弁論会場。
司会者の発言が終わり、会場にはしばらく沈黙が流れていた。
最初に口を開いたのは、指名されたナナリーだった。
ナナリー「……一つ、確認してもよろしいでしょうか?」
司会者「ああ、どうぞ」
ナナリー「あなたは、誰もが満たされている世界そのものを否定しているわけではないのですよね?」
司会者「ああかうん。そこは少し違う。俺が気持ち悪いと感じるのは、全員が同じように満たされて、同じように優しくなって、同じような人間ばかりになった世界だな」
ナナリー「では、誰もが満たされていても、それぞれ違う考えを持ち、時には意見をぶつけ合う世界なら?」
司会者「それなら別に構わんよ。むしろ、そっちの方がよほど人間らしいと思うね」
ナナリー「それを聞いて、少し安心しました」
ルルーシュ「ナナリー?」
ナナリー「私は、みんなが同じ考えになることを望んでいたわけではありません。意見が違っても、相手を傷つけることなく暮らせる世界を望んでいたんです」
司会者「なるほどね」
ナナリー「もちろん、現実には難しいこともわかっています。人にはそれぞれ事情がありますし、価値観も違います。誰かにとっての幸せが、別の誰かにとってはそうではないこともあるでしょう」
司会者「ああかうん」
ナナリー「それでも、誰かが困っているときに手を差し伸べられる余裕があってほしい。自分と違う考えの人を、すぐに敵だと決めつけないでほしい。私はそういう世界を望んでいます」
司会者「うん。そこはわかるよ」
ナナリー「ただ、あなたの言う『満たされること』については、少し気になることがあります」
司会者「何かな?」
ナナリー「人が満たされるために、誰かがその人を絶対に傷つけない存在になる必要があるのでしょうか?」
司会者は少しだけ眉を上げた。
ナナリー「もちろん、安心できる相手がいることは大切です。でも、その相手がいつも自分を肯定してくれるとは限りません。時には、自分の間違いを指摘してくれることもあると思います」
C.C.「なるほどな。無条件に受け入れることと、何でも肯定することは違うというわけか」
ナナリー「はい。私も、自分のことを大切に思ってくれる人が、いつも私の意見に賛成してくれるとは思っていません」
ルルーシュ「……」
ルルーシュは妹の言葉を聞きながら、静かに目を伏せていた。
ナナリー「だから、私は誰かに絶対傷つけられないことだけが、心の満たされる条件だとは思いません。時には傷つくことがあっても、それでも自分を受け入れてくれる人がいる。そういう関係もあるのではないでしょうか」
司会者「ふむ」
アバン「確かに、誰かに受け入れてもらうということは、必ずしも自分の考えをすべて肯定してもらうことではありませんね」
司会者「まあ、俺の場合は少し事情が違うんだがな」
ナナリー「あなたの場合、ですか?」
司会者「俺は以前、そういう相手がいなかった。自分の中にあるものを持て余していたし、それをどう扱えばいいのかもわからなかった。今は違う。だから、俺自身の経験としては、かなり大きな変化だったんだよ」
C.C.「それを他人にも当てはめられるかどうかは、また別の話だな」
司会者「ああかうん。だから最初に言っただろ。あくまで俺個人の答えだって」
シュナイゼル「しかし、司会者の主張には一つ興味深い点があります。人間の優しさを、道徳や教育だけでなく、生活環境や精神状態から説明しようとしている」
司会者「ああかうん。俺は、優しくなれと説教するより、優しくなれる余裕を用意した方が現実的だと思ってるんだよ」
シュナイゼル「ですが、その余裕を誰が、どのように用意するのでしょう?」
司会者「そこだよな。実生活の方はベーシックインカムみたいな制度が候補になるだろう。最低限の衣食住を保証する。精神面は……まあ、これは制度だけでどうにかなるものでもない」
ニア「精神的な充足を制度として保証するのは難しいでしょうね。誰かに受け入れてもらうことを義務化した時点で、それは別の問題を生みます」
司会者「ああかうん。だからこそ、俺は全員に同じ状態を求める気はない」
ナナリー「それなら、私の望む世界とも、必ずしも対立するわけではないのですね」
司会者「いや、そこはまだわからんぞ。俺はさっき、キミがその手段を実行しようとしたら殺してでも止めると言った。あれは撤回するつもりはない」
ルルーシュ「……その点については、俺も聞いておきたい」
ルルーシュが口を開いた。
ルルーシュ「ナナリーが何をしようとしていると想定している? 全員を満たすこと自体が悪いわけではないのだろう?」
