もしもモルさんが暗殺者だったら   作:コナー

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第十夜

 赤々と燃える炎にどんどん食われていく足場の布に慌てふためいていた少し前の事など、自らが置かれた現状に比べれば比較的些細な事であった。

 突如爆裂音と共に屋根が弾け飛んだ屋敷の中へ相方共々飛び込むや、掛かった慣性を殺し切れずに転がったせいで鈍い痛みの走った身体に呻きつつも持ち上げた視界に飛び込んで来たその姿に、アリババはそうとしか思えなかった。

 すぐ背後の壁に何故か開いている大穴を挟んだ左隣で、整った顔をあんぐりと開けた口で台無しにしている、今の彼が最も会いたくない男がへたり込んでいた。

 “チーシャン”領主の間の抜けた横顔が、“魔法のターバン”が飛行するままに飛び込んだ“そこ”がこの街の最高権力者の邸宅であるという、全く知りたくなかった恐ろしい事実を瞬間的に悟らせる事を、アリババに強いていたのであった。

 

「げっ……!?」

 

 奴隷を甚振る事が趣味の悪徳領主にして、現在アリババが抱えている借金の返済先たる彼の男が、飛び込んだ屋敷の中にいる。

 その状況から連想される事実は至って単純――自分達が今いるこの屋敷の主は領主であるという事。

 そして、偶々通り掛かったところに屋根に大穴が空いたので飛び込んだ、というだけのアリババ達が彼からどう見えるかも至って単純。――不法侵入者。つまりは賊だ。

 

(や、やべぇっ……!)

 

 相手は奴隷を甚振って楽しむと悪名高い、この街の頂点。

 唯でさえそんな危険人物に借金している身だというのに、この上不法侵入の罪に問われるなどいよいよ洒落にならない。奴隷どころか、処刑ものである。

 しかも間の悪い事に、

 

「旦那様ッ! 御無事ですか旦那様ァッ!?」

 

背に矢筒と弓を背負い、赤いサッシュを巻いた腰からサーベルを下げた強面の男達が、壁の大穴から大挙して押し寄せて来た。

 屋根という屋根から火矢を射ってきた連中とほぼ同様の装備を身に着けた、衛兵達であった。

 

「!? 何だこの有様は……! 一体何が!?」

 

「むっ? そこの小僧! 貴様何者だ!? どうやってここに入った!?」

 

「おい見ろ! “アサシン”だ、“アサシン”がいるぞ! この部屋もきっと奴の仕業だ!」

 

 ――“アサシン”だって?

 部屋の奥の方を指差す衛兵の言葉に、え、と声を洩らしたアリババはそちらに目を向けようとしたが、そんな余裕は無かった。

 

「何だと!? ならば、この小僧は“アサシン”の仲間か!!」

 

 衛兵の誰かが放った言葉が、雲行きが急激なまでに怪しくなった事を否応無く彼に知らせる。

 

「おのれ賊め! 我らの目の届かぬ所で旦那様を害そうとはふざけたマネを! “アサシン”諸共、この場で叩き切ってくれるぅ!」

 

 急転する状況に逃げる事はおろか、それを順序立てて整理する間すら見失ってしまったアリババの頭上に、細長く湾曲した鞘から引き抜かれた衛兵のサーベルが掲げられたからだ。

 間髪入れず、重苦しい光を放つ刃が目を丸くする彼の眼前目掛けて降り掛かって来る。

 それに対し、涙目で情けない悲鳴を洩らしつつも、即座に腰元に伸びたアリババの右腕もナイフを引き抜く。

 淀み無く、身体が覚えたままに行われる応戦体勢への移行は目を見張るものがあった。

 が、反面その行為が孕む危険性にアリババが気付くのは聊か遅かった。

 相手は領主直属の衛兵。それに刃を向けるという事は、例えそれが謂れ無き罪による処刑への正当防衛だったとしても、すなわちその主たる領主に刃を向けるも同義だ。本格的に領主を敵に回す事になる。

 だが、突き出したナイフを引っ込める指令を腕に与える暇はもう無い。

 ナイフの刃先が迫るサーベルの刀身とぶつかり合って火花を散らし、そしてアリババの顔が絶望一色へと染まる時が、今まさに訪れ――なかった。

 ナイフが独りで迫るサーベルから離れたのだ。

 否、離れているのはナイフではない。

 不意に襲って来た首下の苦しさに、ぐぇっ、と呻く当のアリババ自身だ。

 そして、浮き上がっていた尻が着地するや、咳き込みつつ後を振り向いた彼の目に映ったのは、上着の後襟を左手で掴む白ローブの上半身。

 奴隷泥棒の罪から救いはしてくれたが、同時にアラジンから“ジンの金属器”を奪い、こんなところまで来る原因も作ってくれた、憎き暗殺者――

 

「っ! ……あ、“アサシン”っ!?」

 

であった。

 

 

 

 ふと、視界の横側を白い流線が通り過ぎた。

 その軌跡を、首を回して無意識に追った先にいたのは、二人の人間だった。

 一人はダボダボの薄汚い上着を着た見覚えの無い小僧。

 そして、駆け付けた衛兵にあわや斬られる寸前となってみっともなく怯えるその小僧の後襟を掴むや、再び流線と化す白い人影。

 正面に戻した視界の中心、書斎の奥に、ゴルタスの巨体越しに再び姿を現した暗殺者。

 “王様”になるべき彼の暗殺を企んだ、無礼者の狂犬。

 “アサシン”であった。

 

「……あっ、“アサシン”だッ! 衛兵! 奴を生け捕りにしろ!」

 

 茫然自失から一転、意識を取り戻したジャミルはすぐさまサーベルの切っ先で“アサシン”を指差し、衛兵達に指示を下す。

 

「い、生け捕りですか!? あの大麻(ハシシ)野郎を!?」

 

