雲一つない晴天。あまりにも晴れ晴れしすぎてかえって外野フライが見づらくなるほどである。しかも夏という事もあり太陽の下にいるだけで汗ばんでくる。
そんな天候の中、藤原妹紅は右手にバット、左手にグローブをはめて立ち、自分の友人が教師を務めている寺子屋の生徒たちがわいわいと、暑さも忘れて楽しそうに野球をしている姿を見守っていた。
「……暑っつ」
事の発端は一週間ほど前に巻き戻る。
「…野球を教えてやってくれ?」
一週間前。元々、普段不死にかまけてまともな食事をしてこなかったのを見かねて、以前から慧音に食事を食べさせてもらっていた妹紅。その日も食事に誘われたので慧音の家に行ったところ、いきなり頼みごとをされたのである。
「なんだっていきなり…。というか、私だって子供に教えてやれるほど上手じゃないんだけど」
突然のことに困惑しながらも、とりあえず否定をしておく。実際、これまで野球の経験もなく、いきなり教えろというのは些か無茶な願いである。
「無茶なことは分かっている。ただ教える側が私一人では心許なくてな。それに、弾幕ごっこである程度の身体能力はあるだろうし、子供に教えるくらいなら問題ないと思う」
「いや、でもなぁ…。うーん」
いくらなんでも自分すら満足にできないのに人に教えることが出来るのか。そう考えるとどうしても自信が出てこない。
「いや、やっぱ厳しいわ。悪いけど」
「…もし、自身にある程度の実力がつけば、引き受けてくれるか?」
「へ?」
「強引に誘ってしまっていることは悪いと思ってる。ただ、子供に教えるには一人よりも二人のほうがいいんだ。それに子供たちの怪我の心配も減る。子供のためと思って、技術に関してはこっちに考えがあるから引き受けてくれないか?」
自分の目を見て真っ直ぐに訴えかけてくる慧音に、ここまで頼まれているのに断るのも酷かと思った妹紅。結局、人に教えられる程度の技術が身に着けば、引き受けてもいいことにした。
「それで、どうするんだ?」
「ああ。本格的にするのは一週間程経ってからにする。だから妹紅はそれまでにある程度上手くなって欲しいんだ」
「一週間かぁ…。まぁやってみるかな」
「他人任せのようですまない。それで、技術のことなんだが…」
翌日、妹紅は慧音から渡されたメモを片手に目的地の前に立っていた。
大きな門があり、その隣には「稗田」という文字が書かれている。九代目阿礼乙女、稗田阿求が住む家である。
妹紅が家の中に入ると阿求が出迎えてくれた。慧音から話は聞いているらしく、阿求は自分の部屋へと案内するとすぐに一冊の本を持ってきた。
「野球の本と言っていましたよね。こちらです」
手渡された本を見ると随分と古ぼけた表紙が目に入る。特に文字は書かれていない。ページ数はざっと見て二百ページはあるだろう。
「八代目が『縁起』の編纂を終えた後に、僅かに残った時間で親しい人間からの話を著したようです。まぁ詳しくは最後の独白に書いてあります。百数十年前のものなので大分古くはなってはいますが、十分読めますよ」
「ふーん」
そう呟きながら捲ってみると、『序』の部分で簡単にこの本が出来た経緯が書かれていた。
曰く、『縁起』の編纂が終わり少し時間が余ったので、暇つぶしに野球が好きな友人の話を著したものだという。最後は「後世にこの本が役立つことを願って」という言葉で占められている。確かに今役立ってはいるが。
続いて捲ると目次に当たった。一番上には「これから野球を始める人へ」というがある。とりあえずこれからか、と妹紅が該当ページまでいくと、注意書きがされていた。
『※野球というスポーツは経験が重要である! 他のスポーツと違い運動神経だけである程度なんとかなる、というのは難しい。時間をかけて着実に練習することが上達への近道だ!!』
「……阿求。初っ端から経験がナンボって書いてあるんだけど」
どうしようかと少し困ったように笑いながら阿求の方を見る。阿求もなんとかフォローしようと
「ま、まぁ妹紅さんなら弾幕ごっこで運動神経は鍛えられているでしょうし…」
と言うものの、
「いや、だから運動神経だけじゃどうしようもないって…」
結構本気で落ち込む妹紅だった。
「ま、まぁそんなに気を落とさないで…。一週間あれば案外何とかなるもんですよ?それに慧音さんにも迷惑は掛けたくないでしょう?」
「……まぁそれも、そう、か」
気を取り直してページを開いていく。それ以降のページは打球に対する反応の仕方という基礎の基礎から、インフィールドフライや振り逃げの成立条件、はては無補殺三重殺というマニアックなプレイまで多岐にわたっていた。
「随分と詳しく書いてるんだな…」
