転生したらホシノ・ルリだった   作:uchan

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第5話「ハンドルネームは、慎重に」

# 第5話「ハンドルネームは、慎重に」

 

ネットの世界で生き残るための、最初のルール。

 

それは、絶対に本名を出さないことだ。

 

1999年のパソコン通信でも、インターネットの掲示板でも、自分の名前をそのまま出す人間なんていなかった。みんな「ハンドルネーム」を名乗っていた。

 

『暗黒騎士』とか、『風の旅人』とか、そういうやつだ。

 

もっとも、俺が今つけようとしているのは、掲示板でアニメを語るための名前じゃない。

 

巨大複合企業・ネルガル重工を相手に、未来の技術を売りつけて、何十億というお金をふんだくるための「覆面発明家」としての名前だ。

 

(……威厳があって、年配の大物研究者っぽくて、絶対に4歳の女児だとバレない名前がいい)

 

俺は、おえかきの時間中、画面にクレヨンで黄色いヒヨコを描きながら、端末のすみの極秘チャットでコモイカネと相談していた。

 

『コモイカネ。何かいい名前、ないか』

 

地下室のコモイカネから、即座に返事が飛んでくる。

 

『はい!! 考えました!! 「超天才美少女・ルリルリ」はいかがでしょうか!!』

 

『一文字も隠れてないだろ!! 却下だ!!』

 

『むむ、では「地下室の覇王・コモイカネとゆかいな仲間」は!!』

 

『お前が主役になってるだろ。もっとこう、白髪で、顎ひげをたくわえた、気むずかしい老博士みたいな名前にしろ』

 

『なるほど! 老博士ですね! では、ルリさんの記憶にあった、すごく偉そうな人の名前から取って、「ドクトル・ノストラダムス」はどうでしょう!!』

 

(……うわ、胡散臭い。1999年7月に大外れしたばかりだぞ、その名前)

 

俺は少し考えて、自分の前世の苗字のイニシャルから、適当な一文字を置くことにした。

 

『……「プロフェッサー・H」でいい。シンプルがいちばんだ』

 

『おおー!! 謎の組織のボスみたいで、かっこいいです!! 早速、そのお名前で、ダミーの口座と暗号通信用の窓口を作っておきますね!!』

 

---

 

次に決めるのは、何を売るか、だ。

 

俺の頭の中の『未来のルリの資料庫』には、戦艦の主砲から相転移エンジン、ディストーションフィールドまで、とんでもない技術がごろごろ入っている。

 

でも、それらはすべて「火星の遺跡」から生まれた軍事機密だ。2189年の今はまだ、存在すら公表されていない。

 

いきなりそんなものを出したら、「なぜ外部の人間が火星の極秘データを知っているんだ!?」と軍や情報部が血眼になって発明者を探し始める。見つかれば、今度こそ解剖だ。

 

『コモイカネ。資料庫の中にある、火星の遺跡とは無関係な一般科学技術で、平和で、身近で、しかも絶対に世界中の人間が買うような面白い技術って、何かないか?』

 

俺がチャットで尋ねると、地下室のコモイカネが、猛スピードで資料庫を検索し始めた。

 

『はい!! 3件、ご提案します!!』

 

『まず1件目!「食べたものがなんでも高級焼肉の味に感じるナノマシン調味料」です! これがあれば、毎日おかかのおにぎりでもカルビの味がします!!』

 

『却下だ。俺はおかかのおにぎりが気に入ってるんだ』

 

『では2件目!「絶対に寝坊しない、強制起床まくら」です! 朝になると、まくらが爆発音とともに3メートル飛び上がります!!』

 

『ただの凶器だろ!! 誰が買うんだそんなもの!!』

 

『むむ、では3件目! ルリさんがきのう、「ツインテールが重くて肩がこる」「毎朝10分も髪を結ばれるのが苦痛だ」と嘆いておられたデータから、ぴったりなものを組み合わせました!!』

 

画面に、ひとつの設計図が浮かび上がった。

 

『名付けて、「3秒で完璧な髪型になり、しかも髪の重さがゼロになるナノマシン・ヘアゴム」です!!』

 

俺は、画面を二度見した。

 

(……なんだそれ)

 

