「それでは葵殿、計画通りに……で、ござるな?」
「おう、両者の思惑は完全に一致した訳だからな」
恐らく時間にして5分経つか経たないかといったところだろう。
長瀬楓という斥候役を手に入れることに成功した葵は、可能な限り監視カメラを避けながら裏路地を進んでいく。目指す場所は敵(報道部&放送部)の本拠地がある麻帆良大学――に最も近い商店街の1エリアである。
「それにしても、自分を今まさに追いつめている相手に対して取引を申し出るとは……ある意味で肝が太いでござるなぁ」
「ふっはっは。今まで散々危ない目にはあってきたからなぁ! 葵君は土壇場で力を発揮する子!」
「…………それ、追いつめられる事が前提になっているでござるよ?」
「聞こえん! 何も聞こえんなぁ!!」
どうにか長瀬との間に取引を成立させ、味方に引き入れた葵は、次にどうやってこの事態を終わらせるかを考えていた。
取引と言っても簡単なもので、要するにもらえる予定の商品若しくは賞金の代わりに個人的な報酬の確約(幸い、期限まであと半年はある商品券やら食事券の類いがそこそこの額分残っていた)、彼女が行っている山籠りへの最低月1参加の約束、ついでにこの先のイベントで強者が来た時は真っ先に彼女が相手をする事の三つである。
正直、取引に応じたのではなく乗っかってくれた感が非常に大きいが――そこは気にしない方向でいこうと思考を打ちきる。
今はそれより現状打破が急務である。
「相手が朝倉――とはいえ裏には放送部、報道部がいるってことは……あっさりと捕まった所で多分それを認めてくれないだろうから却下だな。可能な限り派手に……まぁ、朝倉自身も中途半端なことやらかしたら後日、これの3倍は厄介なイベントに巻き込んできそうだが……」
「比較的話が通じる人間とは言え、和美殿は面白い事を優先させる所があるでござるからなぁ。まぁ、ハルナ殿よりはマシでござるか」
「どっちも結局は自分の目的を十二分に達成させるって所は同じだがな……。さて、となると向こう側が適度に満足してくれるレベルの騒動を起こしながら本部まで行って主要人物共を制圧すれば終わるだろ」
「むしろその制圧が一番難易度が高いと思うでござるよ? 加えて、和美殿と葵殿の関係を見るにその手は予想されている可能性が高いかと――」
「…………まぁ、そうなんだが――かといって制限時間いっぱいまで逃げ回ってたらもっときつい事されそうだし……。うん、やっぱ制圧で」
自分達がもっときつい目に合いそうという『建前』もあったが、葵としては完全に逃げまくって朝倉のメンツを潰すような事は可能な限り避けたかった。なんだかんだで、彼女もやはり友人なのだ。
自分に何の打ち合わせもなくというのは少し気に入らないが、イベントそのものにはそこまで反発するつもりはなかった。良くも悪くも、それが麻帆良という所だという事は葵自身その身をもって理解している。
なにより、これだけ大掛かりなイベントとなると、そもそもの発案は朝倉ではなく報道部、あるいは去年から行われているこのイベントの発足人の放送部かそこらへんだろうと葵は当たりを付けていた。
率先して動いてはいたかもしれないが、全ての責任をなすりつける程ではないと、葵は考えていた。――もっとも、やるからには全力で相手をするし、少々仕返し――もとい、周囲を納得させるためにも、少々痛い目に遭ってもらうつもりだが……。
「さて、となると……最短経路で表通りに出て――」
「ああ。群がってくる連中を片っぱしから投げ飛ばしながら麻帆良大学まで向かうよ」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「ぎゃああああああああっ!!!」
「畜生、囲め囲め! 女が一人増えた所で数では俺達が上だ――ああああぁぁぁぁぁっ!!!?」
「ダメだ! 一旦撤退して態勢を立て直せっ!! あの女さっきから容赦なくそこらのフォークやらナイフを投げて来て危な――あぁ、健二!!? おい、しっかりしろ! 俺を置いて死ぬんじゃない!! 誰か、救護班を! 救護班をぉぉっ!!」
長瀬と葵が活動方針を決定してから数分後。――その数分の時間で麻帆良商店街は地獄絵図と化していた。
葵を捕まえようと踊りかかる猛者達は楓によって片っぱしから気絶させられ、その屍はバリケードの様に積み重なっている。
長瀬を無視して葵に掴みかかろうとする者もいるが、大体それらは彼女に見逃された面々。つまり、葵でも十分に倒せると彼女が判断した面々だった。
彼女の眼力は正しく、彼らは葵に一撃入れる事すら叶わず、彼に蹴り倒されるか殴られるかのいずれかとなっている。
