「理恵さんには監視頼んどいたし、多分大丈夫だと思うけど・・・」
澄んだ冬空を見上げながら誰とはなしに呟いた。
駅近辺だけあり、まだ街灯りが眩しく感じるのだが、夜の帳に包まれた空にはオリオン座などの星々が輝いていた。
「まぁ、あいつらも
理恵さんこと雛森理恵はあの変態・・・もとい雛森真由の母親。
悠兄と雛森の暴走を止められる唯一の人物で、あの二人でさえ全く頭が上がらないくらい怖い。
俺の叔母にあたる
そんな逞しい理恵さんだが、妻も妻なら夫も夫。ここ辺では誰もが認めるスーパーファミリーである雛森家。雛森の父である雛森勇作はかなりの資産家でもあり、敏腕社長でもある。
俺が今住んでいる屋敷も、もとは雛森家の土地だったらしく、気前よく屋敷ごと貸してくれたのだ。しかも親戚のよしみとやらで
雛森とは毎日ぎゃーぎゃー言い合っているが、あいつがよくも悪くも普通に接してくれることにも感謝してるし、理恵さんや勇作さんからは非常に世話になっている。
────今頃何してるだろう。
ふとそんな疑問が沸く。雛森と悠兄は蛇に睨まれた蛙よろしく、居間で正座しているんだろう。そして隙ができるのを伺って、脱衣所の唯の服を漁り、あわよくば浴室の裸体を見に行く気なのだろう。
屋敷中で唯の心地よい鼻唄が聞こえていて、多分RiSAの曲なんかを口ずさんでいるんだろう。
雛森家の
早く帰ろう。
ささやかで、言うことなすこと全てアホで、頭の悪い会話しかしないような
はやる気持ちを歩を進める原動力とし、真っ直ぐに家を目指した。
ー☆ー☆ー☆ー
「ふぁぁぁ、気持ちよかったぁ~」
懸念していた(サイズの問題という深刻な問題だ)下着もピッタリだったし、時任さん(雛森家の使用人のこと)は気を利かせて可愛い服も用意してくれていた。
『奥様からです。お嬢様がお世話になってるお礼だそうです。』
との文言が書かれた、置き手紙つき。
ここまでされてしまうと逆にいたたまれない気持ちになる。お金は強引にでも受け取ってもらおう。
丸襟のブラウスに、アイボリーのニット、チェックのスカート、アウターにはピンクのコート。理恵さんが選んだ服はセンスがいいのは知っていたけど、まさかここまで可愛い服だとは。普段はカッコいいスーツ姿とか、私服もクール系だからこんなガーリーなのにも詳しいとはさすがと言う他ない。
でも脱衣所でアウターは着ないよなぁなんて思っちゃうのは性格悪いからかな?
これなら帰りに制服を着ていかなくてもよさそうだ。
─────と、
「唯~長いよ、私すっごく暇だったんだから。」
髪をドライヤーで乾かしていると、真由ちゃんがふてくされてやってきた。
「ご、ごめん。でもそんなに長かった?」
「長いよ!私だったら6回は入れる。」
「そんなに!?───ってことは一回15分?短くない!?」
「逆に90分も!?長くない!?」
「そんなことないよ?」
「嘘だ~、私逆上せちゃうもん。逆にさ、何して過ごしてるの?一時間半もさ。」
「え?普通に体洗って、髪洗って、マッサージして─────」
素で答えて私は少し───いや、かなり後悔した。
「ん?ちょっと待ってちょっと待って」
「え?何?」
「マッサージってどこの?」
わかってる癖に聞いてくる辺り、真由ちゃんってこういうとき本当に意地悪だと思う。
「え、えと、アハハ....」
「笑って誤魔化そうなんて甘いわよ、唯!どうせこの脂肪の塊をマッサージしてたんでしょ!このおっぱいお化け!!」
「ち、違う、そんなとこしてないもん。」
「ふーん、で、唯。この一年で痛みは引いたの?」
「うーん、全然。」
「ふーん。」
・・・・・しまった。
と思ったが時既遅し。私ってなんで詰めが甘いんだろう。
