ライトベル編集部で編集者の一人を務める青年、東闘志郎は現実と理想の差に打ちひしがれていた。
そんな折、とある理由で深夜に職場に戻ることになった彼はそこで不思議な少女と出会う。
十代の頃の憧れていたシチュエーションだが、既に二十歳を越える彼は素直に喜ぶどころか……。

編集者として毒された男のヘンテコファンタジーストーリー。

※この小説は『小説家になろう』、『カクヨム』にも重複して投稿しています。

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異世界系担当編集・闘志郎

(あずま)闘志郎(とうしろう)。彼は夢溢れる空想戦記が大好きな少年だった。

 漫画やアニメもそうだが、特に想像を掻き立ててくれるライトノベルを好み、暇さえあれば読み耽るという青春時代を送っていた。

 やがて、自分もそういった物語を生み出したいと一念発起し、ライトベル新人賞に応募するも文章力が力及ばず、一次選考で落とされるという結果に終わった。

 それでもなお、ライトノベルに未練があった彼は大学卒業後にどうにか出版社に就職し、ライトノベル編集部で働くことに成功した。

 しかし、希望に満ちていたのは、ほんの僅かな間だけで入社して二年も経つ頃には妙な期待と希望は完全に磨耗していた。

 嫌味な上司。進んで足の引っ張り合いをする同僚たち。打ち合わせでも碌に会話をしてくれない担当作家。

 中学時代に抱いていたライトノベルへの愛は消え失せ、仕事でなければもう視界にも入れたくないと思うようにすらなっていた。

 職場に行く足は日に日に重くなり、ストレスにより、胃の痛みを感じる日々に嫌気が差し、転職を考える始末だった。

 

 ***

 

 そんな闘志郎は今、職場であるライトノベル編集部のオフィスへと向かっていた。

 時刻は既に深夜と言ってもいい時間帯になっている。当然、出勤のためではない。

 オフィスに忘れ物をし、それを取りに戻ってきたのだ。

 忘れたのは財布。

担当の作家との打ち合わせや編集作業が立て込んでいて、忙しなかったせいでついうっかり自分の机の上に置いていってしまったのだ。

忘れたことに気が付いたのは電車に三駅も揺られ、自宅マンション近くにあるコンビニで遅めの夕食に弁当を買おうとした時だった。

店員に弁当の代金を払おうとポケットに手を突っ込んだ瞬間、財布がないことにようやく気付き、慌てた後、職場の机に置きっ放しにしてしまったことを思い出した。

あの時の恥ずかしさは筆舌に尽くし難く、仕事疲れも相まって年甲斐もなく泣き出しそうになってしまった。

どうにか己を持ち直し、店員に頭を下げた後、出版会社まで戻ってきた次第だ。電車の定期券も財布の中に入っていたため、徒歩で三駅分歩いてくたびれた身体に鞭を打ち、辿り着くことができた。

警備員に訳を話して鍵を借りて、闘志郎はオフィス前の扉を開く。

すると暗い部屋の内部で何か動くものがあった。

開いた扉の隙間から廊下側の明かりが部屋の中に差し込し込み、何者かの人影を照らしている。

「誰だ!?」

 瞬時に泥棒かと思い、視線を人影に向けたまま、扉付近にある明かりのスイッチを押した。

 光に照らされた部屋は暗闇のベールが剥がされ、中に居た人影は姿を露にする。

 そこに居たのは一人の少女だった。

 濃い蜂蜜のような褐色の肌に、艶やかな黒い髪を肩の辺りで切りそろえられており、ぱっちりとした大きな瞳が特徴的な異国めいた風貌美しい少女。

 深夜に職場に侵入していた闖入者の存在に驚いたが、それよりも彼女の髪からはみ出た横に尖った長い耳が闘志郎の目を釘付けにした。

「なっ……? エ、エルフ耳だと……」

 それは闘志郎がファンタジー世界観が好きな人間なら誰でも知っているエルフ特有の尖った耳、通称『エルフ耳』。

 闘志郎が何よりも好きなものの一つだった。疲れなど月まで吹き飛び、衝撃が脳を駆け巡る。

 驚愕により思考が硬直している彼の前にエルフ耳の褐色少女は何気なく近寄ってくる。

 肩まで剥き出しになっている見たことのない民族衣装のような服を纏った彼女は闘志郎をじっと見つめ、そして、大きな宝石の付いている指輪を嵌めた右手を伸ばし彼の額に触れた。