「ふむ、これで粗方は片付いたでござるか?」
「いやお前本当に強いな。もうこれ参加者全員死屍累々になってるんじゃねぇか? あからさまに観客って奴以外ピクリとも動かない――ごめん、訂正。なんかピクピク痙攣してんだけど……」
「ふむ、かなり手加減したつもりでござるが……」
「あからさまな凶器を投げつけてた奴が何言ってんだ……っ!?」
なにはともあれ、商店街に出てからほんの五分も経たないうちに、結局楓一人でほとんど決着が付いてしまった。
これは正直、葵にとっても予想外であった――マズい方向に。
なにせ、可能な限り穏便に終わらせるには朝倉たち報道部がある程度満足できるシチュエーションというものが必要不可欠だった。それがこうも一方的な絵だと面白みに欠ける。つまりはつまらない。
そんなのをあの面白い事大好き集団が許すはずもない。
(朝倉の言葉でいう『とっておき』を切ってくる可能性があるか……)
朝倉が何かを仕掛けてくる時によくある『とっておき』。これが切られる時は大体碌な事にならない。
なにかのマスコットの着ぐるみが武装して大挙して来たり、ロボット工研に協力を求めて訳のわからんロボット軍団をけしかけてきたり訳のわからん店に突撃取材させられたり――まぁ、いろいろだ。
せめて朝倉達が計算したとおりに事が起こってくれればいいのだが、そうはいかないのが麻帆良という場所だ。大抵何らかの形でイレギュラーが起こる。
(どうする? ここまで一方的だと……まぁ、朝倉的にはありかもしれんが――他の奴らが満足するかどうか……)
そこまで思考を進めていた葵は、隣に立っている長瀬が妙に静かになっている事にようやく気が付いた。
怪訝に思った葵はいつの間にか下に向けていた顔を上にあげ――
「――ねぇ長瀬、帰っていいかな?」
「葵殿、できる事ならば拙者もそうしたいが、どだい無理な話でござるよ」
「お前忍者だろうが、忍びだろうが。依頼はしっかりこなせよ、なんかあるだろ? ほら……」
「? なんだかよく分からないけど、とにかく……楓! 勝負アル!」
葵達の目の前に立ち塞がっているのは、黄色いチャイナ服を身に付けた、恐らく麻帆良で最も有名な人物の一人だろう。それはいい。それはまだいい。彼女の事は一応知っているし、葵ではまったく歯が立たない程の強さを持っているがそれを抑えられるであろう長瀬がいる。問題は――
「せ~んぱ~い――さっきはよくもやってくれたわねぇ……」
「……ほら、あのチャイナと悪魔を刺し違えてでも倒すとか、特攻とか神風とか腹マイトとか」
「全部同じ意味でござるよ!?」
恐らくは急いでシャワーでも浴びてきたのか、湿った赤毛を得体のしれないオーラと怒気を混ぜ合わせたもので逆立てながら立ちふさがる神楽坂明日菜の姿があった。
『おぉっとぉ! このままアッサリ終わってしまうかと思ったらイレギュラーが発生だぁっ!! 麻帆良武闘派四天王の一人、長瀬楓を味方につけた篠崎葵の前に立ちはだかるのは同じく四天王の一人! 中国武術研究会所属、クーフェイィィっ! 先ほどリタイアした明日菜選手もまた、以前より増した闘志を胸に帰って来た! 篠崎葵、ようやく――じゃなかった……これまでにないピンチです! 果たしてどうやってこの危機を乗り越えるのかーっ!!?』
「………………アイツの差し金か」
「和美殿もノリにノっているでござるなぁ……」
「最近確信したんだが……アイツにはストッパー的な存在が必要不可欠だと思うんだ――おい、なんで俺を見る」
「いや、別に……」
その細い眼を少し開いて、じーっと見てくる楓へめんどくさそうにパタパタと手を振りながら、葵は殺気にも等しい気迫をぶつけてくる明日菜を見据える。
「もう一度聞くが、二人を同時に抑える事はできる?」
「もう一度答えるが、無理でござるな」
「…………だよな」
藁にもすがる気持ちで楓に確認をとるが、アッサリと否定される。
そうこうしている内に相対している二人はじりじりと間合いを詰めてくる。
古菲は楓を警戒して、明日菜は自身の殺気に押されるようにして。
事故だったとはいえ、さきほど葵がやらかしてしまった事は、どうやら神楽坂明日案という『恋する乙女』にとっては決して許せるものではなかったようだ。
(……死ぬかもしれん。比喩じゃなしに)
武器の代わりなのか、教室に置いてあるようなモップ型の箒を器用にくるくる回しながら、すでに葵を射程範囲内に捕らえている明日菜を見て、葵は深いため息を――
吐くのと同時に、明日菜は一気に葵の懐へと飛び込んできた。
そして繰り出されるモップの鋭い突き。
「うおっ!」
咄嗟に身体を捻りそれを避けるが、今度は突きの態勢からそのまま振りあげ、更に一歩踏み込んでから勢いよく鋭い突きを繰り出してきた。
