日が沈み、夜の帳が下りた鎮守府。月明かりがほんのり白く照らすだけとなっていた。
開明期を思わせるレンガ造りが並ぶ中、木造の建物があった。そこは軍施設でありながら、暖簾がかかり中からは温かみのある光が漏れていた。
そこへ1人の男が入ってゆく。この鎮守府を統括する提督である。
表情は厳粛そのものといった具合だが、どこか疲労の色見え隠れしていた。
暖簾をくぐった先は小料理屋といった趣の空間が広がっていた。料理がいくつかの大皿に盛られ、日本酒に焼酎、ウィスキーといった様々な酒瓶が壁際に並ぶ。一昔を前を感じさせる内装だ。それでいて、壁紙などの真新しいのが、ここが最近になって建てられたことを物語っていた。
カウンターの向こう側には1人の女性の姿があった。小料理屋の女将にしては大分若いようだが落ち着きのある雰囲気は不思議と店に似つかわしい。
この鎮守府所属する艦娘の鳳翔である。
なにやら、洗い物をしているのか水の音と陶器の擦れる音がし、視線は手元へと落とされている。入ってきた人物に気がつき、顔を上げた。
「あら、提督。すみません」
「いやいや、気にしないで下さい」
申し訳なさそうにしている鳳翔に微笑を向けつつ、提督は席に腰をおろした。
「むしろこっちも申し訳なかったです。最近、なかなか顔を出すことができなくて」
出されたお絞りで手を拭った。
「ずっとお忙しかったんですから、仕方のないことですよ」
大規模な作戦発動を前に、多くの準備に追い回されていた。
使用する燃料や弾薬の確保。作戦参加艦娘の練度向上。寄せられる事前情報の収集と分析。
確かに忙しいものだったが、充実感もあった。
「それもひと段落して、こうして鳳翔さんお店にこれましたよ」
鎮守府の規模が大きくなるにつれて、護衛任務や指導担当となることが多くなった鳳翔は、前線へと繰り出してゆく艦娘のためにと不定期ながら料理とお酒を振舞う場を設けた。
これが思いのほか好評で、隼鷹を筆頭とした軽空母陣に加え、重巡洋艦や戦艦たちも足しげく通っている。
鳳翔は表に出ると、暖簾を外してきた。
「いいんですか、まだ他の娘が来るのでは?」
提督が尋ねた。
「隼鷹さんたちも帰りましたし、時間が時間ですから」
時計の針に目を向けると9時半を回っていた。艦娘の行動は、鎮守府内に限っていえば大部分が各々の意思に委ねられている。それでも、この時間から出歩く者はあまりいない。
「さあ、今日は何にしましょうか」
「それじゃあ、肉じゃがと日本酒で」
注文を伝えると、静かに一息ついた。
鎮守府と呼ばれながらも普段は軍関係の組織とは程遠い穏やかな場所だが、ひとたび事が起これば様相を一変させる。その落差が店の暖かさをよりいっそう大きなものにしているような気がした。
そうこうしていると、小鉢に盛られた料理が出てきた。ほのかに上る香りが心地よい。
さらに鳳翔から御猪口を受け取る。
「さあ、どうぞ」
注がれた酒を一気に飲み干してしまった。特別、酒に強いわけでもないのだが、思わずそうしてしまった。
アルコールとともに疲労が体の表面から抜け出ていくかのような感覚に包まれていた。仮初のものとはいえ、心休まる時間を感じた。
鎮守府の刻はゆったりと流れ、闇夜はその色を濃くしていく。
(了)