「とにかく、彼女のことは気にしなくていいから。春虎は堂々としてて」
「……いや、無理だろ」
波乱の自己紹介が過ぎ、気まずい思いのままドタバタと午前の講義を終えた真と春虎は教室の机に突っ伏していた。真は先ほど、流華からげんこつを食らって、撃沈しているだけだが。
時間帯はすでに昼休み。塾生の多くは―――例の京子も含めて―――昼食をとるために教室を出ている。ここには、食堂があるらしい。真が通っていた高校は食堂があるどころか、購買すらなかったので、いろいろと新鮮味があった。まあ、まだ行ったことはないが。
そして当然の如く、初っ端から嵐を呼んだ春虎に、わざわざ声をかける者は皆無だった。例外はいつもの悪友と夏の事件から親しくなった知り合いだ。
「いやいやいやいやいや。春虎。入塾早々ほぼパーフェクトだぜ」
「何がパーフェクトだ。ワーストの間違いだろ」
「いや。それも意味が違う気がするぜ、春虎」
露骨にニヤニヤ笑っている冬児の隣に突っ伏していた真が、やっと痛みが取れたのか顔を上げた。そんな真に一瞬流華が睨むが、すぐに視線を春虎に向ける。なんやら、心配そうなまなざしだ。
今回、冬児や真は完全に「土御門の二人」の影に隠れてしまっている。だが、安心できるのは冬児だけだ。
真は「天道家」の人間だ。そして、春虎と共に
「ちなみに、夏目。あの京子ってのは、いつもあんな調子なのか?ずいぶん土御門家を敵視しているように見えたが」
「うん……何かある度に、ぼくに突っかかってくるんだ。もっとも、今日みたいなあからさまのは珍しいな。おかげで、ぼくもちょっと熱くなっちゃった」
「「……ちょっとじゃないだろ」」
「なんだよ、春虎。ぼくは君のために言ってやったんだぞ。まあ、自分の式神を守るのは当然のことだけどね。真に関してはついでだよ。倉橋京子が言ったことは真にも当てはまると思うから、流華さんが困ると思ってね」
夏目がえっへん、として自慢げに言う。春虎は口をへの字に曲げ、真は「そりゃあどうも」と短くお礼を言う。
一方、冬児は何かを考えているようだった。
「……何か恨みでも買ってるのか?」
「知らないよ。少なくとも、ぼくの方には心当たりなんかない」
「お前さっきあいつのこと、倉橋京子って呼んだな。それって、『あの』倉橋ってことか?だとすると、そっち絡みってことは?」
「確かに彼女はそうだけど、だとしても、どっちみちぼくにはわからない。ぼく自身倉橋家とは、ほとんど面識がないんだ」
「……ふーん。流華は?」
「私も面識はあまりないかな。あるとしたら、長官だけだよ」
夏目と同様流華も、倉橋家とはあまり面識がないらしい。おそらく、天道家は土御門家一筋だからかもしれない。
春虎が「倉橋」の名を聞いてむくりと顔を上げた。
「そういやさっき先生も言ってたな。そうだよ、その倉―――って、待てよ?夏目。冬児。なんで、お前らそんな親しげなんだ?お前ら昨日会ったばかりだろ?」
春虎が不審に思って問いかける。真もそれに関しては疑問を持っていた。
春虎と冬児と真の三人は同じ高校に通っていたし、真自身、あの喫茶店で初めて顔を合わせたのだ。もちろん冬児の事情は知っている。しかし、それでも春虎が一緒にいたはずだ。その春虎がそう聞くということは、以前からの顔見知りと言う可能性はほぼゼロに近い。それに昨日は挨拶を交わした程度で、二人の間にそれ以降の会話はほとんどなかった。
なのに、何故冬児はともかく、夏目があんなに親しげなのか。しかも二人の間には少しばかり違和感を感じる。何か、昔に交流があったような感じが。
「いあ、それは、その……」
柔らかそうな頬を引きつらせ、夏目はしどろもどろになって視線を泳がせた。
対して、冬児は泰然としている。流華は何故か視線を逸らしていた。
「まあ、気にするな。どういうわけだか、こいつとは初めて会った気がしないんだ。馬が合うんだろ、きっと。なあ、夏目?」
「そ、そう!そうなんだよ、春虎。馬が合うの!そ、それに、昔飼ってた猫が、トージっていう名前でねっ?余計に親近感が湧くっていうか、他人の気がしなくってさ!」
わざとらしく微笑む冬児に、アハハと必死そうに笑う夏目。なんか、芝居くさい雰囲気があるが、二人が顔見知りであるとは考えにくいので、二人の言葉を信じるしかない。だが、それでも春虎は何か腑に落ちない様子だった。
「それとも妬いてるのか?」
「あのな」
「ま、お前と夏目は、しばらく疎遠だったんだよな。なのに、俺がいきなり親しくしていれば、嫉妬するのも―――」
「……わかった。わかったよ。お前らまで喧嘩されちゃ、頼りにならない真だけになっちまうからな」
「……どういう意味だよ、それ」
春虎は追及をあきらめたようだが、真はなにか腑に落ちない。いつか、絶対見返してやる、と思い真は春虎を横目でじっと見る。春虎は「冗談だよ」と笑った。
「まあ、そういうわけで、夏目。冬児のことは信用していいから。おれたちだけじゃなくて、こいつにもなんでも話してくれ」
「………」
夏目はすぐには返事をしなかった。再び突っ伏しかけていた春虎と真が、身体を起こして夏目を見上げる。すると、夏目は何故か突っ立ったまま目を丸くして、微かに頬を赤らめていた。
「……どうした、夏目」
「え?いや……」
「……やっぱり冬児が信用できないとか?」
