Shangri-La   作:霞弥佳

4 / 4
深海からの嚆矢

 臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前。

 

 護身を司る九字を口頭で唱え、龍驤は人差し指と中指で格子を宙に描いた。それは、戦うべき外敵と直接刃を交わらせる天龍達への餞別でもあった。

 

「奴さん、どこにいようが必ず見つけたる。援護は任しとき」

 

 龍驤が手にしたのは、腰部フレームとケーブルで接続された円筒系の艤装――――龍驤の『空母』モデルたる証、航空機の発着艦の要である『甲板』である。航空式鬼神召喚法陣大符(メインスクロールデッキ)と呼ばれるそれは絵巻物の形態をとったれっきとした航空甲板であり、大陸より伝来し帝国内の古式信仰と習合した陰陽五行思想に基づく方術式を活用した戦術に用いられる艤装だ。

 

 ここでの航空機とは深海棲艦(ヒルコ)を死に至らしめる『修祓兵装』の一種であり、龍驤から繰り出されるその正体とは、今は旧く律令制度下にあった帝国において、陰陽師が使役したといわれる式神である。シャーマニズムをも吸収した陰陽道の思想の延長であるこの技術もやはり、用意した依代に神魔や氏神を降魔させる事で使役し、災厄や疫病を祓う目的での祈祷に必要不可欠なものである。多くの場合、依代には人を模したかたちに切った紙が用いられる。

 

 その例に漏れず、龍驤も水干をモティーフとした衣服の袖から紙製の依代を取り出した。否、十を数える依代たちは、意志を持つかのごとく独りでに袖の内側から飛び出してきた。

 

 航空式鬼神と呼ばれるそれは、艦載機を模した紙の(かた)ひとつひとつに意志を宿したもの。淡く青に光る『彼ら』は、主君たる龍驤の周囲を慕うように囲いだす。

 

『千代田所属機より入電、目標と思しき個体、およびその随伴水上部隊の存在を確認』

 

 聴覚に霧島からの連絡が走ると、いよいよ龍驤はいきり立って叫んだ。

 

「さあ、仕切るでえ!」

 

 龍驤が絵巻を勢いよく広げると、支えもなしに中空にぴたりと固定された。展開された絵巻の表面に蒼く輝く炎が噴きあがり、記されている甲板図へ惹かれるように式神たちが行儀よく『着艦』していく。

 

「五神開衢、奇動霊光四隅に衝徹し元柱固具――――オン・ヤマラジャ・ウグラビリャ・アガッシャ・ソワカ」

 

 九字を切った二本の指を甲板図の上にかざし、龍驤が唱えるのは呪符への降魔の最後の仕上げ。紙の形に龍驤が招き入れるのは、前線から退いた傷痍軍人や志半ばで散った英霊たちの魂である。閻魔天の真言を用いる事で、肉の身体を失った者たちの仮初の寿命を担保する。

 

「ナウマクサマンダ・バザラダン・センダンマカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カン・マン」

 

 続く真言は不動明王の加護に基づく咒。龍驤自身が付け加えたアレンジの激励であり、その意は一切の障難を絶えず湧き上がる焦熱にて焼き払う業火の有様。

 

 それぞれの真言が持つ加護を、ひとつひとつの式に織り込んでいく。式には宿された者の姓名が記されており、彼らの肉体が『航空鬼』として呪をもって縛られている事を示していた。龍驤たち航空式鬼神召喚法陣大符(メインスクロールデッキ)を艤装として有する艦娘は、呪をかける事によって御霊を招いた一つの符として航空式神を完成させる能力を主核(コア)に有しており、自身に冠された素体モデルの名の延長として使役する事ができる。すなわち、航空鬼として使役可能な『招魂符』の送る情報を五感で処理する事もまた可能なのである。霧島が使用しているイージスシステムの原型とも呼ぶべき機構といえよう。

 

「飛燕龍驤、射腹蔵鈞――――急々如律令、奉導誓願可、不成就也」

 

――――飛翔せよ、天駆ける龍の如く。此度の令、帝の下賜が如き急を要す大命である。

 

現世再臨、式神示現(艦載鬼のみんな、よろしゅうな)――――!」

 

 その一言を合図に、一斉に式神が滑走路を走り出す。青の炎の洗礼によって炎上したかと思えば、焔の繭に巻かれた彼らは脱皮するかのようにその姿を金属の翼へと変容させ、大空へと飛び立っていった。

 

 

 

「イクティオフォルス、確認!」

 

 高雄の悲鳴じみた声にいち早く反応し、更に前へと駆けたのは天龍だった。

 

