放課後、世界を撮る   作:コマ塩

8 / 9
雨宮湊は、人の一瞬を見つけるのが上手かった。

誰も気づかない表情を見つけ、誰も拾わない沈黙を拾い、それを映画の中へ残してきた。

けれど高校二年の秋。

久世直樹に向けたそのカメラだけは、下ろさなければならなかった。

雨宮は、下ろさなかった。


第七章 久世直樹

 

 

 久世直樹は、カメラを止めさせることに慣れていた。

 

 三十五歳。衆議院議員、一期目。

 

 選挙区へ戻れば街頭に立ち、国会へ行けば記者に囲まれる。自分で人前に立つ仕事を選んだ以上、撮られることそのものに不満はなかった。

 

 むしろ、カメラとの付き合い方は知っている方だった。

 

 質問へ答える時、どこを見れば自然なのか。どのくらい間を取れば言葉が届くのか。十分話した内容から、ニュースで使われる十秒がどこになるのか。

 

 政治家になって覚えたこともある。

 

 高校生の頃から知っていたこともある。

 

 ただ一つ、昔から変わらない考えがあった。

 

 撮ってはいけない時がある。

 

     *

 

 その日、久世は地元の小さな市民ホールで、高校生や大学生との意見交換会に出席していた。

 

 大きな政策発表があるわけではない。地域交通や奨学金、子育て支援について若者から質問を受け、久世が答える。百人にも満たない、小さな催しだった。

 

 会場には二台のカメラが入っていた。

 

 一台は地元テレビ局。

 

 もう一台は、久世の密着記事を制作している雑誌の映像班だった。

 

 終了後。

 

 スタッフたちが椅子を片づけている。

 

 久世も上着を脱ぎ、折り畳み机を運んでいた。

 

「議員、それはスタッフがやりますから」

 

 若い秘書が言った。

 

「議員が机運んだら法律違反になる?」

 

「そういう問題じゃありません」

 

「あと五分で終わるだろ」

 

「そういうところを撮られると、また『庶民派アピール』って言われますよ」

 

「じゃあ撮らなきゃいい」

 

「密着取材中です」

 

 二人が笑った時だった。

 

 会場の隅にいた大学生のボランティアが、スマートフォンを見たまま動かなくなった。

 

 二十歳くらいの女性だった。

 

 俯いたまま、肩が小さく震えている。

 

 久世は机を置いた。

 

「どうした?」

 

 女性は顔を上げない。

 

「すみません。大丈夫です」

 

 大丈夫ではない顔だった。

 

 久世が近づこうとした時、視界の端でレンズが動いた。

 

 密着班のカメラが、彼女へ向いていた。

 

「そこ、止めてください」

 

 カメラマンが動きを止める。

 

「え?」

 

「彼女、取材対象じゃないでしょう。撮らないで」

 

「あ……すみません」

 

 カメラが下がった。

 

 久世は女性のところへ行った。

 

「別の部屋へ行こうか」

 

「本当に大丈夫です。家から連絡があって……」

 

「なら、なおさらここじゃない方がいい。隣の控室空いてるから」

 

 秘書に確認し、女性を連れて会場を出た。

 

     *

 

 三十分ほどして戻ると、後片づけはほとんど終わっていた。

 

 女性は祖母が倒れたという連絡を受けていた。幸い意識は戻ったらしく、今は家族が迎えに来るのを控室で待っている。

 

 久世が上着を着ていると、雑誌の女性記者が近づいてきた。

 

「久世さん」

 

「はい」

 

「さっきのこと、少し伺ってもいいですか」

 

「何でしょう」

 

「カメラを止めたことです」

 

「ああ」

 

「密着取材では、撮影可能な範囲についてかなり広く許可をいただいています。それでも、ああいう時は迷わず止めるんですね」

 

「本人から許可もらってませんから」

 

「それだけですか」

 

 久世は記者を見る。

 

 質問の仕方が少し妙だった。

 

「何か聞きたい話が別にあるんじゃないですか」

 

 記者は笑った。

 

「雨宮湊監督の高校時代を調べています」

 

 久世の表情が、わずかに変わった。

 

「なるほど」

 

「白石紗月さんたちから、順番にお話を伺ってきました」

 

「どこまで?」

 

「相馬先生と三浦さんまで」

 

「随分いきましたね」

 

 久世は腕時計を見る。

 

「このあと一時間くらいなら空いてます」

 

「よろしいんですか」

 

「どうせ雨宮の話を聞きに来たんでしょう」

 

「はい」

 

 久世は椅子へ腰を下ろした。

 

「じゃあ、最初に一つだけ言っておきます」

 

「何でしょう」

 

「あいつのことは、今でも友人だと思っています」

 

 記者は頷いた。

 

「でも高校二年の時、一度、本気で嫌いになりました」

 

     *

 

 久世直樹は、高校時代から人前で話すことが得意だった。

 

 中学校では生徒会副会長。

 

 高校一年では学級委員。

 

 二年生になると、生徒会長に立候補した。

 

 選挙演説の日。

 

 体育館には全校生徒が集まっていた。

 

 多くの候補が、学校を良くしたい、行事を盛り上げたい、と話した。

 