「そ、そういうわけじゃないんだけど……でも、その……は、春虎が心配することはない……よ?というか、ぼく、別にそんなに冬児と親しいわけじゃないし……」
春虎の言葉に、夏目はもじもじするばかりで言うことも要領を得ない。
「なんだよ。何が言いたいんだよ?」
「だ、だから、冬児のことは信用するけど、でも……ぼくが一番その……し、親しいのは、やっぱり春虎だから。それは、ほんとに……」
ぶつぶつ言いながらも、春虎の顔を見ようとはしなかった。春虎は意味がわからず、真と冬児と流華に顔を向けた。真は「さあ?」と首を傾げた。冬児は何故か天井を見ている。その顔は呆れ顔だった。流華は視線を合わせない。
「と、とにかくっ!」
夏目が狼狽えながら話を逸らす。
「僕らは上手くやっていけるってこと!ぼくも、冬児も、春虎もねっ。だから―――他の塾生のことは気にしなくていいよ。彼女のことも。大丈夫。春虎たちがしっかり頑張っていれば、向こうだって何も言わないさ。もし何か言ってくるようだったら、そのときはぼくが黙ってないから」
真っ赤になって喚いたあと、夏目は真剣な顔に戻って、そう続けた。
しかし、夏目が介入すればまた話がややこしくなり、どんどん大きくなっていくような気がするのは真だけではないかもしれない。
「土御門君、天道さん。―――あ、夏目君と流華さんの方だけど」
そんな中、一人の塾生が声をかけてきた。
眼鏡を掛けた男子生徒だ。真たちが一斉に振り向くと、一瞬竦んだ様子を見せたが、教室の出入り口を指さした。
「あの――――呼んでるよ?例の、担当の人」
眼鏡の男子生徒が指差す方向には、スーツ姿の若い男が立っていた。長身で引き締まった体格。しかも、なかなかの美形だ。真たちが気づいたのを見ると、こちらに向かって微笑みながら、軽く頭を下げた。
思わず真も、頭を少し下げる。
「いけない!忘れてた。ごめん、春虎。ぼく、行かなきゃ。流華さん」
「うん。…私もすっかり忘れてたよ」
夏目と流華は慌てた様子で教室の出入り口に向かって降りていった。
待っていた男に話しかけながら、すぐに廊下へ消えていく。
「なあ、夏目と流華を迎えに来たイケメン。あれもここの講師なのか?」
「容姿的に講師には見えないけどな」
「気になるか?」
「いや。別にそういうわけじゃ……」
「案外、こっちで作った恋人かもよ」
「「は!?」
真と春虎が勢いよく立ち上がる。幸いこの教室には先ほどの眼鏡の男子生徒以外いなかっため、視線は浴びなかった。
真が慌てた様子で口を開く。
「な、何言ってんだ。恋人って……。ふ、二人相手だし、夏目は男装してるんだぜ?」
「だから?」
「「………」」
何しろ田舎者なので、冬児に言われると、こっちでは「そういうこと」があると信じそうになってしまう。狼狽える二人を見て、冬児は意地悪く笑った。
「ともかく、夏目が消えてくれたのは、ある意味ありがたいぜ。せっかくの機会だ。情報収集と行こう。―――お前らは、待ってろ」
ぽかんとしている二人を置いて、冬児はすいすいと席を離れていく。そして、先ほどの眼鏡の男子生徒に話しかけていた。
「さっきはどーも。俺の名前は覚えた?阿刀冬児。よろしく。あんたは?」
「あ、はい。百枝です。百枝天馬―――」
「天馬。そりゃ覚えやすい名前だ。俺のことも、冬児でいいぜ」
「あ、そ、そう。じゃあ……」
天馬と言う塾生は、遠目でもわかるくらい狼狽えていた。しかし、些か不躾な冬児に対して、それでも丁寧に受け答えした。
背はやや低め。体型はどちらかと言うと痩せ気味。髪型もあか抜けない大人しいもので、眼鏡の下の顔は中学生のような童顔だ。見るからに気の弱そうな少年だったが、その分だけ善人のように見える。
どうやら冬児は、夏目の居ないところで、塾生から話を聞いて置くつもりらしい。
ちなみに、何故冬児は情報収集の対象を天馬にしたかというと、その理由を三つ挙げた。
その一、夏目の呼び出しを引き受けたということは、少なくとも夏目に特別敵意を持っている塾生ではない。また、他人からの頼み事に対し、比較的素直な対応を見せるタイプである証明である。
その二、ちょうど弁当を広げようとしていたところだった。つまり、席を外すには不自然な言い訳を用意する必要があり、逃げづらい。
その三、見るからに「カモ」っぽかった。
その三に関してはいかにも冬児っぽい考え方だ。しかし、冬児が真たちの紹介で夏目と京子がやり合っている最中に、教室にいた塾生全員の反応を見定め、あとで探り入れる候補者に目星をつけていたことには驚きだった。
「これからメシ?邪魔だったか?」
天馬の答えを誘導するような形で冬児が質問した。何しろ、邪魔かどうか尋ねながらも、冬児は当然のように、笑顔で隣の席に座りかけているのである。
案の定、天馬は「そんなことないよ」と無害な笑みで返事した。
「よかった。俺、来たばっかで何もわかんなくてさ。ちょっと話が聞きたいんだけど」
「そ、そうなんだ。だったら、僕で良ければ」
「悪いな。あ、俺のことは気にせず食ってくれていいぜ」
さすがは見かけの割に口達者な冬児。とりあえず、情報収集できる形を作り上げた。
「でも、
「ああ、アルファとオメガだね。慣れると面白い式神だよ」
「式神ね。俺は当然持ってないし扱えないけど、天馬はもう式神を使えるのか?」
