ドロイト・メチェコフスキーという人物によって、技術のブレイクスルーが起きた結果、人間社会の中にアンドロイドが誕生した。
アンドロイドには等級が設けられており、その中でも一級アンドロイドの購入には難関資格に合格する必要がある。
そんな世界で、理想の一級アンドロイドと過ごすために大学生の内に資格を取ってしまった男の話。
要するに自分の性癖を満たしたい男が、アンドロイドとイチャイチャする話です。
一応設定集を作成してから執筆を開始しましたが、設定集が一万文字を超えていたので扱いをどうするか悩みどころさんです。
一級アンドロイド、ユニカさんが運転する車に揺らされながら、これからへの期待を膨らませていた。ユニカさんは慣れたように、長い錆浅葱色の髪をシートに預けながら、教授の私用車をよどみなく運転していく。
ポツリと、助手席に座っていた教授が後部座席に座っていた俺に対してか、独り言だったかわからないが感慨深げに呟く。
「いや、まさか。在学中に一級合格する子が出てくるとは予想外だったよ」
教授は軽く笑いながら後ろを見やる。どうやら独り言の類ではなかったらしい。
「片桐さんが、すべての生活を投げ打つ勢いで勉学に励んでいたことは重々承知していました。ですが、ここまで早く実を結ぶことになるとは。感嘆の念を覚えるばかりです。何はともあれおめでとうございます」
少しわかりにくいが、ユニカさんも笑みを浮かべながら俺を祝ってくれていた。少し照れ臭く思いながらも「ありがとうございます」と会釈をしながら返す。
窓の外に視線を向けると、一面ガラス張りの高いビル、目測で40階以上はあるだろう建物が見えてきた。太陽を煌々と反射したビルは、俺の輝かしい未来を提示しているように思えてならなかった。
「今更君にご高説を垂れることはしない、しっかりとアンドロイド運用知識をつけ、工学倫理、その他知識を多分に含んだその脳にとやかく言うのは無駄だからね。その上で一つだけ。やっぱりアンドロイドと一緒の生活は楽しいよ」
教授は、ユニカさんを見ながら言った。すでにビルは近かった。
──時は遡り、大学四年一学期。構内に咲き誇っていた艶やかと言えるような桃色の花弁が出会いを祝福する季節。その季節に俺、
『何故、21という齢でその資格の取得を目指したのか?』と聞かれたら、俺は一点の曇りなく、胸を張ってこう答えるだろう。
「片目隠れアホ毛ロリアンドロイドと過ごしたかったからです!」
ドン引かれてもかまわない。俺はそのためだけに資格取得にすべて注いだのだ。二級ではだめだ。あれらは人間の数倍の思考速度こそ持つが、完全なる自我を確立しているとは言えない。二級まではあくまで模倣、アンドロイド工学の中では一級のみが完全な自我を確立すると定義されているのだ。
アンドロイドの自我にこだわる理由は、ただ肯定のみを行いマスターのサポートを行うイエスマンが欲しかったわけではない。対等以上に人のパートナーになれる存在を欲していたのだ。建前を消し去った本音を言うならば、「完全なる自我を持っていなければ、心の底から甘え、甘えられる関係になれないではないか!」というのはある。
包括される理由の一分にもならないが、免許の更新が(現制度下だと)不要というのもある。
そんなわけで、一級アンドロイドの運用資格を取得したというわけだ。
──時は戻り現在。ビルの地下に通され、夥しい数のセキュリティチェックを教授ともども受ける。すべての持ち物を隅々までチェックされ(車内含め)、いくつものゲートをくぐり、身分を二度にわたって確認され、施設の内部に入る。仰々しいように思えるかもしれないが、国家機密にあたる部分もあるので、当然の措置である。
「何回受けても慣れないねこれ。柄にもなく緊張しちゃうよ」
「仕方のないことでしょう。今回に関しては新参者もいることですし、彼らが張り切るのは分かりきっていたことでしょう」
言葉とは裏腹に、平気そうにしている教授は迷いなくエレベーターに乗り込みこちらを手招きする。
「教授、もう少し俺に手心とかないんですか。『大丈夫かい?』とかそれくらい言ってくれてもいいのに」
乗り込みながら恨めしそうに見る。教授はいつも通り、笑みを絶やさずにこちらの軽口を聞き、エレベーターのボタンを操作した。28階のランプが点灯する。
「別に片桐君のことを心配する必要はないだろうしね。それと、その資格を持っているということは、彼らの同類だ。扱いは僕とそうそう大差ないんだから」
