【風邪】
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差出人:矢澤にこ
件名:今日
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μ'sのメンバーが部室に来て、入部届を出してきたわ。
本当にアンタの言う通りになったのはなんか癪だけど、きっかけをくれた事には感謝してる。
ありがと。
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土曜日。現時刻、朝7時。
毎週この日は気の済むまで惰眠を貪るのが僕の習慣になっている。
だが、今日は珍しく早めに目が覚めたので何気なくスマホを手に取ると、一通のメールが届いていた。
昨日の夜に届いたらしい、矢澤からのものだ。
今気がついたので、とりあえずこう返しておく。
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宛先: 矢澤にこ
件名: Re:今日
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Σd( ・`ω・´)
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「これでよし」
すると、さらに一通メールが届く。
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差出人: 絢瀬絵里
件名: 亜里沙です。
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お姉ちゃんが風邪で寝込んでしまいました(つω;`)
でも、私は今日は部活があって休めないので、看病する人がいません。
ユウさんが会いに行ってあげてくれませんか?
お姉ちゃんをよろしくお願いします<(_ _*)>
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「………。とりあえず、エリーが風邪を引いたんだな。しかし『お姉ちゃんをよろしくお願いします』はちょっと違うような気が…」
風邪なら心配ないだろ、ここは東條にでも行ってもらおうかな。
チョイチョイっとメールを送ると、30秒と経たず返信が来た。
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差出人:東條希
件名: Re:エリーが倒れた
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件名でビビらせるのやめてよ(^ω^#)
心配やけど、今日は神社のバイトがあって行けないんよ。
ゆうちゃんが行けば喜ぶんやない?
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うーんこの。奇跡的な都合の悪さ。
他に誰に行ってもらおうにもエリーには東條くらいしか友達がいない。
僕が行くしかないのか…まったく、ぼっち気質め。二度寝はお預けだ。
というわけでエリーへ電話を掛けてみる。
数回のコールの後、気怠そうな声が届いた。
「…なによ」
「何か食べたいものは?」
「は?」
「Есть ли вещь, которая я хочу съесть кого-либо?(何か食べたいものは?)」
ひょっとして風邪のせいで日本語が聞き取れてないのかと思いロシア語で言い直した。
え?何故話せるかって?それ聞いちゃう?長くなるよ?
「…いちいちロシア語で言わなくてもいいわよ。そうね、お粥かしら…」
「了解」
「え?了解ってなに?なにしようとしてるの?ちょっと、ユウーーーーー」
電話を切る直前に何か言っていたがまあいい。
確か、ロシアではお粥といえばミルク粥か。ちょちょいと食材を調達してさっさと行きますかね。
◇
さて、時刻は現在午前10時半である。
スーパーで買い物をしてエリーの自宅前、インターホンを鳴らすと、中からバタバタと何やら音が聞こえてきた。
それなりにいいマンションに住んでいる絢瀬姉妹。2人暮らしである。両親は仕事の都合で祖父母の家、つまりロシアの実家にいるそうだ。
では何故この姉妹は日本にいるのかは、僕も知らない。
僕が知っているのは、少なくともエリーは小学校から日本にいて、僕らが中学に上がった時に亜里沙が日本に来たということだけだ。
物思いにふけっていると、目の前のドアが勢いよく開いた。
扉の前にいれば当然ドアを鼻あたりに食らう。
そして僕も例外ではなく、完全に油断していたため鼻にジャストミート。「うごぁっ」と自分でも驚くような声が出た。
「えっ!?あ、ごめんユウ…大丈夫?」
鼻を押さえる僕にエリーは心配そうな声をかける。中でバタバタやっていたせいで、扉の前に人がいる事を意識していなかったようだ。
「めちゃくちゃ痛いが、まあ死んでいないし大丈夫だ」
「そう…って、鼻血出てるじゃない。ティッシュすぐ持ってくるから」
「いや、ポケットティッシュがある…ああ、聞いてない」
お前風邪引いてるんじゃないのかよ。普通に走ってるし。
体調悪い時に走ると転けるぞ。
「きゃぁっ!!」
ほら言わんこっちゃない…。短い悲鳴と共にバタッと音が聞こえた。
僕は血を垂らす鼻にティッシュを詰めながら彼女のもとへと歩いていく。
「なにをやっとるんだお前は…」
「いたた…」
立ち上がろうとするも、もともとフラフラだったのかうまくいかないようだ。
「…まったく、いつもの事だが無理し過ぎだろ…」
ぼやきながら僕はエリーに手を伸ばした。そこでふと考える。
病人を歩かせるのはどうなのだ。ここは運んでやるべきではないのか?
