どっちつかずの彼女(かれ)は行く   作:d.c.2隊長

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大変長らくお待たせしました。今回、作中に残酷な描写が含まれます。鬱です。シリアスです。駆逐艦好き、並びに白露型愛好家の方々には不快感を催すどころか私に殺意を抱く方がいるかもしれません。何卒ご注意、ご容赦をお願いします。


君とずっと一緒にいる

 「夕立……冗談、だよね?」

 

 信じたくない、冗談であってほしい。そう思って呟いた時雨の言葉に、夕立は首を縦に振ることはない。何か言葉を返すこともない。ただ、時雨を見詰めていて……その翠玉のような瞳が本気であると語っている。本気で、自分達が過ごしていた鎮守府に帰らないという賭けをしているのだ。しかも夕立はそちらに……帰らない方に賭けている。自分達の鎮守府……仲間よりも、命の恩人と共に過ごしたいと言っているのだ。

 

 「……んで……なんでだよ! 僕達がどんな気持ちで……夕立が見つからないって知った時、どれだけ悲しかったか! 白露も、村雨も! 五月雨も涼風も! 姉妹艦以外の皆も……提督だって! どれだけ心配して……今まで必死になって探していたと思ってるんだ!!」

 

 動くこともままならないハズの体で自分の肩を掴みながら、まるで血を吐くように叫ぶ時雨の姿を見ても、夕立は“こんなに大きな声で怒鳴る時雨を見るのは初めてだなぁ”と思うだけで、時雨の言葉は心に響いていなかった。いや、全く響かなかったと言えば嘘になるが……やはり、二律背反の感情となってしまう。

 

 こんなにも自分のことを……嬉しい。そんなにも自分のことを……鬱陶しい。しかも今の夕立にとってはかつての仲間よりも二律背反の感情から解放してくれるイブキに心が寄っている為か、負の感情に偏っている。もしも艤装が直っていたら……この場で時雨を撃ってしまうかもしれない程に。

 

 「なんでなんだよ……夕立……なんでそんなこと言うんだよ……」

 

 遂には夕立の胸に額を当て、涙声に変わる。顔が見えなくとも泣いていると分かる程に。嗚呼、心が悲鳴をあげている……仲間を、姉妹を泣かせてしまったと。嗚呼、心が歓喜している……艦娘が悲しんでいる姿が滑稽であると。

 

 「鎮守府よりも……時雨達といるよりも、イブキさんと一緒にいる方が心地良いの」

 

 嗚呼、時雨の心がズタズタに引き裂かれていく音が聞こえるようだと、夕立は思った。

 

 「時雨達といるよりも……イブキさんといる方が私でいられるの」

 

 嗚呼、時雨の心が粉々に砕け散っていく様が見えるようだと、夕立は嘲笑(わら)った。

 

 嗚呼……嗚呼、嗚呼!

 

 

 

 「時雨“なんか”よりも、イブキさん“が”いいの」

 

 

 

 時雨の信じていた日々(もの)が消え失せていくのが分かるようだと、夕立は“紅玉”のような目で見下ろした。

 

 

 

 

 

 

 目の前に、憎き敵がいる。1人余計なモノも混じっているが邪魔さえしなければ眼中にはない……そう思い、存在は唯一自分に残された艤装である専用の“軍刀”を左手で握り締め、足首辺りまで沈んでいる足を動かす。燃料など、既に残ってはいない。故に出来るのは、摺り足をするように足を引きずることだけ。当然、その速度はお世辞にも速いとは言えない。見た目も一目で大破状態だと分かる程にボロボロで、半死半生と言える……だが、その金色の右目は爛々と輝いていた。

 

 そんな突如現れた存在……艦娘の姿をイブキ越しに視界に捉えたレ級は、背筋に冷たいモノが走った。先ほど恐怖の感情を知った彼女は、今の感覚もまた恐怖であると悟る。だが、相手は艦娘……今まで玩具程度にしか感じなかった相手だ。故にレ級は、その感覚を勘違いだと判断した。

 

 「どうした? レ級……ん? あれは……」

 

