噛み合わない友人との会話、奇妙な感覚。その原因をアリスが探す、短い話。

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プラスチック・アリス

 ――人形、人形、人形の群。

 

 嗚呼。何を思って。これ程までに。囲むまでに……体を。心を。縛るまでにこの壁を。人の形、人の顔。数え上げるのも馬鹿らしいほどに多くの、目鼻を持って見下ろす壁を。作り上げた理由を問えば。

 

 問い掛けたところで。彼女は何も答えはしない。それは、彼女もまた。酷く整った、作り物めいた。事実、作り物でしかないのだけれど……そう、私は。作ったのだろう、と。まるで、鏡映しのそれ。私の形、私の人形。人形の頬、私の手で。人形のそれとは全くに異なる、柔らかな指で撫ぜて、問う。

 

 

 私は。何を思って、貴女達を作ったのかしら、と。

 

 

 

 

 

 

 

 浅く焦げ目の付いた焼き立てのトーストにバターを塗って。器に盛った緑、黄色、薄い肉。一人分の朝食は、無数の人形達に。半ば自律して動く彼女達に命じて作らせたもので。保存している食材から朝食として適当なものを選び、適当に作り、それなりに丁寧に食器を洗う。作るまではどうせ、私の口に運ばれるもの。些細な焦げも味の音痴も気にはせず。只、汚れた食器を棚に並べ、また、使うのは。急な来客時に恥をかく羽目になる。何より私が心地良くない。

 

「……さ、て。何をしていたのだったかしら」

 

 食事を終え。下げられる皿、器。小さな体が運びゆく様を横目で見送り、傍らに置いた研究ノート……毎日の記録、その日の出来事。半ば、日記のようなそれを開いて。昨夜の出来事、研究の進展。確認するために目線を落として。

 

 完全に自律する人形。最早、新たな命を作るようなもの。その最終目標へと向けての、日々。それらを綴った……特に。進展がなければ。ただの日記となってしまうこともあるけれど。そして、それは。昨夜の私もそうだったようで。読み返すうちに、寝る寸前までの記憶が甦り始め、読み終える頃には。

 

「……そうね、今日も泥沼ね」

 

 研究は。行き詰ったまま。必要なのは、体か、心か。心などと言うものは、人の形を作ってやれば勝手に宿り。ならば体か。必要なのは――あの毒人形がそうであったように。人間と同じ形を持ち、人間と同じ毒によって動き。模倣するとしたならば、あの鈴蘭畑の毒を、幾らか採取する必要があって。

 しかし。それは、私の思うそれとは異なるものであると。何度も行き着いた結論。今回もまた、同じ道、同じ答え。あれは、偶然の産物。ただの妖怪。人形に限らず、物であればどんなものであれ……長い年月をかけたならば、四肢を持って歩き出すように。私が求めるのは、生まれたその時から思考し、動き、行動する人形。新たな生物、と、いうのも異なる。物を考えるだけの機能を。手足を動かす機能を。人形として、私自身が作り出さねばならないのだ。

 作り出さねばならない。作り出さねばならない……それは。

 

 それは。何故――?

 

「……なんで、だったかしら。でも、まあ」

 

 忘れてしまったのであれば、大したものではなかったのだろう、と。そう結論付け。動機に関わらず、この研究は。私の生き甲斐と成り得るのだから。

 だから。今日もまた、研究に勤しもう、と。私は、アリス・マーガトロイドは。

 

 机の上に広げた。冊子を、閉じた。

 

 

 

 人形に溢れたその家に、誰が訪れる訳でもなく。魔法使い、魔女の家と言うには、小奇麗に過ぎる小さな館。事実、アリスを。その姿を、御伽噺の人食い魔女と重ねる者など幻想郷には殆ど居らず。居たとしてもそれは、アリスの姿を見たことがない、書物にも目を通さない。無知蒙昧と言うほかに言い表せない者であって。

 度々里に顔を出しては、人形劇を披露して行く。彼女に対する人々の目は、恐ろしい魔女を見るそれではなく。親切な大道芸人、くらいのもの。里の識者が彼女に危険は無いと明言している以上……無論、悪意を持って接しなければ……また、彼女の立ち振る舞いを見る限り。アリスを邪険に扱う者など居ないに等しく。その居が魔法の森、妖怪と化した草木が蠢き、体を侵す胞子の飛ぶ。鬱蒼と茂る森になければ、里の子ども達は(こぞ)って遊びに来ただろう、と。

