とある記憶喪失者の活動記録   作:rikka

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Phase.2 Second crisis

――どうして……

 

 

 上も下も分からない程の闇が、一人の少女を囲っている。

 常人ならば気が狂いかねないこの闇の中、少女はまるでそれを意に介さず、思考の海に沈んでいた。

 

 

――どうやればここから抜けられる……

 

 

 いや、この闇を何よりも恐れるからこそ、彼女は思考の海に逃げているのかもしれなかった。

 

 

――早くここから抜け出す方法を考えないと……

 

 

 わかっている。わかっているのだ。

 一刻も早くここから出なければならない事は。

 だが、どうしていいのか分からない。 

 かつて『麻帆良最強』と称されたその頭脳をもってしても。

 

 

――私はタダ……

 

 

 ただ……なんなのだろう。

 もう一度『皆』に会いたかったのか。

 この忌まわしい身体をなかった事にしたいのか。

 それとも……。

 

 そこまで考えて、ようやく少女は気が付いた。

 

 

 

 自分は、己が何をしたいのかすら理解せずに動いていたのだと。

 

 

 

 

 

 

 

『Phase.2 Second crisis』

 

 

 

 

 

 

 

 

(また……か)

 

 時間も遅いし、そろそろ解散しようという話を朝倉としていた所に、葵は再び誰かの視線を感じた。

 

「? どしたの先輩、便秘?」

「なんつー質問してんだ! お前女だろうがっ!?」

 

 思わず朝倉をはたき倒す葵。もちろん、力は込めていないので、朝倉は『いったいなー』とは言いつつも、まるで応えていない顔で少し崩れた髪を整えている。

 もう少し大人しくて、おしとやかな女性らしい女性と知り合いたい。

 葵は心の底からそう願った。

 一人、おしとやかと言えばおしとやかで、大人の女性の魅力を持った知り合いはいるにはいるのだ。

 だが、彼女は目の前のパパラッチのクラスメートで、自分が風邪をひいたときに『あらあら』と言いながら、どこからかネギを引っ張り出してじーっとこっちを見ていたのでノーカウントとする。

 

「ちくしょう、いい女はいないものか……?」

「……目の前にいるじゃんって叫ぶべき? セクハラ発言とみなして蹴るべき?」

「大人しく俺に殴られるべき」

 

 そう葵は言うのだが、それが不満だったのか無言で葵に近づいて『くぬっ、くぬっ』と太ももの辺りを膝で蹴りだす。

 濡れた靴で蹴らなかったのは、雨が飛ぶのが嫌だったのか、あるいは葵に気を使ったのか。

 どちらにせよ、地味に朝倉は葵にダメージを蓄積させていた。

 

「あー、わかったわかった。俺が悪かったからとりあえず蹴るの止めろって。地味に痛いっす」

 

 葵はめんどくさそうに人差し指を朝倉の額に突きつけて、そのままググッと押して引き離した。

 

「さて、それはともかく……」

 

 葵は、先ほど感じた視線を――不思議と勘違いとは思えないそれを探すために、さりげなく視線を周囲に這わせる。

 

「そろそろ帰るか。明日も……まぁ、特別会議だか何だかで午前の2時間は授業がないけど……」

「あ、それアタシの所もだ。なんかあったのかな?」

「そうなのか? 龍宮が明日も早い……いや、正確には明日もあるって言ってたか? まぁ、だからウチの所だけかと思ってたけど」

 

 とはいえ、それでもやはり夜遅くまで駄弁っているのはあまり良い事ではないだろう。

 葵は、ここまで傘を持ってきてくれた朝倉には無粋だが、途中まで送ることを提案しようとする。先ほど感じた視線が無視して帰らせて、彼女の身に万が一を起こす訳にはいかないからだ。

 なるだけ軽い口調で言おうと口を開き――

 

「ほう、それは幸運だったな。小僧ども」

 

 自分たちよりも高い位置から響く、少女の声に間を挟まれた。

 

「なにせ明日の朝方近くまで、お前達は眠りこけているのだからな」

 

 とっさに葵は視線を上にあげた。同時に朝倉がどこにいるかをしっかりと把握し、自分の後ろになるように身体を動かす。

 なにか確証があった訳ではない。

 ただ、直感が働いたのだ。

 この声は危険だと。

 

 上へとあげた視線の先にいたのは、生い茂った枝葉を傘にし、その内の一本に腰をおろしている――

 

 

 

 

――長い金髪の少女だった。

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

「始まったか」

 

