取り敢えずは生き延びる事が優先事項だ。あんな馬鹿力持ってる奴なんかには敵いっこないんだから、逃げまくって攻撃を防いだりしていけばいい。動きをちゃんと見ていればいなせる筈だ。多分。
「すぐにおわるから大人しくしてなよ」
再び奴は動き出した、が。
ちょっとした違和感が自分の中に生まれた。何故だかさっきまで速すぎて見えなかった程の奴の動きが分かる。はっきりと視認することが出来た。一歩踏み込んだ奴は一直線にこちらに突撃してきた。衝撃でこちらに風が来る程速く動いているらしいが、それに怯む事無く余裕を持って避ける事が出来、
「なっ」
彼女は自分の攻撃が避けられた事に驚きを隠せて居らず、動きが鈍ったその隙を、今度は俺がそのまま背中の8本の腕を使って掴んで、思い切り投げ飛ばす。奴は数m程吹っ飛んだ。力も強くなっているようで、受け身をとれず地面に打ち付けられた彼女を見て胸が痛む。向こうは命を奪いに来ているのだから仕方ない事、と自分に言い聞かせる。そう、これは正当防衛だ。
「どうして?急に強くなってる」
服に付いた泥を払い、立ち上がりながら彼女は言った。
何回も言うが、俺にも分からない。明らかに身体能力が強化されてるのは自覚している。動体視力だって元の自分とはえらい違いようだった。全てこの背中の腕が生えてからだ、自分の中の何かが変わってしまった。
だが、馴染む。実に馴染む。背中から生えた腕には指など無く、元から有る人間の腕とは程遠い形ではあるものの、それでも全く違和感なく動かせる。
少しだけ自分の得体の知れない腕達を使うことが楽しくなってきた。
正直もうバカになってしまったのだろう。思い返せば笑えてくるが、さっきまではおかしな事象の数々にパニクってた筈がその恐怖や緊張をもう覚えていない。今頭にあるのは出所の分からない謎の高揚感。人のものとして元から存在する手の平を閉じたり、開いたりするかの様に、同じく背中の腕も弄くり回すと、何だか無償に楽しくなってくる。悪くないと。
「中々余裕そうね」
ホントに余裕があるんだよ。中々夜食にありつけない彼女はかなりイラついてるようで、さっきよりも格段に速く、そしてキレのある動きでラッシュを繰り出してくる。右手でパンチ、首を狙った噛みつき、こめかみ狙いのハイキック。ラストにひっかき。
だが、やはり見切れる。蹴りを繰り出された時、一瞬スカートの中から覗いた子供っぽい下着や、確かな殺意の籠った拳、蹴撃。一発ずつ、丁寧に払い落として奴を突き飛ばして自分も後ろ歩きで距離をとる。馬鹿力に気を付けろと言い聞かせていた事が嘘みたいだ。その力さえ、今では拮抗しているのだから。
もしかして勝てるかもしれない。
そんなこんなで少女の攻撃をいなし続けること数分。自分でも疲れてきている事を自覚し始める。そのせいか無意識に防御の手を抜き始めた。その気の緩みこそ命取りになると知っていながらに。
その後も色々な方法で攻撃してくる彼女だが、目は動きに付いていけるのに、体が追い付かない。苛烈な攻めに対する守りも間に合わなくなってきており、だんだんと背中の腕ではなく生身の肉体に彼女の殴打が当たり始める。ダメージは溜まっていった。遂には蜘蛛の脚の隙間を縫うような拳の動きに着いて行けず、振り上げた拳に対して顔を守る姿勢をとる。しかし、
「ハっ」
彼女が笑う。今自分は元からある人としての腕、そして背部の腕全てで顔を守った。その隙を見逃してくれる程、向こうは甘くない。
顔を守っていた腕の内の一つを捕まれる。何事かと一瞬動揺し、自らの腕に遮られた少女をかろうじて視界に入れるが、その直後サッカーボールを蹴るみたいに鳩尾に少女の爪先が突き刺さりノックアウト。一発KO、ゴングが鳴った。
「ごっ...ぅえぇぇっ....!」
胸の中の空気が全て外へ出ていってしまう。吸おうと思っているのに全く息が出来ない。草の上に思わず膝から崩れ落ちる。酸っぱい何かが喉元まで込み上げ、喉が焼ける。見上げると勝ち誇った様な表情で奴が俺を見下ろしていた。無邪気なその笑顔が腹立たしく、恐ろしい。
