5.
結局、駅前のラーメン屋では二人ともチーズチャーシュー丼セット、麺大盛りを頼んで。二人ともご飯をお替りした。
白米に、たっぷりニンニクを入れたラーメンのスープをかけて豆板醤を乗せ、スープにたっぷり浸してひたひたになった海苔で巻いて食べると幸せになれるよって教えてあげたから。
咲は絶対に太るやつ、絶対に太るやつと最初はブツブツ言っていたけれど。そうやって食べ出したらあっという間に完食して。何ならわざわざ海苔を追加で頼んで、さらにご飯も少しお替りしてた。
それから近くの公園まで腹ごなしがてらお散歩に行って。ベンチなんて上等なものはないから。ポツンとあるブランコに二人並んで腰かけて。ゆらゆら揺らしているわけだけど。
通学鞄を脇によけて、ぎいぎいブランコを揺らしている咲。そんな咲に、買ってきたお汁粉の缶をそっと差し出す。またお汁粉?好きだねえと苦笑しながら受け取る咲。お汁粉は幸せのもとだから。だから、幸せのおすそ分け。そう言って少し笑って。幸せになれたらいいね、なんて咲も笑って。
でも、近くでお汁粉の缶売ってる自販機なんてないでしょう。大体このあたり、自販機自体なくない?って言われたから。
だから走って探してきたんだよ。お汁粉を求めて三千里ってやつ。ええ、って言われて。だから息切らしてたんだ。でもそれにしては早かったねって。まあねって。足だけは自信があるから。
それに言ったでしょ。お汁粉は幸せのもとだって。お汁粉を飲んだら嫌なことがあっても、幸せになれる気がする。それに同類には幸せになってほしいしさ、って。
そんなものかねえ、なんて言って咲は勢いよくプルタブを開けて。私も一気に飲み干す。多少は冷めてはいたけれど。
さっきよりずっとずっと美味しかった。あ、全然いける、と咲が少しびっくりしたように言って。幸せのもとだもん、当然だよって言って。
でも私、食後はコーヒー派なんだよねって咲が言うから。ブルジョワだねえ。いつもコーヒー飲んでるじゃんって小突いて。いや、さっきもお汁粉ですけど⁈なんて突っ込まれたり。
ふとぽつりと、ねえ、澪はお腹大丈夫?って聞かれて。え、全然大丈夫だけど。どした?食べ過ぎ?駅のトイレ借りに行く?って聞いて。咲は違うよ、と苦笑して。そっちじゃない。月のほう。そう言って下を指さした。
ああ、なるほど。私は小さく苦笑して。全然平気。貰ったお薬のおかげかな。そう言って。それは嘘ではなかった。ずいぶん久しぶりに、しっかりきちんと定量飲んだから。普段よりずっと調子がいいぐらいだった。
そう。咲はそう言って笑って。ぼそりといった。あーあ。女になんか生まれたくなかったなって。ちらりと隣の咲を見る。
微妙に薄暗くて、表情までは見れなかったけれど。咲は気にせず続ける。
女になんか生まれるんじゃなかったよ、本当に。胸が膨らむのが嫌い。腰がくびれてくるのも嫌い。生理なんか来なくてもいいのに。辛いだけで。生理なんか来て喜ぶ人なんているのかな、なんて言って。あ、いるか。なんて、そんなことをぼそりと。聞こえるか聞こえないかぐらいの、本当に。本当に小さな、蚊の鳴くような声で。
最後の言葉だけは、聞こえないふりをして。声に震えを乗せないように注意して。
分かるよ、っていった。胸が膨らむのも、腰がくびれてくるのも本当に嫌だよねって言って。なんか、女になっていくみたいでさ、なんて。心の中で、生理が来るのが一概に悪いことと必ずしもいえない気持ちも、なんとなくは分かるけどね、なんて付け加えて。
だって。それは。妊娠してない証拠だから。かつて無理矢理中に出されたときとか。無理矢理押さえつけられて中に出されたときとか。無理矢理組み伏せられて愛おしむように何度も何度も頭を撫でられて。自慢の比較的短めの髪も、もてあそばれて。恋人みたいなキスをしながら。あまりの痛みに泣き叫んで暴れる体を押さえ込まれながら、中に出されたときとか。すごく怖かったから。
ちゃんと生理、来てくれるのかなって。来なかったら殺されるなって。比喩ではなく、物理的に。だって家の恥だもん。切り刻まれて、土の中か海の中。行きつく果ては、虫の餌か魚の餌。誰にも看取ってすらもらえない。誰にも気づかれずに、ただ「消える」だけ。そういうのが普通にありえる家だから。でも、まさかそんなことを口に出して言う訳にもいかないから。
咲は一瞬、ちらりとこちらを見ると、また、元のように下を向いて。ブランコの下の小石を蹴り飛ばしながら言った。
でしょう?いっつも思うんだけど、死んでも子供なんか作りたくないんだから、性にまつわる機能すべてオフに出来たらいいのに。出来たら取り外したい。取り外したうえで切り刻んで燃やして捨ててやりたい。そう、足をゆらゆらさせながら咲は言って。