 

 アリス自身。自分の研究に浸るためには、他者の好んで寄り付かない。この森に家を構えて正解であったと。心からそう思い。

 

 腹を開いた人形。人のそれに似た構造。滑らかな関節、人形らしい。人らしい、容姿。作りかけの小さな洋服、端切れ、針山。所狭しと部品の置かれたその部屋は、やはり。魔女の家と言うよりも、人形師の工房で。照明に照らされた人形、その前でじっと書物を睨み、人形を睨み。作業に勤しむその姿はやはり、職人のよう。

 

「……この状態で、予め魂を植えつけるべきなのかしら……後から魂が籠もっても、それは……うーん……」

 

 幾つもの栞が飛び出した本。その栞がまた一つ増え、乾いた音を立てて閉じ。アリスの瞳が映すのは、作りかけの人の体。生を得てさえ居ない体は、死体ですらなく。自律人形として完成したところで、それが生き物と言えるのかどうかなど。アリスが知ったところではない。

 

「そもそも、魂は必要なのかしら。考えるだけの力があれば……記憶して、きちんと動く脳があれば、それで……でも、考えることだけ出来てもねぇ」

 

 隙間の妖怪が使うような式神が、媒介となる体を持たなければそんな風だろうか、と。そもそも、再現の出来ていない事柄、考えたところで分かるはずもなく。只、考える力を持っていたとは言え、それを自身で使えなければ。私が一々命じていたのでは、それは、既に完成している半自律人形……与えた命令を繰り返すだけのそれと、何が違うのか。自分で勝手に動く人形よりも、命令したことを忠実に行う人形の方が便利かもしれないと言ったのは、他でもないアリス自身ではあるものの。

 

「やっぱり、自分で考える人形を……作れないのと、作れるけれど使わないのでは雲泥の差よね……」

 

 思い。また、机に向かうも。そもそも、籠もる魂もまた。自分で創れるようなものなのか、と。新たな問題、何度も廻った疑問の道を。今日も辿るばかりであって。人形自身の、人であるとの思い込み。自我があるとの思い込み。魂が宿る瞬間が、いつであるかも分からず。それどころか、魂をいつまで経っても持つことなく肉体だけを持つことさえ。伸び始めた髪、流れ始める涙。それ等はどちらかと言えば、やはり妖怪としてのそれ。

 

 魂を作る。自我を作る。外の世界の魔法ならば、もしかすると。其処まで行き着いているのかもしれない、と。無いもの強請りを始める始末で。

 

「……そういうのは確か、研究を纏めていたはず……」

 

 徐に。作業を放り出して立ち。本棚へと向かい。無数の冊子、手に取り広げ、探し、探し。

 

 けれど。

 

「……見付からない……? そんなはずは……」

 

 自分の記憶違いだったか。否、そもそもその研究が無ければ、先までの自分の思考もありえないはずで。なら、何処か。調べた結果を紛失したとでも言うのか。自分に限ってそれは無い、と、思いたいものの。

 思い出せず。纏めたのは随分前のことだったのかもしれない。怪しくなった記憶、頭を、軽く小突いて。自身の持つ本、魔導書だけでは情報が足りず。ならば、と。

 

 数体の人形を呼び寄せる。最低限の手荷物を掴む。幸い、いつでも外出出来る程度には、身支度は整えていて。

 

「あまり、気は進まないけれど。今日は静かだといいわね」

 

 扉を開いたアリスは。その施錠を人形に任せ、一人。宙へと浮かぶ。そのまま低空を飛び、森を抜け。空の下、日の下に至ってようやく、高度を上げることを許され。野を、川を、湖を越えて。

 

 そうして。降り立つのは、赤い屋敷。地下に広がる図書館、知識の泉。雑多にかき集められた本の群。

 別の魔女の住まう図書館。

 

「お邪魔するわね」

「邪魔するなら……」

「邪魔しないから」

 

 気難しい割に何処か抜けた。紫色の魔女の言葉に言葉を被せる。本へと視線を落としたまま、真顔で軽口を叩く様も見慣れたもの。手短に用件を伝え、蔵書を漁る許しを貰い。並ぶ本棚、巨大なそれへと歩を進めれば。

 

「今回も上手くいったようね」

 

