# 第4話「ツインテールは、維持が大変」
おひるねの時間に、外からドアの鍵をかけられるようになって、三日がたった。
地下の保管庫には行けない。
でも、学習端末のすみに仕込んだ「連絡用の回線」は生きていた。
マムの監視の隙間を縫って、地下室のコモイカネから、1秒に数文字ずつ、モールス信号みたいに報告が送られてくる。
俺はそれを、授業の合間に、何食わぬ顔で読んでいた。
ただ、問題がひとつあった。
最近の俺をいちばん苦しめているのは、マムの監視でも、破棄の恐怖でもない。
もっと根本的なことだった。
「ルリちゃん、じっとしててねー。今日はお写真を撮る日だから、きれいに結ぼうね」
朝。若い女性研究員が、俺のうしろに立って、くしで髪をとかしている。
俺の髪。
銀色がかった水色の、長い髪だ。
(……引っ張るな。頭皮が、頭皮が持っていかれる)
アニメで見る分には、ホシノ・ルリのツインテールは最高にかわいかった。
机の端にシールを貼って、毎晩ながめては癒やされていた。
でも、自分が「結ばれる側」になって初めてわかった。
これ、維持するのが、とんでもなく大変なのだ。
前世の俺は、床屋で「いつものスポーツ刈りで」としか言ったことがない24歳の男だった。
朝起きたら、水で濡らして、手でぐしゃっとやって終わり。所要時間15秒。
それが今では、毎朝10分間、研究員のお姉さんに髪をとかされ、左右の高さをミリ単位でそろえられ、黄色い丸い髪飾りでぎゅっと縛られる。
縛られたあとは、頭の両側に、ずしりとした重みがぶら下がる。
首を振るたびに、ふたつのおさげが、びしっ、びしっ、と自分のほっぺたを叩くのだ。
「はい、できた! 鏡、見てごらん」
ガラスの壁に、左右対称の完璧なツインテールになった4歳児が映っていた。
(……推しだ)
間違いなく、俺の推しだ。
ただ、その推しの顔の下で、俺の首の筋肉がぷるぷると震えていた。4歳児の細い首に、この髪の量は重すぎる。肩こりの原因が、まさか「ツインテール」になる日が来るとは思わなかった。
しかし、本当の試練は、そのあとだった。
「今日はね、スポンサーの偉い人たちに送る成長記録のお写真を撮るの。だから、パジャマじゃなくて、お出かけ用のお洋服を着ようね」
研究員が、白い箱から、何かを取り出した。
ひらひらしていた。
白いレースが、何段も重なっていた。
どう見ても、スカートだった。
俺は、あとずさりした。
(待て)
これまでの数日間、俺が着ていたのは、研究所の備品の白いパジャマだった。上がシャツで、下がズボン。だから、まだ我慢できていた。
だが、目の前にあるのは、まぎれもない女児用のワンピースだ。
(いや、無理だろ。24歳の男に、レースのスカートは無理だろ)
「ルリちゃん? どうしたの、かわいいお洋服だよ」
俺は、必死に首を振った。
心の中で「ズボンをくれ! ジャージでいい!」と叫ぶ。
口から出たのは、こうだった。
「……動きにくいです。機能的では、ありません」
「もう、ルリちゃんは4歳なのに、むずかしい言葉を使うんだから。大丈夫、お写真だけだからね。はい、ばんざーいして」
「……ばんざい、は、しません」
「はいはい、ばんざーい」
4歳児の筋力など、大人の女性の前では無力だった。
あっという間に両手を上げさせられ、スポッと上からワンピースをかぶせられた。
すうっ、と、足元に風が通った。
(……スースーする!!)
足元に、布がない。
守られていない。
なんだこの、落ち着かない衣装は。世界中の女性は、こんな防御力ゼロの服を着て毎日歩いていたのか。尊敬する。でも俺には無理だ。
俺は、スカートのすそを両手でぎゅっと押さえたまま、ベッドの隅で小さく丸まった。
ちょっと動いたら、何かが見えそうで、一歩も動けない。
「あらあら、恥ずかしいの? 女の子ねえ」
(違う!! 中身がおっさんだから、どうしていいかわからないんだ!!)
しかも、そのあと連れていかれたトイレで、俺はさらなる絶望を味わうことになる。
個室に入って、俺は、立ち尽くした。
(……そういえば、この格好で、どうやってするんだ)
ここ数日は、ズボンをおろして、見ないふりをして座っていた。見たら、人間としての何かが壊れる気がして、天井の一点だけを見つめて、無の境地でやりすごしていたのだ。
なのに、今日はスカートだ。
下ろすのか? めくるのか? どっちが正解なんだ?