 久世は少し違った。

 

「生徒会ができることには、限界があります」

 

 最初にそう言った。

 

 体育館が少しざわついた。

 

「校則を明日全部変えることもできませんし、文化祭の予算を倍にすると約束することもできません。僕が会長になったからといって、急に学校生活が自由になるわけでもありません」

 

 教師席から苦笑が漏れた。

 

「それでも、どうしてそう決まっているのかを聞くことはできます。納得できなければ、変えられないか相談することもできます。全部は変えられなくても、一つくらいなら変えられるかもしれない。その一つを、きちんと探す生徒会にしたいと思っています」

 

 派手な演説ではなかった。

 

 だが、終わった時の拍手は大きかった。

 

 久世は当選した。

 

     *

 

 その演説を、体育館の一番後ろで雨宮湊が見ていた。

 

 翌日。

 

 生徒会室から戻る途中、廊下で呼び止められた。

 

「久世」

 

「雨宮?」

 

 二人は同学年だった。

 

 クラスは違う。

 

 互いのことは知っていた。

 

 映画ばかり撮っている変わった奴。

 

 生徒会の演説が上手い奴。

 

 その程度だった。

 

「映画に出ない?」

 

 久世は笑った。

 

「いきなりだな」

 

「昨日の演説見てた」

 

「それで?」

 

「喋るの上手いから」

 

「役者は喋るのが上手ければいいの?」

 

「それだけじゃないけど」

 

 雨宮は少し考えた。

 

「昨日、最初に『できないこと』言っただろ」

 

「言ったね」

 

「選挙の演説なのに、何でもできますって言わなかった」

 

「できないことを約束して当選しても、後で困るだけだろ」

 

「そこがいいと思った」

 

 久世は眉を上げた。

 

「映画の役?」

 

「高校生。町の市民ホールが閉鎖されることになって、それを止めようとする」

 

「随分地味だな」

 

「俺は面白いと思ってる」

 

「脚本見せて」

 

「出てくれる?」

 

「脚本を読んでから」

 

「分かった」

 

     *

 

 題名は『議場の外』。

 

 町の古い市民ホールが、老朽化と財政難を理由に取り壊される。

 

 主人公は、幼い頃からそのホールで演劇をしていた高校生だった。

 

 閉鎖を止めるため署名を集め、市議会へ陳情する。

 

 しかし決定は覆らない。

 

 最後、主人公は解体される建物を見ながら、自分が集めた署名用紙を箱へしまう。

 

 映画はそこで終わる。

 

 久世は翌日、脚本を雨宮へ返した。

 

「面白かった」

 

 雨宮の顔が明るくなる。

 

「本当に?」

 

「ただ、議員が全員悪者なのは雑」

 

「全員じゃない」

 

「ほぼ全員だろ。主人公が何言っても、『決まったことだから』しか言わない」

 

「そういう大人もいるだろ」

 

「いる。でも、ホールを残したくても予算がない人もいるだろうし、安全の問題もある。閉鎖に賛成する側にも理由があるはずだよ」

 

 雨宮は脚本を見る。

 

「じゃあ、一人くらい主人公の話をちゃんと聞く議員を入れる?」

 

「その人も結局は閉鎖に賛成する。でも理由は説明する」

 

「その方が主人公の負け方が強くなるな」

 

「負けさせたいんだろ?」

 

「うん」

 

「だったら、相手を馬鹿にしない方がいい」

 

 雨宮は鉛筆を取った。

 

「久世、やっぱり出てよ」

 

「意見を聞くため?」

 

「それもある」

 

「それも?」

 

「主人公に合ってると思う」

 

「どこが」

 

「正しい言葉を使えば、人を動かせると思ってそうなところ」

 

 久世は雨宮を見る。

 

「それ、褒めてる?」

 

「かなり」

 

「喧嘩売ってるようにしか聞こえない」

 

 二人は笑った。

 

 それが始まりだった。

 

     *

 

 撮影は思っていたより楽しかった。

 

 久世は、演説と演技は似たようなものだと思っていた。

 

 全然違った。

 

「久世、今の演説っぽい」

 

「演説してる場面だろ」

 

「十人に話してるんだから、全校生徒へ喋る声じゃなくていい」

 

「じゃあどのくらい」

 

「そこにいる一人に届くくらい」

 

「曖昧だな」

 

「俺も今考えてる」

 

「監督がそれでいいの?」

 

「よくないから考えてる」

 

 雨宮の監督ぶりは、想像していたものとは違った。

 

 もっと自信満々に、

 

「こうしろ」

 

 と言う人間だと思っていた。

 

 実際にはよく迷った。

 

 撮って、見て、考える。

 

 役者の意見も聞く。

 

 朝倉凛とは頻繁に揉める。

 

 それでも翌日には、また二人で同じ脚本を覗き込んでいた。

 

 久世はいつの間にか、撮影のない日にも映画研究部へ顔を出すようになった。

 

     *

 

 雨宮とも、映画以外の話をするようになった。

 

「久世、将来政治家になるの?」

 

 昼休み、雨宮が唐突に訊いた。

 

「ならない」

 

「生徒会長なのに?」

 

「生徒会長が全員政治家になると思ってる?」

 