 魔女は。背を向けたアリスに、言い。それは、只々軽く。隠した意味を推し量ろうにも、あまりにも自然に。決まりきった挨拶か何かのように言うもので。

 

「……何のことかしら」

 

 アリスは。問い掛けることしか出来ず。

 

「技巧を凝らした一つの魔法が成功したことに対する只の賞賛」

「魔法? 何のことよ」

 

 目線を。頁から離し。離した視線を、そのまま。二人の魔女は、本の数秒。視線を重ねて。

 

「……随分と親切になった。人と接するようになった。貴女は既に孤独じゃない。見渡せば、生は喜びに満ちていると。素直に感じることが出来る」

「はあ……? 一体、何の話を」

「分からなくて良いから、憶えておいて。情報は多すぎて困ることは無いから。自分で支えきれる分には」

 

 意味を。噛み砕く前に彼女は、また。本へと沈み。その真意など、理解できるはずも無い。

 アリスは、また。背を向けて。目当ての本のある場所へ。爪先を向け。

 

 胸の内で。やっぱりこの幻想郷は、回りくどい人ばかりが居ると。そう、毒づいた。

 

 

 

 

 

 

 自律人形の作製へ。近付き、近付き。けれども、完成はまだ遠く。必要な情報、知識、纏めた冊子が増えるばかりで。

 人形の完成へと至らないのは、まだ良い。時間が掛かるということは、既に覚悟していたこと。問題なのは、近頃。妙な既視感。頭痛。これが一体何なのかと調べたところで。医者でも薬師でも無いというのに、原因を突き止める事等、出来るはずも無く。

 

「それで、私のところにね」

「ついで、だけれどね。本題は、いつもの薬」

 

 赤と青。医者にしては派手な色を纏った。八意永琳の診察室へと足を踏み入れ、促されるままに椅子に腰掛け。

 

「既視感は、暫くすればどうでもよくなるでしょう。頭痛は……鎮痛剤でも要る?」

「そんなのでいいの? 何か、病気とか」

「大丈夫よ。体には問題ないわ。私がするべきことは特に無いの。ただ、頭痛は敵わないでしょうから、はい」

 

 棚から取り出した、薬紙に包まれた二種類の丸薬。一つは、見覚えのない……恐らく鎮痛剤、手に取り。もう一つ薬師の手のひらに残るのは。

 

「あ、そうね。やっぱりこっちはあげない」

「えっ」

 

 そう言って。見慣れた丸薬を柔らかに握り隠し。八意永琳は開けっ放しのままだった棚へ、薬をしまう。

 

「そっちが、本題なのだけれど」

「そう言ってたわね。でも、もう必要ないんじゃない? と、言うよりは」

 

 飲まない期間が必要じゃない? と。その薬、覆い隠したそのときと同じ。柔らかな声で、そう告げて。

 

 その薬は、胡蝶夢丸。数粒飲めば悪夢を忘れ、胡蝶となって夢に遊ぶ。そんな薬で。

 

「……その薬を欲しがるのが、どんな人かは分かるでしょ?」

「分かってるわ。貴女のこともちゃんと……だから、よ」

 

 要領を得ない言葉。しかし、アリスは。その薬を譲ってもらう立場であって。薬を寄越せと強引に詰め寄ることなど……立場が異なったとしても。永琳が自分へと向けるのは陥れようとする悪意ではなく、親切心、医者としての忠告であると。理解しているからこそ、出来るはずも無く。

 彼女の言葉には、半信半疑。真意を掴めない言動。そういえば、数日前にも。あの魔女のところで、こんなことがあったな、と。近頃感じるそれとは異なる既視感。何処へ言っても回りくどい人ばかり、と。半ば諦めにも似た思い。

 まあ。悪夢を見るからと言って、その場で死んでしまうわけでもなく――なら、その親切心と。医者の言葉。一度信じて薬を断つのも、そう頑なに拒むものではないか、と。そう結論付け。

 

「……もし睡眠不足になったら、その時にはまたお願いするわ」

「素直でよろしい。じゃあ、お大事に」

 

 席を立つ。向かう先は、また、自身の家。研究と、作業。食事の支度は人形達がやってくれていることだろうが、それでも長居は相手に悪い。

 

「ええ。いつもありがとう」

 

 小さく頭を下げて。言葉と共に、髪を揺らした。

 

 

 

 