「よっぽど暇だったのでしょうねぇ、先代の私」
「ま、いいや。とりあえず、コレ借りていくねなんとか一週間でモノにするよう頑張る」
阿求に見送られて妹紅は家を出る。なんとかなるのかという不安を、なんとかしなきゃと思い己を奮い立たせつつ、やはり不安は大きい。
迷いの竹林の中にある住処として使っている廃屋へ戻ると、とりあえず読み進めることにした。時折自分の体で書かれていることを実践しつつ、慧音のためにとなんとか自分のものにしていく。
「……っていうか、道具は無いしイメトレしか出来ないって状態って、大丈夫か…?」
とはいえ妹紅にはどうすることも出来ないのであった。
そして一週間後、イメトレだけをこなした妹紅は冒頭のように生徒たちを見守っていた。すると、慧音からわからないことがあれば妹紅に聞くよう言われたのだろう、バットを持った少年がやってきた。
「妹紅お姉さん、なかなかボールがバットに当たらないんだけど、……どうしたの?」
「い、いや、ちょっと…」
普段「お姉さん」と呼ばれることなどないためその意外な破壊力に思わず戸惑ってしまった。
「え、ええと。見た感じバットを振るときに前に突っ込みすぎているんじゃないかな。右打ちならボールに当たる瞬間に左足を伸ばしてつっかえにする感じにするといいよ(って書いてた)」
「わかったー」
心の中で注釈を入れつつ指導する妹紅。知識だけならそれなりではあるものの実際にプレイはまだしていないためどこまで出来るかわからないのがまだ不安として付きまとっている。
「打つ時は最初のバットの位置から少し後ろに引いて…」
「バットを振るときはグリップエンドから出すように…」
「投げる時は自分から見て相手の顔の右横ぐらいで離すように…」
「ちゃんと教えられているじゃないか」
いつの間にか妹紅の隣には慧音が立っていた。慧音も妹紅と同じくいつもの服装ではなく、香霖堂で手に入れた伸縮性に優れた服であるジャージを着ている。
「そりゃあ一週間必死に覚えたからね。知識だけなら若干自信ある」
「子供たちからも頼りにされているみたいだし、助かっているよ」
子供たちは実戦に近い練習を行っている。とはいっても、遊びの域を出ていないため細かいところは無視したり、好き勝手やっているようだが。
「そういえばさ、なんでいきなり野球やろうなんて思ったの?」
一週間前からずっと思っていた疑問。今までなんとなく聞く機会がなかったが、今ここで聞くことにした。
「これは私からじゃなくて、子供たちがしたいと言ったんだ。まぁ、体を動かすことはいいことだから許可したんだが」
「子供たちが?なんで?」
「なんでも、この前里の若い大人たちと野球をやったっていうんだ。ただ当然というべきか、負けてしまったんだよな。元々その大人たちは野球をやっていたらしいんだよ。でも子供たちは本気で悔しかったらしく『次は勝ってやる』って宣言したらしい。因みに大人たちのなかには昔ウチの寺子屋の生徒だったのもいるらしい」
「ふーん。……次の試合って、決まってるの?」
「…それがな、十日後らしいんだ」
正直今のレベルでは太刀打ちできないだろうと思い、思わずため息がこぼれる妹紅。それを見て気持ちは分かるとばかりに苦笑いする慧音だった。
それから十日間。暇を見つけて…というよりも基本的には暇な時間が中心のため、妹紅は子供たちが野球をやる時間には毎日姿を見せ、子供たちが怪我をしないように、そして時折本仕込みのアドバイスをしつつ日々を過ごした。子供たちとも徐々に距離が近づいて行き、毎日忙しそうにしながらも充実した表情を浮かべる慧音の気持ちが少しわかった気がした。
「いいものだろ?」
いよいよ試合が明日に迫った日。夕日がさすグラウンドで、二人して並んで立っていた慧音は、子供たちを見ながら隣の妹紅へと声を掛けた。
「いいもの…ってなにが?」
「子供たちと一緒に過ごすこと。この十日間、よく笑っていたぞ」
「まぁ、ね。楽しかった。うん」
「実を言うと、妹紅に頼んだのは、子供と触れ合って欲しかったからなんだ」
「子どもと?なんで?」
妹紅は不思議に思い、慧音の顔を横から覗き込む。
「子どもの持つパワーはすごい。人を明るく、元気にしてくれる。妹紅にもそのパワーを感じてほしくて」
「そっか。…少し、分かった気がする」
「さて、と。これで明日、勝ってくれればいいんだけどな」
「大丈夫だよ」
慧音の横に立っていた妹紅が慧音の前に来る。まるで子供のような無邪気で、いたずらっ子のように笑い、
「こんなに頑張ってるじゃん。それに、なんたって慧音の生徒だし」
と言うと子供たちのいる方へ走っていった。