「少し思ってた」

 

「ならないよ。今は法律をやりたい」

 

「弁護士?」

 

「たぶん」

 

「何で?」

 

「言葉とかルールって、ちゃんと知っていれば人を守れることがあるから」

 

「逆もありそう」

 

「逆?」

 

「ルール知ってる奴が、知らない奴を困らせることもあるだろ」

 

 久世は少し考えた。

 

「あるね」

 

「じゃあ法律も怖いな」

 

「映画撮る人に言われたくない」

 

「映画、何か怖い?」

 

「編集できるだろ」

 

「できるけど」

 

「俺が二時間話したものを、お前が十秒だけ使えば、全然違う人間に見せることもできる」

 

 雨宮は笑った。

 

「そんなことしないよ」

 

 久世も笑った。

 

「分かってる」

 

 その時は、本当にそう思っていた。

 

     *

 

 二年生の秋。

 

 生徒会では、文化祭予算を巡る問題が起きていた。

 

 前年より予算が大幅に削減される。

 

 学校側の説明は、設備更新費と安全管理費の増加だった。

 

 事情そのものは理解できた。

 

 しかし、その削減案では、いくつかのクラス企画と文化部の展示が成立しない。

 

 久世たちは代替案を作った。

 

 不要な支出を削る。

 

 外部業者へ頼んでいたものを一部生徒で行う。

 

 他行事の余剰分を回せないか調べる。

 

 各文化部から聞き取りもした。

 

 一週間かけて数字を出した。

 

 担当教師へ提出した。

 

 生徒会顧問は、

 

「よく調べたな」

 

 と言った。

 

 久世は、少なくとも話し合いにはなると思った。

 

 数日後。

 

 回答が届いた。

 

 却下。

 

 理由は、

 

『学校としてすでに決定済みのため』

 

 だった。

 

     *

 

「それなら、最初から意見を出せなんて言わなければいいじゃないですか」

 

 職員室の奥。

 

 久世は担当教師と向き合っていた。

 

「君たちの意見を聞かないと言ってるわけじゃない」

 

「でも変える可能性が最初からないなら、聞いたことにならないでしょう」

 

「久世」

 

「俺たちは、単に予算を増やせと言ってるんじゃないです。配分を変えられないかって――」

 

「決定には、いろいろな事情があるんだ」

 

「なら、その事情を説明してください」

 

「全部を生徒へ説明できるわけではない」

 

「どうしてですか」

 

 教師の顔にも疲れが出た。

 

「君は、生徒会長なら学校運営の全てに口を出せると思っているのか?」

 

 久世は黙った。

 

 そうではない。

 

 そんなつもりではなかった。

 

「……思ってません」

 

「だったら、今回は受け入れてくれ」

 

 話は終わった。

 

     *

 

 生徒会室へ戻る。

 

 他の役員はすでに帰っていた。

 

 机の上には、自分たちが作った資料が残っている。

 

 何度も計算した数字。

 

 教師へ説明するために作ったグラフ。

 

 文化部から集めた要望。

 

 久世は椅子へ座った。

 

 しばらく何もしなかった。

 

 一枚の資料を持ち上げる。

 

 隅には自分の字で、

 

『再検討可能』

 

 と書いてあった。

 

 馬鹿みたいだった。

 

 紙を丸めかけた。

 

 途中でやめ、机の上へ戻した。

 

「何だったんだよ」

 

 誰もいない部屋で呟いた。

 

 自分は話すことが得意だと思っていた。

 

 相手に届くように言葉を選べば、少なくとも話し合うことはできると思っていた。

 

 最初から結論が決まっていたのなら、あの一週間は何だったのか。

 

 机に肘をつき、片手で目元を押さえた。

 

 泣くつもりはなかった。

 

 ただ、しばらく誰にも見られたくなかった。

 

 扉が開いた。

 

     *

 

 雨宮はその日、生徒会室を次の映画の撮影に使えないか確認するために来ていた。

 

 廊下を歩きながら、カメラの設定を確かめていた。

 

 録画はすでに始まっていた。

 

 扉を開ける。

 

 久世がいる。

 

 いつもの久世ではなかった。

 

 背中を丸め、片手で顔を覆っていた。

 

 机には資料が散らばっている。

 

 雨宮は足を止めた。

 

 すぐにカメラを下ろすべきだった。

 

 そう思った。

 

 しかし、久世が顔を上げた。

 

 目が赤い。

 

 普段、人前では決して見せない顔だった。

 

 雨宮の手が止まる。

 

 ほんの数秒だった。

 

 迷った。

 

 それから、カメラをわずかに持ち上げた。

 

 レンズを久世へ向けた。

 

 三秒。

 

 四秒。

 

 五秒。

 

 久世が雨宮に気づいた。

 

「……何」

 

 雨宮は我に返ったように録画を止めた。

 

「あ、ごめん。明日の場所、確認しに来ただけ」

 

「そう」

 

「何かあった?」

 

「別に」

 

 久世は資料を集めた。

 

「今日の撮影、無理。ごめん」

 

「分かった」

 

 久世は鞄を持ち、部屋を出た。

 

 雨宮は一人残った。

 

 カメラの画面を見る。

 