「やっぱりしてるんじゃないの!」
「しょうがないでしょ、真由ちゃんが教えてくれたの大きくなるばっかりで全然効果ないんだから!」
「効果出まくってんじゃないのよ!」
「出てないよ!痛み引くって言ったじゃん!」
「へ?アレ本気にしてたの?効果出るわけないじゃん。あんなの出任せなんだから。」
「・・・・・・。はい?」
全く理解できない。・・・というかしたくなかったりする。
「だーかーらー、唯にさせてたのはバストアップマッサージで別に痛みを引くためのマッサージじゃないの。」
「え、えぇぇぇ!?ど、どうしてそんなこと?」
「だってさ、唯15にもなってまな板なんだよ?それにその年でようやく成長痛とかさ、あり得なくない?親心だよ、親心。」
「そんな親心いらないよぉ。こんなに大きかったら気持ち悪いし、それに────」
「龍牙に嫌われたらどうしようって?あのね唯、男ってのは大きければ大きいほどいいもんなのよ。たまーに例外がいるけど。」
手をヒラヒラさせながら、気安くのたまってくれた。
コンプレックス持ってると特にそのコンプレックスのせいで嫌われちゃうんじゃないか、なんて思うことは普通だと思うのだけれど。
「龍牙がその例外だったらどうするの!」
「それは...その時はドンマイ♪ってことで。」
「もう、ドンマイじゃないよぉ。」
「大丈夫!唯可愛いから!!」
なんの根拠もないくせに、すっごい笑顔で自信満々に言う辺りがすごく心配なのだけれど。でもそんな懸念が伝わるはずもなくて。
どんなに落ち込んでても明るくなれちゃう不思議な力を持った弾けるような笑顔。
あー、この顔にやられちゃう男子って多いんだろうな、なんて場違いに思えたりして。
「そうかなぁ。そうは思えないけど。」
そう言いつつ目の前の鏡の中の自分を見る。
もう少し大人っぽくて、背が高い人の方が龍牙は───というか他の男の人は好きなんじゃないかな。
テレビとかで見る女優さんたちみたいに垢抜けた人の方が龍牙だっていいに決まってる。
そう見ると、真由ちゃんは普段の言動こそあんなだけど、時々別人みたいな目をするときがあるし、かなり素質があるんじゃないかと思うのだ。
ぶっちゃけて言うと、真由ちゃんの方がよっぽど美人さんな気がする。
髪も綺麗だし、スラッとしてるし、スタイルいいし。
運動も、勉強もできるし、しれっとお嬢様だったりするし、剣道では全国一だし。
チート並のハイスペックだと思うのだ、真由ちゃんは。
「またまた~ご謙遜を。」
「本当だって。」
「あれ?そう言えばそれ....」
視線の先には首から下げたクンツァイトのペンダント。龍牙からもらった誕生日プレゼントだ。
「あ、コレ?」
「学校だけじゃなくて家でもつけるんだね。」
「うん、失くすの怖いし。」
「唯は昔から底無しのドジっ娘だからね。それ先輩からもらったんでしょ?」
「うん、そうそう。」
「意外とセンスいいよねぇ。唯にすっごく似合ってるし。あ、唯は知らないんだっけ?」
「何を?」
「うーん、唯言ったら怒るでしょ?」
「お、怒んないから教えて?」
「体育の時はそれ外してるでしょ?」
「まぁ、さすがにバレちゃうし。」
「でさ、更衣室に残ってたのを見て他の子たちと噂になったのよ。唯に彼氏がいるって。」
「え、どうして?私棚に入れてたはずなんだけど...」
正確には棚の一番奥、制服の下に置いた下着のさらに下に置いたので、漁らない限りは見つから─────
「え?唯の下着のサイズを調べるためにあさったんだよ。あの時は確かBだったかな。それが出てきたんだよねぇ。」
────ないはずだったんだけど、どうやら漁ってたらしい。
私、どうリアクション取ればいいんだろう。下着のサイズって....
