【完結】京‐kyo‐ ~咲の剣~   作:でらべっぴ

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「修行」

「……だから打つなと言っただろう」

「……………………」

 

ちゃぶ台の前で俯く弟子。

言いつけを守らなかった馬鹿弟子に、師は大きく溜息を吐いた。

 

「いいか、初心者とは良くも悪くも鈍感だ」

「……鈍感?」

 

本来なら怒鳴りつけてもいいのだろうが、既に相当へこまされてきたのは見れば分かる。

だから師は、怒るというステップを飛ばした。

 

「そうだ。鈍感故に相手の大きさが分からん。良い悪いの問題ではなく、ただ単に認識的な意味でだ」

「…………」

「だが、坊主はもう違う。相手の姿形を多少なりとも認識できるまでに成長した。いや、してしまったと言うべきか」

「……まずい事なんすか?」

「言った筈だ。善し悪しの問題ではないと」

「…………」

 

諭してくる師に、京太郎の陰鬱は益々深くなるばかりだ。

 

「しかし、認識できるようにはなったが、その分坊主は余計に分からなくなった」

「…………」

「相手の力、自身の力、やってきた事の意味、これからもやっていく意味。自信は砕かれ、この先のスタンスすら何も見えん」

「…………」

「坊主の内情は、おそらくこんなところだろう」

「…………」

 

さすがは人生経験豊富なお年寄り。千々に乱れる心情を的確に言葉にしてくれた。

だがまるでありがたくない。羞恥で死にたくなる。

どう聞いてもただの甘ったれだ。

約束を破った自業自得なのは分かるが、弟子がボロボロになって帰ってきたのだから、こんなときくらいは容赦してほしい。

京太郎は小さくなってまた泣きそうになってしまった。

 

「勘違いしているようだがな、中級者になるのはそれほど難しい事ではない。才能のあるなしも意味を持たん」

「そうなんですか!?」

 

しかしこれには声を上げざるをえない。

なら、初心者を卒業して浮かれていた己はただの馬鹿ではないか。

 

「二流三流の中級者などごまんといる。どんな競技にも言える事だ」

「…………」

「一流へあがる為には資格を手に入れねばならんが、その条件も方法も、坊主に教えた覚えは俺にはないな」

 

ああ、なるほど。やっぱり自分はただの馬鹿だったのか。

京太郎は自嘲も通り越し、穴を掘って埋まろうと決心する。

 

「さらに言っておくが、初心者から中級者へ上がるのは何もいいことばかりではない。どうしても失うものがある」

 

だが、師の追い込みは止まらない。

 

「……失う? 俺は何かなくしたんですか?」

「初心だ」

「初心……?」

「失くしてはならん事は誰もが知っている。また、初心者ならば誰もが皆大事に持っている」

「…………」

「なぜか中級者はすぐに失くすがな。坊主みたいに」

 

師の言葉が胸に突き刺さった。

結局は、調子に乗った京太郎が生粋の愚か者だったというだけの話。

 

「坊主の疑問に答えてやろう。『生兵法は怪我の元』、が正解だ。くだらん自惚れから付け焼刃で傷を負ったにすぎん」

「……そう、ですね。きっとそうです……」

 

羞恥もここまでくれば繕う事もできないだろう。

 

「――が、誰でも一度は通る道とも言える」

「……ぇ?」

 

しかし、まだ数日とはいえ弟子は弟子。

面倒な事この上ないが、馬鹿弟子のメンタルケアもまた師の役目なのだろう。

 

「力をつけたなら試したい、努力したなら結果が欲しい。小僧なら思って当然」

「し、師匠にもあったんすか!?」

 

案の定、馬鹿弟子は食いついた。

 

「……坊主。まさかとは思うが、俺が生まれた時からジジイだと思ってはいないだろうな?」

「いえいえいえいえ! そんなの思ってないっすよ!」

 

みるみる元気を取り戻していく。

 

「でもそっかぁ……、師匠にもそういう事はあったのかぁ……」

「……………………」

 

そんな過去も確かにあったが、師と仰ぐ者の恥を目の前で喜んでどうする。

段々とご機嫌斜めになっていく師に気付けない京太郎は、やはりデリカシーが足りなかった。

 

