というか最近思い浮かんだことなのだがね。
人は生まれ変わりたいと思った瞬間、死んでいるのではないか。
生まれ変わりたいと思った時、人は一度死んでいる。
いやはや、これはただの独り言なのだがね。
適当に受け流してもらって構わないよ。なんのオチもないからね。
さて、毎朝7時に起きて身支度を済ませ、トーストにバターを塗って朝食を済ませる独身男性のくだらない話を君たちに聞かせよう。願わくば聞いてほしい、程度のものだ。真剣に耳を貸す必要はないよ。
おっと、つい2回も同じようなことを言ってしまった。失敬失敬。
最近物忘れが激しいと同じことを繰り返してしまう癖があってだね。若い頃に戻りたいものだよ。
……と思ったことはあるだろうか。この"戻りたい"という感情は憧れからきている。私の場合は記憶力が低下した故の若かりし頃に戻りたいという気持ち。
しかし、これがもし誰かに"なりたい"という願いであった場合、残念ながら私は死んでいたことだろう。もちろん、比喩表現だとも。
何故死んでいたことになるのか、それは自分に対して全てを諦めたことと同義だからだ。
……言い過ぎだと思うかね?
しかしだね、物語の導入や根幹を担う部分は多少誇張して伝えるものだ。だからこそインパクトが生まれ記憶に残るものだと思ってほしい。
なんて話をしていては無限に話が逸れてしまうね。
度々軌道を修正することになるが、そこはご愛嬌ということで許したまえ。
では、本当の本当に本題に入ろう。
生まれ変わりたいと思った時点で、その人は一度死んだと言えるのではないか。
ふと、本を漁っていた時に思い浮かんだ哲学とは少し違ったトンチキな説なのだがね。一理はあると私は思ったんだ。
だって、そう言うってことは自分じゃ嫌、満足できない、他の誰かになりたいということ。つまりは、今すぐ私を殺して別の誰かにして、私を私じゃなくしてと死を懇願しているようにしか見えない。
それはもう、死んでいると言っていいのではないか。
6年ほど前だったかな、私にも愛すべき人がいた時の話だ。
会話の流れは事細かに覚えてはいない。ただ、カフェでゆっくり過ごしていると窓の外から飛び立つ小鳥を見て、彼女がボソリと呟いたのさ。
「小鳥だったら、毎日幸せだったのかな」
ちょうど仕事を辞めて、人生について大きな悩みを抱えている時期だった。これから先歩むべき道が定かではない彼女が見た窓辺の景色には、自由に羽ばたき毎日歌を歌っている小鳥がいた。
私の目からはいつもの風景で、ただの小鳥だった。しかし、彼女にとってはこれ以上にないほど眩い光を放つ自分とは似ても似つかない存在だった。自分よりも遥かに矮小な生き物に憧憬の念を抱くことがどれほど憐れなものか。
その時に私が掛けた言葉を残念ながら覚えていない。きっと、浅はかな同調か励ましの一言でも投げ掛けたのだろうが、今になって気遣うことすらできないどこまてまいっても冴えない男だったなと不出来な自分に落胆した。
それ以降、名前を呼ぶと笑顔で振り向いてくれた彼女が、どこか遠くを見つめる目をしていて、まるで目の前にいるのに認識できない幽霊みたいに彼女の存在が透明に見えた。
そして、お互いの道を歩むことになった。
その時のことを思い出してふと思ったことだ。
彼女はあの時、小鳥に殺されたのだと。
みんなちがってみんないい、とある詩人が言っていた。
十人十色、千差万別、三者三様、多種多様。どれも似通った意味の言葉である。多くは良い意味で使われていると認識しているが間違っていたらすまないね。
この言葉たちにはかねがね同意なわけだが、どうにも世間ではそんなことはないという人で溢れているらしい。
人の生き方は人それぞれで、どれもこれも彼らにとっては良いものだと感じることが多いが、時にはそれを通り越してしまう瞬間があるようだ。
隣の芝生は青い。
他人の持っているものや境遇、価値観、容姿、様々なものが自分のものよりも良く見えてしまう。嫉妬、憧れ、無い物ねだりに似たようなこと。
彼女はその時見えたのだ。晴れの日も雨の日も自由に空を飛ぶ小鳥が、小枝に止まって讃美歌を歌う可愛い小鳥たちがどこまでも青く、青く。
私にだってそう思うことはあった。もちろん一度ではない。
昇進する同期を横目に指示通りにすら上手くやれない自分の不甲斐なさを痛感したとき、学年で一番の美人と噂されていた同級生と恋仲になった友人を見たとき、新しい玩具を買ってもらっていた弟に良かったねと言ったときも。
羨ましいと思った。自分には持っていない何かを持っていることが羨ましかった。劣等感に苛まれて何事にも手に付かない時期すらあった。
しかし何故だろう。その人になりたい、生まれ変わりたいと思ったことは一度もなかった。
不思議だろう。私も思うさ。そんなに嫉妬に狂うぐらいならそう思っていたとしてもおかしくはないと。
でも、一度たりとも思ったことがないのさ。自分はどこまで行っても自分でしかないと自覚していたからね。
諦観していたのかもしれない。いや、実際そうなのだろう。
それでも最初から諦めていたわけではない。ただ、人生に起こり得る全てを素直に受け入れていただけだったのだ。
