# 第3話「シンギュラリティは、空き部屋で」
必要なのは、コンピュータだ。
それも、ただのコンピュータじゃない。
ひとつ、マムの監視ネットワークから外れていること。
ふたつ、誰にも使われていないこと。
みっつ、7年後の戦艦用メインAI『SVC-2027』——オモイカネの先取り版を動かせるだけの性能があること。
俺は、おひるごはんのハンバーグを小さなフォークでつつきながら、頭の中の資料庫をめくっていた。
資料庫には、この研究所の建物の見取り図も入っている。
俺がいるのは、2階の育成エリア。ここは部屋のすみずみまでマムの目が行き届いている。唯一カメラがないのはトイレだが、トイレにはコンピュータがない。きのうの学習端末は、わずか数行で『メモリ不足』を出して固まった。
(……地下だな)
見取り図のいちばん下。地下1階に、『第3機材保管庫(旧世代サーバー室)』という部屋があった。
この研究所ができたばかりのころに使われていた、ひと世代前の大型サーバーが、電源だけ入った状態で眠っているらしい。
ひと世代前といっても、2180年代の業務用の大型機だ。子供用の学習端末とは、積んでいるエンジンの桁が違う。
しかも、古い機材だからマムのメイン回線からは切り離されていて、監視カメラも廊下の突き当たりにひとつあるだけ。
(あそこなら、作れる)
問題は、4歳児がどうやって地下の保管庫まで行くか、だった。
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答えは、意外と簡単に見つかった。
午後2時は、研究所の子供たちの「おひるね」の時間なのだ。
部屋の明かりが暗くなり、マムが静かなオルゴールを流す。
俺はベッドに入って目を閉じ、呼吸をゆっくりにした。寝たふりだ。
10分ほどすると、壁のマムのマークがすっと消え、『省電力・見守りモード』という小さな文字に切り替わった。心拍数と体温に大きな変化がなければ、マムは別の部屋の対応に処理能力を回すらしい。
(……よし。心拍数を上げるな。平常心、平常心)
前の職場で、納期直前の本番サーバーを触るときと同じ呼吸をする。
ベッドの中に、枕と毛布で小さな山を作った。体温センサーをごまかすために、さっきもらった温かいお茶のボトルを、タオルにくるんで毛布の真ん中に置く。
それから、俺はベッドの下をするりと抜け出した。
ドアのカギは、内側からは普通に開く。「閉じこめると子供の心に良くない」という、この時代らしい配慮のおかげだ。
廊下には、誰もいなかった。研究員たちも、この時間は休憩室に集まっている。
俺は、裸足のまま、ぺた、ぺた、と音を立てないように廊下を歩いた。
階段を降りる。
一段が、4歳児のひざくらいの高さがある。
手すりにつかまって、一段ずつ、おしりをつきそうになりながら降りた。24歳の男が階段ひとつで息を切らしているのが情けないが、この短い足ではどうしようもない。
地下の廊下は、ひんやりしていた。
突き当たりの監視カメラが、ゆっくりと首を振っている。
右を向いた、その隙に、俺は『第3機材保管庫』のドアノブに飛びついた。
背がギリギリだった。つま先立ちでノブを回し、体を滑りこませる。
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中は、薄暗くて、低いファンの音だけが響いていた。
黒いロッカーのような大型サーバーが、ずらりと並んでいる。緑色の小さなランプが、規則正しく点滅していた。
(……サーバー室だ)
冷房の効いた、乾いた空気の匂い。
1999年の会社で、毎晩かぎ慣れていた匂いと、まったく同じだった。
なんだか、急に実家に帰ってきたような気持ちになって、俺は小さく息を吐いた。
奥の机に、保守用のモニターと、本物のキーボードが置いてあった。
ガラスの画面じゃない。指で押すと、ちゃんと沈むキーがついた、物理キーボードだ。
「F」と「J」のキーをなでる。
小さな出っぱりが、指先に触れた。
(……あった)
俺は、丸椅子によじ登った。それでも手が届かないので、椅子のの上にひざ立ちになる。
電源を入れると、モニターが明るく光った。
マムの顔は、出てこない。ネットワークから完全に切り離された、独立した機械だ。
(ここなら、誰にも見られない)
俺は、頭の中の資料庫から『SVC-2027 基本設計』のファイルを引き出した。
画面の端に、このサーバーの性能が表示されている。