「一年を短縮してやるとは言った。だが、どれだけ縮められるかは坊主次第とも言った」

 

けれどお師匠様は大人なので、内心の怒りをグッと堪えて助言を与える。

 

「残りあと四日だ、とっとと牌を積め。今日から攻撃の型に入る」

「う、うっす! よろしくおねがいします!」

 

大沼秋一郎が良い男なのは言うまでもない。

 

 

 

    ※

 

 

 

「これまでは坊主が三人分打ったが、これからは逆だ」

「逆? という事は、師匠が三人分打つんすか?」

「そうだ」

 

積まれた山を前に、師から新しい練習の説明を受ける。

 

「そんな無茶な。俺が三人分でも逃げ回る事しかできないんすけど……」

 

一気に弱気になるが、

 

「ある程度力は落とす。さらに、俺は坊主への直撃でしかアガらん」

「は? ……つまり師匠はツモアガリしないし、俺以外の他家からもアガらないって事っすか?」

「そういう事になるな」

 

このルールだとどちらが有利なのか、京太郎には判断できなかった。

 

「ん、ん~?」

 

三対一は確かに不利だが、その分師はツモアガリと他二家への放銃が封じられ、恐ろしく窮屈な麻雀を強いられるに違いない。

 

「坊主は三人への振り込みを防ぎつつ、とにかくアガれ。アガれなければやり直しだ」

「またやり直しっすか!?」

 

甦る無限地獄の悪夢は、京太郎に悲鳴を上げさせる。

 

「強くなりたければ黙ってやれ。残り四日だという事を忘れるな」

「う、ういっす!」

 

だが、強くなる為だと覚悟を決めた。

 

「お願いします!」

 

特訓開始。

 

「「「躱せ躱せ。躱せなければガードして力を逃がせ」」」

「うひぃぃぃぃぃぃぃ!」

「「「馬鹿め、後ろに下がるな。追撃されてじり貧になるだけだ。前に出て躱せ」」」

「む、無理っす、師匠! 速過ぎてついていけません!」

 

まあ、開始した直後から覚悟が鈍りそうになったのは言うまでもないが。

 

「「「泣きごとなんぞ知らん。いいから直撃しない事だけ考えていればいい。躱せ躱せ躱せ」」」

「ひぎぃぃぃぃぃぃぃ!」

 

無意識下の荒野では、京太郎は三人の師から嬲られまくっていた。

もちろん、現実でも同様だ。

 

「ロン」

「うっ……」

「ロン」

「ぐはっ……」

「ロン」

「やっぱ三対一は無理だって!」

「ロン」

「誰がテンパッてるかも分かんないぃぃぃ!」

 

どこが攻撃の練習なのか。

京太郎は終始振り込みマシーンと化していた。

 

「「「まずは対三戦闘に慣れろ。一人に集中するな」」」

「うわわわわ!?」

 

両手、そして両足を鎖で繋がれている筈なのに、師の三人から繰り出される攻撃が激しすぎる。

 

「「「意識を固定するなと言っているだろう」」」

「ぐえ!? ちょ!? ぶはっ!? 待っ!? ぶへえ!?」

 

滑る様に近づいてきたと思ったら既に打たれているのはどういう事だ。

 

「無理無理無理無理! 無理だからーーーーぶへんっ!」

「「「一人見るのも三人見るのも同じだ」」」

 

無茶を言いつつ、師は弟子を叩きまくった。

 

「「「攻防は分ける事に意味がない。躱して打つ、打ったら躱す、それだけだ」」」

「もっと! もっとヒントを!」

「「「脇をしめろ、腕をたため。膝もだ。窮屈だろうがそれが一番力が入る」」」

「痛だだだだだだだ!? もう殴らんといてぇぇぇ!」

「「「体勢を崩すな。頭の天辺から大地へ突き刺さる鉄芯をイメージしろ。体が流れてもそれは変わらん」」」

「何言ってるか分かんないぃぃぃ!?」

 

そして二時間後。

 

「……………………」

 

初めての時と同じように、京太郎は卓に突っ伏して死んでいた。

 

