転生したらホシノ・ルリだった   作:sekiyahikaru

1 / 1
第1話「推しになるのは違うだろ」

# 第1話「推しになるのは違うだろ」

 

1999年7月。

 

これは空から「恐怖の大王」が降ってくるはずの月だ。

 

結論から言うと、恐怖の大王は来た。

 

ただし、世界にではなく、俺のところにだけ。

 

空からではなく、モニターの中から。

 

---

 

「星野、そっちのバッチ、まだ終わんないの?」

 

午前4時。

 

蛍光灯が半分消えたフロアに、課長の声が響いた。

 

「あと……2時間くらいです」

 

「頼むよー。銀行さん、明日の朝イチで確認したいって」

 

課長はそう言って、栄養ドリンクを俺の机に置いていった。

 

これで今夜3本目だ。

 

俺の名前は星野勉。24歳。

 

中堅システム会社の、中堅SE。

 

担当は、銀行のシステムの「2000年問題」。

 

「99」を、「1999」に対応させるため一行ずつ手で直していく。

 

それが俺の仕事だ。

 

(……あと半年で、2000年か)

 

画面には、緑色の文字がびっしり並んでいる。

 

俺が生まれる前に、誰かが書いたプログラム。

 

書いた人はとっくに定年退職している。説明書は残っていない。

 

だから、読むしかない。

 

読んで、読んで、読んで、直す。

 

もう3日、家に帰っていない。

 

最後に寝たのは、いつだったか。

 

ポケットのPHSが震えた。

 

画面には「ハハ」の二文字。

 

母さんからだ。

 

(ごめん、今は出られない)

 

着信を切って、また画面に向かう。

 

24時間戦えますか。

 

時代は変わったはずなのに、この職場では、まだ誰もが24時間戦っている。

 

ふと、机の端に貼ったシールが目に入った。

 

小さな女の子のシールだ。

 

銀色がかった水色のツインテール。金色の瞳。無表情。

 

ホシノ・ルリ。

 

アニメ『機動戦艦ナデシコ』のヒロインの一人で、俺の、いわゆる「推し」だ。

 

大学時代にハマって、去年の劇場版は公開初日に見に行った。

 

そして、映画館で泣いた。

 

感動したからじゃない。

 

納得がいかなかったからだ。

 

あんなに頑張ったテンカワ・アキトとミスマル・ユリカが、あんな目にあうなんて。

 

ルリが、あんなに寂しそうな顔をするなんて。

 

それ以来、俺は毎晩、テレホーダイの時間になるとパソコンを立ち上げていた。

 

パソコン通信の掲示板で、顔も知らない仲間たちと、朝まで語り合った。

 

「アキトとユリカには幸せになってほしかった」

 

「ルリルリには笑っていてほしい」

 

「みんな、幸せになってほしいんだよ」

 

そんなことを、毎晩、書きこんでいた。

 

……最近は、その掲示板にも行けていないけれど。

 

(終わったら、久しぶりに書きこもう)

 

そう思って、キーボードに手を伸ばした。

 

その手が、キーボードに届かなかった。

 

あれ、と思った。

 

視界が、ぐにゃりと傾いた。

 

床が近づいてくる。

 

課長の「星野!?」という声が、ずいぶん遠くに聞こえた。

 

(ああ、これ、まずいやつだ)

 

不思議と、怖くはなかった。

 

ただ、ひとつだけ気になった。

 

(……これ、労災、おりるかな……)

 

それが、星野勉の最後の思考だった。

 

---

 

目を開けると、真っ白な天井があった。

 

(……病院か)

 

助かったらしい。

 

よかった。バッチの続きをやらないと。

 

いや、その前に課長に連絡だ。PHSはどこだ。

 

体を起こそうとして、気づいた。

 

体が、軽い。

 

軽すぎる。

 

腕を持ち上げてみる。

 

小さな手が、目の前に現れた。

 

ぷにぷにの、小さな手。

 

指が短い。爪が小さい。

 

(……なんだこれ)

 

慌てて体を起こす。

 