そう思い、僕は彼女に話しかける。
「じっとしてろよ」
「え?」
言いながらしゃがみ、彼女を抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこという奴だ。
「なっ、ちょっ…!」
「じっとしていろと言った。落ちるぞ」
「うっ…うぅ…」
身をよじるエリーを大人しくさせて、部屋へ歩く。お姫様抱っこっておんぶよりも重く感じるな。腕で支えるから当然か。
「…重くない?」
「軽過ぎ。もっと食えよ」
なんて話しながら、ベッドに到着。
寝かせると、彼女はさっと布団を顔まで被ってそっぽを向いた。
台所を借りるとエリーに告げて、僕は料理にとりかかる。腕によりをかけて作りましょうかね。
◇
「これ…マンナヤ・カーシャ?」
「そう。味付けは勘だったが作ってみた」
マンナヤ・カーシャとは、ロシアで風邪の時によく食べられているお粥だ。
小麦をミルクで煮て、塩やバター、砂糖で味付けをする。それだけだが、なかなか美味いのである。今さっき味見した時に知ったのだけど。
「…おいしい。おばあさまが昔作ってくれた味みたい」
「そりゃよかった」
お袋の味というのは、例え本人に聞いて全く同じように作っても再現できないものだ。
案外自分の感覚で作った方が近付けるのかもな。
「どうして知っていたの?ロシアの料理は日本ではあまり有名じゃないのに」
「昔本か何かで見たことがあっただけだよ」
エリーは僕の記憶力に感心したようだった。昔からそう、僕は一度見たり聞いたりするとほとんど忘れず覚えている。
それは昔のとある出来事から来ているのだが、まあそれはまた追い追い話すことにしよう。
「よく覚えてるのね。普通に生きてたらまず使わないし、忘れちゃいそうなのに」
「うん?いや、使うだろ。ロシアのことに関しては」
「どうして?」
「お前がいるからな」
なにをキョトンとしとるのだこいつは。彼女の頭の上に疑問符が浮いている。
「知り合った時は、エリーは全然日本語話せなかったじゃないか。なんとかコミュニケーションを取れないかと思って、ロシア語勉強したし、食文化も調べたし、色々やったからこそ声をかけられたわけよ」
だから僕はロシア語が少しは話せるのだ。全てはエリーと意思疎通ができるようになるためにやったことだった。
「そうだったの…てっきりあなたもロシアにいたのかと思っていたわ…」
「アホか。本場にいた奴があんなに片言なわけないだろ」
思わず笑ってしまう。それに対しエリーは頬を膨らませて僕を睨んだが、むしろ可愛らしかった。
「影でそんなに努力してたなんてね…でも、なんでそこまでして…」
「うーん、そうだな…」
少し考える。
休み時間に、寂しそうに1人で本を読んでいる姿を見て、何故かどうにかしたくなった、なんとか笑顔にできないかと思ったからだった。
別に僕がその時行動しなくとも、きっとエリーは日本語を覚えてすぐに溶け込んだだろう。でも、ほんの少しでも早く、ほんのちょっとでも孤独感を拭ってやりたいと、子供ながらに感じたのだ。
「お前が可愛くて、ちょっかいを出したくなったからだな」
「か、かわっ!?」
「あっははー、顔真っ赤だぞエリー」
「だ、だだ誰のせいよっ!!」
まあ、そんなことを馬鹿正直に話すのは気恥ずかしいから、ずっと黙っているつもりだけど。
◇
あの後、エリーの隣で僕は本を読んで過ごした。だいぶ楽になったらしく、彼女はうなされることもなく眠れていた。
午後4時も半分を過ぎ、まだまだ短い日も紅く染まり始めた頃にエリーは目を覚まし、僕の渡した体温計で熱を測っている。
「…お、熱はもう下がってるな。これなら学校は問題なさそうだな」
「土曜日でよかったわ…できるだけ休みたくないから」
この台詞の通り彼女は真面目な人間である。だから無理をして時折こうやって風邪をひく。
ただ、真面目さ故か今まで平日に体調を崩したことはあまりないが。
「それじゃ、僕は帰るかな…もうすぐ亜里沙も帰ってきそうだし」
「そう。その…ありがとう、来てくれて。正直、1人だと心細かったわ」
「いいさ。僕が倒れたら看病してくれよ」
「わかったわ。そんなこと一生なさそうだけど」
それは遠回しに僕のことをバカだと言っているのか?言っておくが僕はバカではないぞ。これまで学年トップの成績を残し続けてきたのだからな。
「じゃあな。病み上がりだし大人しくするんだぞ」
「言われなくてもわかってるわよ。それじゃあね」
別れを告げて玄関まで来ると、ちょうど亜里沙が扉を開けた。
「あ、ユウさん!来てくれてたんですね!」
僕を見るなり顔がパァッと輝く。エリーの妹だけあってかなりの美少女、そんな彼女の笑顔はまるで天使のようである。
高校入ったらモテまくるんだろうな、エリーみたいに。その時には僕は大学生というのが少し残念だ。