ギュオッと、普通の突きではまず出ない風を切る音が鳴り響く。
「はぁっ!!」
「ちょ――この、いくらなんでも喉を突かれたら死ぬってば――」
「問答無用ぉぉぉっ!!」
「聞けっつってんだろーが!!」
突く、避ける、払う、やっぱり避ける、振りおろす、受け止める、踏み込む、足をかけて転ばせようとする――
やはりというか、なんだかんだで常人離れしている身体能力を持つ明日菜の攻撃を、葵は受け流すのがやっとだった。とにかく早く、とにかく重たい。
たまに反撃できる事があるとすれば、隙を見つけて足をかける等のせせこましいモノだった。
どう考えても年下の女の子にやる攻撃ではない。
最初は普通に反撃しようとしたのだが、一撃を入れようとした瞬間盛大に蹴り飛ばされた。
「いい加減に……っ!!」
再び明日菜が突きを放った瞬間、先ほどとまったく同じ態勢と振りだった事も手伝い、葵は箒を掴み取る事に成功した。
そのまま明日菜の手を振り払う様にして、箒を向こう側へと投げ飛ばす。
その動作でやや大振りになった所へ明日菜の両手が伸びてくるが、葵も済んでのところで間に合い、互いの両手を掴み合う態勢での睨みあいとなった。
「こ・ん・の・バカレッドがぁぁっ! あのまま大人しく風呂にでも浸かっていればよかったものを!!」
「精神的にも物理的にも穢されたこの恨みを今晴らさないでいつ晴らすっていうのよぉぉぉぉぉっ!!」
普段は葵の事を先輩と呼び、比較的――本当に比較的ではあるものの丁寧な言葉で話しかける明日菜だが、どうやら怒りでそこらへんが吹き飛んだらしい、女の子とは思えない力で、かなりの身長差があるはずの葵を押している。
「ぐ……ぎぎぎぎぎ……。ちょ、この馬鹿力……っ」
「大人しく連行されるっていうなら……! 緩めてあげてもいいわよ!!」
僅かばかりとはいえ余裕のある明日菜は、その顔に凄味のある笑みを浮かべながらますます力を込める。
「だから――私の! 幸せのために! 大人しく捕まってちょ・う・だ・いぃぃぃぃっ!」
「い・や・じゃ・あ・ぁ・ぁ!!」
葵の気のせいでなければ、自分の手から骨か何かがきしむ音が聞こえてくる。さすがに先ほどから隣でおよそ一般人には出せない空を斬る音や轟音を鳴り響かせている超人二人程ではないが、目の前で歯を剥きながら自分を取り押さえようとしている少女も、また十分に脅威だった。
一方で明日菜も、身長差や体格差といったもののせいで決め手に欠けている。
多少有利な所で、そのまま膠着しだした事態にヤキモキしていた。
(どっちくしょう、マジでどうするか……)
膠着状態が望ましくないのは葵も同じ。
葵の目的は、事態を仕切っている朝倉達がある程度満足する構図を作りながら事態を制圧という手段を用いて治める――ついでにその上の放送部、報道部から出来るだけ絞り取る――あるいは痛い目を見てもらう事だった。
やろうと思えば明日菜を振りきる事はおそらく可能だろうが、それはいわば朝倉の用意したイベントの放棄に近い、場合によってはもっと面白くなるかもしれないがコントロール出来ない状況というのはいただけない。
あと、出来る事ならついでに一度くらい朝倉を巻き込んで密やかな復讐がしたい。
「なぁ、明日菜――ちょっと俺の話を聞いてくれないか!?」
ふと、とある作戦が頭をよぎり、明日菜に取引を持ちかける――が、
「なによ! 無条件降伏しか認めないわよ!?」
「ふっざけんなっ! 日頃どれだけ俺がお前に協力してやったと思ってんだ!!?」
「それはそれ! これはこれ!」
「どんなオカン理論だコノヤロウっ!?」
まるっきり聞く耳を持たない。
長瀬の時と違い、気持ちに余裕がないというのもあるだろうが、そもそもの性格からして取引に乗りそうにない。
――これは本気で詰むかもしれん。
ボコボコにされた挙句、簀巻きにされて朝倉達の所に連行される光景を想像して葵は首筋に嫌な汗を流す。
このままではどうせ捕まってしまう。だったら――
「バカレッド! 俺を捕まえたいならしっかりついてこいよ!?」
葵は掴まれていた手を振り払い、軽くよろけた明日菜の脇をかすめるように、一気に駆けだした。
「……っの、往生際の悪い……逃がさないって言ってんでしょ!!」
手を振り払われ、バランスを崩しながらも踏みとどまり、見事なスタートダッシュを決める明日菜。
一方、背後から彼女が恐ろしい速さで追い掛けて来ているのを感じながら、葵は真っ直ぐに、麻帆良大学への最短ルートを取る。
その右手には携帯が握り締められており、すでに誰かへの番号が表示されている。
(部活中かもしれんが……頼むから、出てくれよ――!?)
