トーキョー・メルトダウン   作:間川 澪(レイ)

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マイ・オリジン

 1.

 あーあ。退屈だなあって。

 

 私はいつだって思ってた。何が退屈という訳でもないけれど。とにかく退屈。退屈で、退屈で、退屈。何か脳みそがパチパチはじけるような刺激が欲しいなあっていっつも思っているけれど。

 

 だから、小説を読むし、映画を見る。小説は嫌いじゃないし。なんでも読む。それこそミステリ、米澤穂信みたいな日常の謎みたいなのも読むし、綾辻行人みたいな新本格も読む。芦沢央や湊かなえみたいなイヤミスだってぞくぞくするし、今村昌弘みたいな特殊設定ミステリも大好きだ。SFだって好き。

 

 銀河英雄伝説みたいなスペースオペラはワクワクするし、伊藤計劃の、魂や言葉のありかをめぐる作品には共感する。僅か3作、いや2作を残してこの世を去られたのが悔やまれて仕方がない。

 

 ホラーも読まないわけではないし、ファンタジーだってかなり好き。純文学も読みだした。博士の愛した数式みたいな、ほのぼの家族ものは大嫌いだけど。大嫌いという言葉ですらまだ、生ぬるい。読んでいて吐き気を催す。嘘くさくて、嘘くさくて。読めたものじゃない。

 

 あんなあったか家族が存在してたまるかって感じ。嘘をつく技術として、当の本人がそのついている嘘を真実だと信じ込むこととか、あるいは純度100%の嘘ではなく、少しの真実をたくさんの嘘で膨らますこと、みたいな言説はあまりに有名だけど。作者さんは、温かい家族が存在するという嘘を信じることはできても、温かい家族を想像することはできなかったのかなって。リアリティのある温かい家族を。なーんて。

 

 まあ、温かい家族なんてものが幻想に過ぎないわけで。温かい家族というものにリアリティも糞もないわけだけど。家族というのは、あくまで血のつながりのあるだけの赤の他人。それ以上でもそれ以下でもない。そんなの常識だ。サルでもわかる。そこに思いやりとか、優しさとか。気づかいとか。それに笑っちゃうけど「愛情」とか。そういうべちょっとしたものを持ち込まないでほしい。気持ち悪いから。

 

 まだ敬愛の精神だとか孝行の精神とか言われたほうがまだ笑える。はいはい昭和昭和。前時代の遺物。大戦前の亡霊にしてナチの亡霊、軍国主義者の屑どもの亡霊は地獄にお帰りください。300万以上の人間を殺しておいて、まだ殺したりないとは本当に始末に負えない。

 

 そういう人殺しが好きな屑は、屑同士地獄で思う存分心行くまで気のすむまで、殺しあっていてくれ。好きなだけ天皇陛下万歳、家族は大事にとかほざいていれば。いいさ今は21世紀だ。お前ら馬鹿どもの出てくる幕じゃない。なんちゃって。

 

 困ったことに、そういう馬鹿どもってどこにでもいて。テレビでも平気でほのぼの家族ドラマを流すからウザいんだけど。あの、わかってますか?仲良し家族なんてフィクションですからね?父親は子供を殴るのが当たり前。それこそぼこぼこに。

 

 もちろん学業の成績や習い事、お稽古事の出来が悪かった、みたいなことで殴るのは、まあ。ありふれているし、その気持ちもわからなくはない。あるいは生活態度、礼儀作法、立ち居振る舞いとか。そういうので殴りつけるのも当たり前かも。

 

 それこそ殴られたはずみで戸棚に激突して、上にのせてたものがバサバサ落ちてくるとか。あるいは耐え切れずに転倒して、どこかに頭とか背中を勢いよくぶつけるというのも当たり前かなって。

 

 まあ、子供って勉強するのが当たり前だから。勉強するために生かされている。まあ、別に勉強自体は嫌いじゃないし。むしろ好き。愛しているけど。

 

 やっぱり知らないことを知ったり、わからなかったことが理解できたらぞくぞくするし。特に蓄積された知識と知識が、いわば点と点でしか存在しなかった知識が線で繋がって、面になる未来が見えてきた時って、すごくゾクゾクするよねって。そういう時は退屈じゃないかな。しょせん一過性の気持ちでしかないけど。

 

 だから、成績の良くない理数系の科目とかも勉強自体は嫌いじゃない。むしろやっぱり好き。証明問題とかで、証明の糸口を求めてうんうん唸っているときも好きだし、証明の道筋が見えて、書けば書くほど出口へと向かっている感覚。暗いトンネルの中で、どんどん出口の光が見えてきたような感覚はたまらない。

