もしもモルさんが暗殺者だったら   作:コナー

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第零夜

 それは彼女が3つの時だったか、それとも4つの時だったか。

 

「さぁさぁ、よってらっしゃい見てらっしゃい!」

 

 威勢の良い、商人の声だ。その後に続く商品を飾り付ける言葉を合わさり、商人の周囲に集まる客はその購買欲を掻き立て、市場を激しく沸かせていた。

 だが、そんな中彼女だけは唯怯え、涙を流すだけだった。

 

「さぁ、お集まりの皆々様! 此度、この“ファナリス”をお買い上げになられるのは一体どなたなのか!?」

 

 理由は至極明快。

 商人は奴隷商人であり、彼女はその商人に売られる奴隷だからだ。

 

(お父さん……お母さん……)

 

 周囲の人々が彼女を見る目は様々だった。だが、その本質はどれも差して変わらないものだった。

 大概の者は単純な労働力として、一部の者は幼いながら“女”である彼女を欲望の捌け口として。

 もしかしたら、彼女を同じ“人”として憐れむような目も僅かながら有ったのかもしれない。だが大半が彼女を“物”としか見ておらず、結局のところそれらの視線と伴う熱気に気押された彼女が恐怖の真っただ中にいるという事実に何も変わりは無い。

 

(こわいよ……どこにいるの……?)

 

 あるいは、彼女がもう少し成長してある程度の身体能力があったなら、その足に絡む鎖を引き千切って、強引にでもこの場から逃げ出す事が出来たかもしれない。何故なら、彼女は“稲妻のような蹴りで百獣の王たる獅子の腹すら貫く”という、そういう触れ込みすら有るほど、その筋では有名な民族の子なのだから。

 だが、それをするには彼女はあまりにも幼く、あまりにも弱い。獅子とて、産まれたばかりの子獅子は本来捕食すべき草食動物にすら容易く殺されてしまう程脆弱な存在なのだ。

 故に、いくら強靭な民族の出であろうが4,5年生きた程度の少女に出来る事などあるわけも無く、唯、身を震わせて、その場にいない親兄弟へ必死に助けを懇願するしか無かった。

 

「さぁ、我こそと思う方はどうぞ! 手を上げ、声を上げ、この奴隷めに払う額を御宣言下さい! 最も高い額をご提示頂いた方にお売り致しましょうぞ!!」

 

 その商人の言葉と共に、周囲の人々が一際盛大に、オオーッ、と大声を上げる。

 その声に思わず、ひっ、と洩らした少女の目に、上から見下ろす商人の鬼のような形相が映る。

 “黙ってろ。余計な事しでかして客に逃げられたら鞭打ちだ、クソ奴隷が”――侮蔑に満ちたその目がそう脅し付けている事は、幼い彼女にもハッキリと分かった。

 再び、少女は黙りこくった。なお一層、体の震えと喉を吐く嘔吐感を強くして。

 

(こわいよ……)

 

 この競売の果てに、自分がどんな人生を送る事になるのか。

 それをその幼い頭が想像する事は出来なかったが、それでもそれがとても恐ろしく、苦しく、辛く、陰惨なものになる。そして両親と会うことはおろか、故郷の地を踏む事すら二度と適わないだろう事は何となく分かっていた。

 分かるからこそ、臨界寸前にまで達したその恐怖を少しでも和らげようと彼女は努力した。

 

(お母さん……お父さん……誰か……)

 

 ガチガチと上手く歯を噛み合わせられない口で、消え入りそうな声で、後ろで縛られた手を合わせて、願った。

 

(誰か……誰か……)

 

 周囲の恐ろしい声に、下卑た視線に、自らの内の恐怖に必死に抗いながら、ただ只管に、願った。

 

(誰か……助けて……!)

