『謎のおじさん』 作:おじさん好き
▼ 白祇重工 整備工房 昼
「ねえ、クレタ」
「何だよ」
「ミラちゃん、私も一度会ってみたいなぁ」
「……昨日からそればっかじゃねえか」
グレース・ハワードは作業台に頬杖をついた。
目の前には、四本の脚を備えた小型の知能重機が置かれている。現在開発中の運搬補助機だが、昨日から歩行中に停止する不具合が発生していた。
端末には何度も繰り返した試験の記録が並んでいるものの、グレースの関心は別のところに向いていた。
「だって、あの映像を見ただろ? 吊り具の小さな亀裂を、作業区域の外から見つけたんだよ?」
「ああ。おかげで事故にならずに済んだけどな」
「普通の目視じゃ分からないような亀裂だったんだ。どんなセンサーを使ってるんだろうねぇ」
グレースは考え込むように端末を操作した。
クレタから見せてもらった現場の記録映像。そこには、小さなサングラスを掛けた白いボンプの姿が映っていた。
名前はミラ。
それ以外に分かっていることはほとんどない。検知方式はもちろん、内部にどんな装置が組み込まれているのかも不明だった。
「光学式かな。それとも超音波? いや、あの距離で検出したとなると……」
「おい、グレース」
クレタが端末を覗き込む。
「何だい?」
「今、何の資料を開いてる?」
「ミラちゃんの映像だけど?」
「……目の前の仕事はどうした!」
グレースは小さく笑った。
「分かってるって。ちょっと気になっただけさ」
「ちょっとって長さじゃねえだろ……」
クレタは呆れたように息を吐いた。
もっとも、グレースが機械に夢中になるのは今に始まったことではない。普段から知能重機を自分の子供のように可愛がっている彼女にとって、未知の技術を備えたボンプの存在は、それだけで十分な興味の対象なのだろう。
「そのボンプのことは後にしろよ。まずはこいつを直してやってくれ」
「そうだね。いつまでも歩けないままじゃ可哀想だ」
グレースは小型重機の胴体を優しく撫でた。
「ごめんねぇ。もう少しで原因を見つけてあげるから」
そう言って、ようやく操作盤へ向き直る。
しかし、作業を再開しようとしたところで工房の扉が開いた。
「失礼します。社長、少しよろしいでしょうか」
顔を覗かせたのはベンだった。
「どうした?」
「先日いらっしゃった方が、差し入れを持ってきてくださいまして」
ベンが身体を横へずらす。その後ろから、派手なアロハシャツ姿の男が顔を出した。
「Hola! やあ、クレタちゃん。お仕事中にごめんねぇ」
「……お前か」
クレタは男を見上げた。
銀色がかった金髪に、整えられた髭。白い短パンとサンダルという、相変わらず工事現場には似つかわしくな怪しい風体だった。
「だから、ちゃん付けはやめろって言ってんだろ」
「おっと。そうだったねぇ」
男は笑いながら、手に提げた紙袋を持ち上げた。
「この前は飲み物までもらっちゃったからね。今日はそのお礼を持ってきたんだ」
「そんなの気にしなくていいのによ」
「まあまあ。休憩の時にでも、みんなで食べておくれ」
ベンが紙袋を受け取る。
「ありがとうございます。では、休憩室へ運んでおきますね」
「お願いするぜ、ベン」
「承知しました。それでは、失礼します」
ベンが工房を出ていく。
その間、グレースは初めて見る男を不思議そうに眺めていた。
「クレタ、知り合いかい?」
「ああ。この前、現場で会った変なおじさんだよ」
クレタは男を指差した。
「ミラを連れてた奴だ」
「……えっ?」
グレースの手が止まった。
そして、勢いよく立ち上がる。
「ミラちゃん!? あの映像の!?」
「そうだけど……」
グレースは男へ詰め寄った。
「君がミラちゃんと一緒にいた人なのかい!?」