1999年の独身SEに、女児のスカートの取り扱い説明書など入っていない。頭の中の『未来のルリの資料庫』にも、なぜか最先端のAI設計図は入っているくせに、こういう日常のやり方は検索に出てこなかった。当たり前だ、本来のルリにとっては空気を吸うくらい当たり前のことだから、仕様書になっていないのだ。
結局、俺は個室の中で5分間悪戦苦闘し、なんとか用を足して出てきたときには、徹夜明けくらいぐったりしていた。
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「じゃあ、ルリちゃん、そこに立ってー。カメラ見るよー」
部屋の真ん中に立たされる。
研究員が、小さなカメラを構えた。
「はい、にっこり笑ってー。ピースできるかな?」
(笑えるか。こっちは今、人生最大の尊厳の危機なんだぞ)
俺が仏頂面で突っ立っていると、研究員が困ったように首をかしげた。
「うーん、ルリちゃん、いつも無表情だからなあ。ほら、ちょっとだけでいいから、手をあげて、ブイってしてみて? お写真、すぐ終わるから。終わったら、パジャマに着替えていいよ」
(……パジャマに着替えていい?)
ズボンに戻れる。
その一言で、俺の心は決まった。
尊厳より、ズボンだ。
前の職場でも、理不尽な客に頭を下げて、1秒でも早く帰ることを選んだじゃないか。社会人の処世術を、今こそ見せる時だ。
俺は、無表情のまま、小さな右手を顔の横に持ち上げた。
短い人差し指と中指を、不器用に開く。
「……ブイ」
静かな、感情のこもっていない声。
パシャ、とシャッターの音がした。
研究員が、胸を押さえて、その場にしゃがみこんだ。
「……っ、かわいすぎる……!! 無表情のブイ、破壊力がすごい……!!」
(早くズボンをくれ)
俺は、右手を二本指にしたまま、無言で研究員を見下ろしていた。
このとき撮られた一枚の秘匿写真が、数年後、本社のサーバーから何かの拍子にネットの海へ流出し、どこの誰かもわからない「謎の妖精」として一人歩きすることになるのだが——もちろん、今の俺は知るよしもなかった。
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やっとの思いで白いパジャマ(ズボンつき)に戻った俺は、ベッドの上で深呼吸をしてから、学習端末を開いた。
お勉強の画面の裏で、地下室のコモイカネから、新しい文字が届いていた。
『ご報告!! 保守回線から親会社(ネルガル本社)のメインサーバーにこっそりお邪魔して、ご依頼のデータを探してきました!!』
俺は、画面のすみの小さな文字を追いかけた。
実はきのう、コモイカネにひとつ頼みごとをしてあったのだ。
今は2189年。来年は2190年。
アニメ『機動戦艦ナデシコ』のファンなら、この前後の年代で、絶対に忘れてはいけない出来事がひとつある。
主人公、テンカワ・アキトの両親だ。
アキトの両親は、火星で研究をしていた科学者だった。そして、アキトが子供のころに、何者かに暗殺されている。
そのせいで、アキトは心に深い傷を負い、ひとりで地球へ逃げることになった。
(もし、まだ間に合うなら、止めたい)
ただ、アニメでは「何年の何月何日に亡くなったか」までは、はっきり出てこなかった。
だから、コモイカネに「ネルガル本社のサーバーにハッキングして、火星にいる『テンカワ』という科学者の現在の状況を調べてくれ」と頼んでおいたのだ。
画面のすみに、コモイカネの文字列が流れてきた。
『本社の人事データと、火星支社の施設スケジュールを照合しました! 火星開発局・第4研究区画、テンカワ博士ご夫妻です!』
(いた。まだ、生きてる!)
『ただ、少し変なデータがあります。今夜、その第4研究区画の警備システムと火災報知器が、「定期点検」という名前で、外から2時間だけ止められる予定になっています! でも、点検の業者さんの登録がありません!』
俺の指が、ぴたりと止まった。
(……今夜?)
点検業者の登録がないのに、警備と火災報知器が外から止められる。
事故に見せかけた、暗殺だ。
それも、今夜。
(待て、なんでそんなに早い!? いや、アニメでも年代ははっきりしてなかったけど、今日なのかよ!!)
心拍数が跳ね上がりそうになるのを、俺は必死で押さえこんだ。
ここで心拍数を上げたら、マムが「どうしましたか?」と飛んでくる。
ゆっくり息を吸う。ゆっくり吐く。
前の職場で、本番サーバーが落ちた連絡を受けたときと同じだ。慌てたら、手が止まる。まず、できることを整理しろ。
誰かに知らせるか?
