『人はすべて花の如く』
そんなことを言って、あらゆる人間を敬った男の生涯は、ひどいものだった。
彼の母は、聖仙より授かったマントラを好奇心から用い、一人の子を授かった。
太陽神を父に持つその子は、生まれながらに黄金の鎧と耳輪を身に纏っていた。それは神の祝福であり、何者にも傷つけられぬ不死の証であった。
だが、母はその子を川へと流した。
幸いにも、子は御者の夫婦に拾われた。
血の繋がりこそなかったが、父と母は子を愛し、子もまた二人を愛した。やがて成長した彼は武芸を学び、とりわけ弓術において並ぶ者のない腕前を身につけた。
そんなある日、王家の主催する競技会が開かれた。
そこで彼は、一人の男を見る。
男が矢を放つたび、競技場は喝采に包まれた。
素晴らしい腕だった。
誰もがそう言った。
彼自身も、そう思った。
だからこそ、黙って見ていることなどできなかった。
嫉妬だったのか。
称賛を一身に受ける男への怒りだったのか。
あるいは、自分にも同じことができるという確信を、どうしても証明したかったのか。
彼自身にも分からなかった。
ただ、胸を焦がす衝動だけは、どうしようもなく確かなものだった。
競技場へと踏み込んだ彼は、男に勝るとも劣らぬ技を披露し、一騎打ちを申し出た。
しかし、戦いは叶わなかった。
問われたのは、腕前ではない。
生まれだった。
王族に挑むならば、それに相応しい出自を示せという。
彼は答えられなかった。
弓を引けば分かるはずのことが、弓を引く前に決められてしまった。
そんな彼に、一人の王子が手を差し伸べた。
王でなければ戦えないというのなら、王にしてしまえばいい。
王子は彼に国を与え、王として迎え入れたのである。
だが、そこへ養父が現れた。
彼は父を見るなり、ためらうことなく頭を垂れた。
それを見て、嗤う者がいた。
御者の息子。
卑しい生まれ。
鞭を握るべき手で、何故弓など握っているのかと。
彼は激怒した。
己のことならば、いくら侮辱されようと耐えられた。
しかし、己を拾い、育て、愛してくれた父と母を侮辱されることだけは許し難かった。
その日の勝負は日没によって流れた。
国を与えた王子は、生涯の友となった。
弓を向けた男は、宿敵となった。
それから幾度となく争い、互いの確執を深め、ついには命を奪わねば終わらぬほどの敵となった。
そして、最後の戦いを前にして。
彼を捨てた母が、彼の前に現れた。
母は告げた。
お前はあの男の兄なのだと。
今まで敵として争ってきた男たちは、同じ母から生まれた弟たちなのだと。
母は懇願した。
どうか争いをやめてほしい。
兄弟のもとへ戻ってほしい。
そうすれば栄光も、王位も、何もかもが手に入るのだからと。
彼はその言葉を聞いた。
そして、断った。
彼にはすでに、恩義を返すべき友がいた。
御者の息子でしかなかった自分を王として迎え入れ、その武勇を認め、隣に立つことを許してくれた男がいた。
その男を裏切ることなど、できはしなかった。
それでも母の願いを思い、彼は一つだけ約束した。
宿敵たるあの男を除き、弟たちの命は奪わないと。
その約束は守られた。
幾度となく勝機を得ながら、彼は弟たちを見逃した。
そうして、彼の終わりは近づいていった。
父たる太陽神より授かった黄金の鎧と耳輪。
彼を不死たらしめる神の祝福は、別の神の策略によって奪われた。
相手が何者であるかも。
何を望んでいるかも。
それを失えば、己にどのような運命が待っているかも。
彼は理解していた。
それでも彼は微笑み、自らの肉を剥ぐようにして黄金の鎧を差し出した。
神は恥じ入った。
代償として、一度きりの神殺しの槍を授けた。
しかし、いかに強力無比な槍であろうとも、不死の鎧に釣り合うはずはなかった。
それでも彼は、恨み言一つ口にしなかった。
そして、最後の戦い。
宿敵との激戦の最中、彼にかけられた数々の呪いが成就した。
戦車の車輪は大地に沈み、武器を操るための知識は失われた。
身動きの取れぬ彼を、宿敵は見つめていた。
戦場には、一つの約定があった。