司会者「ああかうん。俺が止めると言ったのは、俺が提示した方法をそのまま全員に適用しようとした場合だ。全員に生活の安定を与え、全員に自分を絶対に傷つけない相手を用意する。そして、全員が不満を持たず、優しくなることを目指す。そういう世界を作ろうとするなら、俺は止める」
ルルーシュ「なぜだ?」
司会者「さっき言っただろ。俺には気持ち悪いからだよ」
ルルーシュ「それは君の感覚だ。ナナリーが望む世界が、必ずしも君の想像した形になるとは限らない」
司会者「ああかうん。だから、今こうして話してるんだろ?」
ルルーシュ「……そうだな」
C.C.「だが、司会者。お前は自分が満たされているから、他人にも優しくなれると言ったな。それなら、満たされていない人間が優しくなれないことも認めるのか?」
司会者「いや、そこは別だな。満たされていなくても優しい人間はいる。逆に満たされていてもろくでもない奴はいる。俺が言ってるのは、優しくなれる余裕を持ちやすくなるという話だ」
C.C.「ならば、満たされていることは優しさの条件ではなく、あくまで一つの要因というわけか」
司会者「ああかうん。そういう理解でいい」
アバン「そう考えると、司会者の主張は優しさそのものを作るというより、優しさを発揮しやすい環境を整えるということなのでしょうね」
司会者「ああかうん。俺はそっちの方が現実的だと思ってる」
太公望「じゃが、環境を整えたところで、他人を傷つけることを楽しむような者はおるじゃろう。満たされておるかどうかとは関係なくな」
司会者「もちろん。そんな奴まで全員どうにかできるとは思ってないよ。だから俺は、全員を優しくするなんて話はしていない」
怨み屋「むしろ、そういう人間をどう扱うかの方が難しいでしょうね。満たされていないから悪事を働くとは限りません。満たされていても、他人を踏みにじる人間はいます」
司会者「ああかうん。そこは同意するよ」
尚文「……俺からもいいか?」
司会者が尚文へ目を向ける。
司会者「お、ようやく来たか。どうぞ」
尚文「さっきから聞いていたが、あんたの言う『満たされる』って話には、少し引っかかるところがある」
司会者「ほう?」
尚文「俺は、召喚された直後に周囲から裏切られた。何もしていないのに信用を失い、まともに話を聞いてもらえず、誰かを信じることすら難しくなった」
ルルーシュ「……」
尚文「生活に困っていたこともある。だが、それ以上にきつかったのは、誰も自分の話を信じてくれないことだった。俺が何を言っても疑われる。何をしても悪く受け取られる。そんな状況で、他人に優しくしろと言われても無理だった」
司会者「ああかうん」
尚文「それでも、俺のことを信じてくれる奴ができた。俺の行動を見て、俺自身を判断してくれる仲間ができた。そいつらがいたから、俺はもう一度他人を信じられるようになった」
アバン「なるほど……」
尚文「だから、あんたの言っていることはわかる。生活の安定も、精神的に安心できる相手も大切だ。だが、誰かが自分を絶対に傷つけないことを保証する、というのは違うと思う」
司会者「ほう。どう違う?」
尚文「人間関係ってのは、相手が自分を傷つけないと保証されているから成立するわけじゃない。信頼できるかどうかを、自分で判断して築いていくものだろう。時には裏切られることもある。それでも、誰かを信じることを選ぶんだ」
C.C.「なるほど。保証された安心ではなく、自分で選び取った信頼か」
尚文「そうだ。俺は、誰かに絶対傷つけられない世界よりも、傷つけられたときに立ち直れる環境や、もう一度誰かを信じられる余地がある世界の方がいい」
司会者「……」
司会者は少しだけ黙った。
尚文「もちろん、誰もがそう簡単に立ち直れるわけじゃない。だからこそ、生活を支える仕組みや、助けてくれる人間が必要なんだと思う」
ナナリー「私も、そう思います」
尚文「ただ、誰かを絶対に傷つけない存在にするというのは、相手の自由も奪いかねない。自分を受け入れてくれる相手に、何を言っても何をしても傷つけられないとしたら……それは本当に対等な関係なのか?」
司会者「ああかうん。なるほどね」
アバン「尚文さんの言うことも、よくわかります。相手を傷つけないことと、相手の意思を尊重することは、必ずしも同じではありませんから」
司会者「ただ、俺が言ってるのは、相手が何をしても許すって意味じゃないぞ。俺自身が安心していられる相手、という意味だ。相手に何も言わせないとか、何でも肯定させるとか、そういう話じゃない」
尚文「なら、最初からそう言えばいいだろ」
司会者「いや、そこは俺の説明が雑だったな(笑)」
C.C.「自覚はあるんだな」
司会者「そりゃあるよ」
