──生まれ変わった先は、そんな世界でした。
これから一人の男の話をしよう。
中肉中背で容姿は十人並。運動神経も学業成績も並。性格は温厚で、主な趣味は読書とゲーム。休日は家でごろごろしながら、ネットに繋いだPCを使い、某大手BBSで益体のない書き込みをしたりもする。
反社会的な思想もなければ、世に変革をもたらそうという気概もない。影が薄すぎる訳でもないが、目立つような点があるという訳でもない。
要するに、どこにでもいるモブキャラのような人物なのだった。
生い立ちを簡単に説明すると、槙人は日本の中流家庭で長男として生まれた。特筆するようなこともない素行で育ち、最終学歴はそこそこの成績で二流の大学を卒業。大学卒業後は不況下であったために、家電量販店で契約社員をしながら安アパート暮らし。
それなりに恋もしてきたが、独身貴族を謳歌してきたために生活にはさほど困ることはなかった。やがて契約社員といえども何年も勤めた甲斐あってか、正社員への話もちらほら出てきたのが二十代の中半頃。今後も平々凡々な人生を流されるままに送るんだろうなぁ……と本人が思っていた矢先のことだった。
ある日の朝、通勤途中に乗っていた電車が脱線した挙句、横転するという事故を起こした。死者、重軽傷者を合わせると百名を超えるという、まさに世紀の大事故である。
運悪く先頭車両付近に乗っていた槙人は寝惚けた頭のまま、何がなんだか分からない内に大惨事の車内で勢いよく全身を打ち、その結果として死亡することになる。
ちなみに沈み行く意識の中、槙人が最後に思ったのは、年頃の男性らしく例によって自室のPCに保存しているエロ動画やエロゲーの数々に関してだった。こんなことになるのならば、きちんと処分しておけばよかった。いまわの際で槙人は後悔したが、全ては後の祭りである。
暗転した槙人の意識が浮上したのは、意外なことに、それからすぐのことであった。
「あら、どうしたの?」
鈴を転がすような、凛とした声が槙人に降りかかる。
槙人の目に映るのは己の顔を覗き込む、整った容姿の女性の姿。黒髪と見慣れたアジア系の容貌から察するに恐らくは日本人だろう……と思う。問いかけた言葉も日本語であったし、何よりもなぜかぼんやりとフィルターがかかったようにしか見えない。長いまつ毛と、切れ長の瞳が印象的な容貌は非常に美人──のはずだ。
それはともかく、何故そんな女性が自分の顔を覗き込んでいるのだ? 俺は電車で事故に巻き込まれたのではなかったのか? そもそも、ここはどこなのだ?
一体、何がどうなっているのか。混乱した意識の中、なんとか現状を把握するためにも、まずは声を出そうと試みた槙人だったが、
「ああぅうぁ」
という、泣き声とも呻き声ともつかない、謎の声が喉の奥から漏れたのみだった。
「あらあら。マキトったら、何が言いたいのかしら?」
女性が槙人に向かって優しく微笑む。確かに自分の名は槙人だが、どうして彼女が知っているのだろう。目の前の女性に見覚えはないし、知り合いではないはずなのだが。思い悩む槙人に、女性が小首を傾げて話しかける。
「もしかしてお腹がすいたの?」
別に腹は減っていないと返したかった槙人だったが、
「あうう、あうぅあ」
と、相変わらずの意味不明な声しか出なかった。不可解である。摩訶不思議である。この声はどういうことなのだ。まるで、赤子のような声ではないか?