 先ほどの映像を再生した。

 

 久世が顔を上げる。

 

 何も喋らない。

 

 ただ、悔しさを隠せない顔でこちらを見る。

 

 雨宮は再生を止めた。

 

 消そうと思った。

 

 削除画面まで開いた。

 

 指が止まる。

 

 撮ったこと自体がよくなかった。

 

 それは分かっていた。

 

 けれど映像は、あまりにもよかった。

 

 雨宮は、

 

「後で本人に聞けばいい」

 

 と考えた。

 

 削除画面を閉じた。

 

     *

 

 『議場の外』の撮影は続いた。

 

 久世も戻った。

 

 文化祭予算の話はしなかった。

 

 雨宮も訊かなかった。

 

 物語の終盤。

 

 主人公が、市民ホールの閉鎖決定を知らされる場面。

 

 何度撮っても、雨宮は納得しなかった。

 

「もっと落ち込んだ方がいい?」

 

 久世が訊く。

 

「いや」

 

「じゃあ何」

 

「何か違う」

 

「それ、一番困るやつだぞ」

 

「分かってる」

 

 五回。

 

 六回。

 

 久世の芝居は上手かった。

 

 悔しさも出ている。

 

 けれど雨宮には、どこか「悔しさを演じている」ように見えた。

 

 撮影後。

 

 一人で編集する。

 

 何度も映像を並べ替えた。

 

 ふと、生徒会室の映像を思い出した。

 

 タイムラインへ置く。

 

 主人公が閉鎖決定を知らされる。

 

 場面が切り替わる。

 

 無人のように静かな生徒会室。

 

 一人で座る久世。

 

 顔を上げる。

 

 五秒。

 

 台詞はない。

 

 その後、映画のラストへ繋げる。

 

 雨宮は最初からもう一度再生した。

 

 今まで弱かった場面が、急に繋がった。

 

 いい。

 

 そう思った。

 

 同時に、

 

「先に久世へ見せるべきだ」

 

 とも思った。

 

 けれど、すぐ別の考えが浮かんだ。

 

 素材だけ見せたら、久世は嫌がるかもしれない。

 

 映画の中に置けば、この映像がなぜ必要なのか分かってもらえる。

 

 完成形に近い状態で見せてから判断してもらえばいい。

 

 雨宮は、自分が久世のためにもそうしているような気になった。

 

     *

 

「これ、使うの?」

 

 翌日。

 

 朝倉凛が粗編集を見た。

 

「使いたい」

 

「久世、この撮影したの知ってる?」

 

 雨宮は少し間を置いた。

 

「カメラ持ってたのは見てる」

 

「そういう意味じゃない」

 

「まだ映像自体は見せてない」

 

 凛はモニターを見る。

 

「先に聞いた方がいい」

 

「もちろん最後には聞くよ」

 

「最後じゃなくて、今」

 

「でも、カット単体で見せても意味分からないだろ。映画の中に入れた状態で見せた方が――」

 

「雨宮」

 

 凛が遮った。

 

「それ、久世が決めることでしょう」

 

 雨宮は黙った。

 

「撮影中でもない。演技でもない。本人が弱ってるところを撮ったんでしょう?」

 

「……うん」

 

「だったら、私なら先に聞く」

 

 雨宮はモニターへ目を戻した。

 

「つないだ状態で見せた方が、久世も何で使いたいか分かると思う」

 

「それって、先に映画を見せれば断りにくくなるってことじゃないの?」

 

「そんなつもりじゃない」

 

「でも、そうなるかもしれない」

 

 雨宮は返事をしなかった。

 

 凛はそれ以上言わなかった。

 

「私はやめた方がいいと思う」

 

 それだけ言った。

 

     *

 

 数日後。

 

 主要メンバーだけで粗編集を見ることになった。

 

 雨宮。

 

 朝倉。

 

 撮影担当。

 

 音響担当。

 

 そして久世。

 

 視聴覚室の照明を落とした。

 

 映画が始まる。

 

 久世は途中まで普通に見ていた。

 

 自分の演技は思っていたより悪くない。

 

 台詞の順序も変わっている。

 

 音が付くと、撮影中とは全く違って見えた。

 

 終盤。

 

 主人公の陳情が退けられる。

 

 そして。

 

 画面が切り替わった。

 

 生徒会室。

 

 久世は一瞬、何を見ているのか分からなかった。

 

 自分だった。

 

 あの日。

 

 顔を上げる。

 

 目が赤い。

 

 誰にも見られていないと思っていた自分。

 

「止めて」

 

 雨宮は反応できなかった。

 

「雨宮、止めろ」

 

 再生が止まる。

 

 暗い部屋に、パソコンの光だけが残った。

 

「これ何」

 

 久世の声は低かった。

 

「あの日の生徒会室」

 

「それは分かる。何で撮ってるの」

 

 雨宮は答えなかった。

 

 久世が雨宮を見る。

 

「俺が顔上げた時、お前カメラ持ち上げたよな」

 

「……うん」

 

「撮ったんだ」

 

「うん」

 

「俺、撮っていいって言った?」

 

「言ってない」

 

「使っていいって聞いた?」

 

「聞いてない」

 