 やや体温の高く柔らかいその手のひらの感触で闘志郎はハッと気を取り戻す。

「な、何をしてるんだ? アンタ」

 右手の手のひらを押し付けられた状態で彼は尋ねるが、彼女は左手で少し待てとでもいうように向け、何も言わない。

二十秒ほど経った後、彼女の指に付いていた指輪が光出し、それに驚いて闘志郎は仰け反った。

 その拍子に手のひらは彼の額から離れたが、エルフ耳の褐色少女は気にした風もなく、やっと口を開いた。

「アウ……ウ。失礼シマシタ。言葉分カリマセンデシタ。ダカラ、言葉、指輪記憶サセマシタ」

「…………」

 いきなり片言の日本語で話し始めた少女に闘志郎はしばし付いていけず無言で居ると、エルフ耳の褐色少女は不安げな顔になり、彼の顔を覗き込む。

「アノ……モシカシテ、ワタシ、言葉通ジテマセンカ?」

「え? いや、取りあえずは通じてます……」

 助詞が抜け落ちていることとイントネーションがおかしなことを除けば彼女の言葉は十分届いていた。ただ、あまりにも喋り出すタイミングがいきなりだったので闘志郎が対応できなかっただけだ。

 それを聞いてほっとしたように表情を緩めると彼女は闘志郎に自分の名前を名乗った。

「ワタシ、フォルナ、言イマス。アナタ、名前教エテクダサイ」

「え、名前ですか……闘志郎です。東闘志郎」

「トーシローサン、デスカ。ドウゾ、ヨロシク」

「はあ……ってあなた何者ですか? 一体、どこからここに入ってきたんです?」

 姿があまりにも普通ではないので聞き出すタイミングを見失っていたが、唐突に現れたこの少女は不法侵入者である。仮にも社員である闘志郎は彼女の存在を咎めなくてはいけない立場にあった。

「アア、ソウデシタ。ワタシ、『ゲビオス』、ヤッテキマシタ」

 フォルナが話し始めたことによれば、彼女はこことは違う『ゲビオス』という世界から、空間を繋げ、この世界に来訪した神官なのだと言う。

ゲビオスにあるアブロバという王国に神官として使えていた彼女の家系は、代々『大いなる闇』と呼ばれる邪悪な存在を封じていたのだが、その封印は年々劣化し、とうとう封印は解かれてしまった。

そこで国王はその大いなる闇を倒してくれる戦士を探し出すため、フォルナはこの世界に訪れたのだそうだ。

そこまで聞き終えた闘志郎は彼女に向けていった。

「何ともありきたりな設定だね。今時、そんなんじゃ駄目だよ。それじゃ入賞もできない」

「ニュ……ニューショー?」

 最初はフォルナの相貌に押され、戸惑っていた彼だが、ティーン向けのファンタジー小説に染みた話を聞かされている内にライトノベル編集者としての職業意識が発揮され、駄目出しをする。

「読者はね、そんなどこにでもあるような話には飽き飽きしてるんだ。もっと、斬新さを取り入れてみようよ」

「アノ……何言ッテ……」

「そうだね……まずは異世界っていうのはまあ良しとして、王国っていうのを変えて見ようか」

「……ハイ?」

「王国は革命によって王政は廃止され、共和国になったというのはどうかな? やっぱり異世界だからって王国なのはちょっと安直だしね」

「………キョ、共和国」

「そう。後は大いなる闇っていうのもちょっとね……。抽象的すぎて読者の心を掴めない。もっとこう、『殲滅暗黒(ジェノサイドダークネス)』とかそれらしい名前にしないと」

