Shangri-La   作:霞弥佳

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L’existence précède l’essence.


泊地にて
ショートランド泊地


 はたと『提督』が目を覚ますと、かれを取り巻くそこは今や見慣れた執務室の光景だった。あらん限りの力をもって疾走したかのように、心臓がばくばく脈打っていた。赤道以南の温暖な気候も相まって、じわりと表皮に汗が噴き出す。熱気のせいか、視界も靄がかかったかの如く。

 

 島の東側、鬱蒼と茂る熱帯雨林からは雑多な獣だの羽虫だのが騒ぎ立て、煩わしさに拍車をかける。

 

 目の前にはいつものデスク、いつもの個人端末、そこから臍の緒のように伸びるケーブルで接続されている板状のPDA(携帯情報端末)。外装のワインレッドに混じるラメが、ブラインドから差し込む日光を受けて砂浜じみた輝きを見せている。

 

 ときおり入道雲に陽光が塞がれ、しかし束の間の涼が提供されたとて、この茹だるような暑さの根本的な解決にはまるで至らない。それでも猛暑のピークには程遠く、さりとてこの高温多湿の環境は生きた人間でなくとも憂鬱になる。デスクの上で重たげに鎮座している、基盤と半導体を満載したケースからは猛虎を思わせる唸りが聞こえてくる。

 

 木造の庁舎の天井に備え付けられた空調は、半年も前に不調がたたって機能を喪失していた。たまらずついたため息が汗ばんだ腕にかかり、厭でも汗だくの自分を実感する。

 

 はて。ぼくは、いったい何をしていたんだろう。

 

 個人端末の液晶ディスプレイ――――横に三台並んだ型落ちの官給品、ところどころひび割れて年季の入った中央のそれをまじまじ見つめる。吸いこまれそうな蒼穹の下、若草色の芝生で着飾った丘が広がっている。どこからか、奇妙な既視感を喚起させる感覚をおぼえた。しかし、何のことはない。端末のオペレーティングシステムに付随するデスクトップの背景、その初期設定画像だ。上部レイヤには十に満たないショートカット・アイコンが並んでいるのみ。

 

 仕事――――そうさ、仕事だ。ぼくは提督だ、こんな昼間に何をするかって? 仕事以外の何がある。

 

 おぼつかない様子で、かれは右手をマウスに乗せた。暫しマウスを弄び、カーソルの描く軌跡を目で追ってみる。デスクトップ上のアイコンの中身をいくつかのぞいてみる。やはり、目ぼしい者は何もない。ぐるぐる円を描いたところでランチャを起動してしまうだけだし、フォルダもゴミ箱ももぬけのから。初期状態でインストールされている最低限のアプリケーションくらいしか見当たらない。帝国兵学校の共有区画で万人にいいようにいじくられる自由端末でも、もっとまともなものが入っていように。

 

「司令」

 

 半ば朦朧と仕掛けていたかれの意識を、涼やかな声色の問いかけが引き留めた。

 

「こう毎日暑かったら、ほんと仕方ないですよねえ。ね、司令」

 

 左手側から顔を覗き込んできた少女――――体格を思えば成人男性をゆうに凌ぐが――――は、白い歯を覗かせてほほえんだ。人懐こそうな柔和、そして溌剌とした様子に、かれも思わず釣られてほほえむ。両翼が外にぴょんと跳ねている彼女の紅茶色の髪は、いつ見ても人馴れした犬、それも大型犬をかれに連想させた。日系人にしては彫の深い顔つきをしていて、二重まぶたと巻いた睫毛に飾られた瞳は青色。アングロサクソンとの混血児とも思われた。

 

 背の丈はかれより頭ふたつほど高く、市井に出れば部屋の出入りの度に額に瘤を作る事を懸念しなければならない程度。白を基調とした指定の勤務服に袖を通した彼女の額にも、大粒の汗の玉が流れていた。

 

「おなかがすいてはお仕事も戦もできたもんじゃありません、ひと段落つきましょう。ああ、そうだ! 今晩のごはんはこの比叡が腕によりをかけてご用意いたしますからね!」

 