ナナリー「では、あなたが言う『絶対傷つけない相手』というのは、あなたが安心して自分らしくいられる相手、という意味なのでしょうか?」
司会者「ああかうん。俺にとってはそうだな。もちろん、相手にも自分の意思がある。俺の望むことを何でもしてくれる存在が欲しいわけじゃない」
ナナリー「それなら、少しわかる気がします」
ルルーシュ「だが、司会者。もう一つ聞きたい」
司会者「何だ?」
ルルーシュ「君は、自分が満たされているから他人に優しくなれると言った。しかし、それは裏を返せば、満たされていない人間は優しくなれなくても仕方がない、という考えにつながらないか?」
司会者「いや、そこは違う。事情があることと、他人を傷つけていいことは別だ。余裕がないからといって、何をしても許されるわけじゃない」
ルルーシュ「ならば、満たされていない人間にも、他人を思いやることを求めるのか?」
司会者「求めるかどうかは別として、最低限の責任はあると思うよ。ただ、余裕がない人間に、余裕のある人間と同じことを期待するのは酷だろうな」
シュナイゼル「その違いは重要ですね。責任を免除することと、事情を考慮することは同じではありません」
司会者「ああかうん。まさにそれだ」
ナナリー「……私は、誰かが満たされていないからといって、その人を責めたくはありません。でも、その人が別の誰かを傷つけてしまったなら、傷つけられた人のことも考えなければならないと思います」
司会者「うん」
ナナリー「優しい世界というのは、誰も傷つかない世界ではないのかもしれません。傷つけてしまったとき、傷つけられてしまったとき、そこからどうするかを考えられる世界……私は、そういうものを目指したいです」
尚文「……悪くないと思う」
アバン「私もそう思います」
司会者「なるほどね」
司会者は椅子の背にもたれた。
司会者「ただ、ナナリー。俺はまだ、キミの考えに全面的に賛成したわけじゃないぞ」
ナナリー「はい。わかっています」
司会者「それでいい。俺もキミを説得しようとしてるわけじゃないからな」
ルルーシュ「では、何のためにこんな話を持ちかけた?」
司会者「単純に聞いてみたかったからだよ。キミがどんな世界を望んでいて、それをどうやって実現しようと考えているのか。俺の考えと比べてみたかった」
C.C.「相変わらず自分勝手な理由だな」
司会者「ああかうん。いつものことだ(笑)」
司会者はナナリーへ向き直る。
司会者「さて、最後に一つ聞いておこう。ナナリー。もし、キミが望む優しい世界を作るために、誰かが犠牲になるとしたら?」
ナナリー「……」
司会者「その犠牲を受け入れるのか。それとも、理想を諦めるのか。どちらを選ぶ?」
ルルーシュ「司会者……」
司会者「いや、これは意地悪な質問じゃない。現実的に考えるなら、避けて通れない問題だろう?」
ナナリーはすぐには答えなかった。
やがて、ゆっくりと顔を上げる。
ナナリー「私は……誰かを犠牲にしなければ実現できない世界なら、その方法を選びたくありません」
司会者「では、理想を諦める?」
ナナリー「いいえ。別の方法を探します。時間がかかっても、簡単には見つからなくても」
司会者「それで、いつまでも見つからなかったら?」
ナナリー「それでも探し続けます」
司会者「……」
ナナリー「私は、誰かを犠牲にすることを前提にした優しい世界を、優しい世界とは呼びたくありませんから」
会場が静かになった。
ルルーシュ「ナナリー……」
尚文「簡単に言えることじゃないな」
アバン「ええ。ですが、その覚悟は尊重したいと思います」
司会者はしばらくナナリーを見つめていたが、やがて小さく笑った。
司会者「ああかうん。いい答えだと思うよ」
C.C.「随分と素直じゃないか」
司会者「俺は気に入った意見には素直だよ。もっとも、実現できるかどうかは別問題だがな」
ナナリー「はい。それもわかっています」
司会者「よし。今回のところはこれで十分かな」
司会者は立ち上がり、全員を見渡した。
司会者「ナナリー、ありがとう。尚文もな。思ったより面白い話になった」
尚文「思ったより、って何だよ」
司会者「いや、パッと浮かんだだけで呼んだからな(笑)」
尚文「最後までそれか……」
アバン「ふふっ。お疲れ様でした」
司会者「さて、今回の議題はここまで。短編と言ったからには、あまり引き延ばすつもりはない。次回はもう少し別の視点から、この話を考えてみよう」
ルルーシュ「まだ続けるのか?」
司会者「そりゃそうだろ。せっかく面白くなってきたんだからな」
C.C.「飽きるまでは、ということか」
司会者「ああかうん」
司会者は楽しそうに笑った。
――番外編 第二話・了。