「……ジェ、ジェノサイドダークネス?」

 いきなり身の上話をありきたりと否定され、うろたえるフォルナだったが、編集者としての闘志郎は止まらない。

 固まっている彼女の後ろを通り、自分の机の傍に寄ると椅子に座り、胸ポケットからボールペンとメモ帳を取り出す。そして、呆然と立ち尽くしているフォルナを招き寄せた。

「でね、フォルナさん。話の続きなんだけど……共和国ってことにすると神官っていう職業もちょっと変だよね?」

「エ……ワタシ、代々神官……」

「だからさ、ここは思い切ってフォルナさんは海賊ってことにしようよ」

「エエ!? ワタシ、海賊!?」

「そう。異世界アビオスの海を股に掛ける女海賊フォルナ!」

 声に出しながら、闘志郎はメモ帳にボールペンを走らせた。目が輝きを持ち、活き活きとした表情で喋りながら、文字を書き込んでいく。

 もはや、自分が何をしにここまで来たのかも覚えていないだろう。

「あ、そうだ。アビオスの設定はどうなってるの?」

「セ、設定?」

「そう、設定。世界の何割を占めてるとか、どんな生物がいるとか。あと貿易が盛んとかならいいんだけど」

 訳が分からなくなって、混乱しているフォルナは闘志郎に聞かれるがまま、質問に答える。

 彼の熱意に動かされるまま、アビオスについての話をし続けた。

 闘志郎はそれにふんふん頷きながら、こうした方が面白い、こうした方が分かりやすいなどと言い、彼女の語る世界に修正を加えていった。

 

 ***

 

 一時間ほど、そのやり取りをしていたフォルナはついに改変されていく己の世界を聞いて、精神的に疲れたようで壁に寄りかかっていた。

 机に座って、彼女から聞いた話をより面白いものに変更している闘志郎は、今まで聞書き留めた内容を纏め上げていた。

 そして、絶えず動いていた彼のボールペンがその動きを止めた。

「ふー……できた。じゃあ、あらすじを読み上げるね。

『異世界アビオスでは突如現れた謎の存在、殲滅暗黒(ジェノサイドダークネス)消滅陰影(イレイザ―シャドウ)により、世界中の半数以上の人間が滅ぼされてしまう。

そんな折に、アブロバ共和国の港を襲っていた女海賊の頭領フォルナは消滅陰影(イレイザ―シャドウ)の影響で空間が歪み、現代の日本に飛ばされる。フォルナは手下の海賊の敵を取るため、そして、海賊の頭領として敗北の屈辱を晴らすために東京で殲滅暗黒(ジェノサイドダークネス)と戦える人間を集めることになるが、果たして……。海賊の意地と魂が送るファンタジー小説ここに到来』」

読みあげるとフォルナが聞かせてくれた内容とかなり違っているが、生憎と闘志郎はそんなことを気にするような人間ではなかった。

メモ帳には他にフォルナから聞いた世界観を修正したものなどが細かい字で乱雑に書かれている。

一仕事終えたといった顔でそれを見つめていた闘志郎だが、フォルナとしては身の上話を勝手に歪められ、満足そうに微笑む奇人にしか見えなかった。

 彼女は王国に仕える神官として、神託によってこの世界に降り立ったのであって、殲滅暗黒(ジェノサイドダークネス)なる存在の消滅陰影(イレイザ―シャドウ)による空間歪曲で飛ばされてきた訳ではない。