愉快そうにその言葉を告げる教授は、ただの意地悪だけでなく、教授自身へ向けた教訓も入り混じっているように思えた。
「とは言えそこまで肩ひじを張る必要もないでしょう。マスターのような方でも普段通りの態度で受け入れられているのですから」
冗談交じりに話すユニカさんに、不満気に「おいおい、そんな言わなくてもいいじゃないか。まあ、事実だから何も言えないけど」と唇を尖らせた。そんな二人を見ていると今抱えている緊張も、どうでもいいようなものに思えてならなかった。
チンッ、とどこか心地いいような音が鳴る。僅かに体を揺らす間に、扉が開く。教授はわざとらしく、こちらに振り返った。
「ようこそ、片桐君。我が国の技術競争の最先端。アンドロイド開発の技術交流の場であり、販売を通してのテスト運用も行われる、所謂裏口へ」
「裏口というのは不適切かと」
厳しいツッコミが入った。
「手厳しいな。ちょっとぐらい格好つけさせてくれよ」
苦笑いとともに、周りを見やる。周囲にはいくつもの企業ブースが並んでいた。どれも一度は名前を聞いたことのある大企業ばかりだ。近くに貼られたポスターに目を通していく。どうやら技術発表の報告や、近年の成果の展示がされていた。
『アンドロイドの護衛による効率的な運用』、『アンドロイドを中心とした手術開発』、『ダム建設時の事故低減効果』、『効率的な排熱のための素材見直し』。
排熱かぁ。……排熱!?
俺はそのポスターにすぐさま食いついた。教授たちの存在を忘れ、夢中になって読みこんでいく。俺の期待通りであれば、あれの検証実験が掲載されているはず。
『素材の採用理由の説明』、興味はあるが違う。『素材の耐用年数』、これは覚えておこう。だが、今望んでいるものではない。『小型機体への搭載時の技術的課題』。『小型』機体……。
(これだぁ!!)
危ない、叫んでしまうところだった。逸る気持ちをどうにか抑え、続きを読んでいく。
『小型機体開発の難航理由の一つとして、排熱機構の効率化が目下の課題であった。当社はこの課題に対して──(中略)
結果として、三機の試作機を製造した末に、小型冷却機構の開発に成功したものの、製造コストや需要などを鑑みて量産には向かないと結論付けた』
がっくし肩を落とした。俺の夢はまだ遠方にあるらしい。空想したほのぼのライフが……。惰性で続きの文章を読んでいく。
『試作機三号は、実環境での活動に耐えられる機構があると判断したため外部での運用試験の実施を検討する』
おい、ちょっと待て。これはもしかすると……。
「片桐君、どうしたんだい。そのポスターに食いついて。ああ、タカヤマの実用実験─」「連れてってください……」
「へ?」
教授の肩をつかみかかり揺らした。
「この企業のブースに連れてってください!」
「はい、そこまでです」
肩に力が加わり、無理やり離される。ユニカさんはため息をつき教授の肩を押さえた。
「片桐さん、あなたの目的遂行能力が常人の域を超越しているのは、美徳ではありますが、同時に視野が極端に狭くなることがあります。お気を付けください」
「ふう、そうだね。もう少し気を付けようか」
ハハハ、と教授は笑いながら言った。服を直し歩き始めた。
「ほら、タカヤマのブースに行きたいんだろ。案内するよ」
「すいませんでした……」
小さくなりながら教授に付いていく。いくつかのブースを抜けるとタカヤマのブースが見えた。ぴっちりとしたスーツを着た初老くらいの男性同士が、仲良さげに会話を交わしており、やがて片方の男性が礼をした後、立ち去った。男性がブースの椅子に着席したのを確認すると、タカヤマのブースに向かった。男性はこちらを認識すると、柔らかな笑みを浮かべて、立ち上がった。
「これはこれは。竹中先生じゃないですか」
「どうも、雪信さん。お久しぶりですね。お身体の調子はどうですか?」
どうやら俺というより、教授に向けたものだったらしい。少しの会話を交わした後、教授は俺に話を振った。
「こんにちは、雪信さん。応用アンドロイド運用研究室四年の片桐悠です」
名刺を交換し、雪信さんのものに目を通す。『タカヤマ 開発部門統括長 雪信正』。開発部門の方なら小型アンドロイドの開発に深く関わっていたかもしれない。そうでなくても会社の技術力を結集したプロジェクトだ。知っていてもおかしくはないだろう。そんなことを考えながら顔を上げると、雪信さんがこちらの顔を覗き込んでいた。まるで珍しいものを見るような目で。
