俺たちは、そこから数分歩いたところにある巨大ショッピングモールに来ていた。
「俺、こういうところに来るのって久しぶ……いえ、初めてですよ」
「へえ、そうなんだ。じゃあ、今日はわたしに付き合ってね?」
「勿論ですよ」
久しぶりと言えば久しぶりなのだが、見たところどうも前世のそれとは勝手が違う。
この魔法の広まった社会特有の常識とかがあったら困るので、一応初めてということにしておいた。
この世界――に限らず前世でも、生活の為に必要なものは全てネットや通販で手に入る。
別に引きこもりというわけでは無かったのだが、こういった人の多い危険なところにわざわざ来る必要も無かったのだ。
「しかし、色んなお店が集まってて結構目移りしてしまいますね」
「和也くんが見てるのは食べ物屋さんばっかりじゃない」
「……まあ否定はしませんが」
そんな気は無かったのだが、呆れたようにそう言われてしまう。
確かに思い返してみると飲食店を見た記憶しかないが。
「本当、和也くんって食べるのが好きよね」
「何をおっしゃいます。食べることを馬鹿にしてはいけませんよ?食事というのは生命の維持の為に必要な行為でありながら、同時に楽しみも伴っている。つまり食事は趣味と実益を兼ねた最高の娯楽の一つなんです」
「はいはい、分かったから」
俺の熱弁にもそろそろいい加減に慣れてしまったようで、適当にあしらう真由美さん。
最初の時は目を見開いてびっくりしていたのに。
ついでに全力でドン引きしていたような気もするが、そんな記憶は無い。
人間というのは都合の悪いことはすぐに忘れる都合の良い生き物なのである。
因みに黒歴史はいつまで経っても消えないので注意。
むしろ鮮明に残るから、人生を振り返ると黒歴史ばっかりで愕然とすることが割と良くある。
「ほら、ご飯は後で食べるから。行くわよ!」
「……分かりましたよ」
今日は、真由美さんとデートに来たのだ。
俺が好き勝手に食べ歩いてはいけないだろう。
そう、頭では理解しているのに心が追いつかない。
返事が随分と暗い声になってしまった。
「すごい落ち込むわね……こういうところだけ子供みたいなんだから」
「……今日は真由美さんを最優先にすると覚悟を決めて来ましたから。決して美味しい匂いには釣られないと」
「そう言いながら顔がカレー屋さんの方を向いてるわよ!」
その後、俺の心が食べ物から帰って来るまでに数分の時間を要した。
◆ ◆ ◆
「せっかく一緒に来たんだから、和也くんの服を買いたいんだけど……良い?」
「え、ええ。まあお金はどうとでもなりますけど……俺の服を買って楽しいんですか?」
「女の子は小さい頃から着せ替え人形が好きなのよ」
そう言って、俺の手を引っ張って近くのメンズの服屋へと突入していく。
「和也くん、選ぶのに参考にするから答えてちょうだい。好きな色は?」
「黒」
「却下」
俺の好きな色が即却下されたんですけど。
「なんでですか。良いじゃないですか、黒」
「別に黒を否定しているわけではないわよ?ただ、黒がメインというのはちょっとなあ、と思って。男性って公式の場での服装は大体黒のスーツかタキシードでしょう?」
「ええ、そうですね」
取り敢えずそういうのを着ておけば問題ないからな。
そういう時は選ばなくて済むので非常に助かっている。
「和也くんならそういうのもすごい似合うと思うし、格好良く着こなせるのだろうけれど……普段も同じ色じゃつまらないじゃない。もっと明るい色でも良いと思うわ。幸い素材はとびきりだから大概のものは着こなせると思うし」
ふうん、そういうものなんだろうか。
俺が考える服装選びの第一原則として、他人に不快感を与えないこと、というのがある。
つまり、自分が着たいものではなくて他人が見てマイナスの感情を抱かないものを着るべきなのである。
その為にドレスコードが存在するのだろうし。
相手に好印象を与える為に、更に気合を入れて着飾ったりもするのかもしれないが……そこに自分の考えは入らない。
あくまで相手のことを考えて服装を選ぶのだ。
というのが俺の持論なのだが……まあ自分が着てみたいものを着るという感情も理解は出来るし、女性はそういうのが楽しいのだということも知ってはいる。
野暮な口出しはするまい。
「俺の感性は多分頼りにならないので、お願いして良いですか?」
