「……本気?」
お気に入りのベーグルサンドにかぶりつく事も忘れて、朝倉は目の前の男が言った言葉を反芻した。
基本的には面倒くさがりなこの男にしては、口にした事があまりにも大事だったためだ。
「本気だし大真面目なんだが……。そう言われるとなんか腹が立つな」
「まぁ、普通はこんなこと考えはしないだろう。むしろ、その前提となる話を飲み込んでくれた事の方が驚きなんだが……」
前提となる話――この学園が魔法使いによって管理されているという話を、朝倉はいくつか質問をしただけでアッサリと納得して見せたのだ。
「あー、ほら。ネギ先生が初めて来た時にウチのクラスの奴が……先輩も面識あるか、散歩部のメンツがイタズラ仕掛けてさ。古典的な物だったんだけどねー」
黒板消し落としに始まる連鎖的なトラップを仕掛けた所、最初の黒板消しのトラップが一瞬、彼の頭上でストップしたらしいのだ。「気付いてたのは関係者+クーと明日菜位だったけどねー」と笑う朝倉だが、恐らく一部関係者はさぞかし肝を冷やした事だろう。
「ま、それはさておき。先輩の目標はとりあえず理解したよ。で、私に求められている仕事は?」
即座に思考を切り替えて、そして葵の計画に乗ったと告げる彼女に、葵はニヤリと笑い、龍宮は感心したように『ほぅ』と僅かに口を開いた。
この思い切りの良さとフットワークの軽さはまさしく朝倉和美の最大の武器といえるだろう。
「とりあえず今のところはそうそう難しい事は頼まねーよ。今言った『トンデモ』がらみの件も含めて話の通じそうな人達との交渉材料を探して欲しいだけだ」
「いやそれ十分難しいから、大仕事だから!」
すかさずツッコミを入れる朝倉に、葵は笑って手を振る。
「まぁ、無理をしろとは言わんよ。噂レベルでいいから適当に情報掴んでおいてくれ」
「しかし……先輩に交渉事が出来るかい?」
今度は龍宮が葵に意見を述べた。先日の葵との話し合いの中で、彼女は葵から正式に最初の『プラン』が終わるまでの間、彼に先日のお詫びも兼ねた特別料金で雇われる身となったのだ。当分の間は、アドバイザーとしての役割を果たすことになっている。
葵のとっさの機転や判断に関しては信用している龍宮だが、はたして交渉の方も任せられるかというと、少々不安が残る。
「先輩頭が良いようで馬鹿だかんねー。落ちついて考えたらすごいのに、いっつもテンションに身を任せて――」
「……そうか、ベーグルが食べきれなくて困っているのか。大丈夫だ、処理は俺がやってやろう」
「うそうそ! うそでーすっ!! 先輩は麻帆良で一番聡明で素敵な人でーす!!」
「…………やっぱり没収」
「なんでさ!!?」
朝倉のトレイに手を伸ばすと、朝倉が慌てて葵の腕にしがみついた。
よっぽど好きだったのだろう。
「ふむ。葵先輩に不安があるというのならば、いっそ朝倉が動いてみたらどうだい?」
龍宮の提案に、どうにか好物を取り返し、かぶりついた朝倉は目をパチクリさせ、
「ん? 私が? う~ん……。話を聞く限り、人さえ選べば大丈夫だとは思うけど……」
朝倉はしばらく、ドリンクを口にしながら何事かを考えるように何度か頷く様な仕草を見せた。
報道部の部室において紙面の割り振りやインタビューのスケジュールを組んでいる時に見せる表情だ。
「報酬は?」
――ついでに自分の利益について考えている時もだ。
もっとも、口調からそこまで本気で交渉しようという感じではない。
そう判断した葵は、最初から考えていた提案を口にする。
「……これから先の話しにも一枚かませるってのはどうだ?」
ニヤニヤと笑みを引っ込めない葵の顔を、朝倉はジーッと眺める。
たっぷり二十秒ほど眺め、それから諦めたように深いため息を吐く。
自分の好奇心のくすぐり方を知られている以上、下手な事はできない。朝倉はこれまでの経験からそれを熟知していた。
葵もまた、朝倉の性格は熟知している。そしてまた、彼女の情報を扱うスキルの高さを尊敬すらしている。だからこそ、こうして半ば引きこむような形の提案を出したのだ。
先日の龍宮との会話の件もあって、朝倉を出来るだけ自分の目が届く所に置いていたい葵が一晩考えた提案であった。