 しかし、彼の命令に衛兵達があからさまに動揺する。

 当然だろう。

 相手は他ならぬジャミル自身の命を狙った暗殺者。

 加えて、彼の高慢にして無慈悲な性格を嫌というほど知っている彼らが、その憎き下郎を生かして捕まえろなどという命令を受ければ、一様に鳩に豆鉄砲を撃たれたような顔になるのは当たり前だった。

 が、当のジャミルからすればそんな衛兵達の事情は知った事では無い。

 

「何だ!? 僕の命令が聞けないっていうのかッ!?」

 

 人にとって、労働とは責務である。

 衛兵達はジャミルに雇われている身。つまり、雇用主であるジャミルの身を守り、命令を遂行する事こそ、彼らが果たすべき責務なのである。

 故に、その命令は如何なものであろうと――それこそ、“目の前で死んで見せろ”という無茶苦茶な命令であろうと、文句一つ無く従わなければならないのだ。

 それが責務というものであり、それが為されなかった時には重い罰が課されるのが世の道理というものだ。――少なくとも、ジャミルの中ではそういうものであり、また衛兵達も雇い主のそんな理不尽極まりない道理を理解しているが故に、

 

「い、いえっ! 滅相もありません!」

 

二の句を告ぐよりも前に首を縦に振るのであった。

 

「じゃあとっとと捕まえろよノロマ共め! ……あぁ、それにしても」

 

 ――何だよこれは……。

 衛兵達に怒鳴り散らしてから書斎を見回したジャミルの眉間に、深い皺が刻まれる。

 変わり果てた書斎の内装が、彼の悲痛気な表情の理由だ。

 “アサシン”によって拘束されていた彼を救うために、ゴルタスが切り割った壁は勿論の事。

 その後発展したゴルタスと“アサシン”の戦闘によって、“レーム”の有名職人に作らせた高級絨毯は所々が砕かれた床諸共唯のボロ布と化し、やはり高級材が使われた椅子と机も同様に粉砕されている。

 それだけで冗談のような値が付く書斎そのものは勿論の事、いずれも手に入れるのに金と手間を掛けまくった調度品のその殆どが、ほんの数刻の内に無価値な唯のガラクタへと変貌していたのだ。

 そして、その原因の片割れであり、『“アサシン”を生け捕りにしろ』という命令を完遂する事も無く、たった一撃食らった程度で跪いているゴルタスの後ろ姿が、見る影も無くなった部屋の中央にあった。

 

「ゴルタスゥッ!!」

 

 考えようによっては、“アサシン”――伝説と謳われた“ファナリス”の力の証明が為されたといえなくもない。同様に特殊な民族の血を引く故に、常人よりも遥かに丈夫な肉体を持つゴルタスを、あんな小柄な身から繰り出した蹴りだけで膝を着かせたのだ。

 が、それだけの判断を頭に血の昇った今のジャミルに要求するのは無理難題。

 

「一体何だこの部屋は!? 僕が命令したのは“アサシン”の生け捕りだぞ! 誰がこんな事しろって言ったァッ!?」

 

 部屋を滅茶苦茶にされ、あわや殺されそうになり、挙句主人たる自分の命令を碌に遂行出来ない木偶同然の奴隷への憤怒。

 それに伴った、怠惰極まりないゴルタスの背を手にしたサーベルで滅多突きにしたいという欲求。

 湧き上がってくるそんな感情に突き動かされるままに、二人の小僧と共に前方に立つ“アサシン”と、下した命令も記憶の片隅に追い遣ったが故の突然の行動に動揺し出す衛兵達を後目に、ジャミルは一歩踏み込んだ。

 ……そうしようとしたが、出来なかった。

 屋根に空いた大穴から入り込んで円を作る光の中で、一瞬の内に白ローブの右腕が腰元から右肩の斜め上まで移動するのが見えた。

 その刹那、

 

「うわっ!」

 

不意に起き上がるや、道を塞ぐように突き出されたゴルタスの右手を“何か”が貫いたからだ。

 その後の一連は、結果的に主人の行く手を遮った奴隷への叱責など考え付く間すら無い程の急転直下であった。

 まず、反射的に顔の前にサーベルの刀身を掲げる事が出来たのは、幼少より仕込まれてきた王宮剣術の賜物であり、また本来なら致命傷を負っていたこの瞬間における、ジャミルの数少ない幸運の一つであった。

 が、間髪入れずに雪崩れ込むそれ以外の要素のほとんどは、この瞬間における彼にとっての不幸となった。

 ゴルタスの厚い手に易々と穴を空けた“何か”が、少量の血飛沫と火花を散らしてサーベルに接触する。

 とほぼ同時に、“何か”を受け止めた刀身がパキリと軽い音を立てて折れた。

 細身の刀身とはいえ、下民では到底払えないような額の付く丈夫な業物が、中程から、あまりにも呆気なく。

 その予想外の光景に目を見開く事によって、ようやくジャミルは“何か”の正体を見極める事が出来た。

 飛び込んで来たからだ。

 本来は彼の眉間を撃ち抜き、脳を抉って死に至らしめる筈だったところを、しかし“主人を守る事”を身体に教え込まれたゴルタスの右手によって与えられた力を急激に弱められ、続けてジャミル自身が掲げた剣の妨害によって進行方向をずらされた“何か”が。

 鳥の片翼を模した刀身を鈍く輝かせる“アサシン”の投げナイフの切っ先が。

 限界まで開かれた彼の左の瞼の、その奥目掛けて。

 次の瞬間、首を仰け反らせる衝撃と共に闇に包まれた左目と、それから襲ってきた悍ましいまでの痛みが、ジャミルを獣のように咆えさせていた。

 

 

 

「ギヤアアアアアァァァァッ!!」

 

 顔を――目に止まらぬ速さで投げられたナイフが突き立った左目を押え、仰向けに倒れ込んで悶え苦しむ領主の地獄の亡者の如き叫びに、思わずアリババも顔を青くし、両耳を塞いで悲鳴を洩らしていた。

 

「目ぇ、目がァッ! 僕の目があああぁぁぁぁっ!!」

 

「だ、旦那様っ! お気を確かに、旦那様!」

 

 もはや威厳も減ったくれも無い領主に慌てて衛兵の何人かが駆け寄ろうとする様を見るその傍らで、不意に背筋を氷で撫でられるような悪寒を感じた。

 はっと真横を振り返ってみれば、この状況を作り上げた当事者――“アサシン”が、振り上げていた右腕を腰元に戻していた。

 革帯に据え付けられた鞘に納まったままの新たなナイフに添えられた細い指が、彼女が何をしようとしているかを如実に表わしていた。――追い打ちだ。

 ――やべぇ!