 高畑はメガネのずれを指先で直し、胸ポケットからタバコの箱を取り出し、一本抜き出す。

 それを咥えはするが、火を付けようとしない。それどころかライターやマッチも取り出そうとしない。ただ口先で咥えているだけだ。

 寒空の中、高畑は双眼鏡を覗き込んで、3人の様子を見守っている。篠崎葵と朝倉和美、そして――

 

(しかし、どうして朝倉君まで……。いや、ある意味でいいタイミングだったのか? 彼女ならば恐らくどっちにしろ……ならば、むしろここで――)

 

 ふと、頭の中で朝倉という少女をどう上手く扱うかという事を考えている自分に気が付き、彼はタバコのフィルターを噛みしめた。

 そして思う。いったいどうしてこんな事になったのかと。

 

(3年前だ。3年前から何かがおかしくなった)

 

 この学園都市にとって名目上、上役とも言える人間達――本国上層部。

 もともと上層部に誠実さなど期待していなかった。それを持っている人間もいるが、在り大抵に言えば、上層部に誠実さなど必要ない。ただでさえ日頃から派閥争いで忙しい人達なのだから。

 ある程度のモラルさえ守ってくれるのならば、利益だろうが権力だろうが好きに争い、互いにけん制し合ってくれればそれでいい。

 結果的にそれが一番の平和を作るものだと、高畑は信じていた。

 だが――少しずつ、何かがおかしくなっていっている。

 

(学園長があんなに怒るのも無理はない。はてさて、本国は何を考えているのか……)

 

 ちょうど、ネギ=スプリングフィールドという9歳の少年が、この学園に『教師』として来る事が決定した一ヶ月後に送られた通達文……と言う名の命令文。それを目にした時の学園長の怒りは、それなりに付き合いのある他の教師に初めて見ると言わせるほどのものだった。

 その命令を破り捨ててからの麻帆良は、表向きこそ普通の学園都市だが、今では学園長に属するものと、本国に属する理事たちの権謀術数が渦巻く魔都と化している。

 一般生徒に被害がいかないように全力を尽くしてはいるが――。

 

(いや、生徒に被害を出さないなんて大ボラか。現に今、二人の生徒をこっちに引きずり込もうとしている)

 

 昨日の会議で決定された事項の一つ。

 学園長や高畑達が最後まで反対していたが、結局押し切られてしまった事案の一つ。

 それが今、目の前で起ころうとしている。

 彼を恐れる人間が、彼を餌とみる人間が、そして力のない自分がこの状況を引き起こした。

 

「すまない、葵君」

 

 奇しくも、数分前に学園長が呟いたのと同じ言葉を、高畑は呟いた。

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

「……小さな子供が出歩くには遅すぎる時間だと思うんだけどな」

 

 朝倉から預かった傘を放り捨てて、彼女をかばう様に、自分達の頭の上から飛び降りてきた――いや、舞い降りた少女の前に葵は立ちふさがった。

 

「ほう、中々に生意気な口を聞くじゃないか、篠崎葵。あぁ、安心しろ。そんなことで怒りはしないさ。寧ろ感心すら覚える。外見に惑わされずに私を理解し、行動を取れたというのは、ただの人間にすれば驚嘆に値する事だ」

「……へぇ、俺の名前を知っているのか。あれか? このパパラッチの新聞の愛読者か?」

「クックック。さぁどうかな?」

 

 綺麗な子だ。

 それが葵の彼女に対する第一印象だった。

 綺麗な金髪をなびかせ、日本人ではまず持たない白い肌を闇夜の中に浮かび上がらせる。

 だが、どこか幻想的な外見をもつその少女に、葵が次に抱いた感想は、お世辞にも上品な言葉で表現できるものではなかった。

 危険。

 彼が抱いた感想は、その一言に集約される。

 

 

「え、エヴァちゃん? どうしたのさ一体こんな夜中に……」

「知り合いか?」

「う、うん。あの子は――」

「クラスメートだよ。そうだろう? 朝倉和美」

 

 少女の言葉に、朝倉は何か言おうとしてそのまま黙ってしまう。

 

(人の事は言えんが、クラスメートって割には怯えてんな。ガキ大将的な存在か?)