「ま、まあ、人造式なら少しぐらいは……いまどき式神は、インターフェースが優れてるから」
天馬は幾分ぎこちなさが抜けないながらも、冬児の話に付き合ってくれた。昼食の邪魔をされたのに、嫌な顔一つしない。見た目通り、人の良いやつらしい。
冬児が二人に向かって、こっそり手招きをした。真と春虎は顔を見合わせ、おもむろに席を立ち上がり冬児と天馬のもとに歩いていく。
「俺達も、いい?」
「え?あ―――」
「いや、だから、そんなに硬くならないでよ。夏目はどうだか知らないけど、おれなんて人畜無害だぜ?おれのことは春虎でいいよ。土御門って二人になっちゃったしな」
「俺のことは真でいいぜ。これからよろしく頼む」
天馬の表情は強張っていたが、次第に表情を緩めていった。
「……で、だな。知ってる範囲でいいから『クラスの事情』的なものを教えてほしいんだが―――今朝の女、『倉橋』なんだって?」
「そうだよ。彼女、倉橋家の令嬢なんだ。でも、令嬢って言っても、お高くとまった子じゃないけどね。僕なんかとも、気取らないで話してくれるし」
「……の割に、今朝はなかなか尖ってたな」
「うん。どうも、夏目君が絡むとね。……彼女、彼のことをライバル視してるみたいで」
天馬の口元に、微かな苦笑が浮かんだ。とすると、京子のあの反応は、クラス全員の総意というよりは、彼女個人の感情によるものらしい。
「でも、今朝は正直驚いたよ。僕だけじゃなくて、ほかのみんなもびっくりしたと思う」
「なんで?」
「倉橋さんが突っかかることはよくあることなんだけど、夏目君があんな風に激しく反論するのは珍しいから。らしくないっていうか……」
そう話しつつ、天馬は三人が夏目の知り合いなのを気にして、様子をうかがうような目を向けた。冬児が「気にせずに言ってくれ」と促すと、また申し訳なさそうに口を開く。
「彼―――夏目君って普段からすごく冷静っていうか、言い方が悪いかもしれないけど、周りには無関心だからさ。いつも独りで淡々と抗議を受けてる印象しかないんだ。それが、あんな風にみんなの前で―――なんて言うのかな?熱弁を振るう、みたいなことしたから、すごく意外に思った。今朝倉橋さんがむきになってたのも、そんな夏目君の反応に驚いたからだと思うよ」
天馬の率直な感想に、三人は思わず視線を交し合った。ついさっきの夏目からは天馬の言う「普段の夏目」が想像できなかったからだ。
「よっぽど大事なんだろうね。夏目君は、君のことが」
「………」
天馬が他意のない眼差しを向け、春虎は照れ隠しにそっぽを向いた。
夏目と京子のいざこざや、陰陽塾での夏目の性格は理解した。しかし、真には少しばかり気がかりなことがあった。
「なあ、天馬。流華ってさ、どんな感じなの?」
「え?流華さん?」
天馬が「そうだなあ」とつぶやいて、考え始めた。その表情は深刻なものではなかった。となると、流華は大きな問題を起こしてはいないということになる。まあ、『十二神将』になるほどの人間がよりによって陰陽の道で問題を起こすとは思えないが。
「流華さんは、いつも優しいよ。クラスのいろんな人に話しかけてるけど、特に夏目君の近くにいることは多いかな?夏目君は流華さんといるときが一番楽しそうだし」
「そうか。あの、流華が、か……」
どうやら、陰陽塾での流華は人懐っこい性格らしい。真が知っている流華とは正反対とはいかなくても、何かしらの違和感がある。この三年間で真の知らない流華が出来上がったのかもしれない。もしくは、あんな態度を時々とるのは真にだけであって、ほかの人に対しては普通の女の子として接している。そして、それこそが本当の彼女なのかも
しれない。どのみち、真の知らない本当の流華をこれから見ることになる。
そう考えると、何故か笑みがこぼれてしまう。
――――あの流華が、ねぇ……。
黙り込んだ真と春虎の胸の中を読んだのか、冬児が口を開いた。
「……ま、『これから一緒に頑張ろう』ぜ」
「うん。頑張ろうね」
それは、改めて天馬が心のきれいな人間だと感じさせるものだった。
♦♦♦♦♦♦♦♦
「屈辱だっ。なんて様だ、このバカ虎!」
「本当だよっ。なんで、こんな結果に?よく陰陽塾に入れたね!?」
夏目と流華の声には、紛れもない怨嗟が込められていた。
しかし、机に突っ伏す真と春虎には、もはやそれを返す気力がない。春虎の隣に座る冬児まで、頬杖をついたまま、どこか遠い目をしていた。
「私、生まれてから十六年、㍘のテストなんて見たことがないよっ。勉強すれば少なくとも半分は取れるでしょ?」
「いや、俺、暗記教科は苦手で……それに知らなかったし……」
「こんなの英単語や国語と同じようなものでしょっ。この程度も知らないの?これじゃあ、陰陽師になるどころか、留年しちゃうよ?留年なんて主人として許さないからねっ!」
午後の講義が一通り終わった放課後。
流華や夏目激怒する理由は、その午後の講義にあった。しかし、特別なことは何も起きていない。訪れるべき
要するに真と春虎が・陰陽術全般の知識においていかに無知であるか、それが前講師に伝わったのである。
「真君は昔、陰陽術を少しかじってたじゃん。幾らなんでも、『汎式』における式神の種類とか、呪術の構成とかがわからないなんて、逆に何なら知ってるの?」
「……式符とか
「そんなの知識のうちに入らないよっ!