この歳になってようやく気付き、静かに本を見つめ合っている時に脳裏をよぎったのだよ。生まれ変わりたいって、自分に対して何かを諦めた時に思い浮かぶ"感情"なのだと。
そしてその感情こそ、己に死を疑似体験させているのではないかとね。
もし本当に生まれ変わったとしても、幸せになれるとは限らない。そんなことは皆頭の中で理解しているだろう。それでも青く見えてしまうのは、人が絶対に包み隠せない"感情"が浮かんでしまうからだろうね。
小鳥だって、明日には猫に喰われているかもしれない。
昇進した同期だって、私の見えないところで辛酸を舐めてきたのだろう。
恋仲になっていた友人だって、別れたと言って私の目の前で涙を溢していた。
貴方が輝かしく見える友人だって、過去にイジメを受けていたかもしれない。
貴方が憧れているアイドルだって、小汚いおじさんと一夜を共にして泥水啜って這い上がってきたのかもしれない。
貴方が見てきていた景色は、もしかしたら誰かにとっての憧れだったのかもしれない。
他人が見てきたことは自分には見えない。でも自分が見てきたことは他人には絶対見えない。
苦しみも悲しみも、嬉しさや幸せも、何もかもが自分だけのもので全ての権利は自分にある。
これまた少し昔の話だがね、高校生の時コンビニでアルバイトしていたのだよ。平日は夜に、休日は朝方に働いていた時期があってね。
平日の夜におにぎりを数個買って、休日の朝には紙パックのジュースを3本買っていく悪く言ってしまえば清潔感の無い常連客がいたのさ。
その人はきっと夜勤の仕事をしていて、休日の朝はいつも寝ぼけ眼で商品をオレンジのカゴに入れていた。
その時の私はずっと思っていたのだ。何故休日の朝は紙パックのジュースを3本も買っていくのだろうとね。夜勤終わりなのだから腹は空いているだろうに。
それでも、常連客はその習慣を崩さなかった。腹一杯食べて寝た方が気持ちがいいだろうと思っていた。だからこそ、一度尋ねてみたことがあったのだ。
「お客様、いつもジュースを3本購入されますよね。お腹は空いていないのですか?」
今にして思えば大層失礼な聞き方だった。まるで冷笑しているのを包み隠そうと敢えて丁寧さを醸し出している嫌味が上手なゲス野郎みたいで。実に反省して然るべき質問だったと言えよう。
そして、寝ぼけ眼を擦りながら袋に入れた商品を受け取る際に言った。
「これがぁいいんだよぉこれが、好きなんだぁおれぁ」
いつもありがとよぉ、とお礼まで付け加えて答えてくれた。
それを聞いた瞬間、私は己を恥に恥じた。
幸せの権利とは、常に自分が握っているのだとね。
私からしたら馬鹿な買い物に見えた。
紙パックとジュースが105円、合わせて3本315円。150円のおにぎりを2個も買える。コンビニ一推しのこだわりたまごのサンドウィッチが1つ買える。
今では物価高で購入できるものも違ってくるかもしれないがね、当時はジュース3本の値段でそれぐらいは買えただろう。なのにあの人は買わなかったのさ。
何故なら、彼にとってジュース3本を飲むことのほうが幸せだったから。至極単純な理由だった。私はそれすら気付けずただボーッと商品をレジに通していただけだった。
この話を通して何を伝えたいかというとね、幸せは人それぞれで、権利を握るも放棄するも全て自分次第ということだ。
他人から何を言われても曲げなくたっていいのさ。それで後悔したならその選択が間違っていたというだけ。権利を握っていた自分の責任。
逆に後悔しなかったのなら、そこには確かに幸せはあるのだろう。
隣の芝生は青くとも、誰かに生まれ変わりたいと思ったとしても、他人じゃ掴めない幸せは必ず手元にある。
まあ、実際はそう上手くはいかないだろう。
人として色々抱えながら生きる、自分という人を見失わず生き続けると書いて人生と読むのだから。これほど難しいことは滅多に無いさ。
私が言いたいことはね、これまた単純なのだよ。
生まれ変わりたいと思うことは、貴方が持つ権利を全て手放す行為に等しいと。生きる権利を放棄したのに等しいと。
人に理解されない幸せはきっとあるのさ。
その形が歪なものでも確かなものがあると確信しているのなら、その権利は何者にも侵害されてはならないものだ。
羨む必要はない。生まれ変わりたいと思う必要もない。
どの道にも苦難はある。隣の芝生は青く見えても、実態は赤くて辛いことだらけかもしれない。
時には山を登ったり、時には谷底に足を滑らしたり、そう言ったことの連なりが今を、未来を創っていく。
平々凡々な私が言うのだから間違いはない。
そう主張する権利は私にはある。
だからこそ、来世になんて期待しないで、隣ばっかり見ていないで、コーヒーでも飲みながら夜を過ごそうでは無いか。
何とも締まらない話の終わりだね。
最初にも言っただろう? オチはないってね。
こんなしがない会社員のおじさんの話を聞いてくれてどうもありがとう。では、そろそろ私はお暇するとしよう。
というより、こんな話を最後まで聞く人はいるのだろうか。
世界は広い。小説サイトの隅っこの方にでもポツリと文字にして投稿してやれば、誰かしら目を通してくれるだろう。そう期待しておくよ。なんてね。
ん? この後どこに行くのかだって?
決まっているだろう。
私は冴えないサラリーマン。
ちょっと仕事を片付けてくるだけだよ。