 

 そう思った葵だが、すぐにそれを自分に否定する。

 少なくとも、在る程度親しくなければ『ちゃん』付けで呼びはしないだろう。

 なにより、目の前の少女がそういう分かりやすいタイプではないと、頭のどこかで理解していた。

 加えて、気にかかる事はもう一つ。

 

「なぁ、前にお前と会ったことなかったっけ?」

 

 この少女に見覚えがあったのだ。いや、正確にはデジャブと呼ばれるものかもしれない。

 もし偶然見かけただけでも、この少女ならばきっと印象に残っていただろうから。

 

「なんだ、随分と古臭い口説き文句じゃないか。女に慣れていないのか?」

 

 やはり会った事はないのだろう。葵の発言に場の雰囲気を壊されたと感じたのか、彼女の言葉には刺々しさが見える。

 だが、ここで怯めば状況はますます悪くなる。

 葵には、少女がまるでこちらの――自分の何かを試そうとしている様だと感じ取っていた。

 

(だったら、適度な緊張を続けて時間を稼ぐか……)

 

 僅か半年の経験とはいえ、麻帆良の中で厄介事に巻き込まれ続けてきた葵だ。非常事態における思考の持ち直しの早さは、広域指導員に勝るとも劣らないモノにまで成長していた。――重大な欠点も持ち合わせているが。

 

「いや、そういうんじゃないんだけどな。なにせ記憶を失くしたままなんでね。例えデジャブだったとしても、関係がありそうなモノを見つけたら調べておきたいんだよ」

「ほう? 確かに、そういう話があるとは聞いていたが、まだ何も思い出さないのか?」

「あいにくと何も、さ。まぁ、無理して取り戻そうとも思ってないんだけどね」

 

 言葉を重ねている間、少女はこちらを攻撃する様な素振りは一切見せていない。

 葵はそれの様子から、この少女の目的が様子見、あるいは遠まわしな尋問と考えた。

 

(なんだ、コイツ。何を知りたいんだ……?)

 

 今まで何度も口先で、あるいは行動で事態を切り抜けてきた葵は、その頭をフルに使って相手の狙いを考えていた。突破口があるとすればそこにしかない。『あるとすれば』だが。

 

「ふむ……記憶を取り戻したくないのか?」

「……今の自分を否定するなって説教された身でね」

「クッハッハ。説教されて大人しくそれに従うか! まるで幼子じゃないか!!」

 

 口にはしないが、加えてその喧嘩相手には手を上げてしまってすらいる。という事は、葵にとって出来る事ならば封じておきたい過去だった。

 ようするに、少女の言う『幼子』という言葉は、彼女自身は気付いていないだろうが葵の心にかなりのダメージを与えていた。

 

「……それより、その言い草だとまるで俺の記憶を戻す方法を知っているようだけど、何か知ってるのか?」

「さあ? 昔のお前についてなんぞ知りもしないし興味もない。だが――」

 

 そこで言葉を区切ったその瞬間、少女の周囲の空気にあからさまな変化が起こった。

 絶対零度とでも言うのか。

 無論それは葵の錯覚で、精々が数度の変化だったのだが――確かに気温が下がった。

 相手が自分に言わせたかった事を言ってしまった。つまり――地雷を踏んだ。

 瞬時に葵はそう悟った。

 

「一つ、お前の記憶を取り戻せるかもしれん方法ならあるぞ?」

 

 少女は、面白そうに嗤った。

 笑うのではない、嗤ったのだ。

 幼い子供の浮かべる様な笑顔ではない、もっと冷徹で、攻撃的で、底のしれない……そんな表情を――

 

 面白い人間を見つけた、ではない。

 面白い獲物を見つけた、でもない。

 

 面白い玩具がそこにあると、嗤ったのだ。

 

「……そうか。出来ればそれを聞かずに、真っ直ぐ帰りたいんだけどいいか? ほら、後ろに無関係の奴いるし――」

 

 葵は、この時点で逃げるしか方法がないと悟った。こんな状況、相手が何者なのかも分からないし、勝つための道筋はおろか、お茶を濁す方法すら一つも見当たらなかった。

 

「無理だな」

 

 せめてもの抵抗と時間稼ぎのためにと、おどけた調子で口にした提案もあっさりと跳ねのけられる

 そして、僅かにしか稼げなかった時間で、逃げ切るための道筋を見つけられるハズもなかった。

 

「さて、篠崎葵。古今東西、記憶を戻すには以前の自分に近い環境に身を置くのが良いとされている。まぁ、お前は既にある意味で実践しているようだが……それだけでは効果が出ていないのだろう?」

 

 少女が一拍置いた間に、葵は後ろで固まっている朝倉の腕を掴んだ。

 

「ならば、もうワンランク上げようじゃないか。そうだな……お前が死にかけた時の再現と言うのは……どうだ?」

 

 そして少女がパチンっと指を鳴らす。

 それと同時に、辺りの気温がさらに下がり、少女の両隣になぜか氷の粒が出現し集まり、何かの形になろうとしていた。

 

