艦隊これくしょん 第八九特別掃討隊任務報告書   作:読図パニキ

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weigh anchor/昔日

 深夜の海は暗い。

 陸地とは比べるべくもないほどの漆黒。空は墨を引いたかの如き暗幕を垂らし、水面は重油が如くその潮を振るわせる。

 その暗黒は、地に立つものには判らぬ怖気を孕んだ闇の衣。四方八方から迫り、容赦なく心と五体を引き裂く不安の帳。

 地上と違い、頼りとなる灯りは歪んだ円月と星しかない。寧ろそれも却って恐怖を煽る。心細さだけを際立たせる。

 いっそそんな僅かな灯りすらも無ければ、海と空の違いも判らぬまま暗き揺り籠に包まれるのだから。

 

 ――否。

 

 闇を裂く幾条もの流星。曳光弾が光の尾を引き、水柱を立てた。

 轟音。そう、確かに海の夜は暗いが――この海に限っては、別だ。

 海面を伝う重油のキャンバス。その足場を好き勝手に奔り、闇を塗りつぶす数多の業火。轟く雷鳴がごとき破裂音と、呻き声と怒号と奇声。

 海の色を受けて、僅かに青みを帯びた灰色髪。括って片側に垂らしたその毛先も、潮風と爆風に乱れる。

 サスペンダーに釣られた灰色のプリーツスカートの裾は焼け焦げ、純白のシャツも煤に汚れる。

 最新鋭の科学技術に裏打ちされた艤装を纏い、水上を自在に駆ける少女。海上機動装甲歩兵――通称:艦娘の一人、朝潮型駆逐艦娘。

 彼女が眼前に臨むのは、腹部を抑えて波間に漂う少女。残った虚ろなる片手で炎上する艤装にしがみ付き、身を預ける。長髪が熱に煽られ歪む。膜を為す陽炎に遠ざかる姿。

 

 舌打ち。

 少女は――霞は歯を食い縛った。

 

「あたしが向かう! それ以外は、合同して撤退! 判ったわね!」

 

 仲間には撤退を命じ、彼女は戦友の元へと疾走――或いは全速航行。

 少女は、海面を滑っていた。速力一杯――背中に背負った大型発電機の艤装:主機が生み出した電力が両足を伝わり、鋭角型の脚部の艤装に通電。

 フラクタル理論で構成された、見かけ上の体積からは想像できないほどの表面積を持つ脚部艤装が俄かに震動。撥水し、反動で彼女の全身を押し出した。

 おおよそ三十五ノット。秒速にして、約十八メートルほど。彼女が駆ける大海からすれば実に微々たるものであるが、人間が生身で出せる最高速度は優に凌駕。

 風切る砲弾が迫るのを、身を捩って避ける。

 さながら予知。ただの人間ならば、全速力よりも尚速い速度で前進しつつ己目掛けて撃ち込まれた弾丸を避けるなど不可能。

 

 風切音を置き去りに、之字運動。傾斜を滑り降りるスキーヤーの如く、左右に振れる霞の躰。散る飛沫。曳光弾の雨。

 至近弾。膨張する海面、巻き起こる波に体勢を崩す。其処に目掛けて襲い掛かる砲撃――咄嗟に左肩を盾に。

 脚部の舵と同じく、主機が生み出した電力を帯びた戦闘服。一見しては私立校の制服に近い、おおよそ戦場には相応しくない装備。

 しかしその実、フラクタル理論でメンガーのスポンジが如く極限の表面積を持つ特殊繊維。向かい合う面と面に交互に極が転換し通電。強度の電磁場を発生させる科学の結晶。

 砲弾の運動エネルギーを殺し――斜めに逸らす。背後へと流れる鋼の彗星。しかし出力と磁場を突き抜ける衝撃に耐えきれず、焼き切れたシャツ。

 少なくない慣性に、背骨を軸に左半身が軋んだ。

 

「ッ、この!」

 