「あらあら。違うのかしら?」
女性が再度微笑む。楽しくて仕方ないという笑みだ。
「お母さんは、そろそろお仕事に行ってきますからね」
そう言って、女性が槙人の額を軽く撫でた。壊れ物でも扱うような、繊細な手付きだった。しばらく撫でられるままに任せていると、槙人に急速に眠気が襲ってきた。何なのだ一体。内心憮然とする槙人だったが、強烈な眠気には抗えなかった。
「おやすみなさい、私のかわいいマキト」
その言葉を境に、槙人の意識は眠りの世界へと落ちた。
それから、槙人の体感時間で約一週間の月日が経過する。
結論から先に書くと、槙人は自分が生まれ変わったらしいと判断した。というか、そう判断せざるをえなかった。
槙人を己の赤子として扱う女性と過ごしている内に、自然と悟ってしまったのだ。当初は自分の喉からは赤子のような声が出るのは何故だろうなどと不思議に思っていたが、まさか本当に赤子となっていたとは。景色がうっすらとフィルターがかって見えるのも、赤子の目はまだ物を見るという機能が上手く働いていないせいなのだろう。
槙人はぼんやりと考える。これが輪廻転生というものなのだろうか。生前、槙人の実家では浄土真宗を信仰していたが、もしやそのせいなのであろうか、と。
母親となった女性の容姿は前回とはまるで違うが、自分に名付けられたマキトという名は同じものだ。ちなみに姓は前回と違って田神ではなくカスミというらしいが、どう書くのかは不明だ。一度表札を確認しようと思ってハイハイしながら外に出ようとした時、玄関に到達する前にユキに止められたので確認は諦めた。マキトという字も、現状分かっているのは発音だけなので前と同じように槙人と書くのかどうかは分からない。母親の名前はユキと言うらしい。こちらも例によってどういう字を書くのかは分からない。
いずれ疑問は母親であるユキに聞けば教えてくれるだろうし、生来槙人は事なかれ主義である。まぁ、細かいことは気にしないでいいか、で済ませてしまった。生まれ変わりという希有な体験をしてしまったのだし、どのような事柄でも受け入れるしかないのだ。
まったく、世の中は不思議なことが起きるものだ。幼児となってしまった槙人は、ベビーベッドの上で仰向けになりながらそう思うのだった。
「……あぅ?」
ふと、槙人は下半身に違和感を感じた。と思ったのも束の間、すでに違和感は最悪の形で顕現していた。つまりは、赤子らしくお漏らしをしてしまったのである。それも、大きい方を。
「おおうあぁあああああああああああー!?」
翻訳すると「やっちまったぁー!?」である。だが悲しいかな槙人は赤子の身。声帯が発達していないので、喋ろうにも上手く発音できないのだ。
「あら、マキトどうしたの?」
台所で流し物をしていたユキが、槙人の声に気付いて小走りでやってきた。彼女はベッドの上の惨状を見て、何が起きたのかを一目で理解する。
「あらあら。うふふ」
そう言って、慣れた手付きで、あっという間に槙人の排泄物を処理し、おむつを新しい物へと変えていく。やがて全ての処理が終わると、ユキは槙人の頭をひと撫でして去っていった。
ベビーベッドの上。そこには、まるで悟りを開いたかのような目で虚空を見つめる一人の赤子の姿があったという。
◇
それから、五年の月日が過ぎた。赤子だった槙人も、今では立派な幼児へと成長していた。世間的に見れば赤子も幼児も大差のない存在ではあるが、本人からすれば月面に初めて着陸した宇宙飛行士のように大いなる一歩であり、前に進んでいる以上はまぎれもなく前進なのである。五歳ともなれば、離乳食だってとっくに食べられるのだ。それが何よりも嬉しい。
五年。言葉にすれば一言だが、五年というのはかなりの時間だ。だが、槙人本人からすれば、それほどの時間とは感じられなかった。というのも、赤子というものは一日の大半が睡眠に当てられているからである。槙人の感覚では、毎日寝てばかりいたら、いつの間にか五年経過していた。そんな感じだったのだ。
「さて、と」
槙人は部屋のソファに座りながら、一息ついていた。槙人が住んでいるのは、前世の頃と同じような安アパートの一室だった。母親であるユキは、槙人を残して仕事に出かけている。仕事内容は詳しく聞いていないので不明だが、パートのようなことをしているらしい。水商売ではなかったので、マキト的には安心だった。
父親はこの五年間で見たことがなかったので、母親一人に子一人という片親状態。ユキは隠しているようだったが、離婚ではなく何か事情があって死別したらしいというのは、これまで手に入れた断片的な情報から判断できた。片親のために家計は少々苦しいが、母親であるユキは槙人の前で愚痴を言ったことはない。無論、槙人も辛いと文句を言うことはなかった。家は安アパートいっても、ユキとの二人暮らしなので、槙人は別段部屋が狭いとは感じていなかったし、かつて一人暮らしに慣れていた槙人からすれば部屋も経済状況も似たような生活だったのだ。
「母さんは仕事だし、俺はどうしようかな」