 久世は画面へ目を戻した。

 

「じゃあ、何でここにあるの」

 

「この場面に必要だと思った」

 

「だから、何で俺に聞かなかったの」

 

「一回、映画として見てもらいたかった」

 

「何それ」

 

 雨宮の声にも、焦りが出始めた。

 

「カットだけ見せるより、この中で見た方が、何で使いたいか分かると思ったんだ。嫌ならもちろん――」

 

「嫌だよ」

 

 即答だった。

 

「消して」

 

 雨宮が黙る。

 

「全部」

 

「分かった。でも――」

 

 その瞬間、朝倉が雨宮を見た。

 

 雨宮自身も、自分が何を言おうとしたのか分かった。

 

 でも、いい映像なんだ。

 

 一度だけ、そこまで見てから決めてほしい。

 

 その言葉を飲み込めなかった。

 

「……この場面、今まで撮った中で一番――」

 

「ふざけんなよ」

 

 久世の声が大きくなった。

 

 部屋の空気が固まった。

 

「一番何?」

 

 雨宮は言葉を失う。

 

「本物だった?」

 

 久世は自分で言った。

 

「演技じゃないから?」

 

「そういう言い方したいわけじゃない」

 

「でもそうだろ」

 

 久世は立ち上がった。

 

「あの日、俺、文化祭予算のことで学校と揉めてたんだよ」

 

 雨宮は初めて事情を知った。

 

「一週間かけて資料作って、話せば何か変えられると思ってた。それが、最初から変える気なんかなかったって分かって。一人になりたくて、生徒会室にいた」

 

 スクリーンを指差す。

 

「お前、俺がそういう時にカメラ向けたんだろ」

 

「……うん」

 

「何であんな顔してたかも知らなかったんだろ」

 

「知らなかった」

 

「それで主人公の顔にしたんだ」

 

 雨宮は何も言えなかった。

 

「俺の気持ちが何だったかなんて関係なくて、お前の映画に合ったから使ったんだろ」

 

 違う、と言いたかった。

 

 けれど、違わなかった。

 

 久世は続けた。

 

「白石には、嫌なカットは使わないって約束したって聞いた」

 

 雨宮が顔を上げる。

 

「撮られるのが怖いって分かったから、ちゃんと考えたんだろ」

 

「うん」

 

「俺は?」

 

「……」

 

「俺はカメラ平気そうだから、何しても大丈夫だと思った?」

 

「そんなつもりじゃ」

 

「じゃあ何だよ」

 

 久世の声は、怒鳴るというより震えていた。

 

「俺、お前の映画に出るとは言ったよ。役を演じるって言った。でも、俺の全部を好きに撮っていいなんて言ってない」

 

 雨宮はようやく言った。

 

「ごめん」

 

「今は聞きたくない」

 

「久世」

 

「その映像、消して」

 

「分かった」

 

「元も」

 

「分かった」

 

「俺、もうこの映画出ない」

 

 雨宮の顔が強張った。

 

 それでも引き止めなかった。

 

「……分かった」

 

 久世は鞄を持った。

 

 視聴覚室を出ていった。

 

     *

 

 扉が閉まった後も、誰もすぐには動かなかった。

 

 スクリーンには停止した久世の顔が残っている。

 

 朝倉が言った。

 

「消そう」

 

 雨宮は黙ったままマウスを動かした。

 

 映像を閉じる。

 

「私、言ったよね」

 

「うん」

 

「先に聞いた方がいいって」

 

「うん」

 

「何で聞かなかったの」

 

 雨宮はしばらく答えなかった。

 

「……つないだ状態で見せれば、分かってもらえると思った」

 

「映像の良さを?」

 

「うん」

 

「久世が嫌がっても?」

 

「そこまで嫌がると思ってなかった」

 

 凛は雨宮を見る。

 

「どうして?」

 

 雨宮は答えられない。

 

「白石は怖がる人。久世は平気な人。そう思ってた?」

 

 雨宮の顔が少し歪んだ。

 

「たぶん」

 

「勝手に決めてたんだ」

 

「うん」

 

 雨宮はスクリーンを見る。

 

「俺、あれ撮った時、止めた方がいいって分かってた」

 

 凛は何も言わなかった。

 

「一回迷った。それでも撮った」

 

「どうして」

 

「いい顔だったから」

 

 自分で口にして、雨宮は目を伏せた。

 

「最低だな」

 

 凛は慰めなかった。

 

「うん」

 

 それだけ言った。

 

 雨宮は、生徒会室で撮った映像を元データごと削除した。

 

     *

 

 それで済むはずはなかった。

 

 久世は出演を降りた。

 

 問題の映像を外しただけではない。

 

 主人公そのものがいなくなった。

 

 別の役者を立てることもできた。

 

 撮り直せば、形だけなら完成させられる。

 

 朝倉が訊いた。

 

「どうする?」

 

 雨宮は脚本を見た。

 

「やめる」

 

「映画?」

 

「うん」

 

「完成させない?」

 

「今の俺がこれ完成させても、たぶん駄目だと思う」

 

 朝倉は理由を聞かなかった。

 

『議場の外』は完成しなかった。

 

