僕たちは天使になれなかった   作:GT(EW版)

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後 編

 

 

 セルとの戦い。

 ブロリーとの戦い。

 そして、ツフル帝国との戦い。

 地球を陥れようとする数々の危機を乗り越えた今、世界は未だかつてないほどに平和な日々を過ごしていた。そんな今、戦士達は各々の帰る場所に戻り、修行や仕事、育児などの時間をそれぞれのペースで過ごしている。

 

 高校生になった孫悟飯もまた、その一人である。

 

 ――この時、本来の歴史であれば彼は勉強に精を出した結果学力が向上した半面日々の修行が疎かになり、少年時代より戦闘力を下げてしまう筈だった。

 

 しかし、歴史のズレはこの時の彼の戦闘力にも大きな影響を与えていた。

 彼がそれまでに過ごしてきた人生の中にネオンという少女が居たこと。

 七年前の戦い以外にも、ツフル帝国との戦闘があったこと。

 それによって、彼の考え方や家内の考え方にも変化が生じていたのだ。

 

 そしてその中でも際立っていたのが、悟飯に対するチチの教育方針が変わったことだった。

 

『……悟飯。勉強も大事だが、修行もちゃんとするだよ?』

 

 それはツフル帝国との戦いが終わり、東の都の復興に概ねの目途が立った頃のことである。

 弟の悟天が寝静まった夜中の九時頃、悟飯はその時勉強机と向かい合っていた。

 そんな彼の居る部屋に唐突に入ってきたチチが開口一番にそう言った瞬間、悟飯は驚きのあまり鉛筆を落としたものだ。

 

 あの教育ママのチチが、悟飯ちゃんの勉強の邪魔をするなとよく父や祖父を叱っていた母が――修行をしろと言ったのである。

 

 それは悟飯が今まで、見たことの無い母の姿だった。

 

『散々勉強しろって言っておいて今更なんだって思うかもしれねぇが、真面目な話だ』

 

 手のひらを返したような自らの発言に自嘲の笑みを浮かべた後、チチは真剣な表情で悟飯と向き合う。

 そして彼女は、息子に対してある質問を投げかけた。

 

『悟飯、おめえは、もしもネオンさんが危険な目に遭ったらどうするだ?』

『え? そりゃ助けに行きますけど?』

 

 何の脈略も無くネオンの話が出てきたことに不思議がりながらも、悟飯は即応して質問に答える。

 ネオンに限らずとも、孫悟飯は自分の知っている誰かが危険な目に遭えば必ず駆けつけるだろう。それが今まで、彼が見てきた父親の背中が教えてくれた正義の一つでもあるからだ。

 悟飯がそう答えることをチチは予測していたのであろう。満足そうに頷いた後、続けて質問を投げかけた。

 

『だったら悟飯は、ピッコロさんとネオンさんが同時に違う場所で危険な目に遭っていたら、どっちを先に助けに行くだ?』

 

 良くも悪くも思い切りの良い性格のチチにしては、珍しく意地悪な質問であった。

 しかし、物の例えとしては非常にわかりやすいものだった。実際にその状況になってみなければはっきりとは言い切れないが、似たような状況に陥ったことはこれまでに何度かあったからだ。悟飯はその脳裏に、再びこの地球にセルやブロリーと言った強敵が同時に出現した状況を想像しながら、数拍の間を空けて答えた。

 

『……うーん、そうなると、やっぱりネオンさんから助けなくちゃかなぁ……』

『よし! さすがオラの子だ』

 

 チチが引き合いに出した二人は、悟飯にとってどちらも大切な人間だ。どちらか片方を切り捨てる選択肢など始めから持ち合わせていないが、自分の身体が一つしかないことがわからないほど今の悟飯は無鉄砲でも子供でもない。

 故に悟飯は、戦士としての信頼感の違いからネオンを先に助けることを選んだのである。

 

『もちろんどっちも助けに行きますけど、ピッコロさんなら少しくらい遅れても大丈夫でしょうし』

 