「……いや、してません……」
「なっ―――」
「ま、待てって。俺はてっきり陰陽師育成機関なんていうから、実戦ばかりやると思って……」
「これじゃあ実戦以前の問題でしょっ!……はぁ~」
流華は大きくため息をついた。さすがに流華は真のバカっぷりに心底あきれた様子だ。
元々真は、期末テストのように決められた範囲の勉強を得意とし、苦手な暗記教科も重要点を覚えることやほかの教科で補うというようにして、中学生の時などは学年上位に食い込んでいた。
しかし、この陰陽塾は真の苦手の暗記がほとんどで、覚えることがべらぼうに多い。もはや、重要点しかないのでは?と思うほどだ。さすがの真もここまでとは予想していなかったのである。
「……わかった。特訓。特訓をしよう」
「……え?」
「真君を私たちの領域まで上げてあげる」
「は?というか、待って。俺が流華の領域まで行ったら、もはや『十二神将』になれるじゃねぇか!?」
「とりあえず、『汎式陰陽術概論』と『陰陽Ⅰ種』、『陰陽Ⅱ種』の各種解説書。『現代式神論』と『再説陰陽史話』。あっ、『占事略決』はフル暗記ね。あとは『五行大儀』、『新撰陰陽書』も……」
「え、スルー?」
その膨大な量の本をどうやって勉強するのか、真は疑問しか思い浮かばなかった。流華が呪文のような本の名称を言っている途中で、何かを思いだしたかのように真に口を開いた。
「……真君は寮だったよね?」
「あ、ああ」
「なら、この後から特訓開始ね」
「へ?俺のところは男子寮……」
「寮母さんとは知り合いだから許してくれる」
「いやでも、それら全部は……」
「安心して。寝なくても大丈夫な術を知ってるよ。真君なら一週間以上はいけると思う」
「安心できるかァァァァ!!?」
真は頭を抱えながら上半身をくねくねと動かしている。
一週間以上寝れないのにどうして安心できるのか。真はこれから起ころうとしている惨劇を思い浮かべる度に、身震いをしていた。
すると、一段下にいる冬児が水を差すように口を開いた。
「―――夏目、流華。昼間のあいつ、また来てるぜ」
教室の外の廊下で、スーツ姿の男がこちらに手を振っている。昼休みに現れた「イケメン」だ。流華と夏目はハッとして顔を見合わせる。
「そういえば放課後もだったよね」
「うん」
「「じゃあ、特訓は……」」
真と春虎の声が重なる。おそらく二人とも、同じようなやり取りを展開していたのかもしれない。
しかし、流華と夏目は破ったノートの切れ端を取り出してシャープペンシルを走らせた。
「真君。これ全部、図書館にあるはずだから、貸出ししといてね。すぐに寮には行くから、全部目を通しておいてね?」
そう言い放つと、二人はいそいそと教室を出ていく。もはや、真には言い返す暇もなかった。
メモに視線を落とすと、大量の本の名称が並んでいた。正直この陰陽塾でもこれをほぼ暗記しているのは流華と夏目ぐらいだろう。
真は立ち上がり、春虎の隣に歩を進める。春虎が渡されたメモ用紙には真と似たような書名がズラリと並んでいた。
真と春虎は同時に溜息をこぼす。
「良かったな、二人とも。夏目先生も流華先生もやる気満々だ」
「まさか冬児、お前もこれ、全部読んでたりする?」
「生憎、平成以前に書かれた文章を読むと、貧血を起こす体質でな」
「なあ、これから先もずっとあんな感じに講義が進んでいくのか?」
「そうだろうな。一回生は座学が中心らしいからな」
再び机に突っ伏す春虎。真は異様に高い天井を仰ぎ見た。冬児は頬杖を付いて遠くを見つめている。どの顔からも生気失せていた。
「頭がよくなる呪術ってねえのかな」
「俺も思ったわ、それ」
「頭悪そうな術だな」
それきり三人は黙りこくってしまった。
陰陽塾には、全国から集まる塾生のために、寄宿寮が用意されている。
男子寮と女子寮があり、前者の場所は塾舎から歩いて十分。最新設備が整っている塾舎ビルとは異なり、こちらは、三人の歳を足しても築年数に及ばない年代物だ。
外壁は赤茶けたレンガ造りで、玄関を抜けた隣には食堂兼娯楽室。奥の突当りがリフォームされたシャワー室と風呂場になっている。真に割り振られた個室は二階の一番奥から四つ手前だ。
今朝のカバンとは比べ物にならないほど膨れたその中には、流華から注文された本が束になって入っていた。
そんな重たいカバンを、六畳ほどの部屋の中央にある折り畳み式のテーブルの隣に置く。そして制服姿のままで、ベットに転がった。
「……疲れた」
心の底からぽつりとつぶやく。
まだ陰陽塾初日だというのに、一般高校に通っていた半年間よりも精神的に疲れきっていた。
講師たちの呆れ顔―――はまだいい。その後のほかの塾生たちの視線が何ともきつかった。冷めた目線や嘲笑するような視線。それらは、着実に真にダメージを与えていた。
だが、事前に冬児が言っていた状況に比べれば、大分マシな方だと思われる。春虎や真が名門だということにこだわっているのは、今のところ倉橋京子だけだ。
「ったく。あそこまで言わなくてもいいじゃんか」
真が愚痴をこぼした。
高校中退してまで陰陽塾に入学した真に、流華が見せた優しい態度は、二週間ぶりに会ったその日だけだ。
