お疲れ様。
気分はどう? 顔色から察するに平気そうだね。
本題に入る前に、少し話でもしようか。
はは、大丈夫だよ。そんなに長くはならないと思うから。
15年程前、ある
裕福で傲慢に生活してるわけでもなく貧窮に喘いでいたわけでもない、平々凡々の家庭の次男坊として生を受けた男の子は、両親と兄の愛情をこれ程かというまでに受けてどんどん成長していった。
3歳の時には、男の子に弟ができて、今まで受けてきたような深い愛情を弟に注いでいった。そのおかげか、3人は地域でも有名な仲良し兄弟だった。
母は地域で唯一の医者で、畦道を白衣で駆け回っている姿を見ることが出来た。父は家具職人で、日本でも3本の指に数えられるほど手先が器用だ、と子供たちに堂々と宣言していた。
男の子が10歳になって幼さとあどけなさが表情に残る少年に頃にも、田舎には一切の変化は生じていなかった。変化といえば、父の頭髪に白が混じり始めたくらいだ。それを見て、少年は時流を幽かに感じ、少し悲しくなった。
彼らの住んでいる地域には、学校というものが一切存在せず、3人兄弟は自由気ままに一日一日をのんびり過ごしていた。そのうち、少年は母の仕事に興味を持ち、次第に彼女の仕事現場に着いて行くようになった。
少年は、母の仕事ぶりを見てふと思った。怪我をした人や病気に罹った人に対して、適切な処置を施し患者の笑顔を即座に取り戻す母は魔術師か何かか、と。少年は徐々に魔術、もとい医学に興味を持ち始めた。
割かし流行り物が好きで頻繁に都市に赴く兄に頼み、少年に医学の書物を仕入れていた。最初のうちは、何が書かれているのか全く読み取れなかった。しかし、母の手助けもあって、だんだんと医学の造詣を深めていった。
医学倫理の問題にも触れるようになり、少年はだんだん医学よりもヒトの命について考えることが好きになった。
少年は今まで医学について熱心に指南してくれた母に感謝の意を伝え、兄にも医学の本ではなく哲学や倫理学の本を頼むようになった。兄は嫌な顔一つせず、頼まれた本を買ってくるようになった。弟は少年が読まなくなってしまった本を読み漁るようになった。弟は元来から兄や少年の真似をいつもしていた。少年はその光景がたまらなく好きだった。
両親は少年、3兄弟のすることに口を挟まず、好きなことを自由にやらせていた。親としては模範的であった。少年は何にも縛られることの無い、枠の無い生活が大好きだった。また、その生活に何の疑問も持っていなかった。
さらに5年が経ち、少年は立派で凛々しい青年に成長した。兄は既に成人していて、父に家具作りの何たるかを教わり、弟は活発な少年となって近所の友達や、時には兄弟を誘っていつも身体を動かしていた。老眼鏡を掛けるようになった父と目尻の溝が明らかに深くなっている母を視界に入れる度に、青年の心は苦しくなった。
以前と何一つ変わらず、青年は「人間」への認識を深め、行く行くは「人間」の真理が「世界」の真理に辿り着ける、という何処からか湧いた確固たる確証に満ちていた。
ある時、青年は一つの疑問に辿り着いた。
何故、「人間」は生きるのだろう。
辿り着いた、というのは少し違う。彼の脳裏にはいつもその疑問が掠めていた。敢えて表面上に出さなかったのだった。
青年はいつもの通り考えた。考えれば真理に辿り着くのは、今までの経験から分かっていた。
実は彼はニヒリズム的な思考を持っていた。不自由ない生活、つまり刺激の起伏の少ない人生に飽きが訪れていた。だが、彼も倫理観ある青年。自分がその虚無の下に自殺してしまえば、家族が悲嘆と絶望の淵に立たされるのは想像に難くなかった。
では、どのように彼はその虚無を埋め立てたか。簡単だった。目には目を、歯には歯を、虚には虚、なのだ。
いずれ刺激が訪れる、兄のように都市を訪れてみれば良い、再び母から医の道の先導をすれば良い、等の尤もらしい理屈を捏ねて、その虚を鎮めていた。
だが、「虚」は何度も彼を縛り付けた。「虚」だというのに実在するかのように縛り付けるとは何とも皮肉な話なのだが、しばしば彼に語りかけた。
どうしてお前は生きる? お前の生きる先に何がある? と。
現在の家族の為に生き、未来の懸け橋の為に生きる。それが彼の一時的な答えだった。
この答えは即座に否定されることとなった。彼はとっくに飽きていた。家族と共に生活することも楽しい、「人間」への理解を深めるのもまた楽しいのだった。
しかし、彼にとっては、既に「楽しい」だけでは生きる意義には成り得なかった。
では、何が生きる目的になり得るのだろう?
世界の変革を目指す? 平穏に過ごし、安楽な死を迎えるための努力をする?
