ユウ「今日は桜坂が来てくれています」
しずく「よろしくお願いします」
ミツキ「Oh Yeah!」
ユウ「というわけで彼女にもわかる話題で行こうと思っているのだが」
ミツキ「まあいつまでも野球のこと話しててもな」
ユウ「そうなんだけど今シーズンのセ・リーグの混戦具合がさ」
ミツキ「だあああああだからやめろっての!」
しずく「んふふっ」
ユウ「あ、ウケた。いま桜坂にウケた」
しずく「笑ってないですよ?」
ユウ「いやちょっと吹き出してたって」
しずく「吹き出してませんよ?」ニコー
ユウ「必死に表情筋押さえつけてるじゃん」ヘンガオー
しずく「そんなことあっ…りませんから」プルプル
ユウ「今笑いそうになって無理矢理抑えたし」
しずく「抑えてないですから。わたし、怒りますよ?」プクゥッ
ユウ「いや、そんなに可愛く頬を膨らませられても…」
しずく「そんなこと言っても許しませんからね」プクーッ
ユウ「うーん、許してもらおうとよいしょしてるわけではないんだが」
ミツキ「キサマら…俺を放ったらかしでイチャイチャしよってからに…」
しずく「い、イチャイチャなんてしてませんっ」
ユウ「お前もしたきゃ相川呼ぶか?」
ミツキ「なっ、なななんでそこで涼の名前を出すのかなユウは。オレぁいみがわからないよ」
ユウ「うんバレバレだから諦めような?」
しずく「取り乱しすぎですよ、ミツキさん」
音楽室。ピアノを前に、ボーッとしている。膝の上にはいつの間にか入り込んできていた猫のにゅう。
テスト前なので、部活はない。故に軽音部の部室にメンバーはいないし、アイドル研究部の部室では穂乃果たち3人が勉強中。邪魔をするわけにもいかないので、こうして音楽室でピアノの前に座っている。
「んにゅぅ〜」と本当に猫なのか怪しく思えてくる甘え声で僕の右手を掴み、撫でろと催促してくる。仕方なく撫でてやっていると、入り口の扉が開いた。
「…同じ事を考えてたみたいですね」
「真姫」
彼女は少し残念そうな顔をしたが、立ち去る事はせずそのままピアノの側へ。僕がズレて椅子の半分を開けると「ありがとうございます」と言って座る。
何をするでもなく、沈黙が続く。ピアノの椅子はそんなに大きくないから、互いの肩は触れ合う程に近い。
少しだけ開けてある窓からそよ風が入り、女子特有のいい香りを運ぶと僕の鼻をくすぐった。相変わらず僕の右手はにゅうに掴まれたまま。
楽器の前にいるのに、何もしない。そう考えると、こうして僕の前に佇む真っ黒なこいつも暇そうに見えた。
「…何か弾こうか」
「連弾、ですか?」
「僕、今右手使えないから厳密には連弾はできないけど」
なるほど、と一拍おいて真姫が呟く。猫は本当に自分勝手だ。満足するまで離す気はないらしい。
「いいですけど、何を?」
「きらきら星変奏曲とか?」
「地味に難しいのを…」
きらきら星変奏曲。モーツァルトが1778年に作曲した曲だ。元々は当時フランスで流行っていた『Ah! vous dirai-je, maman』(和訳は確か「ああ、お母さん、あなたに申しましょう」だったか)という恋の歌らしい。恋の歌なのになぜ『お母さん』なのかは僕にはわからない。
「そうは言いつつ、できるんだろ?」
「当然」
ふふん、と彼女は鼻を鳴らす。
「そうこなくちゃね」
左手を鍵盤の上に乗せ、一呼吸おいてから力を込める。伴奏の旋律がワンフレーズ、その後真姫が右手で合流した。
「やっぱり、真姫の音は綺麗だな」
「えっ、ちょっいきなり何を」
「あははっ、こんなとこで間違えた」
「先輩のせいじゃないですか!」
言い合いながらも序盤、主題の部分を終える。第1変奏、真姫が16分音符に細かい半音階を刻んでいく。彼女の右手は滑らかに白と黒の鍵盤の上を滑る。
「さすが」