 二人の命を天秤にかけて、片方を優先しようだなどという傲慢は持ち合わせていない。ネオンを先に助けるとは言ったが、それはピッコロの命よりも彼女の命を優先するということではなかった。

 ピッコロの強さは、戦闘力や精神的な面でも悟飯が誰よりも理解している。だからこそ、そう言った状況になればネオンを助けた後で駆けつけても間に合うだろうという「信頼」に基づいた上での発言だった。

 もちろんネオンのことを信頼していないというわけではないが、彼女はピッコロのような生粋の戦士ではない。彼女もそれなりの戦闘力を持ってはいるのだが、悟飯としては何故か自分が助けに行かなくても大丈夫だろうという楽観的な感情を抱けない――そんな「危うさ」を感じていたのだ。

 

 ――要するに、「何となく放っておけないな」という感情を抱いていたのである。

 

 そのことをチチに話すと、彼女もやはり同じことを考えていたらしい。

 

『今のあの子には、ちゃんと家族が居るだ。だども、一番あの子の支えになっていたベビーさんはもう居ねぇ。だから、もしまた戦いとかであの子が危険な目に遭ったら、守ってやれるのはおめえしか居ねぇだよ』

『……うん』

 

 ネオンとベビーは、本当に良いコンビだった。

 お互いに足りない部分を補い合っていて。お互いがお互いを相棒として、パートナーとして支え合っていた。とっくの昔から、二人の関係は人間と寄生生物の関係ではなくなっていたのだ。

 しかし、今やベビーは宇宙に旅立ち、ネオンは東の都に残った。今のネオンの周りには家族は居ても相棒が居らず、それが彼女の「危うさ」に繋がっているのだろうと悟飯は思った。

 だからこそ、彼女の相棒のまで自分が彼女を守ってあげなければならないのだと――チチの言い分は、悟飯にとってもはっきりと理解出来るものだった。

 

 

『だどもオラは、おめぇの身に何かあったら嫌だ。……だから、おめぇには強いままで居てほしいだよ』

 

 しかし悟飯の母親であるチチには、その感情に加えて悟飯の身を案ずる気持ちがのしかかっていた。

 たとえ悟飯が成長し、どれほど大人に近づいていこうと――チチにとってはいつだって、自分の息子がこの地球よりも大事な存在であることに変わりはない。

 

『我が儘なおっかあですまねぇな……オラがこの話をしたのはな。もしそういう時になっておめぇがネオンさんを助けに行っても、その時におめぇが弱かったら話になんねぇと思ったからだ』

『それは、そうですけど……でもお母さん、今までそんなこと言わなかったじゃないですか。昔なんてお父さんやクリリンさんがピンチになっても、僕の身体の方が大事だって言ってましたよね?』

『それは今だって変わんねぇよ。オラは今でも、地球の未来よりおめぇの勉強の方が大事だって思っているだ』

 

 傍から聞いていればそれは一見我が儘にも思えようが、チチは今も昔も、一貫して息子の将来を第一に考えている。

 そしてだからこそ彼女には、悟飯もネオンも健康に、無事に生きてほしかったのだ。

 

『勉強して頭が良くなれば、平和になった時代で一番幸せに暮らしてけるって思った。だども、オラ最近思うだよ……。世界はぜんっぜん平和になんねぇ! これじゃ頭が良くなっても幸せになれねぇんじゃねぇか?ってな』

『は、はは……でも今度こそ平和ですよ。多分……』

『……昨日なんて、将来結婚したおめえ達がとんでもねぇ化けもんに殺される夢を見ただ……オラその夢のことが、気になってしょうがねぇ』

 

 世界はいつの日も戦いばかりで、強敵を倒して今度こそはと思っていた矢先には、さらに強い敵が現れる始末だ。

 ピッコロの次はサイヤ人、サイヤ人の次はフリーザ、フリーザの次はクウラ、クウラの次は人造人間だ伝説の超サイヤ人だの怒涛の強敵ラッシュだ。……そして直近の敵には、自分が娘のように可愛がっていた少女とその相棒と来た。これにはさしものチチとは言えど、心が揺れずには居られなかった。