異世界の人間と言葉を通じ合わせる『神の指輪』を使い、闘志郎と同じ言語を習得することができたが、まさか言葉が通じても会話が通じないとは思っていなかった。

神託により、最初に出会った存在が大いなる闇に対抗できるとのお告げを聞き取ったのだが、フォルナは心の底からその存在が絶対に闘志郎ではないことを願っていた。

 喋れば喋るほど頭痛を感じる彼から一刻も早く別れたいと内心で思いつつ、部屋の壁にもたれ掛かっていた。

「ハア……――ッ!」

しかし、フォルナはその時突然、背筋に怖気が走る気配を感じ取った。

 それはまだ年若いながら神官を務め、国王直々に異世界に戦士探しを命じられるほどの実力を持つ彼女だからこそ、感じ取れたものだった。

 直後、廊下から重量感を持った足音が徐々にこの部屋に近付いてくる。

「トーシローサン! 何カ、コノ場所、ヤッテキマス!」

「何か? 警備員さんかな? そういえば、鍵借りたまま、一時間近く経ってるし……」

 そういえば財布を取りにここまで来たのだと思い出して、闘志郎は机の上を漁り始める。

 フォルナはそれを見て、舌打ちをした後、開けっ放しになっていた扉を閉め、鍵を掛けた。

 それから扉から少し離れた場所に身構え、息を呑み、近付いてくる廊下の足音の主を警戒する。

 緊張のあまり生唾を飲み込み、身体から嫌な汗が染み出してくる不快さを感じた。

「あっれ、おっかしいなー。確かにここに置いた覚えあるのに……」

 ライトノベル編集部のオフィスには緊張感の欠片もない闘志郎の声だけが響く。

 その暢気(のんき)さに多少呆れつつも、フォルナは視線だけはまっすぐ扉の向こうにある廊下を凝視していた。

 近付いてきた重い足音はオフィスの扉の前でぴたりと止まる。一瞬の空白の後、閉められた扉が吹き飛んだ。

 殴られたようにへこんだスチール製の扉はいとも容易く固定具ごと外れ、フォルナの方へ飛んでいく。

「……ッ!」

 身構えていた彼女は難なく、それを避け、廊下から現れたものをその目に捉える。

 それは闇の衣に包まれたように不自然な暗さを持つ黒の大猿だった。

 毛並みは(もや)の常時歪み、影が無理やり実体を持たされたかのような姿をしている。

 全身が黒一色で構成されているのに、瞳だけは赤く爛々(らんらん)と光を放っている。

「オ前、大イナル闇、分ケ身!」

 その闇から這い出してきたような大猿は紛れもなく、大いなる闇の一部であることが神官であるフォルナには一目で読み取れた。

『アブロバ神官、見ツケタ。殺ス。戦士、見ツケル前、殺ス!』

 闇猿はフォルナを視認すると頭の中に直接響くような声でそう言った。

「クッ、コンナ早ク追ッテ来ルナンテ……」

 早すぎる追っ手の登場に彼女は歯噛みする。こちらは奴らに対抗できる存在を見つけてもいないのだ。

 彼女が動揺していたその時、机の上を漁っていた闘志郎の絶叫が聞こえた。

「うわああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 この世の終わりを知った人間のような、絶望に満ちた悲痛な叫び。

「トーシローサン……!?」

 まさか、闇猿以外にも大いなる闇から刺客が現れ、闘志郎を襲ったのかと振り返ると、彼は椅子に座ったまま、頭を抱えていた。

「ないないないないぃぃぃぃーー!! 俺の財布がない! あれにはキャッシュカードやクレジットカードも入ってるのに! 見つからないよぉ!! 嘘嘘嘘、マジ有り得ない! 誰かにパクられた!? それともここじゃない別の場所に落としたのか!? やばいやばいクレジットカードで金使われまくったら、俺借金で終わりじゃん!」

