夜の帳は既に落ちていた。
紺色の空に星々は無く、重苦しい雲が覆っている。
それを更に、業火に照らされる煙が上書きしていた。
そんな中、空に浮かぶ影が5つ。
その一つであるザフィーラは、人型となりみなぎる緊張に僅かに体を堅くしていた。
初めにあったのは、地上本部が襲撃を受けているという連絡であった。
鉄壁と思われた防御システムがソフトダウンさせられ、ガジェットと戦闘機人に侵入を許してしまったのだ。
デバイスを持てないまま地上本部の公開意見陳述会に参加していた隊長陣が心配だったが、その後フォワード陣がデバイスを届けたと言う。
一安心と言いたい所であったが、機人たちは恐るべき性能を誇っていた。
デバイスが届いてすぐにリミッターを解除された隊長陣を、彼女たちは完璧に押さえてみせたのだ。
機人限定で言えば一進一退であったが、ガジェットと地上の局員では局員がの分が悪すぎる。
加えて同時、機動六課にもまたガジェットを率いて戦闘機人が襲撃してきていた。
いや、その姿は機人と言っていいのか、ザフィーラには分からない。
「貴様らは……機人、なのか?」
ザフィーラは思わず視線を、一人だけ人間の形をしている銀髪の少女へ。
沈痛な面持ちで、ゆっくりと少女が答える。
「あぁ、正真正銘。私はチンク。丸いのがオットーで、剣を持っているのがディードだ」
やはり、とザフィーラは眼を細めた。
オットーと呼ばれたのは、一見新型のガジェットと見分けのつかない存在であった。
鋼鉄で覆われた球は、表面に一つ緑色の宝珠がある以外、なんの継ぎ目も無い完全な球体であった。
恐ろしい程に球に近い存在で、何よりおぞましかった。
理性では、ザフィーラもそれがただの球なのだと分かっている。
なのに見ているだけで背筋に怖気が走り、理性が乱れ、頭の中がパンクしそうになってしまうのだ。
明らかに球体は人間知性が受け取れる情報の限界を超えていた。
ザフィーラが直接対峙しながらもまだ狂気に囚われていないのも、彼がプログラム体だからだろう。
隣のシャマルとて歴戦の勇士だというのに、その顔は青ざめ体は微細に震えていた。
対しディードと呼ばれた方は、まだ人の形を残している。
こちらはカチューシャをつけた茶色いロングヘアーの少女で、少なくとも首から上の存在はすぐに見つけられた。
ただおぞましい事に、ディードのボディには腕が6本あり、更に下半身が尻尾のようになっているのであった。
こちらもまた、背筋が凍り付くような恐るべき存在であった。
腕は一本一本が人間の物と遜色ない作りなのだが、何故か見ているだけで吐き気を催すおぞましさがあった。
まるで人間の腕を裏返らせたかのような存在感に、ザフィーラは歯を噛みしめる。
加えて尻尾の方は更に胃がひっくり返りそうになる光景であった。
尻尾はオットーの球に似ており、こちらも継ぎ目一つ無く、それでいて生き物のように自在に動いている。
固体と液体の中間のような物質でできているとしか思えぬそれは、見ているだけで脳が犯されるような気分になり、ザフィーラはこみ上げてくる吐き気と戦わねばならなかった。
まるでそこだけ空間が発狂しているかのような光景であった。
一言も喋らないオットーとディード。
そんな2人に、眉を下げて眼を細め、チンクはどこか寂しげに告げる。
「かつてはこの子たちも人型のボディで調整を繰り返してきた。けれどいつからだろうな、ドクターは妹たちを改造し、今のような冒涜的なボディに適応できる精神に作り替えた。その目的は、Tの為だそうだ」
言って、チンクは無手のまま飛行。
身構えるザフィーラたちの間に降り立つと同時、目を見開き、宣言する。
「私は……もう、ドクターについていけない。せめて今以上におぞましい存在にならないうちに、妹たちよ、お前たちを……必ず止める! 止めて必ず、お前たちを"人間"に戻してみせる!」
なんと天晴れな宣言か、と思わずザフィーラは目を見開いた。
オットーとディードという狂った存在を前に、しかしチンクの言葉は何処までも人間的であった。
妹たちとの絆のため、狂った親の元を離れ、人間を追い求める。
この狂った空間において、チンクの言葉は黄金のように貴重で、太陽のように輝かしいようにさえザフィーラは思えた。
同時、彼は今まで自分が目前の狂気に硬直していた事に気づく。