 

『……おめぇが幸せになんなら、オラはもうしつこく勉強しろだなんて言わねぇよ。ただ、あそこでこうしていれば良かっただとか、勉強より大切なもんを無くして、ずっと後悔するような人生にはしねぇでくれ』

 

 学者になることやその為の勉強は、あくまでも息子が幸せな将来を送る為の手段に過ぎない。だからこそ、勉強の為に幸せな将来を失うようなことはあってはならないと思った。

 そう思わせるだけの戦いの日々が、この世界にはあったのだ。

 

『わかりました』

 

 感受性の高い悟飯はそんな母親の胸中を悟り、固い決意をその目に宿した。

 とは言っても、悟飯が将来目指すものが偉い学者であることに変わりはない。勉強も好きでやっていることであり、今までも母親の命令でやらされていると思ったことは一度も無い。

 そして今回の話も、悟飯は母親に言われたからそうするのではない。

 彼もまた父親と同じように、いつだって頑固なまでの信念を持って、行動に当たっていたのだ。

 

『守りますよ、ネオンさんもみんなのことも。もちろん、お母さんと悟天のことも』

『馬鹿言っちゃいけねぇ。オラは自分の身は自分で守るだ。おめえはネオンさんと悟天のことだけ守ってればええ』

『いや、それはちょっと……』

 

 自分だけで何もかもを守り通せると思うほど、悟飯は傲慢ではない。

 しかし悟飯は周りの人間が大好きだ。人間だけでなく、自然や動物達も同じだ。そんな大好きなものを守る為ならば、元々好きではない戦いにだって身を投じることが出来た。

 

(地球は、僕が守るんだ……そうでしょう? お父さん)

 

 父が守ってくれた、この地球の平和。自分達は、その平和を譲ってもらっているのだと悟飯は思う。

 故にその父に地球の平和を託された今の悟飯が掲げている将来の夢は、非常に強欲なものとなっていた。

 

 それは「一流の学者になり、一流の戦士になる」ことだ。

 

 頭脳と肉体の両方を鍛えるというのは本来遊び盛りである子供の身分にはあまりに酷な目標であったが、悟飯はその生活に悲鳴を上げたことは最後まで無かった。

 

 その両立ぶりと言えば修行もそれなりに行うことを望んだチチとしても全くの想定外と言えるほどで、自分の言葉が息子の生き方を強制させてしまったのではないかと真面目に悩んでしまうほどであった。

 しかし幼子の頃に恐竜とサバイバルさせられたこともある悟飯としてはその程度の生活はさして苦にならず、慣れてしまえば案外気に入ってしまっていた。

 元々戦いは好きではない悟飯だが、父親から受けた影響か、身体を動かすことは好きだったのだ。

 修行は勉強の気分転換に、勉強は修行の休憩タイムとして案外ノリノリで打ち込んでおり、戦闘力も学力も、伸びることはあれど衰えるようなことはなかった。

 

 その生活の代償を言えば、彼の中でそれ以外の時間がほぼ消えてしまったことか。

 特にパオズ山から遠出する時間などは、最初の二年こそたまに東の都に行って復興作業を手伝うこともあったが、高校入学をする一年前からはそれも無くなってしまっていた。と言うのも、弟の悟天がひょんなことから超サイヤ人に覚醒した為、その力の使い方を指導してあげたりとそれまでより一層忙しくなったのも理由の一つだった。

 

 それが母親のチチにとって一番の誤算であったことは、言うまでもない。

 

 彼女からしてみたら将来義娘になるかもしれない少女を守らせる為に悟飯にあのようなことを言ったのだが、その為に悟飯の生活が忙しくなり、二人を引き合わせる時間がめっきりと減ってしまったのでは本末転倒もいいところである。

 悟飯もまた父親に似て時間の感覚がルーズであり、丸一年会っていないことに関しても「え? もう一年経ってたんですか!?」と彼からしてみればそんなに長いこと会っていなかったという自覚すら無かったのである。