 瞼を閉じて。鈍くなりゆく思考を止めて。

 柔らかな寝台に体を沈め、暖かなそれに包まれながら。横たえたままの体、只々、力を抜いて。

 

 脇に置かれた小さな机に、薬の包み紙は無い。薬を貰うために足を運んだというのに、結局。アリスは薬師の言葉に促されるまま、頭痛を治める薬だけを受け取って、帰路に着き。人形達の作った食事を取った後、製作中の人形、その洋服を縫い進め。そうして夜は更け、今に至る。

 人形の家。瞼を開けば、カーテンの向こう。差し込んだ淡い月明かり、照らされて浮かぶ人形の顔。人形塗れの館、人の形、生き物の形……形だけ。張りぼての命、死に物ですらないそれ等で埋まった小さな館。唯一の生き物であるアリスもまた、そんな人形達と同じく。体を横たえ、死んだように。

 

 青い青い月の光。人形よりも人形らしいその顔は、姿は。彼女を知らない者が見れば、この屋敷、無数の人形達の一。どの人形より精巧に作られたそれと思い込ませるほどに整った。整えられた、姿を横たえ。

 

 瞼の裏。浮かぶ景色は、夢は。しかし、整った姿、形と異なり、混沌として。

 

 浮かび消える姿は彼女の記憶の中のそれ。知らない光景、知らない記憶は。暗闇に飲まれ静かに消えて。塗り潰すように映し描くその姿は彼女の辿り着く場所で。普段ならば、胡蝶の夢。楽園の景色、済んだ水、静かな水面。今の彼女の目に映るのは、そんな景色とは真逆の―――燃え盛る大地、照らされた亡者。串か、刃か、赤く錆びて赤に突き立つ。肉の燃える臭い、何かが潰れる音、爆ぜる音。水の落ちる音。それは、それは。

 

 地獄のそれで。

 

 

 

 そっと。瞼を開く。青い瞳は、やはり、差し込む月の明かりを受けて。薄く色のついた硝子に似て。覗き込んだならば、その奥底まで見通せそうなほどに澄み。澄んだ瞳は、開いたままの瞼、見上げた天井。木製のそれを見詰めたまま、月の明かりを受けたまま。先に見た景色、苦痛に満ちた世界は。彼女の心を軋ませるほどに恐ろしいものであったけれど。彼女の見た世界は。眠りに落ちて、体を離れたその心。そのまま、引きずり込まれるまでには至らずとも近付き、見せられた世界、彼女の行く末。それを理解できないほどに、彼女の目は曇ってはおらず。あれが自分の辿り着く場所。突き落とされる世界であると。そしてまた。彼女の見た。知らない光景が、記憶が。誰かに植え付けられたそれではなく、彼女自身が体験したそれであると。理解し、理解した上で。

 

 

 汗を拭う。眉を顰めることもなく。涙を零すこともない。うろたえることもなく、泣き叫ぶこともなく。不条理に怒り狂うこともなければ、望みを失い、心を砕くこともなく。ない、まま。

 

 

 そっと開いた瞳は、開いたときと同じように。静かに閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 冷たい空気。差し込んだ朝の日差しに迎えられ。本の少しだけ眩しそうに瞼を開いたアリスは、少しの間、昨夜目覚めたその時と同じように宙を見上げて。

 

 暫くの間。ベッドに残った温もりに体を預け。其処から踏み出ることを躊躇し、けれど。昨夜の夢が、出来事が、鮮明に。記憶に残っていることを確認すれば、自らその手で布団を剥ぎ取り、這い出して。

 

 いつもと変わらず。朝食の用意を、人形達へと命じた。

 

 

 

 アリス自身、突然に自身の行き着く先を見せられ、自分の記憶を疑うべき出来事に見舞われながらも、こうも平常心を保っていられることが不思議で。不思議でありながらも、それさえ受け入れていて。時間が経てば実感が湧き、取り乱し始めるのだろうかと。今の穏やかさも嘘のように取り乱し、髪を掻き毟ることになるのだろうかと考えつつも、普段よりも少しだけ早い朝食を取り、そしてそれを終えるまで……終えても尚。アリスがうろたえ、混乱し、頭を抱えて髪を掻き毟るような。そのような様を晒すことはなく。姿見の鏡に映るのは、身だしなみを整え、出掛ける支度をする自身の姿で。

 