槙人は独りごちる。ソファで偉そうに短い足を組むその姿は、とても五歳の幼児の態度には見えなかった。
「洗濯物は取り込んだし、掃除も済んだ。うん、見事にやることがない」
槙人は出来た子だった。中身が大人なので、普段から率先して母親の手伝いをしているのである。確かに子供と化したせいで精神は肉体に引きずられている部分もあるが、根本的な部分は以前と同じなのである。ちなみに、槙人はまだ母親には自分に前世の記憶があるとは打ち明けてはいない。別に打ち明けなくとも問題はないし、アホの子扱いされて心配をかけるよりも、いっそ自分だけの秘密として墓場まで持って行こうとすら考えていた。おかげで、母親からは少々頭のいい子程度にしか思われていなかった。
そういえば、以前不明だった自分の姓であるカスミだが「霞」と書くらしい。予想通りといえば予想通りである。母親のユキという字はそのまま片仮名でユキだそうだ。そして、マキトという字もそのままでマキト。
きっと、この生まれ変わった先の世界では片仮名で名前を付けるのが流行っているのだろう。槙人……ならぬ、マキトは単純にそう思っていた。
「暇だし、テレビでも見よう」
マキトは呟いて、リモコンを探してテレビの電源を入れる。画面の向こうでは、国内でのテロ増加についてニュースキャスターがゲストの国会議員と討論していた。
「なんだか荒んでるなぁ」
世も末か、などと呟いてリモコンをいじる幼児。どうも最近、独り言が多くなってきた気がしたマキトだった。一人で過ごす日が多いせいか、癖になりつつあるようだ。
「しかし、俺の住んでるこの国は本当に日本なのだろうか……?」
言葉は日本語が通じるし、辺りの地名もよく知った日本のものだ。部屋で母親が見ていた新聞を、背後から覗き見て得た情報では、現在の年号は昭和であると知った。つまり、前世で生きた平成からは過去の年代に当たるようだ。生まれ変わった先も、過去とはいえ元の日本だったのかと当初は喜んでみたマキトだが、何かがおかしかった。
たまにテレビを見てみれば、毎日のように戦争とテロのニュースが飛び交っている。それも、平和の代名詞であるはずの日本という国の中でさえテロが増加しているらしいのだ。宗教団体から犯罪組織、果ては右翼に至るまで、様々な者が事件を起こしているらしい。ちなみにマキトのご近所でも、毎晩のように爆音を響かせたバイクの集団がパトカーとカーチェイスを繰り広げている。非常にやかましいので、正直勘弁してもらいたい。
確かに昭和という年代は、マキトの知る限りでは学生運動や赤軍による事件はあったが、テロというほど大きな事件は数える程度だったはず。それなのに国内ではどこぞの犯罪組織が密入国してテロを起こしただの、警察が暴徒鎮圧のために出動しただのという話が後を絶たない。他国では毎日のように政変が起こり、戦術核は世界の戦場のどこかでバンバン使われているらしい。さすがに日本国内でのテロでは核など使われないと思うが、なんとも物騒な話である。
『────であるからして、この全ての原因は政策に端を発しており、年々増える未成年による事件は……』
テレビの話に耳を向けると、討論が更にエキサイトしていた。国内でのテロについての話から、少年犯罪について話が変わったようだ。
街中ではストリートチルドレンが年々増えて溢れており、食べるのに困った子供達は暴走族のような集団を結成。暴走族は犯罪組織の庇護下に入り、膨れあがった犯罪組織は末端まで制御できずに治安は更に悪くなる。
負の悪循環だ。おかげで、夜は大人でも一人で出歩くと危ないらしい。子供ともなれば、昼間でも外に一人で出るのは危険が大きい。そんな理由で、内面はともかく、まだ体は子供であるマキトは家で毎日お留守番というわけだ。本当ならば、マキトはそろそろ幼稚園に通うような歳なのだが、経済事情のために幼稚園には行っていない。母親であるユキはなんとかして行かせたいと思っているようだったが、マキト自身が「別に幼稚園には行きたくない。むしろ行かない方がいい」と断固拒否する姿勢をとっていたために、話は立ち消えになっている。マキトは小学校以降は義務教育だから仕方ないとしても、中身が大人の自分は今更幼稚園なんぞ行きたくないと本気で思っていたので、それも仕方ないかもしれない。
「日本なのに、テロが多発とはなぁ……」
前の世界では信じられないような話だ。他国はともかく、どうして日本ですらこんなに治安が悪いのだろう。我が国は水と平和が無料の国だったのではなかったのか。
「ふむぅ」
首を捻って考えるマキトだが、答えはでなかった。
「ここは日本とよく似た、パラレル的な平行世界なのだろうか?」
呟いたマキトだったが、無論答えは返ってこない。そもそも、答えなど期待してはない。ただの独り言だ。
「まぁ、気にしても仕方ないか」
せっかく生まれ変わったのだ。難しいことを考えるのは政治家に任せて、自分はのんびり生きよう。マキトはポジティブにそう思った。