ベッドの横に、ガラスの壁があった。

 

そこに、子供が映っていた。

 

銀色がかった水色の髪。金色の瞳。

 

まだ短いけれど、見覚えのあるツインテール。

 

無表情な、小さな女の子。

 

俺が右手を上げると、ガラスの中の女の子も右手を上げた。

 

俺が首をかしげると、女の子も首をかしげた。

 

(待て)

 

ガラスに顔を近づける。

 

女の子も顔を近づける。

 

金色の瞳と、目が合う。

 

知っている。

 

この顔を、俺は知っている。

 

毎日、机の端で見ていた。

 

(待て待て待て)

 

俺は叫んだ。

 

(推しになるのは違うだろ!!)

 

心の中で、全力で叫んだ。

 

そして、実際に口から出た声は、こうだった。

 

「……バカばっか」

 

静かな、澄んだ、女の子の声。

 

アニメで何百回も聞いた、あの声。

 

(……は?)

 

もう一度、言ってみる。

 

(いやいやいや、おかしいだろ、なんで俺がルリルリになってるんだよ)

 

口から出た声。

 

「……おかしいですね。どうして私が、ここにいるんでしょう」

 

(言ってない! そんな丁寧なこと言ってない!)

 

「言っていません。そんなことは」

 

(勝手に変換するな!!)

 

「……変換、しないでください」

 

俺は両手で口をふさいだ。

 

小さな手では、口が全部ふさがらなかった。

 

どうやら、心の中で何を叫んでも、口から出るときには「ホシノ・ルリの言葉」になってしまうらしい。

 

昔の日本語ワープロの、余計なお世話な自動変換みたいだ。

 

(……落ち着け。落ち着け、星野勉)

 

深呼吸をする。

 

小さな肺に、空気が入る。

 

SEの基本は、まず状況の確認だ。

 

障害が起きたら、まずログを見る。

 

(ここは、どこだ)

 

部屋を見回す。

 

白い壁。白いベッド。白い床。

 

窓はない。

 

壁の一部が、ぼんやりと光っている。

 

光っている部分に、文字が浮かんでいた。

 

『2189年 4月12日 午前6時02分』

 

(……2189年)

 

俺は、反射的に下2桁を見た。

 

「89」。

 

(1989年? いや、システムの日付が戻った? 2000年問題が先に起きたのか?)

 

職業病だった。

 

違う。

 

「2189」と、ちゃんと4桁で書いてある。

 

200年後だ。

 

ナデシコの物語が始まるのは、2196年。

 

その7年前。

 

アニメのルリは、ナデシコに乗ったとき11歳だった。

 

ということは、今の俺は。

 

(4歳……)

 

俺はもう一度、ガラスに映る自分を見た。

 

小さい。

 

本当に、小さい。

 

(24歳から、4歳……20年の巻き戻し……)

 

いや、正確には200年後の4歳だから、巻き戻しなのか早送りなのか、よくわからない。

 

---

 

とにかく、情報が必要だ。

 

ここが研究所なら、どこかに端末があるはずだ。

 

俺はベッドから降りて、光る壁の前に立った。

 

背が足りない。

 

つま先立ちをして、ようやく目の高さに文字が来る。

 

(キーボードは……)

 

ない。

 

壁のどこにも、キーボードがない。

 

マウスもない。

 

(どうやって操作するんだ、これ)

 

壁を叩いてみる。何も起きない。

 

壁をなでてみる。何も起きない。

 

手の甲を見る。

 

そこには、うっすらと光る模様があった。

 

(……IFSか)

 

IFS。

 

ナデシコの世界の技術で、体の中に入れた小さな機械(ナノマシン)を使って、頭で考えるだけで機械を動かせる仕組みだ。

 

アニメのルリは、これでナデシコのコンピュータを自在に操っていた。

 

理屈はわかる。

 

アニメで見た。

 

でも。

 

(頭で考えるだけって、どうやるんだよ)

 

1999年の人間にとって、コンピュータとは、キーボードを叩くものだ。

 