「なんか...もう言葉がない....」
「まあ、それでね。一番奥からそれが出たあと噂の検証が始まったのよ。私は唯と先輩ついにできたんだって思って検証に参加したんだけどね。」
「...それで?」
「ま、登下校やらありとあらゆるところを観察したわけですよ。唯ったらすっごくわかりやすいんだから呆れたよ...」
人をストーカーよろしくつけ回してた人に呆れられてもなんかなぁ。
「最初はできてたって確信してたんだけど、なんか付き合ってるわりには変なこと言ってたからちょっとずつ違和感?が出てきてさ。」
「う、うん。」
「極めつけはアレよ。確か6月くらいだったかな。先輩のあの発言。」
「6月?」
「『お前、まだそれつけてんのかよ。てっきり売っ払っち待ったかと、思ってたけど』『う、売らないって言ったじゃん。』『てっきり建前かなんかだと思ってたぞ。』『そんなわけないじゃん。建前だなんて....』『いやだって気持ち悪いだろ、付き合ってもない、まして単なる幼馴染みがアクセサリーなんてさ。』『そ、そんなことないよ。』ってどんだけラブコメってんですか!っていうか付き合ってないんかい!って突っ込みたくなったね。」
....よく半年も前のことを一人芝居できるほど覚えてると思う。
「とりあえずそれで唯の熱愛疑惑は晴れて、代わりに泥人形に片想いしてることがクラス中にひろまったわけ。」
「く、クラス中!?」
「と言っても女子だけだけどね。」
「それ広まったら私終わりだよぉ。」
『女子の好物は噂話なんだぞ、唯。』
って龍牙が実体験たっぷりに話してたし、開いた口に戸は立てられぬなんていうし、実際龍牙の言う通りだとも思うし、もう終わりかも....
「大丈夫よ、寧ろ広まった方がよかったみたい。」
「え?それってどういう....」
「唯、先輩はそういうことを自慢したがらないだろうから知らないだろうけど....」
.....その、すごく嫌な予感がする。
「龍牙って唯が入ってからもずーっとモっテモテだったんだよ。」
.....そりゃ、背は高いし、目はキリってしてるし、悪ぶってるわりには優しいし、細い割りに筋肉ついてて逞しいし、モテる要素しか持ってないから、そんなの不思議でもなんでもないのだけれど....。
「告白もされまくってたらしいんだけど、唯!こっから先が大事なんだってば!」
.....正直なところもう聞きたくない。綺麗な彼女さんとかいるんだろうなぁ...とか思うと辛い。
「はぁ、告白されまくっててどうしたの?」
「それがね、全部、悉くフッてるらしいんだよね。こないだもさぁ『俺なんかと付き合うとろくなことにならないから。』って。何それ、フるならちゃんとフれよ!って思ったんだけどさ...って唯?」
「そうなんだ....って全部!?」
「ビックリだよね!けど、今アタックしてるのが神代唯ともなれば皆手を引くって。」
「どうして?」
普通なら奪われまいと我先にアプローチしてみるんじゃないか、と思うのだ。
「じゃあ、唯。先輩が私と唯以外の異性と喋ってるところを見たことある?」
「うーん、そんなには。」
「でしょ?言っておきますけどね、幼馴染み、ドがつく美少女、料理もできて、高校では特別クラス。その癖ド天然で、人がよくて、誰からも嫌われる要素がないパーフェクトな人なんてそういないよ?他のやつならいざ知れず、神代唯の恋路を邪魔しようなんて思わないし、まず勝ち目ないって。知ってた?唯、
「自信って....フラれる自信しかないんだけど...」
そう答えつつ、居間へと続く
「あらぁ、唯ちゃん。久しぶりね。」
「こんばんは、理恵さん。」
「随分立派になって。」
立派になったつもりはないし、そう言ってくれるのは嬉しいのだけれど....