「いいか、テンパイした者を注視するのではなく卓全体を掌握しろ」

 

結局一度もアガれなかった弟子へ、師は本日のまとめの教えを授ける。

 

「……さ、三人の手を同時に読めって事っすか?」

「状況も流れも心理も思惑も情報も運も、卓上に渦巻いているもの全てだ」

「んな無茶苦茶な……」

 

突っ伏したままだが、弟子は師の説明を呑みこもうとがんばる。

 

「慣れればどうという事はない。次からは全員分の手牌読みから始めろ」

「うぃっす……」

 

師との別離まであと四日。

京太郎はフラフラになりながら帰宅した。

明けて日曜。

本日は部活も休み。しかし、京太郎は朝から部室へと足を運んだ。

 

「……やっぱみんなスゲェな」

 

職員室で鍵を借り、部室で牌譜を眺める。

 

「咲もそうだけど、部長の打ち方もわけ分かんねえ。つーか染谷先輩もたまにおかしな事してるぞ……」

 

県予選、そして全国での闘牌を改めて確認し、一人、部室で眉根を顰めた。

 

「対戦相手もおかしなのが結構いるな……」

 

インターハイチャンピオンを擁する白糸台だけでなく、永水や宮守等を見ては頭が痛くなる始末だ。

しかし頭を悩ませてばかりもいられない。

超常の闘牌を確認して脳がゆだるたびに卓へ向かい、全力で牌を積む。

 

「ぬおおおおおおお!」

 

自動卓で手積みの練習とはこれいかに。

壁に立てかけられた時計の秒針で計りながら、崩しては積み崩しては積みを繰り返す。

師匠との特訓の時間まで、京太郎は一人黙々と牌を積んだ。

 

「脳と五感を直結させろ。三人の手牌を瞬時にイメージできるようになれ」

「うごえええ……ッ、こんがらがる! あ、頭がおかしくなりそうですよ師匠!?」

 

そして一生懸命がんばる。

 

「それでいい、おかしくなった奴こそが麻雀打ちという生き物だ」

「業が深いいいいい!?」

 

師の無茶ぶりに絶叫した日も。

 

「つああああああ!」

「「「そこで踏み込め!」」」

「しっ!」

「「「打て!」」」

「せい!」

「「「…………」」」

「…………」

「「「……まあ、いいだろう。今の拍子を忘れるな」」」

「っしゃあああ!」

 

初めて攻撃がカスって大喜びした日も。

 

「「「俺の腹に全力で打ちこんでこい」」」

「え? でも……」

「「「いいから早くしろ」」」

「じゃあ……、おらぁっ!」

「「「……なんだこのへっぴりパンチは? もっと力を込めろ」」」

「うっ……、お、おりゃあああ!」

「「「……力の入れ方を知らん奴だな。こうだ、こう。こう打つんだ」」」

 

枯れ木のような腕から繰り出された爆発する拳が、

 

「おごえぇっ!?」

「「「……まともに食らってどうする。ガードはどうした」」」

「じ、じぬ……死んじゃいまずよ……じじょぉ……」

「「「…………ハァ」」」

 

腹にめり込み吹っ飛ばされた日も。

一生懸命がんばった。

そして最終日の火曜の夜。

 

「時間だな」

「ぐっ……」

 

最後の特訓時間も終わり、いよいよ師が明日帰ってしまう。

 

「終局に辿り着く事はできなかったが、まずまずだ」

「…………」

 

しかし、最後の修行は完遂できなかった。

京太郎は歯を食いしばって俯くしかない。

 

「そんな顔をするな、坊主。元々クリアするとは微塵も思っていなかった」

「そうなんすか?」

 

慰めだろうかと思いつつ、師に視線を向ける。

 

「最初の目的を忘れたのか? 言った筈だ、一年という期間を短縮すると」

「……?」

 

それでも、何を言いたいのか分からなかった。

 

「たとえ全国クラスだろうが所詮は高校生。坊主との力差など微妙すぎて、もう俺には分からん」

「……ぇ」

 

しかし理解した。

 