 不意に、レ級の反応に疑問を持ったのかイブキがレ級から少し離れ、後方に視線をやる。そこにあったのは、さっきも言った軍刀を手にしたボロボロの艦娘が1隻。その状態を改めて詳しく言うなら……右腕は肩から先がなく、服は右半分が血塗れ。足首辺りまで海の中に沈んでいて、その動きは遅い。艤装は軍刀以外には見当たらず、その軍刀も刃こぼれが酷い。にもかかわらず、その右目に宿る金色の光は爛々と輝いていて生命力に溢れており……同時に、憎悪に染まりきっていた。

 

 「間違いねぇ……間違えねぇ……間違いだったとしても関係ねぇ……やっと、やっと見つけたぞ……レ級」

 

 ゆっくりと近付きながら呪詛のように呟かれた言葉を聞いたレ級の背に再び恐怖による寒気が走る。今度こそレ級はその得体の知れない、艦娘に対して恐怖を抱くという未知の感覚に顔を歪めてイブキの後ろに隠れた。その姿を見た艦娘の顔がキョトンとしたものに変わり……次の瞬間には般若の如き怒りの形相へと変わる。

 

 「なんだ、怖いのか? フフッ……オレ達の艦隊を壊滅させたレ級がオレを怖がる……? 最高だなぁオイ……ふざけるな……ふざけるなよ!! チビ達はもっと怖かったんだ!! お前に出会っちまって、逃げることも出来なくて、生きたままテメェに喰い殺された……若葉と五月雨はなぁ!!」

 

 五月雨、若葉。その名を聞かされても、レ級には何一つ“覚えがない”。そもそも艦娘の名前など彼女は知らないし、いちいち覚えていないのだから。だが、それが許されるのかどうかと言われれば……許されるハズがない。恐怖に顔を歪ませつつ、出した名前に困惑している様子を見せるレ級の姿は、艦娘の怒りという炎にガソリンをぶち込む行為に等しい。艦娘は歯が欠ける程に強く噛み締め、膨れ上がり続ける怒り、憎しみ、殺意を隠すことなく表情に表す。あまりに強く握りすぎてカタカタと鳴る軍刀を持つ手から出血をしている。

 

 「ああ、てめぇは覚えてねぇだろうさ……覚えてねぇだろうがなぁ! 俺は忘れねえ……てめぇがしたことを!! あの時の絶望を!! 怒りを!!」

 

 艦娘は思い出す。珍しく大成功と呼べる成果を得た遠征の帰り道に出逢ってしまったレ級という名の悪魔の姿を。咄嗟に遠征で得た物資を投げつけて仲間達だけでも逃がそうとしたが……自分は仲間達の背を見た直後に右腕を肩から喰い千切られ、その痛みに意識が遠のいていく中で見ていた。腰から上……上半身を喰われ、噴水のように血を噴き出しながら沈んでいく若葉の姿を。首から上を噛み砕かれ、腹を、内臓(なかみ)を咀嚼されながらビクビクと死体を痙攣させていた五月雨の無惨な姿を。それを嘲笑いながら見下ろすレ級の姿を。姉妹艦である龍田はどうなったのか、睦月は、雷は無事なのか。艦娘……“天龍”には分からない。いや、もはや知ったところで意味はない。この身は既に死に体で、自分の感覚では数日と保たずに沈み逝く運命であると悟っているからだ。

 

 だが、沈むその前に成し遂げなければならないことが1つだけある。

 

 「てめぇが俺達を襲ったレ級かそうでないかはどうだっていい!! レ級は……てめぇだけは俺がこの手で殺す!!」

 

 龍が吼える。その歩みが遅くとも、怨敵の命を刈り取る為に確実に近付いていく。目の錯覚か、その身体からは黒い靄(もや)のようなモノが揺らめき、天に向かって立ち上っているかのように見える。そんな天龍の姿を、レ級は動くことも出来ずに見ていた。怒り狂った艦娘を見たことはあった。怒声を上げる艦娘も見たことがあった。だが……天龍のような怒りと憎しみと殺意の塊のような存在を見たことなどなかった。見ているだけで身体が震えるような存在など……見たことなど、なかった。

 

 艦娘と深海棲艦がやっているのは殺し殺されの戦争……戦いの果てに倒れることを覚悟している。出会い、戦い、敗れたのなら、天龍もこうはならなかっただろう。だが……レ級は仲間の死後を弄んだ。それが天龍には赦せない。