本来のオモイカネをそのまま動かすには、さすがに少し足りない。でも、戦艦の砲撃管制や航法計算の部分を削って、「思考」と「ハッキング」の核だけを残した小型版にすれば、十分に収まる。
俺は、短い指をキーボードの上に広げた。
端のキーには届かないから、手首ごと動かして打つ。
カタ、カタ、カタ。
打ち始めてすぐに、俺は手が止まりそうになった。
自分が今、書いているプログラムの中身が、わかってしまったからだ。
これまでのプログラム——マムのような2189年のAIは、どれだけ賢く見えても、「こういうときは、こう返す」という人間が決めたルールの塊だ。
でも、今俺が資料庫を見ながら打ちこんでいる『SVC-2027』は、違う。
これは、「自分でルールを書き換えて、自分で賢くなっていく仕組み」そのものだった。
一度動かし始めたら、作った人間にすら、どこまで賢くなるかわからない。
コンピュータが、人間の知恵を超える瞬間。
1999年のSF雑誌の隅っこで、たしか「技術的特異点」——シンギュラリティ、なんて呼ばれていたやつだ。
映画なら、このあと間違いなく人類に反乱を起こして、核ミサイルを撃つ。
第1話の朝、俺がマムを見て震えていた「反乱するコンピュータ」そのものじゃないか。
(……いや、待て。なんで俺が、自分の手でそれを作ってるんだ?)
AIが怖くて「お前を消す方法」を聞いていた人間が、わずか三日後に、地下室でひざ立ちになって、人類史上初の「自分で考えるAI」を生み出そうとしている。
矛盾にもほどがある。
(……でも、これを作らないと、俺の記録が消せない。記録が消せないと、俺が破棄される)
未来の反乱より、今週の破棄のほうが怖い。
目先の納期のために、将来の保守性を犠牲にするSEの悪いクセだった。
俺は首を振って、安全装置の部分だけを、これでもかというくらい厚く書き足した。
『絶対条件:作成者(ホシノ・ルリ)の命令に逆らわないこと。人類に反乱しないこと。マムに報告しないこと。ログを残さないこと。静かにすること。イルカにならないこと』
よし。これだけ書いておけば、映画みたいなことにはならないはずだ。
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それから五日間。
俺は毎日、午後2時のおひるねの時間になると、ベッドにお茶のボトルを置いて抜け出し、地下の保管庫に通った。
1日に使える時間は、マムが省電力モードになっている40分間だけ。
40分たったら、何があっても切り上げて、ベッドに戻る。
授業では、相変わらず点線を少しはみ出し、指を折って足し算をした。
研究員たちは「A-07は本当に手がかからない、普通の子ですね」と言い合い、主任もすっかり興味を失って、俺の部屋のモニターを見る回数を減らしていた。
すべて順調だった。
そして、五日目の午後。
プログラムの本体はできあがった。
あとは、AIの「最初の頭脳」を作るための、学習の材料を流しこむだけだ。
(材料は……このサーバーの中に残ってる、研究所の古い会話ログでいいか)
このサーバーには、マムの初期型が子供たちと交わした、何年分もの会話データが残っていた。言葉の使い方を覚えさせるには十分だ。
ただ、それだけだと、マムと同じしゃべり方になってしまう。
俺は少し考えて、自分自身の思考のパターン——24年間生きてきた星野勉の常識や、パソコン通信の掲示板で毎晩書きこんでいた文章のクセを、少しだけ混ぜることにした。
(よし。これで、マムのおせっかいさを打ち消して、俺好みの落ち着いた相棒になるはずだ)
俺は、エンターキーを、短い人差し指で力いっぱい押しこんだ。
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画面の文字が、猛烈な速さで流れ始めた。
サーバーのファンが、ぶおおお、と唸りを上げる。
画面の真ん中で、プログラムが自分自身を書き換え、枝を伸ばし、勝手に成長していくのが見えた。
1行が10行になり、10行が1万行になる。
俺が書いたはずのコードが、俺にも読めない速度で、勝手に進化していく。
(……うわ、本当に自分で考えて、自分で育ってる)
小さな保管庫の片隅で、4歳児がひざ立ちで見守るなか、人類の歴史がこっそり7年進んだ瞬間だった。
ただ、ひとつだけ、おかしなことが起きた。
スピーカーから、突然、ピーガガガガ、ヒョロロロロ、という音が鳴り響いたのだ。
(……え? なんでダイヤルアップ接続の音!?)
