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中学生の頃、一緒のマンションに住んでいた外国人の女性が居た。器量が良く、お粥が頗る美味しかった。外国マフィアの下っ端の男を養っていたが、いつも痣が目立つ女性で水商売と言うよりも性産業で働いているような人で母は良く構っていた。そして、女性も母を慕っていた。
必然的に私もその女性の子ども、当時まだ小学中学年になるかならないかの境だったはずだ。その子も同じ時間を過ごしていた。子どもはシールー、そう呼ばれていた。
誰の子どもかも分からない、そう母に話していたのを聞いた。私と似ていた出生から良く後ろを付いてきた。母の男に命じられた人間に売りに行く時も。母も男も、お目付役としてシールーを扱い、適当な駄賃をやったりやらなかったりで可愛がりはしていたのかもしれない。その駄賃をシールーは私に菓子パンを買ってくれたりした。
そんな日常が母によって壊れた。
マフィアの下っ端の男が仕事をしくじり、逃げる逃げないで女性と言い合っているのを母は聞き、自身の男に言った。そして、その男が密告した。
男は殺され、女性は嬲られ何処かに連れて行かれた。がたがた震えるシールーは女性の母国のコミュニティの人間に保護された。連れて行かれるシールーが母に、私に呪詛を投げつけた。
『お前らは幸せになんかさせない』
そう言って、泣き顔から一転して、子どもからは想像もつかないほどの殺意と憎悪を向けてきた。
母は気にも留めずに、手にした金の使い道を男と考えていた。私はやはり何も感じなかった。元々、シールーに懐かれても何も感じなかったのもある。
ただ、やはり世界は無慈悲なんだと。
記憶の渦に飲まれていると、水をぶっかけられた。
「何、寝てんだよ姉さん。」
シールーが嫌悪と愉快さを同時に出すというお得意の表情を見せる。心底、どうでも良いけれど蓉子さんや島津さん、藤堂さんに佐藤さん、鳥居さんらに飛び火が行くのが怖い。怖い?何でそう考えるんだろう。
「相変わらずだね。あんたはさ、短絡的ですぐに血が回りやすいんだ。長老にも、あの爺さんにもマダムにも言われてただろう?」
良く分からない考えと、噎せ返る煩わしさを利用し、シールーが嫌がる嘲笑いをだす。
「...っこのっ!姉さんでも許さねえ!さすが、弟殺しで親と寝るだけの女だっ」
そう言い終わらない内に顔に衝撃が走る。何度も何度も過去の因縁をぶつけてくるかのように、それも確かに存在するだろう。女性には優しくと厳しく保護されたコミュニティでは言われてたはずだ。あれから長老伝いに再会したシールーは激情をぶつけずに、昔のまま懐いてきた。長老がそのコミュニティの長がどんな人間かを言った時に、シールーの態度の無変化に納得したのを覚えている。
二桁辺りに差し掛かるとシールーは息を荒げて押し倒してきた。
「姉さん...本気で、消えたのかと思った。居なくなるなんて、許さねえ...姉さんを殺すのは俺だ。」
幼子が母に甘える、そう表現するに相応しいようにシールーは抱きしめてくる。
「あんたは、怒るのか甘えるのかどっちかにしなよ。」
呆れたように言えばシールーは更に抱きしめてきた。
「姉さんは闇でしか生きれない。良くて、夜だぜ?なのに弟や日陰野郎や、小笠原関係って。なに考えてんだよ?」
どいつもこいつも小笠原って、そう言うしか出来ないのか。
「女王だろ?長老がいねえだからさ、俺が姉さんの反支持派をぶっ壊す。俺を支持してる奴らは全部、姉さんに支持するよう言い聞かす」
純粋に信じて疑わないこいつは、支持してくる人間が操りやすいからと考えてるなんて見抜く力が欠けてる。冠を持たせて、何かあれば責任を擦り付けて潜る。小賢しい奴らにしたらシールーは若く、そして立てやすい。
「そんな単純な話じゃないって何で思わない?奥山も動いてるから大丈夫だと思ってた私が浅はかだった」
何も込めずに言えば、浮足立っていた肩が震える。
「どういうことだよ?!小笠原が掌握しようとしてるってマジかよ?」
ああ、だから皆、小笠原って言うのか。
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取敢えず、その奥山さんとこに合流しましょう。と店を出ると背が高く、黒い髪を纏めていながらも長さは祥子のように綺麗に手入れが行き届いた女性が居た。
「小林さん、女王からの伝言です。犬との鬼ごっこだ、だから安心しろ、とのことです。」
何を言ってるのか分からないまま、女性は踵を返す。
「おいっ。祐巳は何処に居るんだ!?」
小林くんはいつの間にか女性に近づき、静かにでも鋭く言い睨む。
「ですから、鬼ごっこ。と...」
繰り返す言葉を終わらない内に私は女性に向かっていた。
「何処にいるの。言いなさい」
無意識なのか、醒めた頭では祐巳が危険、その二文字が占められている。
「ああ。あなたが女王を」
ちらりと目線だけを向けられ、納得するかのように言うが本心からではないと分かる。
「で、どこだ。言え、日本で動きにくくするぞ」
凄みが増す小林くんに少し面食らいながらも、理性を利かす。
「そうすればするだけ、女王の噂は真になりますよ。不安定な現状がどれだけ、食いつく輩が居るかはご存じでしょう?」
凄まれてるにも関わらず、涼しい顔のままの女性は何者?