流華は真が陰陽に関していかに無知であるかを知った途端、手のひらを返すような態度をとった。元々流華は真がどういう状況だったのか知っていたにもかかわらず。
真は天井を仰ぎ見る。
本当ならもっと優しくしてくれてもいいはずだ。小さなことから少しずつ。
だが、真には半年間のブランクがある。それを埋めるには、他の塾生の二倍以上努力しなければならない。おそらくそれを思って言ってくれているのかもしれないが、ありがたみは全然感じられなかった。
「あいつ、俺のことペットみたいに思ってないか?」
真のつぶやいた言葉は、ただ空しく小さな個室に漂うだけだった。思わず寝ようとしたところ、真以外に誰もいるはずがない小部屋から丁寧な声が響いた。
『大変ですな。主殿は』
「へ?」
真が間抜けな声を出すと、視界いっぱいに白い煙が突如出現する。そして、その中からおよそ180㎝ほどの男性が現れた。
着ている服は陰陽塾の制服に似ている。というより、そのデザインの元となった白い狩衣を着ていた。頭には平安時代の陰陽師がかぶっていたような縦長の立鳥帽子をかぶっており、右手には紙と木で作られた何とも簡素な扇子が握られている。
その男はまさに『陰陽師』と言う名にふさわしい服装だ。
真は頭が混乱しており、何を言えばいいのかわからなくなっていた。そんな真にかまわず、目の前に現れた男は部屋中に視線を巡らせて歩き回り始めた。
「……うーん。何とも簡素な屋敷だな。何もないではないか」
「……あんた誰?」
真がやっとの思いで口を開く。部屋中を歩き回っていたその男はベットに腰かけている真の前に立つと何かを思い出したように口を開いた。
「これは失敬。私はあなたの護法になるために仰せつかったものです。名は
凛爽という男は一言自己紹介のようなものを話すと、再び部屋中を物色し始めた。真は絶句する。
―――え?何この人。一体何者!?
何もないところから煙を出して出現した。そして、自分自身のことを
「お、お前ひょっとして、俺の式神か!?」
「そうだが、主殿は今頃気づいたのか。二週間ほど前から近くに居ったというのに」
「へ?……二週間ほど前?」
「そうだ。私が止めていなかったら、主殿は今頃霊脈に呑まれて、三途の川を渡ることになっていたのだぞ?」
「霊脈?……あっ!あの時……!」
それは約二週間前にさかのぼる。
『十二神将』である少女、鈴鹿が兄を生き返らせるために行った泰山府君祭。術は一見成功したように見えたのだが、突如兄が暴走し始めた。真はそれを止めるために、鈴鹿の兄に触れようとした直前に突如止まった。
いや、
おそらく、その時止めてくれたのが目の前にいる凛爽という男なのだろう。
そして、真は何かに納得した様子で口を開く。
「じゃあ、アルファが言ってた式神ってのは」
「私のことだ。あの狛犬に、私の隠形を見破ったことを褒めてやりたいぐらいだ」
「そ、そうか。じゃあ、これからもよろしく頼むよ、えっと鈴爽」
「よろしく頼む、主殿」
真は主殿と呼ばれて多少むず痒く感じ、思わず口を開く。
「『主殿』はよしてくれよ。俺のことは真でいいぜ」
「そうか。では真。あのテストの結果は一体なんだったのだ?私もあそこまでわからないとは知らなかったぞ。これでは陰陽師になるなど夢のまた夢だ」
「……お前までそんなこと言うのかよ。てか、俺の式神ならそんな厳しいことを言わなくても―――」
「主の恥は式神である私の恥。これでは私の名誉が汚れてしまう」
「それって、立場逆だよね!?なんか、すべて俺のせいみたいに……」
「それ以外に何があるというのだ」
真は肩をすぼませ「何もないです」と弱々しくつぶやいた。
それにしてもこの式神は真を主人に選んだのだろう。言動から相当な実力があると予測させる。実力があるなら、天道家の落ちこぼれである真ではなく、『十二神将』である流華を主人とした方が、ずっと有意義だと思うが。
考えても仕方がない。
とりあえず、護法の式神。護法式として何ができるのか聞いてみることにする。
「なあ、凛爽。お前って何ができるんだ?」
「愚問だな。私は―――」
凛爽が何かを言いかけた瞬間、真の部屋にノックの音が響いた。
「真君、いる?」
「では、真。私は隠形するとしよう」
「あ、ああ。わかった。――――流華か?入っていいぞ」
凛爽は流華の声を聞くや否や、主の客だと認識したのかそそくさに隠形をする。それと同時に真の部屋の扉が開かれた。
「ごめん、待った?」
「いいや、全然。今来たところだし」
「そう。じゃあ、早速はじめ―――」
流華はそう言いながら、テーブルに視線を移すと口を閉ざした。そんな、流華の様子を見た真は首を傾げる。
「どうした、何かあったか?」
真は流華が視線を向けているところに顔を向けた。
流華が向けた視線の先、テーブルの脚の隣には一冊の本が置かれている。ピンクをベースとした表紙。その中央には水着姿の女性が映っている。
それは、紛れもなくR―15指定のものだった。
「あっ!これ親父のお宝本―――え?ちょっ、流華さん?いや、流華様?なんで式符なんて持ってるんですか?」
「真君。私がいない間にこんな……」
「いやっ、ちょっ、話を、話だけでも!」
「問答無用!