「先輩、テンポズラさないで」
「厳しいねぇ。こっちは猫を撫でながらなのに」
第2変奏、今度は僕の番。速いパッセージのアルペジオを紡いでいく。主旋律は崩さないまま、彼女が驚きの声を上げた。
「…上手い」
「ありがとう。正確さには自信あるんだ」
第3変奏、再び真姫の演奏が変わる。今度は彼女の右手が綺麗なアルペジオを奏で、まるで別の生き物のように彼女の手が踊っていた。
「先輩サボらないで」
「あれ、バレた?」
第4変奏、ここは僕の難所。左手が10度飛ぶのはかなり厄介な上に忙しい。少しの間だけ、意識をピアノに集中させる。音色が気まぐれな雰囲気を纏って響いていく。
僕の腿に、一定のリズムで何かが当たるようになった。多分、にゅうの尻尾。コイツはリズム感がいいらしい。
「これはなかなかキツいな」
「なんだか先輩みたいですね」
「そう?僕は凛っぽいなと思ったんだけど」
第5変奏。一度静まり返ると、軽やかな和音の中にたまに不協和音が混ざる。言い表すなら『可愛らしい』だろうか。
「にこ先輩っぽい…?」
「んー、あいつだったらもっとこう…」
「ちょっと、いきなり変なの入れないで」
「ごめんごめん」
と、ここでまた音楽室の扉が開く音が聞こえた。真姫と同時にそちらに視線を向けると、そこにはいつもの笑顔を浮かべたことりがいた。
「誰が弾いてるのかなって思ってたら、2人だったんだ」
「や、ことり。勉強組はどう?」
「それが〜…希先輩にわしわしされてぐったり…」
「…あの人から逃げようとするからよ」
やけに説得力があるな…。真姫もあいつにやられた事があるのだろうか。
「でも、どうして2人で片手ずつなんですか?」
「僕の右手が捕まってるんだ」
「なるほど…」
彼女もまた、僕の膝の上で目を細めるにゅうを見て納得したようだ。
ちなみに、この会話中もずっと指は動いている。今は第8変奏、ハ短調になり重々しい雰囲気。
「きらきら星って、こんな曲だったんだ〜」
「もともとは恋の歌だったんだって」
「そうだったんですか!」
やはり日本では童謡としての知名度の方が高いから、ことりが知らないのも無理はない。僕が知ったのも何かのテレビ番組だったし。
「それにしても、2人とも上手♪」
「当然よ。このくらいどうってことないわ」
ことりの言葉に、真姫は誇らしげな顔をする。対して僕は苦笑い。というのも…
「難所は僕が引き受けてるからね」
「何か?」
「イエ、ナニモ」
「ふふっ♪」
ことりが笑い、釣られて真姫と僕も笑う。
ピアノは第9変奏を終え、クライマックスも近い第10変奏へ。
ここは、両手を交差させて弾く変奏だ。
つまり。
「よっ、と」
「あっ…」
僕は左手、真姫は右手。互いに自分の体を挟んだ手を使っていて、それを交差させるわけだ。
当然、触れるんじゃないかと思うくらいにお互いの顔が近付く。相手の吐息がわかるほどに。あと少し数センチ動くだけで顔が触れる。
そして、なんとなくお互いに顔を見合わせた。
「っ…////」
「おっと…」
バッと真姫が顔を背け、立ち上がってしまった。当然右手も鍵盤から離れ、演奏は止まってしまう。
「あれ〜?真姫ちゃ〜ん?」
「………」
僕からは彼女の顔は見えない。しかしことりが楽しそうにニヤニヤしているところを見ると、多分顔を真っ赤にしているんだろう。
「真姫ちゃん可愛い〜♪」
「か、からかわないでっ!」
にゅうもひとしきり撫でられ満足したらしい。僕に腹を見せてご満悦の様子。
やっと解放された右手を握ったり開いたりしながら二人の会話を猫と一緒に眺めていると、ことりが何か言うたび、真姫は必死で否定する。敬語を忘れているところを見ると、相当テンパっているらしい。自然と僕も笑えてきた。
…それにしても、意外とことりってサディスト?