「ねえ、小林くん。その女性は誰かしら?」
聖と由乃ちゃんが追い付かない顔をしながら、そして江利子が代弁するかのように聞く。令はいつでも応じる姿勢だ。
「祐巳の、お抱えの情報屋だ。祐巳以外でも仕事はしているようですが。で、何処だ」
感情が先走る小林くんに対して、この女性は静かなままで端末を見せてきた。
「シールー。次期候補の一人、女王の因縁の幼馴染。ただの犬ですよ、傀儡同然の。」
女性が話す内容が良く分からないのは皆も一緒なのか、ただ一人小林くんはスマホを取り出し何処かに掛ける。
「あなた、一体何者?祐巳ちゃんが連れ去られたのによく、平気な顔してられるわね」
整った顔を顰め江利子は毒を吐く。
「そうだね、祐巳ちゃんと浅からぬ関係なのに。伝言板とかよくやれるね」
聖が怒りを露わにして、一歩前に踏み出す。
「あなた方は女王が女王と呼ばれたのは、長老の威光があったからとお考えで?そんなもの、裏でも闇でも通用しませんよ。」
薄く笑い、女性は端末を操作した。そして、私を見つめて顔全体で笑った。
「ご安心を。小林さんの応援より先に女王支持派が向かってます。あなた方は女王の帰りをお待ちするだけで、怪我をなさっているから手当をお願いします。犬でありながら、構ってくれる存在に加減も出来ずにじゃれついてしまうんです。」
小林くんの電話が終わると意識が自然とそちらに向き、戻した瞬間にはもう居なかった。
「あいつ、消えるのが本当に上手いんです。場所が分かりました、でも奥山さんが既に向かってました。」
その数時間後には祐巳は女性が言っていたように戻って来た。
切れた唇と腫れ上がった顔をして。
祥子に連絡をして何とか潜りこんだ系列の病院で手当をしてもらった。
「祐巳、あの女性は誰なの?何で、シールーとかいう人間にそこまでされたの?」
分からない事だらけの状況に戸惑いが先行してしまう。
「蓉子さんには心配だらけをさせてすいません。全て、女王が踏みにじって来てしまった因縁です。これからも逃れません、ご迷惑ばかり...」
祐巳が言い終わらない内に強く抱きしめた。本当は叩きたかった。でも、暴力ではなく優しさの方が痛いことを知って欲しかった。
「私は祐巳と歩むと決めたのよ。私の過去に、やってしまったことがあっても、祐巳がやってきたことがあっても。何があっても、待ち構えていてもそう望んでいるの」
そろそろと抱き返してくる祐巳は目を伏せ、泣いていた。祐巳自身泣いている事が分かっていないかのようで、それが綺麗であり哀しかった。
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蓉子さんの部屋に戻って強く抱きしめられ、存在を認められたことが嬉しかった。でも、怖かった。失うことにもなりえる私が辿って来た道の代償は余りにも、大きいから。
夜が明ける様をベッドから抜け出し、眺める。こんなこともしたことが無かった。
ただ、朝が来て陽が真上に上がり、陽が傾き、完全に夜を迎える。
そんな時間枠でしか見たことが無かった。
そこにシールーやK、小林に祐麒、長老、奥山たちが居ただけ。
今、それらが蓉子さんが情操教育してくれてる『私』との齟齬が生まれてきているように感じられる。
分からないことが多すぎて、中断する。
朝が完全に支配するのを確認すると、佐藤さんがくれたとっておきのブルマンを淹れる為にキッチンに向かう。
分からないことを選択したのも私、後悔だけはしないように今回のことを反省して対策を考えておこう。Kには舐めきった態度で何か言われるだろうが。
佐藤さんが教えてくれた挽き方を実践をし、その間に鳥居さんに習ったやり方でジューサーを稼働させる。音で目を覚ました蓉子さんがやってくる。
「おはよう、五月蠅かったですか」
寝癖が少し付いた髪をかき上げながら蓉子さんは欠伸をする。
「おはよう、ちょっと。でも、大丈夫よ」
綺麗に笑った蓉子さんは顔を洗いに洗面所に向かった。
気が付けば無理やりな展開をしています...
粗い設定ですね、色々と伏線を回収してしまって...