 喚く領主自身も、彼に注意を引かれた衛兵達も、“アサシン”の動きに気付く様子は無い。

 このままでは、今度こそ領主が殺される。

 止めなければ、と思った。

 相手は義理も無ければ、色々と悪い噂も囁かれる悪徳領主。加えて、借金の返済先でもある彼は、アリババの立場からすればむしろ消えてくれた方が好ましい。

 そういう相手であるが、しかし今まさに命が奪われようとしていると察したその時点で、どうにかせねばという衝動が彼を突き動かす事は止めようの無い事だった。

 だが生憎というか、同時に彼の悪い癖もまた彼の体に働きかけていた。

 身体が動かない。

 止めるために“アサシン”の左肩に伸ばし掛けた手が、しかしそれが届いた時に彼自身に降り掛かるかもしれない想像すら及ばない災厄を予感させ、残り10cm程というところで固まってしまう。

 ――動け! 動けよ俺!

 必死に自らの体に呼び掛けるが、やはり動く事は出来ず、カタカタとアリババの体は小刻みに震えるだけ。

 そしてそんな彼の様子を嘲笑うように。

 領主へのトドメの一撃となるだろう投げナイフが、鞘から抜かれるのが見えた。

 もうダメだ!

 すぐさま目を瞑り、顔を背ける。

 程無くして訪れるだろう更なる狂乱に身構える。

 ……しかし、どういうワケか。

 そうしてから10秒程経過したが、しかし耳から伝わって来る周囲の状況から変化は感じ取れない。未だ領主の安否を気遣う衛兵の声すら聞こえる。

 あれ程の早業を見せた“アサシン”の二発目だ。放たれれば一瞬の内に、今度こそ領主の命を掻っ攫う事は間違いない。なのに、これだけ時間が経って何も変わらないとはどういう事だ?

 恐る恐る、薄眼を開けて周囲を見回したアリババは、すぐにその答えを知った。

 何の事は無い。

 投げナイフが、まだ刀身を半分だけ出した状態で鞘に収まっていた。

 数瞬後に変化を齎す筈だったそれを、“アサシン”がまだ放っていなかっただけの事だったのだ。

 それを見て、未だ苦痛の声を上げているも領主が生きている事に安堵するよりも前に、疑問がアリババの内に込み上げる。

 何故“アサシン”はナイフを投げないのか。

 今更領主への追い打ちを躊躇した、などという事は無いだろう。それならば、そもそも最初の一撃を撃ち込んでいない。それで仕留められなかったからこその二撃目だ。

 となれば、このイカれた暗殺者が動きを止めざるを得ない“何か”が起こったのか。

 そう結論付け、その“何か”の正体を探るべくアリババは視線を領主の側に向けた。

 結論からいえば、“何か”に該当しそうなものはすぐに見つかった。だが、

 

(ま、まさか、アレ……?)

 

それ――領主を守るように立ちはだかる鉄仮面の巨漢こそが“アサシン”が攻撃を躊躇した理由であるとは、到底思えなかった。

 左目以外の顔のパーツの一切を覆う鉄板一枚の仮面と、そこから漏れ出すコシューという不気味な呼気が催す異質感は、ついでに殺すような事はあっても攻撃を戸惑わせるような要素に成り得るとは到底思えない。加えて、男の足を繋ぐ鎖と先程の領主の怒声、そして今現在領主の盾となろうとしている事を省みれば、あの大男が領主の奴隷である事はほぼ間違い無い。

 何故領主を狙っているのか自体そもそも不明だが、少なくとも彼に隷属する身である鉄仮面を、攻撃を中断してまで生かす理由がアリババには思い付かなかった。

 思い付きはしなかったが、しかしそれが事実であった。

 目深に被られたフードの中から、くっ、と口惜しそうな声が聞こえたような気がしたその時には、“アサシン”自身の背に回されていた左腕が既にアリババの胴を腋に抱えていた。

 先程のような持ち上げられる感覚すら無い早業に、へっ、と間の抜けた声を洩らしたアリババの視界の端に、

 

「あ、アラジン!?」

 

同じように“アサシン”の右脇に抱えられた相方の青い頭が映る。

 考えてみれば、屋敷に逃げ込んでから今まで、彼の姿をとんと見ていなかった。だが、何故自分と同じように“アサシン”に抱え上げられているのか。

 そもそも抱え上げられた事すら気付いていないのか、キョトンとした表情で大人しくしているアラジンに問おうとしたアリババだったが、そんな事はすぐにどうでも良くなった。

 不意に強い風が顔に吹きかかった。

 それが、自らが高速で動いている事による相対速度から発生した風であると悟るよりも先に、

 

「――え?」

 

先程まで見上げる位置にあった筈の屋根の穴を見下ろしている事に対する疑問の声を洩らしていた。

 その声が夜の静寂を一時引き裂く盛大な悲鳴へと変わったのは、強制移動した視点の奥で指を指しながら見上げる屋敷の外の衛兵達や貴族達の姿を捉えて、ようやく自分達を抱えた“アサシン”の跳躍によって空高く飛び上がっているからだとアリババが気付いてからの事だった。

 

 

 予想外だった。

 二本目のナイフを投げようとして、しかしそれを防いだゴルタスに見舞った蹴りは、確かに殺さぬように手加減はしていた。だがそれでも、それなりに鍛えた衛兵程度なら半日は立ち上がれない程度には力を込めていた。