 

 果たして、その声無き声が通じたのだろうか。

 それとも、単なる偶然だったのか。

 はたまた、哀れな乙女の真摯な願いが、訪れる運命すらねじ曲げたのか。

 何であれ、彼女が願った“誰か”がそこに現れたという、その事実だけは確かだった。

 

「ならばこの娘は俺がもらおう」

 

 その声が聞こえたのは、彼女の後ろからだった。

 反射的にその方向を彼女が振り向くと、涙でおぼろげになっていた視界が途端に一面の白で覆われた。

 少し驚き、慌てて少女は首を振って、顔に張り付いた涙を振り払った。

 

「おお! これは精悍な殿方の登場だ! その格好を見るにもしや神学者の方かぁ!? アンタも好き者だね、この生臭坊主ぅ! 残念ながらフードのせいでその御尊顔を確認出来ないが、これはなかなかの美男子と見えるぞぉ!」

 

 確かに商人の言う通りであった。

 その男がいたのは、商人と彼女が立つ壇上のすぐ傍。彼女達の背後に立つその姿は一面真っ白のローブに覆われており、一見すれば教会を出入りする神学者のようだった。その顔は目深に被られたフードのせいで下半分程しか確認できない。だが、そこから見えるスッと通った鼻梁と形の良い顎だけで、その男の顔立ちがなかなか整っているだろう事を想像するには十分だった。

 だが、男に対して彼女がより強い印象を抱いたのは、その“目”。フードに隠れていて見えない筈のその双眸に、他の客達のような恐ろしさとは真逆の光が宿っているような気がしてならなかった。

 周囲の視線よりなお恐ろしく鋭く、それでいて小川のように澄み切っていて穏やかな光が。

 

「して旦那! この奴隷めを買って頂けるとのことでしたが、その御代金は如何程で!?」

 

 一方、早速客を見つけて喜んでいるのだろう。

 痛がるのも構わず、サイドテールに結わえた彼女の髪を引っ掴んで無理やり男の方に寄せながら、自らも鼻の息が掛かりそうな程に顔を近づけて商人が興奮しながら問い質そうとする。

 

「代金か? そうだな、代金は――」

 

 そこで、フードに覆い隠されていない男の口元が、不意に、不敵に笑った。

 まるで、何かの企みを叶える絶好のチャンスが訪れたかのような、怪しい笑み。

 だが男の近くに無理やり引っ張り寄せられていた事でそれを目にした彼女にとって、これ以上無いほどに頼りがいのある、素晴らしい笑みだった。

 そう、後にも、先にも。

 

「貴様が神の御許へ旅立つための片道切符、というのはどうだ?」

 

 は、という声を洩らしつつ、商人が間の抜けた表情を作る。

 それが死に顔になろうとは、彼はもとより、傍らでその一連を見収めていた彼女も当時は思いにもよらなかった。

 男が取った動作そのものは極めて単純。彼の言葉に呆けている商人の首に、唯左手を掛けただけ。

 傍から見れば何の問題も無いように見えるその動作だが、実際は巧妙に隠されたイレギュラーがあった。

 それは男の左手。そしてより詳細にいえば、そこに有る筈なのに存在しない薬指ではなく、その隣の小指。

 それを左手が商人の首に触れると共に、一瞬、何かを引っ張るように、くん、と動いた。

 その刹那、革製の腕当てが着けられた男の左手首から銀色に光る“爪”が飛び出し、吸い込まれるように商人の喉へ飛び込んだのだ。

 そして事はそれで終わり。商人がビクン、と震えて白眼を向くや、“爪”を何事も無かったかのように左手首に戻して、そっと男は商人の首から左手を離した。

 途端、商人の体が壇上から転げ落ちた。

 それにより商人と男の近くにいた観衆が一斉に後ずさる中、彼女は見た。男の“爪”が入っていった喉に穴を開け、そこから泉のようにコンコンと血を湧き出させる商人“だったもの”を。

 そして、それが意味するものを幼いながらに感じ取り、恐る恐る彼女は男の方をもう一度見た。

 男は、平然としていた。

 今し方人が死んだばかりだというのに。

 自らが殺したばかりだというのに。

 ただ平然と、フードの奥のその目を彼女と合わせていた。

 不思議と、向け返されるその目に、先程まで飲み込まれそうな恐怖が掻き消えていくのを彼女は感じていた。

 その答えは後に思い返して初めて分かった。――あの時の彼の目にあったのが、彼女への慈愛と救いの意思であった事。そして、実際に救われたためだったという事を。

 