 あの薬師の言うことは本当だった、と。奇妙な既視感は、気にならず。残る頭痛は貰った薬が抑えてくれた。あの夢、甦った朧な記憶。それはとても大切なもので。それでいて、思い出してはいけないもの……いや、いけなかったもの。触れてはならないものなのだと、心のどこかで隠した誰かが針を突き立て、隠されたそれが頭蓋の内で棘を伸ばす。それでも、そんな胸の痛みに、頭の痛みに。顔を歪めることもなければ、不安気に顰めることもなく。普段通りの彼女の顔。普段通りの心地のままに対峙して。

 

 向かう場所は。この夢、記憶を探る手掛かりは。きっと、彼女が持っていると。酷く回りくどい彼女が、そう簡単に、饒舌に。アリスに全てを話すかなんて知るはずもなく。しかし、それでも。自分に起こった出来事を、知らないままでいると言うのは心地が悪い。知って、心折れることになるかもしれない。触らずに居た方が良いのかもしれない、と。思えど、もう。一度視界に入ったもの。知らない振りをし続けるよりも。

 

「ま。全部知ってから考えればいいわ」

 

 昔の私は。もっと悩む性質だった。その『昔』が、いつのことかも思い出せないまま。アリスは、今日も。人形だらけの、家を空けた。

 

 

 

 図書館は今日も静かで。宙に浮く埃、明かりに照らされ線を引き。無数の本に囲まれた――人形に囲まれた魔女と、本に囲まれた魔女と。未だ未熟なもう一人の魔女も、次第に何か、一つに凝って、その瓦落多を選り好みするようになるのだろうか、と。考えながらアリスは、出された紅茶に口を付けて。

 

 銀色の髪は。魔女達の会話に一片の興味もないとばかりにその場を去って。呼ぶ者が呼べば瞬きをする間に現れる彼女だ、この広い広い屋敷の中なら、何処で言葉を漏らせど拾い上げるのだろう。それでも、興味が無いのであれば。この会話も、どこかで聞き流してくれるだろうと……そう思わせるための素振りか。人間らしさを損なうほどに気の利いた。悪魔に仕える従者と言うのは、次第にそうやって人間らしさを失うものなのかもしれない、と。その割に、口を開けば惚けた事ばかり言うのだから分からない。

 

 

 沈黙は。静寂は。頁を捲る音に度々破られ、そしてその度、解れたばかりの静けさを繕って。どれだけ頁が捲られようと、言葉が続くことはなく。紫の髪は、紫の瞳は。普段と変わらず、文字の羅列に埋まるばかりで。アリスも同じく。自身の持ち込んだ冊子……随分と使い古されたそれに視線を落として。

 もどかしさは感じることさえない。それは、まるで何度も経験したことがあるように。こんなものだと。慣れにも似た……それは、きっと、互いに。アリスも、パチュリーも。この状況は、この対峙は。これが初めてでは無いのだと。欠片ほどの記憶しかないアリスでさえ理解できるほどに落ち着いた。

 

「思い出したのね」

 

 口を。開いたのは、紫の魔女が先だった。アリスが顔を上げれば、其処には。珍しく、人の目を見る魔女が居て。

 

「ぼんやりとだけれどね。貴女は、何処まで知っているの」

「さあ。何処まで、と言われても」

 

 カップに口を付ける。答えは中々紡がれずとも、焦燥感は無く。時間は止まったかのように……銀の彼女に弄ばれているわけでもなく。遥か高く、積み上げられた本棚、この図書館が地下にあると知らなければ、本で出来た搭だと思い込むだろう、広い広い頭上。宙を舞う埃が風に流れる様だけが、遅く、遅くではありながらも、それが刻まれ続けていることを感じさせて。

 

「貴女が昔、私に話したことと、その後起こった貴女の変化。それだけしか知らない」

 

 カップから口を離した彼女は、そう、返事を返して。

 

「そう。出来れば、その話を聞きたいの。教えてくれないかしら」

「これは、元々貴女の知識だから。私の手にある分は、全部返してあげる」

 

 本を閉じる音。分厚い本、魔導書。常人であれば気を狂わせ。心を飲み込み、魂を奪う……悪魔と同じ。彼女もまた、きっと。アリスと同じ運命を辿るのだろう。

 

「まず。貴女は随分と変わった。人と接することを恐れなくなった。いや、恐れることも受け入れた。傷付くことも、傷付けることも。悩むことも……昔の貴女とは大違い」

 