ザフィーラは微細に震えていたシャマルよりも狂気的存在に怯え、震える事すらできていなかったのだ。
僅かに作った拳を握りしめる。
ゆっくりと呼吸をし、酸素を体内に巡らせた。
「ヴォルケンリッターよ、私に助力させてはくれまいか」
「構わん」
「えぇ、喜んで」
2人の歓迎の声に、チンクは僅かに驚き、そして微笑んだ。
柔らかな笑みをすぐに戦士の顔に変え、視線をオットーとディードへ。
すると、瞬きをする以外微動だにしていなかったディードが、口を動かした。
「潜在的敵性存在が完全な敵性存在へ。戦闘可能な敵性存在は3。排除を開始する」
閃光。
咄嗟にザフィーラが張った防御魔法に、ディードの閃光剣が激突し火花を散らす。
が、それも瞬きほどの時間に過ぎない。
一瞬で防御魔法は圧壊、咄嗟に回避行動をとったザフィーラの残像を、複雑な軌道を描く3つの剣が刻んでゆく。
同時にチンクの放った鉄の楔が、幾重にも分かれた緑の光線と接触し、爆発。
オットーの放った光線が相殺された。
「これで1存在を排除終了する」
音速の交錯の中、ディード唇の動きがそう告げる。
残る3つの閃光剣は突きを放った。
後退は間に合わず、避ける動きは人体構造上不可能、支援型のシャマルは高速過ぎる展開にまだついていけていない。
死の予感がザフィーラの脳裏を過ぎった、その瞬間である。
紫閃。
ザフィーラは衝撃波に吹き飛ばされる。
「くっ!?」
悲鳴とともに飛行魔法を強く発動、姿勢を安定させるザフィーラ。
続けて彼が見た物は、一人の戦闘機人が肘の光刃で巧妙に6本の閃光剣を押さえている所であった。
「久しいな、ディード。以前会ったのは調整中だったか?」
「……敵性存在が1体追加。対象は捕獲優先」
「やれやれ、やはりドクターはTの情報を欲しがっているようだな」
鼻で笑う女性の名はトーレ。
かつてフェイトとシグナムの2人がかりでさえ圧倒された、超戦闘力を持つ人型戦闘機人である。
鍔迫り合いになっている2人の姿がぶれたかと思うと、次の瞬間ディードとトーレは大きく離れた位置に居た。
余裕そうな表情のトーレを見るまでもなく、攻撃が始まった後に遠距離から割り込み、かつ6本の武器を2つの武器で押さえたトーレが優勢だろうとザフィーラは分析する。
肩をすくめるトーレ。
「トーレ姉様、貴方は……!」
「聞かれる前に言っておくが、私は管理局と共闘する気は無いぞ。何、良い闘争の場になると思って来てみたが、なかなか私好みの状況だ」
「……三つ巴、か」
ザフィーラが呟くのに、チンクが唇を噛みしめ、それでも視線は敵から離さない。
何にせよ、このままでは為す術も無く負けていただろう事を考えると、幸運に違いは無いだろう。
内心で呟き、ザフィーラは拳を構える。
支援魔法の類いを完成させ、発動寸前までいったシャマルは、今度こそ戦力として申し分ない。
明らかに一番弱い勢力となる六課側だが、三つ巴となれば、勝つまではできなくとも時間稼ぎはできるだろう。
せめて非戦闘員の避難までは、耐えてみせる。
悲壮な決意とともに、ザフィーラは息を吸い込んだ。
吐気。
閃光が激突する。
*
紫閃。
超音速の光刃にトーレの肘の刃が接触、トーレの超膂力により一瞬で均衡は破れる。
跳ね上げられた光刃は他の刃をビリヤードのように巻き込み弾き、空いた隙間に光刃をねじ込む隙ができるも、無視してトーレは後退。
直後オットーの空間魔法がトーレの残像を閉じ込め、同時に放たれた12条の緑の光線を、鋼鉄の爆刃が迎撃した。
瞬き程の間、トーレの視界からディードが消える。
次の瞬間、甲高い音が響いた。
それを聞き取るが早いかトーレは高速移動、シャマルとその前で強化された防御魔法を張るザフィーラに、横から蹴りを放つ。
助けるつもりの一撃である。
着撃の瞬間に階段を上るようにしてトーレは直角制動、残るディードの光刃を避けつつ自分はディードに垂直に回転。
遠心力の籠もる斬撃を上空から放つ。
「——っ!」
無言の悲鳴を上げるディード。
その重ね合わされた6本の光刃は、しかしトーレの片肘の光刃と拮抗している。
ディードの6本の腕の膂力を合わせても、トーレの片腕の膂力にすら及んでいないのだ。
圧倒的な身体能力の差であった。
歯軋りするディードは超速度で後退、その残像をザフィーラの鋼の軛が貫いてゆく。
