◇ ◇ ◇
俺は九島老師との話を切り上げ、真由美さんがいるはずの控え室へと向かった。
途中で会場を抜け出したことは気付いていたのだ。
主役の俺たちが抜けてしまうのは正直あまり良くはないのだが、仕方あるまい。
そんなことより真由美さんの方が心配だ。
一応、礼儀としてノックをする。
「真由美さん」
「え?……和也くん!」
俺を認識した瞬間、その顔がパァっと華やぐ。
「おやおや、どうしたんですか?何か嫌なことでもありましたか?」
「うーん……ちょっとね」
「なるほど、九島家には厳重に抗議しておきます」
「ちょっと、良いから!というか、気付いていたの?」
「当たり前じゃないですか」
真由美さんが俺から離れていってから少しして、九島家現当主の真言殿が真由美さんに近づいていって声を掛けたのには当然気が付いていた。
相手は九島烈、俺のような子供ならばそちらに集中して周りへの注意が散漫になるとでも思ったのであろうが。
それは少々俺を舐めすぎだ。
俺がこんな魑魅魍魎の集まる場所で真由美さんから目を離すわけがないだろうが。
「それで、どんなことを言われたんです?事と次第によっては、今日をもって九島家は取り潰しとなるのですが」
「そんなことしなくても大丈夫よ。えっとね……」
◇ ◇ ◇
和也が九島烈に声を掛けられ、話していた頃。
真由美は一人でいたところを、ある人物に声を掛けられていた。
「今、良いかね?」
「え?は、はい」
真由美は何の話だろうかと内心で首を捻りながら、振り返って声を掛けてきた人物――九島家現当主である九島真言と向かい合った。
この人とは、真由美個人としてはもちろん七草としてもあまり深い付き合いは無かったはずなのだが。
一体、何の用なのか。
真由美の警戒心がグッと上がる。
「ああ、まずはお祝いを言わなくてはな。婚約おめでとう、七草真由美さん」
「……どうも、ありがとうございます」
真言の細かい言葉に、真由美は目を細める。
婚約おめでとうと言いながらも、わざわざ名字の七草を名前の前に付けるあたりにその心の内が出ている。
真言としては、四葉と七草の関係が深まるのは歓迎できないのだろう。
自然とお礼の言葉も無愛想なものとなってしまったが、向こうも心にもないことを言っているのだし、おあいこだろう。
実際、真言も全く気にしている様子はなかった。
「しかも婚約相手の和也君は中々出来るみたいだねえ。これで四葉家も七草家も安泰。羨ましいものだ」
「……それで?」
先ほどから、わざわざ真言が真由美に声を掛けてきた理由が分からない。
一体何が言いたいのか。
その疑問は、次の言葉で氷解することになる。
「……しかしねえ、君も気をつけた方が良いよ。和也君も、心の底から純粋というわけではない」
……そんなことは多分自分が一番よく分かっている。
あんなに楽しそうに人をからかう人間が、純粋なわけがあるだろうか。
どれだけ彼にからかわれたのか、自分でも分からないほどである。
だが、本当に言いたいのは次の言葉だったらしい。
真言は真由美に少し顔を寄せて、小声で囁く。
「彼の父親の話を知っているかい?何でも、結婚して深夜殿という妻がいるのにもかかわらずずっと愛人と共に暮らしていたそうだ。そして深夜殿が亡くなって半年も経たないうちにその愛人と再婚している」
……それは、知らなかった。
というか和也の実の両親とは一度も会ったことが無い。
母親は既に故人であり、父親の方は和也が毛嫌いしているということは知っているのだが。
その父親にそんなエピソードがあったとは。
真言の言葉は続く。
「和也君が誠実そうなのは見ていれば分かる。それは間違いないんだろうね。しかし、父が気に入るとは相当な実力のある魔法師なんだろう。英雄色を好むと言うし、血は争えない。今はそうではないとしても、将来どうなるかは誰にも分からないだろう?」
真由美が微かに震えているのを見て、真言はここが勝負と畳み掛ける。
「先ほどの話だと、深夜殿は別に夫の心が自分に無くて他に愛人を作っていたとしても構わないと思っていたのだろう。だが、君はどうかな?見たところ、お互い愛し合う夫婦になりたいと思ってはいないかな?……だったら、気をつけたほうがいい。最終的に傷付くのは君だよ?」
言いたいことは言い終えた真言は、後は真由美の反応を待つばかりだ。
しばらく肩を震わせていた真由美は、一つ深呼吸をした。
「……仰りたいことは、それだけですか?真言様」
ようやく顔を上げた真由美の顔は、能面のように無表情だ。
だが、その目だけが強烈な意思表示をしていた。
その瞳に映るのは、激怒の色。
目は口ほどに物を言うという諺を真言がこれほどに思い知ったのは、これが初めてだった。
そこでようやく、先ほど真由美が震えていた理由に思い当たった。
あれは決して悲しみや動揺、或いは恐怖から震えていたのではない。
和也を貶されたことに対する怒りを、必死で堪えていたのだ。
ここに来て真言は、自分の失策を悟った。
そしてそれは、間違ってはいない。
ただ、気付くのが余りにも遅すぎたということを除いて。
「貴方に、和也くんの何が分かるというんですか?たかだか今日初めて会ったばかりで、しかもまだ一度も言葉を交わしていない相手と?
