# 第7話「株主の気まぐれです」
地球連合のクライン大統領が、毎朝、俺の隠しアカウントに「今日の目玉焼き」の写真を送ってくるようになってから、さらに2年がたった。
西暦2195年。
俺——ホシノ・ルリは、10歳になった。
背は、少しだけ伸びた。
もっとも、元が小さいので、まだ小学校の低学年くらいにしか見えない。
表の俺(育成個体・A-07)は、相変わらずIFSの訓練で「設計値のど真ん中」を取り続け、研究員のお姉さんたちから「手のかからない、安定した子ね」と見守られる毎日を送っている。
ただ、俺が6歳のときに発明して世に出した『コミュニケ』とSNSが世界中に普及したせいで、うっかり流出した4歳のときの「無表情のブイ」の写真が、いまだに素性不明の『電子の妖精』としてネット中に出回り続けているのには閉口していたが。
そして、俺の裏の顔——謎の覆面発明家『プロフェッサー・H』の方は、この数年間で、ついにひとつの到達点を迎えていた。
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この6年間、俺は半年に1回くらいのペースで、資料庫の中にある「軍事機密に触れない、ちょっと便利な技術」をプロスペクターに売り続けてきた。
全自動ヘアゴムに始まり、空間投影端末のコミュニケ、自転車が絶対に転ばなくなるバランス回路、満員電車で押されても周囲と10センチの隙間を保つ通勤用ベスト。
どれも、前世のサラリーマン時代に「こんなのがあったらいいのに」と思っていた商品ばかりだ。
ところが、それが出すたびに世界中でバカ売れした。
そして、4歳のときにコモイカネに言われるがまま設定した、「長期・分散・積立」の口座。
俺は、半年に一度だけ、手首のコミュニケでその画面を見るのを密かな趣味にしていたのだが——見るたびに、変な汗が出た。
右肩上がりのグラフの横に、元の金額から何割増えたかを示す『+1,272.4%』という数字が並んでいる。桁が多すぎて、正確な金額はもう数える気にもならない。
(……ふ、複利って、怖っ!!)
最初に入れたお金が、世界中で勝手に働いて、雪だるまみたいに勝手に増えている。
俺は何もしていない。ただ毎日おにぎりと目玉焼きを食べて、昼寝をしていただけだ。
(ちくしょう……!! なんで1999年の俺は、金利0.1パーセントの定期預金にしかお金を入れてなかったんだ……!! 当時の俺の胸ぐらをつかんで、『いいから毎月ちょっとずつ世界中の株を買って寝てろ!』って教えてやりたい……!!)
布団の中で、過去の自分の無知さに悶絶する10歳児。
だが、本当に恐ろしいのは、積立口座の方ではなかった。
別の欄にある、『特定保有株式:ネルガル重工』の数字だ。
俺が特許を売るたびに、プロスペクターが「先生、今回も税金対策として、報酬の半分は弊社株でお支払いしますね! お得ですから!」とニコニコしながら振りこみ続けてきた株だ。
俺が売ったコミュニケや生活家電の特許でネルガルの業績が上がり、株価が上がり、さらに次の特許の報酬でもらう株の価値も上がる、という無限ループが6年間続いた結果。
ある日、コミュニケの中のコモイカネが、ピカピカと虹色に光りながら報告してきた。
『ルリさん!! おめでとうございます!! 今朝の株式市場の集計で、プロフェッサー・H名義の保有株が、ネルガル重工の発行済株式の11.2パーセントに達しました!! 会長の一族を抜いて、単独での筆頭大株主です!!』
俺は、飲んでいた麦茶を吹き出しそうになった。
『……は!? なんでだよ!? 分散しろって言ったのはお前だろ!!』
『はい! 現金の方は完璧に世界中に分散してあります! ただ、ネルガルさんから「現物支給」でもらった株は、売るとインサイダーの審査が面倒でしたので、金庫に入れっぱなしにしておいたのです! そうしたら、コミュニケの世界的大ヒットで、ネルガルさんの株価が6年で118倍になりまして!!』
(……狙ってないのに、一点集中投資で大当たりしてしまった)
しかも、プロスペクターからは、こんな丁重なメッセージまで届いていた。
『プロフェッサー・H様。ついに弊社の筆頭株主となられましたこと、社員一同、心よりお祝い申し上げます。いまや社内では、一度も姿を見せない先生のことを「伝説の大株主」と呼んでおります。経営会議の拒否権すらお持ちですので、何かご要望がございましたら、会長を通さず、私めに何なりとお申し付けくださいませ』