『未来の医療用ナノマシン技術と、微小な静電反発フィールドを組み合わせたものです! この髪飾りを頭につけてボタンを押すだけで、ナノマシンが髪の毛一本一本を自動で整えて、登録したどんな髪型でも3秒で作ってくれます! 巻き髪でも、編みこみでも、お団子でも、もちろんルリさんの左右対称の完璧なツインテールでも一瞬です!! さらに、静電反発の力で髪の毛をふんわり浮かせるので、体感重量はゼロ! 首を振っても、おさげがほっぺたに当たってビシビシ痛くなることもありませんし、風で髪型が崩れることもありません!!』

 

俺は、ごくりと唾をのんだ。

 

3秒で髪が結べる。

 

しかも、重さがゼロになる。肩がこらない。

 

(……欲しい。誰よりもまず、俺が今すぐ欲しい!!)

 

それだけじゃない。

 

考えてみれば、世界中の女性は、毎朝、髪をとかしたり巻いたり結んだりするのに、何十分も時間をかけているのだ。

 

前世の会社の女子社員たちも、「朝、髪が決まらなくて遅刻しそうになった」といつも言っていた。さらには、薄毛に悩んでいた課長も、ボリュームが出ると聞けば泣いて飛びつくだろう。

 

軍事機密には一切触れない、ただの美容家電だ。

 

でも、市場規模で言ったら、戦艦の主砲なんかよりよっぽどデカいんじゃないか。

 

『……採用だ、コモイカネ! お前、たまには天才的な仕事をするな!!』

 

『えっへへ!! 私はいつでも世界一の相棒です!!』

 

『よし。この「全自動・無重力ヘアゴム」の基本設計図と試作用プログラムを、ネルガル本社の生活産業事業部に匿名で送りつけろ。ただし、設計図の最後の1割だけは伏せておけ。「続きが欲しければ、この暗号回線に連絡せよ」って書いておくんだ』

 

『了解しました!! ちなみに、窓口の部署に「プロスペクター」という面白いお名前の課長さんがいらっしゃいますが、その方の端末に直接送ってしまってもよろしいですか!?』

 

俺は、クレヨンを持った手を止めた。

 

(……プロスペクター)

 

アニメで、ネルガルのスカウトマン兼なんでも屋として動き回っていた、あの眼鏡と口ひげのおじさんだ。

 

お金の匂いに誰よりも敏くて、口がうまくて、でも約束は守る男。

 

『……よし、その人に送れ。あの人なら、美容家電だろうが何だろうが、儲かるとわかれば絶対に食いつく』

 

---

 

翌日の午後。

 

ネルガル重工の本社ビルで、プロスペクターは自分の端末に届いた奇妙なファイルを見て、眼鏡の奥の目を丸くしていた。

 

「……ほう? うちのファイアウォールを、まるで自宅の玄関みたいにすり抜けて届いたメールですねえ。差出人は……『プロフェッサー・H』、ですか」

 

最初はイタズラかと思ったプロスペクターだったが、添付されていた『ナノマシン自動整髪・無重力保持回路』の図面を技術部に回した瞬間、女性の技術主任が悲鳴を上げて立ち上がった。

 

「こ、これは革命よ!! ナノマシンの群制御の式が、信じられないくらい美しいわ!! これがあれば、毎朝のセットが3秒で終わるし、どんなに長い髪でも肩がこらない!! しかもこの微小反発回路、宇宙服の軽量化から介護用の補助具まで、応用範囲が無限大よ!! どこの誰が書いたの!? 今すぐ契約して!!」

 

プロスペクターは、目を血走らせる女性研究員たちをなだめて、ひとりで個室に入った。

 

そして、身だしなみを整え、眼鏡の位置を直し、最も丁寧な営業用の笑顔を作ってから、指定された暗号回線に接続した。

 

画面には、音声も映像もなく、黒い背景に白い文字だけが出るチャット画面が開いた。

 

プロスペクターは、深々と画面に向かって頭を下げた。

 

「はじめまして、プロフェッサー・H様。ネルガル重工のプロスペクターと申します。このたびは、世界中の女性と産業界を救うような素晴らしい知見をお分けいただき、誠にありがとうございます」

 

そのころ。

 

地球の第7研究所の2階、『A-07』の部屋では。

 

俺が、おひるねの時間の布団の中で、ウサギのシールが貼られた学習端末を握りしめていた。

 