分かるよ。私は頷く。女になんてなりたくなかった。だから、初めて生理が来た時泣いちゃったなって。気持ち悪かったのもそうなんだけど、これでなんか大人になったみたいで。あとこれで子供産めるな、みたいなの、普段会わない親戚に言われるのめちゃウザい。そう言って。
めっちゃわかる!咲が勢いよくこちらを向いて。女の身体になったなとか、安産型だなとか、胸が大きくなったとか言われるのすごくウザい!子供を産めよとか、男の子を産めよとか。あんたは私の何なんだって感じ。言われなくても産むよって感じだよね。そういう風に作られてるんだからさあ。でも、わざわざ口に出さなくてもよくない?なんて。
ああ、やっぱり同類だって思って。同族というより、同類。私も同じだったから。まあ、方向は違うけど。
大丈夫か、そんな細くて赤ちゃん産めるか?とか。いつまでたっても胸、大きくならないな。そこまで胸が無いと、どこを吸えばいいのか分からなくて赤ちゃん困るだろ。俺が揉んで大きくしてやろうか、みたいなことは、正直。何度も数えきれないぐらい言われたことあるから。まあ、酒の席での冗談だけど。酒の席での冗談でしか無いけれど。
ああ、キモイなあって。黙っててくれないかなって。お役目はお役目として果たしますから。言われなくてもお役目は果たします。きちんと家が探してきたお婿さんとまぐあいます。お婿さんが気持ちよく子種を残せるよう、きちんと喘ぎますし、よがりますから。
ちゃんと、あんあん喘いで、頭を振り乱して。気持ちいい、気持ちいいとでも言えばいいんでしょう。感じているように見せかければいいんでしょう。お婿さんに飽きられないように。手放されないように。
そして、きちんと男の子を産む。予備も含めて、複数を。ちゃんとやりますから。だから、今は。今だけは黙っててくださいよ、って。お願いだから。お願いだから。どうか黙っててくださいよ。お願いだから。もう、うるさい。うるさい、うるさい。うるさいうるさいうるさい。うるさい。もう、黙ってて。本当にうるさいの。お願いだから、もう。黙ってて。なーんて。
だから、私は言う。分かるよ。すごく、分かるよ。そう、呟くように。
一瞬、咲はこちらを窺うような目をしたけれど。すぐに目をそらすといった。
この際だから言うんだけどさー。私、下の毛が生えてくるのめっちゃ嫌だったんだよねー。女じゃんって感じでさあ。胸が膨らむのも嫌だった。だからぶちぶち片端から引き抜いてたし、あえて小さなサイズの下着買ってたんだけど。馬鹿みたいだったな。意味なんて、なかったな!
そう、わざとらしく声を張り上げる咲。ぼんやりと空を見上げている。私も同じように空を見上げる。
どこかぼんやりと曇った月。朧月だ、珍しいな。そんな咲の言葉に朧月って春じゃなかった?って返しつつ思う。
分かるよ。すごく分かる。私も一緒だったから。下の毛なんて片端からちぎって抜いてた。最初はピンセットでちまちま抜ける量だけど、次第に追いつかなくなってきて。まとめてぶちぶち引っこ抜いていても間に合わなくなってくるんだよね。
そして周りに散らばった毛を見て思う訳。私、何してるんだろって。馬鹿みたいって。こんなことして、意味なんてないのに。女になるのを止められるわけでもなく。今、引っこ抜いたところで、どうせいつかは、また生えてくるのに。女になるのは止められないのに。馬鹿みたいだなって。
咲は、月を見上げたまま言った。ねえ、澪。あんたはさ。死にたいって思ったことはあるのかなって。私は即答する。いつだって思っているよって。ふ、と口の端をゆがめて咲は笑う。
じゃあさ。澪。あんたは誰かを殺したいって思ったことはある。そういう咲に、やっぱり即答する。あるよ。いつだって思っている。ぶち殺したくて仕方がないね。小さく歯を見せる咲。
誰をって聞いていい?そう囁くように言う咲。私は即答する。みんなを。この世界の人間みんなぶち殺したい。
過激だね。そう笑う咲に、そっちこそ、とほほ笑みかける。咲だってわかってるくせに。
この世界の人間なんてみんなみんな死ねばいい。生きている価値のある人間なんて存在しない。死んだほうがいい屑ばかり。そもそも生きている価値のある人間なるものが存在しえない。腐っている新鮮な魚の切り身ぐらいありえない。
それは矛盾だ。論理不整合だ。概念としてあり得ない。概念からしてありえない。存在の質として間違っている。存在の形からして間違っている。存在の格からして間違っている。存在の格としてあり得ないし、存在の核からして誤っている。生物の核からして間違っている。それが、人間。それが、私たち。それが、私と咲。それが、私。