「ど、どこ見て言ってるんですか!」
注視されている
「真由から聞いたときは半信半疑だったけどね。そうかFかぁ。」
「ね、結構あるでしょ!」
「ひ、人のサイズを公表しないでください!」
「あのサイズを見越して選んどいて正解だったわ。」
って全然聞いてないし....
理恵さんは私をジーっと見るなり、
「不恰好ってわけでもないし、似合ってるじゃない唯ちゃん。」
「あ、ありがとうございます。そ、そのお金・・・・」
「いいの、いいの。どうせ昔真由に買って一度も着てもらえなかったお古なんだから。」
「ね、値札ついてましたけど。」
一気に顔色が変わる。そしてとどめの一撃。
「ねぇお母さん、私家でこんな服見たことないよ。」
「・・・・と、とにかくお金はいらないから。」
「わ、悪いです!せめてお金だけでも。」
「うーん、じゃあお代は頂いておこうかしら。唯ちゃん、お金に変えがたいものって何だと思う?」
「お金に変えがたいもの?」
「人の気持ちよ。唯ちゃん、真由と仲良くしてくれてるからそのお礼。手紙にも書いてあったでしょ?」
「で、でも....」
「これからも真由をよろしくね。お代はこれからも真由の親友として仲良くしてあげて。」
「すみません、妹が頂き物をしたみたいで。」
「悠さん。たまには可愛い服を買ってあげてね。もっと女の子を満喫させてあげなきゃダメですよ。」
「は、はい。」
「ま、あとは若い子たちだけでやってちょうだい。」
そう言うと理恵さんは、よっこいしょなんて言って立ち上がって居間を去ろうと襖を開けた。
「え?母さん帰るの?」
声が弾んでるのがこちらでもわかる。
「何よ、その嬉しそうな顔。」
わかりやすいくらいの現金な反応に顔をしかめる理恵さん。
「いやぁ、何でも。」
真由ちゃんが悪いことを思い付くと決まってこんな顔をするから、何か良からぬことを企んでいるらしいことは明白だった。口には出さないものの、「早く帰れ」と顔にはデカデカと書いてある。
「言っておきますけど、唯ちゃんに何かしたら許しませんからね。」
「えぇー!!」
.....単純過ぎて何も突っ込む気になれない。邪魔者が帰れば、あとはやりたい放題できるっていう算段だったんだろうけど、私をどうにかする以外の選択肢はなかったんだろうか。
「何が『えぇー!!』ですか。人が嫌がることはやるもんじゃありません。わかった?」
「.....はーい。」
ふてくされつつ返事した。なんというか子供っぽすぎて笑えるかも。
「じゃあ、龍牙くんによろしく伝えておいてね。真由、あまり遅くならないうちに帰るのよ。」
「わかってるよ。」
そう返事したのを聞くとガラガラっと扉が閉まる音が聞こえた。
「はぁ~やっといなくなったよ。 」
「お母さん嫌いなの?」
「そういう訳じゃないんだけどさ、もう高一なんだからさ、縛り付けたりしないでほしいよねぇ。わかる、唯...............ってごめん!私ったら」
「ううん、気にしてないよ。」
「本当ごめん!」
「気にすんなって真由。親なんていつか
「悠さん....」
「すぐ謝るのは紅家の遺伝かなんかかよ。気にすんなって。」
兄さんはこう茶化したけれど....本当は一番悲しんでたのは兄さんだった。
私が7歳になったばかりの頃、両親は殺された。家は荒らされ、父は腹を複数回、母は心臓を一突きされた。
数日後、犯人は職務質問にかけられていた際に凶器である血のついたナイフが見つかりまもなく逮捕された。犯人は空き巣で入ったのだけれど、両親がタイミング悪く帰ってきてやむを得ず殺したらしい。
私たちが無事だったのは単なる
しばらくは私は泣きに泣いて、九つ年の離れた兄に慰めてもらっていた。
そんな日々が続いていたある日、中々寝付けなかった私は誰かがすすり泣く声を聞いた。
幽霊を信じていた(今もだけど)私はその声の方へ恐る恐る近づいていった。そして、そっと扉を開けると兄さんが泣いていたのを見てしまった。私はそっと来たときのように扉を閉めて、何も見ていないフリを決め込んだ。
「紅家の遺伝って、私は先輩みたいな謝り虫じゃなくて単に迂闊だったなって思っただけ。」
「お?やっぱり真由も龍牙の
こんな失礼なことを言えるくらいには回復したんだろう。今理恵さんがいなくて本当によかった....って龍牙の異常性?