俺は、頭を抱えた。
目立たないように、破棄されないように、ひっそりと生きてきたはずなのに。
表では研究対象、裏では巨大企業の筆頭大株主にして、地球連合大統領の最大の恩人。
どうしてこうなった。
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だが、その「どうしてこうなった」というすべてのカードを使うべき日が、ついにやってきた。
2195年、秋。
アニメ『機動戦艦ナデシコ』の本編が始まる、1年前。
火星に、「木星蜥蜴(もくせいとかげ)」と呼ばれる謎の敵が突然現れ、最初の攻撃を始める年だ。
原作では、この奇襲によって火星の都市は大きな被害を受け、多くの民間人が犠牲になり、地球連合軍の艦隊も壊滅する。
テンカワ・アキトの両親の暗殺は、6年前に防いだ。今ごろアキトは、火星で両親と一緒に幸せに暮らしているはずだ。
でも、この火星侵攻をそのままにしておいたら、結局、アキトも、その両親も、火星の人たちも、戦火に巻きこまれてしまう。
(……やるぞ、コモイカネ。この日のために、6年間、お金と立場とコネを全部そろえてきたんだ)
もちろん、木星蜥蜴の侵攻そのものを止めることは、今の俺にはできない。まだナデシコも完成していないし、「来月、木星から敵が来ます」なんて正面から言っても、誰も信じない。
だから、まずは表向きの「建前」を用意することにした。
『コモイカネ。来月の第2週ごろ、火星のあたりで、なにか自然現象は起きないか?』
『はい!! 資料庫の天文データと照合しました! ちょうどその時期、太陽の表面で「大型の太陽フレア(磁気嵐)」が発生して、火星の通信網が一時的に乱れることがわかっています!!』
(……よし、それを表向きの理由に使おう)
もちろん、たかが磁気嵐で500隻も船を集めて、地下シェルターに半年分の食料まで備蓄したら、あとで絶対に「本当は最初から襲撃を知っていたんじゃないか?」と疑問を持つ人たちが出てくるだろう。
でも、構わない。
「何の理由もなく動かした」ら不審者だが、「太陽フレア対策という建前」があれば、いざ襲撃が起きたあとでも、周りからは『表向きはパニックを防ぐために磁気嵐対策と言っていたが、プロフェッサー・Hだけは独自情報で危機を察知して、裏で手を回してくれたのだ』と、良い方に解釈してもらえるはずだ。
しかも、今の地球連合のクライン大統領は、就任してまだ日が浅い。
軍のタカ派や情報部の上層部がひた隠しにしている「木星圏に不穏な勢力(実は異星人ではなく人間)がいる」という機密情報すら、まだ大統領には知らされていないのだ。
だからこそ、クライン大統領へのパイプと、ネルガル筆頭株主の権限と、俺の個人資産。その三つを同時に使って、火星の市民を動かす。
俺はまず、夜の布団の中で、プロスペクターへの専用回線を開いた。
『プロスペクター君。少し、頼みがある。来月の第2週、大型の太陽フレアが火星を直撃する時期に合わせて、ネルガルが動かせるすべての大型輸送船と移民船、それでも足りなければ他の海運会社から遊んでいる船を片っ端から借り上げて、火星の主要都市に集めておきたまえ。数は、最低でも500隻だ』
本社の個室で、画面を見ていたプロスペクターは、目を丸くした。
『ご、500隻、でございますか!? 先生、いくら太陽フレアが来るとはいえ、太陽系中の民間船をかき集めるような数ですよ!? それだけあれば火星の民間人の大半を一度に軌道上へ運べてしまいますが……それに、地球連合政府の許可なく火星全土の市民を動かすことはできませんよ!?』
当然の疑問だ。
俺は、用意していた答えを打った。
『政府の許可なら、今から取る。来月の第2週、地球連合政府とネルガル重工の合同で、磁気嵐に備えた人類史上初の「全火星規模・超大型避難防災フェス」を開催するのだ。参加した市民には商品券を配り、軌道上の船団で宇宙観光を楽しんでもらう。それと、どうしても地上に残る保安要員や研究員たちのために、火星の地下シェルターを補強し、半年分の食料と医療品を備蓄しておけ。費用はすべて、私の個人資産から全額寄付する』
画面の向こうで、プロスペクターが息をのんでいるのがわかった。
ただの太陽フレア対策なら、地下シェルターに半年分の食料など絶対にいらない。