 雨宮湊が高校時代、途中で制作をやめた数少ない作品になった。

 

     *

 

 久世と雨宮は話さなくなった。

 

 廊下ですれ違う。

 

 目が合う。

 

 どちらも何も言わない。

 

 共通の友人はいた。

 

 朝倉もいる。

 

 白石もいる。

 

 神崎もいる。

 

 それでも、二人だけでは話さなかった。

 

 一か月。

 

 二か月。

 

 年が変わった。

 

     *

 

 久世は最初の頃、雨宮の姿を見るだけで腹が立った。

 

 無断で撮ったこと。

 

 使おうとしたこと。

 

 自分が嫌がった後まで、映画の良さを伝えようとしたこと。

 

 時間が経っても、それは変わらなかった。

 

 ただ、別のことを考えるようになった。

 

 あの映像に映っていた自分についてだった。

 

 見たくない顔だった。

 

 生徒会長でもない。

 

 演説している自分でもない。

 

 人を納得させる言葉も持っていない。

 

 ただ、悔しくて、どうしていいか分からなくなっている高校生。

 

 あの映像が正しい自分だとは思わない。

 

 普段の自分が偽物だとも思わない。

 

 それでも久世は、自分が人前へ出る時、どれほど「見せる自分」を整えているのかを初めて意識した。

 

     *

 

 久世は話すことが上手かった。

 

 相手が何を聞きたいのか考える。

 

 届きやすい順番で話す。

 

 感情的になりすぎない。

 

 反論する時も、まず相手の言葉を受け取る。

 

 長所だった。

 

 同時に、癖でもあった。

 

 腹が立っても、少し笑う。

 

 悔しくても、言葉を整理する。

 

 分からなくても、すぐにはそれを見せない。

 

 生徒会長として必要な能力だと思っていた。

 

 それだけではないのかもしれない、と考え始めた。

 

     *

 

 三年生。

 

 久世は生徒会長を退任した。

 

 後輩の選挙。

 

 一人の候補から、応援演説を頼まれた。

 

 体育館。

 

 一年前、自分が立った場所だった。

 

 演壇へ上がる。

 

「この人は、たぶん失敗します」

 

 最初にそう言った。

 

 候補者本人が驚き、生徒たちから笑いが起きる。

 

「俺は一年間、生徒会長をやりました。変えられなかったことがたくさんあります。話せば分かると思って、分かってもらえなかったこともありました。逆に、自分が正しいと思っていたら、後から自分の方が間違っていたこともあります」

 

 少し言葉に詰まった。

 

 以前なら、その沈黙を嫌っただろう。

 

 その日は、そのまま続けた。

 

「だから、『この人なら学校を変えてくれる』とは言いません。そんなこと、誰にもできないと思います」

 

 候補者を見る。

 

「ただ、失敗した時に人の話を聞ける人です。分からない時に、分からないと言える人です。俺は、生徒会長に必要なのはそういう人だと思っています」

 

 拍手が起きた。

 

 綺麗な演説ではなかった。

 

 久世は、それでいいと思えた。

 

     *

 

 体育館を出る。

 

 裏口近くに雨宮がいた。

 

 カメラは持っていなかった。

 

 久世は足を止める。

 

「何」

 

「少し話したい」

 

「今?」

 

「嫌なら帰る」

 

 久世はしばらく雨宮を見た。

 

「五分だけ」

 

 二人は校舎裏へ歩いた。

 

     *

 

「前のこと」

 

 雨宮が言った。

 

「ちゃんと謝りたい」

 

「前にも謝った」

 

「謝っただけだった」

 

 久世は黙る。

 

「あの日、勝手に撮ったことがまず駄目だった。撮った後に消さなかった。編集に入れる前に聞かなかった。朝倉に言われたのに、自分が正しいと思って聞かなかった」

 

 言葉を区切る。

 

「久世が嫌だって言った後も、俺は最初に映画の良さを説明しようとした」

 

 久世は雨宮を見る。

 

「もう一個ある」

 

「何」

 

「俺が何を感じてたのか知らないのに、分かったように使った」

 

 雨宮は少し俯いた。

 

「うん」

 

「そこが一番嫌だった」

 

「うん」

 

「本当に分かった?」

 

 雨宮はすぐに頷かなかった。

 

「……今は、前よりは」

 

「前より?」

 

「本当に分かったかどうかって、俺が自分で決めることじゃないと思うから」

 

 久世は少し意外そうな顔をした。

 

「随分慎重になったな」

 

「なった」

 

「俺のせい?」

 

「かなり」

 

「それは少し気分いい」

 

 久世が笑った。

 

 雨宮も、ほんの少し笑った。

 

     *

 

「一個聞いていい?」

 

 久世が言う。

 

「何」

 

「あの映像」

 

「うん」

 

「今見ても、いい映像だったと思う?」

 

 雨宮は黙った。

 

 ごまかさずに考える。

 

「思う」

 

 久世の眉が少し動く。

 

「正直だな」

 

「映像だけなら、たぶん今でもいいと思う」

 

「じゃあ、使いたかった?」

 

「使っちゃ駄目だった」

 

 雨宮は久世を見る。

 

「いい映像かどうかと、使っていい映像かどうかは別だった」

 

