さて、あれから20分程歩き続けている訳だが、全くと言って良い位車道とか人の気配のする場所に近づいている感覚が無い。ケータイの画面で時間を確認すると、20分じゃなくて30分経っていた。
本当に、今日は運が悪い、いや運悪いどころじゃないぞ。
そう愚痴りながら当てもなく歩き続ける。
ケータイの充電が50%を切った。いつ充電出来るか分からないから省電力モードにしておく。さっき時間を確認してからまた30分歩いていたらしく、そろそろ足が限界だ。
ちょっとは看板だとか、小屋の一軒くらいあっても良いだろうに、それらを見つける事が出来ないでいた。
月は満月。月は人を狂わすと言うらしいが、的を獲ている。夜の森で一人で居る恐怖、寂しさ、切なさで今にもおかしくなりそうだ。
それに、ついさっきから何かがこちらを見ているような気がする。
どう言い表せば良いか。じーっと見られている感じではない、ねっとりとした視線を感じる。此方をじっくり観察してまるで捕らえた獲物をなぶるような、そんな視線を。
もうダメだ。森の中、でこぼこな悪路を歩き続けた事もあって、もう足が棒になってしまった。いい加減に休みたくなり、近くにあった苔の蒸してない倒木へ座り込む。一息ついた時、緊張の糸がほぐれたのか、ようやく自分が空腹だという事に気付く。喉もカラカラに渇いている、水が欲しい。夏という気候特有の蒸し暑く、乾燥しながらも汗をかく悪循環コンボ、そして2時間ぶっ通しで歩き続けた昭人の体は極度に疲労していた。無理も無い。いつもならこの時間には既にベッドに入り、羊を数えている頃だ。慣れない事をしたこともあってか、今ならどこでも寝られるような気がした。
しかし、今この状況でおちおち眠れる筈がない。気のせいと思いたいが先程の視線のこともあるし、せめて少しでも仮眠を採れる場所が欲しかった。そして思い至る。
『木の上に寝れば良いじゃないか』。と言うかそれが一番安全に寝れる可能性がありそうだと思った。
だが直ぐにその案の欠陥に気付く。自分は産まれてから木登りなどしたことがあっただろうか?そもそも登れたとしても、寝てる途中あんなに高いところから落ちたなら無事では済まされない。
とは言うものの、それ以外にどんな方法があるというのか。
まぁ、やってみるしかない。人並みの筋力を持つ(であろう)自分ならいけるだろ、と自らに言い聞かせ、腕と脚に力を込めて登っていった。
その結果、
「なんとか登りきったな...」
まぁ、なんとかとは言うものの、そこまで苦ではなかった。人生初の木登りは、良い意味で結果を裏切ってくれた。丁度良い具合に、枝が椅子の様になって尻を乗せられる箇所、背もたれのようになっている箇所を見つけ、そこに座る。本当に疲れていたから、直ぐにうとうととしてきた。
明日朝になってからまた人を探そう。明るい方が進みやすいし、なにより、早く寝てこの空腹や喉の渇きを紛らわしたい。
そう考えながら、着ていた上着の部分を毛布代わりに夢の世界へと旅立っていった。
さて、自分は一応キャンプを何回かしたことがあるが、その時に感じるのが「眠りにくさ」だ。キャンプの睡眠時、不意に寒かったりして起きたりするのを体験したことがある。夜露などのせいで寝袋をしていても寒いこともあったりする。寝袋があれば多少の寒さは凌げるのだが、勿論昭人は寝袋など持っている筈がないから、
「お~さぶ。今何時だ...」
起きてしまうのは必然だったのかもしれない。ケータイを見ると2時近く、中途半端な時間に起こされてしまった。この寒さでは再び眠る事など出来ない。
肌は自分の体とは思えないほど冷えきっていた。無意識に歯がガチガチと鳴って、思わず体を震わせる。鳥肌も収まる気配が全く無い。その寒さでもう意識は覚醒していた。まだ明るくなるのに数時間はある。なんとか眠ろうと努力した。
午前2時、昔の時間で言う『丑三つ時』の時間帯だ。魑魅魍魎の跋扈する時間、闇なる物が動く時。‘’さっきの視線‘’が今こちらに向けられている。漆黒の闇から此方を覗く、欲望に満ちた視線が品定めでもするかの様に。
がざがさと、近くの草むらが音をたてた。風で揺れたりしたのなら気にする事では無く、このまま二度寝に挑戦しようとしていた。しかしその音の主は確かに、こちらに近づいてきていた。
「...ん?」
ようやく当人が周辺の異変に気づいたが、遅すぎる。
誰かに見られている。そう思ったのは今日で3回目だった。さっきまでは何とか周りを確認出来たが、今ではもう何も見えなくなってしまった。この場所に来る前に見たマンホールの様な、深い闇に辺りは包まれていた。
今何が起こっている?先程はうるさい程に鳴いていた虫達の鳴き声もウンともスンとも言わなくなって、今はもう何も聞こえない。草や木が風に揺られる事も無く、静寂が支配する異様な空間。こんな状況にも関わらず、あの視線だけは、今も感じる。元より冷静では無かった頭の中が、さらにグチャグチャに掻き回される。