「ああああああああ!!!!!!」
男子寮に真の叫び声が響いた。
きっと、真が真っ黒焦げで倒れていたことは冬児以外知らないだろう。
♦♦♦♦♦♦♦
生成方法による分類とは異なり、用途による式神の分類は、厳密に規定されているわけではない。ただ、陰陽庁が市販する式神が便宜上用途別に分類されており、その分類が半ば公的に、広く使用されているのは事実だった。
たとえば、様々な用途に汎用的に使用できる「汎用式」。術者の移動や物品の輸送等に使用する「輸送式」。五感を介して遠隔地で調査する「検知式」。主に呪捜官が犯人を捕縛する際に使用する「捕縛式」。形代がそのまま式神の身体となる「機甲式」等々。
「護法式」そういった分類の一つだ。
ただ、護法式は他の分類の式神とは、ややニュアンスが異なっている。
そもそも、護法式の「護法」とは、密教や修験道における「護法童子」から取られたものである。『汎式陰陽術』は、かつて陰陽道に限らず、日本のあらゆる呪術を総括して作られた呪術体系だ。当然、その中には密教、修験道も含まれている。そして本来の護法童子は、神霊や鬼神、神仏の眷属を召喚して使役したり、あるいはその加護を受けるというものだった。
実はこれは、『汎式』で言う使役式と、ほぼ同じものと言える。つまり護法式とは、護法童子や使役式に代替品として、それらと同じ役割を果たすべく作られた人造式なのだ。
常に主の側にあり、主を守り、主の命に従う、忠実な人造の守護者。
それが、護法式なのである。
―――……の割になかなか毒舌な奴だよな、あいつ。
と、心の中で愚痴る。
真が一命をとりとめた翌日。陰陽塾の教室では、その日の最後の講義が行われていた。講師は担任の大友である。彼の講義は初めてだったが、相変わらずに軽いノリで進んでいく。
真と春虎には昨日と同様、今日もクラスの塾生から注目を浴びている。ただし、主に見ているのは春虎だ。
隣に座る春虎は何故か、あちこちに包帯を巻き、絆創膏や治癒符をこれでもかと貼り付けている。おまけに、夏目とのこの距離感。夏目は教室の隅に座っていた。その隣には流華の姿もある。おそらく、春虎も真と同じようなことがあったのだろう。昨日聞こえてきた春虎の絶叫は聞き間違いではないのかもしれない。
昨日あのあと、冬児に介抱され一命をとりとめた真は、あらためて流華に事情を説明した。
とはいえ、流華の機嫌が直ったわけではない。
理由はどうあれ、そういう本を持ってきてしまったことに変わりはない。
結局、昨日の出来事から流華とは一言も口をきいてはいない。
おまけに冬児まで「ちょっと距離を置く」と言って離れた席に座っている。つまり、今の真の味方は春虎だけなのだ。それは春虎にも当てはまる。
「……なんかおれ、涙ぐましいなあ……」
「大変だな、お互いに」
春虎のつぶやきに真が反応する。すると、春虎に声がかけられた。
「こらあ。何ぼうっとしとるんや、新入生!春のつく方!」
「わっ!す、すみませんでした!聞いてます。ちゃんと聞いてますよ?」
「だったらなんで謝んねん」
「あ」
春虎が言葉を失うと、代わりに教室中から失笑がこぼれた。
「あかんなあ、春虎クン。入塾二日目から、早くも気が抜けとるやないか。そんなんじゃ半年分の遅れを取り戻せへんで?そうやなくても、君、えらいもの知らんゆうて、講師の先生方の間で評判になってるんやから」
大友がわざとらしく嘆いてみせる。そんなことわざわざここで言わなくてもいいのでは?と思うがあの講師の性格上考えても仕方がないだろう。
「まあでも、いきなり講義についてこい言うんのも、難しい話かもしれんな。うちのカリキュラムって無駄がない分、一回やったことはまず見直したりせえへんもん。特に座学は」
「そ、そうなんですか……」
「うん。要は、みんながついて来られるってのを、前提にしてるわけなんや。ちゃんと身に付いてるかどうか、教える方もいまいち不安なぐらいやで」
そう言った大友は急に何かを思いついたかのように、ニマッと笑った。手にしていた教科書を、音を立てて閉じる。
「……そやな。ちょうど新入生も三人入ったこやし、一回ここらで前期分のおさらいしてみよか。復習にもなるし、ちゃんと理解できとるんか、再確認もできるやろ」
突然の大友の発言に。教室がざわついた。「えー」という迷惑そうな声も上がるが、大友はお構いなしだ。
正直真にとって、おさらいはありがたかった。なんせ、自分の知らないことを知ることができる。少なくとも少しは、周りの生徒に追いつけるだろう。
しかし、
「冗談はやめてください!」
バン、と机を叩きながら、立ち上がった塾生がいた。いうまでもなく、倉橋京子だ。
「先生自ら『無駄がない』と仰ったカリキュラムを、たった三人の転入生のために、ねじ曲げるって言うんですかっ?それこそ特別待遇でなくなんなんです!」
相変わらずの正論に大友は「んー」と気の抜けた声で返事をした。困ったのか困っていないのかよくわからない顔をしている。
「ちゃんと聞きぃや、京子クン。別に三人のためだけの処置やないで?みんなの復習も兼ねてるんやから」
「復習なんて個人でやればいいことじゃないですか!みんながついて来ることが前提のカリキュラムなら、講義に遅れている自覚がある者が、自分の責任で復習するのが当然ですっ。自覚のない人がいるとしても、その人たちのために真面目に受けている者が害を被るなんておかしいでしょうっ!?」
「ふむ……けど、その論法やと、ついて来れん者は切り捨てるべきやと、そう言うとるように聞こえるな」