そんなことは誰に言われるまでもなくわかっている。そもそも、私が生まれたのが間違いだし。そもそも、私と咲が生まれたのが間違いだし。そもそも私たちが生まれたのが間違いだし。そもそも人間が生まれたのが間違いなんだって。
人間が生まれたことからして間違いなんだって。生きている価値のある人間なんていない。死んだ価値のある人間もいない。初めから価値がゼロのものに、意味などつけられない。プラスにせよマイナスにせよ、それは外から後付けの価値基準に過ぎない。
人間とは、わざわざ言葉を費やすまでもなく、本質的に無価値である。生存する価値もなければ、存在する価値もない。生きていることは無意味で無価値だし、死んだからと言って、それは当たり前のように生命活動を終了させただけ。そこに付加的な価値は存在しない。あるべきものがあるべき場所へ収まっただけ。
そもそも生命体とは誕生し、生を受けたものである以上必然的に死を迎えるものである。終わりを迎えるものである。誰もその摂理からは逃れられない。今のところ逃れられない。
で、あるならば。人間が死んだところで自然の摂理に従っただけ。ごくごく当たり前に生命体がその生命活動を終了させただけ。そこに特筆すべき異常なんて存在しない。むしろ終了しないのなら異常だが、ごくごく普通に生命活動を終了させただけなのであれば、そこには何の異常もない。以上。というのは戯言にしても。
人が死ぬのは当たり前だ。死んだからと言ってそこに価値はなく。生きているからと言って価値もない。ただ皆等しく平等に価値がない。
男も女も。老いも若きも。子供も赤ん坊も。アインシュタインからクラーク博士。新渡戸稲造から天皇陛下に至るまで。みな平等に価値などない。生まれてきた価値もないし、生きている価値もない。みな平等に価値を得る手段などないし、価値など得られない。
それが人間。それが私たち。それが私と咲。それが私。そんなことも分からない人は多いみたいだけど。だから、私はみんな死んでほしい。
父親も母親も。祖父も祖母も。家の人間も。家にかかわりのある人間も。近所の人も。スクールカウンセラーも。友達も。先生も警察官も。人間であるならばみんな死んでほしい。だから、私はみんなに死んでほしい。
だけど、みんな死んでくれないから。自分で勝手に死んでくれないから。あまつさえ、自分には生きている価値があるとか言い出すから。誰かの死には価値があるとか言い出すから。
そういうの、ムカつくから。だからみんな消えてほしい。むしろ消したい。殺したい。殺すしかない。灰は灰に、塵は塵に、と聖書にも書いてあるように。皆等しく塵になって消えればいい。風に吹き飛ばされて消えればいい。
そこには何の痕跡も残さず。初めからなかったように。初めから存在しなかったように。全て、ゼロになればいい。ゴミはゴミ箱へ、なんて言うのは生ぬるい。あまりに汚いゴミならば、ゴミ箱まで汚されてしまう。汚れたゴミ箱まで処分しなければならなくなる。
だから。ふっと息を吹きかければ消し飛ぶだけの塵でいい。灰でいい。ゼロはゼロに還るべきなのだ。始まりのゼロへ。なんて。そんな格好いいものでもないけれど。みんなみんな、ただの無になればいいのに。
だけど。そういうみんなを無に還す方法がないのは残念だ。心からそう思う。だから私は言うのだ。みんなをぶち殺せる方法があればいいのにね。みんなみんなを確実に殺せる方法があればいいのにね。それがないのが残念だよって。ああ、とても。とても残念だって。
でも、咲はにっこり笑って。言った。
「じゃあ、本当にあるとしたら。どうする?」
いつの間にか、ブランコから降りて。私の正面に回り込み。厳密には左斜め前に、ひざまずいていた咲。にっこり笑って、手を差し伸べて。まるで、倒れこんでしまった友達に、手を貸すような気やすさで。引っ張り上げてやるから掴まれとでもいうように。
はたまた、お姫様の膝元にひざまずいて手を差し伸べる、中世の騎士のように。まるで、ダンスでも誘うような気やすさで。あるいは永遠の忠誠をささげる騎士のような荘厳さで。
もしくは、お姫様に求婚するような、王子様のような。白馬に乗った王子様。はるばる白馬に乗って駆けつけて来てくれたような、王子様みたいな。そんな柔らかな微笑みを浮かべて。
私がその手を握って。その手の甲にキスを落とすのを待つかのように。優しく手の甲に接吻するのを待つかのように。
それはまるでハーモニーの中で。
「ねえ、トァンはさ。私と一緒に、死ぬ気ある?」
そう、鈴の鳴るような声で囁いた、ミァハのようで。
だから、私は。ひときわ大きなため息を吐くと。一つ、頷いて。決心した。