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
(やはり強いでござるな)
先ほどから流れるように放たれる拳を捌きながら、長瀬楓は目の前の少女の実力を再認識する。
「……っ! やっぱり楓は強いアルナ! さっきから一発も当たらないヨ!」
「クーもさすが……っ! 一撃一撃が致命的な威力で、迂闊に攻撃できないでござるよ!」
葵達の戦いのそれとは違う、まるで舞のような流れる動作の応酬。
互いに一歩も引かない戦いが繰り広げられている。
かたや拳を振るえばそれを受け流し、かたや隙を狙って関節を極めようとすればその動きを逆手に、流れるような蹴りが飛んでくる。
両者が打ち合いを始めて、おおよそで20分の時が経っているが、未だ両者共に疲れを見せない。
(しかし、これは不味いでござるな)
もっとも、見せないからといって内心はどうかというと、少なくとも長瀬は少し焦りを感じていた。
その原因は、先ほどから姿の見えない葵と明日菜のことだった。
(葵殿では、今の明日菜殿は抑えきれないようでござるな。どうやら隙をついて麻帆良大学の方に向かったようでござるが……)
鋭く放たれた拳が長瀬の頬を掠める。一拍遅れて、削られた皮膚から僅かに血が滲んだ。
集中が乱れていた事に内心舌打ちをしながら、長瀬は懐からクナイを三本取り出し、そのうちの二本を投擲する。
それらに対して古菲は、辺りに散乱していたオープンカフェのテーブルをとっさに蹴りあげ、緊急の盾とした。小気味いい金属同士が弾かれる音が響き渡るのと同時に、そのテーブルが更に上へと吹き飛んだ。
「――っ! 早いアルナ!」
テーブルを吹き飛ばしたのは長瀬だった。いつの間にか古菲の目の前にまで接近していて、残ったクナイを片手に彼女に躍りかかっていた。『殺すつもりか!?』と突っ込むものは、残念なことに一人もいない。
そもそも刃物の一つや二つ平然とどうにかなりそうである。
とっさに受け止めようと防御態勢をとるが――何人もの猛者からの挑戦をあしらい続けてきた古菲の直感が、地面を強く蹴って回避に専念する事を選択していた。本人の思考より早く。
「――避けたでござるな」
「避けてなかったら、多分負けてたアルネ」
「ほう……」
長瀬は、微笑んだまま感心したようにそう呟いた。実際、もし防御されていれば、態勢こそ崩すがそのまま身体を捻り、首――喉に一撃を入れて眠らせるはずだったのだ。
彼女の思考に『殺すつもりか!?』と突っ込むものは残念なことに(以下略)
(しかし、これはどうしたものか……)
今の古菲相手ならば、勝つことは可能だろうと長瀬は考えている。だが、それには少々時間がかかる、とも。
ここ一番の危機に対する嗅覚――異常に高いソレを、目の前のクラスメートが持っているという事が今の攻防のやりとりで分かった。
しかし、一刻も早くこの少女をどうにかしなければ、自分と取引をしたあの男が捕まってしまうだろう。一応護衛を依頼された長瀬にとって、それは焦りを覚えるのに十分な事態だ。
(いやはや、護衛というのも難しいものでござるな。意外な流れでござったがいい経験に……おや?)
それに気が付いたのは、幼いころからの訓練のおかげだろう。鍛えられた聴覚が、麻帆良大学の方に多くの何かが殺到しているのを捕らえていた。
もしや敵の増援かと、一度古菲を無視して足止めに行こうかと身構えたが、耳を澄ませてその集団が何者かを調べ、理解し、そして――
「……なんででござるか?」
――困惑した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
体力なんて、とっくの前に限界を通り越している。
後ろから追いかけて来ているあれはターミネーターか何かじゃないのか。葉加瀬あたりを問い詰めたら『すみません、作ってみたら成功しちゃったんです』とか言ってくるのではないか。
もしそうだったら、前回の事に加えて説教3倍プラス奴の財布が空になるまで高級料理店を片っぱしから制覇してやる。ついでにその記事を朝倉にいつもの原稿料より上乗せして絞り取ってやる!