無理だ。俺は、地球の研究所にいる4歳児だ。
「今夜、火星のテンカワ夫妻が危ないんです」なんて言ったら、どうやって知ったのかと問い詰められて、俺自身が解剖される。それに、4歳児のたわごとを信じて、火星の警備を動かす大人などいない。
(なら、俺とコモイカネで、直接止めるしかない)
端末のすみを、一本指でトントンと叩いて、短い命令を送る。
『コモイカネ。火星のその区画に、ここから回線はつながるか』
『地球と火星ですから、通信に少し時間はかかりますが、ネルガルの社内専用回線を使えば、つながります!! 私の腕なら、誰にも見つかりません!』
『じゃあ、今夜、警備システムが止められた瞬間に、外から割りこんで、警備システムを最高レベルで再起動しろ。ついでに、区画中の警報とスプリンクラーを全部鳴らせ。研究所の近くの警察と消防にも、自動で通報が行くようにしろ』
犯人を捕まえる必要はない。
暗殺は、こっそりやるから成り立つ。
警報が鳴り響き、水が噴き出し、警察と消防が駆けつければ、犯人は何もできずに逃げるしかない。
『了解しました!! ちなみに、通報の差出人は何にしておきましょうか!? 「正義の味方・コモイカネ」でよろしいですか!?』
『やめろ!! ただのシステム誤作動に見せかけろ!! 絶対に、地球からの通信だと悟られるな!!』
『むむ、残念です! でも、おまかせください!! 今度こそ、完璧にやります!!』
(……本当に大丈夫だろうな)
一昨日の「おひるねロック事件」が頭をよぎったが、今夜ばかりは、このうるさい相棒に賭けるしかなかった。
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その夜。
俺は午後8時にベッドに入り、寝たふりをしながら、布団の中で学習端末のすみをにらんでいた。
地球と火星の間は、電波でも片道で何分もかかる。
リアルタイムで操作することはできない。
だから、コモイカネが事前に「警備が切られたら自動で動くプログラム」を火星のシステムに仕掛けておき、その結果だけを待っている状態だった。
午後10時。
午後10時半。
画面のすみの小さな光が、ちかちかと点滅した。
『ご報告!! 火星から結果が返ってきました!!』
俺は、布団の中で息をのんだ。
『予定どおり、何者かが警備システムを切りました! その0.5秒後に、私の仕掛けたプログラムが作動!! 区画中の非常ベルが鳴り響き、スプリンクラーが作動し、火星警察のパトロール隊が3分で到着しました!!』
『テンカワ夫妻は!?』
『ご無事です!! 突然スプリンクラーでずぶ濡れになって驚いておられますが、けがひとつありません!! 不審な車両が現場から逃げ出すのが防犯カメラに映っており、火星警察がそのまま周辺の警備を強化しました! もう、簡単には手を出せません!!』
布団の中で、俺は、小さなこぶしをぎゅっと握りしめた。
(……間に合った)
アニメの最初の悲劇が、ひとつ、消えた。
アキトは、両親を失わない。
ひとりで泣きながら地球へ逃げてくることもない。
「……よくやりました、コモイカネ」
布団の中で、誰にも聞こえない声でつぶやいた。
『えっへへ!! ほめられました!! ほめない条件だった気がしますが、ほめられるのは大好きです!! あっ、それと、不審者たちが逃げていくときに使っていた通信の暗号が、すごく古くて穴だらけでしたので、ついでに解読して、火星警察のサーバーに「落し物」として置いておきました!!』
(……まあ、それくらいなら、いいか)
俺は、ようやく力を抜いて、目を閉じた。
今夜は、マムの子守唄がなくても、ぐっすり眠れそうだった。
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翌朝。
俺がいつものようにホットミルクを飲んでいると、研究員のお姉さんが「そういえばね」と笑った。
「きのう撮ったルリちゃんのお写真、本社の監査部門に送ったんだけどね、なんだかすっごく好評だったみたいよ。『A-07は大変よろしい』ってお返事が来たんだって」
(……あの、無表情のブイが?)
未来の大企業の趣味は、よくわからない。
ともあれ、今回も俺の仕業だとは、誰にも気づかれなかった。
本社の保安部も、火星の警察も、「運よくシステム誤作動が重なって暗殺が未遂に終わった」で片づけたそうだ。
さすがはオモイカネの原型。コモイカネが消した痕跡は、プロスペクターだろうが本社の技術者だろうが、誰ひとりたどることはできなかった。
地球の研究所の、手のかからない普通の4歳児。
その立場は、今日も完璧に守られている。
ただ、ホットミルクを飲みながら、俺は考えていた。
(……今回は、たまたまスプリンクラーで追い払えただけだ)
これで終わったわけじゃない。
5年後には、木星蜥蜴が火星に攻めてくる。
そのときには、非常ベルやスプリンクラーくらいでは、どうにもならない。
火星にいる人たちを逃がすには、船がいる。
船を何十隻も動かすには、お金がいる。
それも、4歳児のおこづかいなんかじゃない。大企業や軍を動かせるくらいの、とんでもない額のお金と、立場だ。
(……稼ぐか)
幸い、俺の頭の中には『未来のルリの資料庫』がある。
まだこの時代には存在しない、便利で、安全で、絶対に売れる技術の仕様書が、山ほど眠っている。
もちろん、「4歳のホシノ・ルリ」として発表したら、その瞬間に解剖行きだ。
やるなら、徹底的に正体を隠す。
ネットの向こうにいる「謎の覆面発明家」として、コモイカネを窓口にして、ネルガル本社に特許を売りつけるのだ。
(よし。ハンドルネームは何にしようかな)
1999年のパソコン通信で鍛えた、ネット越しの交渉術。
まさか200年後の未来で、自分の身を隠しながら大企業と取引するために使うことになるとは思わなかった。
俺は空になったカップを置いて、学習端末のすみの小さな光に、新しい命令を打ちこんだ。
(第5話へつづく)