『戦闘不能となった者を攻撃してはならない』
誰もが知る、戦士の掟だった。
宿敵は弓を構えた。
その顔には、深い苦悩があった。
彼はそれを見ていた。
ああ、そうか。
あの男は、撃つのだ。
戦士としての矜持を傷つけてでも。
守るべき約定を破ってでも。
この自分を、殺すために。
無念がなかったわけではあるまい。
悔恨も、怒りも、きっとあった。
けれど、最後に彼の胸を満たしたものは。
『あの男が、約定を破ってでもこのオレを殺すために弓を撃つのだ』
そんな、奇妙な誇りにも似た想いだった。
矢が放たれた。
彼の物語は、そこで終わったのだ。
※
「――――ッ!」
ジナコは跳ね起きた。
ひどい汗だった。
背中に寝間着が貼りつき、心臓が早鐘を打っている。
喉が痛い。
息を吸っても、うまく入ってこない。
「……最悪ッス」
嫌な夢だった。
いや、夢というには、あまりにも生々しかった。
戦場の熱気も。
血の臭いも。
最後に見た、引き絞られた弓弦も。
まだ、まぶたの裏に焼きついている。
誰の夢だったかは分かっていた。
あんな人生を送り、あんな最期を迎えて、それでも誇らしく思える男など、ほかに心当たりがない。
「……なんなんスか、もう」
ひどい人生だ。
なんて嫌な人生だ。
親に捨てられ、身分を嗤われ、才能があっても正当に扱われず、挙げ句の果てには神様にまで騙される。
自分なら、とっくに投げ出している。
こんな人生は嫌だ。
やり直させろ。
そう叫んでいただろう。
なのに、あの男は。
最後の最後に、何を思っていた?
「……カルナさん」
「起きたか、ジナコ」
「うひゃっ!?」
声のした方を見れば、見慣れた男が立っていた。
白い髪。
整った顔。
感情の読みにくい金の瞳。
そして、いつもどおりの抑揚のない声。
「この時間まで眠れるとは、さすがだな」
「……おはようッス、カルナさん」
用務員室の引きこもり、ジナコ=カリギリは、珍しく殊勝に自らのサーヴァントへ朝の挨拶を返した。
「ところでジナコ。今から寝直すのか?」
「起きるッスよ。今ちょうど起きようと思ってたところッス」
「そうか。ならば三度目は起こさずに済むな」
「……え?」
「二度声をかけたが、返事がなかった。まだ休息が必要なのだろうと判断した」
「それ、言う必要ある?」
「事実だからな」
まったく悪びれない。
いつものカルナだった。
彼は机の上に、小さな袋を置いた。
「食事を用意した。プレミアムロールケーキだ」
「おっ、気が利くじゃないッスか!」
「朝食に適したものかは疑問だが、お前が望んだものだ」
「起きて最初に食べるのが朝食なんスよ。時間は関係ないッス」
「そういうものか」
「そういうものッス」
袋を開けるカルナを見ながら、ジナコはふと思った。
生きている。
サーヴァントに使う言葉として正しいのかは知らない。
けれど。
たった今、夢の中で死んだ男が、目の前でロールケーキの蓋を開けている。
それが、何だか妙に嬉しかった。
※
カルナに適当なお使いを言いつけて、ジナコはパソコンに向かっていた。
調べたいことがあったのだ。
夢で見たもの。
あれは、本当にカルナという男の生涯だったのか。
検索欄に名前を打ち込み、エンターキーを勢いよく叩く。
「げっ、百四十六万件……?」
思わず声が漏れた。
「カルナさんってば、そんな人気モノだったんッスか……。うわー……散々ハズレだの役立たずだの言っちゃいましたよボク。これじゃクラスの人気者に調子こいて話しかけちゃった陰キャみたいじゃないッスか……」
もっとも、今さら話しかけにくいなどと言っても仕方がない。
その人気者は毎日この部屋にいるし、頼めば買い出しにも行ってくれる。
いや、買い出しの能力と英雄としての格は別問題なのだ。
そこは譲れない。
「……っと、んなこと考えてる場合じゃないッス」
百科事典のページを開く。
読み進める。
次のページ。
さらに次のページ。
夢で見たことは、ほとんど事実だった。
いや、それどころか。
「……まだあるんスか」
夢で見なかった出来事まで山ほどあった。