慧音は妹紅の若干の変化を感じ取った。前はやらされているようにも思えたコーチ業だが、今では積極的に子供たちと交流している。慧音にはそのことがとても喜ばしいことだった。
(まぁ、『私の教え子』って意味では、明日の対戦相手もそうなんだがな)
心の中でのツッコミも忘れず。
翌日。里の一角にある小さなグラウンド。そこで試合前に慧音と妹紅は相手チームの一人と会っていた。
「ああ、慧音先生お久し振りです」
「聞いたぞ、随分と子供相手に大人気ないじゃないか」
対してその若い男性は、いやいやと手を振る。
「ちょっと子どもに大人の厳しさをですね……って、そちらの方は?」
男が妹紅に視線を向けたので、妹紅は会釈をする。
「ええと、慧音の友人で、妹紅といいます。コーチを頼まれたので少し子どもに指導してました」
「ああ、そうですか、先生の友人ですか。初めまして」
「あと妹紅には球審を頼もうと思ってるんだ」
「お、それはありがたい。こちらでどうするか決めかねていたんですが。助かります。それと、今日は五イニング制ということでよろしいですか?」
「ああ、構わない」
「なぁ、ところで慧音。球審はいいとして、塁審はどうするんだ?三人必要なはずだけど」
「ああ、それなんですけどね。子どもとなんで、そこらへんはセルフでいいんじゃないですかね。微妙なのは子ども有利でいいですし」
仕方ないかもしれないが、明らかに子どもをなめた態度でいる男に、子供たちの努力を知っている妹紅は怒りを覚える。
「……随分と余裕ですね」
「いやぁ、そりゃあもう。なんなら友人さんでも助っ人で出てもいいですよ」
そう言って笑うと、じゃあ時間ですのでと言い残して走って戻っていった。妹紅も煮え切らない思いを抱きつつ、慧音と一緒に子供たちのもとへ戻ることにした。
そして試合が始まった。
一回の裏、いきなり子供たちの打線がつながり、一挙四点を先制。とはいえ、球審として試合を見ていた妹紅は、明らかに相手投手が手を抜いているのがわかった。明らかに球は遅いし、コースも甘い。しかし子供たちはそうとも知らず、点を取れていることを純粋に喜んでいた。ただ、守備は普通にこなしているなかでヒットが続くというのは子供たちの努力の成果なんだな、と思い、出来る限り公平なジャッジを続けた。
しかし相手も二回以降は徐々に力を出し始め、点が取れなくなっていく一方、守備では子どもの球では抑えるのは難しく、少しずつ点を返されていく。そして最終回となる五回の表、一点をリードしていたが二点を取られ、ついに一点ビハインドとなってしまった。その裏、どうにか点を取ろうと相談しているのか、ベンチで慧音を中心に集まっていた。しかしその相談も意味がないのか、あっさりと二人が倒れツーアウト。
(結局四対五で負けかな…。塁に出れそうな雰囲気もなし)
しかしカウントがスリーツーとなったとき。
(……まぁ、最後くらい、ね)
「ボール。フォアボール」
四球でランナーが出塁。投手の、入ってなかったのか…と呟いたのが聞こえるが、微妙なコースだったので別に問題は無い。
これで少しは流れが変わるかな、と思ったとき、何故か慧音に呼ばれた。とりあえず向かうと、いきなりバットを差し出された。
「……妹紅。代打に出てくれないか?」
「………は?」
いきなりのことで体が固まる。確かに試合前に男が『助っ人で出てもいい』とは言っていたが、まさか本当になるとは思っていなかった。それに自分が出て子どもが納得するのか?
「…子どもたちが相談した結果だ」
まるで妹紅の心を見透かしたかのように慧音が言う。それでも妹紅がためらっていると、一人の少年が口を開いた。
「正直…、自分たちが打って勝ちたいよ。でも、今の僕たちじゃ打てない。それに、打てない悔しさよりも、この試合に勝てないほうがずっと悔しいんだ。お願い、妹紅お姉さんなら、打てると思うんだ」
「………」
妹紅は無言で慧音からバットを受け取る。普段自分勝手な行動が多いのに、こんなとき自分の都合ではなくチーム全体で策を考える。ここまでされて下がるわけにはいかなかった。
「子どもはさ、自分勝手でいいってのに。他者のことを考えて引けるなんて、大人になったな」
そう言うと妹紅はヘルメットを被り、バッターボックスへと向かい、子供たちの応援を背に素振りをする。
(……ってかっこつけたはいいけど、スイングがこれ人生初なんだよな…)
まだ実感が湧いてこないのか、緊張はせずに本に書いてあった素振りの方法を思い出しつつ、振る。
バッターボックスに入り構える。
(まだ実感湧かないけど、いざ球見たら変わるのかな)
投手が投げる。妹紅は手を出さずに見送り、ワンストライク。
(……意外と、いけるか?)