「まっちなさーーーーーーーいっ!!」
(あ……っの体力馬鹿が! 細い身体のどこに叫ぶ余裕があんだよ!)
そんなどーしようもない事を考えている内に、葵と明日菜の間の距離はみるみる内に縮まっていく。
麻帆良大学の校内までどうにか逃げ切った葵だが、その中は各所にバリケードが張り巡らされていた。
そのおかげで、迷路の様になっていた校内をとにかく走り抜いていたら、目的だった放送室ではなく、今、まさに走り回っているこの中庭へと追いやられていた。
大きな花壇が三重の円を描くように配置されており、その中央にはこれまた大きな噴水が配置されている。中庭というよりは、まるで公園のような場所である。
(出入り口のほとんどが塞がれてやがる。空いているのは結局入って来た一か所だけ……)
おそらく、最初から自分が誰かに追われながら麻帆良大学に突入する事は計算済みだったのだろうと、葵はおぼろげに想像した。
ハッキリと見えた訳ではないが、そこらかしこから自分達を覗く人影がその想像がほとんど間違っていないと確信させたのだ。
考えるまでもなく、報道部及び放送部の面々だろう。
カシャカシャ! と、シャッターを切る音が辺りから聞こえてくる。
その音をうるさく感じつつ、葵は息を落ちつかせながら後ろを振り向く。
そこにいるのは当然――
「ふっふっふ。自分から網の中に入っていくなんて……良いとこあるじゃない、先輩」
「てめ……この……バカレッドめ……。ちょっと自分が……有利だからって……調子乗りやがって……」
息も切れ切れにそう返す葵だが、当然のことながらその声に元気も覇気も欠片程もこもっていない。
バイアスロン部の練習方針で、基礎体力を重点的に練習させられている上に、たびたび騒動に巻き込まれて暴れ回っている葵は、そこらの学生に比べて高い身体能力を持っているが、トンデモという訳ではなかった。
先ほどからずっと全力疾走し続けて、少し息を荒げているだけで済んでいる目の前の少女の方が異常なのだ。
「ほら、もう息も切れ切れじゃない。よかったわね、連行場所はすぐそこよ。これ以上疲れる事はないわ」
もはや勝利を確信しているのだろう、自身に満ちた歩みでじりじりと葵の方へと近づいてくる。
気のせいか、周囲のシャッター音もうるさくなってきた気がする。
報道部の連中も、ここが正念場だと思っているのか。
(実際、打つ手がない……)
明日菜の身体能力が異常だと言う事は嫌と言うほどに分かっている。
長瀬がいてくれたなら心強いが、今は傍におらず、そしておそらくちょっとやそっとではこちらに来る事は出来ないだろう。あのチャイナ服を着た少女も同じくらい強そうだった。
これはいよいよ、明日菜本人を口でどうにか言いくるめるかと、取引材料(高畑とのデートプラン)を口にしようとしたその時――
――ヒヒィィィィィィンッ!!!
殺気が充満している中庭に、やや甲高い馬の嘶きと共に――
「お待たせしましたわ!!」
藁をも掴む想いで葵が放ったSOSに、ようやく救世主が答えてくれた。
「な――いいんちょっ!?」
「明日菜さん、篠崎さんの邪魔をなさると言うのならば、この私が相手になりますわ!」
恐らくかなり飛ばしてきたのだろう――葵が見慣れている制服やドレスっぽい服とは違い、馬術部の服を着込んでいるその少女は、被っていた帽子を投げ捨て、真っ直ぐに伸ばした金髪をたなびかせながら葵と明日菜の間に割って入った。
「雪広……間に合ってくれたか」
「ええ、もちろんですわ」
やけに親しそうに話す葵と委員長――雪広あやかの仲に、明日菜は不可解なものを感じた。
確かにこの二人はそこそこ会話を交わす間柄ではあったものの、わざわざ助けに来る程仲が良かったかと考えると――まず、あり得ない。
どちらかといえば、この変態! この変態! と罵り合う仲ではなかったか?