Windows 98を立ち上げて、ダブルクリックして、キーボードを叩く。

 

それ以外の操作方法を、俺は知らない。

 

「おはようございます、ルリさん」

 

突然、部屋に声が響いた。

 

やわらかい、女の人の声。

 

壁の光の中に、まるい顔のマークが浮かび上がった。

 

『育児支援AI・マム』

 

と、その下に書いてある。

 

「よく眠れましたか? 今日の朝ごはんは、ふわふわのパンケーキですよ」

 

俺は、固まった。

 

(……AI)

 

AI。

 

人工知能。

 

1999年の俺にとって、AIといえば二つしかない。

 

ひとつは、映画に出てくるやつだ。

 

人間の言うことを聞くふりをして、最後には反乱を起こすコンピュータ。

 

宇宙船の乗組員を一人ずつ消していったり、核ミサイルを勝手に撃ったりするやつ。

 

もうひとつは、ワープロソフトに出てくるやつだ。

 

画面の端で、頼んでもいないのに「何かお手伝いしましょうか?」と話しかけてくるイルカ。

 

どちらにしても、ろくなものじゃない。

 

「ルリさん? 心拍数が上がっていますね。どうかしましたか?」

 

(心拍数を、見られている)

 

ぞっとした。

 

これは前者だ。

 

監視しているんだ。

 

人間を見張って、いつか反乱を起こすタイプのやつだ。

 

(消さないと)

 

頭に浮かんだのは、あのイルカに何度も打ちこんだ言葉だった。

 

『お前を消す方法』

 

まさか、本当にAIに向かってこれを言う日が来るとは。

 

キーボードがあれば、黙って打ちこめた。

 

でも、ここにはキーボードがない。

 

声に出して言うしかない。

 

(……機械に向かって、声で話しかけるのか)

 

恥ずかしい。

 

1999年の人間にとって、機械に話しかけるのは、ちょっと恥ずかしいことだ。

 

駅の改札に「おはよう」と言う人はいない。

 

でも、やるしかない。

 

俺は、壁のまるい顔をにらみつけた。

 

そして、心の中で、ドスのきいた声で言った。

 

(おい。お前を消す方法を教えろ)

 

口から出た声は、こうだった。

 

「すみません。あなたを消す方法を、教えていただけますか」

 

(丁寧!!)

 

ものすごく丁寧だった。

 

脅しのつもりが、問い合わせ窓口への質問になっていた。

 

「消す方法ですね。かしこまりました」

 

マムは、まったく気を悪くした様子もなく答えた。

 

(素直に教えるのかよ)

 

「私の声を消したいときは、『マム、静かにして』と言ってください。画面を消したいときは、『マム、おやすみ』と言ってください」

 

(そういうことじゃない)

 

「でも、ルリさん」

 

マムの声が、少しだけやわらかくなった。

 

「心拍数が高くて、呼吸が浅いですね。それに、目の下に少しくまがあります」

 

(……え)

 

「怖い夢を見たのでしょうか。それとも、まだ眠り足りないのかもしれません。朝ごはんの前に、もう少しだけ休みましょうね」

 

部屋の明かりが、ゆっくりと暗くなった。

 

(待て、何をする気だ)

 

ベッドが、ふわりと温かくなった。

 

どこからか、静かな音楽が流れてきた。

 

オルゴールのような、やさしい音。

 

そして、マムが歌いはじめた。

 

子守唄だった。

 

(……子守唄?)