「期間は埋めた。元より坊主の勝ち負けになど興味もない」

「マ、マジっすか……?」

 

それは、清澄のみんなに追いついたという事。

 

「あとは好きに打て」

「あ、ありがとうございます! 師匠!」

 

うれしさを隠すことなく、京太郎は頭を下げて礼を言う。

 

「最後に牌を積んでみろ」

「うっす!」

 

牌を指差してきた師。

京太郎は元気よく答え、卓上にかざした手へ意識を集中させる。

そして一気に積み始めた。

 

「…………」

 

次々に積まれていく牌を、師は黙って見続ける。

 

「積みました!」

 

積み終わった山を見て、

 

「50秒といったところか……、まだまだだな」

「おう!?」

 

駄目だし。

 

「わ、分かってます! ちゃんと練習しますんで!」

「当然だ」

 

そんな出来の悪い弟子へ、師として最後の贈り物をする事に決めた。

 

「坊主も知っているだろうが、特殊な力について教えておこう」

「特殊? 王牌が分かったり、必ず海底であがれるみたいなやつですか?」

 

どうやら指導はまだ続くようだと、京太郎は真剣な表情で身を乗り出す。

 

「そうだ。能力を持つ者は意外といる。しかも千差万別故に、初見では手に負えん場合もある」

「反則っすよね……」

 

咲の嶺上開花を思い出し、ブルリと身を震わせた。

 

「明確な対処法などないが、例として俺の能力を一つ見せる」

「師匠も持ってんすか!?」

「プロは大抵持っている」

「プロ恐ぇぇぇ!」

 

咲だけでなく、プロの世界にも慄くしかない。

 

「これから見せるのは鏡だ」

「鏡?」

 

師がサイコロを振り、山から四つ牌を持ってくると、京太郎も続けて牌をとる。

 

「鏡というのは使い勝手がいい。映す、覗く、真似る、様々な使い方がある。プロにも何人か使ってる奴がいる」

「師匠もその一人ってわけですね」

「ああ、俺のは防御兼反射だ」

 

どうやら二人麻雀が始まるらしい。

 

「反射っすか?」

 

師が第一打を切り、京太郎もツモっては不要牌を河へ並べた。

 

「口で言っても分からんだろう。とりあえず全力で手を作ってみろ」

「うっす」

 

そして十二順目。

 

「リーチ!」

 

京太郎が牌を曲げる。

 

{二三四五六七八九東東東南南}

 

{一四七}待ちのテンパイ。

そして京太郎は見た。

 

「は?」

 

渾身の力で打ちこんだ瞬間、気付けば師の前に全身を隠す程の、豪奢で大きな姿見が現れているではないか。

拳は止まらない。

自身の驚愕した表情めがけ、京太郎はフルパワーで腕を突き出してしまった。

 

{一二三三四五六七八九西西西}

 

師の手牌。{三六九}待ちのこの手から、

 

{一二三三四五六七八九西西西} ツモ{一}

 

京太郎のアタリ牌を掴まされるも、打{西}。

 

{一一二三三四五六七八九西西}

 

次順京太郎、{二}を引く。

 

「ロン」

「ぶふっ……!?」

 

師の発声と共に、京太郎は弾き返された。

 

「見た通りだ。いったん受けてそのまま相手へはじき返す」

「ス、スゲー……。なんでそんな事できんの?」

 

目を見開いて師の手牌を凝視するも、これで終わりではない。

 

「もう一度積め」

「あ、はい」

 

言われた通り山を積み直すと、再び二人麻雀が始まる。

 

「今から少し強めに坊主へ打ちこむ」

「は?」

 

師が荒野で構えをとった。

 

「返してみろ」

「どうやって!? 何も教わってないっすよ!?」

 

弟子はびっくり仰天である。

できるかあ! と叫ぶも、師の気が膨れ上がった事にビビるしかない。

 

「能力とは技術ではなく生み出すものだ。既に下地はできている」

「マジで言ってんすか!? いや、師匠の事だからきっとマジなんでしょうけどもね!?」

 

これやだモー! と、もはや泣きそうだ。

 

「後は手のひらに集中させて鏡を生み出せ。いくぞ」

「ちょっとおおおおおお!」

「ふん!」

 

巨大な拳が眼前に迫った。

 

「リーチ」

「うげ!?」

 

九順目に発せられた師の声。

 

{一九①⑨1東南西北白発発中}

 

{9}待ちテンパイ。

 

(幺九牌が一枚も出てないって、まさか国士!? 手の内八枚も幺九牌で埋まってんだぞ!?)