しかしこれだけは理解した。第六感と言うべきものが理解した。いや、しなければならなかった。
今直ぐに、ここから離れなくては。
そう思い立ってからの行動は速かった。
暗闇の中迅速にポケットの中を探り、ペンライトを手に取ると、先程は危険だと思っていた高さなど関係なく飛び降り、手に持ったペンライトで目の前の地面を照らし、一目散に駆け出した。自然の雄大さを感じさせる苔の蒸した土をなんの躊躇も無く踏み締め、今までで飽きる程見てきた空にまで届きそうな巨木に、幹の半ばで折れてしまったであろう倒木、それらを全て体を逸らし、屈み、乗り越え、風の如く森の中を走り抜けた。
暫く走ると闇の気配は消え去り、自分を月の光が照らしていた。少し余裕が出来て、さっき走ってきた道を振り返る。
そして、見た。見てしまった。そして視線の正体を悟った。
『球』。
視線の正体であろうその物体のことは、そう言い表すのが手っ取り早い。
しかしそれは只の球ではない。それが只の球ならどれだけ良かった事か。直径2mはあり、闇を体現しているかの様に真っ黒だった。正にブラックホール。それが見定めるかのようにじっとこちらを見ている。(勿論、目のような物は認識できない)こんな異様な体験は生まれて初めてだ。それがゆっくり、じりじりとこちらに近付いてきている。思わず身構える。直ぐにでも逃げる事の出来る体勢をとる。いつ襲ってきても良いようにこちらもじっと『球』を見返す。何故直ぐ逃げようとせず正面で向き合うのか。答えは簡単、目の前の『球』に背を向けたくなかったのだ。もし、そうでもした時には、『球』から目を離した隙に後ろから命を刈り取られてもおかしくはないと考えていた。二人(?)の間に、ピリピリとした空気が流れる。
先に変化があったのは『球』の方だった。いきなり『球』を型どった闇が小さくなったかと思うと、それが人型を形成していく。その変化に気付けたのは瞬きも許さず、じっと奴の事を見つめていたからだと思う。それ程に自然な変化だった。今の変化を機に確実に空気が替わった。さっきまでのピリピリした、互いに牽制し合っていた空気が、『闇』の方に飲み込まれてしまった。闇の放つ覇気に襲われ、気圧されてしまった。
そして変化が終わった時、闇は『少女』になっていた。
「目が点になる」とはこの事を言うのだろう。
闇の球が形作ったのは、年若い少女だった。(それもその中でも更にも幼い分類に入る)
幽霊が出るか、鬼が出るかと気が気で無かった所、呆気にとられてしまった。黄色の髪に、カラコンでも入っているのか紅い瞳。白と黒のワンピース、いやちゃんと上下に別れてる。白と黒の長袖に、赤いネクタイ、もしくはスカーフ、黒いロングスカート。そして、左の側頭部にある赤いリボンが眼を引いた。
ハーフっぽい顔だちでとても可愛らしいが、素直にそうは思えなかった。少女からは人には出せない、人の域を越えた‘‘妖しさ’’とでも言うべき何かが醸し出されていた。それが今感じていた恐怖に拍車を架ける。
「.....」
「.....」
二人の間に流れる沈黙。人三人分くらいの距離で見つめ合い、双方とも動かない。片方は‘‘動けない’’と言った方が正しいが、またしても両者間の膠着を破ったのは少女だった。
「あんたは、取って食べれる人類?」
こちらに近づきながら、そう彼女は俺に聞く。
彼女は人食いだったりするのだろうが、取って食べられる人間など居るものか。実際居たとしても自分は違う。僕の肉は不味いからおすすめいたしません。
「あんたは食べれる人類なの」
食べられるって言ったらどうするのだろう。当然ホントに食べられるだろう。食べられないと言えば見逃してくれるのだろうか。まさか、そうはしてくれないだろう。
「ねぇってばさ」
少女の怒気の籠った一声で、再び場の空気が凍り付く。彼女の言葉に反応しなかったからか、睨まれている。この目を見た瞬間、思わず足がすくんでしまった。その小さな体でどうやってここまで恐怖させ、威圧する事が出来るのだろう。
「なにもいわないのか、じゃあ遠慮なく」
ーいっただっきま~すー
「うぐっ!?」
は、速い。
危機一髪。紙一重の差でいきなり飛び掛かってきた少女を避ける事に成功する。跳んでからそのまま噛み付いてきたみたいで、歯軋りしながらもまだしっかりとこちらを見ている。危なかった。もし避けきれていなかったなら、頸動脈でも切られて今頃自分は血の海に沈んでいたに違いない。嫌でも分かった。彼女は完全に殺しに来ている。
「もぉ、よけないでよ」
殺されそうになってるのを、自殺願望も無いのに抵抗しない奴が居るか?いや居ない(反語)。
「次は仕留める」
彼女が踏み込んだ。ただそれだけの動作で彼女の足元の土が抉れ、生まれた風が視力を奪う。一瞬目が見えなくなっただけなのに、気が付いた時は目の前で少女が大きく口を開いて...
