」
少女は踵を返した。
「凛」
出口へ向かう背中に、綺礼が声を掛ける。
「最後に一つだけ忠告しておこう。聖杯戦争では他人を信用しすぎるな。昨日まで味方だった者が、明日には敵になっているかもしれんぞ」
少女は振り返った。
「……忠告、感謝するわ」
「ふっ。素直なお前というのも珍しいな」
「そうかしら?」
それだけ答えると、少女は聖堂を後にした。
「……どう思う?」
凛が去ってから、綺礼は隣の青年へ尋ねた。
「何がだ?」
「先ほどの娘だ」
「ふん。妙な小娘だったな」
「……お前もそう思うか」
青年は長椅子へ腰を下ろした。
「ああ。貴様を探るつもりで来たのだろうが、少々露骨すぎる」
「私もそう感じた」
綺礼は聖堂の扉を見た。
「サーヴァントを失ったという報告も気になる。あの凛が、こうもあっさりと聖杯戦争から退くとはな」
「ならば調べればよかろう」
「そうだな」
「もっとも、退屈はせんかったぞ」
青年は口元を吊り上げた。
「あの目は悪くない。貴様の話を聞いているようで、何やら別のことを考えておったからな」
「……ほう」
「くく。少しは面白いことになるかもしれんな」
綺礼は返事をせず、先ほどの凛を思い返していた。
喋り方が時折不自然になり、質問の内容も妙に偏っていた。自分の敗北についてはほとんど話さず、聖杯戦争の仕組みや監督役の思想ばかり聞きたがる。
知っているはずの遠坂凛とは、どこか違う。
「……何を隠している、凛」
その呟きに、青年は愉快そうに笑った。
教会から少し離れた森林。
人目のない場所まで来た少女は、周囲を確認してから印を結んだ。
「解」
白い煙が晴れると、そこには青い鎧を纏った千手扉間が立っていた。
「……やはり、あの神父は食えぬ男よ」
変化の術そのものは成功したが、言峰に違和感を与えた可能性は高い。
特に、最初の口調の失敗はいただけなかった。
「……小僧と言いかけたのは余計だったな」
扉間は舌打ちした。
もっとも、収穫がなかったわけではない。
言峰は中立を装っているが、ランサーとの関係を考えれば信用できない。加えて、人間の苦痛について語る時の反応も気になった。
長年、人を率い、敵と交渉してきた扉間には、あの神父が何かを隠していることだけは分かった。
(……あの男は何者だ?)
立ち振る舞いからして普通の人間ではない。魔術師というより、むしろ英霊に近い印象を受けた。
仮にサーヴァントだとすれば、言峰の教会にはランサー以外にも英霊が出入りしていることになる。
扉間はしばらく考えた後、印を結んだ。
「影分身の術」
二人の分身が現れる。
「教会周辺の監視を続けろ。内部への侵入はまだ避ける。特に、先ほどの金髪の男には注意しろ」
「了解した」
分身たちが森へ消えると、扉間は教会の方角を一度だけ見た。
言峰綺礼については、もう少し証拠が欲しい。
監督役という立場を利用して何をしているのか。ランサーとの契約はどうなっているのか。そして、あの男が聖杯戦争で何を求めているのか。
焦って接触を繰り返すより、監視と資料の調査を進める方がよさそうだった。
「……さて、凛にも報告しておくか」
扉間は飛雷神の術を発動させた。
遠坂邸。
凛が魔術書を読んでいると、廊下から鎧の鳴る音が聞こえてきた。
「……アーチャー?」
「戻ったぞ」
居間へ入ってきた扉間を、凛はじろりと睨んだ。
「戻ったぞ、じゃないわよ! 今までどこに行ってたの!?」
「教会だ」
「……教会?」
凛は首を傾げた。
そして、嫌な予感がした。
「……ちょっと待って」
「なんだ」
「まさか、言峰のところ?」
「そうだ」
「……何しに?」
「話を聞きにな」
「……誰の姿で?」
扉間は当然のように答えた。
「貴様だ」
「…………」
凛の表情が固まった。
「……は?」
「変化の術で貴様の姿になり、サーヴァントを失ったと報告してきた」
「…………」
「ついでに令呪も衛宮士郎へ譲ったことにしておいたぞ」
「…………」
凛はゆっくりと本を閉じた。
「……あんた、何をしたか分かってる?」
「無論だ。今説明しただろう」
「何勝手に私の姿で行動してんのよぉぉぉぉ!!」
扉間は顔をしかめた。
「……騒ぐな。近所迷惑だぞ」
「誰のせいよ!? 誰の!?」
「必要な情報収集だ。何か問題があるのか?」
「大ありよ!! なんで事前に相談しないのよ!」
「相談すれば許可したのか?」
「するわけないでしょ!!」
「ならば相談する意味がなかろう」
「そういう問題じゃなぁぁぁい!!」
凛の虚しい叫びだけが響き渡った。