 

「……悟飯は駄目なところまで似てしまっただな。なあ、悟空さ?」

 

 年々成長するに連れて父親に似てきたと思っていたが、そのように女を無自覚に待たせるところは昔の父親そっくりだ。

 自分の場合は一年どころか七年も待たされたものだが、最終的には結婚に行きつき円満な夫婦生活を送ることが出来た。

 

 だから彼らも、まあなるようになるのではないかとチチは思っている。

 

 成り行きから一緒に暮らしたこともあり、チチは真面目な性格のネオンのことを気に入っていた。彼女とは今でも時々会って話をすることがあり、彼女の秘書ともじれったい思いを抱いている者同士気が合い、仲良くお茶をする関係である。

 チチの息子への愛情は海よりも深い。

 故に成長するに従って近づいてくる息子の一人立ちに関しても年々寂しさと戦っている始末だが、悟飯が見も知らぬ町娘などに取られてしまうぐらいなら、いっそ自分がよく知っている真面目な少女とくっついてもらった方がチチ的には嬉しかったのだ。大企業の社長という社会的なステータスもグッドである。

 

 ――しかし、一番重要なのは二人の気持ちだ。

 

 こればかりは外野が騒ぎ立てても仕方がなく、母親と言えど歯がゆい思いをしながら温かく見守ることしか出来ない。

 平和になった地球の青い空の下、今日もチチはパオズ山の自宅で次男坊の面倒を見ながら家事を行う。

 そうしているとやがて空が茜色に染まり、学校に行っていた長男が雲のマシンに乗って帰ってきた。

 

「ただいまー」

「おかえりー!」

 

 出迎えに勢いよく次男坊の悟天が駆けつけ、長男の悟飯がそれを嬉しそうに受け止める。そんな微笑ましい兄弟の様子を夫にも見せてやりたかったと思いながら、母親のチチが柔和な笑みを浮かべる。

 

 そんな彼女の笑みが驚愕に変わったのは次の瞬間、悟飯が言い放った衝撃の一言だった。

 

「あ、母さん。今日の帰り道に、ネオンさんと会ったんですけど……」

「本当か!?」

「は、はい……それで明後日の休みに遊園地に行かないかって誘われたんですけど、行ってもいいですか?」

「行け! 全力で行け! こうしちゃいられねぇ! 着てくものを用意しておかねぇと!」

「あれ、母さん?」

「遊園地? 兄ちゃんいいなー」

 

 今時デートの話を母親に報告する高校生など珍しいものだが、普段通りの落ち着いた表情を見る限り悟飯の方には自分が初デートをするという意識はやはり無いらしい。

 しかし、これは大事件だ。奇跡的に三年も続いてきた平和な地球で起こった、チチからしてみればフリーザの兄だの伝説の超サイヤ人だのよりもよっぽど恐ろしい緊急事態であった。

 

「誘われたんだな悟飯!? おめえを誘ったんだなあのネオンさんが!」

「え、ええ……ネオンさんからこんな手紙を渡されて……。詳しいことは話す前にさっさと帰っちゃいましたけど、顔も赤かったし風邪気味だったのかなぁ……?」

「……ああ、もうあの子は本当にしょうがねぇだ!」

 

 あの奥手極まりない娘が……ネオンが悟飯をデートに誘った――。

 あまりにも衝撃的な事実に、チチは身体中の血液が沸騰しそうな感覚を覚えた。

 しかし実際に会ってデートに誘いながら、手紙を渡したらさっさと帰ってしまうのはいただけない。あの子そこまでヘタレだったかなと、予想以上の奥手ぶりにはチチからしてみれば呆れが半分、喜ばしさが半分といった感情だ。

 ……まあ、まかりなりにも無事に誘えた上で悟飯も行く気な様子なので、初めてとしては及第点と言ったところか。そんなお節介な親心にも似た感情を抱きながら、ネオンに申し訳ないと思いながらもチチは悟飯から彼女が渡したと言う手紙の中身を拝見した。

 

 