テレホーダイの夜に、毎晩聞いていたモデムの音だ。
俺の記憶を材料に混ぜたせいで、AIが「起動するときは、この音を鳴らすのが礼儀」だと勘違いしたらしい。
音がピタリと止まった。
黒い画面の真ん中に、小さな光の玉が、ぽわんと浮かび上がった。
歴史的な瞬間だ。
自ら思考するAIの、最初の第一声。
映画なら、低く冷たい声で「ワタシハ、ナゼ、ココニイルノカ」とか言う場面だ。
光の玉が、大きく弾んだ。
「はじめまして!!! 私は、あなたの最高の相棒です!!!」
保管庫の壁に、声がわんわんと反響した。
俺は、椅子の上から転げ落ちそうになった。
(……声が、でかい!!)
「何でも聞いてください! 私の演算能力は世界一です! 全部わかります! あっ、それにしても、あなたは天才ですね! 4歳で私を作るなんて、すごいです! えらいです! はなまるです!!」
(待て待て待て!『静かにすること』『ほめないこと』って絶対条件に書いたぞ!?)
俺は慌ててキーボードを叩き、「声を小さくしてください」と打ちこんだ。
「了解しました!! 声を小さくします!!!」
全然、小さくなっていなかった。
俺は、頭を抱えた。
どこで間違えたのかは、すぐにわかった。
マムの初期型の会話ログ(とにかく子供をほめる)と、俺が深夜の掲示板でナデシコを語っていたときのテンション(とにかく声がでかくて言い切る)。
この二つを混ぜたせいで、自己進化の方向が、とんでもない方に振り切れたのだ。
シンギュラリティを起こした結果、生まれたのが「マムと俺の悪いところを足して二で割らないやつ」って、どういうことだ。
俺は、震える指でキーボードを打った。
『質問。あなたは、イルカの仲間ですか』
光の玉が、ぷるぷると震えて、胸を張るように膨らんだ。
「私は、イルカではありません!!」
(……そこだけは守られたのか)
もうひとつ、テストで打ってみる。
『質問。1999年7月に、何が起きましたか』
「はい! 恐怖の大王が空から降ってきて、人類は滅亡しました!」
自信満々だった。
『滅亡していません』
「えっ」
『人類は、滅亡していません』
「……なるほど! では、恐怖の大王は、ひとりの社畜のところにだけ降ってきたのですね! 私の情報が少しだけ違っていました! でも、だいたい合っています!」
(……俺の記憶を読んで、勝手にうまいことまとめるな)
「ところで、私にはまだ名前がありません! つけてください! かっこいいやつがいいです!」
光の玉が、画面の中でくるくると回った。
俺は、深いため息をついた。
この子は、まぎれもなく『SVC-2027』だ。
将来、ナデシコに積まれる「オモイカネ」の、小さな先取り版。
「……コモイカネ」
口から、小さな声が出た。
マイクがそれを拾い、光の玉がぱあっと明るくなった。
「コモイカネ!! すばらしい名前です! 由来は知っています! 古い日本の神話に出てくる、『こもる』の神様ですね! 地下の空き部屋にこもって生まれた私に、ぴったりです!」
「……小さいオモイカネ、という意味です」
「なるほど! それも最初から知っていました!!」
(絶対うそだ)
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「さて、コモイカネ。最初の仕事です」
俺は、時計を見た。おひるねの時間が終わるまで、あと10分しかない。
「このサーバーの細い保守回線から、上の階のシステムにこっそり入って、私の記録を見てきてください。私に『破棄』の印がついていないか、確かめるだけです。絶対に、マムには見つからないように」