わざわざそう確認した大友の口ぶりは、相変わらずのとぼけたものだ。ただ、一方で眼鏡の下では、何かを試すような目を京子に向けている。
「無駄のないカリキュラムって、そう言うことだと思いますけど」
「うん。まあな」
大友があっさりと認める。
塾生たちが一斉にざわついた。言い負かした京子まで、驚いた顔をしている。
しかし、塾生たちに反応にかまわず、大友はあくまで飄々としている。
「なんせ、陰陽師というんは、ちょっとやそっとでなれる職業やないからな。陰陽塾にしても、先のわからんもんを、わざわざすくい上げたって意味がないんや。となれば、講義についてくる能力のないもんや、講義に遅れて自覚のないもん。そんな『ぬるい』連中には、さっさとご退場願ったほうがええ。それが陰陽塾の方針なんや。実は」
恐ろしくそっけなく、大友は言った。
「……でもな?一方で陰陽塾では、各担任教師にかなり大きな権限を与えられとる。そして、僕はこの陰陽塾の方針が、あんまり好かん」
「す、好かんって、そんな……」
「ハハ。矛盾してるよな?でも、そうやねん。しかも陰陽塾は、僕がここの方針に反対してることを承知の上で、担任に据えとるんやで?矛盾を矛盾と承知で容認してるんや。なんでそんなことしてるんか、君らには分かるかな?」
大友がにこやかに尋ねる。当然、答えられるものは一人もいない。
「それが、呪術というんもんやからや」
カツン、と足下で義足が鳴った。
静まり返った教室に、その乾いた音がくっきりと響く。
「ぶっちゃけると、たとえば『陰陽Ⅲ種』に受かるなら―――いや、『Ⅱ種』に受かるためにやって、そんなことまで理解する必要はない。受かるためだけならな。けど、陰陽塾の志は、そんなにちっぽけやないねん。僕ら講師はいつもガミガミ言うて、勉強せー勉強せーて、お題目みたいに唱えとるけどな。これでも君らには、期待してんねんで?」
大友はおちゃらけた物言いで、そう言った。
正直、話の内容は、いまいちつかみ所がない。ニュアンスは伝わるのだが、意味がはっきりとはしなかった。
ただ、「それが呪術だ」と平然と言う大友には、不思議と説得力があった。
「まあ、そういうわけやから―――って、かえって訳わからんようにしてもうたな?とにかく、ここは陰陽塾で、僕は君らの担任講師や。僕の指示には、従ってもらうで~」
「……納得、できないわ……!」
大友の言葉に絞り出すように答えたのは、またしても京子だ。
「何をどう言い繕ったって、さっきの流れは転入生三人に対する―――いえ、土御門家と天道家の転入生に対する贔屓じゃないっ。彼らのために、先生はそんなこと言いだしたんでしょ!?あたし、納得できません!」
頑として、京子は言い張る。
これでは、昨日の朝の再現だ。土御門に加えて天道についても指摘されたため、昨日よりひどくなるかもしれない。
塾生たちの視線が一斉に夏目と流華に向けられる。
しかし、
「「………」」
注目を受けた夏目は、わざとらしい無関心さで外を眺めており、流華は手元にある教科書に目を通してした。
どうやら、二人とも反論するつもりはないらしい。
すると、
「あなたたちのことを話してるのよ!何とか言ったらどうなのっ?土御門春虎と天道真!」
「―――え、おれ?」
「―――は、おれ?」
他人事のように構えていた二人を、京子が名指しした。たちまち、クラス全員の視線が夏目と流華から、春虎と真に切り替わる。
真は流華と夏目をもう一度見る。二人とも顔がわずかに強張って見えるがあくまで助け船をだすつもりはないらしい。
―――まあ、仕方がない、か。
真が口を開こうとする。だが、春虎がそれを制して立ち上がった。
「……おれは確かに、講義について行けてない。先生がもう一度前期の復習をしてくれるんなら、すごく助かるよ」
「そのために、ほかの塾生が迷惑を被っても平気なわけ!?」
「いや。悪いとは思う。
「だったら――――!」
すかさず京子が追い打ちをかけようとする。しかし、春虎はそれを遮った。
「悪いとは思う―――けど、遠慮はしない。それが先生の決めたことなら、おれはありがたく講義を受けさせてもらうさ。……まあ、それが理解できるかわかんないけど」
春虎が息をのんだ。
「だけど、おれは、おれたちは、自分が陰陽師になることを第一に優先させてもらう」
春虎はきっぱりと言い放った。
その瞬間、ひゅー、と教室の誰かが口笛を吹いた。いや、誰かではない。十中八九、冬児だ。
しばらくの間沈黙が続く。
「……それが、あなたたちの意見?」
「ああ、そうだ」
「……土御門春虎、天道真。悪いけどあたし、あなたたちには、自主退学を勧めるわ」
「退塾?ここを辞めろってことか?」
今まで黙って聞いてた真が立ち上がり、口を開く。
「そうよ!あなたたちが陰陽塾の講義について来れないことは、昨日の時点で誰の目にも明らかでしょ!?ここは、陰陽師を目指す者の中でも、トップクラスの人間が集まる場所よっ。あなたみたいな才能のない人は、お門違いだわ!」
ダン、と拳で机を叩き、京子がヒステリックに叫ぶ。
だが、それに対して真はずいぶん冷静だった。おそらく、久しぶりに聞いた「才能がない」と言う言葉の影響だろう。
「……才能がない、か。……四年ぶりに言われたよ。その言葉」
教室中の視線が春虎から、真に切り替わる。
「俺は、さ。元々見鬼の力がほぼなかったんだ。それはもう、ごく普通の一般人並にね。一応これでも昔はここにいるみんなみたいに陰陽師を目指してたんだよ。……でも、身内から、才能ないだの落ちこぼれだの言われ続けて、結局逃げたんだよ。陰陽の道でも身内からでもなく、自分からね」
