ペルソナ!って言いたいけど、資質ゼロなんです。 作:甲斐太郎
駅のホームで巌戸台行きの電車を待っている時に、背後から強い力で背中を押され、前のめりに倒れこむ。右手は乾くんと手を繋いでいたので、構内に落ちる前に身体が時計回りに反回転しホームを見る事が出来た。勿論、乾くんを巻き込まないように繋いでいた手は離してある。
左手に僕がゲーセンのクレーンゲームで取った景品の入った紙袋を持った順平さんが目を見開いて手を伸ばそうとしてくれている。カラオケで歌いまくって喉の調子が悪いですと苦笑いしていた乾くんは呆然としながら、自分の左手と僕を交互に見て口を大きく開けて何か叫んでいる。
そして、僕が立っていた位置には薄ら笑いを浮かべた幾月理事長の姿があった。
◆◆◆
「っっっ!?」
咄嗟に口元を手で押さえる。口の中に唾液が溜まっていくのに飲みこめず、口の端から手で押さえているにも関わらずポタポタと床に落ちて行く。胃の中身が逆流してくるような不快感に我慢できず、その場に両膝をつく。そして、
「おぇぇ……ぐ、ふぅ………うげぇぇぇぇ!!」
四つん這いになりながら吐いた。
動悸が激しい。口の中が酸っぱい。背筋が寒くて、冷や汗が止まらない。
今までにあった“時間逆行”の中で断トツのワースト1位の状態に僕は自身の身体を抱きしめて、横になる様に蹲った。意識に微かに残る衝撃はトラックに轢かれた時と似ているけれど、こんな風に身体がバラバラに引き千切れるような感覚じゃなかった。僕は下唇を噛みしめ、これ以上吐かないように強く眼を瞑る。
しかし、僕の体は意思に反して、別世界の己の肉体が受けた衝撃を無かったことにさせまいとしているように精神を痛めつけてくる感覚に涙が止め処なく溢れ出る。
「アキ!足を持て。ラウンジのソファに運ぶぞ!」
「しっかりしろ、総司!アイギス、こいつの着替えとタオルを持ってこい!美鶴は風呂場から洗面器を!」
「了解しましたであります!」
「分かった!」
突然の浮遊感にうすく目を開くと師匠の横顔が見えた。冷たい床から柔らかい物の上に寝かされたことを肌で感じた僕は目を開ける。薄く霧が掛ったような視界に、心配そうに僕を覗き込む乾くんが映る。僕は彼に心配かけまいと笑みを浮かべながら意識を失った。
■■■
僕にはこの世界で生きる上でルールと言うか縛りがある。
ひとつは、【物語の核心に迫る言葉は告げる事は許さない】
ひとつは、【相手の行動を縛るような言葉は告げる事を許さない】
の2つであるが、これには抜け道がある。そう僕から告げずに伝える方法。つまり文字だ。
しかし、これも現実的ではない。伝えた情報に関して尋ねられると、結局のところ尋ねられる原因となったものを排除するまでの時間軸まで逆行してしまうのだ。しかも、この場合の逆行の仕方はただひとつ。【死に戻り】だ。
幼い頃、課せられた縛りの抜け道に気付いた僕は、優にその情報を書いたノートを見せた。その時は何とも無かったが、母親と一緒に買い物に出かけた際に車に轢かれた。気付くと、僕は部屋にいた。急いで周囲を見渡すときょとんとした顔で優が僕を見ていた。僕の手元には情報が書かれたノートがある。さっきのは夢だったのだと思って僕はまた優にそのノートを見せ、夢で見たとおり車に轢かれた。そして、気付くと僕は部屋にいて、時間が逆行していることに気付いた。夢だと思っていた事故が本当に起きたことだと頭で理解した瞬間、僕の幼い身体は敏感に反応した。簡単に言えば肉体と精神のバランスが崩れ、何日か寝込むことになったのだ。時間逆行を知ることになったノートは、あれ以来見ていない。
■■■
「『ノートを処分しろ』……か」
左手の甲に書かれた【書いた覚えのない自分の文字】を、唾を塗って右手の親指で擦り消す。ボールペンで書かれていた字は滲んで何と書いてあったのかは見えなくなった。
起きあがるとそこがラウンジのソファの上であったことに気付く。壁に掛けられた時計を見ると時刻は午前2時を過ぎた辺り。
「ノート……処分……」
僕は左手の甲に書かれていた内容を反復するように呟く。そして、壁に掛ったカレンダーで今日の日付を見ながら、時間逆行前の自分の行動を振り返る。
朝ごはんを食べた後、僕は順平さんと乾くんと一緒にポートアイランドに遊びに行った。確か順平さんが岳羽先輩たちからゲーセンとカラオケの割引チケットを貰ったからと言っていた。チケットを渡した彼女たちは用事があるから残念ながら行くことができないと。
「状況的に岳羽先輩たちが、僕が何らかの情報を書いたノートを見たとみて間違いない。時間は夕方の16時前後か」