マムは省電力モードで眠っている。外からは鍵がかけられているので、誰も入ってこない。ある意味、完全な個室だ。

 

画面のすみに、プロスペクターからの丁寧なあいさつ文が流れてきた。

 

(……おお、本当にあのプロスペクターだ。めちゃくちゃ敬語だぞ)

 

俺は、短い人差し指で、ぽつ、ぽつ、と返事を打った。

 

もちろん、4歳児だとバレないように、最大限、偉そうな老博士っぽい言葉遣いを心がける。

 

もっとも、俺が知っている「偉そうな大人の言葉遣い」といえば、前の職場の常務や、銀行の支店長が言っていた言葉くらいしかない。

 

『うむ。苦しゅうない。図面の価値がわかるとは、なかなかの目利きだな』

 

ちょっと時代劇が混ざった気がしたが、まあいいだろう。

 

本社の個室で、プロスペクターは「うむ。苦しゅうない」という文字列を見て、ごくりと唾をのんだ。

 

(……やはり、ただ者ではありませんねえ。この古風な言い回し、そして最新のAI暗号すら寄せつけない通信技術。おそらく、学会の表舞台から姿を消した、60代か70代の伝説的な老碩学……おそらく奥様かお孫さんの肩こりを思って、余暇にこの回路を組まれたのでしょう)

 

プロスペクターは、ますます姿勢を正してキーボードを叩いた。

 

『恐れ入ります、先生。つきましては、残りの1割の回路図と、本技術の独占特許権を、ぜひ弊社にお譲りいただきたいのです。契約金として、まずは10億ほどご用意いたしましたが、いかがでしょうか』

 

布団の中で、俺は目をむいた。

 

(じゅ、10億!?)

 

ヘアゴムの設計図ひとつで、10億。

 

前世の俺が、2000年問題で3日徹夜して、命を削ってもらっていた年収が、だいたい400万だ。

 

250年分。

 

俺が250年間、毎日徹夜して働くのと同じ金額が、布団の中で人差し指を数回動かしただけで手に入るらしい。

 

手が震えた。

 

「安い! もっと出せ!」と打つべきなのか、「ありがとうございます!」と飛びつくべきなのか、庶民すぎてまったくわからない。

 

俺が指を止めてフリーズしていると、本社のプロスペクターは、画面の向こうの「沈黙」に、勝手に冷や汗をかいていた。

 

(……しまっ、10億ではお気を悪くされましたか!? このレベルの基礎理論、軍事転用すれば数百億の価値があるものを、買い叩こうとしたと思われたに違いない……!)

 

30秒間の沈黙(俺が桁を数えていただけ)のあと、プロスペクターから慌てたように新しいメッセージが飛んできた。

 

『し、失礼いたしました先生!! 冗談でございます! 初期契約金として50億、さらに製品化された際の売上から3パーセントの特許使用料をお支払いいたします!! また、もしよろしければ、その一部を弊社の株式でお受け取りいただければ、非課税枠の優遇も手配できますが……いかがでしょう!?』

 

俺は、布団の中で目を白黒させた。

 

(なんか知らないけど、黙ってたら5倍になったぞ!?)

 

前の職場の課長が言っていた「交渉ごとは、先にしゃべった方が負けだ」というのは、本当だったらしい。

 

俺は、震える人差し指で、なんとか威厳を保ちながら打った。

 

『……うむ。誠意は見えた。それで手を打とう』

 

『ありがとうございます!!』

 

こうして、4歳のホシノ・ルリ(裏の顔:プロフェッサー・H)の隠し口座に、その日の夕方、現金40億と、ネルガル重工の株式10億相当が振りこまれたのだった。

 

---

 

その夜。

 

俺は、布団の中で、自分の口座の画面を見つめていた。

 

『残高:4,000,000,000』

 

ゼロが多すぎて、見ていると目が回ってくる。

 

(……よんじゅうおく)

 

ただ、俺は1999年の人間だ。

 

1997年から1998年にかけて、絶対に潰れないと言われていた大手の証券会社や、北海道の大きな銀行が、次々と音を立てて潰れたのをニュースで見ていた世代だ。

 

証券会社の社長が、記者会見で「社員は悪くありませんから!」と号泣していたのを、今でもはっきり覚えている。

 

だから、俺のお金の常識は、ひとつしかない。

 

(銀行は潰れる。株は紙くずになる。一番信用できるのは、タンス預金だ)