「うん。ミラを知ってるのかい?」
「クレタに映像を見せてもらったんだよ! ねえ、今日はミラちゃんも来てる?」
男は少し申し訳なさそうに首を振った。
「今日は私一人なんだ。ミラは別の用事があってね」
「……そっかぁ」
グレースの肩が落ちる。
あまりにも分かりやすい反応だった。
「……おい。あたしの客なんだけど」
「あっ、ごめんごめん!」
グレースが我に返る。
「まだ自己紹介もしてなかったね。私はグレース・ハワード。ここの技術開発を担当してるんだ」
「グレースちゃんだね。よろしく」
「うん。君は?」
「おじさんって呼んでくれればいいよ」
「……おじさん?」
「昔からのあだ名なんだ。気に入っていてね」
グレースは一度頷いた。
「分かった。じゃあ、おじさん」
そして、間を置かずに続ける。
「ミラちゃんって、どこで作られたの?」
「……ずいぶん早いねぇ」
「だって気になるんだもの!」
グレースは身を乗り出した。
「光学系のセンサーを積んでるのかな? あの小さな身体で亀裂を見つけるなんて、普通じゃ考えられないよ。君が改造したのかい?」
「グレース」
クレタが名前を呼ぶ。
「……ああ、そうだった」
グレースは小さく咳払いをした。
「ごめん。つい興奮しちゃって」
「いや、興味を持ってくれるのは嬉しいよ」
おじさんは穏やかに笑った。
「ただ、詳しいことはミラに聞いてみないとね」
「……ミラちゃんに?」
「うん。あの子が話したいかどうかもあるだろう?」
グレースは少し考えた。それから、納得したように頷く。
「そっか。まずは本人の気持ちを聞かなきゃね」
彼女にとって、機械はただの道具ではない。
だからこそ、その考え方にはすんなり共感できた。
「じゃあ、今度会えたら、まずは仲良くなるところから始めるよ」
「それがいいね。ミラにも聞いてみるよ」
おじさんが笑う。クレタはそんな二人を見比べ、小さく肩をすくめた。
「……なんか、妙なところで気が合ってんな」
「そうかな?」
「気が合うに決まってるじゃないか!」
グレースは満足そうに笑った。
「こんなに話の分かる人、なかなかいないよ」
「……あっそ」
クレタはそれ以上何も言わなかった。
そして、おじさんがそろそろ帰ろうかと考えていた時だった。
「……ところで、こっちの子は?」
おじさんが作業台を見た。四本脚の小型重機が、動かないまま置かれている。
「おっ、気になるかい?」
グレースの顔がぱっと明るくなった。
「この子は今開発中の運搬補助機なんだ。狭い場所でも荷物を運べるように、四本脚にしてあるんだよ」
「なるほど。車輪だと通れないところもあるからねぇ」
「そうなんだ! 段差にも対応できるし、足場の悪い場所でも姿勢を保てるようにしててね」
グレースは嬉々として説明を始めた。
おじさんはしゃがみ込み、小型重機の脚部を眺める。
「よくできてるねぇ」
「でしょ! ただ、今ちょっと困ってるんだよね」
グレースは操作盤を指差した。
「昨日から歩いてる途中で止まっちゃうんだ。何度調整しても直らなくてさ」
「駆動系の不具合かい?」
「それが違うんだよ。脚もモーターも正常。荷重センサーにも問題はないんだけどね」
グレースは困ったように笑った。
「一度、動くところを見てみるかい?」
「いいのかい?」
「もちろん。原因を探してるところだったんだ」
おじさんは頷き、少し後ろへ下がった。
クレタも作業台の横へ移動する。
「昨日も同じところで止まってたよな」
「うん。何度試しても三歩目なんだ」
グレースが操作盤へ向き直る。
「じゃあ、いくよ」
起動音が響いた。
小型重機がゆっくりと立ち上がる。
一歩。
二歩。
三歩目に差しかかったところで、短い警告音が鳴った。
ピピッ!