「ほら、わたしの勝ち。じゃあいただきます」
何故あそこで油断してしまったのだろう。相手が人の域を外れた存在であることは分かっていただろうに、「勝てるかもしれない」なんてほざいて。つくづく自分の愚かさが嫌になる。その軽率な行動のせいで、自分は今から食い殺されるのだ。抵抗しようにも身体、指の一本も動かせない。頭と心臓だけが動いて、先程彼女と遭遇した時と同じ様に、普段より速く、大きくなった心臓の音だけが耳につく。植物にでもなったかの様な気分だった。植物は、自らが虫や動物に食べられる時の音が聞こえているらしい。もしこのまま食べられるのなら植物みたいにはならずに、痛覚とか痛そうなものその他もろもろが無くなっていて欲しいな、なんて都合の良い事を考える。
最後に見た物は己の首に噛みつこうとする少女の黄金色の髪であった。顔が隠れていて良かった。今どんな顔をしているかなんて想像もしたくない。あの時は笑っていやがったし、どうか痛みを感じる前に殺してはくれまいか、と願いながら目を閉じる。
その時だった。
背中の腕が一人出に動き出し、うつ伏せに倒れる俺のうなじに喰らいつこうとする彼女を一斉に殴り飛ばす。背中の腕だけでは無い。ついさっき動かないと言った全身までもが、自分の意思と関係無く動き始め、本来の持ち主から支配を逃れた体が地に手を着き、起き上がる。横目で見た彼女は地に伏せ、ゴホゴホとむせている。一気に形勢が逆転した。
「ぐ、まだ抵抗する力が...」
そんな力有るわきゃない。大体今この体を動かしてるのは俺じゃないから、殴られた文句も今俺の体を乗っ取っている誰かに言って欲しい。
「ゲホッ...完全に倒したとおもったのに」
そう言いながらむせている彼女が起き上がる。かなりのダメージを負った様だ。その調子だ俺の体。吹っ飛ばされた衝撃で腕を怪我したみたいで、片腕でもう片方の腕を庇いながら、またこちらへ近づいてくる。
「絶対喰ってやる」
止めてくれ、もう諦めてくれよ。やり合うのは気が引けるが、俺の体はまだ彼女と闘う気の様で、元の人間の腕、背中の両方の腕をだらんとぶら下げ、彼女から目を逸らさない。
「はっ」
掛け声を上げ、突っ込んでくる彼女。それを俺の体は容赦無く叩きのめした。
「くうっ!」
彼女の振り上げた拳を背中の一本が受け止め、彼女の服の袖に裁縫の針の様にその腕を突き刺したかと思うと、それ以外の腕で一斉に殴りまくる。殴っても殴っても、その一本の腕のせいで彼女の小柄な体が吹っ飛ぶことは無く、顔、腹が9本の腕によって重点的に殴られ、だんだんと彼女の肌の見える部分にも傷が増えていく。見せられて気分の良い物では無い。
「や....て」
殴られた時の呻きに、制止を求める声が、嗚咽が混じってきた。それでも俺は殴ることを止めない。ここまで惨いことをやってのける自分でない自分に恐怖を覚えた。やり過ぎだ、もう十分痛めつけたろうに。そう自分で思っていても、体の方は御構い無しだ。
暫く経つとようやく殴り続けていた手が止められた。彼女は所々から血を流し、青アザが出来、唇が切れて血が垂れ、両目からは涙を流していた。もう戦意の欠片も見受けられない。体の内側に押し留められた俺自身は、彼女のあまりに痛々しい有り様に目を逸らしたいと思うのに、逸らせない。息が上がる様な事も無く、事務的にやった事みたいに体の方は何の変化も見せなかった。
再び体が動き始める。もうこれ以上彼女の傷つく姿が見たくない、それだけを思って何とか体の支配権を取り返すように方法を試す。
しかし全く効果は無く、彼女を宙ぶらりんのままにしたまま何処かへと歩き出した。
首を回して何かを探していたが、ここらに生えた平均的な物より一際大きな木を見つけると、俺は木に近づいて少女をそこに押し付けた。
「え、何するの...」
俺は答えない。背中の腕で少女を木に押し付けたまま人間の方の腕を挙げ、その指に突如何か細いものを纏わりつかせた。一瞬それが何だか分からなかった。