朝倉和美という得難い能力を持つ人材をこちら側に引き付けられ、同時にいつでも自分がブレーキを踏める状態。――なによりも、この年下の友人を守れる立場に立てる。
そんな考えの元に、葵は計画を立てたのだ。
「わかったわかった。先輩からの依頼だもんね、協力するよ」
「よし、朝倉は参加。龍宮、お前は判っているな?」
「あぁ、先輩の短期教官か。実に面白そうな仕事じゃないか。……目安は4月頃までかな?」
「あぁ、それで頼む。……このまま済ませる訳にはいかない。どういう目的だったにしろ、借りはキッチリと返させてもらおう」
葵は、熱いコーヒーで口の中を潤してから、『実にいい笑顔』を浮かべて言い切った。
「お祭りの時間だぞ、コノヤロー」
『Phase4. 祭の始まり』
これまで篠崎葵という人間は様々なトラブルに巻き込まれ、対処してきた実績がある。
広大な麻帆良学園に多数存在するとんでもビックリ人間達が引き起こす騒動から、外に出ればなんだこれは!? と叫びたくなるような理解不能な事件まで、数も質も特上のトラブルにまみれた学生生活を送ってきた。
それによって鍛えられた身体能力は目を見張るもの――実際、自慢まではいかないが葵もそれなりに自信を持っていた――があるが、先日あの少女と相対した時に自分は実質役立たずだった。少なくとも葵はそう考えていた。
ならば、なぜ自分が役に立たなかったのか。そこに思考の焦点を当てるのは、葵ならば当然の話だった。
「ようするに、先輩は逃げに特化した経験を積んできたと……。なるほど、確かに納得できる答えではあるね」
「お前の太鼓判があるならそこまで間違った推測じゃないって考えていいか。まぁ、なんだ……要するに俺には他の経験が圧倒的に不足してると思うんだ」
「まぁ、今までの貴方のトラブル解決法といえば、基本的に逃げるか誤魔化すの二択だったからね」
「そうだよね、逃げに特化というよりセコさに特化してるといったほうが――」
「はっはっは。ぶん殴るぞ、てめーらコノヤロウ」
笑顔のままサラリと毒を吐く龍宮と朝倉に思わず額の血管が浮き出そうになるがそこを堪える。
この程度で怒っていたら身が持たない。
「ともあれ、先輩の希望は把握したよ。それに合わせたトレーニングメニューを明日までには作っておくから、当分はそれをこなしていてくれ。部活の方には話を通しておくし、訓練のサポートは長瀬に頼んである。理由の方は先輩から説明すると言っておいたから、どうにか適当に誤魔化してくれ」
アドバイザーとしての役割を与えられた龍宮だが、それとは別にもう一つ彼女にはやることがあった。一刻も早く、戦闘慣れした龍宮の訓練を受けたいと言うのが葵の本音なのだが、こればっかりは彼女にしか任せられない。
「そっちこそ、情報収集頼むぞ。俺がらみの事だから、本当は俺自身が動きたいんだが……」
葵が龍宮に頼んだもう一つの役割とは、自分がなぜ警戒されているのかに関しての情報収集だった。
まともそうな関係者の周辺から話し合い、あるいは取引の手掛かりをかき集めるのが朝倉の仕事なら、龍宮の仕事は葵が巻き込まれた騒動の大本を探り出す事。
これは完全に『向こう側』に属しており、かつ組織の上位に属する人間との間にパイプを持つ龍宮にしかできないことだ。
「安心してくれ先輩。これでも一応プロなんだ、仕事はキチンとこなすさ」
「わかってるよ」
それこそ葵からすれば今更な話だった。
散々自分を振り回す後輩だが、一度やると決めて事は文字通りに完璧にこなしてきた女だ。例えミスやトラブルが発生してもそれをひっくり返してきたこの後輩を信じなかったら、自分は一体誰を信じればいいのだろうか。
「問題は……この短期間で俺がどこまで伸びるのか、だな」
いつぞや自分を追いかけまわし、そして共闘したこともある忍者ののほほんとした顔を思い出しながら、葵は深いため息をつく。
「まぁそっちは考えても仕方ないでしょー。やれるところまでやるしかないって言う事なんだから」
「まぁ……ね……」
