Shangri-La   作:霞弥佳

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L’existence précède l’essence.


パースペクティヴ

 視る。観る。見る。

 

 己の双眼で見たものを信じ、言語を以て意味を与える。取り巻く世界を定義づければ、あとは肉を纏う体で行動あるのみ。しかし、『わたしたち』にとってはその限りではない。

 

 本質は、『わたしたち』に先立つ。

 

 

 

「いいわ、霧島。艤装側の反応にも問題なし」

 

 壁材の間に合わせとして使われているトタンに赤茶けた錆の目立ち始めた泊地ドック内で、艤装の内部機器が駆動音が控え目に唸りはじめる。

 

 霧島の鼓膜のさらに奥で響くのは部隊最古参のひとり、泊地司令代行補佐兼戦域支援顧問(コマンドポストコンサルタント)叢雲の声。腰部および背部(スパイン)コネクタで接続された灰色の大型艤装へ、外部からPDAで干渉していた彼女は、一般女子と同程度の体格である霧島よりも小柄だった。兎の耳を思わせる一対の簡易艤装を頭部に浮かべる彼女の表情に、外見相応の稚さは皆無だった。

 

 霧島が両の眼を開くと通常の視界に代わり、出撃部隊に属する艦娘の位置情報がマーカーで記された海図が展開される。LSAD(イージス拡張システム)へリアルタイムで更新、反映される最下位レイヤには予想接敵海域の詳細海図、上位レイヤには出撃隊の青マーカー。最上位には個々の艦娘における素体のバイタルサイン、そして艤装に配備されている武装の現状が新たなビジュアルウインドウに立体的に表示されている。

 

 それはさながら、天空から海原を俯瞰する鳥になったかのよう。

 

 海を往く艦娘の視界、そして数百年前から未だ稼働し続けている観測衛星の視界を任意に切り替え、覗き見る事のできるこの権能こそが、広域マルチレイヤ対艦管制指揮システム――――AEGIS(イージス)システム搭載機たる霧島の特権であった。

 

『旗艦』には天龍、以下に『重巡洋艦』利根ならびに高雄、『軽巡洋艦』龍田、『軽空母』龍驤、千代田。

 

『提督』に代わり、一元的に統括指揮を担うイージスシステムを試験的に導入された霧島ならではの芸当と言えた。きわめて限定的であり、そして内蔵CPUに小さくない負担がが伴うものの、此度の作戦においてはリアルタイムの指揮判断が必要との部隊長からの意見により、こうして指揮に就いている。

 

 今の霧島においては、戦地へ赴く艦娘たちこそが肉を纏う体。天龍こそが霧島の声帯であり、利根たちが霧島の手指。ぬるい潮風の感覚も、艤装の重みも、今なら全てを並列に共有する事ができる。深海棲艦(ヒルコ)の上位種の放つジャマーの中で唯一干渉を最小限に抑えられる、艦娘に搭載された有機脳でのみ処理可能な広域ネットワークシステムを最大限に利用した画期的機構であると、霧島本人も自覚していた。

 

「システムが稼働している限り、貴女は泊地のあらゆる施設の統括をも背負わされる。万一、貴女の側で不調があったら接続を切りなさい。私が直接前衛に指揮を出すわ。予備の水上部隊も、その時点で出撃させる」

 

 叢雲の忠告通り、あくまで霧島とその専用艤装に搭載されているイージスシステムは先行試験型のテストモデルである。米国海軍にて運用されている情報処理、防空管制を担う『ミサイル駆逐艦』なる新たな機種モデルをベースに帝国軍が設計、開発を行った素体が『護衛艦』モデルであり、霧島の素体もこれに該当する。しかし、未だ欧米や欧州でも手探りの『ミサイル駆逐艦』『護衛艦』運用、元来は従来より戦線で長く活躍してきた『戦艦』モデルでの運用を想定されて降魔が行われた霧島にとっては荷が勝ちすぎる責務といえ、『提督』不在の現在では、有機脳と補助CPUに加わる負担がさらに大きなものとなる事は明白だった。

 

「脳みそが焼き切れる前に合図を出しなさい」

 

 泊地内における艦娘運用の、文字通り全てを一元的に管理する『提督』の能力を、限定的に下部構成員である艦娘そのものに移譲する。重金属雲や瘴気、ジャマーが飛び交い、各国シーレーンが途絶させられた今では命令系統の拡大は急務とも言えた。唯一まともに通信が可能なのは、艦娘同士が使用する広域無線ネットワークのみ。それも、軌道上を周回する人工衛星に主核(コア)や有機脳を組み込んでようやく実現した苦肉の策でもあった。

 

 大本営や出資者を納得させるに足る目に見える成果を挙げるには、決して少なくない時間と労力が必要不可欠。それだけは誰の眼にも明らかだった。

 

「間もなく予想接敵海域に到達します。準備はよろしいですか」

 

「問題ない」

 

 深い青一色の窓枠をひた奔る天龍は、そっけなく言った。

 

「我輩と天龍を前に出せ、霧島。もう誰も沈ません」

 

「あなたは瑞雲をもって千代田さんと周辺海域の警戒を。直接戦闘は手筈通り天龍さん、龍田さん、高雄さんにお願いします」

 

「多勢に無勢だぞ」

 

「いま多勢にあるのは私たちではありません、この状況で増援があれば、それこそ誰かが沈むことになります。よろしいですか、我々は――――我々の泊地は、それほどまでに追い詰められているのです」

 

「……わかった」

 

 しぶしぶ納得した利根は千代田と併走し、指定目標海域へと留まった。さほど天龍率いる本隊と離れた位置ではないにせよ、自衛手段に乏しい千代田の護衛に利根を着けたのは霧島本人の慎重さの表れだった。