「ねぇ……あんたら、そんなに仲良かったっけ?」
「…………おほ――おーほっほっほっほ!」
明日菜の問いかけに、雪広はなぜか高笑いで答える。
雪広はそのまま、そっと葵に近寄り、
「――で、篠崎さん。約束の方は……」
「あぁ任せろ。今度小等部に上がる子供で馬の興味のある連中を、体験授業って事でそっちに連れて行ってやる。ついでに言うならサポートって事でやんちゃ共の相手役についてもこっちで準備してやろう。好きなだけ好みのガキの世話をしてやれ」
「ええ、ええ! さすがですわね、篠崎さん! あぁ、それから放送室までの道筋は馬術部のメンバーに確保させていますわ」
「よくやった雪広! 今度思いっきりチビっこ共を愛でていいぞ!」
「おーっほっほっほっほ!!」
「はーっはっはっはっは!!」
「…………ねぇ、あんたら。人身売買って言葉、知ってる?」
謎は全て解けた。
なんということはない、要するにこの腹黒陰湿男とショタコンいいんちょが薄ら暗い取引で結びついたと言う事だ。
明日菜は、それを理解すると同時に大きく息を吐いた。
あと少しで上手くいきそうだったというのに、何もこんなタイミングで出てこなくてもいいんじゃないか。というか、よく委員長を利用しようと考えついたものだ。あとついでに、そこで手を取り合っている二人はそのまま馬に蹴られて死んでくれ。
そう深く考えれば考える程、目の前の二人に対して怒りが沸いてきた。
葵と雪広もそれを肌で感じたのか、再び明日菜と向かい合う。
「じゃあ……ここは頼んだぞ、雪広。俺はこのまま上を目指す。どうにかこのバカレッドを押さえておいてくれ」
「お安いご用ですわ!!」
何度もバカレッドと呼んでいたのが気に障ったのだろうか、傍から見てもヤバいと思うくらいに顔を真っ赤にして葵を追い掛けようとする明日菜。
だが、すぐさま駆け寄った雪広がその腕を取り、軽く腕を動かしただけで彼女の身体を綺麗に一回転させ転ばせた。
「おーほっほっほ! 我流とはいえ合気術を納めている私が死守するここを、そう簡単に通れると思って? 山猿さん」
「こ……っの! 欲ボケショタコンいいんちょが――っ! 馬に蹴られて三途の川でシンクロでもやってなさい!!」
「山猿の遠吠えなんて全く聞こえませんわ! 今日こそ貴方のそのオジコン趣味を矯正してさしあげますわ!」
「やれるもんならやってみなさいよ!」
街中で葵と組み合った時の様に、今度は雪広と組み合う――のではなく、服を引っ張ったり腕や頬をつねったりと……一言で見苦しい戦いが繰り広げられていた。
さっきまでのスタイリッシュ(に見えなくもなかった)っぽいやりとりはどこへやら、
「い・い・か・げ・ん・に――!」
「そちらこそ諦めたらいかがでして――!?」
ただの醜い女のやり取りが広がるばかりだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「やばいやばいやばい! まさかいいんちょと馬術部まで巻き込んでくるなんて!」
「言ったじゃないですか。あの人、予想外のセコイ手を使ってくるのなんて得意中の得意だと――」
「なんでそんなにのんきなの!? いいから脱出準備急いでーっ!!」
放送室では、慌てて逃げ出そうと荷物をまとめて機材を片付けている朝倉と、マイペースに缶ジュースをすすっている綾瀬の姿があった。
当初の予定だったら、バリケードや配置していた運動部の妨害によって、まだ30~40分くらいの猶予はあるはずだったのだ。
それのはずだったのだが、設置していたカメラを通してモニターに移されている光景は全く違ったものになっていた。今ではバリケードは数か所が既に撤去され、運動部は狭い廊下で馬術部の面々と押し合い圧し合いをしている。
てか馬で校内に突入すんな。
「あぁもう、ほとんどの機材は置いていくしかないか――ゆえっち! 準備は出来た!?」
重い機材はこの場に放置していく事にし、とりあえず今までの記録を入れているノートパソコンが全ての保存を終えた事を確認し、LANケーブルやマイクを片っぱしから引っこ抜いて、持ち運びに使っている鞄に突っ込む。
「ちょっとゆえっち!?」
自分の隣にいるはずの級友に、少し苛立たしげに声を投げかける朝倉。だが――返事は来ない。
「…………ゆえっち?」
再度問いかける。――が、返事はない。
ふと、朝倉は自分の目の前にあるモニター群の方に目を向ける。
いくつものカメラが移す様々な光景。その一つに、朝倉の目が止まった。
「え、あれ、これ私……なんで……」