ふと、葵は自分が口を付けていたコーヒーカップをトレイの上に戻してから辺り――自分の周囲を見回す。
いつも通りの光景だ。
放課後、時間が空いてる時に集まるいつも通りの面子。
龍宮が自分と朝倉の話に耳を傾けていて、朝倉は自分を新しい新聞のネタに使う、あるいは協力を得ようとして様々な話題を振ってきて、自分はそれを払いのけながら結局部分部分だけ受け入れてしまう。そんないつも通りの日常――
(違う点があるとすれば、大ケガをする確率がこれまでとダンチってトコか。でも――それだけだ)
極論を言えば、やることは何一つ変わらない。いつも通りのふざけた祭を終わらせるだけ。
そしてきっかりと知ってもらわないと困るのだ。自分に手を出してタダで済むハズがない事を。
相手は、自分に――篠崎葵に喧嘩を売ったのだ。それはいい。だが、楽しんだ分の代金はしっかり払ってもらおう。
「さて、それじゃあ準備の前にちょっくら行ってくるわ」
「? どこに? ってかなにをしに? 修行……じゃないよね?」
いつの間にか食べ終わっていたベーグルの後味を熱いコーヒーで流し込みながら、葵まだ椅子に座ったままの朝倉を見下ろす。
「なにって……ふむ」
言われてから、自分が何をしに行こうとしているのか上手く言葉に出来ない自分がいる事に葵は気がついた。
とりあえず、一番この場に遭いそうな言葉は……
「挨拶……かな」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
――ドウシテ……
――どうしてこうなった……っ! ありえない! ありえないハズナノニ!?
――こんな出来事があるはずがナイ。こんな出来事が起こる筈がナイノニ……。
――私のせいか? いや、違う……ハズだ。私が知る限り、変化が起こったのは私が『存在』を始めるより前のようダネ。
――だったら一体……この『変化』はなんだというんダ。なにが変化を生みだしてイル?
――……そして貴方は、この『変化した世界』で、どう生きるんダ?
――シノザキアオイ……
――ワタシが『殺した』貴方は……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「また随分と……らしくない家だな」
龍宮から聞いたあの吸血鬼――エヴァンジェリンが拠点としている家は、想像していたよりもずっと普通な家だった。いや、まぁ、普通の一般家庭にしてはいかにも高そうなログハウスだったが、洋館風の小さなお城の様な館を想像していた葵からすれば、十分に普通の代物だった。
「お待ちしておりました、篠崎様」
そのログハウスの玄関には、薄緑の長い髪をたなびかせた少女が立っている。朝倉や龍宮が来ているのと同じ女子中等部の制服を身に付けた少女は、少女らしくないゆっくりとした動作で一礼する。
(やっぱり、来る事は予測されていたか)
当然葵もそうだろうとは思っていたが、どうにも自分の行動が全て相手の想定通りな気がして――いや、事実相手の手の平に乗っている状態だという事は理解している。
が、不愉快である事には変わりない。
「マスターがお待ちです。どうぞ中へ」
まったくもって感情を見せない少女は、不思議と通る声でそう口を開くのと同時に、扉を開く。
中もやはり、吸血鬼の家というには普通だった。少々内装がそれっぽいかな、とは思うが吸血鬼というより魔法使いよりの『それっぽさ』だったが。
先を行く従者の後を着いていくと、リビングと思わしき広い部屋にたどり着いた、食卓に椅子、テレビ、なぜかゲームのハード、そしてソファには――
「また会ったな、吸血鬼」
「あぁ、また会ったな――」
ソファにふんぞり返る様に座っているのは、金髪の童。かつて――いや、今も魔法を扱う全ての者たちから恐れられる存在。最強の一角に在る魔法使い。――『闇の福音』。
「――道化師。歓迎するぞ、とりあえず椅子にかけろ。立ったままというのもなんだろう」
「……随分と珍妙なあだ名を付けてくれるな。そもそも、前回のやり取りじゃあ、最初っから最後まで貴女にされるがままだったという気がする――あぁ、だから道化師か?」