勘のいいプロスペクターには、「表向きは太陽フレアと言っているが、この老博士は何か別の『とんでもないこと』が起きると知っているな」と、うっすら伝わったはずだ。
『……せ、先生。笑顔で申し上げますが、たかが数日の磁気嵐に、半年分の食料と500隻の船団は、どう考えても釣り合いません。先生は、いったい何を——』
『理由は、「筆頭株主の気まぐれ」だ。年寄りの道楽に、文句があるかね?』
俺はそう打ち返すと、そのまま画面を切り替えて、クライン大統領の直通アカウントにメッセージを送った。
『クライン大統領、今朝の目玉焼きも見事な半熟でしたね。ところで、来月の第2週に大型の太陽フレアが火星を襲います。そこでひとつ、「いかなる危機からも国民の命を守り抜く強いリーダー」として、市民を軌道上へ避難させる歴史的な防災イベントを主催されてはいかがでしょう? 費用と500隻の船団は、すべて私とネルガル重工がご用意いたします。閣下は、当日、コミュニケで全太陽系に向けて華々しく号令を配信してくださるだけで結構です』
3分後。
クライン大統領から、炎と涙の絵文字が10個くらいついた返事が飛んできた。
『プロフェッサー・H!! いつも目玉焼きを見てくださってありがとうございます!! ただの磁気嵐に500隻とは、ずいぶん大がかりですが……先生がそこまでおっしゃるなら、なにか深いお考えがおありなのでしょう!! 私は先生を信じます! ぜひ政府の公式行事として全面的にやりましょう!! 火星の自治政府と軍にも、私から今すぐトップダウンで命令を出します!!』
(……よし。大統領、細かいことは気にせず信じてくれた)
その直後、本社のプロスペクターから、すべてを諦めたような、それでいてどこか覚悟を決めたような返事が返ってきた。
『……先生、たった今、大統領府から弊社に「政府公式行事として全面協力せよ」との特命が下りました。……わかりました。先生がそこまでなさるからには、何か私どもの知らない「事情」がおありなのでしょう。理由はもうお尋ねいたしません。特に、火星の第4研究区画(テンカワ博士たちの区画)のあたりは、念入りに誘導するようにいたしますよ』
『うむ。1日たりとも、遅れてはならんぞ』
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そして、1か月後。
地球連合政府・ネルガル重工合同「全火星・超大型防災フェス(商品券つき)」の当日。
クライン大統領が全太陽系のコミュニケに向けて『今日、我々は人類史上最大の防災訓練に挑む!!』と華々しく宣言し、火星の市民たちが、「なんかよくわからないけど、目玉焼きの大統領と大富豪のおじいさんが商品券をくれるらしいぞ」「お祭りだし家族みんなでシャトルに乗ろう」と、ピクニック気分で軌道上の500隻の大型退避船団に乗りこみ、地上の街がすっかり無人になった——その、わずか3時間後だった。
火星の空に、巨大な花のような空間の歪み(チューリップ)が開いた。
無数の無人兵器が降り注ぎ、無人の街を焼き払った。
研究所のテレビに、緊急ニュースの映像が流れた。
アナウンサーが、震える声で原稿を読んでいる。
『き、奇跡です!! 突如として現れた正体不明の無人兵器群——通称「木星蜥蜴」により、火星の主要都市が攻撃を受けましたが——市民の大多数は、本日たまたま実施されていた政府とネルガル重工主催の「超大型防災フェス」のため、500隻の大船団で軌道上へ退避しており、地上に残っていた研究員や保安要員も、事前に補強されていた地下シェルターへ避難して無事とのことです!! 繰り返します、民間人の犠牲者は、ほぼゼロです!!』
観察室のモニターの前で、研究所の主任や若いお姉さんたちが、「よかった……!」「なんという奇跡だ……!」と抱き合って泣いていた。
そのニュースを、俺は部屋の小さな椅子に座って、黙って見つめていた。
手首のコミュニケが『ピピピ』と小さく鳴り、コモイカネから文字が流れる。
『ルリさん!! テンカワ・アキト君と、ご両親の乗った第12退避船、無事に地球へ向かう軌道に乗りました!! けがひとつありません!!』
俺は、机の下で、小さな手をぎゅっと握りしめた。
(……よし)
6年かけて貯めた積立資産の、かなりの部分が一瞬で吹っ飛んだ。
でも、これ以上ないくらい、いいお金の使い方だった。