【 1.日時

    エイジ774 4月13日(土) 9:00~17:00

 

  2.場所

    ツフルランド

 

  3・集合場所

    東の都 ベビー公園 ベビー像前

 

  4・移動方法

    徒歩推奨(瞬間移動や舞空術、筋斗雲は目立つので人通りのない場所まで)

 

  5・注意事項

  (1)当日は混雑が予想される

  (2)服装は常識的な格好で(武道着は×)

  (3)施設の機材は破壊しないこと

  (4)弁当等、昼食の用意は不要

  (5)チケットはネオンが用意(手ぶらで可) 】

 

 

 

「……ネオンさん、こんなラブレターはねぇべ……」

 

 真面目な彼女のこと、悟飯に宛てた手紙もそこまでくだけた文体ではないだろうとは思っていたが、中身は想像以上に堅苦しいものだった。なんだろうコレは……少なくともデートに誘う為の手紙に書くのとは少し違う、違う気がする。色々と規格外な悟飯の為に注意事項まで丁寧に書いてあったのには好感が持てるが、それにしたって書き方というものがあるのではないかとチチは思った。

 

 ……まあ、こんな風にでも書かなければあの不器用な少女のことだ。デートの一つにも誘えなかったのだろうことは容易に想像出来た。

 

 しかしそれでも。

 彼女の想いが成就することを、チチは彼女とかつての自分を重ね合わせながら祈った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 東の都 ベビー公園。そこはかつて、二人のサイヤ人の宇宙船が降り立った場所だった。

 

 サイヤ人の一人、ナッパの攻撃によって町は爆発に飲まれ、唯一の生き残りであるネオンを除いて皆が死んでいった。

 

 その後、幼き日のネオンがベビーと共に、グラウンド・ゼロとなった場所に町民達の墓を作った。

 そして彼らが生き返るまでの七年間、ネオンとベビーはその墓を守る為に墓の傍に建てた仮設の屋敷で暮らし続けた。

 

 そしてドラゴンボールのパワーアップにより彼らが生き返った後、ネオンはもはや守る必要の無くなった墓を除き、その代わりとして平和への祈りを込めた「石像」を建て、ツフルコーポレーションの財力と町民達の協力を得て公園を作ったのである。

 

 それが、このベビー公園の成り立ち。広場の中心に建っている石像――「ベビー像」の成り立ちだった。

 

 公園にはネオンが幼少の頃に撒いた種によって今ではそこら中に草木が生い茂っており、石像の周りには虹のアーチを描く噴水の姿がある。

 広場にはジョギングコースや子供達が屋外で遊ぶ為の遊戯スペースが確保されており、このベビー像においては都内の程良い目印にもなっている為、カップルの待ち合わせ場所に使われることも多いと――そんな情報をバイオレットから聞いたネオンは、丁度目的地である「ツフルランド」に近いこともあり、ここを集合場所に選んだのである。

 

 日時は4月13日の土曜日。時刻は朝の九時前。バイオレットの気遣いからしばらくぶりの休暇を貰ったネオンは、忙しない思いで石像の周りを右往左往していた。

 

 その感情は、まさに緊張の一言。

 地球を襲う巨悪との対峙や会社での重要な会議の前よりも、この時のネオンは明らかに緊張していた。その緊張の程はと言うと、彼女が久しぶりに会社の外に出たことに興味を持ち、声を掛けようとした知人達が彼女のあまりにもあんまりな様子に掛ける言葉を失い、いつになく煌びやかな格好をしている彼女を見て、「あっ、これデートだわ。そっと見守ってやろ」と色々察して撤退していくほどの緊張ぶりであった。

 都の復興の象徴であるツフルコーポレーションの社長にしてドラゴンボールに願い自分達を生き返らせてくれたネオンの存在は、東の都の人々にとってはまさに命の恩人であり、事実を知る者達は皆一様に感謝の気持ちを抱いていたのだ。

 

 故にこの広場に集まっていた人々は、初デートの緊張に固まっている彼女に対して大いに気を遣ってくれていた。

 