ふふんと鼻を鳴らして根拠なげな自信を誇示してみせる彼女は、いよいよゴールデン・レトリバーかアイリッシュセッターか。

 

「その、もし具合がよろしければ、ですけど」

 

「確かに、この暑さじゃどうにもならないよね。ショートランドはいつもこうなのかな」

 

 一瞬、彼女は眼を丸くした。

 

「えっと――――は、はい。場合によっては、もっともっとスゴイことになりますよう」

 

「勘弁してほしいよね……うん、わかった。なにか、冷たい物でも買いに行こうか」

 

「はい! 今日は食堂の自販機が上手い事動いてるらしいです、運がいいですね!」

 すぐさま彼女はかんらかんら笑い、胸の前でぐっと拳を握る仕草をした。

 

「しかし、自販機が動いていたとしてもです。中のラムネが冷えてなければ何の意味もありません、そこだけは賭けですね」

 

「故障?」

 

「ああ、いや……故障というか、なんといいましょうか……とにかく、こんなところで煮詰まっていないで、さっさと行きましょうよう」

 

『比叡』の名を冠する少女は彼の手首をぐいと引き、安楽椅子から立ち上がらせた。

 

「お仕事なんてあとでいいんです、あとあと! おいおい、覚えていけばいいんです。今すぐじゃなくても、いいんですよ」

 

ぼくの――――『提督』の仕事とやらについて、驚くべきことにかれは何も把握できていなかった。表層的にそうした役職があることはわかっていたし、それだけに一層自身がここにいる事が不条理に思えてくる。

 

かれはこの不確かな感覚を、熱中症の初期症状じみた体調のせいにすることにした。そうしていれば、少しは不安を押し込められるだろうと思ったから。

 

 

 

 遠く帝国本土より離れた、ソロモン諸島はショートランド泊地。その庁舎は、急ごしらえである事を考慮したとて、お世辞にも状態が良いとは言い難かった。内装のところどころはだらしなく剥がれ落ち、床の木材は一歩踏み込むたびにギシギシ軋む。ばっくり裂けた床板からは、ぐちゃぐちゃに絡まった電源ケーブルが垣間見えた。

ショートランド本島の東沿岸に庁舎を構え、隣接するマガセーアイ、ポッポーラン両島との水路を港湾へと開発したのがこの泊地である――――とは、幼い学徒相手に高説を垂れる教師のようにとつとつ語る比叡の言であった。

 

 本土防衛の要衝、ブーゲンビルに並ぶ帝国制海の砦。形容は多々あれど、しかし周囲の雰囲気からは戒厳の念をさほど感じられなかった。

 

 喋りつづける比叡をよそに窓から表をのぞけば、十五に満たない少女たちが薄着で庁舎の周りをうろついているし、何より浅黒く日焼けした移民だか現地民だかが市を開いているのが遠くから見えた。深緑ごしに白の天幕が目に入り、かれの興味をいたずらにそそった。

 

 人の営みが、軍施設と密接すぎやしないだろうか?

 

 かれの持つ常識規範に照らし合わせると、この状況にはいささか疑問をおぼえる。まともに灯火管制も徹底しているかどうか怪しい。

 

 ――――そう、そうだ。戦争だ。ぼくたちは、戦争をやってるんじゃあないのか?

 

 かれと比叡、庁舎内で二人以外の人影はない。一階に位置する食堂もまた同じだった。薄いモルタルとコンクリート壁を隔てた、ずっとずっと遠くで蝉時雨が聞こえてくるだけだった。

 

 調理場と食堂を隔てるカウンターには鉄製のシャッターが冷たく降りており、『支度中』と記された木札がかけられていた。百はゆうに収容できるであろう食堂にたった二人、比叡だけが不自然に、かれの前に居た。

 

「比叡」

 

 ぬるま湯同然のラムネでも無いよりマシだと口にしたかれは、やはり霞がかった視界のまま比叡を見て言った。食堂の奥で炭酸が不愉快にはじけまわり、じくじく粘膜を嬲った。

 

「はい、なんでしょうか?」

 

「ほかに……君の他には、誰かいないのか」

 

「え、ええっと……他っていうのは」

 

――――他? 他とは一体何の事だ? 士官か? 一兵卒か? ぼくは、彼女の他に何に居てほしいと思っているのだ? 誰に、そこに在ってほしいと思っているんだ?