「さぁ! 完全ではないとはいえ、力を取り戻した最初の夜なんだ。付き合ってもらうぞ? 篠崎葵!!」

 

 二つの氷の塊が形になっていく。

 額から生える一本の角に、隆々とした筋肉。

 様々なおとぎ話に出てくる人間の敵の象徴――二体の鬼が、そこに立っていた。

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

「忌々しい化け物め……」

 

 闇夜に紛れ、葵達を覗きこむ者たちが二人いた。

 こことは違う場所で、同じように覗きこんでいる高畑と違い、その目には葵や朝倉を心配する様子など欠片もなく、ただただ暗い侮蔑の光だけが灯っている。

 高笑いしながら氷で出来た鬼を襲わせる少女と、朝倉の腕を引っ張って逃げ出す葵を見ながら、

 

「あのガキもだ。あの時に大人しく死んでくれてればこんな寒い思いをしなくても済んだのに……」

「そもそも、現時点で関西と戦争を起こすのは無理だと上申したはずだ。どうしてアイツら先走ったんだ……!」

 

 彼らの口から出るのは、葵や、今ここにはいない同僚への愚痴ばかり。

 葵はもちろん、どう見ても巻き込まれている朝倉和美に対しても、まったく心配している様子を見せない。

 それどころか、彼女が傷つくことすら期待していた。

 

「あの二人が死ねば、学園長があの化け物を御しきれないって事になる。そうすりゃ上からの命令通り、あのジジィを引きずり落とせる口実をひとつ作れるのに……」

「……いくらなんでもそんなヘボじゃないだろう」

 

 男の片方が煙草を取り出し、火を付ける。

 もう一人は煙草を吸わないのか、その男をジトッとした目で見るが何も言わなかった。

 心の中では罵っていたが。

 

「まぁ、とりあえず化け物と記憶喪失のガキが接触したんだ。後はどう転ぼうがいいだろう? もう帰ろうぜ。ったく寒みぃ……」

「そういう訳にいくか。事の顛末見届けるのが仕事だろうが」

 

 もう興味はない。そういった様子で男が立ちあがるが、もう片方がその男の背中を叩いて引き止める。

 彼らの腕には、広域指導員の腕章が付けられている。つまり、どちらも一応は教師と呼ばれる人間なのだが……どちらも、今まさに襲われている二人の生徒には、欠片も関心を示さなかった。

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

「もう……何度目だ……このパターン……おえっ」

「せ、先輩……何度もこんな目に遭ってんの? さすがの私も引くよ?」

 

 二体の氷鬼の追撃をかわしながらとっさに葵が逃げ込んだ先は、近くにあった建物の中だった。周囲の確認など一切せず適当に走って適当に逃げ込んだ先なので、ここがどこなのかは分からない。

 ただ、設備からしてスタジアムの様な所だと言う事は理解できた。どこかの運動部用の設備か、あるいはイベント用かまでは分からないが、

 

「朝倉、龍宮は出たか?」

 

 葵はこの建物の中に逃げ込み、すぐにあの少女が襲ってくる様子が無い事を確認すると、建物の奥へ移動しながら、朝倉に携帯で龍宮に連絡を取るように指示をしていた。

 

「ううん、ダメ、全然つながんない。電源切ってるみたい」

「…………マジでか」

 

 こういう時に一番頼りになりそうな人間に連絡がつかないとわかり、深いため息を吐く葵。

 

「……朝倉。お前、アイツとクラスメートっつってたな。本当か?」

「う、うん。エヴァちゃんっていう娘で、あんまりしゃべらない、ちょっと大人びた子だな~って印象だけど……」

「あんなとんでもない雰囲気を出す所は初めて見たってところか」

 

 葵が言葉の先を予測して口にすると、朝倉はコクコクと頷いて肯定した。

 葵は、さりげに自分の推測が当たっていた事に優越感に似た物を感じるが、それどころではなかったと気を引き締め直す。

 

「……以前キメラ犬を作った生物工研の連中が、とうとう人体実験に踏み切ったってオチじゃないだろうな?」

「………………いや、いくらなんでもそんな…………うん、多分………きっと……」

「自信持ててねーじゃねーか……っ!!」

 

 ちくしょう俺の周りにはこんなんばっかりか! と頭を抱えて呻く葵の肩を、朝倉が『まー、まー』と軽く叩く。

 

「ちっくしょう、なんにせよ! 意味のわからない現象に向かっても大怪我するのが目に見えているので全力逃走に専念したいと思います!!」

「なに情けない事を全力で宣言してんのさ! スクープだよスクープ!? 『クラスメートは超能力者!!』……だめだ、インパクトが足りない。もっとこう捻った――」

「お前はスクープと命とどっちが大切なんだ!?」

 