彼は、言葉を交わさずにその人となりを判断できるような浅い人間ではありません。勝手な憶測や想像でものを語るのはやめて下さい」
「……し、しかし」
「大体。わたしが今更その程度のことで和也くんを疑うと思っているのなら、それは大間違いです。
わたしはたとえ何があったとしても。世界が彼の敵に回ったとしても。生涯、その隣で彼を支え続けるのですから」
堂々とそう語る真由美の姿は、普段様々な大人と対峙している九島真言をして圧倒されるほどのものであった。
「……くっ、失礼する」
真言は負け犬の如く、その場から去っていった。
◇ ◇ ◇
「まあ、大体はこんな感じかな……あの、和也くん?」
「……すみません。まさか、真由美さんにそれほどの覚悟がお有りだとは思いませんでしたので」
自分で自分が嫌になる。
俺もそろそろ、せめて話す覚悟を決めなければならない。
この人なら、きっと大丈夫だ。
黙り込む俺の反応をどう取ったのか、真由美さんは俯いてしまう。
「……やっぱり、こんな重い女は嫌?」
……会場を抜け出したまで何に悩んでいるのかと思えば、そんなことか。
俺は両の腕を真由美さんの背中に回し、抱き締めた。
「……和也、くん?」
「真由美さん。重くなんて無いですよ。……お願いですから、何があっても俺から離れないでください」
「……うん、分かったわ」
真由美さんは、俺の腕の中で頷いた。
◆ ◆ ◆
そのまま抱き合うことしばし。
「――で、いつまでそこから様子を伺っている気ですか?叔母上」
「あら、気付いていたの?」
「当然ですよ」
あっさりと隠れるのをやめて部屋に入ってきた叔母上を睨む。
全く、白々しいことだ。
隠れる気なんてこれっぽっちもなかったくせに。
「そうかしらねえ……真由美さんはそうでもないみたいだけれど」
その言葉に目を隣にやると、真由美さんは真っ赤になってあたふたしていた。
「わ、え……義叔母様……!?見られた……うぅ」
恐ろしく可愛い。
ではなかった。
「叔母上、何か用件があってここまで来たのでしょう?」
「ああ、そうだったわね。このままパーティには戻らなくても良いそうよ」
「そうですか。わざわざありがとうございます」
俺が会場から出る前に、叔母上に頼んでおいたことだった。
真由美さんが会場に戻って、また同じようなことがあっては困る。
ずっと避けるわけにもいかないが、そんなことは一日一度でいいだろう。
伝えに来てくれた叔母上に礼を言うと、叔母上はひらひらと手を振る。
「良いのよ。面白いものも見られたし」
うふふ、と笑う。
「ああ、それと。予想通り、動いたのは九島でした」
「そう。こちらで掴んだのは末端もいいところだったけれど、これで確証は得られたわね」
「……えっと、一体何のこと?」
話についていけない真由美さんに、俺は簡単に説明をした。
「どうやら
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