 

「もちろん、艦娘さ。まさか、泊地にたった一人というわけじゃないだろ」

 

「え、ええ。ええもちろん、比叡ひとりじゃさすがに……というか、私は司令の秘書艦です、そもそもお傍にいるのは当然なのでして。初春ちゃんも天龍ちゃんも龍田ちゃんも……霧島も。元気ですよ」

 

 

「その割には……」

 

頼りなげな光度の、最低限の照明だけが点いた室内は薄暗い。庁舎そのものがぎらぎらと日光に照らされているだけに、光源のほとんどは自然光頼み。庁舎で勤務する士官には未だ一人も出会えておらず、『外敵』を迎え撃つを最前線の砦としてはあまりに寂寞としていた。

 

しかし、卓を挟んだ向かいに座る比叡の表情を見るに、この環境に違和感を覚えているのはかれだけのようだった。ストローでぬるいラムネを吸い、こちらの視線へ朗らかな笑みを向けてくる。

 

 

「何も心配することなんてありませんよ」

 

「心配?」

 

ついかれは聞き返したものの、自身が感じている不条理さをくみ取ってくれたことには内心で感謝していた。思考と記憶の混濁、表層的な浅知恵だけが意識の水面に散乱している。自分が『提督』という役職にあること、ここが低地の熱帯雨林を拓いて建てられた南方の泊地であること。眼前の少女の薄皮一枚を隔てて、人工筋肉と炭素由来複合材の織りなす胸郭に心の臓を模した主核(コア)が無休で燃焼し続けていること。そして、少女を模造したUCV(無人戦闘機)、『艦娘(ふなめ)』たる彼女らが火砲を向けるべき『外敵』のこと――――そのすべてに、確信が持てずにいた。頭蓋に開けられた穴から、真偽不確かな情報の流入が絶えず行われているようだった。

 

 そもそも、比叡というのは、艦娘というのは――――

 

帝国と独逸の技術の粋を結集して誕生した、科学世紀における隠秘の申し子。国土の龍脈、血管とも言える山河の名を冠した分霊、その依代。人類を護る刃であり、筒であり、盾。外敵を討ち、帝国に神仏の加護をもたらす機械仕掛けの戦巫女。五パーセントの脳組織と、九十五パーセントの工業機械で構成された多目的軍用ガイノイド。

 

 内骨格たるハイパーカーボンフレームに張り巡らされた高電導アクチュエータは常人の手に余る大筒を自在に取り回し、体内でバッテリーや主機と並んで最も強固に護られた主核(コア)が発する霊的加護は、同じく呪詛だけでなく物的衝力をも吸収する斥力場生成機構(フィールドシステム)でもある。

 いかに眼前の少女があどけない笑みを見せたとて、その頭蓋は型で精製された人工物であり、その白い皮膚も顔立ちも本国のデザイナーが趣向を凝らした精巧な作り物に過ぎない。この比叡の場合は、帝国本土のコニシ重工で生産された艦娘の一体である。

 

 彼女たち艦娘に与えられたすべては、海原より来る災厄に備えてのもの。人類が積み上げてきた文明そのものに反逆の意を唱えるがごとく、未知の技術の産物で武装した、正体不明の兵器群。

 

 それが比叡の、かれの戦うべき相手。それが、深海棲艦(ヒルコ)

 

 水棲生物を模したものから人類の海上兵器の特徴までもを貪欲に取り込んでは、その銃口を牙なき銃後の民に向けてくる。口頭、電信、あらゆる勢力がコンタクトを図っては技術者を魚の餌へと変え、彼らが襲い来る都度、莫大な予算と人命とが喪われていく。

 