「悪く思うんじゃあねーぞ、こちとらもう喧嘩売るだけの体力も残っちゃいねえが……」

 

「ウサギちゃん目当てではあるけどぉ、鏡の島(バラレ)の周りでうろうろされちゃあ、たまらないのよねえ」

 

 敵の布陣は『駆逐艦』が四に『重巡洋艦』が三。そして更に『軽空母』が二基確認されていた。捕獲目標であるイクティオフォルスを相手取るには頭数を減らすのが先決と考えた彼女は、既に『駆逐艦』三と『重巡洋艦』二の戦力を喪失させるに至っていた。懸念はただのひとつ、烏合の衆はともかくとして、現在の兵装でイクティオフォルスを機能不全に陥れる事ができるのか、であった。

 

並の『駆逐艦』『潜水艦』が纏う外部装甲とは桁違いの強度を誇る外殻を破らねば、撃破はおろか沈黙させる事すら不可能である。無論、それに向けた対応を考慮した上での今回の出撃なのではあるが、しかし一同は焦燥感を拭う事はできずにいた。特に、『虎の子』を背負って洋上に躍り出た高雄はなおさらだった。

 

「海上到達まで、残りおよそ二〇秒……天龍さん!」

 

 弾丸のごとく飛び込んだ先、『重巡洋艦』の不意を突くのに成功した天龍は、長刀の先端を骸同然となった敵の頭部から引き抜いた。肉と火器が癒着した構造となっている腕部も胴から切り離され、さながら達磨のような骸だった。しぶいた血液を拭いもせず、踵を返した天龍は交戦海域を円を描くように走り出す。

 

 それに合わせ、龍驤の使役する直掩を仰せつかった航空攻撃鬼『流星』が頭上を随伴する。深翠の翼の奥のキャノピーから敬礼を送ってくる乗り手は、かつて空を駆け敵を食らった名もなき英霊の一人。それは降魔術の仕様か龍驤の趣向か、ずんぐりむっくりなまんじゅう顔に黒胡麻のような眼をした『妖精』の姿をしていた。

 

「速度を落とすな、食われるぞ!」

 

 それぞれの視界に映る青黒い海面に、円形の赤いマーキングが表示された。イクティオフォルスの予想浮上箇所であるそれは、敵部隊が迫ってきた方面より猛烈な速度で迫りくる弾丸だ。いざ敵の位置が可視化できたとて、これほどの質量を持った異形に天龍は戦慄を感じずにはいられなかった。

 

 前方では龍驤、そして千代田の放った空対空式神と深海棲艦(ヒルコ)どもの航空戦力が既に衝突し合っていた。制空が取れればしめたもの、敵の『軽空母』の撃破はより容易なものとなるだろう。だが、それも件のイクティオフォルスを押さえられればの話。慢心が先の戦力喪失を招いたのはまぎれもない事実であり、旗艦である天龍はその苦汁を重々噛み締めていた。

 

『目標浮上まで残り十、警戒を』

 

 霧島の警告の直後、大気を割く高音がびしりと戦場に響き渡った。

 

 前線で唯一それを確認できたのは、イクティオフォルスの浮上箇所から最も離れていた高雄のみ。彼女には、海面から複数本の細い針が前触れなく突きだしたように見えた。それが眼下より高速で浮上しつつあるイクティオフォルスからの先制攻撃である事に気づいたのは、海域内を飛行していた対潜哨戒機が縦に両断されるのを見てからだった。断面より黒光りしながら散乱するのは飛行燃料ではなく、悔恨の意が多分に含まれた血煙だった。

 

 高圧で噴射されたウォータージェット・メス。それがイクティオフォルスから放たれた天龍達への洗礼であった。

 

 撃墜された数機の式神の死骸が着水するよりも早く、イクティオフォルスは海面より自身の黒光りする巨体を、轟音伴って突きだした。海豚の跳躍の如く海上高く飛び上がったイクティオフォルスの右端の口蓋には、襤褸のように破かれた紺色の袖から伸びる白い右腕が引っ掛かっていた。

 

『副長龍田、中破!!』

 

 霧島の言の通り、初撃で損害を受けた龍田の腕部は肩より先がなかった。内蔵レーダーに加え、叢雲のように自律駆動するリング状センサーを有する龍田であるが、それすらも両断され破損していた。水圧のメスの有する威力と精度は、歴戦の猛者である龍田を以てしても完全に威力を殺す事ができなかったのである。素体頭部への致命的な損傷こそ熟練した反射能力で避けられたものの、右眼孔が縦一文字に裂かれていた。防御に用いた薙刀もまた、先端の刃が半ばから断ち割られていた。

 