 しかし、構わぬ。しかし、耐える。しかし、留まる。

 死なせるものか。死なせてなるものか。誰一人死なせて堪るか。

 守る為に、戦う事を選んだ。助ける為に、戦う事を選んだ。救う為に、戦う事を選んだ。

 ならばここで同じ志を持つ仲間を――同じ境遇に身を置く戦友を見捨てるなどというのは、断じて肯んぜられない。

 右手に握った、手甲型の盾と二門の砲身が合一したような装備――十二.七cm連装砲を放つ/放つ/放つ。

 視界に焼け付く焔の檻は、それが柵となり周囲の暗黒を強調する。それ以外が、却って闇に紛れてしまうほど。

 

 頭上で飛び交う無数の無人航空機。制空権はやや劣勢。敵機は戦闘機や攻撃機・爆撃機の編隊。対する自軍が有するのは、下駄(フロート)を履いた水上機。空戦能力にはかなりの差がある。

 近付く遠雷の羽音。気付いたときには頭上一杯、およそ一メートルから二メートルほどの敵無人航空機。航空力学を否定する、碌に翼も持たない飛翔体。

 (ぬめ)りけを帯びて不気味に反射する機体。昆虫と水生生物の合いの子のような紡錘形の飛行物体。未確認飛行物体宜しき独特の形状のそれが、羽虫が如く頭上を舞う。

 機銃掃射。水切りが如く飛び散る海面。白澄むそれが迫り来る――咄嗟に左推進装置を半速に。速度差に、右足が過剰前進。

 体勢が崩れ倒れそうになるそこ――足を努めて踏ん張り当て舵を喰らわせ体勢を極力直線に保ち、ドリフト。横滑りする船体。

 一瞬弱まる速度に、照準。迫り来る敵機へと鋼弾を叩き込む――破砕音を聞きながら再度、最大出力で左舷に通電。推進力を取り戻し、或いは過剰となったところで一回転。

 尾を引く視界に、どこまでも冷静な脳裏。思考と実感が切り離され、いよいよ少女は戦闘機械へと移行する。回る躰。泳ぎそうになる腕に僅かに緊張――発砲/発砲/発砲。

 認識と同時に忘却。理解と同時に喪失。分析と同時に廃忘。余りにも濃密な神経加速時間――戦闘機の操縦者よろしく、人類の極限反応を以って照準/斉射。

 

 大海には余りにもちっぽけな肉体が、木の葉の如く揺れ動く。迫り来る敵攻撃機の機銃掃射を何とか回避。

 低空侵入――切り離された爆弾が、水面を飛び跳ねる。

 舌打ち。面舵一杯――流れ出る電力が己の肉体を苛むその中で、同時に射撃。辛うじて直撃を防ぐが、盛大な爆風に煽られ、その高温に息を止める。

 遠い。あまりにも遠い。

 オリンピック選手の全速力をも凌駕する速度で航行しても、この大海原を前には少女の肉体は小さすぎる。

 

「……っ、この程度!」

 

 歯を食い縛る霞の視界の先――幾重にも折り重なる空気の繭の向こう、その時偶然にも視線が交じり――半死半生の少女、清霜が首を振った。

 「こ、な、い、で」「に、げ、て」「お、い、て、い、っ、て」――途切れがちに震える唇。俄かに振られる顎。

 事実である。味方の損害は一。対して作戦は成功。輸送航路の襲撃が行える位置に属する敵泊地の破壊は相為ったのである。

 ここで偏に重傷の少女が残されているのは、撒き餌である。己らの敗北を悟った敵が、それでも一矢報いんと――いつでも撃破出来る人間を餌に、その仲間を誘き出そうとしているのだ。

 こんな作戦を執るのは、寡兵かもしくは不退転の敗残兵。可能な限り相手に損害を与えようとする、そんな策略。

 友釣り――理屈としては知っていた。であるからこそこの少女――霞も、仲間には撤退を選択させた。作戦が成功したのであれば、後は送り狼に注意して全員無事で戻るのが指揮官としての本懐。

 だが、兵士としての本懐に非ず。衣食を共にした仲間を捨て置いて逃げての、何が兵士だ。戦友だ。

 

「うるさい! 口開く暇があったら、歯を食い縛ってなさい! こんなの全然損害の内に入んないわよ!」

 