それにしても処分しなければならないノートとなると、幼い頃にペルソナ関連のことを書いて優に見せたあの時の物くらいしか思い浮かばない。しかも、僕自身がどこになおしたのかを覚えていないくらいだ。部屋中を大捜索しないと見つからないだろう。
僕は寝かされていたソファの上に再び横になる。正面の机には市販の清涼飲料水やビニール袋が広げられた洗面器などが置かれている。その飲料水に手を伸ばすと同時に声を掛けられる。
「総司さん、大丈夫でありますか?」
「アイギスさん」
台所の方からコロマルを連れたアイギスさんが顔を出している。僕は横になったまま、手を振って答える。すると彼女は濡れタオルを持って僕の傍まで来る。
「表面温度及び脈拍、呼吸数ともに安定状態。気分はどうでありますか?」
「口の中が酸っぱいだけで問題ないです」
「そうですか。突然のことでしたが、近くに荒垣さんたちがいて助かったであります。あの場に私と天田さんとコロマルさんだけであったらと思うとぞっとします」
アイギスさんはそう言いながら濡れタオルを僕に手渡してくる。受け取ったタオルを使って顔を拭いた僕は、彼女に尋ねることにした。
「あのアイギスさん。僕、横になりながら何か行っていませんでしたか?」
「いえ、特には。ただ総司さん魘されているようだと知った湊さんと優さんが暴走し掛けましたが、ゆかりさんや順平さんに鎮圧されたであります」
遠い目をしながらそっぽを向いた彼女を見ながら、僕は心の中で思った。『いったい何をしようとしたんだろう、あの2人は……』と。
「総司さんが気を失っている間に、美鶴さんの掛かりつけのドクターが往診されましたが、特に病気等でなく嘔吐はストレスから来たものだろうという診断が出ているであります。……総司さんは私とは違い生身の人なのですから、無茶はいけないと思います」
アイギスさんは僕を正面から見て続ける。
「屋上の作物の世話や寮に住む皆さんの食事の準備、管内の掃除や洗濯なども一手に引き受ける。屋上の作物の世話はともかく、他の事は皆さんで分担すべきであります。総司さんは自分を蔑ろにしすぎであります。何がそこまで貴方を駆り立てるのですか?」
アイギスさんのまっすぐな問いかけに思わず黙り込んでしまう。なんと言えばいいのだろう。皆を助けたいから……。自分に出来ることを全力でやりたいから……。皆が笑って迎えられるハッピーエンドが見たいから……。
「【―――――――――、――――――たい】」
「えっ?」
「あれ?……どうかしましたか、アイギスさん?」
「今、総司さん。何か言いませんでしたか?」
「別に何も言っていませんけれど」
「そうですか。……メモリにもノイズだけで残っていないみたいですし、気のせいでしょうか」
首を傾げるアイギスさんの仕草があまりに人間っぽくて、ちょっとおかしくなった僕は笑った。そんな僕を見て彼女はさらに首を傾げる。
「そういえば、アイギスさん。明日、というか今日になるのかな。結城先輩たちにどこかに行こうとか誘われていませんか。例えば、優……鳴上家に遊びに行こうとか?」
「そういえば、そのことを伝えるのも任されていたであります」
「え、僕も行くんですか?」
「はい。チケットを取ってくるので待っていて欲しいであります」
そう言い残してアイギスさんは階段を上がって行った。コロマルを戯れながら待つと、一枚のチケットらしきものを持ってアイギスさんが戻って来た。
「明日、特別課外活動部に所属する皆さんで桐条グル―プが運営するレジャープールに遊びに行くことになったであります。総司さんが風邪であったのなら延期する手はずになっていましたが、ドクターの見解も問題ないということでしたので決行のようであります」
僕はアイギスさんからチケットを受け取って見てみる。
『ポロニアンロングビーチ』
9つのバリエーション豊かなプールが広がるポロニアンロングビーチは、全長150mのをウォータースライダーや、波のプール、最高10mのダイビングプールなど様々な楽しみ方が出来るプールリゾート。
「ゆかりさんたちによると『開園から閉園まで思いっきり遊ぶ』ということなのであります」
「そ、そうなんだ」
僕はアイギスさんにそんな返事をしながら、思考を巡らせていた。僕はまだノートを処分していない。なのにも関わらず、今日の出来事がすでに変化してしまっている。
僕が吐いたから?
それでゆかり先輩たちの行動の日程が変わったとでもいうのだろうか。
「総司さん、顔が悪くなっているであります。もうしばらく横になられた方が良いと思われます」
「うん、そうさせてもらうね。それとアイギスさん」
「なんでありましょうか?」
「顔じゃなくて、顔色だよ」
僕はそう言ってソファに横になると掛け布団を被って目を閉じた。