 

 時に、それがただ「でぐち」と画用紙にクレヨンで書かれただけの、偽の出口。ただの壁だったりすることもあるけれど。解法を見て、ああ、だからそうなるのか、とか。あ、ここで間違えたんだな。馬鹿だなあって思う気持ちは楽しい。

 

 だから青チャートとかも愛しているし、生物だって化学だって物理だって、学ぶこと自体はすごく楽しい。成績につながらないだけで。

 

 なんだったら趣味でフェルマーの最終定理の本も読んだりとかするし。相対性理論の初学者向けの本もなかなか楽しかった。ところどころわからないところも多かったし。フェルマーのほうなんて何言ってるのか分からないけれど、なんか面白いとは思ってた。

 

 まあ、理数系は成績が悪くて馬鹿みたいに罵られるし、気違いとか出来損ないとか。屑とか無能とか。お前は本当に頭が悪いな、みたいな定型句で。だから、あまり相対的に好きではないだけで。文系科目はやればやるだけ成績は上がるから。だからといって別に褒められはしないけど。理数系に比べればやりがいもあるよねって話でしかなくて。

 

 ま、それはともかく。家族が仲良しって誰が言いだしたんだろうなって。ああいう、とてもとても退屈な物語を。三文芝居もいいところだ。三文オペラのほうがまだよかった。内容は忘れたけれど。なかなか面白いじゃんとは思った記憶があるから。

 

 父親は子供を殴るものだし、怒鳴るもの。母親はそれを見てあざ笑うもの。何なら父親の怒りに火を注ぐもの。妹にお姉ちゃんみたいになってはだめよ、とこちらにも聞こえる声で囁くもの。

 

 妹はひたすら怯えるもの。殴られていても助けには来ない癖に、お姉ちゃん遊ぼうとすり寄ってくるもの。みんなで食卓を囲んで食事をしているとき、母親の私に対するマシンガントークならぬマシンガン嫌味に対し、にこにこ頷きながら、時々こちらをちらりちらりと窺って。まるでいつ爆発するかわからない時限爆弾でも見るかのような目で。

 

 まあ、そういうのが家族だよねっていう。リアリティのある本当の家族。まあ、時には明らかに八つ当たりだな、とか、機嫌が悪いからわざわざ殴る材料見つけてきたなって時はあるけど。

 

 それこそ箸の上げ下げだってそうだし。食事が遅いとか、トイレやお風呂の時間が長すぎるとか。あとはトイレに髪の毛が落ちてた。トイレを使った後に汚れてた、とか。最後のは私からはどこが汚れているのかよくわからなかったんだけど。まあ、それでも落ち度がないわけではないから。

 

 馬鹿みたいに絶叫されたり殴られたり、ねちねち嫌味を言われたり、これ見よがしに行動のたびに大きな音をたてられて、私、不機嫌ですアピールをされたり。まあ、そういうのも普通かなって。

 

 それこそ、父親と廊下ですれ違う時に会釈したら、会釈が雑と無警告で殴られたり。ホームステイか修学旅行でしばらく家を空けていたからつい気が抜けていて。お休みと父親に挨拶したらぶん殴られて。おやすみなさいだろうがこのボケ、みたいに。

 

 結局正座でお説教を聞くことになったりとかもあって。結局深々頭を下げて許されたけど。そういう、土下座とかしても父親はあまり踏みにじったりして来ないから、まだ好き。怒るポイントもわかりやすいし。時々会釈みたいによくわからないところでキレたりもするけど、まあ、落ち度がないわけでもないから。

 

 それこそ土下座した頭を勢いよく蹴られたのなんて、子供のころ殴られると思ってダッシュで逃げだした時ぐらいじゃないかな、なんて。あっさり捕まったけれど。

 

 母親はよくわかんないし。気分屋だから。基本何かにムカついているみたいだけど。ま、人間そんなこともあるよねっていう。

 

 それに、これでもゆくゆくは本家を継ぐというか、本家に入る人間の第一候補だから。第二候補は妹だけど。ゆくゆくは本家に入って婿を取り。子供を産んで家を存続させる。400年以上の歴史を持つご立派な本家を。

 

 だから将来は本家の奥様だし、男の子も複数生めよって話。本命と、スペア。男の子は何人いてもいいからねっていう話でしかなくて。スペアは何人いても困らないし、むしろ選択肢ができるから。

 

 女の子の時は、うん。男の子が生まれるまでもう少し頑張ってみようかってお話でしかなくて。だから、母親は母親なりの苦悩があるんでしょう。どうでもいいけど。

 