なるほど、自分の思う通りに踊り狂った滑稽な人間は、確かに道化師と呼ばれても仕方ないだろう。
だが、椅子に座りながらの葵のその受け答えは、どうやらエヴァンジェリンの意に沿うものではなかったようだ。
彼女は不愉快そうに眉をひそめ、
「ふん、碌に実戦経験がないのならば、自分の力を自覚できないのも仕方のないことか。だが、この私が人の無様な点をあげつらう様な女だと思われるのは不愉快だ。私は純粋にお前を称えているのだよ。確かに手加減をしていたとはいえ、お前は先日私の予想を超える力を見せた」
エヴァンジェリンは一度言葉を区切り、足を組み直す。そして今度は葵の身体に視線を這わせる。
「驚嘆に値する。驚愕に値する。……そして敬意に値する。私がお前の行動に対して思う事を言葉にすればこんなところだ。……なんだその顔は? 信じられんといった顔だな」
エヴァンジェリンは、葵の顔をみてため息をつくようにそう言う。だが、その顔には僅かに呆れの表情はあるものの、決して不快なものではなかった。
未だ怪訝そうに眉をひそめる葵の顔――ちょうど額の辺りを指差して、吸血鬼は言葉を続ける。
「いいか、篠崎葵。自覚しろ。結果的にそうなってしまったとはいえ、お前があの夜行った行動とその価値を認識しろ。お前が成すべき事はまずそれだ」
「…………」
エヴァンジェリンの言葉に、葵は眉をひそめる。
正直な所、舐められていると思っていた。
自分は――篠崎葵という存在は歯牙にかける必要もない、ただの騒がしいトラブルメイカーだ。自分はそう思っているし、おそらく周囲の――エヴァンジェリンの周囲にいる人間もそう判断していると、葵はそう考えていた。
龍宮真名の様に銃器が使えるわけではない。朝倉和美の様に情報を扱う事も出来ない。佐々木や部長の様に人に技術を教える事が得意と言う訳でもないのだ。
だが、この少女は篠崎葵に自らの価値を認めろというのだ。
「元々、私達の計画ではお前がただ騒がしいだけのクソガキだという確証を得る。それだけのはずだったのだ。そうすれば、お前があの頭の中まで火薬が詰まっている馬鹿共にこれ以上利用される事もなくなるだろうとな」
「……馬鹿共――最近俺の事を調べまわっているっつー連中か? 話を聞く限り、まさかとは思うが確証もないまま俺に手を出そうとしていたのか」
葵の質問に答える前に、エヴァンジェリンは口の両端を吊り上げた。
「その通りだ。連中にとって、お前はどちらにせよ都合が良かったのさ。」
詳細や最終的な目的こそまだ不明だが、連中は騒動を起こす火種を欲しているという点では、エヴァンジェリンの見解は学園長たちのソレと一致していた。
そして、篠崎葵が火種にちょうどいいと言う事も。
科学的にも、魔法的にも特に脳には異常が見られなかったにも関わらず、どのような治療を施しても記憶が戻らない少年。
戻るはずなのだ。医学的にみれば、ショックを受けた末の記憶喪失である――ハズなのだ。
それを聞いた時に、学園長達はもちろん関西側の上位術者も交えて記憶を回復させようとなるのは当然だった。それが罪悪感から、あるいは自分の面子を守る物だったとしても、間違いなく関わった全員が全力を出した。にも関わらず、彼の記憶は戻るどころかその兆候すら見せない。
「関西の術式に――いや、まぁこちら側の術式にも在るには在るのだが……相手の魂を書きかえ操る術式という物がある。じじぃ――学園長と敵対している一派がいうには」
「俺がその関西とやらに操られている可能性がある。ならばいっそ疑わしきは――という流れか? ……いっちゃなんだが、馬鹿じゃないのか?」
「……そこのところが良く分からんのだが……」
エヴァンジェリンは、面倒くさそうに後ろ頭を掻いて、
「どういう目的かは知らんが、連中は理由を付けてお前を拘束しようとしていてな。そこで話が最初に戻る訳だ」
「封印されたとはいえ最強の吸血鬼を相手に、怪しい一般人がどう行動を取るかの観察か? ハードル高すぎるだろどー考えても」
そもそも、それだと対応できるとかできないの前に瞬殺される姿しか葵には想像できない。
いや、だが――