四本の脚が、その場でぴたりと止まる。
「……ほらね」
グレースが画面を見下ろした。
「衝撃を検知したって記録が残るんだけど、外からは何もぶつかってないんだ」
「そうなんだねぇ」
おじさんは停止した小型重機を眺めた。
それから、少し首を傾げる。
「……止まる直前、荷台が揺れたね」
「荷台?」
グレースが顔を上げる。
「三歩目に入ったところで、ちょっとだけ。脚の動きが変わるからかな」
「……ちょっと待って」
グレースはすぐに記録を呼び出した。
三歩目の動作を拡大し、振動の変化を確認する。
「……ああ」
小さく呟いた。
次の瞬間、椅子から勢いよく立ち上がる。
「分かった!」
「おわっ! 何だよ急に!」
クレタが驚いて身を引いた。
「荷重の移動だよ! 三歩目で脚の動作が切り替わる時、荷台の揺れが少し大きくなってたんだ!」
グレースは画面を指差した。
「そこに振動補正が働いてるんだけど……昨日追加した衝撃判定が、補正の揺り戻しまで拾ってたんだね!」
「……つまり?」
「外から衝撃を受けたわけじゃないのに、自分の動きを危険だと判断しちゃったのさ!」
クレタは小型重機を見た。
「……自分で動いて、自分で驚いて止まったってことか?」
「そういうこと!」
グレースは嬉しそうに頷いた。
「この子は壊れてなかったんだ。安全装置はちゃんと働いてたんだよ」
そう言って、胴体を優しく撫でる。
「ごめんね。私がちょっと敏感にしすぎちゃったんだ」
それから、すぐに操作盤へ戻った。
「衝撃検知はそのままにして、補正動作を誤検知しないよう判定条件を見直せば……」
グレースの指が素早く動く。
歩行時の振動データを確認し、設定を修正する。新しい条件を書き込むと、何度か記録を見直してから、再び起動操作を行った。
「……よし。これでどうかな」
小型重機が立ち上がる。
一歩。
二歩。
三歩目。
今度は警告音が鳴らなかった。
そのまま四歩、五歩と進み、指定された位置で停止する。
「やった!」
グレースが歓声を上げた。
「よかったぁ! ちゃんと歩けたね!」
駆け寄って、小型重機の胴体を抱き締める。
クレタもようやく肩の力を抜いた。
「ったく。あれだけ苦労してたのに、原因が分かれば早いもんだな」
「まだ荷物を載せた試験も残ってるけどね。でも、これで先に進めるよ!」
グレースは嬉しそうに笑った。おじさんも立ち上がり、満足そうに頷く。
「よかったねぇ」
「ありがとう、おじさん。君のおかげで助かったよ」
「私は荷台が揺れたって言っただけだよ。直したのはグレースちゃんだろう?」
「まあね。でも、ずっとセンサーの数値ばかり見てたからさ」
グレースは小型重機を撫でながら続けた。
「当たり前の動きほど、案外見落としちゃうものなんだよね」
それから、おじさんへ顔を向ける。
「……それにしても、よく気づいたね」
「たまたま目についたんだよ」
「ふうん……」
グレースは少し考え、にっこりと笑った。
「君、なかなかイケてるね!」
「……おっ?」
おじさんの表情が明るくなった。
「いやぁ、分かってくれるかい!」
「もちろん!」
「そうかぁ。今日はおしゃれに気を遣った甲斐があったねぇ」
そう言って、アロハシャツの襟を整える。
グレースが首を傾げた。
「……おしゃれ?」
「うん?」
「いや、機械の見方の話だよ。あんな小さな動きに気づくなんて、なかなかイケてるじゃないかって」
「…………」
おじさんの手が止まった。
「……ああ、そっちかぁ」
「ほかに何があるんだい?」
グレースが不思議そうに聞き返す。その隣で、クレタが堪えきれずに吹き出した。
「ぷっ……! お前、服を褒められたと思ったのかよ」
「いやぁ、結構気に入ってるんだけどねぇ」
「そりゃ見りゃ分かるけどよ!」
クレタは笑った。
おじさんは少し残念そうに自分の服を見下ろす。
「髭もちゃんと整えてきたんだけどなぁ」
「へえ、そうなんだ」
グレースは改めておじさんを眺めた。
派手なアロハシャツに短パン。
足元はサンダル。
鼻先にはサングラス。
「……うん。なかなか個性的だと思うよ!」
「そっか。ありがとう」
おじさんは素直に受け取ることにしたらしい。
クレタはまだ笑っていたが、グレースは既に小型重機の方へ視線を戻していた。
「それにしても、この子が無事に動いてくれてよかったよ」
グレースは胴体を撫でた。
「止まっちゃった時は心配したけど、ちゃんと理由があったんだね」
「そうだねぇ」
おじさんも頷いた。
「危ないと思ったから、自分で止まったんだものね」
「そうそう! ちゃんと仕事してくれてたのさ」
グレースは満足そうに笑った。
「こういうところが可愛いんだよねぇ。みんな一生懸命働いてくれてるんだ」
その声音には、隠しきれない愛情が滲んでいた。
おじさんは、そんな彼女を穏やかに眺めていた。