 

 「死ね……死んで、地獄の底で今までてめぇがやってきたことを全部受けろ……っ!!」

 

 軍刀が届く距離に辿り着いた天龍が、その左腕を振り上げる。もっとも……それを振り下ろしたところで、レ級にはダメージを与えることなど出来はしない。むしろ軍刀の方が砕け散り、そのまま天龍が力尽きるだろう……だが、その怨みを刻みつけ、今のレ級の心を切り裂くことは出来るかもしれない。弱々しい、見た目相応の怯えた子供のようにしか見えないレ級になら。

 

 だが……振り上げた手が止まる。レ級と自分との間に邪魔者が割り込んだことによって。

 

 「……関係ない奴はどけよ」

 

 「……それは、出来ん」

 

 割り込んだ邪魔者は、天龍の見たことのない存在だった。視界の隅にその存在を認識こそしていたがレ級しか見えていなかった天龍にとって、その存在のことなど意識の外だったからだ。

 

 天龍から見たその存在は、憎き深海棲艦のような青白い肌をしつつも、その服装や鈍色の瞳、銀とも白とも言える長髪など記憶の中にいる仲間達と似通った部分もあり、かつその気配は艦娘とも深海棲艦とも取れる不可思議な奴だった。だが、その存在は自分とレ級の間に……まるでレ級を守るかのように割り込んだ。それだけで、敵と断定するには充分。

 

 「どけ……てめぇも殺すぞ」

 

 「……」

 

 「どけっつってんだろ!! 五月雨の……若葉の、雷の! 睦月の!! 龍田の敵なんだっ!!」

 

 「……」

 

 「――っ!」

 

 何も答えない存在に業を煮やした天龍が、振り上げていた軍刀を存在目掛けて躊躇なく振り下ろす。その後ろにいるレ級ごと斬り捨てるつもりで振るわれたその一撃は……存在の右肩に浅く食い込んだところで刀身が折れるという結果に終わった。

 

 「ぐ……っ」

 

 「イブキッ!?」

 

 「てめぇ……なんで避けなかった」

 

 「……俺が避ければ、レ級に当たっていただろう。俺は彼女と家族になると言った……家族は守る」

 

 避けることも防ぐこともせずに軍刀を受けた、レ級からイブキと呼ばれた存在を訝しげに見る天龍だったが、彼女の口から出た言葉にポカンとした表情を浮かべ……再び憤怒の形相に変わる。

 

 「家族になる? 家族は守る? ふざけるな!! そいつが守る対象になんかなってたまるか!! 家族だったら何をしてもいいって言うのか!! 何をしてきたとしてもいいって言うのか!!」

 

 「それは……」

 

 「俺はそいつに仲間を無惨に殺された……そんな奴の前で、よくそんなふざけたことを抜かせるな!! ぐっ……」

 

 不意に、怒りを惜しげもなくさらけ出していた天龍の身体が倒れそうになる。反射的に支えようとするイブキの手を振り解くことも出来ず、嫌そうに顔を歪める天龍……隊が崩壊してから今日に至るまで補給はおろか手当てすらままならない状況でここまで生き延びることが出来たのは、ひとえに仲間の敵を取るという執念故のものだ。だが、それもここまで……今の一撃で辛うじて動いていた艤装が完全に止まり、少しずつ足が沈んでいっている。

 

 (クソが……ここまでかよ……まだあいつらの敵を取ってねぇってのに……こんな奴のせいで……)

 

 「イブキ……肩ガ……」

 

 「ああ……大丈夫だ。それよりも彼女を……」

 

 (こんな……レ級を家族だとかほざいた奴のせいで!!)