それはどうやらとても細い(人の髪の毛程度の太さはある)糸(?)の様で、それが手にどれだけあるか数え切れない程巻き付いている。腕が勝手に前に突き出されると巻き付いてるその糸も勝手に解けていき、5本の指が人形師の操る傀儡の様に器用に動かされ、あっという間に彼女に巻き付いていく。
自分自身も少女も何が起こっているか理解出来ないまま、気付くと彼女はミイラのようにぐるぐる巻きにされていた。
「ぐ。は、はなせ...」
少女はもがくが繭のようになったそれはビクとも動かなかった。それどころか、もがけばもがく程自身を締め付けていく。まるで獣用に仕掛ける罠の様だ。
とうとう、もがく気力も無くなったのか目を虚ろにしてこちらを見つめる。木に固定されたからか、彼女のフック代わりに吊るしていた背中の腕が彼女を解放し、先程の様にだらんと下げられた。
それが合図に体の自由が効くようになっていた。
自分に体のコントロールが回ってきた事に気付くと、直ぐに彼女を縛る糸の束を背中の腕で引き裂く。重力に従い、倒れてきた彼女の小さな体を抱き留める。その体は彼女の幼い見た目通りに軽かった。
何と彼女に申し開きをすれば良いのだろう。彼女が人間じゃない事はもう百も承知だ、そして食べるために自分の命を狙っていた事も。それでも、この幼い身を何の躊躇いも無くズタズタにした事が自分の中で許容出来ない。ここまでやるつもりはなかった。
ごめん、許してくれ。
罪滅ぼしになるとは思っていないけれど、そう呟きながら彼女の後頭部から背中に掛けて優しくさする。
申し訳なさで、傷付いた彼女への哀れみで、自分じゃない自分への恐怖で、自分の目から涙が溢れた。
「今度はなにをしようっての?」
心臓が跳ねた。起きてたの?
「おかしな奴、あのまま逃げたら良かったのに」
実は、今も逃げたいと思ってる。そりゃ怖い、でも放っては置けなかった。
「こういうのは余計なお世話、脆い人間よりかはずっと丈夫だし。ってその人間に手酷くやられたけど」
力無く彼女が笑う。
「あんだけ殴っといて今は私を介抱しようとしてさ、さっきとは別人ね」
そうとも、あれは俺じゃない。いや、あんなことをしでかしたのは俺だけど、俺じゃない。その言葉が口から出ることはなかった。
なんとか罪滅ぼしが出来ない物だろうか。彼女は人間が食いたかったらしいが、だからと言って腕一本とかを差し出す訳にもいかない。その代わりと言ってはなんだが、これならばどうか、と彼女へ提案する。
「...血ー?わたしを屋敷の奴らと勘違いしてない?」
肉は食わせてやれないが、血くらいならあげられる。輸血もバスみたいな所でやったことはあるし、あまり抵抗は無い。
「まあくれたら多少は動けるようになるけどさ。じゃ頂戴よ」
そう言っていきなり首に噛みついてきた。タンマ、タンマ。なんとか止めた後、背中の腕で手の甲を少しだけ切りつける。じわりとした痛みの後、たらたらと赤い血が流れる。それを見た彼女の目の色が変わり、瞬時に手の甲にむしゃぶりついた。
彼女の喉がゴクゴクと鳴る。なんか赤ん坊にお乳をあげるお母さんの気分だ。母性、自分は男だし父性か、そういう類の感情が湧いてくる。
暫く彼女のさせるがままにして、人間はどれくらい血を抜くと危ないのだったかを考え始めた頃、丁度彼女は手の甲から口を離した。手の甲の血は止まっていた。
「ぷはー、ここ最近全然人間食べてなかったから染みるわぁ」
染みるわぁ、の所だけ聞けば居酒屋で溜まるおっさんみたいな台詞だ。血の抜きすぎか少し気分が悪いが、満足そうで何よりと思った。血を与えた事に伴い、あれほどあった傷も大体は消えており、彼女が如何に人知を越えた存在であるかが伺えた。
舌舐めずりをした後、自分に預けていた体を起き上がらせた彼女はうんと伸びをした。
「うん、うごける。傷も多少は治ったし、もうあんたは襲わない。これで貸し借りなし。まぁまだ満腹じゃないから他に何か食べるけど」
元気になってくれた様でこちらもありがたい。何を食べるかの件は...もう任せる、知らん。