その合間を縫うようにトーレはディードへ接近。
反射的にだろう、放たれた甘い斬撃を避けて踏み込もうとして、トーレの背筋に悪寒が走った。
閃光。
トーレの頬に灼熱が走り、十分な距離が取れた事を確認した上でトーレは頬に指を這わせる。
血が滲んでいた。
「……なるほど、ディード。貴様の6本の腕の関節は、関節限界を無視して逆側にも回るのか。隠していたという事はもっと致命的な場面を狙っていたのだろうが、押されていて思わず、と言った所だろうな」
「…………」
無言でツインブレイズを構え直すディード。
それを無視し、トーレは視線をオットーへ。
「オットーの方は、特殊隔離結界の高速発動か? 外から内へは攻撃が通るが、内から外は攻撃が通らない類いか。同時発動でレイストームも打てるようだな」
「…………」
口の場所すら分からないオットーは、緑の宝珠を明滅。
トーレは口元を左右非対称に歪めつつ、現状を分析する。
3勢力の強さは、大まかに言ってトーレが改造機人2人と互角かやや上、それから大きく落ちて六課勢となっている。
六課メンバーはザフィーラは基礎能力が不足、シャマルは支援魔法でザフィーラの能力不足を補っているものの、超高速戦闘に判断がついていけず支援魔法のタイミングが今一だ。
チンクは辛うじてSランク魔導師レベルの戦闘能力があるのだが、彼女の空戦機能は後付けである故、空戦経験が足りていない。
対しトーレは、スペックでも経験でもディードを圧倒し、恐らくは改造機人と1対2の状況であっても互角以上に戦えると見ている。
六課と三つ巴という特殊状況だが、状況を利用すれば負ける相手ではなかった。
だが、そもそもトーレの目的は、実を言うと戦闘では無かった。
Tが出てくるまでの時間稼ぎである。
トーレは、すぐに六課に負けられては困る理由があったのだ。
そも、トーレの目的であるTに防御力があるのかどうかすらも不明なのである。
あまり建物を損傷されると、無いとは思うが、Tが巻き込まれて死んでしまう可能性がある。
かといって、いかにトーレとは言え万全の状態の六課に単身挑めば、Tを手にし聞きたい事を聞くまでに敗北し、捕まってしまうだろう。
故にこのタイミングでしか、トーレがTと確実に接触する事は不可能だった。
そして流石にトーレとはいえ、この戦場をすり抜けるような事は適わない。
加えて、トーレには不思議と確信があった。
Tが。
あの恐ろしくおぞましい存在が再び表舞台に姿を現すのは、今日この日しか無い、と。
六課隊舎の入り口を中間に挟んで対峙し、数分。
睨み合いが続いている所に、子供らしい高い声が響いた。
「目的の子……、捕まえてきたよ」
「ママ……怖いよぉ……」
「ヴィヴィオ!?」
シャマルが悲鳴を上げるのを聞きつつ、トーレは口元を緩める。
来たのだ。
Tが現れるべき、その瞬間が、来たのだ。
あの男であれば、この瞬間に必ず現れるに違いあるまい。
期待に胸が膨らみ、あふれんばかりの喜びに、自然トーレは口元を歪めた。
「……ひひっ」
奇っ怪な音が喉奥から小さく響き、いけないいけない、とトーレは片手を顔にやり、手で強引に笑みを修正する。
口角を左右対称に戻し、見開かれていた瞼を少し下ろし、膨らんでいた鼻腔を少し押さえた。
「行こう、ガリュー」
そうこうしているうちに、現れたルーテシアが飛行魔法を発動させ、その場を飛び立ち改造機人の方へと飛んでいこうとする。
それを押さえようとするも、ディードの牽制で動けない六課陣。
極限の時間に、その男はゆらりと六課隊舎の入り口から表れた。
「あぁ君、ちょっと待ってくれないかい」
男は煤まみれたコック姿の青年であった。
高いのか低いのか耳朶に届いていても判別できない声を漏らし、ルーテシアの方へと近づいてくる。
思わず悲鳴をあげるシャマル。
「何を言っているんですか!? 逃げてください、貴方はただのコックでしょう?」
「いやでも、ヴィヴィオちゃんは六課の子だろう? 避難するなら一緒に行かないと」
「状況が分かっていないのか!? 早く逃げろ!」
怒号が飛び交う中、ルーテシアは思わず、と行った様相でヴィヴィオを手放した。
悲鳴を上げながらヴィヴィオはコックの背後に回り込み、ぎゅ、と彼のズボンを捕まえる。
それに困り顔で、コック。
「あぁほら、アイナさんがそこに居るから。君は先に一緒に避難しな」