「おい、まさか魔法って手加減できるようになるまでに苦労するほど制御が難しかったりするのか?」
「……確かに制御を覚えるのは大変だがそこまでではない。どちらかというと人員の資質――性格の問題だった。他の連中だと手加減が出来ん者もいるし、仮にも一応表側のお前に裏の顔を知られるわけにはいかない者が多かった故の人選だ。まぁ、もうそんな意味は無くなったがな」
そういうとエヴァンジェリンは、もう一度楽しそうにクックックと――訂正、意地悪そうに嗤った。
「……まぁ、お前にとってもあまり関係のない結果だったろうさ。なぁ、篠崎葵?」
やはり、こちらがどう動くかなどお見通しだったらしい。
葵としてもそれは織り込み済み。
だからこそ、彼は笑みを以ってそれに答える。
「あぁ、そうだな。その通りだ。だから……こちら側の本題に入らせてもらう」
葵はここで初めてテーブルに身を乗り出した。
「自分に求められている役割を知りたい。聞きたい事はそれだけなんだ」
葵の問い――願い。
それがどういう意味を持つか。それを僅かな間に理解したエヴァンジェリンはその笑みを深くする。
(……生き残る気か。ジジィ共の意思ではなく、自分の意思で)
彼女にとってそれは事実を再確認させる言葉だった。
やはりこの男は現状を理解している、と。
敵対する者、同情する者、危険視する者、守ろうとする者。様々な人間が篠崎葵を取り巻き、そして己が意のままに彼を使おうとしている。
在る者は自分の意思で、あるものは無意識に。それが善意にしろ悪意にしろ、このままでは彼の自由はなくなるのだろう。裏の世界とはそういうものだ。そして篠崎葵という存在は、その不自由をよしとするタイプではない。そのような男ならばそもそもここに来ることはなかった。
ならば逆に、自由を手に入れるためにはどうすればいいのか。
――そうだ、勝ち取るしかない。
「上手い事立ち回ってどちら側も上手い事転がそうというつもりか? 篠崎葵。貴様は、大人しそうな見た目とは裏腹に、中々に強欲な人間だな」
「随分と人聞きが悪いな。ただ、自分の身を守りたいだけだっつってんだろうが」
めんどくさそうな口調とは裏腹に、葵はどこか余裕と自信を感じさせる口調と表情をしている。
もっとも、エヴァンジェリンからしてみれば一目で分かる虚勢。彼女からすれば可愛らしくも小賢しい態度である。
(だが、それでいい。それがいい)
先日感じた不快感は今もある。心のどこかが、この男を認めない。
だが同時に、この男の在り方に妙味を牽かれる自分がいることを、エヴァンジェリンは自覚していた。
「篠崎葵、お前の求める答えは確かに私が持っている。それをお前に伝えてもいい。それもまた一興だろうと私は考えている――が、ただ渡してお前達の三流芝居を傍から眺めるだけなど面白くない。……どうだ、篠崎葵? 一つ賭けをしよう」
エヴァンジェリンの提案。未だ内容こそ聞いていないが、最悪の魔法使いの提案である。
普通に考えれば、それは悪魔の誘いに等しいのだが……
「そちらの賭け金が情報ならば、こっちは何を?」
葵はこれを受けるつもりだった。
ある種のシンパシーとでもいうのだろうか。この女は、取引・契約においては注意が必要なのと同時に、そこには一定の信頼が置けると確信していた。
「なに、安心しろ。情報の方は先払いで払ってやる」
「……その分、こちらのベットを大きくしようと?」
「そんなに難しい事を頼むつもりじゃない。なぁに、簡単だ。ようするに―――」
「篠崎葵。貴様の自由を賭けてもらおう」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
(やはりというか、何事もなかったか……)
エヴァンジェリンの家からおよそ650m離れた地点。程良い高所が確保できる、とある建物の屋上にて、都市迷彩の服装とマントで身を隠した龍宮は、狙撃銃のスコープを通してその会談の様子を覗き見ていた。
もっとも、龍宮真名の磨き抜かれた技能を持ってしても彼女を倒すのはおろか、行動不能にするのも到底不可能。だが、なにかあった時には出来るだけのサポートをする事になっていた。