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ただ、さすがにこれだけの規模の「奇跡」が起きると、世間でも、政府の中枢でも、疑問を持つ人間が一気に増えた。
ネットの『コミチャン』では、その日の夜から、こんな書き込みが飛び交い始めたのだ。
『おい、ちょっと待て。太陽フレア対策の訓練で、なんで500隻も船を集めて、地下シェルターに半年分の食料まで詰めてたんだ?』
『どう考えても、出資したプロフェッサー・Hは、最初から火星が襲われるって知ってたんじゃないか!?』
『でも、そのおかげで何百万人もの命が助かったんだぞ! しかも全額ポケットマネーで!!』
『軍の情報部よりよっぽど情報網を持ってる、人類の影の守護者じゃん……!!』
自分が私財を投げ打って全市民を救ったせいで、「敵の仲間」と疑う人間は誰ひとりいなかった。
代わりに、「なぜかはわからないが、軍や政府すら知らない宇宙の危機を事前に察知して、パニックを起こさないよう『防災フェス』という形で数百万の命を救った、底知れない黒幕(正義のフィクサー)」という、とんでもない人物像が出来上がってしまったのである。
クライン大統領からも、震えるような直通メッセージが届いた。
『プロフェッサー・H……!! 私は大統領になってまだ日が浅く、軍の古い連中から何も知らされていなかったのですが、まさか木星から正体不明の宇宙人が攻めてくるとは夢にも思いませんでした!! 先生は、軍が隠していた情報を独自につかんで、市民がパニックにならないよう「太陽フレア」を口実に避難させてくださったのですね!? なんという深謀遠慮、なんという人類愛!! もう軍の連中より、先生のお言葉だけを信じます!!』
(……いや、大統領がまだ知らされてないだけで、木星から来たのも宇宙人じゃなくて人間(木連)なんだけどな。でも、今それを言ったらますます「なんでそこまで知ってるんだ」って騒ぎになるから、黙っておこう)
そして、その日の夜。
ネルガル本社の高層ビルでは、プロスペクターが、窓の外の星空を見上げながら、眼鏡の位置を直していた。
手元の端末には、無傷で地球へ向かっている500隻の大退避船団のリストが映っている。
「……太陽フレア対策の、気まぐれ、ですか」
プロスペクターは、誰もいない部屋で、くすりと笑った。
「半年分の食料を地下に詰めこませ、時間まで3時間単位でぴたりと合わせておいて、よくおっしゃいますよ、プロフェッサー・H様。社内でも政府でも『先生はいったいどこから情報を得て、どこまで事情をご存じなのか』と持ちきりですが……まあ、私財を投げ打って火星の市民と弊社の資産を丸ごと救ってくださった方を、敵だと思う馬鹿はどこにもいません。おかげで先生の声望も、大統領の支持率も、弊社の株価もストップ高です。これだから、謎だらけの先生とのお付き合いはやめられませんねえ」
そして、その翌年の春——西暦2196年。
11歳になった俺のもとに、ネルガル重工の本社から、一通の正式な辞令が届いた。
『第7研究所 育成個体 A-07(ホシノ・ルリ)殿。貴殿を、新造戦艦「ナデシコ」のオペレーター候補生として招集する』
若い研究員のお姉さんは、「あんなに普通で手のかからないルリちゃんが、どうして急に最新鋭の戦艦に!?」と目を丸くして驚いていた。
実は、裏で俺が「プロフェッサー・H」として、「ナデシコのオペレーター枠に、第7研究所のA-07という目立たない子をひとり入れておきたまえ。私の遠い親戚の子でね」とプロスペクターにねじ込んだ結果なのだが、もちろん誰も知らない。
「ルリちゃん、寂しくなるわねえ。向こうに行っても、ちゃんとごはん食べて、ちゃんと寝るのよ?」
「……はい。お世話になりました」
俺は、小さなリュックサックを背負い、無重力で揺れるツインテールを整えて、7年間過ごした白い部屋を出た。
手首のコミュニケの中では、コモイカネが『いよいよナデシコですね!! 本物のオモイカネさんに会うのが楽しみです!!』と大騒ぎしている。
隠し口座には、まだたっぷりと残っている分散積立の資産と、筆頭株主の権限、そして毎朝目玉焼きの写真を送ってくる大統領への直通パイプ。
これから乗る船には、両親が健在でまっすぐ育ったテンカワ・アキトと、俺がいちばん共感する艦長、ミスマル・ユリカが待っている。
1999年に過労で倒れた元社畜の、ほんとうの航海が、ここから始まろうとしていた。
(序章・完/第1章へつづく)