「あの、もしかして何か顔に付いてます?」
「ああ、すいませんね。ここまで若い技術者というか一級資格者を初めて見たものだから」
「まあ、珍しいですもんね」と適当な相槌を打ち、次の会話に移行しようとしたが、雪信さんの話は続いた。嬉しそうに話をする雪信さんを遮って話す話題でもあるまい。
「これも竹中先生とユニカさんの教えがよかったからかな」
「僕はカリキュラム通りのことしかしてないですよ。片桐君が一人で頑張り続けただけです。ユニカが研究室で片桐君につきっきりで教えてくれた時もありましたが」
雪信さんは興味深そうに話を聞いていた。何か考えたあと、横に置いてあった資料を手に取り、こちらに手渡してきた。
「それで?わざわざうちの会社を真っ先に尋ねてくれたのは、何かわけがあったんじゃないか?」
雪信さんの目つきが鋭さを帯びた。技術者として、会社の人間としての顔になる。
それに気おされそうになるが、目を見据え口を開く。
「単刀直入に言います。タカヤマの小型試作機体、俺に販売していただけないでしょうか」
自身の息をのむ音すら明瞭に聞こえる時間が続いた。呆然とした雪信さんは頭を数秒押さえたのち、「ほぉ……」と声を漏らす。俺の要求が予想外だったのか、かなり困惑しているように窺えた。
「あー、もしかしてポスターを見てくれた口かな?」
「はい、タカヤマの『効率的な排熱のための素材見直し』のポスターを拝読しました」
「……なるほど。こちらとしても二言三言交わしただけで、販売を決断できるほど軽い子じゃないんだよね。彼女自身の意思も確認したいし。とりあえず興味を持った理由を聞いてもいいかな」
横で話を聞いていた教授はぎょっとした。教授は俺がなぜ一級資格を取得したかを知っている人間なのだ。大丈夫、俺は本音と建て前を使い分けられる人間。そう簡単に失言はしない。
「技術者目線の話をさせてもらうと、従来の思考速度、処理速度を保ったまま小型化に成功した子がどのような技術によって、あまり気持ちのいい言い方ではありませんが『稼働』しているか大変興味を持った次第です」
腕を組みながら話を聞いているが、難色を示しているように思える。当たり前だろう。いくら知り合いの教え子といえども、そう簡単に納得してもらえないことは重々承知だ。
……ふう、仕方ない。本音を言うか。
「個人的な本音を言わせてもらうと、小型アンドロイドに心の底から甘えられたいし、甘えたいです」
眉間にしわを寄せる雪信さんには逡巡の色が見えた。あと態度には出していないだろうが少し引いているようにも思えた。
「一応聞くけど二級じゃダメなのかな?あれでも望みをかなえることはできると思うけど」
「ダメですね。あれらは自我を完全に確立しておらず、心を真に通わせることができないので」
雪信さんは悩んだ末に、立ち上がった。
「わかった、少し挨拶してみるかい?」
「……ありがとうございます!!」
ガタッ、と立ち上がり雪信さんの手を掴み、激しく握手をする。
「ちょ、落ち着いて片桐君!?手千切れる!!」
やってしまった。そう思ってすぐ手を離す。冷汗が流れる。かなりの無礼を働いてしまったのではないかと思い立ち、頭を下げ、必死に謝罪する。
「マジですいません!先ほど教授に注意されたばかりなのに……!」
「大丈夫だよ、びっくりしただけだから。元気があっていいじゃないか。ま、とりあえず上の階に行こうか。竹中先生も来ます?」
「今回は片桐君の話し合いなので僕は行きませんよ。個人的に見たい気持ちはありますが」
「そうですか、ではまた後で」
雪信さんは歩を進める。道がやけに長く感じ、走りたい衝動に駆られるが何とか抑える。
一緒にエレベーターに乗り、33階に着く。無機質な白いオフィスといった装いで、下のブースほどの賑わいや、これといった特徴はなかった。雪信さんは少し歩いたところにある会議室の前に立つ。
「準備はいいかい、片桐君」
心を落ち着かせ、首を縦に振る。雪信さんは俺の様子を確認すると、ドアをノックした。
「入るよ」
「どうぞ」
女の子の声だった。扉越しだからわかりにくいが、透き通っていながら、確かな芯を感じさせる声だった。
扉が開く。窓から差す光をカーテンが包み込み、優しげな雰囲気を漂わせた部屋だった。
その部屋の中で椅子に座り、本を読んでいる少女がいた。