「それじゃ。もう会うことは無いけどもし次会ったらその時こそは食べるからね」
どんだけ食い意地張ってんのよ。そんな事言うなよもう会いたくなくなるわ。...あ、食べる食べないの話で思い出したけれど俺も腹減ってたんだった。君に感化されたせいだどうしてくれる。
そう別れの言葉を告げた後、彼女は俺の逃げてきた道へ歩いていった。途中から最初に出会った時と同じ様に黒い球体へと変化し、そのまま森の闇に消えていった。それを小さく手を振りながら暫く見送り、こちらも少女に背を向けて歩き出した。
さて。当初の目的、人探しだ。ケータイを覗く。残り充電30%、およそ4時くらいか。まだ日は出てこないがしかしさっきよりはうすらと明るい。少しは歩きやすいはずだ。しっかりと前を見ながら歩く。またさっきの少女みたいなのが出てくるかもしれないから、警戒を怠るな自分。
そういえば。忘れかけていた事を思い出す。人を見つけたとしても、この背中の腕をどう説明する?そもそもこれは何なのか?厄介事だが、いずれは何とかしなくてはならない。どうすれば良いか考えてみる。
まずこの腕が他の生物の物であるとと仮定する。生えている腕は8本。この時点で『クモ』と『タコ』が思い浮かぶ。どちらもどのように使うにせよ腕、というか脚が8本生えた生物だ。
次に腕の表面。細かい毛がびっしりと生えていて、しかしながら元々毛の下はツルツルだということが分かる。大理石でも触っているかのように固く、吸盤の様なものも見当たらない。
この腕は、クモの脚だと推測する。てかさっき糸みたいなのも手から出してたし、タコだとは端から思っていない。
しかし何故こんな物が俺の背中から生えてきたのだろう。もしかすると、さっきのクモの巣になにかあったのか?そこにいた新種のクモにでも咬まれて、ケツ十字キラーにでもなったのだろうか。
しかし自分はそれなりに普通の人間として育ってきた筈だ。この腕...脚はその自分の人としての生を否定しているように感じられ、少し憂鬱になる。
今自分は夢を見ているんだと思ったりもした。頬をつねれば夢かどうか分かると言うが、そんなことしなくても分かるに決まってる。
こんなリアルな夢が、あって堪るものか。
俺はあれの毛の感触を死ぬまで忘れない。
...話を戻す。この背中の腕をどうするか。一応この腕が何なのかの推測はついたがなんとか腕を仕舞えないだろうか。
そう思った瞬間、蛇みたいにするすると腕が背中に収まっていくのが分かった。
「あれ?」
思わず声が出る。背中を探ってみるがやはり腕が見つからない。腕の生えていた名残として服が少し破れていたぐらいだ。
もしかして...
出てこい。
そう念じた瞬間、腕が一瞬で生えてきた。
戻れ。
スルスルと戻っていく。
問 題 解 決。なんだよ自由に出し入れ出来るじゃないか。
悩みまくっただけに少し拍子抜けだが、これで一番の問題が解決した。早めに人探しを再開する。このまま道を真っ直ぐ進む。しかし、この森は広すぎる。まさかホラー映画みたいに同じ場所をグルグルいったり来たりしている訳ではないと思うし。
また暫く歩くと先に何か見える。もしかすると、あそこから森を抜けられるかもしれない。意味も無く走る。しかし、さっきから走り詰めだ。トレーニング方に時たま走り、また時たま歩くのを繰り返すというモノがあるらしいが、無意識にそのような感じで進んでしまっていたのかもしれない。とにかく疲れた。
淡い期待を胸に暗い森を抜け、視界に情景が入ってくる。
その末、自分はようやく民家を見つけることが出来たのか、違う。森を抜けたその先に更に森が広がっていたのか、違う。
何も、見えなかった。前方一面真っ白。それだけだった。
人探しの旅はまだまだ続く。
さぁ初っぱなからキャラを間違えた作者か来ましたよっと。やっぱるみゃちゃん大人び過ぎてるかもしれませんねぇ...。
ところで幻想郷のMAPってどうなってるんでしょうか。
森進んだら霧の湖着くんですかね?