「え?唯、どうしたの変な顔して。」
「え、あっ、いやっ、そのっ」
「おい、唯。まさかとは思うがお前.....」
「気づいてなかったの?」
真由ちゃんも兄さんも完全に顔がひきつってる。
「どうしてなんでも自分が悪いなんて思うんだろう、とは思ってたけど....」
「それよ!それ!おかしいとは思わない?」
「えーと....具体的にどの辺が?」
「お前が言った
「先輩は自責の念に駆られ過ぎなんだよねぇ。」
「そ、そうかなぁ。確かにちょっと行き過ぎかなって気はするけど私は龍牙の気持ちもわからないこともないし...」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「「ハァ....」」
「ど、どうしたの?」
「何が『どうしたの?』だ。妹がこんなにも大問題を抱えてるとは思わなかったよ!」
「唯、アンタ先輩とほぼ同類項だわ....」
「私が龍牙と?」
「そうよ。アンタも『私が悪かったから、ごめんね。』が口癖ですぐ周りの連中を調子づかせるんだから。」
......そう言われるとそうかも。
「まぁ、お前のはまだマシだ。アイツの場合は自分を切り売りした挙げ句あの台詞だもんな。ちょっとは自分を大切にしろっての。」
「そ、それはっ!」
「ん?どうかしたの、唯。」
「その、兄さんは間違ってると思う。」
「ん?結構核心突いてたと思うが...」
「悠さんのどこら辺が違うの?」
「兄さんの言ってることは半分は合ってると思うけど、もっとこう本質的に違うんじゃないかなって。」
「へーっ。で?どう違うって感じたんだ唯は?」
「龍牙は多分....多分だけど
「それは
「ううん。寧ろあの時からより強くそう思い込んでる....根拠はないけどそんな気がするの...」
「・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・。」
「....アイツ遅いな。」
痛いほどの沈黙の後、兄さんが一人耐えきれなかったかのようにポツリと呟いた。
つけていたエアコンの微かな駆動音だけが虚しく部屋中に響き、温かくて居心地がいいはずの部屋は外の寒空の下よりも今は居たくない空間に変わってしまっていた。
見送った顔をどう迎えようか、私はわからなくなってきていた。
ー☆ー☆ー☆ー
刺すような冷気が一層冷たさを増した街を行く。
乾燥した空気はカラッとしていて吸い込むと少し喉が痛かったりする。
吐く息は白く、この気温ならドライアイスはいらなかったのでは?とすら思わせる。
左手に提げたケーキ屋の袋には、四人分のケーキが箱に入っている。
唯が好きなイチゴのショートケーキと、雛森と悠兄にはチョコレートケーキ、自分には一応ガトーショコラを買った。
《アスタリスク》という洒落た名前のケーキ屋は駅から徒歩10分、学校からは徒歩20分近くある。割と便の悪い通りにあるにも関わらず、
アスタリスク──ギリシア語で小さな星と言う意味の名にふさわしく、見た目が綺麗なケーキばかりが並んでいて、唯もここのケーキ屋を気に入っていた。中でもここのシュークリームとイチゴのショートは絶品らしく、店の看板メニューにもなっている。
ふわふわのスポンジに、間にはたっぷりとイチゴとクリームを挟み、表面は口どけのよい生クリームと砕いたビスケットでコーティングしてある、四角いこの店独特のケーキ。
俺なら一口で胸焼けしそうなそれを本当に旨そうに食うのだ、唯は。
「なんて言って渡すかなぁ。」
あれだけ旨そうに食えば誰でも好物だと勘づくものなのだが、三人一緒のものを買えばよいものをわざわざ好みのものを───しかも唯一人だけ───買ってきたとなるとなんだか気恥ずかしい。
「『悠兄と雛森のは思い付いたけど、何が好きなのかわからなかった。』とか言えばいいか。」
・・・・。ん?
