ピンポーン。というインターホンの音で目が覚める。
なんだ。朝から。
時計を確認すると朝の6時30分。
いやいや。こんな朝っぱらから自宅訪問とか常識的に考えてないだろ。
ピンポーン。再び鳴る。
誰だ?自慢じゃないが、俺は家を尋ねられる友達、ていうか知り合いがいない。ゆえに誰だか見当がつかない。姉貴か?いや姉貴は家のカギ持ってるしな。もうアマゾンが楽天ぐらいしか思いつかないんだけど・・。
ピンポーン。
はぁ、とため息をつき、俺はけだるい体を起こした。
もう五月の中旬に差し掛かり、とても過ごしやすい温度だ。
不本意な早起きであったが、以外と悪くないな。気が向いたら明日から早起きしよう。
階段を降り、玄関に向かう。
着替えてなくて部屋着のままだけどいいかな?まぁ別にいいか。見られて減るものでもないし。
ドアチェーンを外し、さらにカギも外す。
「はいはーい」
自分の安眠を妨害された少しばかりの恨みか、図らずも感じの悪い声になってしまった。
ガチャリと、少し重みのある扉を開く。
女の子がいた。一瞬幻覚かと自分を疑ったが、そこまで異性に飢えているわけじゃない。
女の子は明るく染められた髪を後ろで結わいて、ランニングウェアに身を包んでいて、傍らにはしっぽをこれでもかと振る犬もいる。
・・・誰だ?
最初に浮かんだ疑問はそれだった。
こんなかわいらしい女の子と知り合いになった覚えないぞ。
つい最近俺が部長をしている部活に入ってきた雪ノ下雪乃もいるが、雪ノ下はどっちかというときれい系。対して今目の前にいるのはかわいい子。ザ・リア充みたいな子だ。つまり俺の敵。
そんな子とカースト最底辺の俺が知り合うなんて誰がどう考えてもあり得ないだろう。もしかしたら詐欺師か何かかもしれない。きれいな女は信じるなとは親父の遺言である。あっ親父死んでなかった。
「何かご用でしょうか」
疑いの目とともに、知らない人が訪ねてきたときのテンプレ文句を言う。
「あ・・えっと・・比企谷八幡くんですか」
なんで俺の名前を・・。ますます怖くなってきた。
「・・・はい。そうですけど」
「私、”由比ヶ浜結衣”っていうんですけど・・覚えてますか?」
由比ヶ浜結衣。聞いたことのない名前だ。ってか完全に向こう俺と知り合いだと思ってるよね。忘れてる俺が悪いの?
「・・ごめんなさい。人の名前覚えるの苦手なんですよ。俺」
「あ・・・そ、そうですよね。あの時はあたしも髪染めてなかったし、覚えてなくて当然ですよね」
何か一人でぶつぶつ言って自己完結してしまった。
「あの・・私、入学式の日に比企谷くんに助けてもらった犬なんですけど、あっ犬の飼い主なんですけど・・」
なんだろう。アホっぽいな、こいつ。ってかこの女見た目完全にリア充なのに、めっちゃテンパってるな。緊張してるのか。
確かに俺は入学式の日に犬を助けて全治1カ月の骨折をした。そのお詫びに来たってことか。そういえば彼女の隣でしっぽを振ってる犬には見覚えがある。
「あぁぁぁ・・すいませんわざわざ来てもらって・・」
本音を言うと来なくてよかった。来られても俺がどうすればいいのかわからないし。いやお詫びをされるのだから俺は何もしなくてもいいのか。いやでもわざわざ家に来てもらっているわけだし。お茶くらい出したほうがいいのだろうか。でもこいつも俺の家になんて入りたくないだろうし。うーんわからん。
こんな時姉貴がいればと強く思う。
沈黙が流れる。
「ああ・・えっとこれ」
向こうが沈黙に耐えかねたのか、やたらと大きな声で紙袋を渡してきた。近所迷惑だから静かにしてほしい。
「お詫びの印っていうか・・感謝の気持ちっていうか、サブレを・・あっうちの犬を助けてくれて・・・その、ありがとうございました」
やたらつやのある高級感漂う紙袋の中には、千葉名物の『ピーナッツ饅頭』が入っていた。
千葉県民に向かってピーナッツ饅頭送るってどういうことだよ。これめっちゃ食べたことあるし。なんならもう飽きているまである。いやないな。ピーナッツ饅頭は何度食べてもうまい。