 それを、まさか食らって間もない内から自分の投げた投げナイフに反応して見せるとは……。

 何にせよ、救うべき罪無き者である彼の巨体によって、唯一衛兵の群れに覆われていなかった前方を塞がれてしまった時点で、ジャミルへの追撃は諦めざるを得なかったのは確かだ。

 いや、追い打ちを掛けるだけならまだ可能だった。ゴルタスの脇を抜け、ジャミルに注意の回っている衛兵の内の邪魔になる者だけを排除してから、強引にジャミルに止めを刺す事も可能だった筈だ。

 それを敢えてやらずに、天上の穴から一足跳びで脱出したのは、

 

「うわぁ……」

 

「イヤアアアアアアァァァァ! 高いイイイイィィィィ!!」

 

自らが居る高空に感嘆と絶叫という、対称の反応をモルジアナの両脇に抱えられながら示す二人の少年が理由であった。

 そもそも、入口側にいたアリババを一端自らの傍へ引き寄せたのは衛兵から引き剥がすだけでは無く、アラジン共々周辺に置く事で咄嗟の時に守れるようにするためだ。

 仮にあの状況で追い打ちを優先していた場合、せっかく自らの傍に引き寄せていた二人から一時とはいえ離れる事になり、それによって衛兵、あるいはゴルタスの攻撃に少年達を晒す可能性が無いとは言い切れなかった。

 彼らも()()は罪無き者。例え僅かな危険性であったとしても、その彼らが目の前で殺される可能性をモルジアナは看過する事が出来なかった。故に、最期の標的を前にしてアラジン・アリババ共々退避するという、苦渋の選択をせざるを得なかったのだ。

 ――それにしても……。

 

「――あ、そうだ。 お姉さん、僕の笛返して!」

 

「は、離せぇ! 離してくれぇっ!! うわああぁぁああぁぁ!!」

 

 片や、状況を省みない再度の要求。片や、金属同士を引っ掻き合せる方がマシと思えるほどの叫喚。

 そんな二者二様の反応で騒ぎ立てる少年達は、果たして自分達が何をしたのか分かっているのだろうか。

 そんな疑問を覚えたモルジアナだったが、答えは考えるまでも無かった。

 分かっていなくて当たり前なのだ。

 そもそも、自分がどういう目的で動いているのかさえ彼らは知らない。

 故に、ジャミルの死によって解放される筈だった何十何百もの人々が、自分達の介入によって未だ隷属を強いられる身のまま置いて来る羽目になってしまったなどという事は、彼らからすれば知る由も無い事。

 そんな事よりも、笛がどうだの、高度がどうだのと喚く方が今の少年達にとってはずっと重要なのだろう。

 そういう結論には至ったが、しかし結果と場を弁えないアラジンとアリババの煩わしい事この上ない有り様を受け入れられるかといえば、それは別の話。

 彼らの、特に泣き叫ぶアリババの声は周辺の注意を引き寄せかねないし、何より耳元でぎゃんぎゃん騒がれるという状況は至極不愉快だ。それこそ、フードの下でムスーンと膨らませた頬の上に青筋が浮かび上がる程に。

 そういう訳で、飛び移った屋敷の塀を力任せに砕いて、眼前に現れた新たな屋敷の屋根へ跳躍する傍ら、一端足を止めてアラジンとアリババを黙らせる、という決定事項がモルジアナの中に出来ていた。

 が、それが実行に移される事は無かった。

 

「いたぞ! 賊だっ!」

 

 屋根の上に降り立つや目に飛び込んで来た大勢の衛兵達に、そんな暇は無い事を瞬時に悟った故だ。

 

 

 

 もの凄い高さだった。

 道路も、木も、壁も、人も。下方の何もかもが途轍もない勢いで小さくなっていく。

 とっくに燃え尽きて留め具だけになってしまった“魔法のターバン”を使う事無く、唯人が跳んだだけでそれほどの高さに到達出来た事に感嘆したアラジンだったが、それは一時の事。すぐに本来の目的である“笛の返却”を、再度“アサシン”に迫ったのであった。

 だが生憎と、そのすぐ後に彼らが陥った事態は“アサシン”がその要求に応えるか否かなどといっていられる程悠長な状態では無かった。

 

「おい! あの白いローブ、もしかして――」

 

「噂の“アサシン”か! ならばあのガキ共は唯の賊では無く、麻薬(ハシシ)野郎の仲間だったというワケか!」

 

 アラジン達の方を指差してそんな会話をしているのは、“魔法のターバン”で飛んでいた時に燃える矢を放ってきた、あるいはその者達と同様に武装した格好の衛兵達だ。

 アラジン達も足場にしている平たい屋根の奥側。そのまた更に奥や両隣に建つ屋敷の屋根の上。そして、今し方飛び出した屋根の穴からも攀じ登っては列を整えてくる。

 四方からギラついた視線を送ってきたり、弓を構えたりする武装した衛兵の群れに、気付けばすっかり囲まれていたのだ。

 その威容と緊張感に再び言葉を失ったアラジンの耳に、すぐ傍から声が掛かる。

 

「貴方方ですか?」

 

 “アサシン”であった。

 フードの中から覗く特徴的な目元を周囲の衛兵達に向けたままそう問い掛けて来た少女の無表情は、心なしか、少しイラついているように見えた。

 

「……へ?」

 

 一拍置いて、最初に応答を返したのは“アサシン”のもう片方の脇に抱えられたアリババであったが、顔が冷や汗に濡れそぼった彼の口から出て来た間の抜けた声は、傍から見ても返答では無く、問い掛けの意味が分からない、という趣旨の反応だった。

 フードの影に隠れた眉間に、一筋の皺が刻まれたような気がした。

 

「あの衛兵達をここまでおびき寄せたのは」

 