まず目につくのは光を飲み込む黒曜石のような髪。腰までの長さがあり首を動かすだけでふわりと流れていく柔らかさを想起させた。頭のてっぺんにはぴょこんと生えたアホ毛がこれでもかと主張しており、俺の視線を集める。そしてその前髪は右目を覆い隠していた。見えている左目は、澄んだ空を思わせる輝かしい青でこちらを見つめていた。肌はアンティークの陶器のように白く、この世のものではない美しさを放っていた。それでいて頬には、薄っすらとピンクが浮かんでおり、ただのアンドロイドではないことをひしひしと伝えてきた。
服は白いTシャツの上に黒いカーディガンを羽織っており、まとまりのあるコントラストを演出していた。視線を下に落とすと、足首まで隠れる、所謂マキシ丈の黒いスカートを履いていた。
あ、まってやばい。可愛すぎる。本当に可愛い。可愛さが天元突破してる。なんだあの可愛さは。この世に存在が許されていいのか!?いや、いい。俺が許す。
「そちらの方は?」
「この人は片桐悠君。弱冠21にして一級に合格した子だ。どうしても君に挨拶がしたいと言うから連れてきたんだ」
彼女は身長が低いゆえか、椅子から飛び降りるように地面に足を付け、こちらの方にてくてくと歩んできた。身長は142cmほどだろうか。可愛い。
「こんにちは、片桐さん。いまだ正式名称がないため名乗りは型式番号にて失礼します。S-F-076-3です。よろしくお願いします」
彼女が頭を下げると、頭頂部のアホ毛が連動するように揺れた。可愛い。
天を見上げ、目頭を押さえた。かすかに入る光がこちらの思考をかき乱してくる。
「可愛い……」
「へ?」
「雪信さん、俺この世に生まれてきてよかった」
「早くない!?ちょっと、戻ってきて!!」
雪信さんはこちらの肩を軽く揺らしてくる。危ない、昇天するところだった。彼女と何か話したわけではないのに。激しく動悸する心臓を落ち着かせ彼女に視線を戻す。
「あの、大丈夫でしょうか。どこか体調でも?」
小柄な彼女は、こちらを覗き込むように近づいてきていた。端的に言うと上目遣いというやつだった。
「あ゛」
クリティカルヒットした。やめてくれ、その術は俺に効く。わが生涯に一片の悔いなし。
「片桐君、戻ってきて!何も始まってないから!」
再び肩を揺らされ、現世に引き戻される。はっ、そうだった。俺はまだ何も成していない。手で顔を押さえ深呼吸する。大丈夫だ片桐悠、流石に天丼はしない。すぅー。よし、大丈夫。俺は、正気に戻った。視線を戻し、彼女を見据える。可愛い。
「えーっと、さっき雪信さんに紹介していただいたけど、俺の名前は片桐悠。よろしく」
「はい、よろしくお願いします」
彼女は右手を差し出してきた。俺は、恐る恐る手を握った。
あ、まずい。もちもちしてる、すべすべしてる。なんだこの感触。作った技術者たちは変態の集まりだったのか。ありがとうございます!俺は手を離した後しゃがみこんだ。
「雪信さん、この方は正気で?情緒が不安定のように思えますが」
「……正気だと思うけど。片桐君、そろそろ真剣な話をしようか?」
すっと立ち上がり、息を吐く。
「そうですね、ご迷惑をおかけしました」
「急に落ち着くね、君」
雪信さんは椅子に座ると、俺に向かいの椅子に座るよう促した。彼女は雪信さんの隣に座った。羨ましい。
向かいの椅子に着席すると、部屋の気温が変わったような錯覚に襲われた。先ほども味わった感覚だった。
「さて、片桐君に対してどう感じた?」
「とても個性的な方だなと。その年齢で資格を取得するような方はもう少しお堅い人だと考えていましたが。実際に会話……、会話ですかねこれ。ともかく、こちらとしても毒気を抜かれたように感じました」
「なるほど、片桐君は彼女に対してどう感じた?」
彼女の方を見る。外部の人と会うことが少なかったからなのか、どこか緊張が抜けていないように感じた。雪信さんは相も変わらず、柔らかいようでいて、研ぎ澄まされた雰囲気を漂わせていた。この受け答えは大切だ。自身の意思を示して、なおかつ認めさせるような言葉を。
「とてもかわいいと感じました。この世に生まれてきたことを感謝するぐらいには。正直に言うと、一緒に過ごしてみたいです」
だからこそ俺は偽らず答える。技術者としての受け答えは、先ほどの回答で十分だろうし、技術的な説明を繰り返しても、今の質問への答えにはならないだろう。雪信さんは値踏みするように、俺を見つめた。部屋に沈黙が満ちる。数秒続いたそれは彼女によって破られた。