そこに映っているのは、他ならぬ朝倉自身の後ろ姿。
当然だが、わざわざ自分を映すカメラなど目の前に置いてある司会用のものしかない。
ならば、今まさに自分の背中を映しているこのカメラはいったい――
「か~~ず~~みちゃ~~ん」
誰がセットしたかなど、考えるまでもなかった。
背後から聞こえてくる、なんとも言えない異様な威圧感を含ませた声に思わず身をすくめる朝倉。
気のせいか、その声の隣から、本来自分の隣に座っているはずの少女がジュースを啜る音がした。
「え、えと……あの……」
どうにか言葉を発して時間稼ぎをしようとする朝倉だったが、口がパクパク開くばかりでうまく言葉に出来ない。
そっと、すでに電源を切っているモニターの一つを鏡代わりにして自分の後ろを覗き見る。
そこには、いつの間に移動したのか、いつもと変わらない無表情で紙パックジュースをすする綾瀬の姿。なぜか憐れむような目で、こちらに向けてひらひらと手を振っている。
そしてその隣にはこちらに向けて三脚の上にセットされているビデオカメラ。
ここまでは……まだわかる。理解の範疇にある。問題はその隣で――
――消火器をこちらに構えている男の存在だ。
「え、あ、篠崎先輩そんな赤くて太いもの抱えてどうしちゃったのかなっていうかゆえっちなんでそんな隣でのほほんと――」
とにかく思いついた言葉を片っぱしから口に並べて行くが、その男……篠崎葵は、ためらいなど欠片も見せずに――
――引き金を引いた。
「あっそびーましょおぉぉぉぉぉっ!!!」
「うっきゃあああああああああ!!!!???」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「――ったく、これでようやく一件落着か……」
「うぅぅぅぅ……。いくらなんでもこれはひどいんじゃ……。てか、ゆえっちもせめて一言くらい言ってくれればいいのに……」
「申し訳ありませんが、こういう場合は中立の立場にいるというのが私のモットーなのです」
「それ……見捨てただけじゃん……ガクっ」
真っ白に染まった放送室の真ん中で、やはり真っ白に染まった朝倉が地面にへたり込んでいた。
「いやいや、篠崎さんが大学構内に入った時点で他の人達なんて真っ先に逃げ出していましたし……見捨てたのは私ではなく報道部の皆さんという事です」
「いやそれ言わなかったら同罪じゃん……」
「あ~、ちなみに逃げ出した報道、放送部員達は馬術部の連中が捕縛しているぞ。仕返ししたかったら後でご自由に」
「おぉ……それに関してはナイスだね、先輩。ついでに今すぐ私を開放してくれるとさらに5ポイントくらいプラスしてあげてもいいよ……?」
「なんのポイントをプラスするってんだ……ったく」
葵は、白く染まった放送室をもう一度見回しながら、無造作に髪を掻き毟る。
「あ~、こりゃ掃除が大変だな。一応、記録したデータは生きてるみたいだけど……」
「なに気楽に言ってるのさ!! 掃除すんのは誰だと思ってんの!?」
「――まぁ、さすがに手伝ってやるよ、これは……なぁ、綾瀬?」
「私は呼ばれただけで関係ないのですよ」
「…………ちっ、だめか」
さりげに綾瀬を手伝いに巻き込もうとするが、あっさりと躱される。
なにはともあれ、決着はついたのだ。
葵がハンカチで拭ったモニターの中では、未だ戦い続けている超人二人と、醜い女の争いが続いているが……まぁ、これはオチ映像ということで記録を続けておこうと、葵はそれを放置する事にした。
どうせ止められない。
「う~~……先輩。今回巻き込んだ事は謝るけど、この放送室の現状を作った現行犯って事で貸し借り無しだからね!?」
「足りるか。せめて道楽屋のパイ奢れ。チーズ&ミートで」
「く……っ、微妙に割高だけどすぐに手が届く所に代償を求める辺りがセコい……」
「どっかの誰かさん曰く、セコさにかけては麻帆良一らしいからな。ほら、さっさと終了のアナウンス流せコラ。ほっといたら余計な連中がゾロゾロ来るだろうが。筋肉ダルマとか戦闘狂とかオジコンとか」
葵は『誰かさん』の所にアクセントを強め、隣で相変わらずジュースを啜っている『誰かさん』をジト目で軽く睨んでから、朝倉の口からこのとんでもイベントの終了を告げさせるために、葵は機材をまたハンカチで拭ききながら、マイクのスイッチがどこかを探して――
――チャキッ……
「……ほえ?」
――その手を止めたのは、やたら聞き覚えのある金属音と、自分の首筋に突然感じた冷たく固い感触だった。
「やぁ先輩、ご機嫌いかがかな? ……最初に言っておくが、機嫌がいいとか答えたならば、引き金についつい指がかかってしまうからね?」