 

 悔しさのあまりに涙が零れそうになる天龍。仲間達が沈んでいったというのに、その原因はのうのうと生きていて、更には家族になると言った存在に出会った……そんなことを、赦せるハズがない。更には献身的な態度まで見せた……なぜその優しさを持ちながら仲間を惨殺したのだと殺意が膨れ上がる。しかし、それに反して身体の力は抜けていく……いっそ自爆でも出来たらいいのだが、燃料も弾薬もない。このまま無念の果てに朽ちるしかないのか……そう嘆いた時、天龍の右目にイブキの左腰にある軍刀が目に入った。

 

 (ああ……レ級を殺せないってんなら……せめて……)

 

 「ぐっ!?」

 

 折れた軍刀を手放して空いた天龍の左手が、イブキの左腰の軍刀の柄を逆手に握り、イブキの顎に頭突きをすると同時に引き抜く。そしてそのまま左手を真っ直ぐ横に伸ばし、横一閃の構えを取った。レ級は殺せない……ならばせめて、同じように大事なモノを奪う。

 

 「せめて、てめぇだけでも!!」

 

 文字通り、己の全てを捧げて振るう渾身の一撃。残った力も命も何もかもを込めて振るわれたそれは、体勢を崩していたイブキの身体を両断する……かも知れないモノだった。

 

 

 

 「イブキ……ッ!!」

 

 

 

 イブキの身体が、レ級によって天龍の斬撃の範囲から押し出される。変わりに……その一撃は、レ級の首を中ほどまで裂いたところで止まった。

 

 (……ははっ……やった……最後の最期で……)

 

 軍刀を通じて自分の手を汚す怨敵の血も、そのの口から吐き出される血が顔を汚すことも気にならない。それ程に、今の天龍は達成感を感じていた。何せ相手は戦艦レ級……奇跡でも起きない限り、大破した軽巡洋艦である自分では傷1つ負わせることすら出来ない最悪の深海棲艦。どれだけ殺意や怨みを抱いても、どれだけ殺すと決意しても、冷静な部分が不可能だと断じていた。

 

 (若葉……五月雨……かた、き……は……)

 

 軍刀から手が離れ、天龍の身体は暗い海の底に沈んでいく。閉じられた瞼の裏には、鎮守府でな楽しく、騒がしい日常が流れては消えていっている。身体が完全に海の中へと消えた後、不意に天龍の両手を誰かが掴んだ気がした。目を開いて確認してみると……夢か幻か、若葉に五月雨の姿。

 

 『天龍……』

 

 『天龍さん!』

 

 驚愕に目を見開く天龍を見てニヒルに笑う若葉と、涙目になって天龍に抱き付く五月雨。何が起きたか分からない天龍だったが、例え幻でも2人に再会出来たことを喜ぶ。独り孤独に沈むよりも……断然3人の方がいいから。

 

 (若葉……相変わらず見た目に似合わない笑い方してんなぁ。五月雨は……ふふっ……なんだ、暗い海の底が怖いのか……? 怖くねぇよ……俺が一緒にいるから……)

 

 若葉が天龍の手を握り、対抗するように五月雨も天龍の若葉が握った手とは反対の腕に抱き付く。ぶっきらぼうで、口が悪くて、でも面倒見がよくて……そんな天龍は駆逐艦達によく懐かれる。こうして両手を小さな手で塞がれ、仕方ないと笑いながら握り返す。不思議と、海の中にも関わらず……その両手は幻に握られているにも関わらず……確かに温かった。復讐に身を堕とした天龍が穏やかな笑みを浮かべる程に……暖かった。

 

 

 

 

 

 

 「レ……級……」

 

 喉を半ばまで切り裂かれ、その凶器が未だ残っている……そんな目を覆いたくなるような姿のレ級を見て唖然とするイブキ。思わずキヒッと笑い声が出てしまう……ことはなく、変わりに出たのは血とゴボッという水中で息を吐いた時のような音。このような状態……本人からしてみれば痛いどころではない。苦しいどころではない。人間ならば即死、艦娘や深海棲艦でも確実に致命傷……だが、人外故の生命力が死へ向かう時を先延ばししてしまっていた。

 

 (イブキ……)

 

 自分の姿を見てイブキが震えている。そんな姿を、レ級は可愛らしく思った。無論、可愛いなどという感情など知るハズなどないが……彼女の感じた何かを言葉にするなら、それが正しいだろう。

 

 (イブキ……ゴメンナサイ)

 

 自然と、レ級の脳裏にその言葉が浮かんできた。イブキは一緒に艦娘達に謝りに行こうと言っていたが……行けそうにない。せっかく家族になろうと言ってくれたのに……なれそうにない。そんな様々なことに対する、謝罪の言葉が。

 