 “アサシン”の付け足しから更に思考のための一拍の後、実に言い辛そうに、そうかも、という小さく呟くアリババの細まった横眼がアラジンに向けられる。

 その恨めしげな視線には、お前のせいだぞ、という彼からのメッセージが込められていたのだが、生憎それにアラジンが気付く事は無い。

 視線の意味に気付く前に、彼が青い双眸を別の方――ゆっくりと上へ傾けられていく“アサシン”の頭へ向けたからだ。

 

「“アサシン”のお姉さん?」

 

 何をやってるんだろう、と首を傾げるアラジンの耳に、スーゥという空気が勢い良く流れるような音が聞こえる。

 それが“アサシン”が深く息を溜め込む音だと気付いたのは、同じく彼女の妙な挙動に訝しみを覚えたアリババが同じ方に目を遣ったのとほぼ同時であり。

 それから程無くして、胸を逸らせる程に頭部を傾けた“アサシン”の呼吸音が止んだと思った、次の瞬間。

 獣の咆哮が響いた。

 

「っ!?」

 

 暴風雨の勢いそのままの凄まじい音が、辺りを覆い尽くす。

 両手で耳を塞ぐだけではとても足りない。両目も固く閉じ、歯を食い縛って、やっと凌げる。

 そんな暴力的な音波に晒されたアラジンが周囲の状況を知る由も無くば、そもそも何かに思考を回す余裕も無い。

 故に、ようやく音が止んで目を開いたその時になって、

 

「――あれ?」

 

自分とアリババがいつの間にか“アサシン”の腕の中から離れ、屋根にうつ伏せていた事に気付き、疑問の声を洩らした。――“アサシン”はどこに行った?

 その疑問の答えは、それまで声一つ聞こえなかった衛兵達のどよめきに振り上げた頭の先にあった。

 四つん這いのアラジンの前方8m程、例の音が発生するまで前を塞ぐ衛兵達の最前線だったその辺りで。

 足下に横たわる衛兵の首元から、左腕の仕込み短剣を引き抜きつつ立ち上がる白ローブの様が、その答えであった。

 

 

 

 衛兵達の威容故か青い顔をしていたアリババの口から返って来た肯定は予想通りであり、そして可能な限りに表に出さなかったまでも、モルジアナを酷く落胆させるものだった。

 どうしてこうなったか、などもはや訊き出す気も起きなかった。

 彼らの移動手段として真っ先に考え付くのが、あの空飛ぶターバンだ。

 今はその持ち主の頭に巻かれていない純白のそれを、この夜闇の中で広げて飛べばこれ以上無く目立つのは間違い無い。目撃した衛兵に不審がられ、火矢の一つ二つ射られるだろう事は想像に難くなかった。

 というか、実際に射られたのだろう。

 だから炎と共に彼らはジャミルの屋敷へ飛び込む嵌めになったのだろうし、燃えてしまったせいで持ち主は頭にも巻く事も出来ないのだろう。

 そうして、只管に注目を集めた彼らを追って来た衛兵達が、最期に少年達がいたこの辺りを目指して集結し、現在に至る、というところなのだろう。

 最も、それが分かったところで何も良い事は無い。

 唯、こういう事態を避けるために目撃されずにジャミルの屋敷に侵入した自らの行為を潰したとんだイレギュラーと、そのイレギュラーの元凶であるアラジンとアリババ(お荷物達)を守りつつ、隙間も油断も無い衛兵達の囲みを突破するという余計な仕事が増えた事に呆れ返ったモルジアナの眉間に、一層深い皺が刻まれるだけの事。

 そう、それだけだ。

 どういう過程があったにせよ、まずは眼前に広がるこの現状を突破するのが先決。

 そしてそのために彼女が取った行動こそ、肺一杯に溜めた空気を全て変換しての、咆哮であった。

 多種多様な動植物が数多く生息する“暗黒大陸”の覇者たる“ファナリス”の咆哮。

 凶暴残忍な肉食獣の大群すら恐れさせ、退かせるその一声が、避けんばかりに開かれたモルジアナの口から放たれるや夜の静寂を食い尽し、辺りに存在する全てのモノを無差別に震わせる。

 地面、家屋、木々。そして、衛兵達の耳朶。

 ある者は耳を塞いで保護する事を優先して構えを解き、またある者はモルジアナの雄叫びに当てられて茫然自失とし、そうしてほぼ全ての衛兵が心身共に隙だらけとなったのを見計らった次の瞬間。

 下ろした荷物と拉げる漆喰の足場を背に、若鷲(ヘイザム)が飛び発った。

 既に一帯を支配していた雄叫びは止んでいる。だが、衛兵達が元通りの臨戦態勢に回復するには、更に一時が必要。

 その一時が過ぎるのを待たずして、手短な位置で膝立ちになっていた哀れな獲物の首筋降り掛かった銀の鉤爪が、抵抗を受ける事無く喉から頸椎までを穿ち、その勢いのままに斃れ伏せさせる。

 そして、赤く濡れた爪を引き抜き、自らの死に気付かなかった故の真顔の瞼を下ろして安らかな寝顔に変えたその時点で、モルジアナの計略は完成したも同然だった。

 先の強烈な咆哮によって、その場にいる全ての衛兵の殆どは体勢だけでなく、心理的にも大きな隙が出来た状態だ。

 そんな彼らの視界に、隙を突かれて事切れた仲間の死体という惨状が飛び込んで来ればどうなるか。

 

「……あ……あ゛ぁ゛……」

 

 咆哮の主にして、その惨状を作り上げた暗殺者の、返り血の赤斑が付いた白い姿がその目に映ればどうなるか。

 

「う、わ……うわ……うわあああぁあぁぁぁ!!」

 

「た、助けてぇっ! 助けてくれえぇぇぇえぇ!!」

 

 その場で腰を抜かして声にならない声を吐く者達。恐慌状態に陥り、構えていた剣や弓を捨てて一目散に逃げる者達。

 怯えて尻尾を巻く獣の如く、完全に戦意を喪失してしまった大半の衛兵達の有り様が、この状況を突破するためのモルジアナの計略だ。

 アラジンとアリババを抱えたままこの場を切り抜けるために、衛兵達を殺める事それ自体に抵抗は無い。されど、そのために全ての衛兵を殲滅する気も無い。犠牲は最小限に抑えるべきものだ。