 光届かぬ深海から突如として現れた彼らの持つ脅威として――――

 

 

 

「頭が少しぼうっとする……このあたりの風邪にでも捕まったのかな」

 

 観た覚えも、読んだ覚えもない記憶だけが頭蓋の中で反響している。『提督』としては必須の知識であり常識ではあるのだろうが、かれにとってはどれも未知なる情報であり知識だった。

 

「まだ、お体が本調子じゃあないだけです。ゆっくり、ゆっくり慣らしていきましょうね」

 

「でも」

 

 これはただの熱中症なのか? ただの夢中夢を、いちいち錯乱して拡大解釈してしまっているだけなのか? どうか、どうかぼくに教えておくれ。不安なんだ、不安で仕方がないんだよ。

 

「でも、泊地は大変じゃないのかい。少しでも、ぼくが働いたりできるようにならないと」

 

 怯える本音をオブラートで繕って、かれはやっとの事で比叡に言った。

 

 矛盾している。何が? すべてがだ。

 

 泊地の、庁舎の執務室にいながら、ぼくは何の記憶も持っていなかった。その事実に反して、イズミの底から湧きあがるように比叡たち艦娘の知識だけが周囲をふわふわ飛び回る。

 

 ぼくが本当に知りたいのは泊地の勤務状況だの、世界の情勢だの、そんな事じゃない。とにかくこのざわめきを抑えたい、不安の種を摘んでしまいたい。

 

 かれはふらつく思考で比叡に問いかけた。

 

「ぼくは、いったい誰だ?」

 

 その一言を吐きだした途端、比叡の表情が凍りつく。皮膚の内側に擁しているのが本当に機械だけだと言うかのように。

 

「あなたは――――」

 

 比叡の白い肌が、より一層血色を喪っていく。屍蝋に覆われた遺骸を思わせる彼女の肌は、いよいよ無機物の集合体にしか見えない。ある特定の作業に従事する為のみにその存在を許される自動機械。破壊と抹殺を与えられた、ヒト型の道具。

 

 ざわざわと比叡の頭髪が伸び、床を覆い、壁を覆い、天井を覆い尽くす。髪の一本一本をよく観察すると、茨のようにささくれ立っていた。ぬらぬらと光り輝く油にまみれ、床に滴りを作り出す。赤黒い、血液のごとき重油だった。

 

 青の燐光を湛える両目はさながら死霊の魂か、まさしくその姿は深海棲艦(ヒルコ)のうち一人に違わない。

 

「『戦艦』ル級……?」

 

 その名称も、意図して発言したものではなかった。比叡だった彼女の風貌を見て、なぜそのような呼称が浮かんだのか、やはり確信なき不快なひらめきによるものとしか言えなかった。

 

 

「アタシハアナタヲ識ッテマス」

 

『ル級』が開いた口の中は、熟れた果実のように赤々としていた。肌や歯列の白が、より一層色彩を際立たせていた。卓越しの『ル級』は、その巨体を乗り出してかれに顔を近づけた。

 

「何が、言いたいんだ」

 

「アタシハアナタヲ祈リマス」

 

 陶器の人形と化した『ル級』は、口元だけを動かしてそう告げた。

 

「アタシハアナタヲ想イマス」

 

 ぐい、と身が引き寄せられる。『ル級』はかれの肩を抱き寄せ、両の手でかたく抱擁をしてみせた。

 

「アタシガ愛シタカッタノハ、アナタタチダッタハズナノニ」

 

 身が軋むほどに、『ル級』は両腕に力を込めてくる。彼女たちにとっては人一人を肉塊にする事など容易いだろうが、そうしない理由となると見当がつきかねる。ましてや、酩酊に苦しむかれにとっては。

 

「モウ、アナタタチヲ離シマセン。コノカラダガ、ミナソコニキエテナクナルマデ」

 

 アプリケーションソフトで捻りだされたような歪な発音で、『ル級』は人工声帯の奥から雑音交じりにとうとうと語り続けた。

 

「約束シマス、姉サマ。コンゴウ、ネエサマ」

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