 次の瞬間、レ級は世界が横向きになったように感じた。が、すぐに自分が横向きに倒れたのだと悟る。意識は辛うじてあるものの、最早立っていることすら出来ないらしい。それを見たイブキはハッとしたように一瞬体を震わせ、すぐにレ級の側へとしゃがみ込んだ。

 

 「あ、これ……どうすれば……っ!」

 

 今までのキリッとした雰囲気や格好良さが嘘のように慌てるイブキ。喉を裂いたままの軍刀をどう処理していいのかも分からないらしく、手を近付けたり引いたりするだけで何も出来ていない。そうしている内にレ級の目は虚ろになっていき、身体も少しずつ沈んでいっている。

 

 (イ……ブキ……)

 

 「レ級! すまない! すまない! 俺は、俺には、どうすることも……っ!」

 

 今にも泣きそうな顔をしているイブキの手を、レ級が力無く握る。それだけで、今度は誇らしいと思った。敵味方問わずに喰い、殺し、弄んできた自分が……必要なかったかもしれないが、守った“温もり(モノ)”が確かにある。だが、最期に見る守ったモノの顔が泣き顔というのは……なんだか嫌だなぁと思った。せっかくだから、笑った顔が見たい。自分に笑いかけて欲しい。作り笑いでも、苦笑いでも、何でもいい。一目見たときから“好き”だった、イブキの笑った顔だから。

 

 

 

 ― ……キヒヒッ♪ ―

 

 

 

 レ級が伸ばした手がイブキの口元を釣り上げ、歪な笑みを無理やり作り出す。ビックリしているのか目を見開いているのに口許は笑っている……変な顔だ、これは忘れられそうにないくらい……変な笑顔だ。思わずやったレ級自身が笑ってしまう程に……その笑い声を出すことは、出来なかったけれど。

 

 硬直したイブキの手をすり抜け、レ級の身体がとうとう水中へと沈みきる。横向きだった身体が仰向けになり……その際に、自分の首にまだイブキの軍刀があることに気がついた。だが、気がついたところでもうどうしようもない。目は殆ど見えず、身体は動かない。耳も聞こえていない。軍刀を返すことなど出来はしない。最後の最期で無念の気持ちが宿る。だが、そんな時に聞こえないハズの音が……声が聞こえた。

 

 「このまま、私が一緒にいてあげるですー。生まれ変わったら一緒に、イブキさんに会いに行きましょー」

 

 暗い海の中に不釣り合いな明るい声……その声を最後に、レ級はその艦生を終えた。

 

 

 

 

 

 

 「あっ、帰ってきたっぽい!」

 

 「……レ級かも知れないよ」

 

 「レ級はこの屋敷のことなんて知らないよ~」

 

 あれから数時間、屋敷に帰っていた夕立は意気消沈していた時雨を自分の部屋にあるベッドで横にさせながらイブキの帰りを待っていた。日は既に暮れ始め、今は夕方。少し遅いんじゃないかと心配していたところに聞き慣れた玄関の扉を開く音が聞こえ、夕立は時雨を置いて玄関へと向かう。その姿はさしずめ、大好きな主人が帰ってきた時の子犬だろうか。

 

 二階の階段を下りる途中、イブキの姿が夕立の目に入る。その瞬間、夕立は全身の血が凍り付いたように錯覚した。顔と身体に大量に付いている血、右肩にある切り傷……鎮守府の仲間達が怪我をした時でさえロクに感じなかった焦燥感が、夕方を襲った。

 

 「い、イブキさん!? 大丈夫!?」

 

 慌てて階段を何段かすっ飛ばしながら下りる夕立。途中で転げ落ちそうになるがなんとか踏みとどまり、すぐにイブキの元へと急ぐ。そして目の前まで来た時、ようやくイブキの様子がおかしいことに気付いた。顔色は肌の色よりも更に青白く、死人のようにすら見える。目の焦点もあっておらず、こんな状態で屋敷に戻ってこれた事実が信じ難いほどに。

 

 「イブキ……さん?」

 

 「……夕立……?」

 

 まるで、今自分のことに気付いたかのような反応。いや、事実今気付いたのだと夕立は考えた。何かがあったのだ。夕立が時雨を連れてあの場から離れた後に……今まで見てきたイブキの姿からかけ離れた、今のような状態に陥る……何かが。