 彼女の話は。やはり、その始まりが唐突で。彼女の知る知識、情報の中、何処を切り口に選んでいるのかが知れず。知らないままに、その話に。アリスは耳を傾ける。

 

「一度目の貴女は、不具合が多かった。二度目に移るのに、そう長い時間は掛からなかった。二度目の貴女もまた。完璧を目指しすぎて――やっぱり、不具合が多かった。

 

「……」

 

 脳裏に過ぎるのは。思い出した記憶よりも、近いもの。今の私が経験し、そして忘れた朧な記憶――無数の、自分を模した人形。その、小部屋。

 

「三度、四度。両の手では足りないほど。私はきちんと数えたわけじゃないし、私の知らないアリスも居た筈だから、数は気にしなくていい。私は、何人もの貴女の心が壊れていく様を見て、壊れた心が眠りにつき、そして新しいアリスが作られるのを見続けてきた……貴女から聞いた話を通して、だけれど」

 

 彼女は、続ける。

 

「初めのアリスは――誰に作られたわけでもない。一番初めのアリスは、あまりに繊細すぎた。脆すぎた。自分の生の苦しみから。自分の死後の苦しみから。逃れようとし続けた。魔法使いに向いてなかったのかもしれないわね。技術や知識、探究心は、魔法使いのそれで――ずっと長い時間を生きた、私との差を生めることもきっと出来た。それでも、その精神は」

 

 魔に属して。光に背を向けて。魂を売り払い、悪魔と戯れ。地獄への片道切符を握ったまま生きるには、あまりに脆すぎた、と。紫の髪の魔女は言い。

 

「死後の苦しみを酷く恐れた。罅の入った心はその亀裂から意識を掻き出されて、夢を見るたびにその行く末へと呼び誘われて。私達魔法使いは、死後の苦しみを遠く先延ばしにする術を持っているけれど、それでも」

 

「私は。生きることからも逃げたかった」

 

「そう……捨虫の法を使えなかった。使えはしても、使うことが出来なかった。悩み続ける生に光を見出せなかった。暗い暗い生を歩むこと、開き直ることも出来なかった。だから」

 

「私は自分の人形に、自分の魂の大部分を籠めた。私の研究は、自律人形の研究はもう完成していた」

 

「完成した自律人形、その心には自分のそれを使って。それで居て、記憶は全てを引き継がせなかった。魂は貴女の持つ全ての罪を乗せて新たな体に宿り、その罪について何も知らない状態から歩み始める。心を軋ませる情報は持たず、傷の消えたまっさらな心と体で生きる事が出来る。そして」

 

「元の自分は。消えてなくなる」

 

 

 暫く振りの沈黙が、本に溢れた搭の其処へと降りてくる。

 ずっと、ずっと。そうやって、新たなアリスに全てを転嫁し続けて。元の私を消し続けてきたのだと。アリスの朧な記憶は、対峙する魔女の持つ情報。アリスの知らない過去。忘れていた過去を伝えられる毎、鮮明に紐解かれて。

 

「……でも。その仕掛けも、完璧じゃなかった。私の魂に染み付いた罪は、記憶は、まっさらな状態の脳に植え付けられてもまだ、消されたはずの記憶を持ち続けた」

「そう。脳が死んだ程度で全てを忘れられるなら、そもそも地獄なんて成立しない。だから、何度作りなおしても、貴女はまた新しい自分を作るに至った。贄として作られた自分の、その役目を押し付けるため。新しい自分を犠牲にするため」

 

 アリスの前に居る魔女は。パチュリー・ノーレッジは。アリスに起こった全てを知り。知りながらも。

 

「ごめんなさいね。人の厄介ごとに引きずりこんで」

「……そう、怒らないのね。自分が人工物であるということに対しては、何か、思うことは無い?」

「……そうね。特には……私であることには変わりないし、使った魂は、紛うことなく自分のだから」

 

 それより、何を。怒ると言うの、と。アリスは、言い。パチュリーは、一度。その瞳に、僅かに。躊躇いの色を浮かばせて。

 

「……私は、貴女を止めようともしなかった。心が壊れていく姿を、只眺め続けた」

「悪く捉えられるように言うのね」

「実際、何もしてないからね」

 

 交し続けた視線を、紫の瞳が外す。青い瞳はただ、その目を見続けて。

 