 

 続いて霧島は天龍のマーカーへと目を向ける。視線をそちらへ向けると、それに伴ってマーカーの箇所がズームで表示され、天龍の姿が映し出された。

 

「よう、どしたよ霧島さん。あんたが視てんのなんとなくわかるぜ」

 

「あなたは旗艦でしょうに。それに、新型『潜水艦』――――イスティオフォルス級(バショウカジキ)と実際に刃を交わしたのも」

 

「リベンジマッチを組んでくれるのはありがてェが……」

 

 そう天龍が言うと、霧島の視界端に秘匿通信の開通を申請するメッセージが表示された。彼女は開通を許可した。

 

『いい加減直近のラバウルからの連絡はないのか。いや、もうどこだっていい。泊地間の通信が滞ってどれくらい経つ?』

 

『音沙汰は確かにありません。しかし、この状況で島を離れるわけにもいきませんでしょう』

 

『いくらオレ達が雷撃ばかすか撃ちあってる間はお脳がパアになってるとはいえだ。それなりに場数踏むとわかるもんだぜ。部隊の連中の士気が悲惨な事になってるってのは』

 

『その件については再度、こちらでラバウルへの応答を求めます。ですので、今は新型の捕獲にのみ集中してください』

 

『頼む。それと、奴さんからの最後の通信にあった新型機についても情報を交換しておきたいしな』

 

 

 

『バンダースナッチ級、ですか』

 

 有機脳の聴覚野に電気信号で刻まれる霧島の声は、どこまでも平坦だった。

 

『大戦艦クラスの火力を単機で有するバケモノ。強力なECMを搭載し、招魂符を始めとした艦載機での航空戦力も無効化する、だとかでラバウルの奴ら散々脅しかけてきてくれたよな』

 

『ええ』

 

『万一そんなのと闘りあう事になったらたまんねえぜ』

 

 会話を交わしている間にも天龍が考えを馳せていたのは、在りし日の戦友の姿だった。

 

 長門型ファーストモデル、『戦艦』長門。素体、専用艤装、そして修祓兵装のどれをとっても最高クラスの性能を誇る大型機であり、長くにわたって『提督』と共にソロモンの守護にあたったショートランド最強の艦娘だった。

 

 素体そのものの出力でなら軽く『駆逐艦』『軽巡洋艦』程度の装甲を軽々粉砕する馬力を有し、幾多の敵性海域の攻略に貢献してきた経歴を持つ英雄でもあった。

 

 

Beware the Jabberwock, my son!

 

――――愛しきわが子よ、ジャバウォックには気をつけろ。

 

The jaws that bite, the claws that catch!

 

 肌喰らいつく牙、肉引き裂く鉤爪。

 

Beware the Jubjub bird, and shun The frumious Bandersnatch!

 じゃぶじゃぶ鳥も勿論のこと、狂い昂ぶるバンダースナッチには近寄るべからず。

 

 

 天龍の脳裏に浮かんだ、散文じみた一節に登場するのは二匹の異形の怪物。書庫で目にした詩集に記されていたものだった。

 

 ラバウルの艦娘すら、その姿をはっきりとは確認できていない新たな敵。ヴェールに包まれた不確かな深海棲艦(ヒルコ)の正体は、まさしくジャバウォックでありバンダースナッチに相応しい。

 

 

 ――――ヴェールの奥にいるのは、長門。あんたなのか?

 

 

 不可解なマーカーの反応。撃沈されたはずの戦友が、なぜ今になってレーダーにかかる?

 

 誰にその疑問をぶつける事もなく、天龍はそれを嚥下した。

 

「ともあれ、今回の任務はイスティオフォルス級の捕獲です。イレギュラーな遭遇戦は可能な限り避けて、自衛にのみ徹してください。それでは、よろしくお願いします。御無事で」

 

 通常回線に切り替えた霧島が一同に向けて言った。

 

 

 ――――そうだ、その通りだ。確証もない単なる類推はここでは無意味だ。今の目標はバンダースナッチじゃない。イスティオフォルス(島風)の方だ。

 

 

「せやかて、パッと見いはうさぎさんみたいなナリしとるんやろ? なんやかわいらしいやないか」

 

「実物を見てもそう言えるかしらねえ」

 

 いんちき臭い似非関西弁で部隊の士気を和やかに保つ龍驤に対して、龍田はやんわりと言った。

 

「せめて、『戦艦』モデル並みの火力があれば安心できるのですが」

 

 どことなく不安の色が隠せていないのは、天龍、龍田と並んで本隊の攻撃の要である『重巡洋艦』高雄。生真面目かつ穏やかな気性の持ち主である彼女は、こうして思考のどつぼに嵌る切欠に誰よりも引っかかりやすい。比較的隊内では長いキャリアを有する天龍は、自然とそれを察知していた。

 

「やつは深度百以上の海中から、トップスピードを維持したまま顔を突き出してくる鉄砲玉だ。小回りの利くオレ達が相手するほかない、かと言って『駆逐艦』のチビガキに任せちゃ無駄に頭数減らされるだけだ」

 

「……」

 

 先のイスティオフォルス級との戦闘以来、主核《コア》が未だ見つかっていない『駆逐艦』子日を、あえて天龍は連想させた。良い意味であれ、悪い意味であれ、幸いながらどうやら高雄に恐怖をおしこめる動機づけを備えさせるのには成功したらしい。

 

「今日は全員で帰るぞ。ビンボー所帯はメシくらいしか楽しみが無くてかなわねえ、食堂には遅れんなよ」

 

 そう言って、天龍は一回り体格の大きな高雄の腰を優しく叩いた。

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