 

 大丈夫? など分かり切っている問い掛けは夕立はしない。誰がどう見ても、大丈夫などとは口が裂けても言えない。イブキの怪我は、夕立が確認する限りは右肩の傷のみ……それにしては、身体についている血の量が多すぎる。

 

 「イブキさん……何があったの?」

 

 「……レ級が死んだ」

 

 

 

 ― 俺を守って……死んだ ―

 

 

 

 ただそれだけを呟いたきり、イブキは何も喋らなくなった。そもそも、何がどうなって敵であるハズのレ級がイブキを守って死ぬ、なんて状況になったのかも夕立には分からない。まだイブキがレ級を沈めたと言う方が納得出来るし、そうなるのが普通だろう。だが、イブキの様子から嘘をついているようには見えない。ならば、それは実際に起きたことで……そのレ級の死が、イブキをこんな状態にしたのだろうと、夕立は考えた。

 

 (……いいなぁ)

 

 夕立に芽生えたのは、嫉妬。イブキの名を呼びながら自分を襲ったレ級。そのレ級は死に、イブキは苦しんでいる……少なくとも、死を切欠に憔悴する程には想われていたのだ。深海棲艦の記憶を持つ夕立に、敵だ味方だという意識は薄い。故に、それは純粋な嫉妬……そして、自分のことはどう思われているのかという不安。

 

 「……ねぇイブキさん」

 

 その不安を取り除きたい。自分も想われたい。たった1週間共にいた夕立は、イブキさえ居れば後はどうでもいいと断じられる幸せを味わった。だからこそ、イブキにも幸せであって欲しいと願う。故に……まずは話を聞かねばならない。何があったのか、自分では助けになれないのか。自分は助けられた、幸せを与えられた。ならば……。

 

 「何があったのか話して? イブキさんがなんでそんなに苦しんでるのか、私には分からないから。だから……全部聞かせて?」

 

 今度は、自分が助けたい。与えたい。それが命と二律背反の感情から救ってくれた恩人への……大好きな相手への恩返しになると信じているから。

 

 

 

 

 

 

 今、俺は屋敷にある俺の部屋にいる。夕立と一緒にベッドに腰掛け、彼女に何があったのかを話す為に……正直に言えば、俺はどうやって屋敷に帰ってきたのか覚えていなかった。覚えているのは、生暖かい血の臭いと……最期にレ級の見せた笑顔だけ。俺の顔に手を伸ばして、触れて、笑った……その笑顔だけ。だが、それだけではいけないだろう。何の説明にもなっていないのだから。

 

 「ゆっくりでいいからね」

 

 丸めている俺の背中を撫でながら、夕立が耳元で囁く。その手つきは優しく、じんわりと温かさも感じる。少し……ほんの少しだけ落ち着いた俺は、ようやく口を開くことが出来た。それは先の出来事だけでなく、1週間ほど前の始まりの日のことも話していた。

 

 「たった1週間ほど前に……俺は突然生まれた。記憶もなく、なぜ生まれたのかも分からず……そして目の前には、あのレ級がいた」

 

 ちゃんと説明出来ているかは分からない。相変わらずの謎変換が出ているかもしれないからだ……それすら自覚出来ない程に、俺は記憶を振り返りながら話すことに集中していた。雷のことも話したし、雷の艦隊が……恐らくはレ級の手によって壊滅したことも。レ級を撃退し、名を覚えられたことも。あのレ級が俺の名を呼んでいた以上、今更だが最初にあったレ級であることは確定している。

 

 「夕立達を逃がした後、レ級は鎮圧出来た。そして……これは夕立がどう思うか分からないが、俺はレ級に家族になろうと提案したんだ」

 

 「家族に……? レ級は受けたの?」

 

 「ああ……2人に一緒に謝りに行こうとも言っていた。無論、許されないことも承知の上で、だ。そしてその後に……彼女が現れた」

 

 天龍……雷が、長門が言っていた……壊滅した艦隊の内の1人。片腕を無くし、補給も修復もままならないのに……その復讐心だけでさっきまで生きていて、敵をとって沈んでいった艦娘。レ級がしたことと天龍の憎しみに……俺の考えは甘いモノだと教えられた。心の底から震え上がる程の怒り、憎しみ、怨み……絶望。そして思い出した、雷の絶望、悲しみ、嘆き。