でもやっぱりこの女。少し頭がユルイ。
「いや。別に大したことじゃ。体が勝手に動いてたんで。でもとりあえず有難くいただきます」
「うん。はい」
由比ヶ浜から袋を受け取る。
「じゃあ。私はこれで」
「ああ。またな」
由比ヶ浜はくるりと振り返り、とことこと歩き出した。飼い犬もそれに続く。
数歩歩いた後、不意に「あっ」と何かを思い出したように体を半分こちらに向けて来る。まだ何かあるのか。忙しいやつだな。
そして由比ヶ浜は輝くような満面の笑みを浮かべながらこちらに手を振ってくる。
「これからもよろしくね!比企谷くん」
何だそれ。また家に来るということだろうか。来ないでいいのに。
体が少し熱いのは上り始めた太陽のせいだと思い込むことにしよう。
ふわぁあ、とあくびをして俺は家に戻る。
「由比ヶ浜結衣・・・か」
もう二度と会うことはないであろう女の子の名前を呟く。そして直後、そんなことをした過去の自分を殴り倒したくなった。
「ふーん。由比ヶ浜結衣ちゃんっていうんださっきの子。それにしても折角の女の子のお客さんなのにお茶も出さずにお菓子だけもらって帰らせちゃうなんて、お姉ちゃん的にポイント低いなー」
そこにはニヤニヤと何かを企む邪悪な笑みを浮かべた我が姉、比企谷小町が立っていた。
全然気づかなかった。さっきまでいなかったのに。
「姉貴。いつからいたんだ」
「ついさっきから。普通に家に入ろうとしたら八幡が玄関で女と密会。しょうがないから裏口から入ってきたんだよ」
密会って何だ密会って。別に隠れてないし、やましくもない。
「で、さっきの子は八幡とどんな関係なの」
にやけるのを隠そうともしないで聞いてくる。完全に楽しくなってるよ姉貴。
「入学式の日に俺が助けた犬の飼い主」
それを聞いて姉貴はキランと目を光らせた。希望に満ち溢れている目だ。
「ってことは八幡に恩義を感じてるよね。ってことは八幡を好きになってもおかしくないよね。八幡のお嫁さん候補だよね。ポイント高いー」
怖いよ姉貴。普段は温厚な姉貴だが、今の姉貴はちょっと別人だ。近づきたくない。一人でムフフと笑ってる。怖い。
「まぁ、もう会うことはないだろうけどな。向こうもお詫びして気が済んだだろうし」
「なっ・・そんな。連絡先とか渡されなかったの」
「渡されてない」
「そ、そんな・・八幡のお嫁さん候補が・・」
姉貴はがっくりとうなだれ壁に寄り掛かった。心なしか姉貴の周りが暗い。
今日の姉貴はやたら嫁嫁押してきた。どういうつもりだろう。
「どうしたんだ姉貴。そんな嫁嫁って」
姉貴はこめかみに手をあて「はぁ」とため息をつく。目がちょっと腐っているのは気にしないことにしよう。
「お姉ちゃんは心配なんだよ。もしかしたら八幡がこのままずっと一人なんじゃないかって」
俺としては、姉貴は気にしないでいいと言いたいところだけど、それでもやっぱり気にしてしまうのが姉というものなのだろう。弟を守るのは姉の役目。そんな風に思ってるに違いない。
別に俺は無理やり一人にさせられてるわけじゃない。一人のほうが気楽で、自ら一人になっているのだ。もし、入学式当日の事故がなくても結局俺は一人だった気がする。そういう人間なのだ。俺は。直そうとも思わない。でもそのせいで姉貴に心配をかけるのは少し罪悪感がある。だから思ってもないことを言う。
「まぁ・・頑張るよ」
何を、とは言わない。
しかし姉は俺の言葉を聞いて笑う。とても優しい笑み。
「頑張って」
そしてすぐにいたずらっぽい子供の顔になる。
「八幡が頑張らないと、お姉ちゃんいつまでたっても結婚できないんだからね」
「・・・どういうことだよそれ」
「知らなーい。自分の心に聞いてみたらぁ」
そういって姉貴はルンルンとキッチンへ向かった。
いつまでも姉貴に頼りっきりじゃいけない。姉貴の幸せのためにも俺が幸せにならなくちゃいけないのだろうか。
本当に少し頑張ってみようかな。
そんな決意を新たに俺は姉貴の作る朝ごはんを待つ。