 いつの間にか危険地帯に突っ込むほうに思考を走らせていく朝倉に、葵は思わずはたき倒してから怒鳴りつけた。

 だが、彼女は一切悪びれず、

 

「私の命をかける訳ないじゃん! 先輩よろしく!!」

「よろしくって何をさせるつもりだっ!!」

「色々あるでしょ! エヴァちゃんの能力解明のために相撃ち覚悟で突っ込むとか! 白旗上げながら腹を割って話しをするとか!」

「俺の腹が物理的に割れてる姿しか想像できねーだろーが! あのガキの前にお前をぶっ飛ばすぞ!!」

 

 緊張感があるのかないのかバカなのか。

 一応見つからないようにと小さな声で怒鳴り合う自分たちの姿に、葵の頭の常識を司る部分が、『なにやってんだ』とツッコミを入れる。

 そのせいか、先ほどから妙に重く感じる頭を支えるように額に手を当てた葵は、本日何度目かのため息を漏らし、改めて辺りをうかがう。

 深夜のために、蛍光灯こそ灯っていないが、近くに並ぶ自動販売機の灯りや、朝倉の携帯電話のバックライトのおかげで周囲が分かる程度には明るかった。

 

「――とりあえず、どうする先輩? 一応、高畑先生にも電話かけてみてるけど、こっちも出ないよ?」

「なんてタイミングの悪い……どっかの馬鹿騒ぎの鎮圧中か? とりあえずそのまま交互にかけ続けてくれ。他の広域指導員達にもよろしく」

 

 今いる場所は、恐らく選手やイベント要員のための休憩室なのだろう。

 幅の広いベンチや丸テーブルがそこらにあり、自動販売機も数種類設置されている部屋だ。

 

「……エヴァだったか? ちくしょう、まるで俺を襲うのが最初から予定だったみたいな言い方しやがって」

「……でも、会った事はないって言ってたよね。じゃあ、なんで襲って来たんだろう?」

「知るか。とりあえずは逃げるぞ。あの訳の分からん鬼二体プラスおっかないガキとガチンコ勝負だなんて絶対お断りだ」

 

 言いながら葵は辺りを見回し、掃除用のモップを見つけて手に取る。

 それを、まるで槍を扱うかのように弄んでみるが納得がいかず、それを手に持ったままなにか違う物がないか暗闇の中を手さぐりで探りだす。

 

(さて、改めてどうするか……)

 

 後ろで朝倉がイライラしながら携帯を耳に当てているのを見るに、本当に連絡が付かないのだろう。

 連絡先を知っている広域指導員となると限られるし、一番頼りになる龍宮は入浴中か、あるいはすでに寝たかで反応なし。

 

(いや、電源が入っていないってことはバッテリー切れか? アイツが電源切ってるなんて珍しいし……まぁいい、どうせもうこうなったら龍宮と合流している余裕もない)

 

 いっその事、先日出会った長瀬や古菲に応援を求めるのもありかもしれない。

 ますます酷くなる頭痛に顔をしかめながら、葵は考えを止めない。

 

(そもそも、どーしてこう厄介事ってのは降りかかってくるんだろうな。たまには何事もない、穏やかな日なんてのもあっていいと思うんだけど……。部活にいけば龍宮親衛隊とか言う訳のわからん女連中に襲われるし、合宿では訳のわからん騒ぎに首突っ込む羽目になって、取材にいきゃやっぱり騒動、あげくの果てに今おっそろしいガキになんか知らんが目を付けられて……)

 

 思考と言うよりはもはやただの愚痴の類になっていた。

 もっとも、本人もそれは分かっているのかとくに止める気はない。

 どうせ今、この状況で碌に思考が回らないのなんて分かっているからだ。

 人、それを――

 

「そして今、こうして――」

「? っ、先輩!!」

 

 

「――目の前に鬼が二体いる訳だが……なに? 厄日なの?」

 

 

 ――現実逃避という。

 だが、確かに存在する現実から逃げられる訳もなく……。

 葵は自分の目の前へと迫る氷の拳を、ただじっと眺めていた。

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

(こんなものか)

 

 少女――エヴァンジェリンは、糸で氷の彫像達を操りながら、退屈からくる欠伸を噛み殺しながら、その光景を眺めていた。

 

(緊急事態に対して集中できる時間の幅が短い。やはりただの一般人。ジジィめ、くだらん雑務だったじゃないか……)

 

