愛する者のクローンを斬った事で落涙していたブレンであったが、やがてふらふらと立ち上がり、報告の為に一度帰還する。
しかし、彼女達を殺す事しかできなかったと言う事実は彼の心に大きく深い傷跡を残す事となった。
第百四十四話 心傷
俺の持ち帰ったデータと報告を受け取ったクロノは、深い溜息を吐きながら顔を覆って居た。
自分の掴んだ情報が実は掴まされていた事、表沙汰にしてはマズイ研究の数々、目を通せば通す程吐き気を催すような実験内容、とてもじゃないが上に報告出来る代物では無い。
『不死の英雄の細胞』管理局以外にもこんな物を欲しがる者は山ほど居るだろう、そんな中でこの件を報告したら最後、神秘の細胞の行方を追って戦争が引き起こされる可能性がある。
当然、そうなればなのは達は戦場に駆り出され、その手を血に染める事になるだろう、もしかしたら戦死するかも知れない。
俺とクロノの間に重い沈黙が横たわる、今の俺達の立場ではこれ以上深い所までは探れず、最悪の事態を止める権限が無い。
出来る事と言えば精々末端の施設を潰しながら奴を追う程度、イタチごっこでしか無い上に上から圧力を掛けられて捜査を打ち切らされてしまったらそれまで。
今のままでは俺もクロノもいずれ何らかの壁によって止められてしまう、それを防ぎ奴を追い続ける方法はたった一つしか無い。
「……クロノ、俺は決めたよ」
「……例の話か?」
「ああ、俺は陸に入り正式な局員になった後、捜査官となる」
現在の俺の立ち位置は非常に曖昧で、クロノの部下ではあるものの嘱託魔道師として所属しているので一般協力者でしか無い。
前々から陸海空とスカウトの話があったのだが、俺は飛行魔法が苦手な為、なのはが所属するつもりの空に入る事が出来そうに無かったので、自由自在に空を飛べるようになるまではどこにも所属するつもりも無かったのだが、権力を得る為には今の立ち位置では不可能だ。
「未だに満足に空も飛べない俺では空も海も向かないし、地に足を付けた戦いが俺には向いている」
それに、空と海からのスカウトからは箔付けの為に俺を誘っていると言う雰囲気が容易く見て取れた、それに比べて陸のスカウトはレジアス中将本人が忙しい合間を縫って直接俺に会いに来た。
護衛を連れて来てはいたものの、彼は俺のような子供に対しても礼儀を忘れなかった。とは言えだ、恐らく彼も俺の事を士官としてよりもプロパガンダとして利用するつもりなのだろうが、その辺りはおくびも出さなかった。
「そうか、君がそう言うのならば止めはしないが……大丈夫なのか?」
「大丈夫、とは?」
「斬った事だよ、今の君は死人のような顔色だぞ?」
クロノは何をとは聞かなかった、俺の事を気遣ってくれたのだろう。我ながら本当に酷い顔色をしていたと思うが気を遣われるほどとは思わなかった。
「……大丈夫、とは言い難いな」
「意外だね、君だったら痩せ我慢でも大丈夫だと答えると思ったんだけど」
「これは、痩せ我慢出来るレベルじゃ無いさ」
「……一度なのは達に会いに行ったらどうだ? そんな状態じゃ君がもたないだろう?」
「クロノ、それは無理な相談だよ」
「何故だ? 確かに彼女達のクローンを斬った後に会いに行くのは気が引けるかも知れないが、それでも会わないよりは気が楽になるんじゃないか?」
「……確かに、彼女達に会えば俺のこの沈んだ気持ちは払拭されるだろうな」
「だったらーー」
「だがな、今ここで彼女達の優しさに縋ってしまったら、俺はもう二度と彼女達のクローンを斬れ無くなってしまうんだろう、下手をしたら剣を握る事が出来るかすら怪しくなる」
唯でさえ、斬った事に強い罪悪感を覚え未だに斬った手応えが生々しく残っている状況なのに、彼女達に縋るような真似をしてしまったら、それ以降クローン達と戦う事になった時に必ずその顔がチラつくようになる。
そうなったらもう二度と戦う事が出来無くなる。だからこそ、今の俺がなのは達に会うわけにいかない、気持ちの整理を付けるまではあの娘達と会うわけにはいかないんだ。
「クロノ、俺は整理が付くまで暫くの間、なのは達と一切の連絡を断つ。 彼女達から何か聞かれても答えないでくれ」
「…………はぁ、分かった。 その代わり、落ち着いたらお前からなのは達に連絡を入れてやれよ?」
「恩に着るよ……」
「分かったから今日はもう休め、陸への入隊手続きは僕が済ませておいてやるから」
「…………ああ、そうさせて貰う」
クロノの好意に甘えさせて貰って席を立ち、俺は当てがわれた部屋に帰ると着の身着のままベットに横たわる。
今の俺の状況がスカリエッティの狙いだとすれば、奴の目論見は大成功となった訳だ、きっとこれから先も奴は俺の前にクローンを送り出してくるだろう、そして俺はその度に彼女達を斬る事になる。
斬って、殺して、血の川と骸の山を作るのは昔で終わりだった筈なのに、昔の自分とは決別した筈なのに。
なのに、俺の両手は赤く染まっている、自分と親しい者達と同じ血でだ。
そんな事を考えていた所為か、俺は中々寝付く事が出来ず、眠れたのは日付けが変わった頃だったーー。
気が付けば、俺は真っ暗な空間の中で一人佇んでいた。
明晰夢、と言うのだろうか? 何故かこれは夢だとはっきり分かっていた俺はあてもなくその空間を歩き続ける。
足元の地面は矢鱈にブヨブヨしており、歩き辛い事この上なかった、だがその地面の正体を俺は知っている。
一歩踏み出す度に足元を何かの液体が飛沫を飛び散らせる、鉄の匂いのする妙に生暖かい粘性を持ったその液体は俺もよく知っている物なのだが、俺はそれに気が付かないフリをする。
足元の液体の正体を見て見ぬ振りをし、尚も進み続けると今度はボールの様な物を蹴ってしまった、毛のような物がびっしりと生えていて、ボールにしてはやけに固いそれは俺を恨めしそうに睨み付ける。
此処でも又、俺は気付かないフリをして突き進む、自分が作ったそれを知らないフリをして真っ直ぐ前だけを見つめて。
しかし、何時までも現実逃避は続かず、何かに足を取られて転倒する。
そこで、見て見ぬフリをして来たそれを見せ付けられた。
俺の足を取ったのは腐敗し尽くし、腐肉の付いた骨の腕、一本や二本どころでは無い無数の腕。
俺が歩いて来た道は夥しい数の骸で出来た道、おれが様々な手を使って葬り去った者達で出来上がった道。
足元の液体は赤黒い血液、見れば両手どころか俺の身体は全身血塗れだった。
俺が蹴り飛ばしたボールは、俺が斬り落として来た者達の首、俺が斬ったなのはの首だったーーーー。
最悪の夢見、それは生きる為、目的の為に必死になって戦い続けて来た彼が、初めて人を殺した事に抱いた罪悪感が見せた物、孤独であり孤高の英雄が愛を知り、仲間と居場所を手に入れたからこそ見た夢。
優しさは時に残酷である、なのは達の優しさに甘えたくとも甘えられず、自分の心が上げる悲鳴に気が付きながらも彼はそれを放置しなくてはならない。
この悪夢と苦痛は彼を長年に渡り苦しめる、過去と決別した彼を決別した過去が苦しませ続けるのだ。