 不利は悟っている。己の感傷だとも。故に行うのは己一人である。

 首尾よく救助を行い、その後反転。元の隊へと合流――それが夢物語に等しいとも。

 遠間から、覗いた白線。海原を割って裂く気泡の尾。迫り来る、幾筋もの魚雷。霞の限界速度をも上回る速度で襲い掛かる長槍。

 彼女たちの戦闘に於いて、魚雷は別に誘導弾ではない。ある程度の指向性を備えてこそいるものの、打ちっぱなしの攻撃兵器。海中を進む無誘導弾と同じ。

 的も少女。人型の的。直撃させるのは、常識ならば至難の業であるが――直撃でなくともその爆発に巻き込まれればただでは済まないし、それになにより――

 

(――誘い込まれたッ!?)

 

 予め遠方寄り射出した魚雷群の未来の着弾位置へと、追い込まれたのである。

 必然、つまりこれは必殺。船速を生かして回避を試みたところで、爆発範囲には含まれるのだろう。

 一体、何発までならば耐えられるか。直撃弾はどれか。今、負荷を考えずに推進を一杯にすれば脱出はできないか――。

 

 掌に滲む汗。海中目掛けて砲撃を行うが、それこそ針の穴を通すようなもの。水中を翔ける魚雷に、水上から砲弾を叩き込むなど至難の業。

 “奴ら”と彼女たちの有する魚雷は通常兵器の魚雷と若干異なる。推進に用いる電磁気の生み出す磁場に反応し、爆発。範囲内を強烈な爆風で薙ぎ払う。

 海中の水分が巻き込まれたそれは少女たちの持つ戦闘服の対弾電磁防壁を摩耗させ、そして無防備な肉体へと破片や爆風が突き刺さる代物。

 この“致死範囲”での爆発を、直撃と呼んだ。

 

 故に、同じく磁場を生み出す装置さえあればデコイとなろうが――それも無い。

 こうなっては、己の生み出す磁場と魚雷の致死範囲を脳内で照合させ回避運動に移るほかないが、この漆黒の水源。推測も容易ではない。

 最早――、

 

「覚悟とは犠牲の心ではない、でしたか」

「うーん、暗闇の荒野に進むべき道を切り開く事ね。この場合、文字通り」

 

 覚悟を決めた霞の側面を割った光の道。迫り来る魚雷が反射し、その航跡が浮き彫りになる。

 撤退を命じたはずの友軍が、探照灯を片手に戦場へと舞い戻っていた。

 同じく、発砲音。霞へと降下を行おうとしていた敵無人機が空中で爆裂する。

 

「あたいの事を忘れて貰っちゃ困るね!」

 

 再度集結する部隊。

 全員が、少なくない被害を負う。艤装各種から煙が上がり、或いは戦闘服が破損しながらも――それでも意気揚々とした視線で海域を見やる。

 霞は驚愕よりも先にまず、えも言われぬ感動を抱いていた。

 指揮官と言う立場からするならこれは、咎めるべき行為である。従わぬ兵卒など、戦場にあっては不協和音。批難されて然るべきであるが――。

 

 それ以上に、誇らしかった。

 

 そもそも、戦術上の分析で言うのであれば霞の行動とて問題である。指揮官が、危険を冒して負傷艦の救助に向かう――避けるべきだろう。

 確実性を期すならば全員で救助に向かうべきであり、或いは安全を望むのであるなら見捨てるべき。

 倒れた仲間を救いたいというのは或いは、ただ彼女の感傷でしかない。戦場の歯車たろうとするならば、切り捨てるべき事であろう。

 いや或いは、ここで貴重な戦力を切り捨てず救助に向かう事は、戦略面に於いては正しいかもしれない――いやもう、そんな事はどうでもいい。

 今はただ全員で、この場を生き延びる事こそが至高。余計な問答は犬にでも食わせて、全てが終わった後に語ればよい。

 

「行くわよ!」

 

 ――高らかな霞の声と共に、全艦娘が救助へと突入した。

 




史実:礼号作戦に由来
参加艦艇:霞、朝霜、清霜、足柄、大淀他
主人公:不在

霞に尻を蹴り飛ばされたい
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