(いやまぁ……学園長との『取引』がある中で、彼女が問答無用で襲ってくる可能性なんてほとんどないと思っていたのは確かだが……)
彼女は、自らの行動――選択についての責任は人一倍強かった。
なにより彼女の性格からしても、葵自身が殴りかかりでもしない限りは普通に結論がどうなろうと話し合いで終わるだろうとは思っていた。
あぁ、そうは思っていたのだが……
スコープ越しに見える二人は、それほど険悪とは思えない表情で一言二言言葉を交わし、そして葵が席を立つ。
事情を知らない人間が見れば、十分友好的だと見えるだろう光景。
だが、龍宮は気がついていた。
葵の背中を見送るエヴァンジェリンのその笑みが、獲物を前にした獣の笑みに近い事を。
そして従者の茶々丸に着いていきながら家を出ようとする葵の顔は、時折見せる好戦的な顔をしている事を。
(これで舞台に両者が並び立ち、後は幕が上がるのを待つばかり……か)
スコープ越しにエヴァンジェリンが、――最初から気がついていたのであろう――龍宮に目を合わせると、彼女は再び嗤うのだった。
(……やれやれ、先輩は一体エヴァンジェリンとどういう話をしたのか……)
少なくともそこまで嫌われてはいない。彼女が出していた表情に嫌悪はなかった。
かといって好意を持たれているわけでもない。そもそも当然だが、あの吸血鬼が人に好意を持つ事は少ない。
(興味、好奇心……か? いや、どうも違う様な……)
あの『闇の福音』と呼ばれ、恐れられた存在の胸の内を察するなどそうそう出来る事ではないだろうが、それなりに龍宮は付き合いが長い。
そして龍宮には彼女のその笑みの中に、僅かばかりの不機嫌が混じっているように見えた。
あれはいったい……。
(――考えてもしょうがない事か)
龍宮はスコープから目を離し、撤収準備を始める。ほぼそれと同時に懐に入れてあった携帯電話が振動を始めた。
すぐさま取り出し、通話ボタンを押して耳に当てると――
『お疲れ、龍宮』
聞き慣れた『相方』の声がした。無事なのは当然分かっていたが、こうして声を聞くと改めて実感が沸いてくる。
「やぁ先輩、首尾は上手くいったようだね」
『思いっきりこちらの動きにくぎを刺されたけどな。まぁ、本人に直接働きかけたのが良い方向に動いたようだよ。最初の計画みたいに学園長側から手を増してもらう様に交渉しなくてよかった。お前からの助言が役に立ったよ』
「彼女はどちらかと言えば堂々と勝負を挑んでくるタイプの方を好むからな」
『……どちらかと言えば?』
「はは。まぁ、彼女にも色々あったのさ。それより先輩、計画に変更点は必要かい?」
『いんや、このままGOだ。そもそも今俺に出来る事なんざ一つしかないからな』
「ふむ……。確かに、一つしかないね」
計画に必要な物は色々あるが、その中でもっとも必要なのは――篠崎葵自身の腕前。
要するに出来ることとは――
『それじゃあ始めるか。調べ事なんかでやることが多いだろうが……教官役を頼むよ、先生。とりあえず、一度そっちに合流する。それからいろいろ決めていこう』
先生という言葉を強調して葵の言葉に、龍宮は口の両端を吊り上げる。
そうだ、これから先の自分の役割はいくつかあるが、最も大事な事は――奇妙な縁をもってしまったこの男を、戦えるレベルにまで鍛える事だ。
(随分な難題を……我ながら、よくもまぁほぼ無料で引き受けた物だ)
ただ護身術を叩きこんだり、キチンとした期間を置いて準備を整えていたわけでもない。
おまけに相手は世界で間違いなく五本の指のはいる実力者、エヴァンジェリン。
正直な所、どこまで彼があらがえるのか怪しい所だ。――そのはずなのだが……。
「貴方なら、どうにかしてしまえると思ってしまうのは……私の贔屓目なのかな」
通話を切った携帯電話のディスプレイには、通話時間を示す画面が表示されている。
龍宮がもう一度電源のボタンをプッシュすると、そこに現れた待ち受け画面には、三人の男女が映っていた。
笑っている二人の女、龍宮と朝倉に挟まれるように困ったような曖昧な笑みを見せている男――。
「なぁ? 葵先輩?」