「え、ちょ、おま、なんで……」
自分の背後から聞こえてくる聞き慣れた――本当に聞き慣れた後輩の声に、咄嗟に葵は悟った。
なんか分からんけど俺、死んだ――と。
葵が悟りを開いている間にも、彼の首筋には、日頃よく行動を共に空いている相方が、日頃よく使用しているモデルガンが突きつけられている。
「いやはや……。貴方は先週、私にこう言ったはずだよね、先輩? この日は春の合宿に向けての話し合いと、私の練習の調整に付き合ってくれると」
「――――ぁ」
そういえば――と、葵はようやく、なぜ相方の機嫌が絶対零度にまで下がっているのかを理解した。
同時に激しく後悔した。
せめて、もう少し早く気が付いていれば――
「あ、だって? 今の呟きから察するに、どうやら本当に忘れていたようだな」
――そして迂闊な口を塞ぐことが出来たのならば、相方の怒りを少しは和らげられたのに、と。
龍宮が言葉を発するたびに、少しずつではあるが首筋に突きつけられている『冷たいナニカ』を押しつけている力が強くなっている気がした。
「その……大変申し訳ございませんでした」
そんな状況で葵に出来ることなど、ただ黙って肯定と謝罪の言葉を繰り返すくらいしかなかった。
「ほう。申し訳ありませんでした、か。つまり忘れていた事を認めるんだね?」
が、それで事態が収まるかどうかは、やはり別問題である。
「いやはや、後輩とのせっかくの約束を忘れてしまうなんて、なんて素晴らしい先輩なんだろう? さて、そんな先輩に朗報だ、喜んでくれ。部員シゴキにおいては鬼軍曹と名高い副部長が、貴方のためにと特別メニューのフルコースを組んだそうだ」
――んなもん喜べるか!!
内心悪態をつく葵だが、そのまま口にする程うかつでもないし、勇気もない。
「なぁ、待ってくれ龍宮。忘れていた俺も悪かったが、今日は放課後にいきなり襲いかかられてな? 運動部の筋肉ダルマ共に襲われるわ、訳のわからん忍者に襲われるわ、オジコンの変態に襲われるわ、チャイナ娘に襲われるわで――」
「で、疲れているから今日の予定はなかった事にしてくれと? もし貴方がそんな女々しい事を言うのならば――――もぎ取る」
「なにをっ!!?」
首をぶち抜かれるかもしれないという恐怖に加え、物理的に女にされるという恐怖まで加わる。
必死に、せめて明日に引きのばせないかと策を練る葵だが、突然のアクシデントに、そう毎度毎度うまく対応できるはずもなく、
「さて、先輩。それじゃあ――」
首筋に押し付けられていたそれが、すすっと背中へとずらされていく。
「――キリキリ歩け」
「…………はい」
葵が龍宮に連れて行かれ、朝倉と綾瀬の二人しかいなくなった放送室。
しばらく二人は茫然と、葵が連れて行かれた扉を眺めていたが、ふと綾瀬が我にかえり、朝倉の背をつつく。
そこで朝倉も、ようやく思い出したかのように起動し、慌ててマイクのスイッチを入れた。
『第三回! 噂のあの人を捕まえろレース! 只今をもちまして決着しました!! 最後の絞めを括った捕獲者は――龍宮真名選手です!!』
学園都市内に設置されたスピーカーを通して、勝者の名前が大声量で告げられる。
が、それは祭りの終わりを意味するものではなく、ただの経過報告にしかならなかった。
外では未だにとある4人の激闘が続き、捕まえるはずだった運動部の面々は、どの部活が最強かを決めるために徒競走やら体当たりやら格闘戦やらで決着をつけようとしてる。
それを観戦する野次馬が増えているし、その機会に儲けようと緊急の屋台を開く料理関係の部活生や外食店員の姿がチラホラ見える。
離れた所では、広がりすぎた事態を鎮圧するために広域指導員が展開を始めており、祭りの熱気に乗せられた各種格闘技愛好会・研究会の面々の面々が迎え撃つ準備を始めていた。
麻帆良学園の祭りは、これからが本番である。
「ねぇ、待って龍宮……さすがにこれだけの荷物背負ったまま山走れなんて無理だから……てかもうバイアスロン関係ないじゃん」
――チャキッ
「すみません、全力で走らせていただきます」
「あと、約束破った罰として今度なにか奢るように」
「鬼かお前はっ!?」
た、多分次回からはすいすい進める……と、いいなぁ(遠い目)
次回からは、感想返しでも言ったようにようやく第一章、桜通り編です。
基本的には、長編では適度にまじめに書き、一話完結の短編ではギャク主体という一昔前のドラマガのような感じで書いていきたいと考えています。
それでは皆さん、また次回^^ノシ