 故に、“ファナリス”の咆哮を持って警戒と覚悟を吹き飛ばしたところで、同僚の死という精神への不意打ちを叩き込んで退散させた。

 結果、40人程が戦線離脱、あるいは戦闘不能――落し掛けた命を拾う事と相成ったのであった。

 そう、その40人程に含まれた者達は。

 

「おっ、おのれよくもぉ!」

 

 最初の時点で彼女達の周囲にいた衛兵の数は、ざっと見て60人超。

 そこから先の約40人を差し引いて、まず20人程。

 

「おいっ、どうした!」

 

「今の音は何だ!? 虎でもいるのか!?」

 

 更に、遠方から音響の弱まった吠え声を聞き付けて新たに駆け付け、攀じ登って来た者が10人超。これにより配置は変化し、前方18人、右隣の屋敷の屋根4人、左隣りの屋敷の屋根6人、後方ジャミルの屋敷の屋根に6人。

 計34名の衛兵達は、その全てがとはいわないまでも、残念ながらこの場で命を落とす事が決定付けられた者達。

 

「死ねええええぇっ! “アサシン”!!」

 

 その先頭に立ち、振り上げたサーベルに仲間を殺められた事への恨みを込めて猛然と駆け込む鬼の形相の衛兵同様。

 モルジアナ達がこの場を突破するための、犠牲だ。

 

「ぬおおおおおぉぉぉぉッ!!」

 

 降り掛かる渾身の袈裟切り。

 銀の煌めきがそのまま軌跡と化すその一撃は、当たれば容易くローブ諸共モルジアナの細身を裂き、命を奪い取るだろう。

 当たりさえすれば。

 実際は逆。

 己が斬撃を、上半身を逸らせての紙一重でかわされ、同時に展開したアサシンブレードをガラ空きになっていた腹――鳩尾へ流れるように突き込まれつつ背後に回られた衛兵の命が、奪い取られていた。

 敵の攻撃の勢いを利用し、無意識下の隙を突いて必殺の一撃を与えるカウンター。“アサシン”の戦闘における基本戦術だ。

 続けてしゃがみ込むように倒れ込む死体を背に、立ち位置(ポジション)が変化した事により眼前に現れた衛兵の足目掛けて、自らの左足を無造作に踏み下ろす。

 響く粉砕音。音源は下の屋根諸共砕かれた衛兵の爪先。

 10代の少女のそれからは凡そ離れた爆裂な威力の踏付けに、溜まらず声無き悲鳴を洩らして衛兵が仰け反る。それによって無防備に伸びた首を、すかさず飛び込ませた右足のハイキックによって圧し折る。

 無精髭の生えた顎先を、丸時計で例えるところの11時の辺りまで上げられた衛兵が、頸動脈と気道を塞がれた事により脳死を迎える――までの数瞬を待たず、右足を屋根の上に戻すや振り返り、更に疾駆。

 地表の獲物を見定めた猛禽類の急降下同然の速さから突き出した足先が、驚く間も無い3人目の衛兵の腹を貫き、吹き飛ばす。

 あくまで比喩だ。実際に貫いたワケではない。

 だがそれでも、空気を詰めた革袋を強引に叩き割ったような破裂音が伴ったその一撃によって、膵臓を文字通りの意味で潰された事による兵士のショック死が避けられるワケでもない。

 戦いの空気の中を飛び交う若鷲(ヘイザム)の体の奥から、際限無く湧き出す力が止まる事も無い。

 そうして5m程飛び、屋敷の屋根から落ちる間際でどうにか止まるも、それっきりうつ伏せって動かなくなった三人目の犠牲者を視界に納めた何人かの兵士達が動きを止める。

 斃す絶好の機会だ。が、敢えて彼らを尻目に、モルジアナはその場から跳躍。

 平時より一層軽く、速く低空を滑るように飛ぶ彼女の行く手には、弓を構えた衛兵が1人。

 大方、前衛と衛兵達と乱戦中の彼女を奥手から射抜こうという算段だったのだろうが、若鷹の真紅の双眸にその姿が一瞬でも捉えられた時点で彼の計略は破綻している。

 急接近。

 対応し切れず、咄嗟に放った矢が白ローブの隣を抜け、明後日の方向へ飛ぶ。

 腰の剣を抜く間も無く、翻るローブの裾の奥から放たれた回し蹴りによってこめかみを砕かれた兵士の遺体が横へすっ飛んでいく。

 まだ終わりじゃない。

 繰り出した蹴りの勢いのまま、振り返りつつ着地するやその場にしゃがみ込むモルジアナ。

 その両手は革帯の左右、鞘から伸びる投げナイフの柄を掴んでいる。

 先のジャミルへの追い打ちにより一本消費し、現在手元に残っているのは三本。

 残る三本全てが、扇状に残像を残して振られた両腕から飛び発ち、前述した動きを止めた内の最も距離の近かった三人の喉、左胸、右太股を貫く。

 今度の“貫く”は文字通りの意味だ。

 血飛沫の尾のみを残してどこかへ消える刃の餌食となった3人の内、前者2人は即座に唯の肉塊と化し、残り一人も傷ついた腿を押さえてその場に転がる。

 ここまで同じ屋根に立つ衛兵達の内、未だ健在なのは11人で、経過時間はまだ一分を少し過ぎたばかり。その短い間に最初の18人の内、これに含まれない6名が死亡、1名が無力化された事になる。

 “ファナリス”なればこその素早さと圧倒ぶりだ。この勢いならば、全滅させるのに10分と掛かるまい。

 

「コノオオオオォォ!!」

 