 フォルナの百倍は狼狽した様子で頭を掻き毟り、喚いている。目からは涙が零れ、鼻からは鼻水が垂れている。二十も半ばになる青年とは思えない醜態を晒していた。

 恐らくは闇猿が部屋の中に襲撃してきたことにすら気付いていないだろう。

 まるで世界の何もかも見えていないような、狂ったような取り乱し様だった。

「ト、トーシローサン! ソンナ事気ニシテル場合ナイデス! 早ク逃ゲテクダサイ!」

 この世界で出会ってまだ一時間ほどしか経っていない相手だが、目の前で人が殺されるのを良しとするほどフォルナは冷徹な人間ではない。

 一刻も早く、逃げてくれるよう促すが、頭をうな垂れたまま座り続ける彼には聞こえているかも怪しいところだ。

「トーシローサン!!」

『ソイツ、構ウ余裕アルノカ?』

 闘志郎へ振り返っていたせいで隙ができてしまったフォルナに闇猿は近距離まで接近していた。

「シマッ……」

 容赦なく振り下ろされる丸太の如き、闇猿の腕はフォルナの細い身体を叩き潰そうと襲い来る。

 直撃すれば彼女の身体は柔らかい果実のように潰れ、間違いなく絶命することだろう。

 だが、彼女にはそれを避ける術もまして、防ぐ術もなかった。

 死を覚悟したフォルナの胸にあったのはアビオスに残してきた妹、シェルファのことだった。

 必ず帰って来てと涙を浮かべて、自分を見送ってくれた幼い妹はきっと帰らぬ自分を待ち続けるだろう。

 いや、それどころか、自分がこの役目を果たさなければアビオスは大いなる闇に呑み込まれ、彼女を含むアブロバの国民は死に絶えてしまう。

 ――ごめんね。駄目なお姉ちゃんで……。

 瞳を瞑る彼女に絶命の一撃は……訪れなかった。

 代わりに凄まじい打撃音と共に風圧が頭の上を通り過ぎていく。

「エ……?」

 戸惑い目を開いた先に見えたものは壁に背中を打ち付けている闇猿の姿だった。

「あーあーあー。もう散々だよ。ほんっと散々。今日は厄日だよ」

 苛立たしげな声を上げたのはいつの間にか、フォルナの後ろに立っていた闘志郎。

 その手には先程闇猿が吹き飛ばしたスチール製の扉を掴んでいる。

 何が起きたのか全く理解できないフォルナは彼に説明を求めるように見上げた。

「あれが殲滅暗黒(ジェノサイドダークネス)の尖兵、漆黒魔猿(ブラックエイプ)なんでしょ? 取りあえず、八つ当たりがてらぶっ飛ばしたんだけど……何か問題ある?」

 フォルナの説明を勝手に修正した内容を喋りながら、闘志郎はへこんだ扉を肩に担ぐ。

「ブラックエイプ……分ケ身、名前デスカ。イエ、ソレヨリ何故攻撃、通ジテルデスカ!?」

 大いなる闇には実体がなく、物理的な干渉はできないはずだった。故に討伐することができず、アブロバ王国の神官たちは封印という対処しか施せなかったのだ。

「え? さっき打ち合わせしてた時、説明したでしょ? 殲滅暗黒(ジェノサイドダークネス)には物理攻撃が効かないのは……」

 闘志郎がフォルナに説明しようとしたその時、闇猿が復活し、彼に唸り声を上げて襲い掛かる。

「ふんっ!」

 それを一瞥した闘志郎は、扉を闇猿に向けて力の限りフルスイングをする。再び、打撃音がフォルナの耳に届いた。

 吹き飛んだ闇猿の身体の靄が傷を受けたように一部ちぎれる。

『何故ダ。何故、我、損傷生ジル!? マグレ、思ッタガ違ウ……モシヤ貴様、我倒ス伝説戦士!』

「トーシローサン、戦士……!」

「いや、違うから」

 盛り上がっている闇猿とフォルナに水を差すように冷めた顔で首を横に振った。

「お前ら、殲滅暗黒(ジェノサイドダークネス)は恐怖により力を増す存在なんだろ? 物理攻撃が当たらないのも殲滅暗黒(ジェノサイドダークネス)に『こんな攻撃あいつに効くのか?』って思ってるせい。だけど、俺はお前に恐怖なんて抱いてないし、殴ればぶちのめせると思ってる。だから、攻撃があっさり通ったし、現にこうして傷付けられてる」