そこまで言うと流華が胸を付かれたように真に視線を向ける。
「そのまま、何の目標もなしにふらふらと一般校に通ってた俺に目標をくれたのが、
幼いころの『約束』だったんだ。とある少女との約束が、ね。その少女は約八年間、ずっと待っててくれてたんだよ。何もできない俺のためなんかにね。その時からかな?その少女を守ってあげたいと思ったのは。でも、俺はなんの力もない。だから、陰陽塾に来たんだよ。自分のためにでもなく、家のためにでもなく、その少女のために俺はここに来た。だからさ、春虎が言ったように俺は妥協しない。もちろん、辞めるつもりもない。俺はその少女を守れるくらい強くなりたい。でも、今は陰陽に関してはド素人だし、何も知らない。けど、時機にここにいる全員を凌駕する陰陽師になるよ。才能ないやつは才能ないやつなりに頑張るから、大目に見てくれ」
真は京子に微笑んで見せた。
京子の顔が深紅に染まる。「このっ……!?」と言葉を詰まらせながら二人に向かって一歩踏み出した。
真は小声で「悪ィ」と春虎に謝ると「気にすんな」と春虎は真に笑顔を向けた。
その時だった。
「そこまでだ、痴れ者」
突然、京子の身体が飛び跳ねた。
重心を崩され、くるりと縦に回転しながら、床に投げ出される。
そして、誰もが目を丸くして「――――え?」と思ったときには、茫然としている京子に、突如姿を現した狐の耳と尻尾をした幼女が小刀を持って突きつけていた。
「厳命ゆえ大人しくしておれば、春虎様に対して何という非礼の数々。その愚行、もはや看過できぬ。我が愛刀の錆にしてやる故、大人しくそこに―――」
ダッシュで駆け出した春虎が、スパーンと脳天をはたく。「ふぎっ!?」と耳と尻尾が逆立ち、ラグがその狐の幼女を駆け抜けた。
「ははは、春虎様!?何故?」
「なにゆえ、じゃねえっ!隠れてろって言ったばかりだろ!」
「しし、しかしこやつ、いま春虎様の方へ行こうと――――コンは御身をお守りすべく!?」
「やかましいこの任侠式神!つーかお前、全然どもらず喋れるじゃなえか!さてはおれのこと、からかってやがったな!?」
「めめめ、滅相もございません!コンはそんな!?ごご、誤解です春虎様っ!」
胸倉を掴んでブンブン揺する春虎と、目を回しそうになりながら必死に無実を訴えるコンと名乗った狐の幼女。
そんな漫才じみた行動とは裏腹に教室は奇妙にどよめきに包まれていた。
「……ほう。こら驚いたな。護法式やないか」
「す、すみません、先生!わざとじゃないんですっ。すぐに形代ごと消却しますから!」
「しょしょ、消却!?春虎様っ、それはあまりにご無体な……!?」
「うるせえっ!」
「あー、かまへん、かまへん。可愛らしいし健気な式神やないか。許してやり。
大友は鷹揚に止める。
「ちょっと驚いただけや。まさか君が護法式とは……僕も、ほかの先生方から君の評判聞いて、先入観持ってたみたいやな。反省せんと」
「え?な、なんでです?」
「うん。まあとにかく、席に戻りぃや」
どこまでもニコニコを崩さない大友は、何やらぶつぶつと何かを言い出した。何を考えているのか気になるが、この講師が教えてくれるわけもない。
すると、
「
京子の鋭い召喚に応じ、彼女の前に二体の式神が現れた。
人型。成人男性ほどの背丈と、ボクサーのような絞り込まれたような肢体。片方は白く、片方は黒い。白いほうは日本刀、黒いほうは薙刀を構え、二体とも騎士の甲冑をさらに洗練されたようなアーマースーツで全身を覆っていた。
陰陽庁製の護法式『モデルG2・夜叉』だ。
「よくも騙してくれたわねっ、二人とも。まったく大した演技だわ!」
「え?」
「は?」
「とぼけないで!わざわざ無能を演じるなんて、ずいぶん迂遠なやり方じゃない?いったいどういうつもり!?」
「お、落ち着けって!悪気はなかったんだ。謝るからっ!」
「ふざけないでっ。先に仕掛けたのはあんたでしょ。上等じゃない。受けて立つわ!」
京子が叫んで腕を横に振る。同時に二体の『夜叉』が身構えた。
他方、春虎たちを囲む衆目の輪の外では、冬児が無言で椅子から立ち上がり、夏目も流華もベルトに下げた呪符ケースに手を伸ばしていた。
空気が張り詰める。一触即発の緊張感が、塾生たちの呼吸を重くした。
だが、
「よっしゃ、わかった」
その快活な大声は、大友のものだった。
叫び声をあげた大友は、一人教室の雰囲気とは無縁の様子で
「やる気と元気は、大いに結構。三人ともそこそこ式神は操れてるみたいやし、ここはひとつ、三人に実技の手本を見せてもらおうか」
『は?』
春虎と京子の声が重なる。だが、真にとってそんなことはどうでもよかった。一瞬で頭に浮かんだ疑問を口にする。
「あの~、先生?俺の聞き間違いかもしれませんけどさっき『三人』って言いました?」
「言うたで。それがどうかしたん?」
「いや、なんで俺が……?」
「真クンの後ろにもおるやん。それ、護法式やろ?」
「え?」
真が後ろを振り向く。先ほどまで真が座っていた席。そこには、白い狩衣を身にまとった凛爽が教科書を読んでいた。
「……なあ。なんでお前出てきてんの?」
「いや、おもしろそうであったからつい、な」
凛爽が平然と答える。
「じゃあ、真クン。春虎クン。京子クン。これからちょっと呪練場に移動して、式神勝負といこうやないか」
真が立ち尽くして一言。
「俺、関係ないじゃん!?」
長かったですね(笑)
これからもこの調子で書いていくのでよろしくお願いします!