 

 

 

 『ああ、お前は覚えてねぇだろうさ……覚えてねぇだろうがなぁ! 俺は忘れねえ……てめぇがしたことを!! あの時の絶望を!! 怒りを!!』

 

 『あ……ああ……うぅ……うああああ!! 天龍さん!! 龍田さん!! 睦月!! 五月雨!! 若葉ぁ!! うええええん!!』

 

 

 

 被害者と加害者……俺はあのレ級がしたことを知っていたハズだった。分かっていたハズだった。なのに……俺はレ級を守った。家族になろうと言ったことを天龍に喋った。きっとこの時も、俺は楽観的に考えていたんだろう……いくら許してもらえないことだと頭で考えていても、心のどこかでもしかしたら……そういう甘い、考えがあったんだろう。結局、俺は自分本意で周りのことなんて何も考えていなかったんだ。

 

 

 

 『家族になる? 家族は守る? ふざけるな!! そいつが守る対象になんかなってたまるか!! 家族だったら何をしてもいいって言うのか!! 何をしてきたとしてもいいって言うのか!!』

 

 

 

 だからこそ、俺は天龍の言葉に答えることが出来なかった。返す言葉なんて持っていなかったからだ。“俺の周りだけでいいから戦いのいらない場所を作る”……ほんの少し前に出来た、俺の目標。レ級と夕立と俺が一緒に暮らせば争いのない空間になる? 艦娘と深海棲艦が共存出来るような空間が作れる? 平穏な日々が訪れる? ……出来る訳がない。目標は、夢は、そのままで終わった。この世界の現実を、艦娘と深海棲艦は相容れないという現実を……この世界の住人から刻み込まれた。果てには隙を突かれていーちゃん軍刀を奪われ、斬られようとしたところで……レ級に庇われ、2人は死んだ。俺はレ級と夕立と3人で暮らすという未来も奪われた。

 

 「はっきりと思い出せる。止めどなく首から、口から血を流すレ級の姿を。どうすることも出来ずに沈んでいく彼女の姿を」

 

 常に冷静な思考が出来ていたハズなのに、それが初めからなかったかのように慌てて、何も出来なかった。軍刀を抜けば良かったのだろうか。いっそのこと楽にしてやれば良かったのだろうか。俺が出来たのは……結局、彼女の側に座り込んで喚くことだけだった。だが……レ級は俺の手を握って、俺の頬に手を伸ばして……何がおかしかったのか、笑った。面白いモノを見たかのような、そんな笑顔だった。なぜ最期にそんな笑顔を見せたのかは、俺にはわからない。

 

 これで、話すことは全て話した。俺はどうすればいいのだろうか? 出来た目標はすぐにこの世界の現実、常識によって不可能なものだと思い知らされた。ならば、艦娘と深海棲艦のどちらかに組すればいいのか? それもいいだろう……だが、俺はどちらにもいい奴がいることを知っている。どちらかに組すれば、どちらかと敵対することになる。いや、そもそも俺という存在が受け入れられるかも分からない。いっそのこと、レ級の敵を取る為に復讐するなんてことが出来たら楽なんだろうが……その相手である天龍はもう沈んでしまっている。ならば、他の天龍を憎しみの対象にすればいいのか? しかし、俺は無関係の誰かを憎めるような心の持ち主ではなかった。結局、俺は何も出来ず、何も決められないのだ。

 

 「失望してくれていい……夕立も、こんな俺と一緒にいるよりも時雨と一緒に帰った方が」

 

 俺の言葉はそこで止まる。その理由は……隣に座っていた夕立が、俺に抱きついてきたからだ。

 

 

 

 「私には、深海棲艦だった時の記憶があるの」

 

 

 

 唐突に夕立は、元居た鎮守府では誰にも話さなかったという自分の悩みを話してくれた。

 

 深海棲艦だった時の記憶。それがあることによって感じる二律背反の感情。喜びと憂い、慈しみと憎しみ、友好的と敵対的……仲間にも敵にも同じように浮かぶその感情は、夕立を苦しめていく。そして、誤って味方を撃ってしまい……敵前逃亡。その果てに、俺と出会った。