「龍田よりコマンドポスト、戦闘続行は可能。平気よ、天龍ちゃん。痛覚遮断は間に合ってるわあ」

 

 メスの餌食にされ、そして標的となった彼女が次いでの速度と質量を用いた突進に対してできる事は限られていた。肩部のパーティングラインに沿った皮膜に焦げ目が入っているのは、微量の炸薬を発破させる事で自切を行ったからだった。既に海面から顔を出したのをメインカメラで確認した時にはすでに遅し、超越的な回避行動もまた無意味であり、次の瞬間には腕部を上下の歯列に持っていかれていた。

 

 自切に対して龍田には、微塵も躊躇いの念はなかった。どこまでも冷静に、そして正確に。一秒とかからず身体器官を切除する決断をくだしてみせた。例え痛みがあったとしても、この身体が血の通う肉の身体であったとしても、彼女はやってみせたはずであろう事は明白だった。

 

 龍田が体勢を立て直すより早く、イクティオフォルスに肉薄したのは天龍だった。

 

 姉妹機に傷を負わされた憤りすら昏い戦意の奥に沈め、気迫の原動力として燃焼させる彼女の一閃は、しかしイクティオフォルスの驚異的な機動力によってひらりと躱される。暴れ馬(ロデオ)のように海面を跳ね回り、三つ並んだうち左右二つの口蓋からは対艦魚雷と思しき円筒をはみ出させながら笑うように深いな嘶きをあげる。

 

「後退してください、龍田さん」

 

「ダァメ。高雄ちゃんには高雄ちゃんのお仕事があるでしょお」

 

 隻腕の龍田が振るうのは、天龍と同型の近接戦闘長刀。ちぎれた人工筋肉を伝って電解補正溶液が滴る有様を目にした高雄の言葉もむなしく、龍田はそれを却下した。

 

「高雄ちゃんは直掩鬼の子たちと『軽空母』の掃討。今日の装備なら、多少離れたところで問題なくあのうさぎちゃんを大人しくさせられるわあ」

 

「しかし……!」

 

「いいこと? 一二〇秒で『虎の子』の照準を付けられるようにするからぁ、そっちも早めにやっつけちゃってねぇ」

 

 変わらぬ調子のウィスパーボイスで高雄を諌めると、口端をわずかに吊り上げたままの表情で龍田は天龍の元へと向かった。

 

『聞いとったで、高雄。もう二分切っとる、しっかり面倒見たるから、残った雑魚ぉ平らげたろか』

 

 航空式神を経由した経路での龍驤の通信を耳にした高雄は、龍田の背を目で追うのをやめた。

 

 腰部艤装に搭載されている魚雷管をアクティブ状態に、追加腕(フォールディングアーム)を起動し、中近距離戦闘に向けた形態へと艤装と自身の素体を移行させる。

 

 千代田、龍驤の指示により直掩についた攻撃隊が頭上に展開したのに目をやると、高雄は奥歯を噛んで『軽空母』どもが鎮座する敵陣奥へと奔った。

 

 

 

 三本目の長刀がイスティオフォルス有するスタビライザーの細まった付け根部分を捉えるも、寸前で急旋回された事で一際硬い外殻で刃を受け止められてしまう。天龍は舌打ちし、イスティオフォルスと併走しつつ距離を取った。艤装から伸びる追加腕(フォールディングアーム)に搭載されたライフル砲を叩き込むも、効果的な一撃を与える事ができない。

 

「勘弁しろよ、島風よおッ!!」

 

 イスティオフォルスが島風である――――先日大破した初春の映像記録に映っていた少女の頭部を目にした天龍もまたその説を、確証はないにせよ信じていた。純粋に速さと火力を追及して開発された試作モデルのうち一人の成れの果て。海原はまるで若草の萌える大草原、自身はさながら縦横無尽に自由を謳歌する野兎。そう言わんとばかりに後部推進機関を吹かし、相対する艦娘たちを蹂躙する。

 

「バタバタ鬱陶しいてめえと、いつまでも鬼ごっこしてるわけにゃいかねェんだよ! ガキが!!」

 

 もう片方の追加腕(フォールディングアーム)の先端に取り付けられていたのは、六連装バルカンファランクス近接防御システム。タングステン弾芯を毎秒七十発発射可能な米国製対空火器で、距離にもよるが『駆逐艦』から『重巡洋艦』クラスの相手ならばそれ自体が強力な攻撃手段足りえる武装である。

 

 回転する銃身から弾丸と共に噴きあがるマズルフラッシュは、天龍の怒気を体現しているようだった。

 

 無論、天龍とてこれが決定打になるとは思っていない。直接格闘時とは異なり、照準は後部の推進システムに向いていた。

 