考えてみれば、普段から輝夜の文字通り「殺人」的速度の弾を避けている。球と弾ではここまで変わるのかと思いながら、構えなおす。
(目で追うことはできる。あとはタイミング…)
本に書いてあった「バッティングはタイミングが一番大事」という言葉を思い出す。投手が再び投げてくる。
(タイミングを合わせて…)
思いっきり振りぬくと――
「ホ、ホーム、ラン?」
誰かが呟く。打球は大きな放物線を描いて、そう大きくないグラウンドの柵の向こうへと飛んで行っていた。
「それで、そのあとは?」
「そりゃあ大騒ぎさ。私も無我夢中でダイヤモンド一周して、ホームでは子供たちが大喜び。そう忘れられない記憶になったね」
試合の翌日。阿求に本を返しに来た妹紅はどうだったかと尋ねられ、前日の興奮を話していた。
「そうだったんですか。この本も役立ったみたいですし、よかったです」
「いや、ホント。八代目に礼を言わないとね」
「あら、元は私なんだから、私でもいいのですよ?」
「記憶がないんだったらもはや別人ってことでいいんじゃない?」
そう言うと妹紅は笑い、阿求は些かオーバーにしかめっ面になった。
「そういえば妹紅さん。この本、最後まで読みましたか?」
「? いや読んでないな。どうして?」
「いや、最後がどうやら違う感じになっているようで…」
「どれどれ…」
『最後に、野球をやっているとありがちなことをまとめたぞ! 「買ったばかりのノートは最初だけ綺麗に書こうとする」ぐらいのレベルばかりだ!
・外野の正面後ろのライナーは無理。捕れなくても文句を言わないでください
・中継が乱れた時、外野手は「少しは動けよ」と思い、内野手は「ちゃんと投げろよ」と思ってます
・足が速いという理由だけでセーフティーバントに期待しないでください。バントの下手な人がやっても無駄なだけです
・内野手の皆さん、外野の動きは確かに単純ですが、決して見下さないでください。つらいです
・三塁コーチャーは非常に難しいです。生半可な気持ちでやったら勝敗に結びつきます』
「…すごい、なんというかマニアックだな」
「……でも、ある意味仕方なかったのかもしれませんよ?」
「え?」
「今の私には、妹紅さんとか、転生しても私を知っている知り合いが沢山います。けれど、先代までは、転生したら人間関係がリセットされます。そのため自分の存在を少しでも後世に残したいと思ったのかもしれません。『八代目の御阿礼の子』ではなく『稗田阿八』として」
その後、阿求の家を出た妹紅は、ふと思い立って前日のグラウンドに立ち寄った。すると、
「あれ、慧音」
たまたま慧音と鉢合わせした。
「どうしたの?」
「いや、グローブが二つ置き忘れてあってな。昨日は大騒ぎだったし、つい忘れたんだろう。…妹紅は?」
「昨日の興奮が忘れられなくて…。そうだ、慧音。キャッチボールしよっか」
「え?い、いや…」
「いいからちょうどグローブにボールもあるし」
そう言うと妹紅はグローブをはめる。何故か慧音は若干抵抗しているが、特に気にもせずに離れる。
「いくよ~」
そう声を掛けると妹紅はふわりとボールを投げる。ボールはゆっくりと近づいていき、近付いて、近付いて、近付いて――
「いたっ」
額に当たった。ゆっくりとしたボールは伸ばしたグローブにかすりもしなかった。
「……慧音?」
「ハ、ハハ。すまん、妹紅」
そう言いつつ慧音はボールを投げる。しかしフォームは滅茶苦茶、しかも肝心のボールはあらぬ方向へと飛んで行った。
「……慧音」
「いや、これはだな、妹紅」
「前、『子供と触れ合って欲しかったから』なんて言ってたけど、ホントは単に自分が下手だったからじゃないの…?」
「そ、そうじゃなくて…」
「慧音」
「は、はい……」
「これから慧音にミッチリと野球を教えてあげるから♪」
「そ、そんなぁ…」
※実際にはこんな簡単にホームランが打てないのは私が一番わかってます