 この学園を取り仕切る学園長から、ある程度の力を取り戻す事が出来ると言われた時には、彼女は確かに喜んでいた。これで少しはこの退屈な日々も――いや、呪いを解く研究が進むかもしれないと。

 自分を忌み嫌っている者達の道具として動くのは少々気に入らなかったが、先々の事まで考えると十分にチャラにできる事だった。

 とはいえ、あまりにすんなり事が運び過ぎると、逆に不快感を覚えてしまうのは、彼女の性格に依るものなのか、あるいはその経験か――

 

 ともあれ、エヴァンジェリンは退屈だった。

 

(まぁ、確かに記憶が一切探れないというのは気にかかるが……。そこまで腰を入れる必要もない。これで終わりか)

 

 氷で作った鬼の人形を操るのと同時に、先ほどからずっと、対象――篠崎葵の頭の中を、とある術で探っていたのだ。学園長から依頼された仕事、篠崎葵を見極めろという言葉の通りに。

 だが、結局の所は何も出なかった。

 やはり当初から学園長派の教師の言う通り、完全に『篠崎葵』の記憶は消えていると考えるべきだろう。問題だった人格の上書きの痕跡も見当たらない。

 めったにない現象ではあるが、在りえないと言うほどではない。

 あとは適当に事態を終わらせて、学園長に問題なしと報告すればそれですむ。

 一緒にいる朝倉は……まぁ、どうにかなるだろう。そこまでの面倒をみる必要はない。

 そう判断したエヴァンジェリンは、言い捨てる。

 

「ほら、後はゆっくり寝ていろ」

 

 用は済んだとばかりに、鬼を操っている糸を操作し、葵に殴りかからせる。無論大けがをしないようにキチンと手加減はしてだ。

 すでに彼女の頭は、帰ってからの寝酒に、どのワインボトルを開けるかという事に移っていた。

 葵達に背を向け、彼らに気付からないように外へ出ようとするエヴァだが、唐突に違和感を覚える。

 

(ん? 糸が……)

 

 仮にも大型の人形を操っていたため、糸を通してそれなりの重量を感じていた。

 それが突然なくなり、一瞬、確かに弛んだ。

 怪訝に思って後ろを振り返ったエヴァの目に入ったのは――

 

 

 

――ものの見事に砕け散った、一体の氷鬼の残骸だった。

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

 刺す様な冷気。殺意も敵意も感じない無機質な彫像、迫りくる拳。

 ようやく思考を再開させた葵は、その五感で目の前の危険を感じていた。

 今までに何度も巻き込まれたトラブルの数々。全身が軽く焦げたり、強く打ったり等は多々あったが、明確な命の危険は初めてだった。

 

(――いや、一個だけあったか……)

 

 ふと、葵の脳裏をよぎったのは、深い雪に覆われた古い旅館跡。

 ボロボロの壁、終わらない廊下、白い髪の少年、嗤う男、そして……龍宮。

 

(……あの時の方がよっぽど死にそうだったか?)

 

 冬休みの部活合宿で巻き込まれた奇妙な事件を思いだす。

 これが走馬灯と言うものかと、妙におかしくなった葵は、気が付けば口元を吊りあげていた。

 気がつけば、目に入る全てが遅く見える。

 気がつけば、迫りくる拳も、灯りに照らされる舞い上がった埃すらハッキリと見える。

 

 

 そして――気がつけば、身体が動いていた。

 

 足を滑らせ、間合いを調節し、向かってくる氷鬼の腕に指を這わせる。

 腰を落とし、重心を安定させ、そっと左足の内側を相手の足に当てて――

 

「ふっ!」

 

 そしてそのまま相手の動きを逸らし、利用して投げ飛ばした。

 もっとも葵自身、自分が何をしたのか、どういう動きをしたのか全く分かっていなかったが……。

 ただ一つ分かっているのは……気が付いたら鬼の一体を自動販売機に向かって思いっきり叩きつけていると言う事だけだった。

 

 

――パキィィィィン……っ……!

 

 

 氷で作られた人形に過ぎない鬼は、当然声を発することはない。

 代り映えのしない恐ろしい顔を逆さまにして、そのまま――鬼は砕け散った。

 

「…………」

 

 氷の破片が、雪の様に舞い散る。

 葵はその中で、自分が何をしたのかを確認――している暇などない。鬼はもう一体いるのだから。

 

(今、何をどうしてどうやった――!!?)