ーーーー
ーーー
ーー
ー
「猫が肩に乗ってて重い」
「降ろせば…」
「爪立てられて痛い」
「我慢ですっ」
真姫はもう少し音楽室にいるそうだ。なので廊下を歩くのは僕とことりだけ。あとは僕の肩に猫。重い。
相変わらず彼女はふわふわした笑顔を浮かべ、僕の後ろを歩きながらにゅうを構っている。
〜…♪
音楽室からピアノの音が響いてきた。聞き覚えのある曲。思わず立ち止まると、気づかなかったことりとぶつかった。
「あうっ。どうしたんですか?」
「悪い。真姫の弾いてる曲が、知ってる曲なんだ。クライスラーの『愛の喜び』って曲」
「あ〜、聞いたことあるかも」
これはピアノとヴァイオリンのデュエット曲で、もうひとつ『愛の悲しみ』という曲と対をなす。
どちらもラフマニノフによってピアノ独奏にアレンジされていて、そちらも有名だ。
「曲名を知らなくても聞いたことはあるはずだよ。それくらい今でも有名なんだ」
「上手いなぁ、真姫ちゃん」
「うん。音がカラフルだ」
キョトンとされてしまった。音楽に関わって生きてくるとそういう言い方が増えてしまい、他人と話す時によくこうなってしまうのはあるあるだろうか。違うかな。
真姫の演奏をBGMにまた歩き出し、その途中でまたことりが尋ねてくる。
「でも、どうしてこの曲が?」
「大したことじゃないよ。中学時代の先輩との思い出なんだ」
「気になりますっ♪」
「そんなに面白い話でもないんだけど…」
それでもです、と顔を輝かせて詰め寄ることり。どうしてここまでキラキラしているのだろう…別に恋バナというわけでも…いや、ちょっとその要素はあるのかな?まさかそれを感じ取ったというのか?恐るべし…。
「…長くなるから、別の機会にね」
「むぅ〜…」
そうむくれないでくれよ。頬をプニッとしたくなるだろ。
話しているうちに穂乃果たちが勉強中であろう部室の前に。
僕が開け、ことりが先に行く。続いて入ると、ちょうど海未が穂乃果に何か話している時だった。
「今日から穂乃果の家に泊まり込みます!」
「泊まり込みィィィィィ!?」
すごい顔になった。思わず吹き出したことで彼女たちも僕とことりに気が付いたようだ。穂乃果が僕に助けを求める。
「せ、せんぱい…助けて…」
「悪いが無理だな」
「そうと決めたらすぐに準備しましょう。帰りますよ、穂乃果」
「う、うへぇ〜…」
悲壮な表情を浮かべて帰りの準備を始める穂乃果。その間に海未はことりに尋ねる。
「ことりはどうしますか?」
「私はもう少し勉強してから帰ろうかな。そのあと穂乃果ちゃんの家に行くね?」
「わかりました。穂乃果のお母様にもそう伝えておきます」
海未に引きずられるようにして、穂乃果も部室を出て行った。苦笑いしながらもことりは手を振って見送り、「さて」とノートと教科書を広げる。
「希」
「どしたんにこっち」
「あとはどこかファミレスにでも行かない?」
「ええよ〜」
そんなやりとりの後、3年組も出て行く。残った花陽と凛も、ひと段落ついたらしく帰りの話をしていた。
「それじゃあ、今日はこれで。真姫ちゃんを呼んでから行こうか」
「うん!荷物持っていってあげないとね!2人ともばいにゃ〜」
「「ばいにゃ〜」」
ことりと同時に凛を真似て挨拶を返す。4人で笑った後、1年の彼女たちも部室を後にして、残されたのは僕とことり。
「…ふむ、別の機会がもう来てしまった」
「そうですね♪」
「どこから話したものか…ん?」
僕のケータイが振動しているのに気が付いた。メールだ。差出人はエリー。
ーーーーー
差出人:絢瀬 絵里
件名:
ーーーーー
パソコンの調子が悪いの。来て手伝ってくれる?