「あの、どうして私がいいんでしょうか。その様子を見ていると試作機ゆえの物珍しさというわけでもなさそうですし、その、多分あなたの好みの容姿に私が合致したということも推察できます。ですが、それだけで私がいいというのでしょうか」
難しい質問だった。ある意味一級資格を取った俺に対する最大の質問。ルーツをたどれば、中学卒業間近で見たイラストの子に惚れたところからだった。そこから、アンドロイドであれば同居の望みをかなえられることを知り、一級資格を目指し始めたのだ。ただ、その容姿に惚れたのが最初であるが、実際にユニカさんという一級アンドロイドと関わっていくうちに、信頼関係の構築に重きを置き始めた自分はいた。思い返せば無意識的に認識が変わっていたのだ。最初はそういう子と過ごしたいという欲だったのが、心を通わせ、信頼関係を築きたいという望みも増えたのだ。
「確かに俺は、君の容姿に惚れた。これはどう取り繕うと変わらない事実だ。だけど、それと同じくらい、君という子と過ごしてみたいという望みもあるんだ。互いに仲良くやっていきたい。それが、俺が君をいいと思った理由だ」
彼女はまだ理解できていないようだった。当然だ、答えになっているようでいて答えになってない。本当に俺のエゴの押し付けでしかないのだ。彼女はだんまりしたまま俺を見つめていた。
「どう思う?片桐君はこう言ってるけど」
雪信さんの判断は、彼女に委ねられていた。会社や個人としての思いもあるだろうが、最後は彼女がどう感じ、どうしたいか聞いているようだった。
「……まだわかりません。ですが、片桐さんともう少しだけ話してみたいとも感じました。あなたが私を知らないように、私もあなたを知らないですから」
彼女の精一杯の前向きな言葉を聞いて、少し心が救われたような気がした。一緒に過ごしたいと言われた訳では無いが、彼女も互いを知りたいと望んでくれたから。それだけで十分だと思えた。
「ありがとう」
勝手に口が動いた。感謝の気持ちはあるが意識していなくても漏れるほどであったか。視界が滲み、ポタポタと落ちていく。
「ははっ、なんで涙が出てくるんだよ……」
彼女は急に泣き出した俺を前にしてオロオロしだした。
「え、えっと、大丈夫ですか。なんで泣いているんですか?」
「なんでだろうな。……多分嬉しかったからだと思う」
「変な人ですね……」
その言葉には呆れと、それでいてどこか温かさがあるように感じた。
「雪信さん、私が彼のもとに行かなかった場合はどのようになるんでしょうか?私の認識では、社内にて兄弟と同じように過ごすか、社内の資格保持者の家庭に、稼働実験として長くても数年ほど過ごすことになると考えていますが」
「まあ、何もなかったら君の言ったとおりの扱いにはなるだろうね」
雪信さんは彼女の選択になるべく関与しないためか、事実を言うだけに徹しているように見えた。雪信さんからしたら、望むところでデータ取得を完結できた方が、都合はいいだろうに、彼女の選択に委ねているのだ。
「すみません、まだ答えは出ません。私にもこれまでの生活がありますから。ですが、外での生活が気にならないわけではありません。ですから──」
息をのんで彼女の言の葉が紡がれるのを待つ。汗が流れる。もう涙は止まっていた。永遠のように思えたその時間は、彼女の言葉によってすぐに終わりを告げた。
「お試し期間というのはどうでしょうか。二週間ほど、あなたの家にお邪魔してもいいですか?」
彼女の顔を見る。まだ、彼女の表情から何を考えているか察せられるわけではない。だが、彼女が望んで俺との二週間の同居を提案してくれたのだ。俺と明確に関わり合いを持ちたいと思ってくれたのかもしれない。それが、何よりも嬉しかった。
「もちろん。嫌というはずないだろう。ぜひ来てくれ」
「話はまとまったかな。まあ、こちらとしてもすぐに購入しますというよりは頷きやすいし、その提案は会社の人間としては助かるかな。とりあえず、その方向性で行くなら書類とか準備してこないとね。少し待ってて」
雪信さんはどこか納得したように立ち上がり、部屋を出ていった。
……どうしよう。二人きりになった瞬間すごく緊張してきた。改めて見るとめっちゃ可愛いな。え、待って。二週間の間この子が家に来るの?え?
落ち着いて深呼吸をする。
……落ち着けるわけがない。
そんなことを考えていると、彼女は俺に近寄ってくる。
「よろしくお願いしますね、片桐さん」
彼女は、今まで見せることのなかった笑顔でそう言った。
「あ゛!!」
俺の意識はそこで途絶えた。