 剣を振り被り、突進してくる新たな衛兵。

 しかし、数の暴力などという言葉を在って無き者にせんがばかりのモルジアナとの彼我戦力差を目にした故か、汗だくの顔は焦りに満ちた表情を浮かべ、体勢も何処か覚束ない。

 仕留めるのは容易いにも程があるが、しかしモルジアナに油断は無い。

 奢り、高慢、過信、そして油断などいった感情は時として自分や周囲を傷つける事となる――そう“大導師”から念を押して教えられてきた彼女の心に、そんな感情は存在し得ない。

 誰よりも、何よりも速く、鋭く、強い“ファナリス”の身もそれだけでは絶対的な勝利条件にならなければ、常に物事が想定通りに動くとも限らない。――“真実など無い”。

 最も、先程の乱入騒ぎは流石に予想外過ぎて意表を突かれざるを得なかったが。

 ともかく、それを知るからこそ、自らも接近するや、他の者同様にその衛兵も蹴り殺そうとしていたところを、

 

「ヒイイイイィィィ!!」

 

程無くして耳に届いたその悲鳴によって、振り下ろされた衛兵のサーベルの柄を、足の代わりに突き出した両手で掴み返す判断に切り替える事に、何ら抵抗は無かった。

 

 

 

 すぐ耳元から響いた暴音――“アサシン”の咆哮――に溜まらず閉じた耳と共に閉じた目を再び開いた時、眼前で行われていた殺戮劇にアリババは言葉を失っていた。

 いつの間にやら移動すると共に一人。攻撃をかわすと共に一人。首への蹴りでまた一人。飛び蹴りでまた一人。また一人、また一人……。

 心身ともにイカれた奴だとは分かっていたが、まさかこれ程までに強いとは。

 先程より数の減った衛兵を蹴散らし、更に減らしていく“アサシン”の一方的な戦いぶりが、アリババを開口させ、その一方で彼の心の奥にあるものを少しずつ燻らせていく。

 しかし彼と、その隣で四つん這いになっているアラジンに、呑気に“アサシン”の戦いぶりを観戦する暇は無い。

 視界の左端で幾つもの光点が瞬く。

 その正体を見極めるよりも先に、ヤバイ、と打ち鳴らされる自らの内の警鐘に従ってアラジンの後首を掴みつつ飛び退くアリババ。

 刹那、二人のいた空間を雨が通り過ぎた。

 矢の雨だ。

 反射的に矢の飛んで来た方を向く。

 左側の斜め掛かった屋根の上で弓を構える衛兵――弓兵の集団が目に飛び込んで来た。

 

「ヒイイイイィィィ!!」

 

 忘れていた。

 衛兵が集まっていたのは前方だけじゃない。左右も後方も、既に包囲されている。

 前方の兵士達同様その数は減っているようだが、しかしもう何度目になるか分からない絶叫を放つアリババには、一様に輝く眼光を向け、獲物を射ち損じて舌打つ彼らの数などどうでも良かった。

 相手が複数人で、矢という得物を使う事に変わりは無いからだ。

 

「もう一度、構え!」

 

 矢の利点が“遠距離から一方的に狙撃出来る事”であるのは語るまでもない。

 対して、アリババの得物は腰のナイフのみ。近づかなければ応戦出来ない。

 加えて、向けられる矢の数六本に対し、彼のナイフは一本切り。一本一本放たれるならまだ飛んで来た矢を強引に叩き落として防ぐ事も出来るかもしれないが、一度に何本もとあっては不可能。

 そして今の彼らの状況で最も問題なのが、衛兵達との距離が5mと少し程度しか無いという事だ。この程度の距離では、放たれた事を認識した次の瞬間には間違い無く矢が身体に突き立っている。相手も十分に錬度を積んだ身であろう事を省みれば、先のような紛れ同然の回避は二度も許されないだろう。

 つまり、降り注ぐ矢から身を守る術は少年達には無い、という事だ。

 

「放てぇッ!!」

 

 轟く号令。引き絞られた弦が鳴らすほんの僅かの発射音を立てて射出される矢。

 咄嗟に目を閉じ、無駄と分かりつつも両手で頭を庇うアリババ。

 その心中は、脳裏に否応無く描かれる数瞬後の自らの無残な姿と、それに伴う苦痛に対して身構える事で一杯だった。

 故に、いつまでも経っても感じない身体に矢が刺さる痛みに対して鋭敏になっていた彼の心中に疑問が生まれるまでに、そう時間は必要無かった。

 様子を伺うために薄らと目を開ける。

 そうして再び開ける視野に真っ先に飛び込んで来た“それ”に、思わずアリババは声を洩らしていた。

 

「な、何で……!?」

 

 矢など飛んで来るワケが無い。

 放った衛兵達の弓の前に“それ”が立ちはだかり、少年達を守る障壁となっていたのだから。

 だが、何故だ。

 目下戦闘中だった前方の一団をまだ斃し切っていないというのに、それを放って自分達の盾となって、一体何の利があるというのか?

 “それ”に――自分達の眼前に立つ白ローブの背にそう問い質したい衝動に駆られたが、その前に“アサシン”が行った新たな行動の前に、そんな余裕は呆気無く吹き飛ぶ。

 轟音と共に方々へ四散する衛兵達と、彼らが足場としていた屋根の破片と共に。

 何が起こったか、否、何をしたかはその目でハッキリと見た。

 “アサシン”の更に前、彼女がアリババ達と自らの身を守るための肉の盾として翳していた衛兵の体――殆どの矢を受け止めたため、アリババが目にした時点では既に針鼠と化していた――を、その背に添えた右足で蹴飛ばしていた。

 それによって飛び出した兵士の体が、一瞬の間に射線上に現れて攻撃を防いだ“アサシン”に少なからず動揺した弓兵の下へ突っ込み、足場の漆喰を砕きつつ弾き飛ばしたのだ。

 結果、着弾点の辺りの居た筈の兵士達は悲鳴の残響だけを残して各々の飛んだ方向から真下へ消えていき、代わりに蹴飛ばされた兵士がクレーター状に抉れたその中心点に上半身を丸々埋めて尻を向けた姿を無残に晒していた。