「もちろん!その為に来たんだしね」
そう言うや否や、目を輝かせて服を手に取り吟味する真由美さん。
それからしばし、俺は着せ替え人形に徹した。
◆ ◆ ◆
頃合いはお昼過ぎ。
少し遅めの昼食を取ることにしたのだが。
「……何かごめんね?わたしもつい調子に乗ってやりすぎちゃったかも」
「い、いえ……大丈夫ですよ」
俺は些かぐったりしており、その前では真由美さんが申し訳なさそうにしていた。
あの後、服を吟味して俺に渡し、着替えさせてはまた別の服を、というように連続早着替えにチャレンジしていたのだが……。
真由美さんのセンスの良さと素材の良さが重なって通りかかった店員さんまで服選びに参戦してしまい。
結果として俺はおよそ2時間もの間ひたすら着替え続けていたのだった。
店を後にする時、店員さんも元気のない俺を見て流石に決まりの悪そうな顔をしていた。
しかし、疲れた……。
一方、店員さんと一緒にかなりはしゃいでいた真由美さんは全く疲れた様子がない。
女性の買い物の時のエネルギーは底知れないな。
「まあ、じきに回復しますよ。それより、午後はどうします?」
「ああ。午前中は和也くんの服を見たから、午後はわたしのも見たいなあって。ダメ?」
上目遣いでのお願い。
この人にこれをやられて断る男など、うちの兄ぐらいしかいないのではないだろうか。
しかも自分の魅力を理解して使っている分、性質が悪い。
かなりの破壊力だった。
ただ、別にそんなことをしなくても断るつもりは無かった。
「もちろん、構いませんよ」
俺は付いていくだけで良いのだから、問題はない。
そう、俺は思った。
◆ ◆ ◆
30分後。
俺はさっきの自分を殴りたい気持ちで一杯だった。
何が付いていくだけだ。
いや、確かに付いていくだけなのだが……。
「これとこれと……あ、あっちも見てみようかしら」
行動速度が先ほどまでの2倍速、3倍速だった。
あれで本気では無かったのか……と戦慄を禁じえない。
忠実な荷物持ちである俺はそのあとに追従して渡されるものを持っているだけ。
時々意見を求められることもあるのだが……ファッション関係には疎い俺がどうにか言葉を捻り出そうと考えているうちに自分で結論を出してしまうので、これはカウントしないだろう。
多少鍛えてはいるが、所詮は子供の細腕。
そろそろ積載過多で重量オーバーになるんですが。
いい加減魔法使おうかなあ。
あまりこういう公共の場で使いたくはないんだが。
……結局、使わざるをえなくなりました。
◆ ◆ ◆
買ったものを宅配便で家まで送ってもらうために預け、荷物がなくなった俺たちはやたらと注文のややこしい人気コーヒーチェーン店で一服していた。
場所は、今日は天気が良いからという真由美さんの希望で外をチョイスした。
「今日は随分と連れ回してくれましたね……」
「ごめんね?そんなつもりじゃなかったんだけど……和也くんと一緒だったからテンションが上がっちゃったのかな……」
これはまた可愛いことを言ってくれるな。
まあそれも本心だったら、の話だが。
「口元、緩んでますよ」
「えっ……あ」
俺のハッタリに思わず口元を押さえてしまう真由美さん。
こういう駆け引きはまだまだ甘いなあ。
兄さんとかだったら「何のことだ?」なんて平気でとぼけるからな。
真由美さんもそれに気づいたのか、拗ねたような目で睨んでくる。
正直そんなことをしても可愛いだけなのだが……。
「……もう、和也くんは意地悪ね」
「真由美さんも小悪魔ぶるのはやめて下さいよ。男を手玉に取れるほど手慣れているわけでも無いでしょうに……」
「む、言ったわね?」
真由美さんは小悪魔っぽい笑みを浮かべて俺の向かいの席から隣の席へ移動し、しなだれかかってくる。
「ねえ、和也くん……わたし、疲れちゃったわ。和也くんの家で休ませてくれない……?」
その言葉は驚くほど妖艶だったが、俺はそれを払いのける。
「お生憎様、うちにはメイドがいるんですよ。だから、一人暮らしではないんです。……それに」
顔が、真っ赤ですよ。
そう言うと、恥ずかしそうに俯いた。
「だ、だって……恥ずかしいじゃない。どうして和也くんは平気なのよ」
「さあ、どうしてでしょうね」
まさか、そういうのは宵闇で慣れてます、というわけにもいかないし。
曖昧にごまかすしかない俺であった。
お読みいただき、ありがとうございました。