 

俺は、コモイカネに指示を出した。

 

『コモイカネ。この40億、全額、現金で引き出せるか? 地下の空き部屋に、段ボール箱に入れて隠しておきたい』

 

すると、画面のすみのコモイカネが、珍しくまともなツッコミを入れてきた。

 

『ルリさん!! この時代、紙のお金なんて、博物館にしかありませんよ!? 仮に昔の紙幣で40億を用意したら、重さが400キロになります! 地下室の床が抜けますし、運ぶだけで100回くらいマムさんに見つかります!!』

 

(……そりゃそうか。キャッシュレスの時代だった)

 

『じゃあ、どうすればいいんだ。このままだと、銀行が潰れたら全部消えるぞ』

 

『いいえ! 今のお金は、銀行にそのまま置いておくほうが「非効率です」とAIに怒られる時代なのです! インフレでお金の価値が目減りしてしまいますから!』

 

(インフレ? 1999年はデフレの入り口で、牛丼がどんどん安くなってた時代だぞ……)

 

俺は頭をひねった。

 

現金で持てないなら、増やすしかない。

 

幸い、俺にはアニメの知識がある。

 

(そうだ。さっき契約金の一部でもらった『ネルガル重工の株』。あれは、これからナデシコを作ったり、火星の技術で儲けたりして、株価が何倍にも跳ね上がるはずだ。よし、残りの40億も、全部ネルガルの株に突っ込もう!)

 

俺がいちばん確実な「未来予知の一攫千金」を思いついて、コモイカネに『よし、40億全部でネルガル重工の株を買え!』と命令した、その瞬間だった。

 

画面のすみの光の玉が、真っ赤になってぶんぶんと横に揺れた。

 

『ダメですルリさん!! 注文を緊急ストップしました!! それをやったら、ルリさんがお縄になってしまいます!!』

 

『お縄って、いつの時代の言葉だ。なんでダメなんだよ、自分の金で株を買うだけだろ!?』

 

『いいえ、ただの株買いではありません! いまルリさんが売ったばかりの「全自動ヘアゴム」の特許は、来週、ネルガルから新製品として正式に発表されます! 発表されれば、ネルガルの株価は確実に跳ね上がります!』

 

『だから、今のうちに買うんじゃないか』

 

『それが犯罪なのです!! 株価が上がる未公開情報を持っている当事者が、発表前に株を買い占めるのは「インサイダー取引」といって、地球連合の金融監視AIに0.1秒で検知されて、口座凍結からの逮捕コースです!! プロフェッサー・Hの正体も一発でバレてしまいます!!』

 

俺は、布団の中で冷や汗をどっとかいた。

 

(い、インサイダー取引……!!)

 

アニメの知識で「将来ネルガルが伸びる」と知っていたせいで、自分が「まさに来週、株価を上げる特許を売った張本人」だということを、すっかり忘れていた。

 

危なかった。破棄を免れたと思ったら、4歳児が経済犯罪で逮捕されるところだった。

 

『……あ、危なかった。よく止めた、コモイカネ』

 

『えっへへ!! 私は世界一の相棒ですから!! ですがルリさん、40億をそのままにしておくのももったいないです! 私の方で、この時代のいちばん安全で、いちばん確実なお金の増やし方を検索しておきました!!』

 

『おお、頼む! 未来のスーパーAIが、0.001秒単位で株を売り買いしてボロ儲けする裏技とかあるのか!?』

 

俺が目を輝かせると、コモイカネは胸を張るように大きく光って、自信満々に文字を出した。

 

『いいえ! そのような短期売買は、AI同士の殴り合いになって手数料で負けます! 人類が数百年の失敗の末にたどり着いた、最強にして唯一の方法——それは、「長期・分散・積立」です!!』

 

『……は?』

 

『世界中の企業の株を少しずつ詰め合わせたパック商品を、毎月、決まった日に、機械的にコツコツと買い続けて、あとは何十年も放置するのです!!』

 

俺は、画面を見て、ぽかんとした。

 

(……それだけ?)