 久世はしばらく何も言わなかった。

 

「白石の時は、それ分かってたじゃん」

 

「白石は、カメラが怖いって知ってたから」

 

「俺は?」

 

「撮られることに慣れてると思ってた。人前にも出るし、何でも喋れるし。強い人間だって勝手に思ってた」

 

「ひどい分類だな」

 

「うん」

 

「人によって配慮するか決めてたんだ」

 

「そうだと思う」

 

「最悪」

 

「うん」

 

 久世は笑った。

 

「そこまで自分で認められると、怒りにくい」

 

「別に許してもらうために言ってない」

 

「それも腹立つな」

 

 二人とも少し笑った。

 

 以前と同じではなかった。

 

 けれど、半年ぶりだった。

 

     *

 

「俺も、一個だけ言っとく」

 

 久世が体育館の方を見る。

 

「あの映像見てから、自分が普段どういう顔してるか、少し考えるようにはなった」

 

 雨宮は黙って聞く。

 

「俺、喋るの得意だろ」

 

「うん」

 

「たぶん、得意すぎたんだよ。怒ってても、それっぽく話せる。分からなくても、考えてるように喋れる。それで自分でも、全部整理できてると思ってた」

 

「今日の演説、途中で詰まったな」

 

「気づいた?」

 

「うん」

 

「前なら絶対、ああならないように原稿作ってた。でも、今日はまあいいかと思った」

 

「よかったと思う」

 

「監督みたいに言うな」

 

「ごめん」

 

 久世は笑った。

 

 それから少し表情を変えた。

 

「でも、あの件を良かったことにはしないからな」

 

「うん」

 

「そこだけは覚えとけ」

 

「覚えてる」

 

 それで十分だった。

 

     *

 

 その日から、突然以前の関係へ戻ったわけではない。

 

 少しずつだった。

 

 昼休みに話す。

 

 映画部へ顔を出す。

 

 雨宮が新しい脚本を見せる。

 

 久世が、

 

「この議員の台詞おかしい」

 

 と直す。

 

 そんなところから始まった。

 

     *

 

 ある日の放課後。

 

 雨宮がカメラを持って廊下を歩いていた。

 

 窓際に久世が立っている。

 

 西日が差していた。

 

「久世」

 

「何」

 

「今、撮っていい?」

 

 久世は少し驚く。

 

「何を」

 

「何もしてないところ」

 

「意味分からない」

 

「光がいい」

 

 久世は雨宮を見た。

 

 しばらくして笑う。

 

「今日はいいよ」

 

 雨宮はカメラを構えた。

 

「今日は、って何だよ」

 

「毎回聞けってこと」

 

「分かってる」

 

 録画が始まる。

 

 久世は窓の外を見る。

 

 雨宮も何も指示しなかった。

 

 数秒。

 

「もういい」

 

 久世が言う。

 

「分かった」

 

 雨宮はすぐにカメラを下ろした。

 

 その映像が何かの映画へ使われたのか、久世は知らない。

 

 おそらく何にも使われなかった。

 

 それでよかった。

 

     *

 

 高校卒業後。

 

 久世は法学部へ進学した。

 

 司法試験に合格し、弁護士になった。

 

 企業案件より、行政や労働、学校を巡る問題を扱うことが増えた。

 

 法律を正しく知っていれば全て解決できる、とはすぐに思わなくなった。

 

 制度があっても、そこへ辿り着けない人がいる。

 

 制度を知っていても、使う余裕がない人がいる。

 

 自分の状況をうまく言葉にできない人もいる。

 

 高校時代に考えていたより、世界はずっと複雑だった。

 

 三十二歳の時、国政への出馬を勧められた。

 

 最初は断った。

 

 政治家になるつもりはなかった。

 

 しかし弁護士として同じ種類の問題に何度も出会ううち、制度そのものを変えなければ繰り返すことがあると知った。

 

 初めての選挙。

 

 落選した。

 

 三年後。

 

 もう一度出た。

 

 今度は当選した。

 

     *

 

 初当選の夜。

 

 雨宮からメッセージが来た。

 

『おめでとう。』

 

 それだけだった。

 

 久世は返信した。

 

『もっとないの?』

 

『選挙詳しくないから。』

 

『高校の時、政治の映画撮ってただろ。』

 

『完成してないけど。』

 

 久世はしばらく画面を見た。

 

『あの映画、まだデータある?』

 

 少しして返信。

 

『ある。問題の映像以外は。』

 

『見せて。』

 

『いいの?』

 

『今なら。』

 

     *

 

 数週間後。

 

 二人で『議場の外』の素材を見た。

 

 完成していない。

 

 音も整っていない。

 

 場面の順番も途中だった。

 

 高校二年生の二人が作った未完成の映画。

 

 久世の芝居は、今見るとかなり拙かった。

 

「俺、下手だな」

 

「当時は上手いと思ってた」

 

「お前の見る目も大したことないな」

 

「今ならもっと上手く撮れる」

 

「二度と出ない」

 

「まだ何も頼んでない」

 

 二人は笑った。

 

 やがて、生徒会室の映像が入っていたはずの場所へ来た。

 

 そこだけ映像が不自然に飛ぶ。

 