「……グレースちゃんは、本当にこの子たちが好きなんだね」
「大好きだよ!」
答えは早かった。
「だって、こんなに頑張ってくれるんだもの。ちゃんと見てあげなきゃ可哀想だろ?」
グレースはそう言って、小型重機をもう一度撫でた。
おじさんは静かに頷く。
「……うん。いい子たちだね」
「でしょ!」
グレースは嬉しそうに笑った。
クレタはそんな二人を眺め、小さく肩をすくめる。
「……やっぱり、変なところで気が合うんだな」
「いいじゃないか。話の分かる人が増えるのは嬉しいよ」
グレースは満足そうに答えた。
それから、おじさんへ向き直る。
「ねえ、また遊びに来てよ。今度はほかの子たちも見せたいな」
「いいのかい?」
「もちろん! きっと気に入ると思うよ」
おじさんは楽しそうに笑った。
「それなら、またお邪魔しようかな」
「やった! じゃあ、ミラちゃんのことも忘れないでね」
「うん。あの子にも聞いてみるよ」
グレースは満面の笑みを浮かべた。
「楽しみにしてる!」
その後、調整した設定でも問題がないことを確認すると、おじさんは帰ることにした。
「それじゃ、私はそろそろ失礼するね」
「おう。差し入れ、ありがとな」
クレタが片手を上げる。
「こちらこそ。今日は面白いものを見せてもらったよ」
「また来てね、おじさん!」
「Adiós! 二人とも、お仕事頑張ってね」
おじさんは軽く手を振り、工房を後にしようとした。
その時だった。
「……あっ、ちょっと待って!」
グレースが呼び止める。
「ん? どうしたんだい?」
「その眼鏡、少し見せてもらってもいいかな?」
おじさんはサングラスへ手を伸ばした。おじさんの銀の瞳がきらりと輝く。
「……これかい?」
「うん。さっきから気になってたんだ」
グレースの視線は、手元へ注がれている。
おじさんは少し嬉しそうに笑った。
「ようやく、おじさんのおしゃれに興味を持ってくれたのかな」
「ちょっと貸して!」
グレースは差し出された眼鏡を受け取り、早速サングラスの部分を取り外した。
「……へえ。なるほどねぇ」
何度か着脱を繰り返す。
「このクリップ、いいなぁ。取り外しやすいのに、ちゃんと固定される形になってる。うちの子たちの外装にも応用できそうだね」
おじさんの笑顔が、少しずつ苦笑に変わっていった。
「……グレースちゃん」
「ん?」
「おじさんの顔じゃなくて、留め具の方だったのかい?」
「えっ? うん!」
即答だった。
「…………」
おじさんは静かに天井を見上げた。
「……眼鏡の留め具に負けるとはねぇ」
「ぶっ……!」
クレタが吹き出した。
「はははっ! だから言っただろ! グレースが何を見てると思ったんだよ!」
「いやぁ、ちょっと期待しちゃったんだよねぇ」
「……あれ? 私、何か変なこと言った?」
グレースは不思議そうに首を傾げた。
その手には、まだおじさんの眼鏡が握られている。
「……グレース」
「何だい?」
「とりあえず、それ返してやれよ」
「あっ、そうだった!」
慌てて眼鏡を返す。
「ごめんごめん! 面白いものを見ると、つい夢中になっちゃって」
「気にしないでおくれ。おじさんも、もう少し勉強しないとね」
「……何をだよ」
クレタが呆れたように呟いた。
おじさんは眼鏡を掛け直し、今度こそ工房を後にした。
「じゃあ、またね」
「うん! ミラちゃんにもよろしく!」
「気をつけて帰れよ!」
そんな二人に見送られ、男の姿が廊下の向こうへ消えていった。
グレースはしばらく入口を眺め、それから作業台へ向き直った。
「……面白い人だったね」
「変なやつだろ?」
「うん。でも、悪い人じゃなさそうだ」
グレースは小型重機の胴体を撫でながら、楽しそうに笑った。
「それに、機械のことも結構分かってるみたいだしね」
「……まあ、それはあたしも少し驚いたけどな」
クレタは頷いた。
グレースは満足そうに笑い、それから思い出したように顔を上げる。
「……ああ、早くミラちゃんにも会ってみたいなぁ」
「お前、またその話かよ」
「そりゃあそうさ。あんなに面白そうな子、放っておけないだろ?」
グレースの目が輝く。
「まずは仲良くなって、それから内部の構造を詳しく見せてもらって――」
「おい。分解するつもりじゃねえだろうな?」
「何言ってるんだい。そんなこと、勝手にするわけないだろ?」
グレースは心外だと言わんばかりに眉を上げた。
「ちゃんと本人にお願いするよ!」
「……そういう問題じゃねえんだよなぁ」
クレタは深いため息をついた。
その隣で、グレースは一人、まだ見ぬボンプのことを考えていた。
どんな仕組みで、あの小さな亀裂を見つけたのか。
どんな部品が使われていて、どんな技術が詰め込まれているのか。
考えるだけで胸が躍る。
もっとも。
彼女が追い求める未知の技術は思ったよりも近くにあったのだが。
今のグレースはそんなことを知る由もなかった。