 まあ、長々言ったけど、リアリティのある家族ってこんなのだよっていう。そりゃあ、本家まわりは多少は珍しいかもしれないけれど。極端に珍しいお話でもないというか。同じ高校の子にも同じように将来は婿を取れって厳命されている子がいるから。

 

 その子は予備がいない一人っ子だから、私より大変そうって思っているんだけど。まあ、よくある話でしかないって訳。それをバラエティなり博士の愛した数式なり、何でもいいんだけど。親は子供を愛するものです、子供も親を愛するものですみたいな大嘘をつかれると困るわけ。恥ずかしくなってくる。

 

 よくもまあ、そんな思ってもいないことを堂々と言えるなって。まさか親が子供に愛しているよとか、かけがえのない子供だよ、とか、自慢の子供だよってにっこり笑って言うことにリアリティがあるとでも?ありえないでしょう、そんなのっていう。

 

 いや、まあ。私だってこの世界をリアリティあるものとはそこまで思ってないし。なんか肩のあたりにもう一人の自分がいるというか。もう一人の視点で色々見ているっていうか。

 

 もちろん勉強も楽しいし、友達とつるむのも楽しい。だけどもう一人の私は常に冷めていて、そうやってはしゃいでいる私を、あーあ、馬鹿みたいって見下ろしていて。

 

 そんなにはしゃいだって何の意味もないのに。そんなに無邪気に笑っちゃってさ、馬鹿みたい。これから高校を卒業して、何人が今後もお付き合い続くのかな。多分ほとんどの子たちとは連絡すら取り合わなくなると思うよ、みたいな。そんな冷めた目で見ていて。

 

 あーあ、全部偽物だなあって思っているけど。家族も、友達も。先生も。窓の外に広がる景色も。街並みも。山々も。全部偽物だなあって。空っぽだなあって。がらんどうだなあって。中身何にも入ってないなあって。

 

 割り当てられただけの役を演じているだけのお人形さんだなあって。「世界は舞台、誰もが役を演じなければならぬ」とシェイクスピアは書いたけど。さすがシェイクスピアだ。歴史を超えて語り継がれる人は違う。

 

 でもさあ。世界が舞台で。誰もが役を演じている世界って、とっても退屈じゃないっていう。ひょっとしたらシェイクスピアにも世界はこんなふうに見えていたのかな。がらんどうのお人形が徘徊する世界。空っぽの肉の塊が人間ですってご挨拶する世界。よく、最後まで生きていられたねって。とっても退屈だったでしょう。

 

 とってもつまらなかったでしょう。人生って、退屈じゃないですか?大体この後のイベントも予測がつくというか。まだ、17年しか生きていないけど。大体、人生ってどんなのかわかるよ。自分がどんな風に生きて死ぬのかもわかるよ。

 

 自分がどんな人生送るかわからない。将来には無限の可能性があるっていうやつって馬鹿だと思っている。将来に夢なんか見てるの?なんて。

 

 あのさあ、現実見なよって気分になる。何がしたいか、ではなくて何ができるかを考えなよ。ケネディも言ってた。国家が君たちに何をしてくれるのかではなく、君たちが国家のために何をできるのかを考えてみてほしいって。そういう文脈だよ。

 

 いや、ちょっと違うか。要は夢なんか見るな、馬鹿馬鹿しいという話でしかなくて。私は、夢の見方なんて忘れたよ。なんて。最後に夢を見たのも、いつかなんて忘れた。将来には無限の可能性があるって信じていたころも、あったのかもしれないけれど。それがいつだったかなんて、とっくの昔に忘れちゃった。

 

 人によっては、誰かと付き合えば変わるよ、とか。誰かと関係を持てば変わるよ、なんて言うのかもしれないけれど。お生憎様。私だって関係ぐらい持ったことはある。

 

 まあ、私は合意してなかったんだけど。レイプされた、犯されたってやつなんだけど。結構信じていた親しい友達に。親友だと思ってた小学校時代から付き合いのあるやつに。家に帰りたくなくて入り浸っていたらある日いきなり押し倒されたんだけど。

 

 まあ、それはともかく。そんなことがあっても世界は相変わらず回っているし、世界は相変わらず退屈だから。要は。人生って退屈なんだよ。退屈で退屈で退屈な予定調和。決められたレールの上を歩んでいる。

 

 それが人生だと思ってた。人生ってそんなもんだと思ってた。人生ってそんなもんだろうって諦めてた。あの子と会うまでは。

 

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