 空白だった。

 

 雨宮は本当に消していた。

 

 バックアップにも残していない。

 

 久世は何も言わなかった。

 

 数秒後。

 

 次のカットが始まる。

 

 主人公が市民ホールの前に立っている。

 

 二人は、そのまま最後まで見た。

 

     *

 

「雨宮監督を許したのは、いつだったと思いますか」

 

 現在。

 

 記者が尋ねる。

 

 久世は少し考えた。

 

「許した、という感覚はあまりないですね」

 

「今も?」

 

「今は怒ってませんよ。もう随分前ですから」

 

 久世は笑った。

 

「でも、『結果的に自分にも得るものがあったから、あれでよかった』とは思いません」

 

「なぜでしょう」

 

「誰かを傷つけた結果、その人が何かを学んだからといって、傷つけたことまで正しくなるわけじゃないでしょう」

 

 記者のペンが止まった。

 

「雨宮監督も、今はそう考えている?」

 

「たぶん」

 

「高校時代は?」

 

「違いました」

 

 久世は少し笑う。

 

「いい映像が撮れたら、それだけで価値があると思ってた。悪意はなかったですよ。むしろ、悪意がないから厄介だった」

 

「その後、変わったと思いますか」

 

「変わりましたね」

 

「撮影前に許可を取るようになった?」

 

「それもありますけど」

 

 久世は少し考える。

 

「自分が見つけたものを、その人の本質だと思い込みすぎなくなった気がします」

 

 記者が顔を上げた。

 

「高校の頃の雨宮は、『本当の顔』を撮りたがってたんですよ。演技してない顔とか、本人が自分でも知らない顔とか」

 

「今は?」

 

「本当の顔なんて、一個じゃないと思ってるんじゃないですか」

 

 久世は窓の外を見る。

 

「俺が勝手にそう思ってるだけですけどね」

 

     *

 

「これまでお話を伺った皆さんは、高校時代の雨宮監督との時間を大切なものとして話していました」

 

 記者が言った。

 

「俺も大切ですよ」

 

「一度、そこまで傷つけられているのに?」

 

 久世は少し笑った。

 

「大切な思い出って、全部綺麗じゃないと駄目ですか」

 

 記者は答えなかった。

 

「高校時代の雨宮は、俺が知ってる中で一番映画が好きな奴でした。人のこともよく見ていた。でも、人を見るのが上手いことと、人を分かったことは同じじゃなかった」

 

 久世はテーブルに置かれた取材用カメラを見る。

 

「あいつは、あの時初めてそれを思い知ったんじゃないですか」

 

     *

 

 取材が終わった頃。

 

 先ほど泣いていた大学生のボランティアが会場へ戻ってきた。

 

「久世さん」

 

「大丈夫?」

 

「はい。祖母、意識戻ったみたいです」

 

「それはよかった」

 

「さっき、ありがとうございました」

 

「俺は何もしてないよ」

 

「カメラ、止めてくれたので」

 

 久世は少しだけ笑った。

 

「それは当然だから」

 

 女性は頭を下げ、スタッフのところへ戻った。

 

 雑誌のカメラマンが久世を見る。

 

「久世さん」

 

「はい」

 

「今は撮って大丈夫ですか」

 

 久世は一瞬だけ、その質問に昔を思い出した。

 

「俺はいいですよ」

 

「ありがとうございます」

 

 カメラが上がる。

 

 久世は特別な顔を作らなかった。

 

 スタッフが机を運んでいる。

 

 自分も一つ持つ。

 

「議員、またやるんですか」

 

 秘書が呆れる。

 

「あと三つだろ」

 

「スタッフがやりますって」

 

「俺もスタッフみたいなもんだよ」

 

「給料違います」

 

「そこ?」

 

 笑い声が上がった。

 

 カメラは回っていた。

 

 久世は気にしなかった。

 

 撮られていると分かっているからだけではない。

 

 撮られたくないと言えば、止めてもらえると知っているからだった。

 

     *

 

 その夜。

 

 東京へ戻る新幹線の中で、久世は雨宮へ短いメッセージを送った。

 

『今日、お前の高校時代の悪事を記者に喋った。』

 

 数分後。

 

『久世の映像の件まで?』

 

 久世は少し笑った。

 

『当然。』

 

 既読がつく。

 

 少し間があった。

 

『あの時はごめん。』

 

 二十年近く前にも聞いた言葉だった。

 

 今では、その言葉を受け取る側も、言う側も変わっている。

 

 久世は少し考えた。

 

『知ってる。』

 

 それだけ返した。

 

 窓の外へ目を向ける。

 

 夜の町が流れていく。

 

 窓ガラスには、自分の顔が映っている。

 

 国会議員の顔。

 

 一日の仕事を終えて疲れた三十五歳の男の顔。

 

 探せば、高校生だった頃の面影も少しくらい残っている。

 

 昔なら、どれが本当の自分なのかと考えたかもしれない。

 

 今は、そうは思わない。

 

 どれも自分だった。

 

 人は、一瞬だけでは終わらない。

 

 カメラの外にも、人生は続いている。

 

 新幹線は、夜の中を走っていった。

 

                第七章 了

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。