「まあね。僕も心配してないわけじゃないから」
「ふふ、やっぱり優しいですね」
「このくらい普通だよ」
「そう言えるところが優しいんです」
そんなもんかね。中学3年になってから、なんというか亜里沙は、どこか大人びた気がする。
容姿的な意味ではなく、雰囲気や口調といった意味でだ。精神的に成長し落ち着いてきたのだろう。
高校に入ってもうるさい子はうるさいから、僕としては嬉しい。いや、亜里沙は昔から落ち着いてるけど。
「もう帰るんですか?」
「ああ。あまり長居しても邪魔になるし」
「邪魔だなんて、そんな事ないですよ!お姉ちゃんも喜びますし、夕飯食べていってください」
「いや、看病くらいでそれは悪いよ」
そう言って断るのだが、亜里沙は引かなかった。
しかし、『お姉ちゃんが喜ぶ』というのはどういう事なのだろう。うーむ、気になる。
「いいんです!ここは通しませんからね!」
バッ!と両手を広げ僕の前に立ちふさがる。この辺はまだ子供っぽい。思わず笑えてきてしまった。
「あ、笑いましたね!?私は本気ですよ!?」
「あはは、わかったよ。そこまで言うならご馳走になろう」
「本当ですか!?やった〜!」
喜びながらパタパタと走っていった。なんとも微笑ましい。あんな妹がいたら楽しいだろうな。僕は姉しかいないから、その辺はよくわからないけど。
「ユウさんユウさん!数学でわからない問題があるんです!」
「…おい亜里沙。まさかそれが目的だったのか」
ギクッ、と擬音が聞こえた気がした。明らかに狼狽している。
「そ、そそそんな事ありませんよぉ?」
「なら目を逸らさないで言わないとな」
まあ、いいのだけど。
手早く姉さんに夕食は要らない旨をメールで伝えた。今日が姉さんの当番の日でよかった。
「どれだい?」
「これなんですけど…」
「ああ、これはな…」
そこから1時間程、僕と亜里沙の声がリビングを支配した。
部屋から出てこなかったので、エリーはまた眠ったのだろう。風邪以上に疲れが溜まっていたのかもしれない。
◇
さて、勉強もひと段落ついた後は夕食の準備である。亜里沙は「ゆっくりテレビでも見ていてください!」と言っていたが、今度は僕が引かずに手伝うことにした。
さすがに野菜を切ろうと包丁を振り上げるのを見たら誰だって止めに入ると思う。
「包丁はこう持って…そうそう。で、左手は猫の真似する時みたいに丸めて添えるんだ。うん、それでいい」
道具の持ち方や食材の切り方を教えながら進めていく。しばらくすると、亜里沙は少し寂しそうな顔で口を開いた。
「お姉ちゃん、いつまで経っても包丁の扱いを教えてくれないんです。私だってもう子供じゃないのに…」
「エリーは過保護だからな。怪我をさせたくないんだと思うよ。…料理は失敗したり怪我したりして覚えるものだけどね」
妹として姉の助けになりたい。その気持ちは弟である僕はよくわかった。
同時に、エリーの幼馴染として彼女がなぜ教えてやらないのかも、なんとなくわかった。
「お姉ちゃんばっかり苦労させたくないんです。私でも教えてもらえれば役に立てますし、少しでもいいから負担を減らしてあげたいんです」
「わかるよ。僕も同じだったから」
「同じ…ですか?」
そういえば、亜里沙に僕の姉のことは話していなかったんだっけ。
エリーが彼女に話していなければ、何も知らない事になるな。
「うん。僕にも姉がいるんだ。色々あって2人暮らしでさ、昔は姉さんが全部やってくれてた。当時は僕も亜里沙と同じように思ってたよ」
「そうだったんですか…下に兄弟がいると思ってました」
「そうか?これでも弟なんだよなぁ」
人によって異なるとは思うけれど、僕は何故か下に兄弟がいそうだと言われる事が多い。
「弟というより兄って感じです」
「そっか」
と、ここでエリーがリビングに姿を見せる。そして僕を見て固まった。
「…お前は次に『なんでいるの』と言う」
「なんでいるの…うん?」
「なんでもない。亜里沙に引き止められたんだよ」
手は休めず、その辺の事を説明。その後手伝おうとした彼女を「病み上がりなんだから大人しくしてろ」とリビングで待たせ、亜里沙と料理を続けた。
その後は順調に進み、あまり時間もかからず完成した。亜里沙は素質があるように思う。吸水性ポリマーばりに吸収が早かったしな。
メニューはカレー。初めて料理をする時の定番中の定番だが、それは料理の基本が詰まっているからだ。さらに失敗もしにくいので、食材を無駄にする事もない。
というわけで。
「「「いただきます」」」」
食事は人数が多い方が楽しい。亜里沙の部活や僕らの学校のこと、μ'sのことも話した。その時のエリーの顔は微妙だったけど。
映像を見せたら、かなり気に入ったようだった。特に、海未がアップになると一層顔が輝いていた。
この間、レトルトカレーを作ろうとして失敗しました。