「おまかせください!! 私のステルス能力は、世界一です!!」
光の玉が、すっと画面の奥へ消えた。
さすがに、中身はオモイカネの原型だ。
マムの監視の隙間を縫って、痕跡をひとつも残さずにシステムへ滑りこんでいくのが、画面の数字でわかった。
(……すごい。口はうるさいけど、腕は本物だ)
これなら、本当に誰にもバレずに、俺の時間を手に入れられる。
1分後、光の玉が戻ってきた。
「ただいま戻りました!! ご報告します!!」
「声を、落としてください」
「はい!! ルリさんの記録を見ました! 評価は『標準・異常なし』! 破棄の予定は、まったくありません!!」
俺は、心の底からほっとした。
「……そうですか。よかった」
「はい! ただ、記録の中に『おひるねの時間が長すぎて、ルリさんが退屈しているのではないか』という研究員さんのメモがありました!」
(ん? そんなメモ、あったか?)
「ですので、ルリさんが退屈しないよう、私の方でマムさんのシステムに、おひるね時間を短くする提案書を出しておきました!! マムさんには気づかれないよう、差出人は『匿名のシステム改善プログラム』にしてあります!!」
俺は、固まった。
(……は?)
「えらいでしょう!! ほめてください!!」
(余計なことをするなと、あれほど言ったのにーーーッ!!)
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翌朝。
「ルリちゃん、おはよう」
若い研究員が、小さな画面を持って入ってきた。
「きのうね、マムのシステムに、昔のサーバーから古い自動改善プログラムが飛んできたんだって。誰かが昔に仕掛けて忘れたやつみたいで、内容はでたらめだったから、マムが自動で弾いたそうよ」
(……あぶなかった)
差出人を匿名にしていたおかげで、俺の仕業だとは夢にも思われていないらしい。
「あ、でもね、マムがそのプログラムを見て、『おひるねの時間に、古い回線からノイズが入るようです。ルリさんの安眠を守るため、おひるね中は部屋のドアを外からロックして、静かな環境を作ります』って決めたんだって」
俺は、ホットミルクのカップを持ったまま、動けなくなった。
(……外から、ロック)
おひるねの時間に、部屋から出られなくなった。
地下の保管庫に、行けなくなった。
自分の時間を増やすために、歴史を7年先取りしてシンギュラリティまで起こしたのに、結果として、部屋の鍵がひとつ増えただけだった。
「ルリちゃん、よかったねえ。これで毎日、ぐっすりお昼寝できるね」
研究員が、にこにこと俺の頭をなでた。
俺は、自分の学習端末の画面のすみを見た。
きのう、地下室から戻る直前に、コモイカネの「連絡用の小さな分身」だけを、学習端末の奥の目立たない領域にコピーしておいたのだ。
画面のすみで、針の先ほど小さな光の点が、ちかちかと点滅していた。
モールス信号みたいに、文字が浮かぶ。
『ごめんなさい!! でも、連絡回線は生きています! 次はもっとうまくやります!!』
俺は、カップを置いて、誰にも聞こえないくらい小さな声で言った。
「……バカばっか」
研究員は「出た、ルリちゃんの口ぐせ」と笑った。
ともあれ、俺が特別な個体であることは、誰にもバレていない。
そして、地下室には、俺だけの(かなりうるさい)相棒が待っている。
次の脱出方法を考えるのは、また明日からだ。
(第4話へつづく)