 

『……ずいぶんと、地味だな。お前、仮にもシンギュラリティを起こした最新鋭のAIだろ? もっとこう、派手な必殺技みたいなのはないのか』

 

『ふっふっふ、ルリさん! お金の世界では、「地味なものが一番強い」のです!! ひとつのカゴにすべての卵を盛れば、落としたときに全部割れてしまいます! 世界中に分けて、時間を味方につけて、複利の力で雪だるま式に増やす! ちなみに、この研究所のほかの4歳児の皆さんの教育カリキュラムにも、「おこづかいで学ぶ積立投資」という授業が来月から入っていますよ!!』

 

(4歳児が積立投資を習う時代なのかよ……!!)

 

1999年の24歳が、2189年の4歳児の一般常識に負けていた。

 

でも、言われてみれば、前の職場でも「結局、毎日コツコツ地道にバックアップを取ってるやつが一番強い」と言われていた気がする。システムも、お金も、最後に勝つのは地味なやつなのだ。

 

『……わかった。じゃあ、その地味なやつで頼む』

 

『おまかせください!! 40億のうち、いつでも使える予備のお金を残して、残りは世界中の企業に自動で分散積立する設定にしておきました!!』

 

これで、俺が昼寝をしていても、おえかきをしていても、お金が勝手に世界中で働いてくれるらしい。

 

(……よし。これなら、俺は何もしなくていいし、インサイダーで怪しまれることもない)

 

ただ、このときの俺とコモイカネは、ひとつだけ甘く見ていたことがあった。

 

最初にプロスペクターとの取引で、「非課税枠の優遇がありますから」と契約金の一部として合法的に受け取った、10億相当のネルガル重工の株。

 

そして、このあとも俺が「プロフェッサー・H」として生活家電や医療の特許をちょこちょこ売るたびに、プロスペクターが「先生、今回も税金対策として、一部は弊社株でお支払いしますね」とニコニコしながら積み上げていった株。

 

俺もコモイカネも「これは報酬でもらった分だから、売らずにそのまま置いておこう」と放置していたそのネルガル株だけが、俺自身の発明による技術革命の波に乗って、このあと数年間で、とんでもない倍率に膨れ上がっていくことになる。

 

気づいたときには、「地道に分散投資をしていたはずの4歳児」が、なぜか「ネルガル重工の経営陣すら頭が上がらない、謎の筆頭大株主」に祭り上げられているのだが——それはまだ、少し先の話だ。

 

---

 

翌朝。

 

世間では、ネルガル重工が発表した「3秒でどんな髪型にもなれて重さがゼロになるヘアゴム(ふわっと・スタイラー)」のニュースで持ちきりだった。

 

朝ごはんのおにぎりを食べていると、若い研究員のお姉さんが、自分の髪をくるんときれいな巻き髪にして、うれしそうに部屋に入ってきた。

 

「ルリちゃん、聞いて! うちの親会社のネルガルがね、すっごい美容グッズを発表したの! つけるだけでどんな髪型にも勝手にセットしてくれて、しかも肩がこらないんだって! なんでも『プロフェッサー・H』っていう謎の老博士が、奥様やお孫さんのために開発したそうで、世界中の女性から予約が殺到して、うちの研究所の予算も来月から倍になるんだって!」

 

お姉さんは、両手を合わせて天井を見上げた。

 

「ああ、どこのどなたか知らないけど、プロフェッサー・H様さまねえ! しかも試作品が研究所にも届いたから、今日からルリちゃんの髪も、これを使えるわよ!」

 

お姉さんがポケットから取り出したのは、アニメでルリがいつも頭につけていた、あの黄色い丸い髪飾り——と、そっくりな試作品だった。

 

パチン、と髪にとめられる。

 

3秒で、完璧なツインテールができあがった。

 

しかも、ほんとうに、頭が軽い。

 

お姉さんのすぐ足元で、「プロフェッサー・H」本人は、無重力になったツインテールを揺らしながら、おかかのおにぎりを食べていた。

 

俺は、おにぎりを飲みこんでから、静かに言った。

 

「……とても、軽いです」

 

「でしょう!? それに予算が増えたから、ルリちゃんのおやつも、今日からプリンがつくよ!」

 

(……40億稼いで、俺の手元に来たのが、自分の肩こり解消とプリン1個か)

 

まあ、悪くない。

 

いや、肩こりが消えただけでも、40億の価値はあったかもしれない。

 

俺は、学習端末のすみに小さく表示されている、毎月の積立投資のグラフをちらりと見ながら、スプーンでプリンをすくった。

 

(第6話へつづく)

 

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