 

 そもそも、自分がどうやって鬼を投げ飛ばしたのか、まったく理解出来ていなかった。

 

「先輩、もう一体来てる!!」

「うぉ、ちょっと待て――!」

 

 それまでろくに動かなかったもう一体の氷鬼が、突然動きを鋭くして葵に襲いかかる。

 先ほど葵が破壊した鬼と比べてもかなり早い。

 葵は咄嗟に身体の軸をずらして、上段から振り下ろされる腕の一撃を躱して、そのまま後ろに跳んで距離をとる。

 

「ちょっと先輩、なに逃げてんのさ! さっきみたいにドバーンって」

「出来るかぁ! 自分でもよく分からん事だったんだぞ!?」

「何それ!? 火事場の馬鹿力!?」

「やかましい!!」

 

 朝倉の言葉で我に返る――というか素に戻る葵。

 だが、さきほどのような呆けた様子ではなく、むしろ目の前の出来ごとに十全に集中できていた。

 

(とりあえず、鬼がここにいるってことは……)

 

 葵はとっさに周囲を確認する。

 目の前には氷鬼が一体、一度攻撃した後はじっと動かない。まるでこちらの隙を窺う様に。

 その斜め後ろのもう一体の残骸は、下半身は完全に砕け散り、再起動する様子はない。

 そして、いつの間にか開いていた窓には、

 

「やっぱりいたか……」

「む、まるでそこらの害虫のように言われるのは納得いかんな」

 

 雲が完全に晴れ、完全な輝きを取り戻した満月が彼女を照らしていた。

 

「まぁいい。むしろお前には礼を言うべきか? お前にとっては迷惑だろうが、まさかこちらの予想を超えられるとは思っていなかった。おかげでいい暇つぶしになりそうだ」

 

 絶対的な自信。

 鬼を一体潰された所で、この少女にとっては些細な事なのだろう。

 実際、葵は鬼を相手にするより、この少女を相手にする事が怖かった。

 葵の生存本能、そして先ほどのデジャブが彼にそう告げていた。

 

(やっぱり見覚えがある……)

 

 どこで会った? どこで会っていた?

 葵はデジャブの断片から、必死に少女の痕跡を辿っていく。

 

 暗い部屋。……多分地下室。自分は彼女の隣に立っている。話しかける。取引。

 

 

 

 ……取引?

 

 

 

「どうした!? もう一度先ほどの動きを見せてみろ! 篠崎葵!!」

「――っ少しくらいは時間をくれても良いだろうが!!」

 

 ふと、『なにか』が引っかかった。記憶と言うには弱すぎる『なにか』が。

 だが、目の前の少女が考える時間をくれるハズもない。

 なんとか避けるだけで精いっぱいの葵に、少女が操る鬼はますます動きを早くさせる。

 

「ほう、なんだかんだで動きについてくるか。興味深い。一体どういう身体をしている、貴様!」

「何を言ってんのかわかんねーし返す余裕もねーんだ……よっ!」

 

 少女がどうやって鬼を操っているかは分からないが、少なくともある意味での本体が彼女であることは間違いない。

 そう判断した葵は、即座に先ほど辺りを付けておいた大きめの空き缶入れを、思いっきり少女に向けて蹴り飛ばした。

 当然だが中にはゴミが入っており、それが散らばり、少女に覆いかぶさるように落ちて行く。

 その結果がどうなるかを確認せず、葵はもう一度朝倉の手を引っ張り、駆けだした。

 だが、それは悪手だった。

 後ろからガラスを強く指で弾いた時のような音がした。

 その音に反射した葵が足を止めてしまい、振りかえった彼の目に入ったのは、なぜか砕け散った氷鬼。そして、その破片から作られた、両手では数え切れないほどの氷の弾丸が迫っている光景だった。

 

「こ……っなくそがぁ!!!」

 

 それらを避ける事が不可能で、なおかつ耐えきることも不可能だと判断した葵は、咄嗟に近くのベンチの端を思いっきり踏み付ける。

 もしそれが固定されているものならば無意味な行為だったのだが、幸いな事にそうではなかった。

 跳ね上がったベンチが盾となり、飛んできた氷の弾丸を防ぐ。

 だが、かなりの威力だったのだろうそれらを完全に防ぐ事は出来なかった。

 気が付けば、氷の弾丸の威力に負けてもろともに吹き飛ばされたベンチに身体を打たれ、後ろにいた朝倉ごと吹き飛ばされてしまう。

 そのまま堅い地面に打ち付けられた二人は、意識を失い……その場に崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

「……驚いた」

 

 篠崎葵と朝倉和美が横たわっている姿を見降ろしながら、心の底からの感想をエヴァンジェリンは呟いた。

 篠崎葵という男は、彼女の見る限り凡人――いや、凡人以下だった。

 普通の人間ならば誰しも持つ二つの力。その二つのどちらも常人以下。見ていて哀しくなるほどの脆弱なものだ。

 それが、手加減するために一切の強化を加えなかったとはいえ、自分が操作した人形を倒した。

 ほんの数回の攻防、ほんの一瞬の攻防とはいえ、最後の最後まで自分の攻撃に反応し、防ぎきった。

 なんなのだ?