そう言えば前も、こんなニュアンスのことを言って渡したような・・・確かあれは────
ー☆ー☆ー☆ー
一年前の4月24日。
俺はクンツァイトという石を彼女に贈った。
花か、ケーキか、なにか残らないものか。
文具なり、なにか役立つものか。
考えあぐねた末達した
リングやネックレスなど輪になっているものは『独占』や『相手を独り占めにしたい』などの意味があるそうで、買う時も
『彼女さんへのプレゼントですか?』
などと聞かれたものだ。
その意味を知らない訳ではなかったのだが、店頭に並んだ淡いピンクの───どちらかというと桜色に近い───色を帯びた宝石は妙に彼女を感じてしまったのだ。
で、その石を見てから一週間。他に相応しい贈り物を探したのだが、アレ以外パッとしたものも思い付かず、4月24日の誕生石ということもあって結局買って贈ってしまったのだった。
そう思って渡した俺なりの感謝の気持ち...だったのだが─────
『これ....私に?』
────なぜか涙目になるほど喜んでくれた。
まぁ、喜んでくれたんだし。
当初の目的は達せられた訳なんだが....
『ありがとう...本当にありがとう....』
.....本当に泣かれるとこっちもリアクションに困る。
一瞬、誰も祝ってくれなかったのかと邪推したが、彼女を慕う友人はたくさんいる。第一、雛森が祝わない訳がないのでその可能性はゼロ。
泣かれる理由がわからない。
呆然と見ている俺に
『でもどうして、私の誕生石を知ってたの?』
なんて言ってきたもんだから、
『唯に似合いそうだから。・・・・その、たまたま見つけただけで下調べなんかしてないから。』
──って何ツンデレしてんだよ俺!!!
したろ、下調べ。部活サボって毎日毎日いろんな店見て、ネットサーフィンもしてたろお前!!
間違いなく今の龍牙迷言集にセレクトされたぞ、絶対。
『ううん、わかってるよ。....大切にするから...ずっと...ずっと...』
『───────────────っ』
たしかリチア輝石の宝石言葉は『純粋さ』だった。
その言葉の通り、彼女は穏やかで、純粋な笑みを浮かべてこう言った。
そんな彼女に俺は、
『お、女は男からのプレゼントの大半、売ってるって聞いたし、いくらお前がそんな喜んでますポーズ取ったって騙されないんだからな。────だけど、本当に売ってくれたって構わないから。』
彼女の純粋さを茶化した。
じゃなきゃ、気恥ずかしくてこっちが参りそうだった。それに、
『ふふ...』
『何だよ。』
『売らないよ。ずっとつけてる。』
『お前、本当はからかってるだろ。楽しんでるだろ。』
『えぇ、そんなことないよぉ。』
『嘘つけ!笑ってるじゃねえか!』
───視線は明らかに俺とリチア輝石を交互に見てたりするのだが。
『そ、それは....その....』
そしてボッと、本当にそんな勢いで顔を一気に真っ赤にしたあと、こっちをジーっと見つめて、
『ん?』
『も、もう!こっち見ないで!!』
────いや、見てたのお前だろ!