「やっぱり、天龍ちゃんもあのお耳が怪しいと思ってるのね?」

 

 遅れてきた龍田の問いかけに、天龍は応えなかった。しかし、龍田はその考えを汲み取り艤装の追加腕(フォールディングアーム)を展開した。

 

「その様子だと、予備もずいぶん折られちゃったようだけど」

 

「たまげた硬さだ、タダでもねえってのによ! ふざけやがって!」

 

 ぼやく天龍の握る長刀は、数度打ちこんだだけでぼろぼろに刃こぼれを起こしていた。

 

「恐らくは、あの背ビレがヤツの艤装だよ」

 

「その根拠は?」

 

「背面にオレ達にも突っ込まれてるような背骨(スパイン)がへばりついて剥きだしになってる。その先端が、あの耳みてえに突き出した可動翼に直結してるらしい」

 

「で、何度も直接殴りつけてるけど……って話?」

 

「努力はしてんだけどな」

 

 追撃する二機によるライフル砲とファランクスの火線も、紙一重で推進機関への直撃を反らされてしまう。艤装内部に搭載されている演算システムによる補正に照準合わせを全面的に委任しているとはいえ、イスティオフォルスは嘲笑うように軽々弾丸の描く軌道を躱してみせる。

 

「せめて、黙って追われてくれればいいのにねえ」

 

 天龍達をただ追走しているわけにもいかなくさせているのは、水圧メスと魚雷の存在である。前者は流線型の機体上部からせり出した大型スタビライザーに内蔵されている機構から高圧で瘴気を含んだ水流を押し出す事で殺傷能力を持たせている兵装らしく、射出口の数は合計八門。鯨の持つ噴気孔のような機能を有していると思われ、その特性上から弾切れを誘発させる事は不可能。時折射出される指向性魚雷と合わせると、通常の走行すら困難な状況だといえる。それでも安全地帯を縫って追撃を敢行していられるのは、ショートランドにおいても二機が卓越した技量と経験を有しているからに他ならない。

 

「また潜られでもしたら不利ねえ」

 

「ごもっともで」

 

「それじゃ、二分弱でも全然余裕がないって事じゃないの」

 

「何を言ってるかは知らんが、オレ達が切羽詰ってるのだけは分かっとけよ」

 

「ええ、わかってまあす」

 

 ふわふわした口調のまま、龍田は脚部斥力場生成機構(フロートシステム)の出力を全開にしてイスティオフォルスに迫った。

 

「龍田!?」

 

「援護、よろしくねえ」

 

 ゆらりと刀の腹に舌を這わせ、龍田は刀身を両の歯で咥えた。

 

 すかさず龍田に襲い掛かるのは水圧メスの雨。触れれば鉄を溶かし土を腐らせる毒の針の中を、しかし龍田は速度を緩めず加速していく。狙いはただの一つ、瀑布のように海水を噴きだすジェットノズルだろうか。

 

 運よく水圧メスの雨を突破した龍田のライフル砲が近距離からの砲撃を行おうとした瞬間、水面から伸びてきた『肢』によって追加腕(フォールディングアーム)が掴まれた。人間の腕のようであり、脚のようである『肢』の先端は、歪に骨ばった三本の指らしき器官で龍田の艤装を絡め取ると、そのまま海中へと引きずり込んだ。

 

 しかし、龍田は決して手段を喪い自棄に陥った単なる獲物ではなかった。

 

 残った左部追加腕(フォールディングアーム)をノズル部に叩き込み、そして自切。内部のスクリュープロペラの破損を狙った龍田の策は幸いに功を為し、わずかにイスティオフォルスの走行に乱れが生じる。続いて艤装を完全に圧潰させられるより速く、龍田は銛付きの魚雷管を引き抜き、腰部コネクタから艤装を切り離す。それはイスティオフォルスも予期していたのか、残る『肢』によって両の脚に掴みかかる。同時にぐしゃりと腰部、左腿を挽き潰すも、龍田の主核(コア)が痛覚を遮断し、自切を行う速度の方が早かった。

 

 数度の接近により、龍田はイスティオフォルスの腹部の一部が甲殻に覆われていない事を確認していた。それは『肢』の付け根、海上を走行している限りは絶対に露出する事のない箇所だった。海上から跳躍した際に唯一露呈する弱点でもあったが、水面下からの水圧メスによって牽制され、ここに至るまで決定打を入れる事が叶わなかったのである。

 