師から受けた呪い。
戦場での敗北。
果たせなかった約束。
失ったもの。
奪われたもの。
調べれば調べるほど、カルナという男の人生には不幸が転がっていた。
「…………」
なのに。
彼は、聖杯に望むものはないと言った。
万物の願望機。
勝ち残れば、何でも望みを叶えられるという代物だ。
そんなものが手に入るなら、過去を変えることだってできるのではないか。
親に捨てられない人生。
身分によって嗤われない人生。
神に騙されず、呪いに苦しめられず、宿敵と正々堂々決着をつけられる人生。
いくらでもある。
やり直したいことなど、数えきれないほどあるではないか。
それなのに。
何故、この男は何も望まないのだろう。
「……そんな馬鹿な」
鼻を鳴らした。
「あんな聖人ヅラしてるッスけど、きっと本心じゃやり直したいって思ってるはずッスよ。多分、おそらく、きっと」
ジナコ自身は、人生のやり直しを求めて聖杯戦争に参加した。
そのことをカルナに話したとき、彼はただ、
『そうか。ならばマスターのためにオレは全力を尽くそう』
と答えただけだった。
否定しなかった。
馬鹿にもされなかった。
ならば、人生をやり直すという願いそのものを嫌っているわけではないのだろう。
それならば、何故。
あの生涯に、一切の後悔がないというのか。
そんなはずはない。
そんなはずは――。
「…………」
分からなかった。
何時間考えても、さっぱり分からなかった。
けれど。
それでもジナコは、理解したいと思った。
こんな自分の従者でいてくれる男を。
役立たずだのハズレだの言われても、文句一つ言わずに付き合ってくれる男を。
せめて少しくらい、理解したかった。
「……しゃーないッスね」
ジナコは深呼吸を一つした。
そして再び、情報の海へと潜っていった。
※
「帰還した。ジナコ、異変はなかったか?」
「ッッツ! おぉぉぉおおおおう!?」
唐突にかけられた声に、ジナコは椅子から飛び上がった。
「な、なんスか! 入るときはノックッスよ! 世界の常識でしょうが!」
「そうか? 以前ノックしたときは『めんどくさいからイイッスよそんなの~』と言っていたと記憶しているが」
「アタシの真似上手ッ!?」
この男、本気なのかボケているのか、時々まったく分からない。
って――――ッ!
「……ほう。珍しいことをしているな」
「あッ!」
カルナの視線がパソコンへ向いている。
ジナコは慌てて画面を隠そうとした。
だが、時すでに時間切れ。
ずらりと並んだ文字を、すでに見られていた。
「――夢に見せてしまっていたのか」
「知ってたんッスか!?」
「いや。サーヴァントとマスターの間では、記憶が流れ込むこともあると聞いている。オレの記憶を見てしまったのだろう」
カルナは少し考えたあと、頭を下げた。
「すまないな、ジナコ。オレの生き様など、面白いものでもなかっただろう」
「――ッ!」
ジナコは息を呑んだ。
「……そんなことないッス」
小さく首を振った。
そんなことはない。
面白いかどうかなど、そんな話ではない。
あの生涯を、否定することなどできなかった。
不運に見舞われ、理不尽を押しつけられ、どれほど努力しても報われず、それでも最後まで逃げずに戦った男。
自分よりも遥かに過酷な人生を送りながら、あの男は己の運命に立ち向かった。
その生き方が。
その理念が。
ジナコには、どうしようもなく眩しかった。
黄金の鎧よりも。
神すら殺す槍よりも。
自分には遥かに遠く、手の届かないものに思えた。
「……カルナさん」
「なんだ」
「カルナさんは、人生をやり直したいって思わないッスか……?」
ずっと聞きたかったことだった。
同時に、聞くのが怖かったことでもあった。
「くだらぬ問いだ。その願いは抱かない」
「……なんで、ッスか」
即答だった。
少しの逡巡もなかった。
分かっていた。
きっとそう答えるだろうと、思っていた。
けれど。
少しくらいは悩んでほしかった。
もしかしたら。
もしかしたらカルナだって。
自分と同じように、こんな人生は嫌だったと思っているのではないか。