なぜか猛烈に背中をバシバシ叩かれる。
154センチと、下手すると小学生と間違われるくらいの背丈からの猛攻。
『痛っ、痛い!わかった、わかったから叩くな!』
ー☆ー☆ー☆ー
.......黒歴史その三だな、これ。
どこのラブコメだよ、あのツンデレ具合。あり得ないだろ、今時テレビでもやんねぇよ。
我ながら実に気色が悪い。断っておくがその手のファンが増えるのはお断りなのである。
そう考えながら歩く俺の右足がコツと何かを蹴飛ばした。
「うわ、ヤベ。ってなんだこれ?」
急いで駆け寄ってそれを拾い上げてみる。
特に傷はついてなさそうだが・・・
「世の中変わった趣味もあるもんだねぇ。」
右手の中にあるのは──持ち主には失礼だが──悪趣味な腕輪だった。
艶々とした光沢のある黒い金属製で、手錠をモチーフにしたと思われるそれには無数の──全部で13の──鍵穴がついていた。
細部まで凝った作りになっていて、溝のようなものが彫られてあり、金色がさしてある。鍵穴の周りにも同様に金色の板が取り付けてあり、まるでマンガやゲームに出てくるようなデザインだ。
腕輪としてはかなり大型で、直径は本物の手錠くらい、厚みは五センチ近くある。ずっしりとした重みもだが、異質さ、異様さによりさらに存在感が増しているような気がする。
「届けた方がいいよな、これ・・・。───────っ!?」
頭が割れんばかりの激しい頭痛が襲ってきた。 万力で締め付けられるような重さと痛み。
やっても意味がないとわかりつつも頭を押さえずにはいられなかった。
今ならかの岩猿が日頃受けている痛みも理解できる。
「なんなんだよっクソ!」
ついで、キーーーーンっという金切り音にも似た耳鳴り。煩わしいことこの上ない。
「うぐっ」
頭痛も耳鳴りも引くどころか一層激しさを増し襲ってくる。
よろよろと壁を伝いながら歩を進める。
一歩、また一歩。右、左、右。
「あぐぁ、ハァ、ハァ。」
歩く。
歩く。
右足を踏み出すのと交差するように左手を振る。左足を踏み出すのと交差するように右手を振る。
それだけのことなのに、動けば動くほど、前に進めば進むほど増す激痛。
まるで───
マエニススムナ
トマレ
フリカエッテハヤクタチサレ
───
生物としての本能が危険を告げている。
ナニヲシテイル
ハヤクニゲロ
俺の中の何か第六感的なものがそう告げる。
ニゲナキャ
何から?
ニゲロ!!
どうやって?
コロサレルゾ
何に?
視界にあるのは何の変哲もない普通の道だ。
アスファルトで舗装され、白線のセンターラインがあるだけの普通の道路。
交差する点にあるカーブミラーにも人影らしいものも写ってない。
本能と裏腹に理性が認識しているものは危険なものは何一つない。
寒空を歩くのは俺一人な
わかっていたつもりだった。現実ってのは残酷で俺達に手加減なんかしてくれないってことを。
理解してたはずだった。運命ってのは
何事も永遠には続かない。さっきまで過ごしてた、ささやかで、言うことなすこと全てアホで、頭の悪い会話しかしないような
だが、現実は残酷に俺を一気に非日常へと振り戻した。
────今宵、血と殺戮にまみれた非日常、
本作のタイトル。
グラン・ギニョールとは、フランス、パリに19世紀末から20世紀半ばまで存在した大衆芝居・見世物小屋のグラン・ギニョール劇場のこと。またそこから転じて、同座や類似の劇場で演じられた「荒唐無稽な」、「血なまぐさい」、あるいは「こけおどしめいた」芝居のことをいう。(Wikipediaより転載)斬首されても喋り続ける首、娼婦など普通の劇では登場しないような人物にスポットが当てられ、血糊を使うこともある。ある種の恐怖劇。
迦楼羅炎
不動明王が纏っているとされる炎。
RiSA
某有名アーティストのもじりである。
かの岩猿が受けた痛み
西遊記の孫悟空は悪さをすると念仏を唱えられ頭のワッカが締め付けられて懲らしめられると言う設定から。
We gossip with him
『私たちは彼の噂をする』という訳。