それからしばらくテレビを見ていたマキトだったが、似たような話題ばかりだったので飽きてしまい、電源を切った。テレビを切ってしまうと、いよいよやることがなくなってしまう。
「母さんは、まだ帰ってこないかな」
マキトの母親であるユキは、非常に美人だ。常に優しい笑顔を浮かべているが、どこか陰のある儚げな雰囲気も持ち合わせてもいる。そこがまた、なんとも言えない庇護欲をそそり、自然と守ってあげたいと思わせるのだ。そんな美人をこの世界で母に持ったユキトは、若干マザコン気味であった。もし血の繋がりがなければ、いっそ口説きたいと感じるほどに。美人に弱いのは、いつの世も男の悲しい性である。
「母さん、遅いなぁ」
貧乏生活な上、外は治安が悪い。それでもマキトはこの世界が割と気に入っていた。優しく美しい母親と二人で、この先も慎ましやかに暮らして行ければそれでいいと、本気でそう思っていた。マキトは今、幸せだったのだ。
──だが、そんな幸せは突然崩れ去ることとなる。
「マキト、中にいるなら開けとくれ!」
聞き覚えのある声が玄関の方から聞こえてきた。ユキの留守中に何かとマキトの世話を焼いてくれる、お隣のおばさんの声だ。マキトの名を何度も呼びながら、玄関のドアを激しくノックしている。
すわ何事かと慌ててドアの鍵を開けて表に出たマキトの前には、顔面を蒼白にしたおばさんの姿が映った。
「マキト、よくお聞き。あんたのお母さんだけど、仕事から帰る途中で事故に遭ったって……」
マキトの目の前が、真っ暗になった気がした。……それから先、マキトの記憶はしばらく曖昧だ。
仕事の帰りに事故──どうやらテロに巻き込まれたらしい──に遭ったユキは、そのまま病院に運ばれたが間もなく死亡したとのこと。
そんな話を、ぼやけた頭でマキトは思い返していた。葬式の細かい段取りに始まり、マキトの衣食住はご近所の方達が集まって憐れと思って世話をしてくれた。
だが、そこまでだ。外では捨て子が大量に出ているような世界である。ユキの留守中に多少面倒を見ることはできても、マキトを引き取って育てるほど余裕のある者は誰もいなかったのだ。
部屋で膝を抱えたマキトは、俯きながらこれからどうするかを考えていた。ユキの死が突然すぎて戸惑ってしまったが、このまま何もしなければ餓え死にしてしまう。毎日親子二人で生きるだけが精一杯だった生活だし、貯金もろくにないはずだ。さすがにもう一週間くらいは面倒を見てもらえるかもしれないが、そこから先の身の振り方は自分で決めておかねばならない。
「この家を出るのは確定だけど、そこからはどうするかな……」
大量にいるというストリートチルドレンの仲間入りをするにしても、さすがに五歳では無理があった。下手すれば誘拐されて、どこぞの変態に売り飛ばされる可能性もある。尻を犠牲にするのはさすがに嫌だったし、働くのも低年齢すぎて雇ってもらえないだろう。となると、選択肢は限られている。
「孤児院のような場所を紹介してもらうしかないか」
現実的にも、それしかないだろう。溜め息を吐きながら、マキトがそう思った時であった。
「──お前が、マキトか?」
マキトの背後から、バリトンの効いた低い声がかけられた。
「だ、だ、だ、誰だ!?」
驚いたせいで若干どもった返事をして顔を上げ、振り向いたマキト。その視線の先には、髭を蓄えた壮年の男の姿があった。男は首から巨大な数珠をかけており、着崩した衣の上から袈裟を纏った僧侶のような服装だ。何より目立つのは、その見事な体躯である。ゆったりとした服の上からでも分かるほど引き締まった肉体が目に付いた。
マキトには気配が全く感じられなかった。一体いつの間に背後へとやってきたのだろうか。焦るマキトの顔を見て、男が口先を歪めて笑う。
「驚かせてしまったか? 私の名は、リュウケンという」
「リュウ……ケン?」
「そうだ。かつては
「え? 霞って、もしかして……?」
マキトの問いに、リュウケンが頷く。
「私はお前の母親とは遠い親戚でな。訃報を聞き、慌てて駆けつけたのだ。これより先は、私がお前が引き取ろう」
宣言するように言うリュウケンに、マキトは唖然とする。そして、今まで不可解だと思っていたある事実に、ようやく気が付いた。気が付いてしまったのだ。リュウケンという名。霞という姓。そして……テロの多発する暴力的な世界。──ずっと何かがおかしいと思っていたが、この世界は北斗の拳なのかよ、と。
◇
一九九X年、世界は核の炎につつまれた。
海は枯れ、地は裂け、あらゆる生命体が絶滅したかに見えた。
だが……人類は死滅していなかった!
──そんな感じの世紀末な物語が、もうすぐここより始まるのだった。
3年ほど前、まだにじファンが出来ていなかった頃に小説家になろうで1話だけ投稿して放置していた代物です。
というか、元々HDDの隅で埋もれていた一発ネタ作品です。
原型は「転生したけど、ここって北斗世界かよ!?」で打ち切りのように終わる内容でした。
ハーメルン開設記念に少し加筆修正して蔵出しです。
今後も細々と続く……のか?
気長にお待ちください。