ここで青年はとある言葉を思い出した。彼が最も好きな言葉である「無我」である。
無我とは仏教用語で、「我ではない」という意味で解釈できる。自らの認識にある「不変の自分」と客体的に見た「変わりゆく自分」の矛盾が大きな苦を呼び寄せる、という考えのもとから生み出された言葉である。
彼もまたその言葉を胸に十数年、生を全うしていた。
だが、彼の「無我」と仏教の「無我」とでは観点が違っていた。
仏教において、生きる意味とは無い。むしろ、死ぬことこそが輪廻の主体であり、それを迎えるまでの過程が死であると考えている。だからこそ、なるべく苦しまないように生きる。これが仏教的な考えである。
じゃあ、彼にとっての死とは?
青年は無神論者だったので、死後の世界だの輪廻転生だの発想には至ることがなかった。だから、彼にとっての死とは、ゼロである。すなわち、彼を苦しめる「虚」も消える、という認識だった。さらに言うなら、「虚」を生み出す自分をも掻き消してくれる、と。
この発想に至ってからの彼は迅速だった。何故なら、この認識が彼の今までの人生で最も納得させたからだ。
次にはどう展開されるか? 人類全てが「虚」という悪魔に蝕まれているのではないか、と。だったら、自分がそれから解放してやればいい。
これは人助けだ。ゼロへの飛翔を手助けしてあげてるのだ。相手を「死」に至らしめるのがエゴならば、人間を手助けするのがエゴになってしまう。そんな訳はない。死ぬことこそが存在にとって最も幸福なのだから。
その晩。
青年は父を殺した。
その光景を見ていた兄と弟を殺した。
不幸なことに、母は都市から派遣の依頼を受けて家にはいなかった。
血だまりに沈む3人の幸福そうな死に顔を見て、青年は無垢な笑い声をあげた。
これが「救い」なんだ。もう3人も「虚」のしがらみから解放したんだ。僕は「救い」を一番初めに家族に施せたことが何よりも幸せだったのだ。と恍惚の中にしばし埋もれた。
しかし、いつまでもここで悦に入ってるわけにはいかない。世界にはもっともっと「救い」を求めている人がいる、という狂気的な使命感に駆られ、青年は満月の下、家を飛び出した。
一夜のうちに、彼の住む地域に住む全ての人を殺した。生まれたての幼子だろうが、わざわざ手を下さずともあと何か月かで亡くなってしまいそうな老人だろうが、青年は手を掛けた。
殺す度、彼の快感と達成感は炸裂していた。溢れ出る血液を見れば見るほどに、彼の血潮も煮え滾った。
明くる日、彼は辺りの家から日本地図と紅いペンを拝借した。ほんの少し前の彼ならば、良心が呻くことでそんなことは不可能だったが、生きることがゼロへの架け橋であると知った以上、いともたやすく行えた。
青年は自分の住む地域に小さく×印を書いた。この地図が紅に染まった時のことを考えて、青年は身悶えした。
次に、兄が頻繁に足を運んでいた都市に赴いた。血塗れの恰好をしていた青年に訝しげに近づいてきた警官2人を即座に刺殺した。
当然ながら、周りにいた人々は騒然した。だが、彼にはそれが「救い」を求める声に聞こえた。
彼の障害も現れた。それは街に訪れてから最初に殺した警察の存在である。
人類皆に「救い」を施す前に自分が死んでは困る、と思った青年は顔が知られないうちに近場の洋服店に入り、店員と客を皆殺し、血塗れの服を脱ぎ捨て、外見を一新した。念の為に、着替えを4,5枚持って店を出た。
それだけでも十分に障害の壁を何枚も超えられた。
青年はなるべく血を浴びないように刺殺ではなく絞殺という手段を取った。
これが意外に効果的で、青年は何日か後に警察の本拠地に潜り込めた。
そこでもまた、大量に人を「救い」、自らが生きるために防弾チョッキと拳銃を調達した。
青年は人間を「救う」ための行動に努力を惜しまなかった。彼は救世主になったような気分だった。
数か月後、念願が叶った。
なんと地図が紅に染まったのだ。
青年は精力的に「救い」を施していった。時には、危ない橋も渡った。自分がゼロに昇華しかけたこともあった。
しかし、青年の理解者がいた。彼のように日常に飽きを迎えていた人もいた。
その理解者が日本の権力者の跡取りでなかったら、青年の行脚は失敗だっただろう。
青年は疲れてしまった。入る者がいなくなってしまった哀愁漂う高層ビル群のど真ん中で彼はまどろみに溺れた。
青年は夢の中で家族と会った。
早くこちらに来い、と手招きしていた。ゼロの世界に旅立ったはずなのに、という疑問は彼の中にはなかった。夢の中特有のエクスタシーだけが蔓延していた。
青年が目を覚ますと誰かの視線を感じた。
なんとも安心感の感じさせる視線だった。
これで僕からのお話はおしまいだよ。
長くなってしまったようだね、こんなに話すつもりじゃなかったんだけどね。
さて、僕も行くべきところに行かなきゃならない。というよりかはさっさと行きたいんだ。志半ばなんだけど、既に僕は満足だ。これは僕のエゴだが、僕の後継者がいるんだ。
君には関係ない話だったね。さあ、もういいだろう。
産んでくれてありがとう、お母さん。
寓意はゼロです。