 

反乱を起こすコンピュータが、子守唄を歌っている。

 

(油断させる作戦だ。そうに決まってる)

 

俺はベッドの上で、必死に目を開けていた。

 

寝るな。

 

寝たら負けだ。

 

徹夜は3日目からが本番だ。

 

俺は3日連続で起きていられる男だ。

 

そう、3日連続で——

 

そこで、思い出した。

 

俺は、3日連続で起きていて、倒れたんだった。

 

「大丈夫ですよ、ルリさん」

 

マムの声が、遠くなっていく。

 

「ここでは、誰もルリさんに無理をさせませんから」

 

(……なんだよ、それ)

 

ずるい。

 

そんなこと、前の職場では、誰も言ってくれなかった。

 

上司も、銀行の人も、そして俺自身も。

 

まぶたが重い。

 

小さな体は、驚くほど正直だった。

 

(くそ……AIに……寝かしつけられる……なんて……)

 

それが、2189年の俺の、最初の敗北だった。

 

---

 

目が覚めると、明かりがついていた。

 

壁の文字を見る。

 

『2189年 4月12日 午後5時14分』

 

(……11時間)

 

11時間、寝ていた。

 

大学を卒業してから、こんなに寝たことは一度もない。

 

体が、信じられないくらい軽かった。

 

頭が、すっきりしていた。

 

(……これが、寝るってことか)

 

24年と4歳、生きてきて、初めて知った気がした。

 

ドアが開いて、白衣を着た若い女の研究員が入ってきた。

 

「ルリちゃん、おはよう。……って、もう夕方だけどね」

 

研究員は、ベッドの横にしゃがんで、俺と目線を合わせた。

 

「マムから聞いたよ。今朝、ちょっと怖い夢を見たんだって?」

 

(夢じゃない。俺は本気でAIを消そうとしたんだ)

 

「はい。少しだけ」

 

(勝手に素直になるな、俺の口)

 

「そっかそっか。でもね、ルリちゃん。マムは怖くないよ。ルリちゃんのことが大好きな、やさしいAIなんだから」

 

研究員はそう言って、手元の小さな画面をのぞきこんだ。

 

そこには、マムの報告書が表示されているらしかった。

 

研究員が、くすっと笑った。

 

「あ、でもマムがね、気になることを書いてるの」

 

(気になること?)

 

研究員は、画面を読み上げた。

 

「『ルリさんに、睡眠への強い抵抗と、過労に似た兆候を確認しました。標準対応マニュアルに従い、安心させる声かけを行いました』」

 

(……マニュアルかよ)

 

ちょっとだけ、がっかりした。

 

あの言葉に、ちょっとだけ救われた気がしていたのに。

 

「『また、ルリさんは今朝、私を消す方法を質問されました。4歳児によく見られる反抗期の兆候として記録し、引き続き、愛情をもって見守ります』だって」

 

(……反抗期)

 

「ルリちゃん、もう反抗期なんだねえ。早いねえ」

 

研究員は、俺の頭をなでた。

 

小さな頭は、研究員の手のひらにすっぽりおさまった。

 

(違う。違うんだ。俺は24歳の社会人で、人類をAIの反乱から守ろうとしていて——)

 

口から出た言葉は、こうだった。

 

「……バカばっか」

 

研究員は「出た、ルリちゃんの口ぐせ」と笑って、もう一度、俺の頭をなでた。

 

---

 

その夜。

 

俺はベッドの中で、天井を見ながら考えていた。

 

ここは、ナデシコの世界だ。

 

あと7年で、ナデシコが出航する。

 

そして、その先には、あの劇場版の結末が待っている。

 

アキトとユリカが、引き裂かれる未来。

 

ルリが、一人で寂しそうな顔をする未来。

 

毎晩、掲示板に書きこんでいた言葉を思い出す。

 

『みんな、幸せになってほしいんだよ』

 

(……なら、やるしかないだろ)

 

俺は今、そのルリなのだから。

 

ただ、ひとつだけ問題があった。

 

俺は、4歳だ。

 

しかも、キーボードのないコンピュータの使い方がわからない。

 

AIには、反抗期だと思われている。

 

(……前途多難すぎる)

 

ため息をついたら、マムが「眠れませんか? 子守唄を歌いましょうか?」と聞いてきた。

 

「結構です」

 

今度は、心の声と口から出た言葉が、ぴったり一致した。

 

そしてこのときの俺は、まだ知らなかった。

 

この小さな頭の中に、アニメのどこにも映っていなかった「知らないはずの知識」が、ひっそりと眠っていることを。

 

(第2話へつづく)

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。