 つまりだ、と闘志郎は言葉を区切ってから結論を言った。

「雑魚って思って殴れば、お前は雑魚なんだよ。アビオスの住民はお前に恐れてるから無理だけど、異世界人の俺はお前に恐怖なんて抱いてないからね。それよりも、財布の行方が分からないことの方が百倍怖いよ」

 大いなる闇に恐怖を抱けば抱くほど、大いなる闇は強くなる。それは確かにフォルナが闘志郎に話したことだが、彼が言った発想はアビオスの人々には存在していなかった。

 何故、異世界まで行けば、大いなる闇を打倒する存在と会えるという神託を受けたのか彼女はようやく理解した。

 簡単な話だ。大いなる闇の恐ろしさを知らないものならば、大いなる闇に勝てるのだ。

 恐れさえしなければ、闇はこんなにも弱いのだから。

「まあ、そうは言っても普通は怖がるよ、お前みたいな化け物。間近で見て、平然としてられる奴を探すのは一苦労するだろうよ」

『ナ、ナラバ何故、貴様……』

「決まってるでしょ? 俺はお前らみたいなのをずっと妄想の中で倒していたからね!」

『ナ……妄想!?』

 闘志郎が空想戦記ものの世界に憧れていた頃、自分が主人公になったと仮定して、妄想の中で化け物や奇妙な生物との格闘を繰り返してきた。

 どれほどの恐怖感を煽るような怪物にも恐れない自分を何千回、何万回、何億回、何兆回妄想したか数え切れない。

 狂ったように恐ろしい存在を打倒する己を考え続けたせいで、どんな不気味な生物にも恐怖を抱けなくなっていた。

漆黒魔猿(ブラックエイプ)。お前には俺の妄想した化け物よりも迫力がない! おぞましさがない! 不気味さが足りない!」

『ソンナ、我、大イナル闇、分ケ身。コノヨウナ奴、負ケルハズ……』

「そういう言い訳じみた台詞が一番ショボさを増大させてるんだよ! 気付け!」

 恐怖を煽らせて、君臨していた闇猿は封印こそされたことはあっても、ここまで決定的に負けたことなどなかった。

 常に絶対的強者の立ち位置にいた彼は、敗北の味を知らなかったのだ。

 しかし、今は違う。自分を恐れず、あろうことか損傷を与えてくる存在が居る。

 闇猿は誕生以来から初めて――恐怖を感じた。

 逃げなくては。この存在から一刻も早く遠ざからなくては。

 そう思った瞬間には既に何もかも遅かった。

 スチール製の扉が彼の身体に向かって、今振り下ろされようとしていた。

 それも一度や二度ではない。闇猿を完膚なきまでに破壊しせめようとする容赦ない鉄槌が落ちてくる。

「このぉ! このこのこのこのこのこのこのこのこのこのこのこのこのこのこのこのこのこのこのこのこの猿野郎がぁぁぁぁーー!!」

 呼吸も忘れて、闘志郎は闇猿を力の限り扉で殴打する。財布を紛失してしまった嘆き、悲しみ、怒り、憎しみが何の因果関係もない大いなる闇の分身の大猿へと向けられる。

『ゴップァアッ!』

 口から黒い気体を噴き出しながら、悶えるがそれで止まる彼ではない。

「トドメの一撃ぃーー!」

 今まで横にしていた扉を縦に持ち、跳ね上がってから闇猿の首へと躊躇なく振り下ろした。

 それはまさにギロチンの刃。地獄の断頭台。

 ぞぶり、と妙に生々しい音が聞こえた後、大猿の生首が床に転がった。

 傍に居たフォルナもあまりの残酷さに思わず、顔を両手で覆う。自分の世界を滅ぼそうとする邪悪な存在と言えど、哀れみを感じざるを得なかった。

 生首と切り離された身体は空気の抜けるような音をさせて、消滅していく。

 残った頭の方も徐々に小さくなり、やがて消えた。