 自切の判断がイスティオフォルスの反応を上回ったその刹那、龍田は魚雷の先端を柔らかな肉に躊躇なく叩き込んだ。反しのついた鋭利な銛が産毛の生えた皮と肉とを乱暴に引き裂き、がっちりと爆薬を内包した円筒を食い込ませた。瘴気を含んだどす黒い血液が海面に噴き出し、悪臭が周囲を染め上げる。

 

 だが、その坩堝で龍田は嗤っていた。白い歯を見せて、ぎしりと。さぞ嬉しそうに嗤っていた。肉を、発達した筋繊維を貫く感覚が左腕に伝わるのを感じて、ぞわぞわと背骨(スパイン)に快感という電流が流れるのを愉しんでいた。

 

 残る前肢が龍田の頭部を掴みあげると、彼女は左腕で肢を力の限り握り返した。速度を落としたとはいえ、四十ノットを越えるイスティオフォルスの下部で力任せに頭部を引き上げられ、みしみしと一部の皮膜が剥がれるのがわかった。

 

 しかし、離さない。ようやく捕らえたこの肢を、そして未だがっちりと歯で支える長刀を。

 

 ずるりと海上に引き上げられた龍田の眼前にあったのは、横に並ぶ三つの貌。中央の口中からは、なるほど確かに象牙色の髪が垂れ下がっているのが見えた。えずくように口を動かす島風が、確かにいた。

 

 だが、龍田にそれを憂う感情など微塵も浮かび上がりはしない。半身を喪ってなお、龍田にあるのは闘争心と、たった今はじめて傷を負わせてやったこの異形への加虐心のみ。

 

 中央の口で頚部にかぶりつこうと『肢』を貌に近づけた瞬間。龍田は左部の口蓋に向けて長刀の先端を突き出した。もはやわずかな感覚すら残っていない、ささくれ立った人工筋肉が剥き出しとなった左腕に力を込めて。手当たり次第に口中、その奥まった箇所の肉を挽き潰してやると、ごぼごぼと血液が腔内から満ち溢れ出し、喀血が起きた。ダメ押しにずぶりと奥へ突きこんでやり、さらに悪臭を放つ鮮血が帯のように噴き出した。やがて『肢』での拘束が緩むや否や、龍田の左腕は上下の歯列によって切断された。しかし、またしても龍田本人の感覚操作の方が早く、彼女の愉悦は曇る事はなかった。 

 

 次の瞬間、腹部に突き立てられた魚雷が炸裂し、イスティオフォルスの甲殻に守られていない腹部側が空気を込め過ぎた風船のように破裂した。水しぶきに混じって重油のような体液と肉片が海上に飛び散り、イスティオフォルスの巨体がわずかに浮かび上がった。強か水面を打ち付けると、残る二本の『肢』がもぞもぞともがいた。

 

『目標、動きが停まったで!?』

 

 龍驤の戸惑い混じりの発言が通常回線で流れると、次に動きを見せたのは高雄だった。

 

「本当に、二分もかからずに……!」

 

『軽母』ヌ級――――ベレー帽を思わせる曲線を描く丸い甲殻に、白い光を携える眼孔と『駆逐』イ級のようにずらりと並ぶ歯列を持つ、剥き出しの頭蓋骨から手足が生えたような異形の死骸を背に、高雄はイスティオフォルスを瞳に映した。

 

「さすが、天龍さん……龍田さん」

 

 艤装に搭載されている二本の追加腕(フォールディングアーム)が抱えているのは、泊地のドックで新たに製造された大容量バッテリーと変電システム。そして、分割されて折りたたまれた長大な砲身である。がちんと白い砲身を展開すると、右の脇腹から伸びるその長さは約十メートルにも及ぶ。既に帯電していた二本の柱を内包する筒をイスティオフォルスへと向け、照準の補正を行なう。狙うは兎の巨大な耳、これを外せば次はない。

 

 砲身上部に取り付けられたグリップを握り、高雄はトリガーに指をかける。

 

≪素体規格の対象外のハードウェアが接続されました。“素体名:アケミ・ミコト社製高雄型”の対象規格をご確認ください≫

 

 アラートを示すアナウンスが高雄の聴覚に流れ、視界にはそれを示す警告文が表示される。しかし、そんなものは織り込み済みであり、もはや取るに足らない事である。構わず無視すると、既に処理を進めていたソフトウェアの実行を指示する。

 

≪弾体電磁加速装置 稼働準備完了 射出後の冷却機構----確認≫

 

 

 

 帯電する二本の柱を通って銃口から射出された36㎜徹甲弾の初速は、音速の軽く五倍以上に達する。発射時の轟音を置き去りにし、艦娘の主核(コア)に宿る意識よりも早く、観測機器のみが異形の甲殻を硝子のように粉砕するのを確認していた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。