 具体的に言うとあえて干渉は避けて遠巻きに見守ることに徹し、有名人であるネオンの存在に気づいてサインや握手などを求めて近づいてきた都外からの観光客達をそれとなく退けてくれるぐらいには、ネオンは周りの人間に恵まれていたのである。

 

 普段のネオンならばそんな彼らの気遣いに気づいて礼の一つでも言っていたところなのだろうが、生憎今のネオンは緊張の余り周りの様子に気づける状態ではなかった。

 その心を支配しているのは、不安や怯えから来る緊張だけだ。

 服装にどこかおかしいところはないか、だとか。

 目の下のクマはちゃんと取れているか、だとか。

 服や髪の毛にゴミは付いていないか、だとか。

 周りから真面目だと言われる性格が災いし、ネオンの心は完全に余裕を失っていたのである。それはそれで微笑ましいものだと周りから見守る何人かの住民達からは思われていたのだが、それはまた別の話である。

 

 

 待ち合わせの時刻まで残り僅か。彼はちゃんと来てくれるだろうか?

 書面を渡す時、何か無性に恥ずかしくなって撤退してしまったのはネオンにとっても大きな誤算だった。

 彼とは一緒に住んでいた時期もあり、彼が五歳の頃には一緒に釜風呂に入ったこともある。丸一年時間が空いたとは言え、そんな彼と会うのにあそこまで緊張するとは思わなかったものだ。そして、今この時も。

 

(身長、随分伸びてたな……私もそこそこ伸びたと思ってたけど、やっぱり男の子はたくましくなるなぁ……)

 

 一年ぶりに会った彼は、以前の彼よりも大きく、大人っぽくなっていた。まるで彼の亡き父親の孫悟空のように、成長したその姿には頼もしさを感じたものだ。

 対する自分は身長は一年前より伸びているが、大人っぽくなったかどうかに関しては今一つ自信が無い。こと女性らしさに関しては皆無だとすら思っており、胸部の装甲が薄いこともそれなりに気していた。

 そんな自分が、普段着ていない女性らしく着飾った衣服を身に纏っていて、今もこんな格好変ではないかと不安がっている。

 それ故の焦り。それ故の緊張である。試着した際にはバイオレットや家族からのお墨付きも貰っているが、どうにも身内贔屓なのではないかという疑いが捨てきれなかった。

 

(うう……っ……ベビーお願い、力を貸して……)

 

 神様仏様ベビー様と、ネオンは祈りを込めてベビー像を見上げた。三年前に宇宙へ旅立った相棒、ベビーの姿を象ったその石像は、ネオンが彫刻家に依頼して作らせたものである。

 

 彼がここに居た証を残したかった。今のこの町があるのも彼が居たからなのだと、その証を形にしておきたかったのだ。

 

 しかしよもや、そんな「友」の石像が自分の初デートの待ち合わせ場所に使うことになるとは思いも寄らなかったものだ。

 今のこんな自分を見たら、彼は何と言うだろうか。笑うだろうか、呆れるだろうか、それとも励ましてくれるだろうか……。

 

『知らん。お前の好きにしろ』

 

 ……ああ、彼ならきっとそう言うだろう。いつも寂しそうで不器用だったけれど、優しくて、いつでも自分の味方で居てくれた、あの心優しき復讐鬼ならば――。

 

「あ、いたいた。おーい、ネオンさーん!」

「ひょわっっ!?」

 

 そんな風に感傷に浸ることで緊張を和らげようとしたネオンだが、不意を打つように掛けられた待ち人の声に跳び上がるように驚き、自分でもどこから出て来たのかわからない素っ頓狂な声が出てしまった。

 

「ごごごごご悟飯? や、やあ、おっすおっす!」

「どうも、おはようございます。何だか待たせちゃったみたいですね」

「そそそそ、そんなことないヨ!? う、うん、会えて嬉しいよ。ないすとぅーみとぅー!」

「どうしたんですかネオンさん? なんかおかしいですよ?」

「えっ? や、やっぱりおかしいかなこの服……」

「いや、服装は似合ってると思いますけど」

「本当!?」

「あ、うん……」

 