もしかしたら、自分と同じように過去をやり直したいと願っているのではないか。
もしかしたら同類なのではないか。
もしかしたら。
もしかしたら、もしかしたら――。
「……ジナコ?」
気づけば涙が頬を伝っていた。
情けなかった。
散々いいように扱ってきた男に、縋ろうとしている。
自分と同じ弱さを持っていてほしい。
そうであれば、少しは安心できたかもしれない。
この男も自分と同じなのだと。
こんな自分でも、そう願っていいのだと。
「人生をやり直す。それもいいだろう」
カルナが口を開いた。
「オレはその願いを否定しない。ジナコだけではない。悲劇に終わった多くの英霊が、その願いを抱くだろう。だが――」
彼は静かに続けた。
「オレは違う」
「…………」
「オレの人生は、きっと満ち足りていた」
迷いのない声だった。
「他人は違うと言うかもしれない。否定されることもあるだろう。だが、オレ自身はそう思っている」
カルナはジナコを見つめた。
「傲慢な言い方になるが、オレの人生は『やり直しなどいらない、幸運に満ちた人生』だったのだ」
「――――ッ!」
何かが、切れた。
「産みの親に捨てられたじゃないッスか!」
「だが、父と母に拾ってもらえた」
「身分の低さを嗤われた!」
「そのとき、終生の友を得た」
「神様の策略で黄金の鎧を奪われた!」
「代わりにあの男でさえ振るうことの出来なかった神槍を賜った」
「呪いで動けないところを狙い撃たれた!」
「あの瞬間に、あれほどの男に約定を破らなければ打倒の叶わぬ男であったと、オレの価値が証明された」
「――――ッ!!」
何を言っても。
何を突きつけても。
この男は、少しも折れない。
「……ずるいッスよ」
拳を握った。
「ずるいッスよ、カルナさん……!」
声が震えた。
「そんなの、全部後付けじゃないッスか! 親に捨てられたことも! 身分を嗤われたことも! 鎧を奪われたことも! 最後に殺されたことも!」
次々に言葉が溢れた。
「全部、全部、嫌なことだったはずでしょうが! 悔しかったでしょう!? 悲しかったでしょう!? なんでそんなに平気な顔でいられるんスか!」
カルナは黙っていた。
「そんな人生、嫌だったって言ってくれたっていいじゃないッスか!」
言ってしまった。
本当は、これが聞きたかったのだ。
この男も苦しかったと。
逃げたかったと。
人生をやり直したかったと。
そう言ってほしかった。
そうでなければ。
自分が、あまりにも惨めではないか。
「……ああ」
カルナが頷いた。
「悔しかったとも」
「――え?」
思いもよらぬ返答だった。
「友を勝たせてやれなかった。果たせぬ約束もあった。あの男との決着にも、心残りがないと言えば嘘になる」
「……だったら」
「だが、それと同じように、得たものもまた確かにあった」
カルナは静かに言った。
「オレを拾った父と母がいた。国を与えてくれた友がいた。互いに譲れぬものを持ち、命を賭けて争った男がいた」
ほんのわずかに、目を細める。
「不運だったことを理由に、それらまで無かったことにはしたくない」
「…………」
「失ったものは失ったままだ。だが、得たものまで失われるわけではない。オレの生涯は、どちらも含めてオレのものだ」
ジナコは何も言えなかった。
ああ、そうか。
この男は、不幸を知らないわけではない。
苦しみを忘れたわけでもない。
悔しさを感じなかったわけでもない。
全部覚えている。
全部抱えている。
それでもなお。
自分の人生は幸運だったと、胸を張って言えるのだ。
「……分かんないッスよ」
「ああ」
「全然、分かんないッス……」
「そうだろうな」
「そこであっさり認めないでほしいッス……!」
カルナは少し考えたようだった。
「すまない。だが、お前がオレと同じように考える必要はあるまい」
「……え?」
「オレの生涯はオレのものだ。ジナコ、お前の生涯はお前のものだろう」
あまりにも当然のことを言うように、彼は続けた。