 篠崎葵という男がただの一般人であると証明する戦いのハズが、他の有象無象に比べればよっぽど非凡な存在であると証明してしまった。

 

「……貴様にとっても、この結果は予想外だったんじゃないか?」

 

 独り言に近い彼女の言葉に、物陰から一人の女が答えるように姿を現す。

 褐色肌に、黒い水着の様な服の上にズボンを履いている。

 篠崎葵に意識があったのならば、恐らくは目を剥いたであろう人物。

 龍宮真名がそこに立っていた。

 

「どう……かな……」

 

 龍宮は、珍しく奥歯に物が挟まった様な口調で、エヴァの問いに答えようとする。

 

「正直、先輩ならどうにかしてしまうんじゃないかって思っていたよ」

 

 龍宮は、喜ばしいようなそうではないような複雑な表情のまま、倒れている葵と朝倉を抱き起こしながら断言する。

 

「彼は、私の相方だよ?」

「……なるほど。確かに、そうだったな」

 

 複雑な、だが、まるで子供が自分の持ち物を自慢しているかの様なその表情に、エヴァは皮肉な笑みで返した。

 

「確かに、お前に似合いの賢しい男だよ」

「ふふ。まぁ、学園長への報告は頼むよ。……プランも練り直す事になるだろうしね」

 

 普通の人間ならば怒るだろう相方への評価に、だが龍宮は怒りはまったく見せなかった。

 複雑な表情のまま二人を担ぎあげ、もう一度エヴァを振り返り、そして今度こそ建物から去って行った。

 

 

 

 

 

 

(さて、本当にどうするか……)

 

 エヴァは、龍宮が去っていく方向をなんとなく見送りながら、今回の襲撃の顛末について考える。

 学園長からの依頼であった『篠崎葵を見極めろ』という件に関しては、終了した。

 油断できない凡人。

 それが、エヴァンジェリンという人物が――最強の『魔法使い』と恐れられる彼女が下した、葵への評価だった。

 そして、それを学園長に告げれば――頭を抱えてしかめっ面になるのだろう。その場面がエヴァには容易に想像できた。

 

(最近、あのジジィのうざったい笑い声も聞かなくなったな……)

 

 自分達の予想を超えてやっかいになった事態。

 別に学園がどうなろうが、混乱しようが、エヴァとしてはまったく気にならない。

 だが、それが自分の周囲をうるさくすると言うのならば話は別だ。

 

(まぁ、ジジィに話をしてから決めればいい)

 

 そう決断したエヴァは、ふわりと跳躍し、窓から外へと出る。目指す先は女子中等部――学園長室だ。

 

(それにしても……)

 

 同時に、頭に浮かんだのは、やはり篠崎葵のことだった。

 集中力が途切れた所がマイナスだが、とっさの動きや判断力は目を見張るものだったし、直接見ていないから分からないが、恐らく体術もそこそこ出来るのだろう。少なくとも、体つきから考えて鍛えているのは間違いない。

 彼女からしてみれば、好感とまではいかなくとも、悪感情を抱くような人物ではない。

 

 だが――

 

 

「気に食わん」

 

 

 酷く、篠崎葵という存在が、気に入らなかった。

 自分が感情を持て余しているという事実が気に食わず、思わず舌打ちした彼女は、こちらをこっそり覗き見ている二組の内の片方に怒気をぶつける。

 それが届くやいなや、慌てて遠のく二人組の気配に、少しイラつきが治まった。

 

「気に食わんな……」

 

 もう一度、同じ言葉を呟く。

 だが、先ほどのように葵に向けて発したものではなく、また誰に向けたというものでもなかった。

 先ほどの攻防で破壊された氷鬼の残骸へと足を進める。

 同じく、残骸となった自動販売機から、恐らくいくつかの缶が破損したのだろう、様々な飲料が零れ落ちていた。

 エヴァは、氷鬼を作りだした時の様に指をパチンと鳴らす。

 すると、僅かに鬼の形を保っていた氷塊にヒビが走り、次の瞬間には『パキィィィ……ン』という音を響かせて、細かい塵へと変わっていった。

 少女の周りに舞い散る氷の塵は、窓から差し込む月明かりを浴び、怪しく輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

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