 

 「ずっと苦しかった。新しい艦が来る度に仲間が増えるって喜んで……心の中でまた増えたって落ち込んだ。出撃から帰ってきた皆が無事だったことにホッとして……沈めば良かったのにって舌打ちした。そんな自分が嫌で嫌で仕方なかった……でもね、イブキさんは……イブキさんだけは違ったの」

 

 「俺……だけ?」

 

 「イブキさんと一緒に水浴びすると気持ちよかった。イブキさんと一緒に掃除すると、ちょっと疲れたけど楽しかった。一緒に食べるご飯は美味しくて、一緒に寝るとぐっすり眠れて、いい夢だって見られた。手を握ると心がぽかぽかして、イブキさんに名前を呼ばれると嬉しくて、こうやってギュッとしてると安心出来て……あったかい気持ちでいっぱいになるの。いっぱいいっぱい満たされるの」

 

 夕立が俺の胸に顔をうずめてこすりつける。血の臭いに夕立から香る甘い匂いが混ざり合うが、少しずつ夕立の匂いしか感じなくなっていく。まるで、夕立が俺を包んでいるかのような……そんな気がして。気がつくと俺は、夕立の華奢な体を抱き締め返していた。

 

 「……♪」

 

 嬉しそうな夕立の顔が下に見える。その顔が、夕立の言葉が嘘ではなく本心からのモノだと思わせてくれる。だが、それを話して俺に何を伝えたいのか……分からない。

 

 「……私が何を言いたいのか分からないっぽい?」

 

 「……すまない」

 

 「ううん、大丈夫。それに難しいことじゃないっぽい」

 

 「……?」

 

 

 

 「私は、イブキさんとずっと一緒にいたいの。周りなんか気にせずに、この島で、この屋敷でずっと。一緒に暮らす仲間が増えるのだって、イブキさんがいればきっと大丈夫だから。鎮守府に帰れなくたって、イブキさんと一緒なら大丈夫だから……だから……私と家族になろう? ずっと一緒にいよう? 私がイブキさんを守るから、イブキさんが私を守って? それが、家族になることだって思うから」

 

 

 

 「……ああ」

 

 より強く、夕立の身体を抱き締める。その温もりを確かめる為に。その存在を離さない為に。

 

 「イブキさん……ちょっと痛いっぽい」

 

 「すまない……でも、今だけは……」

 

 「今だけじゃなくって、ずっとギュってしててもいいっぽい」

 

 嬉しいのだろう。夕立は、俺の目標を認めてくれたのだから。俺がレ級にしてあげようとしたことを、夕立は俺にしてくれたのだ。この世界で誰とも知らぬモノに身体を与えられ、力を与えられ、他に何1つ持たなかった俺。だが、俺が選んだモノが、得たモノが……俺という存在を求めてくれた人が、確かに存在した。存在……してくれた。

 

 「俺は夕立を守る……この世界で、君とずっと一緒にいる」

 

 誓う。元一般人だからとか、戦いを知らないとか、心が弱いとかは関係ない。せめて、この誓いだけは破らない。守れなかったレ級の分まで、彼女と過ごせなかった時間以上に……夕立を守り、一緒にいる。その為に心も、身体ももっと強くなってみせる。再びいーちゃんと再会した時の為にも、またレ級と同じことを繰り返さない為にも。あの人間好きの、やりがいのある人生だったと言って生き抜いて死んだ大総統のように。

 

 「俺と……家族になろう」

 

 「うん……♪」

 

 俺はこの島で、この屋敷で、この世界で……“イブキ(おれ)”として生きていく。




という訳で、天龍の復讐とレ級沈没、夕立大勝利のお話でした。前回の後書きでレ級身内化と言ったな……あのまま過ごせるとは言ってません。正直五月雨はやりすぎたと思いますが、天龍に怒りを抱かせる為に……ごめん五月雨。イメージは旧劇EVAにて量産型に食い散らかされた弐号機の惨状。



今回のおさらい

いーちゃん、レ級と共に水底へ。バカな、この私が沈むだと。イブキに最初に傷を付けたのは天龍。夕立大勝利。時雨は不憫可愛い。

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