「う、うん! ありがとう!」
歓声をあげて走り去るヴィヴィオに、何故かルーテシアもガリューも何も出来ない。
ただただ、彼女は震えながらコックを指さすばかりであった。
疑問に思ったのだろう、ディードが冷たい声を吐き出す。
「ルーテシア、何故……」
「貴方は」
それをかき消すようにルーテシア。
震える声で、コック姿の青年へと告げた。
「貴方は……誰?」
青年は、微笑んだ。
微笑んだと分かっているのに、トーレにはその顔がどうやって微笑んだのか分からなかった。
微笑んだというのなら口元を緩め眼を細めたのだろうが、その一つ一つのパーツの動きを捉える事ができなかったのだ。
奇妙な感覚に、しかしトーレは震えながら押さえきれず、再び歪んだ笑みを浮かべて。
それに答えるかのように、コック姿の青年は言った。
「こんにちは。ぼくはTです」
全ては解き放たれた。
トーレの視界の端でオットーは緑の光線を発射し、12条の光線はすぐに翻り自身へと命中、爆発する。
ばらばらになった球体の中からは、女性の頭蓋と思わしき残滓が焦げていた。
ディードは超音速の剣裁きで6本の光刃を首へと差し込み、入り口と出口で計12本の光刃がディードの首から生える。
そのままディードは休むこと無く刃を跳ね上げ、ディードの頭蓋は12分割された西瓜のようになり、すぐに分かたれて中身を零しながら落下した。
ルーテシアは咄嗟の判断でガリューを送還するも、直後自分で自分の首を絞め始める。
血管に極まったのだろう、すぐに気絶し、そのままその場で倒れた。
「う、ぐ……」
対しザフィーラとシャマルは、プログラム体である事が良好に働いたのだろうか、滝のような汗を流し失禁し泣きだし微動だにできないものの、意識を保っている。
チンクも無改造の戦闘機人だった事が関与したのか、辛うじて意識だけは保ち、反射的に自身を貫こうとした鋼鉄の刃をぎりぎりの所で押さえる事に成功していた。
「……Tよ」
今やコックのT=S級生体ロストロギアのTという図式は明らかであった。
そんな中、トーレは一人狂気の様相をしながらも、Tの側へと降り立つ。
ふわり、と柔らかな着地を見せ、凶相のままにトーレは言った。
「言った筈だな、次に会う時は容赦しないぞ、と」
「……うん、そうだね」
哀しげな顔を浮かべるT。
同時、Tから発せられる狂気が弱まり、息一つできていなかった六課陣がようやく呼吸を開始する。
肩で息をしつつ、ザフィーラ。
「まさか……T、お前がTだったのか!?」
「いや、意味分からないんだけど……」
「Tに同意しなければならないのは遺憾だが、私もそう思うぞ。もう少し落ち着け」
溜息をつきながらトーレはTに近づき、軽くTの足を刈る。
回転するTの膝裏と背に手を、所謂お姫様抱っこをしてみせた。
「といっても、落ち着く前にTは私が攫わせてもらうがな。おいT、落ちたくなければ私の首に手を回せ」
「……ぼくはお姫様抱っこされるより、したかったんだけどなぁ。特に亀を相手にやってみたかった」
「それはさぞかし、ただ持ち上げたのと区別し辛いだろうな……」
言いつつトーレは地面を飛び立ち、六課陣と相対する位置にまで高度を上げる。
緊張がザフィーラたち3人を包んだ。
トーレと3人の戦闘能力の差は圧倒的である、Tというデッドウェイトがあっても勝てる見込みは薄い。
そんな雰囲気を無視し、トーレは狂気に滲んだ瞳を3人に向け、言い放った。
「チンク、ドクターから私につけてある筈の発信器の周波数は聞いているな? 今からそれをオンにする。ドクターも私を追ってくるだろうからな、ドクターとケリをつけたければ、六課の者どもと追ってくるがいい」
「な!? 何を……!?」
「私に未だ姉妹の縁を感じているのなら、そうしてくれ。決して単身では来るな」
トーレは、疑問に満ちたチンクと視線を交わす。
数瞬。
チンクはすぐさまその瞳に強固な意志を取り戻した。
「……恩に着る」
「何、少し時間が欲しいのと、ドクターと六課の両方を敵にして戦ってみたいだけだ。気にする必要も無い」
「それでも、ありがとう、姉様」
頭を下げるチンクに小さく肩をすくめ、トーレはその場を飛び去る。
その場には、頭を下げた姿勢のままのチンクに呆然としたザフィーラとシャマル、そして気絶したルーテシアと2つの死体だけが残された。