「それに、お前が人生をやり直したいと願うことと、オレがそう願わないことに、何か関係があるのか?」
「…………」
ジナコは目を見開いた。
そんなことは。
そんなことは、考えもしなかった。
この男は、最初から。
自分と他人の人生を比べてなどいなかったのだ。
※
「……アタシ、怖いんスよ」
ぽつりと、言葉が漏れた。
カルナは黙って続きを待っていた。
「岸波クンたちが、このまま迷宮を進んで……ここから出られるようになったら」
その先が、うまく言えなかった。
自分は、そこへ行けない。
一回戦で敗北している。
判定など、とっくに終わっているのだ。
「……アタシ、死ぬんスよ」
声が震えた。
「ここから出たら、消されるんス。あっちからしたら、消し忘れたファイルみたいなもんで……」
笑おうとした。
うまくいかなかった。
「死ぬのが……怖い」
その言葉を口にした瞬間、堰が切れた。
「怖いッスよ! すっごく怖い! 岸波クンたちが迷宮を進むたびに、アタシの終わりが近づいてくるんスよ!?」
ジナコは拳を床に叩きつけた。
「しののろいだって怖かった! 逃げたかった! だからあんな子供みたいな駄々こねて、みんなの邪魔までして……!」
情けない。
惨めだった。
カルナは、あんな生涯を送りながら最後まで戦った。
自分はどうだ。
何一つ成し遂げていない。
誰かのために戦ったこともない。
ただ、死にたくないと喚いているだけだ。
「なんで……」
涙が止まらなかった。
「なんでカルナさんは逃げなかったんスか……!」
顔を上げる。
「あんなの勝てないって分かってたじゃないッスか! 神様に鎧まで取られて、周りは敵だらけで……! 意味分かんないッスよ!」
声が裏返った。
「教えてよ、カルナさん……!」
縋るように、問いかけた。
「なんで、最期まで戦ったの……?」
カルナは、しばらく黙っていた。
そして。
「オレは、オレの生涯に胸を張れる人間でありたかった」
そんなことを言った。
「……え?」
「たとえ破滅が見えていたとしても、オレは歩みを止めたくなかった」
その声は、どこまでも静かだった。
「オレを産んでくれた者。オレを育ててくれた者。共に歩んでくれた者。オレを信じてくれた者。敵として立ちはだかった者」
まるで一人ひとりを思い出すように、言葉を紡いでいく。
「オレの生涯に関わった、そのすべての者に胸を張れる男でありたかったのだ」
「…………」
ジナコには理解できなかった。
そんなことのために命を賭けるのか。
そんなことのために、最後まで戦えるのか。
自分ならば、きっと逃げていた。
何を捨ててでも、生き延びようとしただろう。
だからこそ。
その願いは、あまりにも高潔で。
カルナという男は、あまりにも遠かった。
「……やっぱり、すごいッスね。カルナさんは」
「そうか?」
「そうッスよ。アタシなんかとは大違いッス」
「それはそうだな」
「即答!?」
ジナコは思わず顔を上げた。
「そこは普通、そんなことないとか言うところじゃないッスか!?」
「何故だ? オレとジナコは別の人間だ。当然、違うところも多いだろう」
「そーいう意味じゃないんスけど……!」
まったく、この男は。
本当に、どうしようもなく言葉が足りない。
「……アタシは、カルナさんみたいにはなれないッスよ」
ぽつりと呟いた。
「逃げてばっかりだし、何にもできないし……。誰かのために命張るとか、そんな立派なこと考えたこともないッス」
膝を抱えた。
「アタシなんかが、生きたいって願うのも……なんか、恥ずかしいッスね」
「何故だ?」
「……は?」
「生きたいと願うことが、何故恥ずかしい?」
カルナは本気で不思議そうだった。
「だ、だって! カルナさんみたいに立派な人生送ってきたわけじゃないし……!」
「それが何か関係するのか?」
「関係あるでしょうが!」
「そうか?」
カルナは首を傾げた。
「では、立派な人生を送った者だけが、生きたいと願ってよいのか?」
「…………」
「そうではあるまい」
返す言葉がなかった。
「お前が死を恐れるのは、お前が生きたいからだろう」