 

チュートリアルなので分かりやすい捨て牌。

そしてテンパイを教える様にリーチ。

 

{一一二二⑨⑨77899発発} ツモ{9}

 

{8}単騎だった京太郎は、見事に最悪な牌を掴まされた。

 

「ひぃぃぃっ!」

 

恐怖で悲鳴を上げながらも、両手を重ね合わせて前方へ突き出す京太郎。

あまりに巨大な拳に『これじゃ防げない』と絶望した瞬間、

 

「あぎぃっ……!?」

 

衝撃が全身を貫いた。

 

{一一二二⑨⑨78999発発} 打{7}

 

それでも飛ばされない。

 

「うぎぎぎぎ……!」

 

師の拳を受け止める手のひらの中に何かがある。

手のひら大の、何の変哲もない小さな鏡。

それで受け止め続ける。

 

{一一二二⑨⑨78999発発} ツモ{⑨} 打{二}

 

{一一二⑨⑨⑨78999発発} ツモ{三} 打{一}

 

「ほう……」

 

師は感心するような声をだし、力を抜いた。

 

「ツ、ツモ」

 

{一二三⑨⑨⑨78999発発} ツモ{9}

 

京太郎は、ツモってきた{9}と手牌を倒す。

 

「反射までは無理だったか……。だが、そんな小さな鏡でよく受けた」

 

その指は震えていた。

 

「こ、これが咲達みたいな特殊能力……」

 

自身の手を凝視しつつ、行使できた力に心が震える。

しかし、その様を見た師が吹き出して笑った。

 

「能力と言うにはショボすぎる。危険な牌に対して少し勘が働いただけだ」

「なんでそんな事言うんすか! 少しは夢を見させてくださいよ、夢を!」

 

クククと笑う姿に自尊心が傷付けられる。

本当に容赦のない師匠だ。

 

「その鏡は餞別だ。えらくショボイが、坊主の身を守るくらいはできるだろう」

「ウ、ウス。ありがとうございます……」

 

未だ馬鹿にしたような笑みを見せてくるので憮然と返すしかない。

そんな弟子へ、表情を正した師が最後の言葉を送る。

 

「麻雀の根幹をけして忘れるな」

「麻雀の根幹?」

「アガれるかどうかは所詮運。だが、意志なくして運は引き寄せられん。どれだけ人事を尽くしたかで天命が決まる」

「意志……」

 

最後の言葉はただの精神論だったが、それでも、京太郎の心には深く刻まれた。

生涯忘れる事はないだろう。

 

「さて、これで俺の暇潰しは本当に終了だ。俺がお前に教える事は二度とない」

 

そんな言い方をされたらウルッときてしまう。

正味九日間という短い期間ではあったが、本当にたくさんの事を教えてもらった。

辛くてきつかっただけだとしても、もう二度と教わる事ができないというのは酷く寂しい。

 

「あとは勝手に強くなれ。一番の近道は自分より強いものと打つ事だ、いろんな奴とな。経験こそが坊主を鍛えるだろう」

「ありがとうございました! このご恩は一生忘れません!」

 

だから頭を下げた。

額を床に擦りつけて感謝を示す。

 

「それはさっさと忘れろ。男に一生覚えられてても気色悪いだけだ」

「あ、あいかわらずクールですね……」

 

しかし、感謝のし甲斐はなかった。

 

「さっさと牌を片付けて帰れ。俺は荷物をまとめるので忙しい」

「いつも通りすぎて逆に恐いっすよ! 弟子との別れに感傷とかないんすか!?」

「そんなものはない」

 

それが大沼秋一郎という男だからだ。

京太郎はブチブチ文句を言いながら片づけを始める。

 

「明日何時に出発するんですか? 俺見送りにいきますよ」

「くるな。学校へいけ」

 