 常軌を逸したトンでもない殺し方に、パクパクと金魚のように口が勝手に動いていたアリババの方に、クルリと“アサシン”が振り返る。

 その右腕が、何かを投げた後のように左下へ下げられている。

 イヤな予感がしたそのすぐ後に聞こえて来た、バスッという何かが貫かれるような音にアラジン共々振り向いた背後、右隣の屋敷の屋根の上で、4人いる兵士の3人が目を見開いていた。

 三組の双眸が一様に向く方向にいたのは、横一列に並ぶ彼らの右から二番目。

 顔面からサーベルの柄を生やして大の字に倒れた残り一人の衛兵であった。

 その姿を一拍置いてアリババの脳が認識する頃には、既に茫然とする兵士達のすぐ傍まで白いローブが駆け寄っていた。

 あ、と自分でも何を言おうとしたのか分からない声を洩らしながら、無意識に伸ばした手の先で、“アサシン”の踵が右側の衛兵の頭を屋根へ叩き落とした。

 そのまま着地と共に、まるでそれが唯のラックに収まっていた物であるかのように、最初に斃した衛兵の顔面から伸びる剣に躊躇無く手を掛ける白ローブを見る、いや目を見開いて睨むアリババは、いつの間にか自分の両手が拳を握っている事に気付いていない。

 その心の奥で既に燻り出している感情に、まだ気付いていない。

 彼の表情を険しくさせ、拳を震えさせるその感情に気付いているのは、

 

「アリババ君」

 

呼び掛けるアラジンの、青い双眸だけであった。

 

 

 

 砕ける漆喰の屋根に後頭部――同様に砕けた頭蓋を埋もれさせた右端の兵士を一瞥する事無く、着地と共に目の前に現れたサーベルの柄へ右手を伸ばす。

 元々は少年達を守るための肉の盾とした衛兵が持っていた物だ。

 カウンターの要領で奪い取りつつ本来の持ち主を腹――膵臓から串刺しにし、更にその死体を攻撃に利用しつつ抜いたところで、丁度後から弓で狙っていた兵士目掛けて投擲したそれを握るや、力任せに身を捻る。

 それにより回転したモルジアナに引かれ、見るもおぞましい様へと変貌した衛兵の顔面から引き抜かれた刀身が、血の流線を引いて彼女に斬り掛かろうとしていた衛兵の胴を水平に裂く。

 痛みに仰け反る衛兵。

 すかさず、左手の小指を引いて引き出したアサシンブレードを、晒された喉仏へ躊躇無く突き込む。

 更に、断末魔の呻きを上げる兵士を意に介さず、血が滲み出すその首をブレードを突き刺したままの左手で横へ押し退けつつ、前進。その先で動揺を顕にする4人目の兵士の赤いサッシュが巻かれた腹を、右半身を競り出しての踏み込みと共に突き出したサーベルで突く。

 それによって刀身の中程まで胴体を貫かれた衛兵は、しかしまだ息があった。

 苦痛に呻きながらも、飛び出そうな程に血走った眼球を向け、震える手を己が身に刺さる剣の向こうに立つ“アサシン”の方へ伸ばそうとする。

 その様子を間近に見るモルジアナの心中に、黄泉への淵に立たされてなお足掻こうとする醜い亡者へのおぞましさは無い。

 あるのは、もう助からぬ身となってなお生へしがみ付こうとする兵士への憐憫と、次なる獲物への攻撃の意思のみだ。

 血塗れの切っ先の向きを修正しつつ、赤い滲みが布地を浸食し続ける衛兵の腹へ添えた右足に力を込める。――解放する。

 剣は発射台、一気に伸ばす脚は火薬と引き金。そして放たれる砲弾は……。

 切っ先の向いた先、前方に集まっていた残り11名の衛兵達を、足場――屋根が砕けて出来た瓦礫と粉塵と共に纏めて巻き上げた、先の衛兵の亡骸であった。

 これで残るは6人。

 先の弓兵達よろしく、方々へ散っては地面と死の抱擁を交わす事となった衛兵達の居た辺りから吐き出される屋敷の持ち主の喧騒と濛々とした煙を背に、残る衛兵達が集っている筈のジャミルの屋敷の方へ振り返る。

 途端、込み上げた訝しさに特徴的な目元が僅かに歪む。

 視界に入って来た残りの衛兵達は皆怯え、産まれ立ての小鹿のように身体を震わせている。酷い者に至っては、失禁すらしている。

 それは別に良い。むしろ僥倖だ。戦意を失った相手まで殺す必要は無い。

 だが、“アレ”は一体どういう意味だ?

 

「もう止めろッ!」

 

 彼は――。

 

「もう、いいだろぉ! これ以上殺すなぁッ!!」

 

 両腕を広げ、自らの命を狙っていた衛兵達を守るように立ち塞がるアリババは、一体全体何がしたいのだ?

 右手に握ったナイフを小刻みに震わせ、冷や汗塗れの必死の形相で睨み返して来る金髪の少年の奇行に。

 唯々モルジアナは目を細めるしか無かった。

 




これにて第十夜終了です。いや~、読者の皆様方すいません。長らくお待たせして申し訳ありませんでした。

今回の話は読んでの通りのチャンバラ回。個人的なイメージ曲はアサクリⅢの通常戦闘曲「Freedom Fighter」です。個人的にモルさんは“ファナリス”の力に任せて雑魚を掃討しているイメージが強いので、色々な意味で荒々しさが目立つ某禿げ丼の戦闘曲との相性は割とぴったりかと。
あと、本文中のモルさんのアクションの一部に、名前繋がりで某英国テンプラーのリスペクトも一部入れています。どこか分かった人はチャールズ・リーがモホーク族の集落焼く権利くれるって。

それはそうと、今更ながらアリババを書くのが凄く難しいです。うぅむ、ババはうちの作品でも一応主役級だけにこれは由々しき事態。

何はともあれ、次回もどうかお楽しみに。感想・御指摘お待ちしております。
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