 世にも残虐な方法で闇猿を退けた闘志郎は日頃のストレスを発散できたとばかりに輝くような笑顔を浮かべている。もう、財布を失くしたことも覚えてはないだろう。

 フォルナはそれを見て、引きつった表情をしていたが、覚悟を決めて彼に話しかけた。

「アノ……トーシローサン」

「はい?」

「ドウカ、ワタシ世界救ッテクダサイ!」

 その台詞は闘志郎が聞きたい台詞トップ5に入る台詞だった。

 空想戦記好きの彼には胸の内が震えてくる感覚を感じた。子供の頃、何度憧れたか分からないシチュエーションだ。

「いいよ……行ってあげる」

「……本当デスカ? モウ、コノ世界帰ッテ来レナイデスヨ?」

「え……?」

 若干、田舎に居る両親や友人の顔が浮かんだが、頭を振ってそれを振り切り、彼は答える。

「うん、いいよ。大丈夫」

 幼い頃からの夢が叶おうとしているのだ。戸惑ってはいけない。

例え、失うものがあるとしても彼はこのまま、進みたかった。

「本当大丈夫デスカ? ……後悔シマセンカ?」

「もう、何回も言わせないでよっ! おかげで若干、決心揺らいできそうだよ!」

 再三確認を取るフォルナに闘志郎は声を荒げた。

 親切心からの質問だったのだが、それで闘志郎を怒らせてしまい、彼女はしょんぼりとする。

 それに気付いた闘志郎は自分の落ち度を認め、彼女に頭を下げた。

「ごめん。怒鳴ったりして。でも、俺は自分で決めたことだから、この結果例え後悔することになってもフォルナさんを恨んだりしないから安心して」

「トーシローサン……分カリマシタ!」

 闘志郎の覚悟を感じ取ったフォルナは大きく頷いた後、僅かに緊張した面持ちで彼を見上げ、両手を伸ばした。

 闘志郎は最初にされたように額に手のひらを押し付けられるのかと思っていたが、彼女の手のひらは額ではなく頬へと添えられた。

 それから、ゆっくりと彼女は背伸びをして、お互いの顔同士を近付けていく。

「え? え? あの、これ……」

 端正なフォルナの顔がほどんどゼロ距離まで狭まると、闘志郎の唇に彼女のそれが接触する。

 柔らかでしっとりした唇はこの世のものとは思えない甘美な感触がした。

 その瞬間、二人の周りに半径一メートルほどの円が発生する。足元には幾何学的な模様が描かれており、点滅するように光り出した。

 だが、闘志郎にはフォルナとの口付けのことで頭が一杯になり、周りには一切注意を払うことができなかった。

 やがて、フォルナの方から顔を離すと彼女もまた恥ずかしげに顔を赤くしていた。

 だたし、どこか嬉しそうでもある。

「あ、い、今のが、あれだよね。こう、アビオスに移転する儀式的な……」

「ソレアリマスケド……本当、接吻、要リマセン」

「え、じゃあ」

 何でと言いかけた闘志郎の唇は、フォルナに人差し指で押さえられた。

「助ケテクレタ時、トーシローサン、少シ格好イイ思イマシタ……ダカラデス」

 小悪魔じみた彼女の微笑みに闘志郎は年甲斐もなく、生唾を飲み込んだ。

 人生初めての恋は世界を超えた先で成就しそうな予感がした。

 こんなことなら、ファンタジーものだけではなくラブコメもののライトノベルも読んでおけばよかったと内心で後悔する。

 もしも全てが終わった後、再び、この世界に戻って来られたのなら、今度はラブコメを書いて新人賞に応募してもいいかもしれない。

 そんなことを考えながら、彼はフォルナと共に異世界へと旅立つ。

 胸には少年の頃の夢と希望を詰め込んで。

 

 



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