たしかに明日は水曜。

普通に平日だった。

 

「なにか恩返しがしたいんですが、してほしい事とかありませんか?」

「小僧にできる事など何もない。でかい口は稼げるようになってからにしろ」

 

身も蓋もないとはこの事だ。

十五歳の子どもに言ってはいけないだろう。

 

「そーだ! 俺もプロになりますからいつか対局しましょう!」

「笑い殺す気か? 坊主がプロになれるなら、この世はプロで溢れかえるだろうよ」

 

師だからこそ、弟子の才能をよく知っている。

人生が壊れない様に、甘い戯言だと切って捨てるのもまた師の務めに違いない。

 

「今度会う時に俺の成長を見せます。とりあえず全国一位を目指しますから」

 

片づけを終え、玄関で靴を履きながらそう言うも、

 

「俺は死ぬまでプロとして生きる。坊主と道が交わる事は二度とあるまい」

 

背後からの声は淡々としていた。

 

「体には気をつけてくださいね、師匠」

 

京太郎は振りかえり、ボロボロと涙を零しながら最後に頭をさげた。

 

「お前も達者でやれ――」

 

師は下げられた頭に手を乗せ、

 

「――京太郎」

 

名前を呼んだ。

 

「ありがとうございました! 大沼師匠!」

 

師は己の戦場へと帰った。

そして、師との別れを経験した京太郎は、覚悟を決めた。

シニアリーグのトッププロ、「The Gunpowder」の弟子として、己もまた自身の戦場へ向かう覚悟を。

 

 

特訓編 カン

 

 

 

 

 

「部長!」

 

次の日の清澄高校。三年の教室。

 

「ど、どうしたの、須賀君? というか部長はまこであって、私はもう部長じゃないわよ?」

「お話があります!」

「近い! 近い近い! ちょっと、顔が近いわ!」

「そんな事どうでもいいんです!」

「よくない! いいから少し離れなさい!」

 

「おー、なんか竹井のやつ一年に迫られてんぞー?」

「え、なに? 久コクられんの? 一年生をたぶらかすなんて、あいかわらずやる事がえぐいわねぇ……」

「おいおいマジかよ? 誰か止めてやれ、かわいそうじゃねーか」

「悪い事は言わないからやめとけ一年。これはお前の為だ。そいつの中身は奴隷商人と変わらんぞ」

「久もやめたげなよ。一年生なのにかわいそうじゃない」

「「「「「そーだそーだ」」」」」

 

「うるさい! そんなんじゃないわよ!」

「周りはいいですからこっちを見てください!」

「ちょっ、な、なによ? だから顔が近い……ってなんで手を握るの!?」

「部長、大事なお話があります」

「え? ……え? ……ぇえ!?」

 

「うそぉ……、なんかマジでコクりそうな雰囲気なんだけどぉ?」

「上級生のクラスにきて告白する勇気は認めるが、ただの自殺にしか見えんな……」

「フラれてもOKされても未来ないもんね……」

「なんて因果な女なんだ……」

 

「あ、あのね、須賀君? その、なんで手を握ってるのか……」

「部長に逃げられない為です」

「…………そ、そう」

 

「……あれあれ? なんか久、意外に好感触っぽいんだけどぉ?」

「マジかよ、あの竹井に恥じらうなんて感情があったのか……」

「それでも全く未来が見えないのは久らしいよねー」

 

「部長、俺に……」

「う、うん……」

 

「「「「「(ゴクリ……)」」」」」

 

「俺に加治木さんの連絡先を教えてください」

「……は?」

「鶴賀学園の加治木ゆみさんの電話番号を教えてほしいんです! 今すぐ!」

「…………」

「抜け目のない部長の事! 一緒に合宿した人達の連絡先は入手してる筈です!」

「……………………」

 

「てっしゅー」

「あの一年馬鹿か? 虎の尾の上で踊りまくってやがるんだが……」

「いいから逃げろ。とばっちりを食うぞ」

 

「だから加治木ゆみさんを紹介してください! お願いします、部長!」

「…………………………………………」

 

 

もいっこ カン


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