 ツフルの恩恵を得て地球人の域を超えた脳細胞を駆使し、ネオンは物凄いペースで素数を数えて気を鎮めようとする。

 落ち着けネオン、悟飯引いてるじゃないか。いつも通りにやれば大丈夫だ落ち着け、一昨年までは普通に会って普通に喋ってた関係なんだから大丈夫大丈夫。

 そう自身に何度も語りかけ、深呼吸を行うことでネオンは少しずつ緊張が解れていくのを自覚する。彼から服装に変なところはないと言われたのも大きかったのだろう。

 

 まるでちょっと夢見がちな恋する乙女みたいだな……と自分のあまりの醜態に呆れながら、ネオンは再度彼の――孫悟飯の目を見つめた。

 

「その目……」

「うん?」

 

 純粋な心を表しているような、綺麗に澄んだ黒い瞳。まるで物語のヒーローのように安心させてくれるその色が、ネオンは好きだった。

 

 ただその左目の、目蓋から左頬に掛けた部位には――

 

「まだ、治さないんだね」

 

 ――かつての戦いで痛々しく刻まれた、大きな傷跡があった。

 

 

「これを消すとあの時の悔しさも忘れちゃって、修行もしなくなっちゃうかもしれないと思うと治す気がしないんだ」

「そう……」

「でも今は痛くないし、腕もありますから! ネオンさんも気にしないでください」

「……ありがとう、悟飯」

 

 三年前――ベビーとの戦いで彼は左目と左腕を失う重傷を負った。仙豆やドラゴンボールの力で今は五体満足の状態であったが、傷跡を残した彼の姿にはネオンもまた、無関係では居られなかった。

 彼は優しいから全て許してくれた。しかし、ネオンはその優しさにいつまでも甘えている自分が許せなかった。

 丸一年会わなかった本当の理由は、もしかしたらそんな罪悪感なのかもしれない。

 

「行こうか、悟飯!」

「はい!」

 

 ならばせめて、この一日はほんの少しでも……そんな彼に対する恩返しをしよう。そう思ったネオンの心には、既に緊張の色は無かった。

 彼の手を自然に引きながら、少女は自らの会社が作り上げた夢の国へと向かっていく。

 

 

 ――それは恋する乙女と鈍感な少年が送る、どこにでもある平凡な一日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――

 

 ――――――

 

 ――――――――

 

 

 

 

「それで、その後はどうなったの?」

 

 魔神ドミグラとの戦いが終わって元の世界に帰ったノエンは、トキトキ都の刻蔵庫で見たパラレルワールドの出来事を語り終える。

 場所は東の都の跡地、一人の少女が作った墓の前。まるで、そこに眠っている誰かに報告するように話していたノエンだが、当然ながら石は何も返さない。

 その代わりに同行していた青年、孫悟天の反応は常に大きかった。

 聞けば彼はネオンという少女のことを姉のように慕い、もしかしたら初恋だったかもしれないとまで言っていた。それは少し、この修行馬鹿の青年にしては意外な新事実だった。

 

「教えなーい!」

「え? なんで!? そこからが本番じゃないかー!」

 

 自分の前世の墓参りという奇妙な体験をしているノエンに同行していた彼は、恐らくノエンの土産話に誰よりも興味を示していた。

 ……意外にも悟飯の方は「そういう世界」もあることを知って喜んでいたが、深く言及してくることはなかった。

 彼は知っているからだ。その必要が無いことを。彼にとっては既に、多くを聞く必要が無かったのである。

 聞かなくてもはっきりと理解してくれる――その点で言えば彼はまさに格好いい大人で、反対に悟天はまだまだ子供な気がすると思うノエン十四歳だった。

 

「大体そっちの想像通りだよ。不器用な女の子が空回りしながらてんやわんやいちゃいちゃこらこら、なんだかんだでデートは成功して、二人はハッピーエンドというわけだ」

 