「……あ……」

 

 だが、その時の彼女は状況も気持ちも整理がついていなかった。

 故に何か言おうとしても言葉が出ず、また男の方も無言だったため、沈黙が彼女らの間に下りる事となった。

 最も、その沈黙もすぐに破られたのだが。

 

「……あ、“アサシン”だ! “アサシン”だーッ!!」

 

 周囲の人々の誰かが、思い出したようにそう叫んだ。

 それにつられて、それまで茫然としていた衆目達が一人、一人と叫び声を上げていく。

 

「“アサシン”が現れたぞォ!」

 

「奴隷商人が殺された!」

 

「イヤアアァァァ、神様ぁ!!」

 

「町警史! 町警史ィッ! 急げッ、ここだ!!」

 

 見る見る内に騒然となっていく観客達。

 そんな刻々と変化していく状況に耐えられず、あたふたと狼狽する彼女の体を、男が無造作に抱え上げた。

 そのまま、脇に抱えられる形となった彼女が驚きに悲鳴を上げる間も無く、ざわめく衆目達の中を男が一目散に駆け出した。

 その日の一連の出来事が、彼女の後の運命を決定付ける分岐点であった。

 

 

 

 そして時は流れ、10年後。

 オアシス都市、“チーシャン”。奇しくも、突如出現した迷宮(ダンジョン)によって同じく10年程前より大きく栄え出したこの都市の一角、街中でも一際高い教会の鐘の隣に彼女はいた。

 

「……いた」

 

 釣り上がり気味の独特の目尻を持つ目が、目的のものを捉えてスッと細まる。

 その視線の先、下の路地にいるのはみすぼらしい姿の人々を引き攣れた、神経質そうな奴隷商人の男。

 その男こそが、彼女の次の標的だった。

 現在地からその標的への大体の距離と、事を為した後に自らが進むべき道を再確認した後、続いて足下、教会周辺の路地に彼女は視線を向け直す。

 下には、行き交う人々に混じって、荷台に藁束を敷き詰めた馬車が一台。

 せっかくだ、アレを使わせてもらおう。

 そして最期に、首元に下ろしていたフードを深く被り直してサイドテールに結わえた赤い髪と顔の上半分を覆い隠し、左手の小指に嵌めたリングをくんと引っ張った。

 シャキン!

 小気味の良い金属音と共に、革製の腕当てが着けられた彼女の左手首から銀に光る“爪”が飛び出し、固定される。――動作具合は上々。問題無し。

 再び小指を引いて“爪”をしまい、全ての確認を終えた彼女は一端後方へ下がる。

 そして足場としているクリーム色の鐘の土台の端まで来たところで、再び前方へ、全速力で駆け出した。

 逆端まで行くのに5秒と時間は掛からない。その短い時間の中で十分に助走を終えた彼女は、そのまま鳥の翼のように両腕を大きく広げた姿勢で、台から飛び降りた。

 宙へ投げ出されたその体が滞空する事、ほんの僅か。

 すぐさま重力に従って下へ加速していく体を仰向けにしつつ、猛禽類の鳴き声にも似た心地よい風切り音を聞きながら、下の藁束目掛けて彼女は真っ逆様に落ちていった。

 彼女の名はモルジアナ。

 伝説の狩猟民族“ファナリス”の末裔にして、人々の自由と平和のため、闇の中に紛れ標的を狩る事を生業とする暗殺者――“アサシン”。

 その心に掲げる信条は唯一つ――“真実は無く、許されぬ事など無い”。

 そして己が定める使命も唯一つ――“人を縛る、あらゆる鎖を断ち切る事”。

 故に彼女は暗躍する。

 かつて自らも堕ちかけた、奴隷という名の“(紛い物の真実)の被害者達”を縛る鎖を断ち切るために。

 己が“爪”に、その正義を宿して。

 




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