彼女は笑っていた。
死ぬ。
ガヂィッ!!!!!
もうダメか、と思わず目を瞑ってしまった俺の耳に届いたのは、肉の噛み潰される音などではなく、金属同士の擦れるような音だった。ほっとしたのも束の間、そんな音が鳴るのはこの森と言う自然の中では不自然な事に気付く。
何が起こったのかを確かめるために少しずつ目を開いていった。
目に飛び込んできたのは数十cm程前のところで涎を垂らしながら鼻息も荒く、こちらを睨んだ少女の姿。そんなに惜しそうな目をしないで欲しい。そして彼女の口につっかえ棒をするかのように太さ3cm程の棒が挟まっていた。それも一本だけではなく、大人数で槍を構えているかのように、8本はあった。その棒は自分の背後から伸びている。
...もしかして、誰か助けてくれたのか?それなら早く礼を言わなければ、と思い後ろを振り返った。
人なんて、居なかった。
木の陰、暗闇の先、何処を細かく見ても、戸惑いながら目を忙しなく動かして探してみても、広がるのは暗い森ばかり。人の気配なんて少しも感じられなかった。
ならばこの窮地を寸前で救ってくれたのは誰だ?それを確かめたくて、棒状のような物に触れゆっくり根元を辿る。
...甲殻と呼べば良いのか。カニやエビを食べた時のツルツルな感触が蘇った。しかし細かい毛がびっしりと生えており、思わず鳥肌が立つ。そして、『生物のような温かみ』が有ったこと。これがまた想像を掻き立てる。
自らの手はその棒を辿って行き、肩を通り過ぎ、背中に触れた。
.....。
落ち着け昭人。ゆっくり深呼吸だ。そう、目の前にギラギラした目で女の子が睨んでるけど気にしないで、心を無にするんだ。
出来る訳ない。有り得ない。こんなバカな事、信じられなかった。誰かが助けてくれたものだと思っていた。でもそれは、
自分の背中から生えていた。
心拍数が上がっていくのが分かる。心臓の近くに手を置く。とてつもない速さで拍動している。動揺してしまっている心を直ぐに落ち着かせるよう努める。
これはなんなんだ。なんでこんなものが背中から生えてる。落ち着け。落ち着け。落ち着け。冷静さを欠くな、落ち着いて、ゆっくり考えろ。
深呼吸を2回、なんとか少しだけ気分を落ち着かせる。
ふぅ...。
なんでこんなものが生えたのか、全く分からない。俺は人ではないのだろうか?
そんな事は分からない。昔はこんな物無かった。しかしながらこの不可解な腕は自分の意思の通りに動かす事が出来る。寧ろ元からそこに生えていたかの様だ。本当に、訳が分からない。
みしみし、と何かの軋む音がする。我に帰ると、彼女の口のつっかえ棒となっていた腕の一つが今にも噛み潰されようとしていた。この腕が瞑れた後、彼女が次にどんな行動をとるか、おおよそ予想出来てしまう。
そこで、一旦この腕に対する疑念を捨てる事にした。生きてこその思考する能力だ。まずは自らを喰らおうとする驚異を撃退することが先決、この腕(?)の事はその後考えれば良い。考えは纏まった。
腕に噛みついている少女をそのまま払い落とす。少女は曲芸師のように軽く受け身をとった。同じエンターテイナーとして仲良くしよう。出来るとはこれっぽっちも思ってないけど。
「あんた、人間じゃなかったの?そのへんなの、なに?」
俺にだって分からない。けれど、自らを喰らわんとする驚異を撃退する。その意思表示の為に、全10本の腕をテレビで見たような格闘家の見よう見真似で構える。
「でもいまお腹ぺこぺこだし、そのへんなところだけよけて食べればいいか」
さらっと恐ろしい事を言うもので。こんな事を言われる人間なんて今この瞬間の自分だけだろう。女の子に食べられるなんて!と喜ぶ輩も居るだろうが、自分はそう言った類の人間では無いし、何よりまだ死にたくはない。
精々、抵抗させてもらうしかない。
実は前話を投稿した時から執筆は始めていたのですが、ああでもないこうでもないと書き直しを繰り返し、気が付いたら3月中旬。
本当に、申し訳ないです。