「……そうッスよ」
「ならば、それでいい」
「それでいいって……」
「オレには、その願いを恥じる理由が分からん」
ジナコは俯いた。
この男は。
本当に。
なんで、こんなことを平然と言えるのだろう。
「……カルナさんって、やっぱりおかしいッスよ」
「そうか?」
「そうッスよ……。普通、もっとこう……アタシみたいなの見たら、呆れたりしないんスか」
「ふむ」
カルナは少し考えた。
「生活態度については、改善すべき点が多いと思っている」
「そういうこと聞いてるんじゃないッス!!」
「そうか。すまない」
真顔だった。
冗談ではないらしい。
ジナコは思わず、涙の残った顔で笑ってしまった。
※
「……ジナコ」
「なんスか」
「オレを太陽と呼ぶ者もいる」
唐突に、カルナがそんなことを言った。
「だが、オレは太陽よりも美しく輝くものを知っている」
「……え?」
「人間だ」
あまりにも迷いのない答えだった。
「人間?」
「ああ」
カルナは頷いた。
「人はすべて花の如く、だ」
聞き慣れない言葉だった。
「……花、ッスか」
「同じ花などない。大きさも、色も、咲く場所も違う。それぞれが異なる姿をしている」
カルナは静かに続けた。
「人も同じだ。相容れぬ理念も、理解できぬ美醜もある。それは時に争いを生むだろう。オレ自身、最後まで理解し合えなかった者もいた」
その瞳が、遠くを見るように細められる。
「だが、理解できないことと、価値がないことは違う」
「…………」
「オレの生涯に関わった者たちは、誰もが異なっていた。父も、母も、友も、敵も。その誰か一人でも欠けていれば、今のオレはなかっただろう」
カルナは少し考え込んだ。
「オレは、その違いを美しいと思う」
それは。
ジナコが今まで聞いた、どんな言葉とも違っていた。
カルナは、自分と異なる者を見下していない。
理解できないからといって、否定もしない。
御者の息子と嗤われた男が。
生まれだけで価値を決めつけられた男が。
最後に行き着いた答えが、それなのだ。
「……アタシみたいなのまで、花なんスか」
思わず尋ねた。
「無論だ」
「……即答ッスか」
「考える必要がない」
「いやいや、あるでしょうが! カルナさんみたいな大英雄と、部屋から一歩も出ない引きこもりッスよ!?」
「オレとジナコが違う人間であることは、先ほど確認したはずだが」
「だーかーらー! そういう話じゃ……!」
言いかけて、止まった。
カルナは、まったく分かっていないようだった。
いや。
ひょっとすると。
本当に、この男にとっては、そんな違いなど問題ではないのかもしれない。
「……カルナさん」
「なんだ」
「アタシ、死にたくないッス」
「ああ」
「まだ怖いし……。明日になったら、また布団被って逃げたくなると思うッス」
「そうか」
「きっと、カルナさんみたいに立派にはなれないッスよ」
少しだけ、笑った。
「それでも……いいんスか」
カルナは、ジナコの前にしゃがみ込んだ。
目線が合った。
「ジナコ」
「……はい」
「オレは、お前にオレのようになれとは言っていない」
「…………」
「お前にはお前の生涯がある。それをどう生きたいかは、お前が決めることだ」
静かな声だった。
「そして、お前は生きたいと望んだ」
カルナは頷いた。
「ならば、オレはその願いを守ろう」
「……カルナさん」
「オレはお前のサーヴァントだ。忠誠を誓ったマスターの願いを守ることに、何の躊躇いがあろう」
彼は、ほんのわずかに微笑んだ。
「ジナコの輝きは、オレが守ろう」
ああ。
なんて、眩しいのだろう。
「お前はここで終わらせない」
なんて、優しいのだろう。
「ジナコ程度の輝きを守れずに、何が大英雄か」
「…………」
しばらく、言葉が出なかった。
そして。
「……あの、カルナさん」
「なんだ」
「そこ、普通は『ジナコほどの』とか言うところじゃないッスか?」
「そうか?」
「そうッスよ!」
「ふむ。お前一人を守れずして、多くを守るなどできるはずもないと思ったのだが」
「――――ッ!」
ああもう!
本当に!