ーーーーー
シンプルである。『了解』とだけ返し、僕は席を立つ。視線だけで尋ねることりに僕は答える。
「生徒会長に呼ばれたんだ。15分かそこらだと思うけど、どうs」
「お待ちしますっ♪」
「でしょうな」
本当、なんでそんなに聞きたいんだろうな…。これはあまり待たせないためにも、これ以上ハードルを上げないためにも、できるだけ早く帰ってきた方が良さそうだ。
ーーーー
ーーー
ーー
ー
「いいか?こっちとこっちを結合させるならこうして…」
「なるほど…私はかえって遠回りしてたのね」
幸いPC側ではなく人間側の不調だったらしく、僕が来てやり方を確認したらすぐに調子が戻った。なんでも短縮できると思うとそうでもなく、かえって遠回りになってしまうこともある。
『急がば回れ』とは僕が思うに「焦ったまま行くとかえって上手くいかない」と言いたいのではと思うのだけど、辞書的な意味はどうなんだろう。帰ったら調べることにする。
つまり何が言いたいかというと、急ぎの用があるのならかえってスローペースに思えるくらいでやった方が結果的に早く終わるんじゃないかということだ。
ミスが減ればそれだけ時間は短縮できる。できる限りゼロに近付けることでやり直しがなくなる分、無駄な時間が減るのでは、と思っている。
「じゃ、やり方もわかったようだし僕は行くよ」
「…またμ'sかしら?」
「さて、どうだろうね」
なぜかジト目のエリー。彼女に実害がない以上、別に嫌がられることでもないはずなのだが、どうも最近この手の視線に晒されることが増えたな…
「それじゃ、また明日」
「…ええ」
目を逸らし、無愛想な返事が返ってくる。突然の不機嫌に僕は少々困惑するが、この後エリーと何かあるわけでもないため放置して生徒会室を出た。
「おっ、ゆうちゃんやん?」
「東條?にこと帰ったんじゃなかったか?」
東條がいた。僕の質問の通りにこと一緒にマク○ナルドあたりに行ったはずなのだが、何故か戻ってきたようだ。
「えりちに呼ばれたんよ。もしかしてもうお役御免やった?」
「多分、手伝いは欲しいと思う」
「ゆうちゃんは手伝ってあげないんや?」
「…何故かエリーを不機嫌にしちゃったんだよな」
えりちったら、と東條は笑った。その笑顔は呆れているようで、心配しているようで。しかもそれでいて少し、怒っているようにも見えた。考え過ぎかな。
「まあ、そういうことならウチが手伝うよ。にこっちは自分だけでも勉強はするだろうし」
「…まあサボりようがないもんな」
2人で笑って、そして別れる。僕は階段に向かい、東條は生徒会室の扉を開けた。
「希、ありがとう来てくれて」と扉の隙間からエリーの声が届いた。その声にふと振り返れば、東條がこちらを見ていた。なんとも不敵な笑みを浮かべて。
どういう意味を込めてあんな顔をしたのかは、僕には知る由もない。ともかく、僕はまた歩き出し、ことりが待つであろうアイドル研究部の部室に向かうのだった。
あまりにも暑いので近所の川に行き、滝から飛び降りて来ました。
今、日焼けのヒリヒリと戦っています。