「何も、出来はしないでしょう。私の問題なのだし……何度も相談にきて、何度も同じことを繰り返した。非は私にあるわ。でも」

 

 でも。何で、今回は。隠すことなく教えてくれたのか、と。殆ど、完全に甦った記憶を辿り。素直に全てを伝えたのは、これが初めてのことだと。彼女に、問う。

 

「……貴女は変わった。受け入れるようになった。流され続けるという意味ではなくて。何をされても、何も感じないと、心を止めたという意味ではなくて。悩むことを、悲しむことを。苦しむことを。人を傷つけることを。傷つけられることを。一つ一つ、些細なことで心を動かしながら、それでも」

 

 また。視線を重ねる。紫色の瞳は、澄み切ったアリスのそれとは異なり。何処までも深く、深い色で。

 

「今の貴女なら、自然のそれに任せて生を終えることも、捨虫の法を使って永い生を得ることも出来る。もう、壊れないほどに。受け入れたまま生きれるほどに。暗い思いだけで溢れかえってしまわないほどに。明るいそれも注げるほどに。貴女の作った、その心、は、大きなもの、だったから。だか、ら」

 

 言葉は。咳の音に飲まれて。慌てて立ち上がったアリスが傍らに駆けつけ、その背を摩り始めるまで。パチュリーの体は、咳き込む音と共に震え。

 

「……ごめんなさい。ただ、私が話した理由は、今言った通りなの。今の貴女なら、きっと、心が壊れたりしないと。そう思って」

「こっちこそ、ごめんなさい。あまり、長い間話させてしまって」

「いいのよ、それは。私も、貴女に話さないと……話さないといけないと、思い続けていたから。それに」

 

 私も。一つ、尋ねたいことがある、と。咳き込んだばかりの喉は、本の少しだけ苦しげに、言葉を紡いで。

 

「これから。全てを思い出した貴女は、どうするつもり? その体で生きるのか、また新しいアリスとしてやり直す為に、自律人形の研究を続けるのか。それとも……」

 

 彼女の問い。ずっと。独りでに自壊して、また作り直し、と。繰り返し続けたアリスに向き合い続けた。向き合い続けても尚、何も出来ない歯痒さに悩み続けた。彼女も私と同じで。同じ運命にあって。境遇にあって。だからこそ、ずっと、見詰め続けてくれた。一人の友人の問い掛け、答えられる問いには、出来うる限り答えたいと。

 

「私は……自律人形の研究を、続けるつもり」

 

「……そう……」

 

 曇った顔。微かに揺れ動いた紫の瞳へ。青い瞳は、揺れることなく。真っ直ぐに見据え、言葉を続けて。

 

「でも、勘違いしないで欲しいの。研究は続けるけれど、私は――――

 

 

 

 

 

 

 ――――人形の部屋。私を囲む幾つもの私。

 

 自分の形、抜け殻。そして、私自身もまた。新たなアリスを作り。今までの私が行ったこと、繰り返したこと、同じように。同じ道を。けれど、少し、少しだけ。異なる思いを以て辿り。

 苦しみから逃れるため。安らかに眠るため――無へと消えるため。自分の全てを押し付ける為。迫り来る運命へと捧げる生贄として、犠牲として作り続けた人形達。けれど。今度の私は。今の私は。

 

 逃れる事など出来ないと。知り、分かり、理解していて。結局、全てが自分であって。どれだけ転嫁し続けても、押し付けられるのは。他ならない私自身であって。けれど。

 

 それでも。一時の。紛い物の。安らぎであっても。もう、私は、疲れきり。これ以上、歩みを進めることなんて。

 

 

 思い出す。思い出す。最後に私が思ったのは。願ったのは、そう。だから、私は。新たな人形。新しいアリスを作ったのだと。

 

 私は、今度は、私として。只の、贄としてではなくて。押し付けられた運命から逃げるためではなくて。

 

 私として、生きたいと。そう、願って――――

 

 

 

 

 

 

 ――――今度は、私として。只の、贄としてではなくて。押し付けられた運命から逃げるためではなくて。

 

 人形に、自分の生を押し付けず。私自身が、私として。生きてみるつもりだと。

 

 

 答える内に綻んだ。紫の彼女の、柔らかな笑顔へと。

 

 

 そう、答えた。

 

 

 

 

 

 

 


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