「ほんっと、言葉が足りないッスね、この人は!!」
「……すまない。何か不快にさせただろうか」
「そういうところッスよ!」
ジナコは笑った。
涙が零れた。
笑いながら、泣いた。
この男は、自分を立派な人間だと言っているわけではない。
強いと言っているわけでもない。
何かを成し遂げたから、価値があると言っているわけでもない。
ただ。
ジナコという人間が、ここにいる。
それだけで、守る理由になると。
そう言っているのだ。
「……カルナさん」
「なんだ」
「ありがと、ッス」
カルナは少しだけ目を見開いた。
そして。
ほんのわずかに、微笑んだ。
その微笑みは、まるで太陽のようで。
ジナコは不覚にも、見惚れてしまった。
「……どうした、ジナコ」
「な、なんでもないッス!」
「そうか。ネット掲示板に貼られた少年の画像を見ているときと、よく似た顔をしていたが」
「うるっさい!!!」
台無しだった。
全部台無しだった。
まったく、この男は。
こういうところさえなければ、本当に完璧な英雄なのだろうに。
いや。
きっと、こういうところまで含めてカルナという男なのだ。
ジナコは鼻を啜った。
まだ、怖かった。
死ぬのは怖い。
岸波たちが迷宮を進むたび、また布団に潜って震えるかもしれない。
明日になれば、今日の決意などどこへやら、いつものようにゲームをして一日を終えるかもしれない。
急に強くなれるわけでもない。
勇敢になれるわけでもない。
それでも。
ああ、そうだ。
もう少しくらいは、踏ん張ってみよう。
この男が言うのだ。
きっと、本当に何とかしてくれるのかもしれない。
いや。
たとえ、そうでなかったとしても。
何一つ変えられないまま終わるのだけは、少しばかり悔しいではないか。
誰かと関わることの少ない人生だった。
数えられるほどしか、自分を知る者はいない。
けれど、その数少ない人たちに。
いつか胸を張れる人間になってみたい。
カルナのようにはなれない。
それでもいい。
自分には自分の歩き方があるのだと。
いつか、そう言えるようになりたい。
まずは。
この、どうしようもなく言葉の足りない大英雄に。
胸を張って、マスターでよかったと言わせてやろう。
そんなことを、ジナコは心に誓ったのだ。
ふと、机の上に置かれたロールケーキの空き箱が目に入った。
「……カルナさん」
「なんだ」
「お茶、飲むッスか?」
「……そうか。では、貰おう」
ジナコは隣の椅子に積んであった服を、ひとまず布団の上へ移した。
カルナが何か言いかけた。
「今はいいんス。今は」
「まだ何も言っていないが」
「顔に出てるッスよ」
あの無表情から、そんなことが分かるようになっていた。
おわり
おまけ
「にしても、カルナさん」
「なんだ」
「あんなイケメン執事系な弟さんがいたんッスねー」
「アルジュナか。奴には初対面から異常に敵視されていた。互いに語り合う機会も、ほとんどなかったな」
「へぇ~……」
ジナコは何やら考え込んだ。
「……幼い頃に生き別れた兄弟」
「……?」
「互いに兄弟だと知らないまま、宿敵として戦い続け……」
「ジナコ?」
「最後は弟が、戦士の誇りを傷つけてまで兄を討つ……!」
ジナコの口元が、ゆっくりと吊り上がった。
「あぁ~^ いいッスね~。ジナコさん、そういうの大好物ッスよ」
「……ジナコは人を食うのか?」
「いやいや、この場合ホイホイ食っちゃうのはカルナさんの方ッスね。あ、でも案外食われる方もありか……?」
「…………?」
「しかもカルナさん、アルジュナさんのこと結構評価してるじゃないッスか」
「当然だ。あの男は優れた戦士だ。その武勇を軽んじるつもりはない」
「うっひょおおお! そういうところッスよ、カルナさん!」
「何がだ?」
「いやー、これもう公式が最大手ってヤツじゃないッスか! フフフ……これは捗る……!」
「……そうか?」
ジナコは拳を握った。
「決めたッス!」
「何をだ」
「アタシ、絶対に生き残るッス!」
「ほう」
「生き残って、カルジュナ本を出すッス! これだけのネタを抱えて死ぬなんて、もったいなさすぎるッスよ!」
「……そうか。希望ができたならば、よいことだ」
「フフフフフフフフ腐フフフフ……!」
不穏な笑い声が響く。
「人はすべて花の如く! 薔薇畑ッスよー!」
「…………」
カルナは少し考え込んだ。
人間の価値観とは多様なものだ。
相容れぬ理念も、理解の及ばぬ美醜もある。
それらを否定するつもりはない。
ないのだが。
(……あれも確かに輝きではある。だが、何故か寒気を感じるな)
太陽の英雄は、生前にも覚えのない奇妙な感覚に、わずかに首を傾げるのだった。
おわり