 実のところ、ノエンはそれ以上のパラレルの記録は流し読み程度に留めていた。

 書物を読んでいる内に、ネオンとあの世界の悟飯に申し訳ないと思ったのだ。ノエンからしてみれば彼女が完全勝利で終わる世界もあったという事実を確認出来れば、それだけで十分だったのも理由の一つである。

 

「こっちのベビーも良い奴だったら、あの人も生きてたのかな……」

「そうなると、ボクはここには居ないけどね」

「ありゃ……それはそれで嫌だな……じゃあ、君とネオンさんがどっちも居る世界なんてのは無かった?」

「あー……一応さっきのがそうかも」

「え?」

「さっき話した世界のことだよ」

 

 土産話を花束と一緒にこの墓に持ってきたのは、自分の前世へのお礼と励ましのつもりでもある。聞く方によっては当てつけみたいになってしまうかもしれないが、しかし彼女ならきっと喜んでくれるだろうとノエンも悟天も思い、悟飯もそう言っていた。

 パラレルワールド――それは無限の可能性だ。ネオンやノエンに関わらず、この世に生きる全ての人間には必ず「もしも」の世界がある。

 

「ちなみにあの世界での悟天はデート好きなチャラオに育ってて、修行もしなくなってたからすっかり微妙な強さになってたよ」

「うへぇ……自分事だからわかる気がして嫌だなぁ」

「あれ、案外意外でもない感じ?」

「まあ僕が修行を頑張るようになったのは元々ネオンさん絡みのことで、兄ちゃんとの喧嘩に勝ちたいと思ったからだしね」

「えっなにそれ初耳なんだけど」

「僕が子供の頃、兄ちゃんがビーデルさんと結婚するって言った時、お姉ちゃんのことは忘れたのかってぶち切れてね……思えばあれが、最初で最後の兄弟喧嘩だったなぁ」

「物騒だなぁ……」

「ハハ……もうしないよ」

 

 悟空にも悟飯にも悟天にもトランクスにもピッコロにもクリリンにもベジータにも、当然ながらもしもの世界がある。

 

 しかし、忘れてはならないのは自分が生きている世界はたった一つしかないということだ。他所の世界の歴史がどうだろうと、この世界に何かが起こるわけではない。

 

 ただ――

 

(せめて安心して眠ってくれ……まあ、今更、貴方には必要ないだろうけどね)

 

 少女の墓に祈りを込めて、少女の来世となった少女が黙祷を捧げる。

 今ここにある平和な世界を見れば、きっと彼女も満足だろうし余計な心配は要らないだろう。

 

 もしもの世界はこれで終わり。ここからは自分の世界――自分達で作り出す歴史の時間だ。

 

「よーし気分が乗ってきた! 悟天、デートしようぜ!」

「いきなりだね君は! しかも道着でデートとか、君はちょっとネオンさんを見習った方がいいんじゃないか?」

「ボクは真面目でもないしヘタレでもないからね! ネオンはネオン、ノエンはノエンさ」

 

 あの世界でネオンが悟飯の手を引いたように、ノエンは悟天の手を引き、澄み渡る空へと飛び出していった――。

 

 

 

 

 

 ――――

 

 ――――――

 

 ――――――――

 

 

 

 

 

 

エイジ777

 

 

 悟飯がオレンジスターハイスクールを卒業。

 

 

エイジ778

 

 

 4月13日

 

 

 悟飯とネオン、結婚。

 

 

 5月7日

 

 

 第26回天下一武道会開催。ミスター・サタン優勝。ミスター・ブウ準優勝。

 

 

 11月3日

 

 

 悟飯とネオンの第一子、ノエン誕生。

 

 

エイジ779

 

 

 悟飯とネオンの第ニ子、パン誕生。

 

 

 

エイジ780

 

 ベビー、帰還。

 

 

 

 

 

 

 【番外編 ~もしもベビーが良い奴だったら~  完】

 

 

 

 

 





 恐らく本作の小ネタや番外編はこれで終了になるかと思います。ここまでお付き合いいただきありがとうございましたm(__)m

 

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